アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

劇場アニメ『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』(2020年)レビュー[考察・感想]:継がれる炎

*このレビューはネタバレを含みます。

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『鬼滅の刃』公式Twitterより引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

kimetsu.com


劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 本予告 2020年10月16日(金)公開

圧倒的なアニメーション技術によって,2019年のTVアニメ界の話題を攫った『鬼滅の刃』(2019年春・夏)。その続編となる劇場アニメ『無限列車編』は,シネコンのスクリーンを文字通り“鬼滅一色”に染めながら興行を開始し,わずか10日間で100億超の興収を達成するという規格外の勢いとなった。

制作を手掛けたufotableは,『TYPE-MOON × ufotable プロジェクト』で培った独自の表現技法を加味しつつ,『鬼滅の刃』の真髄とも言えるキャラクターデザインを見事にアニメーションに落とし込み,原作の魅力を最大限に引き出すことに成功したと言える。

なお,TVシリーズのレビューについては以下の記事を参照願いたい。

www.otalog.jp

作品データ(リンクはWikipediaもしくは@wiki)

【スタッフ】
原作:吾峠呼世晴/監督:外崎春雄/キャラクターデザイン・総作画監督:松島晃/脚本制作:ufotable/サブキャラクターデザイン:佐藤美幸梶山庸子菊池美花/プロップデザイン:小山将治/コンセプトアート:衛藤功二矢中勝樺澤侑里/撮影監督:寺尾優一/3D監督:西脇一樹/色彩設計:大前祐子/編集:神野学/音楽:梶浦由記椎名豪/アニメーション制作:ufotable

【キャスト】
竈門炭治郎:花江夏樹/竈門禰豆子:鬼頭明里/我妻善逸:下野紘/嘴平伊之助:松岡禎丞/炎柱・煉獄杏寿郎:日野聡/下弦の壱・魘夢:平川大輔

【あらすじ】

蝶屋敷での訓練を終え,「全集中の呼吸」を会得した炭治郎善逸伊之助の3人は,「無限列車」に乗車して炎柱・煉獄杏寿郎と合流し,多くの犠牲者を出し続ける鬼の討伐に向かう。鬼舞辻無惨によって力を与えられた下弦の壱・魘夢が彼らの前に立ちはだかり,夢を見せながら彼らの精神崩壊を目論む。辛くも術を打破した炭治郎たちは,無限列車の乗客たちを守りながら,魘夢と対峙する。 

風景の消失

映画は,鬼殺隊当主・産屋敷耀哉とその妻・あまねが隊士の墓参りをするシーンから始まる。

TVシリーズよりもいっそう細密に描かれた樹々を写した後,カメラは墓地の中をゆっくりと歩く2人の姿を捉える。鳥のさえずりと葉擦れの音の中,鬼との闘いで命を落とした剣士の名を噛み締めるように呟く耀哉。その歩みを支えるように寄り添うあまね。その周囲に,膨大な数の墓石が写しだされる。

アニメオリジナルとして挿入されたこの短いシーンは,産屋敷の隊士への想いを示すと同時に,風景と時間の伝統的な知覚のあり方を象徴しているかのように思える。かつて人は,歩行や馬車の移動など,相対的に“遅い”速度の中で風景の一つひとつを記憶に留めていた。耀哉とあまねは,ゆっくりと墓地の中を歩むことによって,残された僅かな己の生に自然の風景と墓石に刻まれた剣士たちの名を刻み込んでいるようである。

この伝統的な時空間体験に,鉄道という近代テクノロジーの時空間体験が対置される。これが『無限列車編』の舞台設定上の肝だ。

19世紀に発達した鉄道の機械的な速度は,人々の風景を一変させた。ヴォルフガング・シヴェルブシュによれば,「鉄道が風景の中を突っ走る速度と数学的な直線性が,旅行者と通過する空間の間の親密な関係を破壊する」。*1  かくして,ゆったりとした時間の中で,一つひとつの風景や音を慈しむように記憶した時代は終わりを告げる。

『鬼滅の刃』の舞台である大正時代の日本は,1914年(大正3年)に勃発した第一次世界大戦による「大戦景気」によって空前の好景気を迎えていた。*2 陸運市場が発展し,鉄道網も飛躍的に拡大していた時代だ。それは,近代的な知覚が,伝統的な知覚をますます圧倒していった時代でもあるのだ。

夢の空間

機械的速度の象徴たるこの鉄道を,鬼の魘夢と融合させたことも本作の設定の妙だ。外崎春雄率いる制作陣は,この異形のテクノロジーを3DCGで描画することにより,手描きによる自然の風景とは異なる質感を持ったオブジェクトに仕上げている。ufotableの『鬼滅の刃』では,主線の太いキャラ,細密な美術,3DCGといった異なる質感のオブジェクトを撮影段階での処理によって馴染ませていると思われるが,無限列車に関しては,“馴染みつつも異質”という絶妙なニュアンスが再現されているようだ。

闇夜を疾走する無限列車の周囲では,風景が存在感を失い,*3 外部の風景に代わって,内部(客室)に「夢と精神の世界」という異空間が現出する。天井の照明が「ジジジ…」と音を立てながら明滅する印象的なカットは,照明によって空間の異様さを演出するufotableの十八番とも言える表現法だ。撮影監督の寺尾優一によれば,車掌が切符を切った瞬間から徐々に室内の色味を変え,「ホラーテイスト」を加味しているのだという。*4

移動する乗り物の内部が外部の風景と遮断され,特殊な異空間と化すという設定はフィクションに少なからず見られるが,とりわけ鉄道という大道具を登場させた例としては『銀河鉄道999』(マンガ:1977-1981年,1996-1999年,TVアニメ:1978-1981年)などが連想されるだろう。無限列車は,星空以外の風景が存在しない宇宙空間を疾走し,客室を様々な伝奇的事件が発生する異空間に仕立てた「999号」の文化的後継者と言えるかもしれない(魘夢と融合した無限列車は,人工頭脳を搭載した999号の“闇堕ち版”と言えなくもない)。

このように,内部空間を強調した舞台設定の中で,本作はアクションシーンをふんだんに盛り込みながらも,それぞれのキャラクターの内面を掘り下げることに成功している。

『無限列車編』前半の見どころと言えば,「夢」と「無意識領域」によってビジュアル化された四者四様の心象風景であろう。夢=精神の世界をテーマとしたからこそ,キャラクターの内面をビジュアルとして表現することが可能になったわけだ。とりわけ,青空の下で炎が燃え盛る煉獄の無意識領域と,透徹した空と水の世界として描かれた炭治郎の無意識領域の対比は印象的だ。さらにこの2人の精神性は,彼らが使用する剣技においてもビジュアル化されている。監督の外崎によれば,煉獄が使用する「炎の呼吸」の剣技では,彼自身のメインカラーでもあるオレンジと赤の炎が,炭治郎の「ヒノカミ神楽」では「太陽のニュアンスが入った赤い炎」がエフェクトとして用いられている。*5 まったく異なる性格でありながら,屈することのない闘志にどこか似たものが感じられるこの2人の精神が,うまく色彩設計に落とし込まれている。 

燃える心

言うまでもなく,『無限列車編』は煉獄杏寿郎というキャラクターの物語である。本作は彼の夢と回想のシーンを連携させながら,観客の感情移入を誘引する巧みなストーリーテリングを行なっている。

煉獄が魘夢に見せられている夢は,炭治郎,善逸,伊之助のそれと異なり,願望というよりは回想に近い内容である。観客は,善逸と伊之助のコミカルな夢想で笑い,あり得たかもしれない家族との団欒に決別する炭治郎の意志に涙する一方で,煉獄家の父子関係と兄弟関係,そして母の不在という事実を知らされながら,煉獄杏寿郎の生を追体験する

それまで“表情の張り付いたよくわからないキャラ”だった煉獄の心の襞が次第に露わになってくる。この夢≒回想は,猗窩座との対決シーンにおける母の回想,そしてラストシーンの母の幻影へと繋がっていき,最終的に観客は彼の精神性に深く共鳴していくのである。

そして,この煉獄杏寿郎というキャラクターの生を語るにあたり,その強いインパクトを放つデザインは決定的であったと言ってよい。

いっぱいに見開かれ闘志を漲らせた赤い吊り目の上には,彼の心の炎を象るかのような眉がこめかみに向かって伸びていく。その先には,やはり燃え盛る炎の様な赤い前髪が,全身の闘気と同調するかのように上方に流れていく。

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『鬼滅の刃』公式Twitterより引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

「うまい!うまい!」を連発しながら弁当をかっ喰らう冒頭のシーンのインパクトもあって,ほとんど変化のない煉獄の表情は,当初はもっぱらコミカルな印象を与える。原作者の吾峠呼世晴によれば,煉獄杏寿郎のモデルは「作者個人の知り合いで一般の方」ということらしいが,*6 確かに序盤の煉獄からは“こういう人いるよね”という風情が感じられる。

しかし,ラストの猗窩座との対決シーン以降,この表情のデザインが大きな意味を担ってくる。

煉獄との闘いの最中,朝日を嫌って森に逃げ込んだ猗窩座に,炭治郎は渾身の力を込めて「お前の負けだ!煉獄さんの勝ちだ!」と叫ぶ。この時の炭治郎の,激しくもどこか悲しく滑稽な響きのある叫び声を,花江夏樹は見事に演じている。この炭治郎の姿を目にした時,力強く釣り上がっていた煉獄の眉がふっと下がる。柱合会議以来,“何を考えているのかわからない“という印象だった彼の顔に,炭治郎への優しい想いがはっきりと現れる。 

炭治郎に家族への伝言と奮励の言葉を託した後,煉獄は今際の際に母の幻影を見る。「俺はちゃんとやれただろうか」と問う杏寿郎に,母は優しく「立派にできましたよ」と答える。杏寿郎はその声を聞き,張詰めていたものが解けるように破顔微笑しながら息を引き取る。煉獄の心の物語を象徴するに当たって,この表情の変化の落差こそは重要だ。それもこのキャラクターデザインがあってこそのものと言って過言ではないだろう。

そしてこの時,生前の張付いたような彼の表情の意味も理解される。母に死なれ,父に見限られ,仲間を失いながらも,決して失われることのない闘志。*7 その奥には,彼の無意識世界に広がっていた青空と同じ,底抜けに明るい優しさが秘められていたのだ。生きる者の命を一つも失わせまいと命を賭ける,紛れもない英雄の姿である。

朝日が昇り,辺りに陽光が満ち,機械的な速度と夜の闇によって失われていた風景が再び蘇る。

炎は失われてしまったが,その志を受け継いだ少年たちの心にはより一層明るく燃えたぎる炎が灯された。やがてその炎は,日の光のように闇夜を照らすのだろう。

 

「全集中!」「心を燃やせ!」

“企業戦士”という言葉が死語となって久しい現代において,煉獄杏寿郎が口にするこれらの炎の如く熱いセリフは,それ自体が既にファンタジー要素なのかもしれない。現実の人間が現実の世界でこの様な台詞を言えば,もはや冗談にもならないだろう。しかし僕らは,“熱い闘志”への憧れを相変わらず心のどこかに秘めている。だからそれを,煉獄杏寿郎の様な命を張るヒーローに仮託するのだろう。その意味で『無限列車編』は,時代の願望をうまく汲み取っていると言えるかもしれない。

 

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作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
5 5 5 4
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
5 4.5 3.5
独自性 普遍性 平均
4 3.5 4.4
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

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*1:ヴォルフガング・シヴェルブシュ著/加藤二郎訳『鉄道旅行の歴史 19世紀における空間と時間の工業化』,p.49,法政大学出版局,2011年(新装版)。

*2:当時の浅草の活況に驚く炭治郎たちの様子がTVシリーズ第七話「鬼舞辻無惨」に描かれている。

*3:3D監督の西脇一樹によれば,無限列車が走るシーンでは,周囲の風景も3DCGで描画しているという。「『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』劇場プログラム」,p.10,株式会社アニプレックス,2020年。

*4:同上,pp.11-12。

*5:同上,p.7。

*6:劇場特典・吾峠呼世晴『鬼滅の刃 零 煉獄零巻』,p.27,集英社,2020年。

*7:劇場特典の『鬼滅の刃 零 煉獄零巻』には,同い年の隊士を鬼に殺されながらも,その意志を継いで戦う彼の姿が描かれている。

「白身魚(堀口悠紀子)イラスト展」(@有楽町マルイ)レポート:白身魚は背景の細部に宿る

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有楽町マルイHPより引用 © shiromizakana/エス編集部 © shiromizakana

www.0101.co.jp

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『らき☆すた』(2007年春・夏),『けいおん!』(2009年春),『たまこまーけっと』(2013年冬),『HELLO WORLD』(2019年)などのキャラクターデザインで知られる堀口悠紀子。彼女は「白身魚」の名義でも雑誌や小説のイラストを手掛けているが,その中からアナログ画材で描かれたものを集めた自選作品集『真昼の月』が先日出版された。これを記念して開催されたのが本展示会である。2020年8月に松坂屋名古屋店で開催されていたのが好評を博し,この程,東京でも開催される運びとなった。

—白身魚 自選イラスト集— 真昼の月

—白身魚 自選イラスト集— 真昼の月

  • 作者:白身魚
  • 発売日: 2020/08/07
  • メディア: 単行本
 

展示会データ

会場:松坂屋名古屋店→有楽町マルイ

会期:【名古屋】2020年8月5日(水)~8月17日(月) 【東京】2020年10月11(日)〜10月20(火)

チケットグッズ* 付きチケット:1,000円(税込)一般チケット:800円(税込)高校生以下:600円(税込)* 作品集表紙と同じ図柄(本記事のアイキャッチ)のクリアファイル。

その他:写真撮影不可。各種グッズ販売あり。目玉は「版画」(30,800円(税込))。イラスト制作風景の映像展示あり(数分)。鑑賞所要時間の目安は30分程度。

白身魚(堀口悠紀子)プロフィール

 

1983年京都生まれ。2003年に京都アニメーションに入社し,『らき☆すた』『けいおん!』などのキャラクターデザインなどを手がける。その後,京都アニメーションを退社し,現在はフリーランスとして活動。「白身魚」はイラストレーターとしての別名義であり,他に『季刊エス』では「どちび」名義を使用することもある。なお,ライトノベル『ソードアート・オンライン』シリーズ(2009年-)のイラストで知られるBUNBUN(『ソードアート・オンライン』では「abec」名義)は実弟である。

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キャラクター:普遍にして特殊

 

柔らかい輪郭線,繊細な目の表情,丸みを帯びた優しいシルエット,破綻のない自然なポージング(これは極めて重要な要素だ)。ティーンを描かせたら右に出る者はいないというくらい,どの点を取ってもずば抜けた魅力を放っている。派手な特徴付けをしていないにもかかわらず,一見して彼女の作品とわかる強い個性。それだけに,その魅力はいつまでも古びることがない。〈普遍にして特殊〉。それが彼女の作品の最大の特徴だ。 

本展示の作品はすべてアナログ画材を使用しており,かつ発色等の調整をしていない原画状態のままの展示(展示冒頭の挨拶文にその旨の記載がある)であるため,彼女の筆致の柔らかさが一層引き立つ展示になっている。髪や制服など,色の濃い部位の彩色も複雑で繊細な濃淡が付けられており,非常に表情が豊かだ。制作風景を映した映像展示では,彼女の筆の運びをじっくり目にすることができる。

背景:白身魚は細部に宿る

しかし,彼女の作品で注目すべきなのは人物だけではない。人物の背後に広がる背景の描画も見事である。汚れた歩道のタイル舗装,路傍の錆びた金網,フェンスのビス,店の軒下の配線など,町の風景の細部が驚くほど細かく描き込まれている。淡い彩色で控えめに自己主張をするそうした背景美術の中に,人物が溶け込むように配置されている。キャラクターを引き立たせるレイアウトの妙だ。

『季刊エス』に掲載された作品群の中に,学校の教室の窓を描いた作品がある。薄っすら汚れた天井や柱,コンセントとプラグ,掲示物とそれを留めるセロハンテープなどが細かく描かれている。窓の外には青空が広がっている。誰もが一度は見たことがある風景だ。人物は描かれていない。にもかかわらず,つい目を止めてしまうほど不思議な魅力を放っている。彼女の作品において,背景美術そのものが価値を持っていることを示す小品だ。

キャラクターの存在感は自己完結しているわけではない。キャラクターの置かれた状況やその心情に最もふさわしい背景の中に配置された時に初めて,その魅力が最大限に発揮されるのだ。白身魚は,背景美術を丁寧に描き込むことでキャラクターの存在感を成立させる,卓越した技術を持っている。だからこそ,静止したイラストから物語が生まれる。それは,彼女のアニメーターという出自から得られた感性なのかもしれない。

会期は2020年10月20日(火)までだが,機会のある方はぜひご覧になって欲しい。ここに紹介した彼女の作品の魅力を再確認して頂けることと思う。

—白身魚 自選イラスト集— 真昼の月

—白身魚 自選イラスト集— 真昼の月

  • 作者:白身魚
  • 発売日: 2020/08/07
  • メディア: 単行本
 

 

 

劇場アニメ『海辺のエトランゼ』(2020年)レビュー[考察・感想]:幻想と日常のリアリズム

*このレビューはネタバレを含みます。また,続編のコミック『春風のエトランゼ』の内容にも触れていますのでご注意下さい。

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『海辺のエトランゼ』公式Twitterより引用 ©紀伊カンナ / 祥伝社・海辺のエトランゼ製作委員会

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映画『海辺のエトランゼ』本予告(60秒)

紀伊カンナの同名BLコミック(2014年)を原作とする『海辺のエトランゼ』。元アニメーターの経歴を持つ紀伊の表現は,アニメとの親和性が高く,かつての同僚であり友人でもある大橋明代監督との息の合ったタッグも作品の質に貢献している。59分という短尺ながら,ふんだんに散りばめられた情景と心情の繊細な描写には,BLファンならずとも唸らせる説得力がある。あらゆるセクシュアリティの人が楽しめる普遍性を得たと言ってよいだろう。

作品データ(リンクはWikipediaもしくは@wiki)

【スタッフ】

原作:紀伊カンナ/監督・脚本・コンテ:大橋明代/キャラクターデザイン・監修:紀伊カンナ/総作画監督:渡辺真由美/エフェクト作画監督:橋本敬史/美術監督:空閑由美子STUDIOじゃっく/色彩設計:柳澤久美子/撮影監督:美濃部朋子/編集:坂本雅紀(森田編集室)/音楽:窪田ミナ/音楽制作:松竹音楽出版/音響監督:藤田亜紀子/音響効果:森川永子/録音調整:林淑恭/音響制作:HALF H・P STUDIO/アニメーション制作:スタジオ雲雀

【キャスト】

橋本駿:村田太志知花実央:松岡禎丞桜子:嶋村侑絵理:伊藤かな恵鈴:仲谷明香おばちゃん:佐藤はな

【あらすじ】

沖縄の離島で小説家の卵として暮らす橋本駿は,ある日,物憂げな様子で海辺のベンチに座る知花実央の姿を見かける。ゲイである駿は「下心」から実央に声をかける。当初ぎこちなかった2人の関係は,やがて深い親密さへと変わっていく。だがある日,実央は本島に移り住むことになり,駿の元を去る。それから3年の月日が経ち…

ファンタジーと日常の間の世界

『海辺のエトランゼ』は色を観る映画でもある。

ファーストカットは星空と暗い海だ。黒い空と海。それに対抗するかのように白く輝く月。そして後半の回想シーンに登場する北海道の白い雪。これらを写しとるように,黒地に白の『海辺のエトランゼ』のタイトルバックが姿を現す。

母を亡くしたばかりの実央がベンチから見ていた黒い海は,彼の曰く「あっち側」=黄泉の世界に通じていたのかもしれない。原作者の紀伊と監督の大橋も,旅行やロケハンで訪れた沖縄の風景から「あの世」を連想したそうである。*1

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『海辺のエトランゼ』公式Twitterより引用 ©紀伊カンナ / 祥伝社・海辺のエトランゼ製作委員会

これらのモノクロームの世界とコントラストを成すかのように,昼間の風景では色とりどりの花や青い海が目に眩しく映る。それはまるで,日常世界から遊離した楽園のようだ。赤と白のブーゲンビリアが咲き誇る庭で,実央が駿を訪れる場面は,前半のシーンの中で最も強い印象を放っている。

思えば,少女同士の恋を描いた『やがて君になる』(2018年秋)でも,主人公の小糸侑と七海燈子は,森の植物に囲まれた幻想的な生徒会室で出会っていた。彼女たちの“百合”物語も,ある種の“異世界”において始まっていたのだ。

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『やがて君になる』第1話「わたしは星に届かない」より引用 ©2018 仲谷 鳰/KADOKAWA/やがて君になる製作委員会

www.otalog.jp

紀伊は劇場プログラムに掲載されたインタビューの中で,BLにおける「ファンタジー性」「非現実的な要素」に言及している。 *2 ヘテロノーマティヴィティ(異性愛規範)からすれば,BLや百合のような同性愛作品は,性規範からの逃避を表象するという意味で,確かに「ファンタジー」だ。『海辺のエトランゼ』は,楽園のように鮮やかに彩られた風景の中に仄暗い黄泉の世界を暗示させた,多分に幻想的な世界を舞台に「ボーイズラブというファンタジー」を成り立たせている。

しかし同時に,この作品には温かい日常を思わせる多くの小道具が登場し,駿と実央の関係が確かに現実世界で進行していることを感じさせてくれもする。

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『海辺のエトランゼ』公式Twitterより引用 ©紀伊カンナ / 祥伝社・海辺のエトランゼ製作委員会

例えば料理や食事のシーンでは,台所の棚に所狭しと鍋や蒸籠などが置かれ,壁には無数のメモが貼られている様子が伺える。実央が寝泊りする部屋の一角には,テレビ,カラーボックス,少女漫画,三味線などの小物が雑多に並べられている。空間を隅々まで満たすこれらのプロップの“生活感”は,彼らの生が確かに俗世に根差していることを示している。 

駿と実央が住む「京屋」の佇まいは,まさしく古風な日本家屋のそれである。駿と実央が室内で会話をする際は,畳の上に座ったり敷かれた布団に横になったりする構図が多く,自然とカメラは低い位置に置かれる。「小津調」とまでは行かずとも,日本の家屋の特徴を活かしたローアングルの構図は,隠り世への浮遊というよりは,現世への定着を表しているようだ。

ちなみに,アイスの棒を口にくわえて布団に横になった実央が,小説の執筆に勤しむ駿をカーテンの隙間から物欲しそうに見やるシーンがある。これもかなり面白い。やはりカメラは実央の目線に合わせ,畳すれすれの位置に置かれている。ちょっとした仕草の中に実央の心情を映し出すと同時に,“布団の中から襖やカーテンの隙間を通して隣室を覗く”という和テイストの淫靡さを表現した名シーンだ。

『海辺のエトランゼ』の面白さの1つは,楽園と隠り世が構成する幻想性と,和空間ならではの雑多なプロップが構成する日常性によって,〈幻想=日常〉という物語世界の両義性が示されている点にある。僕にはそれが,現代社会における〈ボーイズラブ〉という題材が〈ファンタジー〉であると同時に,〈現実〉の領域に場所を持ち始めつつあることを暗示しているようにも思えるのだ。

相対化される〈ボーイズラブ〉

そうして見た時,BL作品である『海辺のエトランゼ』が,〈ボーイズラブ〉を他者から孤絶した唯一の価値として表現していない点も注目に値する。

京屋には絵理と鈴というレズビアンのカップルが同居しているが,2人の関係は駿が羨むほど理想的であり,鑑賞者側から見ても実に魅力的なキャラクター造形だ。この2人の関係をクロースアップしたスピンオフを期待したくなるくらいだ。

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『海辺のエトランゼ』公式Twitterより引用 ©紀伊カンナ / 祥伝社・海辺のエトランゼ製作委員会

また,かつて駿の許嫁であった桜子というキャラクターの存在感も大きい。彼女はヘテロセクシュアルであるが,その存在は,しばしばBL作品において見られるような“引き立て役”では決してない。彼女の生は,ヘテロセクシュアルとして生き,怒り,悩むという自律的な価値を持っている。

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『海辺のエトランゼ』公式Twitterより引用 ©紀伊カンナ / 祥伝社・海辺のエトランゼ製作委員会

桜子について述べた紀伊の言葉を引用しておこう。

BLの中に女性が出てくると,どうしても当て馬として感知されるみたいで…。でもそういう風に描いているつもりはなくて,彼女にも人格と人生がある…,だからふみ* が出てきてます。BLでもそういう部分があって面白いかなと思うのと,みんながボーイズでラブをするわけではなくて,それ以外の人も誰かと関係を築くという様子を同じ世界で描きたかった。*3

(*ふみについては後述)

駿と実央の〈ボーイズラブ〉は,閉ざされた世界の中の唯一絶対の価値として位置付けられているわけではない。絵理と鈴,そして桜子らが体現する多様な性の価値観とのコミュニケーションの中で,〈ボーイズラブ〉が相対的価値として位置付けられる。これもこの作品が目指した〈幻想=日常〉的リアリズムの1つと言ってよいだろう。

規範からの自由

多くの人が恋愛を経験する。恋愛が発展し,結婚して家族を持つ人もいるだろう。人はこれらを“自由の領域”に属する選択だと漠然と信じている。もちろん“恋愛しないこと”“結婚しないこと”も本来的には自由であるはずだ。しかし現実的には,ここには多くの〈規範〉が制約的に働いている。ジェンダーという規範,年齢という規範,血縁という規範。僕らが“自由な愛”と思っているものの多くは,社会規範によって限定され枠付けられたものに他ならない。

『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』(2015年)の著者である溝口彰子は,レズビアンでありながらBL作品を愛好するという,興味深い“嗜好”の持ち主だ。彼女はかつて木原敏江の『摩利と新吾』(1977-1984年)を読み,「摩利が新吾に向けた同性愛感情と,自分が◯◯に向けている同性愛感情は,同性愛感情とうことでは同じなのだから,世間が何と言おうと,それが悪いものであるはずがない」というロジックを得,偏見に打ち負かされることなく自分の性的志向を受け入れることができたのだという。*4 溝口はBL作品に触れることによって性規範から解放され,本来的な〈自由恋愛〉を追求することができたのだ。

実は『エトランゼ』シリーズには,駿と実央の関係以外にも〈規範からの解放〉を象徴するキャラクターが登場する。映画では描かれていないが,『海辺のエトランゼ』の続編『春風のエトランゼ』に登場するふみである。

ふみは「ポスト」入れられていた孤児だった。彼は施設に預けられていたところを,駿の父に養子として引き取られ,駿の「弟」として橋本家の一員になったのだ。彼は一回り以上も歳の離れた桜子に恋心を抱いており,『春風のエトランゼ』第4巻のラストでは,13歳になった彼が自分の気持ちを桜子にはっきりと告白するシーンがある。

橋本家とふみ,そしてふみと桜子の関係性には,〈血縁〉や〈年齢差〉といった規範からの自由が示されている。血の繋がりがなくとも家族愛は生まれる。どれだけ歳が離れていようと愛は成立する。

個人的なことを言わせてもらえば,僕自身はヘテロセクシュアルの男性で,恋愛対象は女性である。しかしそれにもかかわらずーいやむしろ“だからこそ”なのかもしれないー自分の経験してきた恋愛が本当に〈自由〉なのだろうかと疑問に思うことも多かった。誰かを好きになる時,自分は他者=規範の目を常に気にしているのではないか。相手も同じ規範意識で自分を選んでいるのではないか。人は〈他者の欲望〉を欲望する生き物だ。それはいい。しかし,逆に僕自身の真の欲望を他者=規範は容認してくれるのだろうか。規範はいつどの時代も不変なのだろうか。規範を突き崩す機会は,個人に与えられないのか。

『海辺のエトランゼ』は,〈幻想=日常〉という独自のリアリズムに根差した多様な〈自由〉を描くことにより,現実的には規範によって束縛されている恋愛が,本来は自由の領域であることを再認識させてくれる。そうであるからこそ,様々な性的指向や価値観を持った鑑賞者の心に訴える普遍性を持っているのだろう。

「しんどい」人々

しかし,規範から逸脱することには苦悩が伴うことも事実だ。この作品はBL作品に固有の〈痛み〉をシンボリカルに描くことで,規範からの逸脱に伴う〈苦から快〉という心情の流れを巧みに表現している。

初めてのセックスの後,実央に感想を聞かれた駿は,「しんどいよ」と答える。その瞬間,駿の脳裏にクラスメイトに想いを寄せていた高校時代の記憶がフラッシュバックする(このカットの挿入はアニメオリジナルである)。彼にとって,アナルセックスはまだ「しんどい」。しかしそれは,クラスメイトに拒絶された時の心の痛みと比べたらどうだろう。どれだけ「しんどい」としても,好きな人と交われる喜びは他に替えがたいだろう。この「しんどいよ」という言葉には,身体的な苦痛に加え,心の痛みと喜びが綯い交ぜになった極めて複雑な感情が込められているのだ。桜子やふみも,やがて彼女/彼らなりの「しんどい」を抱えながら愛を追求していくことになるのかもしれない。

規範に従うことはある意味,楽である。駿も桜子と婚約した時点では,規範への順応という楽な道を選択していた。しかし,“楽”が心の真実であるとは限らない。「しんどい」という苦痛の感覚に苛まれたとしても,心の真実に従える可能性。そうした可能性の領域が,社会の隅々にまで浸透する日は訪れるのだろうか。

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
5 3.5 5 4
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
5 4 5
独自性 普遍性 平均
4 4.5 4.4
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

海辺のエトランゼ (onBLUE comics)

海辺のエトランゼ (onBLUE comics)

 
春風のエトランゼ(1) (onBLUE comics)

春風のエトランゼ(1) (onBLUE comics)

 
春風のエトランゼ(2) (onBLUE comics)

春風のエトランゼ(2) (onBLUE comics)

 
春風のエトランゼ(3) (onBLUE comics)

春風のエトランゼ(3) (onBLUE comics)

 
春風のエトランゼ(4)【特典付】 (onBLUE comics)

春風のエトランゼ(4)【特典付】 (onBLUE comics)

 
BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす

BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす

  • 作者:溝口彰子
  • 発売日: 2015/06/06
  • メディア: 単行本
 
季刊S(エス) 2020年 07 月号 [雑誌]

季刊S(エス) 2020年 07 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/06/15
  • メディア: 雑誌
 

 

 

 

*1:「季刊エス 2020年7月号」,p.21,徳間書店,2020年。および『海辺のエトランゼ』劇場プログラム,p.22,2020年。

*2:劇場プログラム,p.22。

*3:「季刊エス」上掲書,p.15

*4:溝口彰子『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』,pp.11-12,太田出版,2015年。

ブログ開設から2年経ちました。

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あっという間の2年です。

この間,アニメ業界にも僕個人にもいろいろなことが起こりました。

コロナ禍は,アニメの制作体制に大きく影響を及ぼしました。とりわけ,声優のみなさんは仕事の仕方が大きく変わり,今でもとても苦労をされていることと察します。そしてコロナ禍による社会変化は,やがてアニメ表現そのものも変質させていくかもしれません。これは不安でもありますが,その反面,少し楽しみでもあります。そもそも表象文化は社会変化に応じてその内実を変えていくものです。今後,アニメにおいて,人と人との距離がどう扱われていくのか,いつか登場人物のほとんどがマスクをしているシーンが登場するのか。なかなか興味深いところです。

僕個人の出来事としては,やはり肉親を亡くしたことが物の見方を大きく変えました。それは単に悲しいというだけでなく,やがて訪れる自分自身の死とどう向き合うかを深く考えさせられたということです。やや大げさに言えば,そこには哲学的思索のようなものがありました。幾原邦彦監督の『さらざんまい』(2019年春)のレビューを書いたのもこれがきっかけです。幾原監督自身,父親を亡くされています。とりわけ作家性の強い幾原監督の作品ですから,そこに実体験に基づく〈生と死〉の観念が反映しているはずだ,という思いがありました。

www.otalog.jp

これからも,社会情勢や個人的な出来事の影響を受けながら,細々をこのブログを続けていく予定です。おそらく途中でやめることはないでしょう。なぜなら,このブログは”アニメログ”であると同時に,”ライフログ”でもあるからです。

皆さん,どうぞ今後とも「アニ録ブログ」をよろしくお願い申し上げます。

劇場アニメ『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(2020年)レビュー[考察・感想]:"Violet Evergarden"

*このレビューはネタバレを含みます。

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『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式HPより引用 ©暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

violet-evergarden.jp


『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』本予告第2弾 2020年9月18日(金)公開


『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』本編冒頭シーン10分特別公開

TVアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(2018年冬)劇場アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 ー永遠と自動手記人形ー』(2019年)に続き,いよいよシリーズ完結編となった『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』。この間,制作会社の京都アニメーションには様々な出来事があったことは言うまでもないが,本作は“京アニ復活”という水準を軽々と超え,美麗な作画のみならず,音楽・演出・声優の演技を含め,劇場アニメーションの極北を示し得たと言ってよいだろう。

作品データ(リンクはWikipediaもしくは@wiki)

【スタッフ】
原作:暁佳奈/監督:石立太一脚本:吉田玲子キャラクターデザイン・総作画監督:高瀬亜貴子世界観設定:鈴木貴昭美術監督:渡邊美希子3D美術:鵜ノ口穣二色彩設計:米田侑加小物設定:髙橋博行撮影監督:船本孝平3D監督:山本倫/音響監督:鶴岡陽太音楽:Evan Callアニメーション制作:京都アニメーション

【キャスト】
ヴァイオレット・エヴァーガーデン:石川由依/ギルベルト・ブーゲンビリア:浪川大輔/クラウディア・ホッジンズ:子安武人/ディートフリート・ブーゲンビリア:木内秀信/アイリス・カナリー:戸松遥/ベネディクト・ブルー:内山昂輝/カトレア・ボードレール:遠藤綾/エリカ・ブラウン:茅原実里/ユリス:水橋かおり/リュカ:佐藤利奈/デイジー・マグノリア:諸星すみれ

【あらすじ】
人の心と体に傷痕を遺した大戦が終わり,社会のあり方や街並みも徐々に変化しつつある中,「自動手記人形」ヴァイオレット・エヴァーガーデンは,手紙の代筆業で以前にも増して目覚ましい活躍を見せていた。しかしギルベルトへの想いを断ち切ることができない彼女の眼差しには,相変わらず憂いの影が差している。ある日,C.H郵便社の電話が鳴り,ヴァイオレットはある少年からの代筆依頼を受ける。一方,ホッジンズは「宛先人不明」の手紙が保存された保管庫で,偶然一通の手紙を見つける。そこに書かれていた文字は,彼にとって確かに見覚えのある筆跡だった。

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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式Twitterより引用 ©暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

過ぎゆく時

冒頭,カメラは誰もいない道を写し出す。古時計の振り子の音が時を刻み続ける。その音はやがて現代風の壁掛け時計の秒針の音に変わる。カメラはマグノリアの邸宅にトラックアップしていく。邸宅の中に入るやいなや反転し,窓際のデイジー・マグノリアを写した後,壁の時計を捉える。

時計というツールによって,時の流れと時代の変化を同時に表した印象的なシーンだ。と同時に,この作品で強調されているのが〈過去〉であり,過去を生み出す〈時の流れ〉であることを予告した意味深い導入部でもある。

物語はヴァイオレット達の生きた時代の数十年後から始まる。

祖母を亡くしたばかりのデイジー・マグノリアは,その遺品の中に何通もの古い手紙を見つける。それは祖母が生前,毎年誕生日に受け取っていたという亡き曾祖母からの手紙だった。そう,デイジーは,かつてヴァイオレット・エヴァーガーデンが代筆依頼を受けたマグノリア家の娘,アン・マグノリアの孫だったのだ。*1 ヴァイオレットの存在を知ったデイジーは,彼女の足跡を知るべく一人旅に出る。

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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式Twitterより引用 ©暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

このようにヴァイオレットの生涯を辿るデイジーの視点を導入することにより,本作の形式は〈伝記〉の趣を帯びる。僕らは,ヴァイオレットと同時代に生きるというよりは,デイジーの時代から“かつて存在した偉大な人”を追想するというレトロスペクティブな視点を得ることになるのだ。これはある種の“タイトル回収”でもある。この作品はヴァイオレット・エヴァーガーデンの〈伝記〉として完結するからこそ,『エジソン』や『キュリー夫人』などと同じように,『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という固有名をタイトルに冠しているのだ。過去への憧憬や郷愁とともに,ヴァイオレットその人への〈敬慕〉の気持ちをも掻き立てる秀逸な演出である。

ヴァイオレットの時代とデイジーの時代とでは,街並みも人の服装もすっかり様変わりしている。いやそれどころか,ヴァイオレットの時代においてすでに,多くのものが過去に置き去りにされ,急速に時が流れていることが示されている。戦争は終わり,技術は進歩し,人々の日常も変わる。電波塔が建設され,電話というメディアがタイプライターのプレゼンスを脅かし,ガス灯の点消方は電灯を恨めしそうに見やる。

ただし,この作品はただ出来事の列挙によって無機質な時の流れを表すだけではない。等質で客観的な時間経過に加え,いわば〈主観的な時の流れ〉とでも言うべきものを丁寧に表したシーンがいくつか見られる。

自室でヴァイオレットが仕事をしている場面で,ふと左の義手が動かなくなる。義手を調整する彼女の脳裏に,ギルベルトとの別れの瞬間が蘇る。カメラは,じっと物想いにふけるヴァイオレットの背中を忠実に写し続ける。

ギルベルトが生きていることを知らされた場面では,ヴァイオレットが屋根の上に登り,沸き起こる感情を持て余すかのように街の灯りを見つめ続ける。ここでもカメラは,彼女の横顔をしばらく写し続ける。

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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式Twitterより引用 ©暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

時が止まったかのような無音のカット。まるで彼女の心の動きに合わせて時の流れが淀み,滞留しているかのようである。しかし僕らは,その無音の時間の中で,ヴァイオレットの心が確かに動いているのを感じることができる。

さらに,クライマックスでヴァイオレットとギルベルトが再会するシーンも印象的である。数年ぶりに向かい合う2人の周りには,仄暗い海が広がっている。まるで2人しか存在していない世界の果てのようだ。ギルベルトはヴァイオレットに再度「愛してる」を告げる。しかしヴァイオレットは感極まり,「わたし…少佐…」という言葉を繰り返すことしかできない。映画はこのシーンにたっぷりと時間を費やし,ヴァイオレットとギルベルトの溢れる感情を残りなく写しとる。ヴァイオレットが人前で涙を流したことは何度かあるが,ここまでの感情の横溢を見せるのはこのシーンが初めてだろう。これまで人のために流してきた涙が集結し,彼女自身のための涙となって溢れ出たかのようである。

これらのシーンは,時の流れが単なる抽象的な“時間経過”ではないことを教えてくれる。時間には人の想いが充溢している。いやむしろ,人の想いの充溢の連続こそが,時の流れを作るのかもしれない。このような時間感覚を表現するのに,本作は尺を惜しみなく使っているのだ。時系列に沿った出来事の列挙ではなく,主観的な時間の流れに多くの尺を費やす。140分という長尺の必然性がここにある。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンは,容赦なく移ろいゆく時代の中で,自分自身の感情で満たされたひとつひとつの時を生きる術を得た。それを可能にしたのが,かつて機械のように虚ろだった彼女の心にギルベルトが与えた,「愛してる」という言葉だったのであろう。

つながる距離

ヴァイオレットは不治の病を抱えたユリスから,彼の死後,両親と弟,そして親友のリュカに手紙を渡すという依頼を受ける。そんな中,ホッジンズはギルベルトが遠方のエカルテ島で存命中であるという情報を得る。ヴァイオレットはユリスからの依頼を半ばにして,ホッジンズともにエカルテ島へ向かう。

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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式Twitterより引用 ©暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

この時生じた〈距離〉が,劇的な物語を生み出す。

ギルベルトを捜し求めてヴァイオレットとホッジンズが訪れたエカルテ島は,北欧の離島のような趣である。島民は,肥沃とは言えない土地で葡萄などを栽培しながら,慎ましくも幸福な生活を送っているようだ。しかし,彼らは先の大戦で働き手である男たちを奪われており,多くの人々が鰥寡孤独に暮している。この悲壮感に満ちたロケーションをラストシーンに選んだ石立太一監督のセンスには感服する。『外伝』と同様,TVシリーズよりも広いアスペクト比の画面が,島の寂寞とした風景をダイナミックに捉える。曇天によって彩度の抑えられたその風景は,テオ・アンゲロプロスやアンドレイ・タルコフスキーの映画の舞台を思わせる。島の海岸には郵便サービスも兼ねた灯台があり,そこには島の外部と連絡を取るための電信機がある。

島に滞在するヴァイオレットの元に,ユリスが危篤状態になったという知らせが電信で届く。ヴァイオレットはユリスの元へ駆けつけようとするが,どう急いでも彼の死際には間に合わない。そこでヴァイオレットは,電信でアイリスとベネディクトに連絡を取り,ユリスからリュカに宛てた手紙の代筆をしてもらうよう依頼する。アイリスとベネディクトはユリスの元に駆けつけるが,彼はすでに口述ができないほど弱っている。そこでアイリスは,彼女の曰く「いけすかない」電話でユリスとリュカをつなごうと奔走する。ユリスはリュカと電話で会話した後,静かに息を引き取る。その後,ユリスの父母と弟には,ユリスからの手紙が約束通り手渡される。

危篤のユリスとリュカを電話がつなぎ,彼らとヴァイオレットを電信がつなぎ,ユリスと両親を手紙がつなぐ。新旧3つのメディアが連携する見事なシークエンスだ。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』では,これまでにもいくつかの技術が〈つなぐもの〉として登場していた。TVシリーズ第11話では,飛行機がヴァイオレットとクトリガル国メナス基地の兵士をつないだ。第12話に登場した大陸縦断鉄道は,かつて敵対していたライデンシャフトリヒとガルダリクをつないだ。本作でも,葡萄を運ぶ手動式の機械がヴァイオレットの手紙をギルベルトに届ける。この作品に登場する数多くの技術が,〈人と人との媒介者=メディア〉として機能している。

時代とともにメディア技術が変われば,人の意識と社会も変化するだろう。マーシャル・マクルーハンを引き合いに出すまでもなく,メディアはそれ自体がメッセージだからだ。*2 タイプライターは女性に自立と誇りをもたらし,電話はプライベート空間への他者の侵入を可能にする。鉄道は風景の知覚を変容させる。

しかしだからと言って,メディアの本質である〈媒介者〉としての機能自体が変わることはない。

この作品では,手紙が宙を舞い街中を飛翔するシーンがしばしば登場する。手紙によって,言葉と想いが人々の間を自在に流通することを表した秀逸なイメージだ。もちろん,これはファンタジーである。こうした状況を本当の意味で実現するのは,手紙という旧メディアではなく,おそらく電子メディアだからだ。しかし,旧メディアであれ新メディアであれ,〈媒介〉という機能そのものは変わっていない。それを端的に表すのが,シリーズ中何度か繰り返される「届かなくていい手紙などない」という言葉である。飛翔する手紙のイメージは,メディアの〈媒介〉機能を象徴しているのだ。

もちろん,現代に生きる僕らにとって,〈つながる〉ことが幸福を無条件に確約するということはない。むしろ現代のメディア環境は,つながるからこそ,聞きたくもない人の心のノイズを聞いてしまうという事態をしばしば露呈している。しかし,ヴァイオレットの〈伝記〉が示しているように,人は,確かに〈つながる〉ことに無上の喜びを見出す存在なのだ。「愛してる」という抽象的な陳述の内実を他者と共有することにより,深くつながることを熱望する生き物なのだ。この作品は,ヴァイオレットとギルベルトのハッピーエンドの背後に,移ろいゆくメディア技術環境の奥底にある,人の根源的で不変的な欲望を確かに捉えている。そして「自動手記人形」ヴァイオレットは,愛という言葉を模索する中で愛という言葉を媒介するという,特異な人生を歩んだのである。

 

「愛してる」は,人にとって最も根源的な媒介者である〈言葉〉による,最も根源的な陳述に他ならない。

 

ラストシーンでは,冒頭と同じあの道が再び写し出される。今度は,ゆっくりと歩みを進めるヴァイオレットの姿が見える。彼女の歩みは,時計の音と正確にシンクロナイズしている。移ろいゆく時代の中で永遠を示した,敬愛すべき人の姿だ。

 

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
5 5 5 5
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
5 5 4.5
独自性 普遍性 平均
4 4.5 4.8
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

 

www.otalog.jp

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ヴァイオレット・エヴァーガーデン1 [Blu-ray]

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*1:TVシリーズ第10話「愛する人はずっと見守っている」を参照。

*2:マーシャル・マクルーハン『メディア論』,pp.7-22,みすず書房,1987年。

TVアニメ『モブサイコ100』(1期:2016年夏/2期:2019年冬)レビュー[考察・感想]:「いい奴」たちの猥雑な世界

 *このレビューはネタバレを含みます。また,原作マンガの内容にも触れていますのでご注意下さい。

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『モブサイコ100Ⅱ』公式HPより引用 ©ONE・小学館/「モブサイコ100 Ⅱ」製作委員会

mobpsycho100.com

スピード感MAXのアクション,目も眩むような色彩,多様な表現技法によって,原作マンガに潜在する魅力を最大限に引き出したアニメ『モブサイコ100』(以下『1期』)と『モブサイコ100Ⅱ』(以下『2期』)。アニメーションの豊かな表現特性を活かした演出に加え,とりわけ『2期』では,人間ドラマを深く掘り下げたストーリーテリングが話題となり,近年のマンガ原作アニメの中でも最も注目された作品となった。今回の記事では,『1期』と『2期』を併せてレビューすることにする。

作品データ(リンクはWikipediaもしくは@wiki)

【スタッフ】

原作:ONE/監督:立川譲/シリーズ構成:瀬古浩司/キャラクターデザイン:亀田祥倫/美術監督:河野羚/色彩設計:中山しほ子/撮影監督:古本真由子/編集:廣瀬清志/音響監督:若林和弘/音楽:川井憲次/アニメーション制作:ボンズ

【キャスト】

影山茂夫:伊藤節生/霊幻新隆:櫻井孝宏/エクボ:大塚明夫/影山律:入野自由/花沢輝気:松岡禎丞/最上啓示:石田彰

【あらすじ】

主人公の影山茂夫(通称「モブ」)は,勉強も運動も苦手で,存在感の薄い中学2年生だ。しかし彼には,規格外の「超能力」が生まれつき備わっていた。彼は自称霊能力者の霊幻新隆を「師匠」と仰ぎ,何の能力も持たない霊幻に代わって悪霊の除霊をするアルバイトをしている。ある日,超能力を使って世界征服を図る組織「爪」の一味により,最愛の弟・律が拐われてしまう。モブは仲間となった超能力者のテルと悪霊のエクボとともに,律を救うべく「爪」の支部へと乗り込んでいく。 

ビビッドな世界へ:猥雑性

まずは『1期』のエンディング・アニメーションの話から始めよう。

佐藤美代の手になるペイント・オン・グラスの独特なタッチの絵柄が,霊幻新隆の平凡な朝を淡々と描き出す。起床し,髭を剃り,タバコを吸い,スーツを着て出かける彼の様子は,モノトーンの描画によってどこか寂しげに描写されている。ところが,ラストシーンで霊幻がモブらしき少年に声をかけるや,たちまち世界は温かく色づくのだ。

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『モブサイコ100』エンディング・アニメーションから引用 ©︎ONE・小学館/「モブサイコ100」製作委員会

このエンディングのストーリーは,『モブサイコ100』というアニメ誕生にまつわる逸話をなぞっているかのようである。

監督の立川譲は,ONEの原作から「色彩が薄くて,少々ほの暗い感じのダークなイメージ」を感じ取っており,当初は彩度を抑えた色彩のキャラクター造形にしようと考えていたそうだ。確かに,ONEの原作では黒のベタ塗りのパーツが多い上に,主人公のモブが無表情であることが多いため,全体として仄暗い印象を受けるというのもうなずける。ところが,PV制作時にキャラクターデザイン担当の亀田祥倫が鮮やかな色彩を提示してきたため,立川は「シリアスな印象のまま映像化するのではなく,懐が広い作品にしたほうがいいんじゃないか」と思い至ったというのである。*1

低彩度のダークな世界から,ビビッドに色づく世界へ。この転換は『モブサイコ100』という作品にとって決定的な意味を持つ。もちろん,マンガやライトノベル原作のアニメ化において色彩設計が重要であるというのは当然のことであって,それはこの作品に限った話ではない。しかし,『モブサイコ100』が色彩の持つ存在感をことさら強く打ち出していることも確かだ。エンディング・アニメーションとは対照的に,『1期』オープニング・アニメーションは,これでもかというくらいの色彩の情報量でもって観る者を圧倒する。

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『モブサイコ100』オープニング・アニメーションより引用 ©︎ONE・小学館/「モブサイコ100」製作委員会

僕らはその目眩く色彩に撹乱され,驚き,笑いながら,同時にそこに〈猥雑な多様性〉を見てとる。日本語の〈色〉という言葉には,〈様々な種類〉という意味合いがある。まさしく『モブサイコ100』の色彩は,モブという主人公を中心に,様々なキャラクターの多彩で雑多な存在感を生み出しているのである。 

制作者たちのコラージュ

色彩の多様性に,作画の多様性が加わる。この作品では,通常の描画タッチに加え,ペイント・オン・グラスによる淡いタッチ,劇画風タッチ,8bitゲーム風タッチ,コミック風タッチと,様々な表現のバリエーションが盛り込まれている。

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〈左上〉『モブサイコ100』「002 青い春の疑問〜脳感電波部登場〜」〈右上〉『モブサイコ100』「004 馬鹿オンリーイベント〜同類〜 」〈左下〉『モブサイコ100Ⅱ』「001 ビリビリ〜誰かが見ている〜」〈右下〉『モブサイコ100Ⅱ』「006 孤独なホワイティー」より引用 ©ONE・小学館/「モブサイコ100」製作委員会 ©ONE・小学館/「モブサイコ100 Ⅱ」製作委員会

 さらに,制作体制そのものも多様性を反映しているのが興味深い。

『モブサイコ100』は(ほぼ)総作監制を機能させていない。それは,統一よりも〈猥雑,一貫性よりも〈多様性〉,単数性よりも〈複数性〉に重きを置いた制作哲学が根底にあるからだと言える。*2 亀田はこう述べている。「『モブサイコ100』は,作監それぞれの個性が出るかたちにしても,多分,作品として成り立ちそうだなって。その判断は自分でも英断だったと思います」。*3 

これが顕著なのが,『2期』の「005 不和〜選択〜」と「011 指導〜感知能力者〜」である。

「005 不和〜選択〜」は,最上啓示の作ったパラレルワールドの中でモブが翻弄される様を描いている。この回の絵コンテ・演出・作画監督を担当したのは,かつて『Fate/Apocrypha』(2017年夏秋)第22話「再会と別離」の絵コンテ・演出で名を馳せた伍柏諭だ。

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『モブサイコ100Ⅱ』005「不和〜選択〜」より引用 ©︎ONE・小学館/「モブサイコ100」製作委員会

立川と亀田によれば,伍は絵コンテをかなりラフな形で仕上げたそうだ。それを「叩き台」にして,伍の信頼する若手アニメーターたちが自由な発想で作画していった。したがって,絵コンテ段階から逸脱したカットも多数生まれ,全体から浮いた作画があっても,伍は最低限の修正しかしなかったらしい。作画の統一感よりも,各アニメーターの個性的な発想力やエネルギーを重視した采配と言えるだろう。 *4

モブの味方となった元「爪」と「5超」の島崎との戦闘シーンを描いた「011 指導〜感知能力者〜」は,若手アニメーターの土上いつきが絵コンテ・演出を担当している。この話数でも,温泉中也砂小原巧渡辺啓一朗ら実力派若手アニメーターの熱量溢れる作画が炸裂しており,とりわけ『アニメスタイル』の小黒祐一郎は温泉の作画を「いい意味での暴走」と高評価している。*5

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『モブサイコ100Ⅱ』「011 指導〜感知能力者〜」より引用 ©ONE・小学館/「モブサイコ100Ⅱ」製作委員会

僕らは『2期』の「005」や「011」のような回を観せられた時,作品の背後にいるのが単数形の制作主体ではなく,複数の制作主体たちであることに改めて気づかされる。複数のセンスや価値観が雑多に集合したこの制作体制こそ,『モブサイコ100』のキャラクターや世界観の猥雑で多彩な存在感を下支えしているのだ。

霊幻新隆=庶民>>>超能力者 

こうして,〈猥雑な多様性〉は『モブサイコ100』という作品の制作思想からキャラクター造形に至るまで,作品全体を貫いている。

あるいは,同じ超能力を扱った『僕のヒーローアカデミア』(原作:2014年-/アニメ:2016年-)風に「個性」と言ってもいいかもしれない。ただし『モブサイコ100』で示される「個性」の概念は,〈ヒーロー〉や〈正義〉といった崇高な価値観とはほぼ無縁である。

それを端的に示すのが,『1期』「011 師匠〜Leader〜」における霊幻のセリフだ。この回の回想シーンで,霊幻は「霊とか相談所」を初めて訪れたモブの相談に乗りながら,このように言う。

いいか,超能力を持ってるからといって,一人の人間であることに変わりはない。足が速い,勉強ができる,体臭が強いなどと一緒で,超能力も単なる特徴の一つに過ぎない。個性として受け入れて,前向きに生きていくしかないんだ。魅力の本質は人間味だ。いい奴になれ。

『モブサイコ100』の〈個性〉は卑俗で矮小な日常性に根差している。この作品における〈個性〉とは,〈傑出〉ではなく〈差異〉だ。

ここに霊幻新隆というキャラクターの妙味がある。彼は自分に何の力もないことを知っていながら,実にあっけらかんと超能力者たちに立ち向かう。『1期』「モブと霊幻 〜巨大ツチノコ現るの巻〜」では単身「爪」の支部に乗り込み,口八丁手八丁で「傷」たちを丸め込んでしまう。彼は,超能力者の邑機に向かって「庶民だよ!てめえは!」と怒号を浴びせながら説教を始める。『2期』「011 指導 〜感知能力者〜」では,「5超」の島崎相手に「正当防衛ラッシュ」を繰り出し,「012 社会復帰戦〜友情〜」では,こともあろうにラスボス・鈴木に徒手で殴りかかる。

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『モブサイコ100Ⅱ』「012 社会復帰戦〜友情〜」より引用 ©ONE・小学館/「モブサイコ100 Ⅱ」製作委員会

こうした霊幻の振る舞いは,滑稽であると同時に,この物語のコア・メッセージを確かに伝えている。超能力者は「庶民」の一亜種であって,能力は様々な「個性」の1つに過ぎないのだ。

このような価値観と真っ向から対立し,超能力を〈超越〉として捉えていたのが「爪」とその首領・鈴木であることは言うまでもないだろう。『2期』「012 社会復帰戦〜友情〜」で鈴木と対峙したモブは,間違いなく霊幻の哲学を受け継いでいる。

自分が考えてる以上に世の中にはいろんな人がいて,いろんな考え方がある。人の考え方に点数なんて誰も付けられないはずなんだ。

そんな霊幻とモブが大切にしている価値が「人間味」であり,彼らが目指そうとしているのが「いい奴」というステータスに他ならないのである。

「いい奴」

したがって,霊幻新隆のキャラクターを掘り下げた『2期』「006 孤独なホワイティー」「007 追い込み〜正体〜」が『モブサイコ100』シリーズの中でも最も魅力的な話数に仕上がっていることは,故なきことではない。

ネットやメディアで「詐欺師」と叩かれるようになった霊幻が,モブに「お前…知ってる?俺の正体」と問う。モブは,かつて師匠・霊幻に言われた言葉をそのまま贈り返してこう言うのだ。

そんなの知ってましたよ。最初から。僕の師匠の正体は,「いい奴」だ。

劇中,しばしば映し出される「霊とか相談所」の看板。僕らは当初,「〜とか」という“ユルさ“の表徴,ヘタウマな文字,看板の主線の歪み具合などに,霊幻新隆というキャラクターの“胡散臭さ”を読み取っていたはずだ。

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『モブサイコ100Ⅱ』「006 孤独なホワイティー」より引用 ©ONE・小学館/「モブサイコ100 Ⅱ」製作委員会

しかし「006 孤独なホワイティ」「007 追い込み 〜正体〜」以降,それは「今ひとつ真剣にはなりきれないが,悪人にも成りきれない人間味」として僕らの目に映るようになる。いやそれどころか,それは「いい奴」という彼のステータスそのものを表し始めると言っていいだろう。彼はどこまでもいい加減でインチキ臭いが,どこか憎めない「いい奴」なのだ。

『2期』最終話の「013 ボス戦 〜最後の光〜」では,霊幻が新しい事務所に居を構えることになるが,看板の主線は定規で引いたような直線に変わっている。ひょっとしたら,モブと共に成長しようとする霊幻の,精一杯のケジメであり折り目なのかもしれない。

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『モブサイコ100Ⅱ』「013 ボス戦〜最後の光〜」より引用 ©ONE・小学館/「モブサイコ100 Ⅱ」製作委員会

しかしよく見れば,「とか」とヘタウマ文字は変わっていないのだ。外見はいくらかしこまっても,やはり中身はなり切れない。彼はいつまでも「いい加減でいい奴」のままなのである。

立川によれば,原作者ONEの「優しさ」がこの作品の「性善説」的なトーンの源にあるのだという。確かに,ほぼすべてのキャラクターがーーエクボや,「爪」や,あの鈴木までもーーその性根に「優しさ」を垣間見せている。それは,作者その人の「優しさ」があってのことかもしれない。

この物語の世界では,超能力者は凄くもなんともない。凄いのは「いい奴」だ。霊幻の哲学は,そんな〈日常系〉の引力でもって,常に力の暴走と闘い続けるモブを大地に繋留している。だからこの作品は,紛れもない〈日常系〉作品だ。

原作の最終話,「いい奴」こと霊幻新隆が最後に対決するのは,もちろんモブその人である。

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ONE『モブサイコ100』16巻より引用 ©︎One 2018

 作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
5 5 5 5
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
4 5 4.5 4.5
独自性 普遍性 平均
4 4.5 4.7
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

 

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アニメスタイル015 (メディアパルムック)

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*1:『アニメスタイル015』p.10,スタイル,2019年(ボールドの強調は引用者による)。また,『1期』「012」のオーディオコメンタリでも,原作者のONE,立川,亀田が色彩設計に関する話題に多くの時間を割いているのが興味深い。ONEは,テルの制服,霊幻のネクタイ,エクボなどについて特定の色を想定していなかったが,アニメの色彩設定を見て納得し,高く評価したそうである。『モブサイコ100』「012 モブと霊幻〜巨大ツチノコ現るの巻〜」オーディオコメンタリ[『モブサイコ100』Blu-ray BOX,ワーナー・ブラザーズ ホームエンターテインメント,2018年に所収。

*2:総作監制は,総作監(主にキャラクターデザイナーが担当)が各話数のキャラクターの作画をチェック・修正するシステムである。アニメをDVDやBlu-rayのような“パッケージ”として売り出す際に,統一感を出すために導入されたと言われている。

*3:『アニメスタイル』上掲書,p.27。(ボールドの強調は引用者による)

*4:同上,pp.19-20,31-34。

*5:同上,pp.34-36。

2020年 秋アニメは何を観る?ー2020年夏アニメを振返りながらー

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『アクダマドライブ』公式Twitterより引用 ©ぴえろ・TooKyoGames/アクダマドライブ製作委員会

www.animatetimes.com

2020年 夏アニメ振返り

前クールに続きコロナ禍による影響を大きく受けつつも,延期になっていた作品がようやく放送されるなど,光が見え始めてきた夏クール。まだ放送中ではあるが,本ブログで注目した作品をいくつか振り返ってみよう。

立川謙監督『デカダンス』は,早くも2話でのどんでん返しと,意表を突いたキャラクターデザインで放送当初から耳目を集めた。しかし終盤の展開は“王道”といった体で,今のところ“ハケン”と言えるほどのインパクトは見出せない。橋本昌和監督『天晴爛漫!』は,作画のクオリティなどは頭一つ抜けている水準だが,ロードムービー的な展開がやや単調で,物語の展開にもさほど目新しいものはない。湯浅政明監督 『日本沈没2020』は,作品に散見される“政治性”がネット民を中心に曲解され,必ずしも正当な評価を得たとは言い難い作品となった。ただし,それを措いたとしても,湯浅のメッセージを伝え切れた作品になったかどうかは少々疑問である。

www.otalog.jp

一方,長月達平原作・渡邊政治監督『Re:ゼロから始める異世界生活』川原礫原作・小野学監督『ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld』のようなビッグタイトルの続編は変わらず堅調だったと言える。しかしこれらの作品は“常連客”が人気を支えているところが大きく,そういう意味では,他作品と比べて突出していたとは言い難い。

総じて,ややインパクトに欠けたクールだったのではないかというのが正直な感想だ。今回は辛口の振り返りになってしまったが,次クールはどうだろうか。いつも通り五十音順で紹介していこう。

アクダマドライブ

【スタッフ】

原作:ぴえろ・TooKyoGames/ストーリー原案:小高和剛/キャラクター原案:小松崎類/監督:田口智久/シリーズ構成:海法紀光/キャラクターデザイン:Cindy H. Yamauchi/メカニックデザイン:山本翔,宮川治雄,常木志伸/美術監督:谷岡善王美術設定:青木 薫/色彩設計:合田沙織/撮影監督:山田和弘/CG監督:藤谷秀法/音響監督:長崎行男/音楽:會田茂一/アニメーション制作:studioぴえろ

【キャスト】
一般人:黒沢ともよ/運び屋:梅原裕一郎/喧嘩屋:武内駿輔/ハッカー:堀江瞬/医者:緒方恵美/チンピラ:木村昴/殺人鬼:櫻井孝宏

akudama-drive.com


TVアニメ「アクダマドライブ」PV第1弾

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ゲーム『ダンガンロンパ』シリーズでタッグを組んだ小高和剛と小松崎類が,それぞれストーリー原案とキャラクター原案を手がけるクライム・アクション。「カンサイがカントウの属国となる」という設定が何かと物議を醸しそうで実に楽しみだ。監督は『Persona4 the Golden ANIMATION』(2014年夏)や『デジモンアドベンチャーLAST EVOLUTION 絆』(2020年)などの田口智久。今期期待のオリジナルアニメである。

安達としまむら

【スタッフ】
原作:入間人間/監督:桑原智/シリーズ構成:大知慶一郎/キャラクターデザイン:金子志津枝/総作画監督:豊田暁子,氏家章雄,神谷美也子,森田莉奈,薄谷栄之/美術監督:斉藤雅巳/プロップデザイン:加来哲郎,山田菜都/美色彩設計:油谷ゆみ/撮影監督:志村豪(T2Studio)/音響監督:本山哲/音楽:田渕夏海,中村巴奈重,櫻井美希/音楽制作:日音/アニメーション制作:手塚プロダクション

【キャスト】
安達:鬼頭明里/しまむら:伊藤美来/日野:沼倉愛美/永藤:上田麗奈/ヤシロ:佐伯伊織

www.tbs.co.jp


TVアニメ『安達としまむら』 PV 第3弾

twitter.com

いわゆる“百合”アニメ。原作は仲谷鳰『やがて君になる』のスピンオフ小説『やがて君になる 佐伯沙弥香について』(2018-2020年)の入間人間である。僕は百合やBLの歴史に詳しいわけではないが,昨今の性的マイノリティの議論の高まりを反映してか,この辺りのジャンルは徐々に変容しつつあるような印象がある。『リズと青い鳥』(2018年),『やがて君になる』(2018年秋),『囀る鳥は羽ばたかない』(2020年),『海辺のエトランゼ』(2020年)といった近年の作品群の中で,本作がどのような位置づけになるだろうか。

池袋ウエストゲートパーク

【スタッフ】
原作:石田衣良/監督:越田知明/シリーズ構成:志茂文彦/キャラクターデザイン:谷口淳一郎/サブキャラクターデザイン:豊田暁子,吉川真帆,松浦麻衣/総作画監督:谷口淳一郎,吉川真帆,松浦麻衣/プロップデザイン:秋篠 Denforword 日和/美術監督:中村典史/色彩設計:伊藤裕香/撮影監督:呉健弘/編集:平木大輔/音楽:中川大二朗,高田龍一(MONACA)/音響監督:土屋雅紀/アニメーション制作:動画工房

【キャスト】
マコト:熊谷健太郎タカシ:内山昂輝/キョウイチ:土田玲央/ヒロト:木村昴/磯貝:花江夏樹/谷口マサル:小林千晃/藤本ミツキ:村瀬歩/ミノル・タモツ:新垣樽助/クロウ:小野賢章/サル:木村良平/ゼロワン:諏訪部順一/シャドウ:津田健次郎/横山礼一郎:櫻井孝宏/吉岡:檜山修之/マコトの母:甲斐田裕子

iwgp-anime.com


【IWGP】TVアニメ「池袋ウエストゲートパーク」PV第2弾

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石田衣良の同名小説(1997年-)を原作とし,2000年に宮藤官九郎の脚本でドラマ化され話題となった『池袋ウエストゲートパーク』。“池袋とカラーギャング”という,今からすればやや懐かしい設定がどう翻案されるかが見所だろう。

監督は『イエスタデイをうたって』(2020年)などの一部の話数で演出を務めた越田知明,脚本は『CLANNAD』(2007年秋-2008年冬)『CLANNAD~AFTER STORY~』(2008年秋-2009年冬)の志茂文彦,キャラクターデザインは『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』(2020年冬),『イエスタデイをうたって』などの谷口淳一郎と,座組も頼もしい。

犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい

【スタッフ】
原作:松本ひで吉/監督・脚本・シリーズ構成:岸誠二/キャラクターデザイン:
Team Till Dawn/美術監督:宮越歩/色彩設計:伊東さき子/撮影監督:宋賢大/編集:髙橋歩/音響監督:飯田里樹/アニメーション制作:Team Till Dawn

【キャスト】
犬くん:花澤香菜/猫さま:杉田智和/松本ひで吉:金澤まい

dog-and-cat.com


TVアニメ「犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい」PV第2弾

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今期のアニマル癒やし枠。松本ひで吉が2017年からTwitterに投稿し続けている同名作品のアニメ化である。僕も毎週楽しみにしている作品で,「犬と猫」だけでよくここまで面白いマンガを描き続けられるものだな,とつくづく感心する。ちなみに,猫に杉田智和をキャスティングしたのは“当たり”だと思う。

神様になった日

【スタッフ】
原作・脚本:麻枝准(VISUAL ARTS/Key)/監督:浅井義之/キャラクター原案:Na-Ga(VISUAL ARTS/Key)/キャラクターデザイン・総作画監督:仁井学/美術監督:鈴木くるみ/撮影監督:梶原幸代/色彩設計:中野尚美/3D監督:鈴木晴輝/編集:髙橋歩/音響監督:飯田里樹/音楽:MANYO,麻枝准/アニメーション制作:P.A.WORKS

【キャスト】
ひな:佐倉綾音/成神陽太:花江夏樹/伊座並杏子:石川由依/国宝阿修羅:木村良平/成神空:桑原由気

kamisama-day.jp


TVアニメ「神様になった日」第2弾CM【10月10日(土)より放送開始!】

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ゲーム『CLANNAD』(2004年),アニメ『Angel Beats!』(2010年春),アニメ『Charlotte』(2015年夏)などで知られる麻枝准が原作・脚本を手がけるオリジナルアニメ。「麻枝准は原点回帰する。」(公式HPより)というコピーは,〈ボーイミーツガール&セカイ系〉への回帰を暗示しているのか。〈セカイ系〉は”終わった”のか,それとも”伝統芸”として回帰し続け,時代ごとに新たな価値を付与されるのか。この作品にその解の1つを期待してみたい気もする。

ゴールデンカムイ

【スタッフ】
原作:野田サトル/監督:難波日登志/シリーズ構成:高木登/キャラクターデザイン:大貫健一/プロップ設定:渡辺浩二/動物設定:廣江啓輔/美術監督:森川 篤/美術設定:大久保知江/色彩設計:茂木孝浩/撮影監督:長田雄一郎/CGディレクター:宍戸光太郎/編集:定松剛/音響監督:明田川仁/音響制作:マジックカプセル/アイヌ語監修:中川裕/ロシア語監修:Eugenio Uzhinin/音楽:末廣健一郎/アニメーション制作:ジェノスタジオ

【キャスト】
杉元佐一:小林親弘/アシㇼパ:白石晴香/白石由竹:伊藤健太郎/鶴見中尉:大塚芳忠/土方歳三:中田譲治/尾形百之助:津田健次郎/谷垣源次郎:細谷佳正/牛山辰馬:乃村健次/永倉新八:菅生隆之/家永カノ:大原さやか/キロランケ:てらそままさき/インカラマッ:能登麻美子/二階堂浩平:杉田智和/月島軍曹:竹本英史/鯉登少尉:小西克幸

kamuy-anime.com


TVアニメ「ゴールデンカムイ」第三期PV第2弾

twitter.com

言わずと知れた傑作マンガのアニメシリーズ第三期。多くを語る必要はないだろう。

www.otalog.jp

呪術廻戦

【スタッフ】
原作:芥見下々/監督:朴性厚/副監督:梅本唯/シリーズ構成・脚本:瀬古浩司/キャラクターデザイン:平松禎史/色彩設計:鎌田千賀子/3DCGディレクター:兼田美希/撮影監督:伊藤哲平/編集:柳圭介/音楽:堤博明,照井順政,桶狭間ありさ/音響監督:藤田亜紀子/音響制作:dugout/アニメーション制作:MAPPA

【キャスト】
虎杖悠仁:榎木淳弥/伏黒恵:内田雄馬/釘崎野薔薇:瀬戸麻沙美/禪院真希:小松未可子/狗巻棘:内山昂輝/パンダ:関智一/七海建人:津田健次郎/五条悟:中村悠一/両面宿儺:諏訪部順一


TVアニメ『呪術廻戦』PV第2弾

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今クールのジャンプ枠期待作品。芥見下々の同名マンガを原作とする。「呪い」という負の力をテーマにしているだけあって,全体的にダークな雰囲気の漂う作品だ。シリーズ構成・脚本は『モブサイコ100』(2016年夏)などの瀬古浩司,キャラクターデザインは『ユーリ!!! on ICE』(2016年秋)などの平松禎史が担当。楽しみな布陣である。

進撃の巨人 The Final Season

【スタッフ】
原作:諫山創/監督:林祐一郎/シリーズ構成:瀬古浩司/キャラクターデザイン:岸友洋/総作画監督:新沼大祐/演出チーフ:宍戸淳/エフェクト作画監督:酒井智史,古俣太一/色彩設計:末永絢子/美術監督:小倉一男/画面設計:淡輪雄介/3DCG監督:上薗隆浩/撮影監督:浅川茂輝/編集:吉武将人/音響監督:三間雅文/音楽:澤野弘之,KOHTA YAMAMOTO/音響効果:山谷尚人(サウンドボックス)/音響制作:テクノサウンド/アニメーションプロデューサー:松永理人/制作:MAPPA

【キャスト】
エレン・イェーガー:梶裕貴/ミカサ・アッカーマン:石川由依/アルミン・アルレルト:井上麻里奈/コニー・スプリンガー:下野紘/サシャ・ブラウス:小林ゆう/ヒストリア・レイス:三上枝織/ジャン・キルシュタイン:谷山紀章/ライナー・ブラウン:細谷佳正/ハンジ・ゾエ:朴璐美/リヴァイ:神谷浩史/ジーク:子安武人

shingeki.tv


TVアニメ「進撃の巨人」The Final Season PV

twitter.com

これももはや語るまでもないビッグタイトルの続編だが,ここへ来て監督,シリーズ構成,キャラクターデザイン,制作会社が総入れ替えというのが気になる。PVを見ると,だいぶキャラクターデザインのテイストが変わっていることがわかる。その辺りがどう受け入れられるかというところだろう。

戦翼のシグルドリーヴァ

【スタッフ】
原作:戦翼倶楽部/シリーズ構成・脚本:長月達平/キャラクター原案:藤真拓哉/世界観設定・設定考証:鈴木貴昭/監督:徳田大貴/キャラクターデザイン:横田拓己/サブキャラクターデザイン:水谷雄一郎/総作画監督:横田拓己,中川洋未,矢向宏志/プロップ・メカニックデザイン:江間一隆/美術監督:渡辺幸浩,若林里紗/美術設定:松本浩樹/色彩設計:佐野ひとみ/CG監督:荻田直樹/撮影監督:関谷能弘/編集:重村建吾/音響監督:岩浪美和/音楽:小森茂生,百石元/制作:A-1 Pictures

【キャスト】
クラウディア・ブラフォード:山村響/六車・宮古:稗田寧々/駒込・アズズ:M・A・O/渡来・園香:菊池紗矢香/里見・一郎:平田広明/ルサルカ・エヴァレスカ:茅野愛衣/リズベット・クラウン:小松未可子/レイリー・ハルティア:上田瞳/本庄・美智:堀江由衣/和浦・野乃:日高里菜/御厨・小町:上坂すみれ/ロン毛:中村悠一/金髪:杉田智和/グラサン:マフィア梶田/整備班長:千葉繁

sigururi.com


TVアニメ「戦翼のシグルドリーヴァ」第2弾PV

twitter.com

twitter.com

ライトノベル『Re:ゼロから始める異世界生活』(2012年-)の長月達平がシリーズ構成・脚本を務めるオリジナルアニメ。『ガールズ&パンツァー』(2012年秋)の考証や『ハイスクール・フリート』(2016年春)の原案を手がけた鈴木貴昭が,世界観設定と設定考証を担当する。それもあってか,“ハイフリ空戦版”といった雰囲気の作品になりそうだ。

ひぐらしのなく頃に

【スタッフ】
原作:竜騎士07/07th Expansion/監督:川口敬一郎/シリーズ構成:ハヤシナオキ/キャラクターデザイン:渡辺明夫/助監督:池端隆史/美術監督:井上一宏(草薙)/美術統括:山根左帆(草薙)/色彩設計:小松亜理沙/撮影監督:戸澤雄一朗(グラフィニカ)/編集:丹彩子(グラフィニカ)/音響監督:森下広人/音響効果八十正太(スワラプロ)/音楽:川井憲次/音楽制作:フロンティアワークス/プロデュース:インフィニット/アニメーション制作:パッショーネ

【キャスト】
前原圭一:保志総一朗/竜宮レナ:中原麻衣/園崎魅音・詩音:ゆきのさつき/北条沙都子:かないみか/古手梨花:田村ゆかり/大石蔵人:茶風林/富竹ジロウ:大川透/鷹野三四:伊藤美紀/入江京介:関俊彦

higurashianime.com


「ひぐらしのなく頃に」PV第2弾

twitter.com

2002年からPCゲームとして発表され,その残酷な描写から社会問題ともなった『ひぐらしのなく頃に』。2006年にアニメ化されたが,今回はスタッフもほぼ一新されたリメイク版である。とりわけ,『化物語』シリーズのキャラクターデザイン・総作画監督を務めた渡辺明夫(ぽよよん♥ろっく)がキャラクターデザインを手がけたことにより,雰囲気は大幅に変わっており,新鮮な気持ちで本作を楽しめそうだ。その一方で,CVが当時のオリジナルキャストのままというのも逆に大変嬉しい。

2020年秋アニメのイチオシは…

以上,2020年秋アニメの期待作として10作品を紹介した。イチオシとしては,今回もオリジナル作品である『アクダマドライブ』を挙げておこう。設定の妙がどう光るかが楽しみだ。

次点として,『安達としまむら』『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』『神様になった日』を挙げておこう。

アニメ業界がコロナ禍を乗り越え,以前に増してパワーアップすることを願いつつ,今回の記事を終えることにする。

『美少女戦士セーラームーン』幾原邦彦演出回を観る④

 *このレビューはネタバレを含みます。

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第166話「夢よいつまでも!光,天に満ちて」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

「『セーラームーン』幾原邦彦演出回」特集の最後となる本記事では,『美少女戦士セーラームーンSuperS』(1995-1996年)における幾原邦彦演出回を見ていくことにする。 

『SuperS』の幾原演出回は計5回である。ファーストシーズン(無印),『R』,『S』の幾原演出回については以下の記事を参照頂きたい。

www.otalog.jpwww.otalog.jp

www.otalog.jp

『美少女戦士セーラームーンSuperS』(1995-1996年)幾原邦彦演出回一覧

話数 放送日 タイトル
#128 1995/03/04 運命の出会い!ペガサスの舞う夜
#137 1995/06/03 あやかしの森!美しき妖精の誘い
#150 1995/10/28 アマゾネス!鏡の裏から来た悪夢
#159 1996/01/13 ちびうさの小さな恋のラプソディ
#166 1996/03/02 夢よいつまでも!光,天に満ちて

 

第128話「運命の出会い!ペガサスの舞う夜」  

冒頭,ちびうさとペガサスが幻想的な風景の中で初めて邂逅する。「夢」をテーマとする『SuperS』の“キービジュアル”とも言える重要なシーンであると同時に,本シリーズでちびうさがメインヒロインになることを暗示してもいる。

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第128話「運命の出会い!ペガサスの舞う夜」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

ペガサスの「お願い。この出会いは秘密にしておいて」というセリフは,2人の関係に“秘め事”という印象を与えている。ペガサスを見て頬を赤らめるちびうさの表情なども含め,この話数は,『SuperS』がちびうさの恋に似た想いをライトモチーフとすることを告知する重要な役割を担っている。

この直後,うさぎが寝ぼけ眼のちびうさを「ばんざい」させて着替えさせるカットは,2人の“母娘”の関係を暗示しているようで微笑ましい。

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第128話「運命の出会い!ペガサスの舞う夜」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

なお,このカットでは「ばんざい」をして着替える所作に場面転換を重ねるという面白い演出もなされている。本編をご覧になってご確認頂きたい。

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第128話「運命の出会い!ペガサスの舞う夜」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

ボーッとするちびうさを見て「さては男の子かぁ」とからかう宇奈月。「だめよー。パパやママを泣かすようなことしちゃー」と言う宇奈月の頭にあるのはもちろん育子と謙之(うさぎの地球での父母)だが,うさぎと衛がこれを聞いて過剰反応してしまう姿が面白い。さらに宇奈月は,このセリフが藪蛇となって兄・元基に「それはお前だろ」とボーイフレンドのことを突っ込まれてしまう。この一連のシーンの中に,ちびうさとペガサス,うさぎと衛,宇奈月とボーイフレンドという3つの恋模様が連鎖的に暗示されている。この辺りは榎戸洋司の脚本の冴えと言えようか。

デッド・ムーン初登場のシーンでは,面妖なフリークスたちが魑魅魍魎の如く踊りながら「気づいていない。気づかない」と連呼する様子が印象的だ。その戯謔的な身振りは『少女革命ウテナ』(1997年)の「影絵少女」を彷彿とさせる。

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第128話「運命の出会い!ペガサスの舞う夜」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

ちなみに,シリーズを通して言えることだが,女性キャラたちのハイセンスなファッションも大変目を引く。この回のうさぎとちびうさの衣装の配色も,このカットのようなレイアウトで非常に映えるビジュアル要素だ。

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第128話「運命の出会い!ペガサスの舞う夜」 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

 【その他のスタッフ】脚本:榎戸洋司/美術:橋本和幸/作画監督:爲我井克美(リンクはWikipediaもしくは@wiki。以下同様)

第137話「あやかしの森!美しき妖精の誘い」 

『セーラームーン』シリーズ切っての美形男の娘,フィッシュ・アイの初出撃エピソード。「妖精」をテーマとした物語であり,森の中の湖など幻想的な風景が特徴である。

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第137話「あやかしの森! 美しき妖精の誘い」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

フィッシュ・アイに夢を狙われる北方の下の名前は,ずばり「邦彦」である。彼の描く妖精と花はほんの一瞬挿入されるだけだが,彩度が高く強い印象を放っている。赤系の花の配色は,幾原らしいと言えなくもない。

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第137話「あやかしの森! 美しき妖精の誘い」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

好みの女性について口争いをするタイガーズ・アイとホークス・アイを他所目に,男性である北方の写真に目をつけるフィッシュ・アイ。彼の恋愛対象(?)が男性であることが初めて明かされるエピソードである。無印のゾイサイトほどシリアスではないものの,アニメ版『セーラームーン』らしいジェンダーフリーなキャラクター造形だ。

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第137話「あやかしの森! 美しき妖精の誘い」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

メイクをするフィッシュ・アイを見て,つい頬を赤らめるタイガーズ・アイとホークス・アイの姿が笑いを誘う。余談だが,古川登志夫,石田彰,置鮎龍太郎という大御所がこの役所で揃ったのも,今から見れば贅沢至極である。

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第137話「あやかしの森!美しき妖精の誘い」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

北方を誑かすためとは言え,フィッシュ・アイが妖精の姿に扮するというのは,彼らの“人ならざるもの“としての運命を暗示しているようで,後の展開を考えると感慨深いものがある。

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第137話「あやかしの森!美しき妖精の誘い」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

今回のレムレスは「綱わたろう」くん。セーラームーンに強制的に綱渡りをさせるも,自らアイマスクで目隠しをして綱渡りを敢行したことが仇となり,あっけなく倒される。完全にギャグ担当のキャラだが,CVの檜山修之がノリノリで演じているのが印象的だ。 

【その他のスタッフ】脚本:吉村元希/美術:田尻健一/作画監督中村太一

第150話「アマゾネス!鏡の裏から来た悪夢」  

女王ネヘレニアとアマゾネス・カルテットが初めて姿を現す回である。アマゾネス・カルテットとうさぎたちは,元基がアルバイトをするゲームセンターで初めて邂逅する。

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第150話「アマゾネス!鏡の裏から来た悪夢」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

思えば,無印から頻出するこのゲームセンターが敵や味方との出会いの舞台として用いられているのも,時代を感じさせる演出として興味深い。アニメやマンガにおける〈ゲームセンター〉というトポスとその意味の変遷を探るのも面白いかもしれない。

第128話に続き,再びサーカスのフリークスたちの不気味な姿が登場する。繰り返される「ゆめゆめ疑うことなかれ/夢見る子どもの夢の夢」という謎めいたセリフなども含め,幾原が学生時代に親しんでいたという「天井桟敷」の芝居を彷彿とさせるシーンだ。

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第150話「アマゾネス!鏡の裏から来た悪夢」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

「天井桟敷」は,1967年に寺山修司が結成したアングラ劇団である。当時の劇団員募集広告に記された「怪優奇優侏儒巨人美少女等募集」というコピーからしてすでに,その独特なビジュアル的感性が窺い知れる。このアンダーグラウンドなイメージが,やがて『少女革命ウテナ』の世界観に流れ込んでいくことは言うまでもない。ちなみに幾原は『ウテナ』の世界観について,「言葉で言うと恥ずかしいんだけど,“暗黒宝塚”かな,と。それで“暗黒宝塚”って何だ?と考えたときに,「暗黒」→「アングラ」‥‥‥,そうか,「天井桟敷」的な世界をここで使うんだと思った」と述べている。*1 『ウテナ』に「天井桟敷」で音楽を担当していたJ.A.シーザーが参加していたことはあまりにも有名な事実である。

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第150話「アマゾネス!鏡の裏から来た悪夢」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

サーカス団の「団長」であるジルコニアに襲いかかるベスベス。いきなりの仲間割れで始めるこのシーンは,アマゾネス・カルテットのやんちゃな気質を示すと同時に,彼女たちの終盤の運命を暗示してもいる。

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第150話「アマゾネス!鏡の裏から来た悪夢」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

親友の桃ちゃんの「夢」がレムレス「ガラガラ娘」に喰われるのを目にして逆上するちびムーン。彼女はガラガラ娘の口に飛び込み,桃ちゃんの「夢」を救おうとする。その稀に見る鬼気迫る表情からは,彼女の芯の強い優しい心根が窺える。

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第150話「アマゾネス!鏡の裏から来た悪夢」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

白衣を着た透明人間が「モミモミ,ヨイショヨイショ」と言いながらアマゾネス・カルテットをマッサージするシーン。ギャグともなんともつかぬこのシュールなシーンと,ネヘレニアの不気味な微笑みによってこの回は締め括られる。 

【その他のスタッフ】脚本:榎戸洋司/美術:大河内稔作画監督:安藤正浩

第159話「ちびうさの小さな恋のラプソディ」

ペガサスを想うちびうさのシリアスな内面と,彼女の“恋路“を探ろうとするうさぎたちのコメディとのコントラストが最高に愉快な傑作回。

ペガサスの境遇を想いながらも,力になれないことに悩むちびうさの憂いを秘めた表情が実に印象的だ。夢の世界でちびうさがセレニティのドレス姿に変わり,ペガサスの背に乗って夜の空を駆けるシーンも超美麗である。

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第159話「ちびうさの小さな恋のラプソディ」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

カフェに集まったうさぎたちが,ちびうさの“恋路”を勝手に詮索するシーン。まことが何かと「先輩」と結びつけるのを聞いてレイがお茶を吐き出すカット(はしたない)と,美奈子がソーダをブクブクするカット(はしたない)は何度か繰り返し挿入されており,幾原お得意の〈反復の美学〉ギャグバージョンである。

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第159話「ちびうさの小さな恋のラプソディ」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

この後のシーンでも,まことの「先輩」発言とレイのツッコミ,美奈子の「フタマタ」発言,レストランでの亜美の「アップルジュースですから」が何度も反復されるが,Blu-ray特典のブックレットによれば,これらは絵コンテ段階で追加ないし強調されたものらしい。*2

ちなみにこの話数では,特に女性キャラクターを中心にファッションセンスが非常に洗練されており,ビジュアル的なアピール度も高い。

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第159話「ちびうさの小さな恋のラプソディ」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

今回はちびうさの「恋」にかけて,鯉のカットが頻出する。文字通りシュールなダジャレギャグだが,もはや幾原演出には欠かせないファクターと言えるだろう。これがやがて『ウテナ』における「七実回」で成熟(?)していくのである。

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第159話「ちびうさの小さな恋のラプソディ」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

〈反復〉される鯉。この作画の力の入れようも,却って笑いを誘う。

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第159話「ちびうさの小さな恋のラプソディ」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

「色が白くて顔が縦に長い」という情報を元にちびうさの“恋人”に勘違いされてしまった公園の管理人。完璧なビジュアルである。彼もまた鯉に餌をやっている。

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第159話「ちびうさの小さな恋のラプソディ」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

ジュンジュンが放ったレムレス「パクパク野郎」も鯉をモチーフにしている。恋=鯉のダジャレギャグをここまで徹底して引っ張る拘りは流石としか言いようがない。
以上のようなコメディ要素に加え,今回は作監の伊藤郁子の美麗な作画センス(ただし原画へのクレジットはなし)が光る話数でもある。伊藤の他,牛来隆行木村光雅木下和栄大河原晴男武口憲司大西陽一小林勝利梨沢孝司ら原画担当チームの技にも敬意を表しておこう。 

【その他のスタッフ】脚本:杉原めぐみ/美術:浅井和久作画監督:伊藤郁子

第166話「夢よいつまでも!光,天に満ちて」

『SuperS』最終話となるこの話数は,脚本:榎戸洋司,作監:伊藤郁子,演出:幾原邦彦という,後半の『セーラームーン』の方向性を決定付けたメンバーが揃った回となった。リミテッド・アニメの面白さが最大限に引き出されており,アニメの表現史を語る上でも重要な回と言えるだろう。

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第166話「夢よいつまでも!光,天に満ちて」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

ちびムーンを拉致するネヘレニアと,それを追うセーラームーン。螺旋階段を用いた緩やかな上昇運動が緊張感を高め,セーラームーンとネヘレニアの最後の対決を予感させる。『ウテナ』のバンクシーンでも用いられた演出であることは言うまでもない。 

ネヘレニアの過去が彼女自らの口で語られる。

美貌を永遠に保つことが「夢」であったネヘレニアだが,鏡によって残酷な未来を告げられる。伊藤郁子の手になる“美と醜”の対峙は,ほとんど壮絶とも言えるコントラストを成している。

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第166話「夢よいつまでも!光,天に満ちて」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

己の美貌に固執するネヘレニアは,臣下や民の「夢」を喰らうことで不老不死を手に入れ,「生きる屍」(サーカスのフリークス)と化した人々に囲まれて孤独に生きることを選択する。

これがネヘレニアの犯した決定的な過ちである。本来,人の〈美〉というものは,たとえそれがどれほど独善的なものであれ,他者に示し,他者に称賛されることによって価値を得る。〈美〉は他者によって媒介された間主体的な価値なのだ。ネヘレニアは自らの美を独占することによって,〈美〉の本質を見誤った。彼女の「夢」は完全な機能不全に陥るのだ。

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第166話「夢よいつまでも!光,天に満ちて」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

臣下の夢を喰らうシーンでは,ネヘレニアにへつらう臣下の顔を上下にスライドさせることで,傀儡のような奇怪な仕草が表現されている。フリークスと化す彼らの運命を予兆するような,大変面白い演出である。

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第166話「夢よいつまでも!光,天に満ちて」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

「最も大切なもの」である美を奪われ逆上したネヘレニアは,セーラームーンの「最も大切なもの」であるちびムーンを投げ落とす。セーラームーンが駆けつけるも間に合わず,ちびムーンは眼下に落下していく。この一連のシーンは止め絵だけで表現されており,絶妙なスピード感と迫力を生み出している。

ちびムーンを救うべく,上空から飛び降りるセーラームーン。

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第166話「夢よいつまでも!光,天に満ちて」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

美を独占し,孤独を抱えながら上昇していくネヘレニアと,愛する者とともに夢を紡ぐことを願いながら下降していくセーラームーン。螺旋から始まるこの〈上昇と下降〉の運動が,この最終話のドラマのダイナミズムを形成している。見事な演出である。

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第166話「夢よいつまでも!光,天に満ちて」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

はためく衣服,パース,風切音で,緊張感漲る急降下を表している。ちなみにこの時の三石琴乃は,静かだが力強い演技を披露している。ぜひ本編をご覧になって確認して頂きたい。

気を失ったままのちびムーンにセーラームーンが「二人で大人になろう。大人になって,一緒に夢を叶えよう!」と語りかける。二人がこの時代で“母娘”としてではなく“姉妹”として出会ったことの意味がここで明らかになる。

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第166話「夢よいつまでも!光,天に満ちて」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

やがてちびムーンは目を覚まし,ペガサスの力を借りて翼を得,柔らかに地上に降り立つ。

ちびうさの〈恋〉は,儚くも美しい物語として終わる。『R』第60話の初登場から観続けている者であれば誰であれ,彼女の内面の大きな成長に心から感動するラストシーンであろう。

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第166話「夢よいつまでも!光,天に満ちて」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

 天空を駆け上るペガサスに向かって「まだあなたに,わたしの夢も,何も知ってもらってないのに」と呟くちびうさに,うさぎが「きっとまた会えるわ」と優しく語りかける。「うん,わかってる。そうよ,きっとまた会える。その時はペガサスに,わたしの夢を知ってもらうんだ」というちびうさの最後の言葉は,「夢は他者と分かち合うものである」という理を言い当てているのかもしれない。
【その他のスタッフ】脚本:榎戸洋司/美術:浅井和久/作画監督:伊藤郁子  

 

以上,計4回にわたって『美少女戦士セーラームーン』における幾原邦彦の演出回を見てきた。

『SuperS』のシリーズ・ディレクターを終えた幾原は,『セーラームーン』の制作から離れ,榎戸洋司らと制作集団「ビーパパス」を結成して『少女革命ウテナ』の制作に携わっていく。その後の『輪るピングドラム』(2011年)『ユリ熊嵐』(2015年)『さらざんまい』(2019年)でも発揮される彼のユニークな才能の萌芽が,これまで見てきた『セーラームーン』の演出の中にすでに見て取れることを再確認頂けたと思う。

ただし,言うまでもないことだが,『セーラームーン』という傑作を成り立たせたのは幾原邦彦一人の力ではない。彼を含めた多彩な才能があったからこそ,バラエティ豊かな『セーラームーン』の世界が形作られ,視聴者を飽きさせることなく長寿作品となり得たのだ。この記事をきっかけとして,読者のみなさんが他の演出家やアニメーターの技に注目してもらえるようになれば幸いである。

 

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美少女戦士セーラームーンSuperS Blu-ray COLLECTION VOL.1

美少女戦士セーラームーンSuperS Blu-ray COLLECTION VOL.1

  • 発売日: 2019/05/08
  • メディア: Blu-ray
 
美少女戦士セーラームーンSuperS Blu-ray COLLECTION VOL.2<完>
 

 

*1:「幾原邦彦展図録」p.14,幾原邦彦展準備会,2019年。

*2:『美少女戦士セーラームーンSuperS』Blu-ray Collection Vol.2特典「Episode Guide #150〜166」,p.10。

劇場アニメ『Fate/stay night [Heaven’s Feel] III.spring song(HF 第三章)』(2020年)レビュー[考察・感想]:そして愛すべき日常へ

*このレビューはネタバレを含みます。

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『Fate/stay night』公式Twitterより引用 ©TYPE-MOON・ufotable・FSNPC ©TYPE-MOON

www.fate-sn.com

間桐桜をメインヒロインとする『Heaven's Feel』(以下『HF』)の最終章にして,『Fate/stay night』アニメシリーズの完結編ともなる『Fate/stay night [Heaven's Feel] III.spring song』(以下『spring song』)。制作会社ufotableの技術の粋を結集して作られた本作は,美麗な作画やスピード感のあるアクションシーンはもちろんのこと,各キャラクターの内面の掘り下げや繊細な芝居も見事な仕上がりである。総じて,このジャンルにおいて他の追随を許さない超大作となったと言えるだろう。

作品データ(リンクはWikipediaもしくは@wiki)

【スタッフ】
原作:奈須きのこTYPE-MOON/キャラクター原案:武内崇/監督:須藤友徳キャラクターデザイン:須藤友徳碇谷敦田畑壽之/脚本:桧山彬(ufotable)/美術監督:衛藤功二撮影監督:寺尾優一3D監督: 西脇一樹色彩設計:松岡美佳編集:神野学/音楽:梶浦由記主題歌:Aimer制作プロデューサー:近藤光アニメーション制作:ufotable

【キャスト】
衛宮士郎:杉山紀彰間桐桜:下屋則子セイバーオルタ:川澄綾子遠坂凛:植田佳奈イリヤスフィール・フォン・アインツベルン:門脇舞以藤村大河:伊藤美紀言峰綺礼:中田譲治間桐臓硯:津嘉山正種ライダー:浅川悠真アサシン:稲田徹

【あらすじ】
兄・間桐慎二を殺めた後,「この世全ての悪」たるアンリマユを受け入れ,無尽蔵の魔力を得る間桐桜。「桜だけの正義の味方になる」ことを誓った衛宮士郎は,間桐臓硯を倒して桜を救うべく,遠坂凛とライダーと共に「大空洞」へと向かう。彼らの前にセイバー・オルタが立ちはだかり,最終決戦の幕が切って落とされる。

シンメトリー:士郎

冒頭,臓硯と対峙する士郎の顔が美しい。

そもそも,須藤友徳らの手になるキャラクターは,シンプルであるが故に真正面からのショットが映えるデザインだ。本作では,こうしたキャラクターのビジュアル的な特徴を活かしたカットが多用されていたように感じられる。

シンメトリックな構図にレイアウトされたシンメトリックな士郎の正面顔は,アーチャーの腕を移植され,左右非対称となった彼の身体と綺麗なコントラストを成している。それは“どれだけ身体を苛まれようとも,あるいは身体そのものを失おうとも,守るべきものを守りたい”という固い決意を表明しているかのようだ。

もともと士郎は,“十を救うために一を殺す”という“功利主義の呪い”を衛宮切嗣から受け継いでいた。彼らの「正義」は,ジェレミ・ベンサム的な「最大多数の最大幸福」という“数量”のロジックに支配されていたのだ。しかし彼らがベンサムになり切れなかったのは,たとえ多くの人間を救い得たとしても,少数の人を失った悔恨に苛まれてしまう慈愛を持ち合わせていたことによる。この矛盾との対峙を主題にしたのが『Fate/Zero』(2011-2012年,以下『Zero』)であり『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』(2014-2015年,以下『UBW』)であったことは言うまでもない。

『HF』の士郎は,この数量的功利主義と訣別し,個への愛,つまり桜という一人の女性への愛を選ぶ。士郎の正義は,“全ての人間を救う”という巨大な物語から,“愛する人との日常を生きる”という極小の物語に一挙に矮小化される。しかし矮小化されるからこそ,そこに桜という〈個〉に正面から向き合い,愛そうとする等身大のキャラクターが生まれる。迷いなく真正面を見据える士郎のシンメトリックな顔は,非数量的な愛に向き合おうとする彼の透徹した信念を表している。

アシンメトリー:桜

対して,桜の表情はアシンメトリックに揺れている。彼女は以前から左右非対称の髪型をしていたが,アンリマユと融合した時から全身に血管のような赤く禍々しい模様が浮き出し,凛からもらったピンクのリボンと拮抗するかのように彼女の左頬を蠢いている。それはあたかも,聖と邪,美と醜,尊敬と嫉妬といった,彼女の多義的で矛盾した心性を顕にしているかのようである。

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『Fate/stay night』公式Twitterより引用 ©TYPE-MOON・ufotable・FSNPC ©TYPE-MOON

黒桜の邪性は,アンリマユによって外からもたらされたものではない。それは元から彼女が備えていた彼女自身の本性であり,それが「アヴェンジャー(復讐者)」というアンリマユの属性によって顕現しただけのことである。彼女は己の内に含み込んだ聖と邪の間を絶えず揺れ動く。

しかし人間とはそもそもそういう生き物だろう。人の中で,善性と悪性は常に共存する。「正義」という言葉に拘る士郎にしたところで,罪を犯した桜を受け入れた時点で,彼女の罪をも受け入れたことになるのだから。

シンメトリーがアシンメトリーを優しく包み込む。『spring song』は,そんな矛盾した幾何学的構図を“枠”とする物語である。

聖杯から〈少女〉へ:イリヤ

イリヤは,聖杯として身を捧げることを定められたホムンクルス(人造人間)だ。彼女は己の運命と聖杯戦争の本質を知る者として,事の成り行きを全て諦観し,最も幼い姿をしていながら最も達観したキャラクターである。彼女は生まれながらにして,人として生きるという選択肢を拒絶されている。

自分を救出するために城に来た士郎に,彼女は人ならざるモノとしての運命を再確認するかのように「私は聖杯だから」と答える。しかしそのイリヤに対し,士郎は「イリヤはイリヤだ!」と言葉の塊をぶつける。おそらくイリヤはこの時から,聖杯=ホムンクルスという“モノ”としての自意識よりも,“人”としての自意識を強く抱くようになる。彼女は士郎に「お兄ちゃん」と言って甘える一方で,士郎の「姉」としても振る舞うようになる。 *1

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『Fate/stay night』公式Twitterより引用 ©TYPE-MOON・ufotable・FSNPC ©TYPE-MOON

決戦に向かおうとする士郎を呼び寄せて屈ませ,優しく頭を撫でるシーンでは,イリヤの表情や仕草が非常に丁寧に描かれており,2人の関係性がとても微笑ましく描写されている。真アサシン戦で魔術を繰り広げる凛々しい顔立ちなども含め,本作における彼女の立ち居振る舞いや表情の変化はとても魅力的である。終盤,イリヤは大聖杯に立ち向かう士郎の前に姿を現し,「わたしはお姉ちゃんだもん。なら,弟を守らなくっちゃ」と言って第三魔法を行使する。真っ白な光に包まれた空間で,イリヤは母・アイリスフィールと出会い,幼子のようにその胸に飛び込んで行く。

聖杯=モノとして生を受けたイリヤは,士郎との出会いによって〈妹・姉・娘〉という三重の属性を持つ〈少女〉として生を終えた。聖杯戦争史上最高傑作のホムンクルスであった彼女は,同時に聖杯戦争史上最も幸福なホムンクルスだったのかもしれない。『HF』が“イリヤルート”でもある所以である。

英霊最後の飛翔:ライダー

ufotable制作の『Fate』アニメの見所の1つが,英霊の戦闘シーンにあることは言うまでもない。『spring song』では,「真アサシンvsイリヤ&綺礼」「バーサーカーvs士郎」「セイバー・オルタvs士郎&ライダー」の3つの英霊戦闘シーンがあるが,中でも士郎とライダーが共闘し,セイバー・オルタを下す決戦シーンは圧巻だ。

ライダーは魔眼を駆使しながら大空洞の中を疾走飛翔し,セイバー・オルタの足止めをする。彼女の身体は,まるで演舞を見せるかのように美しくしなやかに宙を舞い,セイバー・オルタを翻弄する。士郎がアーチャーの腕の力を借りた「ロー・アイアス」でライダーを護り,隙をついてライダーが宝具「ベルレフォーン」を放つ。おそらく,メドゥーサ・ライダーが最も美しく描画されたシーンであろう。

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『Fate/stay night』公式Twitterより引用 ©TYPE-MOON・ufotable・FSNPC ©TYPE-MOON

思えば,『Fate』アニメの最大の魅力の1つは,この英霊の戦闘シーンの飛翔感にある。まるで重力など存在しないかのように縦横無尽に宙を舞い,空を駆け,天に舞う英霊たちの姿は,『Fate』という作品世界の〈非日常性〉や〈幻想性〉を最もよく具現化している。英霊たちが宙を飛び交うシーンにこそ,『Fate』のファンタジーが凝縮されていると言っても過言ではない。『Fate/stay night』最後の英霊戦として,ライダーの飛翔は見事にその結末を飾った。

収められる矛,再び:凛 

『HF』における凛は,終始,桜に対して冷淡な態度をとる。冬木の管理者として,彼女には暴走する桜を止める責務があるからだ。

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『Fate/stay night』公式Twitterより引用 ©TYPE-MOON・ufotable・FSNPC ©TYPE-MOON

『UBW』の愛すべき凛を知っている僕らは,『HF』のあまりにもクールな凛の姿に,怖れにも似た感情を抱いてしまう。大聖杯の前で,蟲に犯され続けたおぞましい運命を恨み節さながらに語る桜を,彼女は「だからどうしたっていうの?」とこともなげに冷たくあしらう。そればかりか,「私には他人の痛みがわからないの」と嘯きながら,桜に止めを刺すべくゆっくりと近づいて行く。

凛は宝石剣ゼルレッチを放擲し,ナイフを取り出して桜に挑もうとする。この時に彼女が握るナイフの輝きと同じものを,僕らはすでに目にしている。第二章『lost butterfly』にて,眠る桜に士郎が振り下ろそうとしたあの包丁の輝きだ。士郎は,包丁を頭上高く振りかざしながらも,桜の胸に突き立てることはできずに静かに刃を下げる。この瞬間,士郎は切嗣から受け継いだ「正義の味方」という価値観と完全に訣別し,桜と共に生きることを選択するのである。

凛もまた士郎と同じだったのだ。彼女は桜にナイフを突き立てようとしたその刹那,「あ,ダメだこれ」と言って力なくナイフを下ろす。凛は士郎と同様,桜に向けた矛を収めることで,〈管理=規律〉という価値観と訣別する。桜が片時も外すことのなかったリボンは,2人の“姉妹としてのパス”そのものだったのかもしれない。 

最大多数の最大不幸:綺礼

人並みの幸福では悦楽を得られない「欠陥」を抱えた言峰綺礼は,「この世全ての悪」たるアンリマユの孵化を祝福すべく,士郎の前に立ちはだかる。 

アンリマユは,その昔,平和な生活を願う村人が,この世の悪の全てを1人の青年に背負わせたことによって誕生した。つまり,アンリマユはその出自からして最大幸福原理の贄であり,その誕生を願う綺礼もまた,最大幸福原理の宿敵なのだ*2

しかし,一方の士郎もまた,切嗣から相続した最大幸福原理を放棄した男だ。したがって士郎と綺礼の戦いは,『Zero』のラストにおける切嗣と綺礼の戦いと相似形でありながら,その意味合いをまったく異にする。かつて最大幸福原理vs最大不幸原理という対立者同士の戦いだったものが,ここではある種の同族同士の戦いに転じるのである。

だからであろうか,拳と拳をぶつけ合う2人の闘いは,理解不能な他者への憎しみ合いというよりは,己の信念の試し合いであり,殺し合いというよりは意地の張り合いの様相を呈する。それは“戦闘”というよりは,どちらが最後まで立ち続けることができるかを賭けた“耐久戦”に似ている。その決着をつけたのが,呪いに侵された綺礼の「時間切れ」だったのは象徴的である。

そして〈日常〉へ

綺礼との戦いを終えた士郎の前に,正装したイリヤが姿を現す。彼女は大聖杯に命懸けで挑もうとする士郎を制止し,彼に「士郎は生きたい?」と問う。士郎は涙を流しながら全力で「生きたい…生きていたい!」と答える。映画では詳細は描写されていないが,この後,イリヤは第三魔法を行使して士郎の魂を救う。士郎の肉体は失われてしまうが,後に桜と凛が旅先で見つけた人形に魂を固着させることにより,士郎はこの世に蘇る。

皮肉にも,この一連のシークエンスにおける士郎の運命は,空となった桜の身体を乗っ取って永遠に生き長らえようとした臓硯の目論見と似ている。そこに描かれているのは,身体の物質的限界を超えた魂の執念だ。しかしこの2つの執念がまったく異なる精神性に基づいていたことは言うまでもない。臓硯の執着が〈死への恐怖〉から生まれ,他者から奪うことで成り立つ否定的妄執であるのに対し,士郎の執着は,罪を身に引き受けながら桜を愛し,桜と共に日常を生きるという〈生の肯定〉に基づいているのだ。

監督の須藤友徳は,劇場パンフレットのインタビューで,「日常への回帰」というテーマについて以下のように述べている。

士郎は「桜を守る」と言った以上,その「罪」も背負うことになる。士郎にとって,桜と一緒に「日常に回帰する」というのは「生きる」ということですよね。「罪」を背負いながら「生きるという選択をすること」を描ければ,と思っていました。*3 

第五次聖杯戦争は幕を閉じ,日常が戻る。もはや英霊の身体が冬木の空を舞い飛翔することはないだろう。彼ら/彼女らは,文字通り“地に足のついた”日常に回帰したのだ。満開の桜を前に,士郎と桜が共に力強い一歩を踏み出すラストカットは,“伝奇活劇”たる『Fate/stay night』が最後にたどり着いた,小さくも愛すべき〈日常〉の確かな温もりを感じさせる。

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
5 5 5 5
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
5 4.5 4.5
独自性 普遍性 平均
5 4 4.8
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

なお,『Zero』と『Fate/stay night [Heaven's Feel] II.lost butterfly』のレビューに関しては,下記の記事を参照頂きたい。 

www.otalog.jp

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劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」Ⅱ.lost butterfly

劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」Ⅱ.lost butterfly

  • 発売日: 2019/11/22
  • メディア: Prime Video
 

*1:10年前の第四次聖杯戦争の時点で8歳だったイリヤは,本作の第五次聖杯戦争の時点で18歳になっており,士郎よりもわずかに年上である。

*2:マイケル・サンデルは『これからの「正義」の話をしよう』の「功利主義」を論じた章の中で,アーシュラ・K・ル・グィンの短編『オメラスから歩み去る人々』を挙げているが,アンリマユ誕生にまつわる逸話がこの話と酷似しているのは注目に値する。オメラスという街に住む人々は,この上なく幸福な生活を送っているが,それは地下室に幽閉されたある子どもの「おぞましい不幸」の上に成り立っている。マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』,pp.44-77,早川書房,2010年。アーシュラ・K・ル・グィン『オメラスから歩み去る人々』[『風の十二方位』,ハヤカワ文庫,1980年に所収]。

*3:「『劇場版 Fate/stay night [Heaven's Feel] III. spring song』劇場パンフレット」,p.11,株式会社アニプレックス,2020年。