アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

TVアニメ『お兄ちゃんはおしまい!』(2023年冬)第9話のクリスマスシーンの演出について[考察・感想]

 *この記事は『お兄ちゃんはおしまい!』「#09. まひろと年末年始」のネタバレを含みます。

「#09. まひろと年末年始」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

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ねことうふ原作/藤井慎吾監督『お兄ちゃんはおしまい!』(以下『おにまい』)の各話レビュー第3弾として,絵コンテ・黒沢守演出:秋山泰彦による「#9. まひろと年末年始」クリスマスシーンに注目してみたい。クリスマスらしいきらびやかで美しいシーンであると同時に,巧みな構図とスマホカメラによる相互的な視点を導入した,たいへん見応えのあるシーンである。

 

シンメトリー/アシンメトリー:二組の“姉妹”と“カップル”

クリスマスシーンはBGMのみの無声映像で作られており,映像だけでメッセージを伝達することを意図している。それだけに,一つひとつのカットの情報密度はとても高い。

シーン冒頭のイルミネーションを手前に入れ込んだ俯瞰のなめショットでは,最初,イルミネーションのラインがまひろ,みはり,かえで,もみじの4人をシンメトリックに割り込んでいる(図①左)。

図①:「#09. まひろと年末年始」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

かえでがセルフィを撮るためにみはりに近寄ったことにより,このシンメトリーが崩される(図①右)。その後,カメラはアイレベルに下がり,4人を正面から捉える。再びシンメトリックな構図に戻る(図②左)。

図②:「#09. まひろと年末年始」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

手前にまひろ&もみじの“カップル”を,奥にみはり&かえでの“カップル”を配し,前景と後景で異なる映像情報を伝えている。みはり&かえでが無邪気に密着しているのに対し,まひろ&もみじの間にはややぎこちない距離がある。ところがその後,もみじがぴょんぴょんとまひろに近づき,冒頭のみはり&かえでの際と同様,シンメトリックな構図を崩す(図②右)。二層の構図,構図の動的変化,類似所作の反復によって,二組の“姉妹”と“カップル”の関係性を微笑ましく伝えた名シーンだ。

 

見る/見られる=見守る/見守られる

その後,もみじはまひろと撮ったセルフィーをみはり&かえでに見せに行く。するとかえでもスマホを取り出し,2人の姿を背後から写した“隠し撮り”を見せる。みはりも別の角度から撮った“隠し撮り”を見せる。よく見ると(図③左上),みはりがそそくさとスマホを隠している様子が見える。

図③:「#09. まひろと年末年始」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

クリスマスシーンに先行するAパート前半では,まひろ&もみじがみはり&かえでを「尾行」していた。この隠し撮りは,みはり&かえでによる一種の“意趣返し”であり,〈見られる〉側が〈見る〉側に転じたことを示している。しかしここで念頭に置きたいのは彼女(彼)たちの心情だ。そもそも,まひろはーー兄としてーーみはりのデート相手が気になって尾行を始めたのだった。一方で,みはり&かえではーー姉としてーー妹たちの関係を気にかけている。〈見る/見られる〉という視点の交差は,〈見守る/見守られる〉という想いやりの交差を示しているのである。
さらに,かえでが撮った隠し撮り(図③左下)の中に,図②における見えないカメラ=視聴者の視点が含まれているのも面白い。ある意味で,視聴者も隠し撮りされていたと言える。視聴者の視点を“巻き込む”ことによって,“自分も彼女たちと一緒にいる”という一種の没入感のようなものが生まれていると言える。

 

セルフィー:まひろの自己発見

画面は再び,手前にまひろ,奥にみはり,かえで,もみじを配した二層の構図になる。まひろがインカメラを起動すると,みはりがにわかに入り込み,しばし2人の戯れる姿が映し出される(図④)。

図④:「#09. まひろと年末年始」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

映画などでは鏡像を用いたシーンがよく用いられるが,ここでは鏡の代わりにスマホのインカメラ映像が用いられている。こうした演出の意味や意図は様々あるだろうが,〈別視点〉あるいは〈別世界〉の導入というのもその1つだろう。まひろとみはりが“姉妹”として戯れる姿は,現実の“兄妹”とは異なる関係性である。この〈別世界〉(あるいは〈可能世界〉と言ってもいいかもしれない)を,まひろとみはりがどう内面化していくか。それは今後の物語で示されるのだろう。

図⑤:「#09. まひろと年末年始」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

このシーンのラストでは,まひろがスマホのアウトカメラでクリスマスツリーとかえでを捉える。ところが,かえでの「みんなで見れてよかったね!」というセリフの後,まひろはインカメラに切り替え,画面に自分の姿を映し出す(図⑤上)。彼女/彼は,微笑みながら満足気に撮影ボタンを押す。“みんなの中の私”という新たな自己を発見したかのように。

 

 

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作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】
原作:ねことうふ/監督:藤井慎吾/シリーズ構成:横手美智子/キャラクターデザイン:今村亮/美術監督:小林雅代/色彩設計:土居真紀子/撮影監督:伏原あかね/編集:岡祐司/音響監督:吉田光平/音響効果:長谷川卓也/音楽:阿知波大輔桶狭間ありさ/プロデュース:EGG FIRM/制作:スタジオバインド

【キャスト】
緒山まひろ:
高野麻里佳/緒山みはり:石原夏織/穂月かえで:金元寿子/穂月もみじ:津田美波/桜花あさひ:優木かな/室崎みよ:日岡なつみ

【「#9. まひろと年末年始」スタッフ】
脚本:
横手美智子絵コンテ:黒沢守/演出:秋山泰彦/総作画監督:今村亮,山﨑匠馬/総作画監督補佐:新海良佑作画監督:内田百香青木駿介くまがばんいち

 

商品情報

劇場アニメ『THE FIRST SLAM DUNK』(2022年)レビュー[考察・感想]:「新しい生命」

*このレビューはネタバレを含みます。必ず作品本編をご覧になってからこの記事をお読みください。

『THE FIRST SLAM DUNK』公式Twitterより引用 ©︎I.T.PLANNING,INC. ©︎2022 THE FIRST SLAM DUNK Film Partners

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原作者・井上雄彦が自ら脚本・監督を務めた劇場アニメ『THE FIRST SLAM DUNK』。当初,声優陣の一新と主役の交代によって大きな物議を醸した本作だが,その洗練されたアニメーション,繊細な芝居,類まれなドラマメイキングによって,結果として多くの人の心を捉える傑作となった。原作完結から四半世紀を経て,なお新たな輝きを見せる本作の魅力に迫ってみよう。

 

あらすじ

インターハイ初出場を迎えた湘北高校は,早くも2回戦で高校最強と謳われた山王工業に挑むことになる。PG・宮城リョータは赤いリストバンドを装着し,かつて打倒山王を夢見た兄・ソータの想いと共にコートに上がる。

 

マンガはスクリーンに映らない

井上雄彦の“見えない手”が,心地よいペン音を奏でながら,宮城リョータ赤木剛憲三井寿流川楓桜木花道らの勇姿を真っ白な地の上に描き出す。静止していた彼らの線画はやがて堂々たる様で動き出し,山王工業のメンバーと対峙した後,鮮やかな色彩を与えられてコートに降り立つ。かくして,湘北高校と山王工業高校の対決の幕が切って落とされる。

冒頭のこのシーンが象徴しているように,『THE FIRST SLAM DUNK』(以下『FSD』)は,井上の画のタッチがそのままアニメーションになったかのような印象を与える映画だ。通常,マンガ原作のアニメでは,キャラクターデザイナーが原作キャラクターをアニメ用にリデザインすることが多い。しかし『FSD』では,井上自身が文字通りミリ単位,秒単位で作画と動作を調整し,彼の描きたい画をそのままアニメーションに落とし込んでいる。

「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」,p.36,集英社,2022年。
©︎I.T.PLANNING,INC. ©︎2022 THE FIRST SLAM DUNK Film Partners

よく見ると,主線の処理,影の表現,彩色などにもかなりの工夫が施されていることがわかる。まるで井上のカラーイラストが動いているかのようだ。こうした執念にも似た緻密な作画処理によって,この映画を見た多くの人が“マンガがそのままアニメになった”と感じるのだ。上で述べた冒頭のシーンも,間違いなくそうした印象を強化することに一役買っている。

しかし,マンガとアニメという2つの媒体の本質的な差異を考えてみれば,それがあくまでも表面的な印象に過ぎないことは明らかである。マンガでは,コマの大小などで表現に強弱や緩急をつけることができる。ギャグなどのセリフを手書きで小さく書き込んだり,読者が1つのコマに立ち止まることを期待して,微妙な表情を描き込むこともできる。しかしアニメではそれができない。すべての画は同じ大きさ,同じ速度でスクリーンを流れていく。マンガとはまるで作法が違う。井上も『FSD』を制作するにあたって,こうした媒体の差異に大いに悩まされたという。しかもアニメーションは共同作業であるため,自分が表現したいものを他のスタッフに言葉で説明する必要がある。マンガ執筆では「直感」に頼ってきた井上にとって,こうした言語化のプロセスは「心に傷をつけられる」ほどの苦しい思いだったらしい。*1 そして井上は,完成した映画に対して僕らが抱く印象とは真逆の結論に行き着く。

自分の描いた絵がそのまま映画にスクリーンに映ることはない。*2

井上の前に立ちはだかったのは,マンガとアニメ映画との本質的な差異だった。もちろん,こうした困難は,およそすべてのマンガ原作アニメの制作者が経験していることだ。しかしマンガ家自身が,この決定的な差異を肌で感じながら,己のマンガをアニメ化するという例はさほど多くない。*3 表面的な印象とは裏腹に,“マンガがそのままアニメになった”わけではなかったのだ。

さらにもう一つの決定的な要素がある。原作完結(1996年)から『FSD』までの26年という歳月だ。この間,井上は確実に歳を重ね,マンガ表現だけでなく,根本的な価値観にも変化が生じたはずだ。後述する通り,この変化は確実に作品に反映されることとなる。

『FSD』において,井上が「心に傷をつけられる」ほどの思いで描ききったものはーー表面的な印象とは裏腹にーー原作マンガとはまったく異なる表現による,まったく異なるメッセージだった。だから僕らはこの作品を“マンガ原作の延長”として観るべきではないのだ。“マンガ原作の再現度”という観点から論じるべきでもないのだ。マンガとアニメという媒体間の差異と同じくらい本質的な差異が,かつての『SLAM DUNK』とこの『THE FIRST SLAM DUNK』の間を隔てているのだから。

 

痛み:宮城リョータ

かくして『FSD』という作品には,かつての『SLAM DUNK』では描かれなかったーーあるいは描き得なかったーーものがいくつも描かれることになった。そのうち最も大きなものを挙げるならば,宮城リョータの過去リョータの母,そして(無)音である。そしてこのそれぞれが,〈陰/陽〉という対比を含み込みながら,視聴者を惹き込む卓越したドラマを構成しているのである。

まず宮城リョータというキャラクターを見ていこう。

周知の通り,『FSD』では主人公が桜木花道から宮城リョータへと変更されている。それは井上の中に,宮城リョータというキャラクターでしか描き得ないものがあったからに他ならない。井上自身の言葉によれば,それは「痛み」である。

『FSD』の物語は,父と兄・ソータの死から始まる。この二度の死別が宮城家に決定的に暗い影を落としている。とりわけ,リョータはソータをバスケの師匠として尊敬しながらも,常に兄と比較されることによって,深い劣等感を抱いている。このコンプレックスが象徴的に表されるのが,リョータが歌舞伎の面=ソータのペルソナを身に付けるシーンだ。彼は面によって“リョータ”としての自己の顔を隠し,ソータのようなヒーローとして,バスケの試合で活躍することを夢想する。しかしこうした〈同一化=自己否定〉が成功することはありえないだろう。端的に言って,リョータはソータではないのだ。

このリョータのアイデンティティの揺らぎは,ソータの死を乗り越えられない母・カオルとの確執をも生む。ソータの想い出に固執するリョータに苛立ったカオルは,リョータから面と背番号「7」のユニフォームを剥ぎ取ろうとする。リョータはそれに激しく抵抗する。ソータの死という「痛み」が,2人の間に微妙な距離を生み出す。これ以降,2人の関係性は終始,ぎこちないものとして描かれる。インターハイの前夜,リョータとカオルが妹・アンナを“中継”して会話するシーンが印象的だ。

宮城リョータの物語は,花道を中心にコミカルな印象の強かった原作と比較すると,かなり“暗い”展開であることは間違いない。

なぜ井上は『FSD』の物語の中にこうした〈陰〉の要素を持ち込んだのか。「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」のインタビューから彼の言葉を引用してみよう。

自分が描いたマンガを見直すと,当時は若さもあって単純に上り坂を駆け上がっている。やたらと前へ出る部分にフォーカスしている。それは例えば勝ち負けの単純な価値観だったり。だから,作中にある別の視点を見落としている。光が当たっていない部分がたくさんあることに気付いて,今の自分だったらそっちの方を描きたいと強く感じました。かつて描いたものは,まだ痛みを経験していない状態で前に出ていた。そうではなく,弱い者や傷ついた者がそれでも前へ出る。痛みを乗り越え,一歩を踏み出す。これが今回の映画のテーマだと *4

「痛みを乗り越え,一歩を踏み出す」ーーこの役を担ったのが,宮城リョータというキャラクターであることは言うまでもない。

バイク事故を起こした後,リョータは数年ぶりに故郷の沖縄に帰郷し,ソータの秘密基地であった洞窟を訪れる。リョータが洞窟の入り口に頭をぶつけるシーンが彼の〈成長〉を暗示する。彼はソータのバッグの中からバスケ雑誌とリストバンドを見つけ出したことにより,同一化=自己否定ではなく,「絶対王者“を倒す!!”」というソータの想いの〈内面化〉を果たし,本格的にバスケを続けることを決意する。

インターハイ前夜,リョータは「母上様」に宛てて手紙を書く。最初,彼は「生きているのが俺ですみません」と綴る。しかし彼は,この太宰治のような陰鬱な告白をすぐさまゴミ箱に捨て去り,代わりにこう書く。

ソーちゃんが立つはずだった場所に,明日,俺が立つことになりました。

この瞬間,リョータの顔からはソータのペルソナが完全に消える。場面はインターハイの試合に移り,ソータの想いを内面化したリョータ自身の力強い顔が,自分の身長を遥かに上回る深津と沢北のガードを突破する。

『THE FIRST SLAM DUNK』公開後PVより引用
©︎I.T.PLANNING,INC. ©︎2022 THE FIRST SLAM DUNK Film Partners

リョータはーーそして母・カオルもまたーー2つの死という「痛み」(陰)を乗り越え,前へ踏み出す(陽)。このアークこそが,本作の物語の軸となっているのだ。

そしてリョータの「痛み」を丁寧に描くからこそ,それとシンクロナイズするかのように,河田に対する赤木のコンプレックス,沢北に対する流川のコンプレックス,三井の過去(安西先生曰く「混乱」)の反省,選手生命をも脅かす花道の負傷といった〈陰〉も際立ってくるのである。

 

無表情:リョータの母

リョータのキャラクターアークのいわば“裏面”を担うのが,母・カオルだ。また彼女は,本作の芝居面で最も特筆すべきキャラクターでもある。カオルというキャラクターがなければ,本作は成立しなかったとすら言える。

カオルは夫を亡くした後,一家の支えとなった長男・ソータをも亡くし,失意の底にいる。その化粧気のない顔には,母としての悲哀と苦労が滲み出ているが,そこには常に表情というものが欠けている。

井上がカオルというキャラクターで追求したのは,この〈無表情〉という芝居の在り方である。先述した「母上様」の手紙を読むシーンに関しては,井上から「特に何かを含んだ表情でなくただ手紙の内容を追ってるのみ」という指示が出されている。

「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」,p.107,集英社,2022年。
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ミニバス観戦のシーンでは,転倒するリョータを見てカオルが思わず手を差し伸べそうになるカットが描かれるが,この時も顔の表情は映し出されず,身体の所作だけで複雑な心情を伝えている。また誕生日のシーンでアンナがソータの年齢を確認した後,「生きてたらね」と呟くシーンでは,アンナとリョータに関しても「含み」を持たせない表情にするよう指示が出されている。*5 2度の死別の悲しみが,この家族から表情を奪ってしまったかのようだ。しかしだからこそ,抑制された芝居が死別の「痛み」を無言で伝えてくるかのようでもある。

しかし「母上様」の手紙を読み,インターハイの試合でリョータの成長した姿を目にしたカオルは,リョータと同じく〈陰〉から〈陽〉への変化を遂げる。

山王戦終了後,リョータとカオルが海辺で出会う。カオルがおずおずとリョータの片腕に触れる。次に両腕に触れる。それを上下に揺さぶる。まるで,かつてリョータをあやした時の所作を反復するかのように。そして,リョータの成長を再確認するかのように。カオルはそれまでの無表情を解きほぐし,笑顔で「おかえり」と言い,ややとまどった様子のリョータが「ただいま」と答える。カオルにとっての〈陰〉から〈陽〉へのアークがここで果たされる。

このシーンに関して,井上は「抱きしめたいが気恥ずかしくてできない。その感情の不器用な発露として」*6 という指示を出している。映画を観た人であればこの言葉に納得するだろう。日本の母と息子のリアルな関わり方を伝えた,とてもいいシーンだ。このように『FSD』にカオルという大人の目線が盛り込まれたのは,やはり井上自身の心境の変化もあっただろう。劇場用プログラムのインタビューで,彼は宮城家のエピソードについて次のように述べている。

連載時,僕は20代だったから高校生側の視点のほうが得意というか,それしか知らなかったんです。そこから年をとって視野が広がり,描きたいものも広がってきた。[中略]原作で描いた価値観はすごくシンプルなものだけど,今の自分が関わる以上は,原作以降に獲得した「価値観はひとつじゃないし,いくつもその人なりの正解があってもいい」という視点は入れずにいられませんでした。*7

26年という歳月が,井上がカオルというキャラクターに真摯に寄り添い,親としての「価値観」を作品に盛り込むことを可能にした。多声的な「価値観」が,“高校生の部活”という世界で完結していた原作の世界観に深みをもたらしたと言える。

 

無音:24.1秒

本作の一番の目玉は何と言っても試合シーンだ。バスケの動きのリアリティを求めるべく,モーションキャプチャと3DCGが使用され,これまでの作品には見られないほど迫力のあるシーンに仕上がっている。そして試合シーンの興奮度をいっそう高めているのが,膨大な音の情報量である。ドリブルのダムダム音,シューズとコートが擦れ合う際のスキール音,歓声,そしてBGMが渾然一体となって観客の耳と胸を打つ。試合シーンだけでも一つの作品として成立しうるほどの高い完成度だ。

しかしこの作品の本当の魅力は,華々しい試合シーンとは対照的な静かな回想シーンを頻繁に盛り込むことにより,〈静〉と〈動〉のコントラストを際立たせた点にある。音の情報を抑制し,セリフと環境音を中心に構成された回想シーンがあるからこそ,試合シーンがいっそうエキサイティングに映える。逆に,試合シーンの喧騒があればこそ,回想シーンの静かなーーそして〈無表情〉なーー心情描写が際立つ。〈静(陰)〉と〈動(陽)〉の相互補完的な交代が,本作にこの上なく魅力的なダイナミズムを与えている。

そしてこの〈静〉と〈動〉の交代が最もドラマチックに演出されるのが,試合終盤のシーンである。

山王を猛追した湘北が,流川のシュートによって1点をリードした瞬間,残り時間は24.1秒。この時,すべての登場人物のセリフが消える。SEのみがシーンの緊迫感を伝える。沢北のシュートで逆転された湘北は,残り数秒で再び猛反撃に出る。

シュートを打とうとした刹那,流川の目に花道の姿が映る。花道はシュートを打つ構えをしている。この時,原作では花道が「左手は添えるだけ」と呟くのだが,このセリフすらも映画では無音にし,口の動きだけに留めている。流川は花道にパスをする。時計のSEだけが鳴り響く。残り0.1秒,花道の放ったシュートが弧を描く。数十秒にも引き延ばされた0.1秒の中,SEも消え,スクリーンが,そして劇場全体が,濃密な無音に包まれる。

この無音状態(陰)を,花道と流川のロータッチの軽快な音(陽)が打ち破る。すべての音が蘇り,湘北高校の勝利が確定する。観客の呼吸や緊張感までをも“作品の一部”と化した見事な演出である。原作のあの名シーンがここまでの完成度で映像化したのは,音から無音へ,そしてまた音へという,マンガでは成し得ない演出があったからこそだ。

「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」,pp.123-124,集英社,2022年。 ©︎I.T.PLANNING,INC. ©︎2022 THE FIRST SLAM DUNK Film Partners

 

井上は劇場用プログラムの中で,本作を「新しいひとつの命」として作ったと述べている。*8 ここまでこの記事を読んでこられた方は,この言葉が紛れもない真実であることがお分かりだろう。

井上が生み出した「新しい命」の中には,痛みと向き合うこと,語らないことという〈否定極性〉の表現から,前進という〈肯定極性〉へと向かう回路が組み込まれている。それは,マンガからアニメ映画へという媒体の差異,そして井上自身の心境の変化から生まれた新たな回路だ。井上のマンガはそのままの形ではスクリーンに映らなかったが,「新しい命」としてそこに生を受けたのである。

 

 

作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】
原作・脚本・監督:井上雄彦/演出:宮原直樹大橋聡雄元田康弘菅沼芙実彦鎌谷悠北田勝彦CGディレクター:中沢大樹/キャラクターデザイン・作画監督:江原康之井上雄彦/サブキャラクターデザイン:番由紀子/キャラクターモデリング・スーパーバイザー:吉國圭BG&プロップモデリング・スーパーバイザー:佐藤裕記/テクニカル&リギング・スーパーバイザー:西谷浩人/シニアアニメーション・スーパーバイザー:松井一樹/テクニカルアニメーション・スーパーバイザー:牧野快/シミュレーション・スーパーバイザー:小川大祐/エフェクト・スーパーバイザー:松浦太郎/シニアライティングコンポジット・スーパーバイザー:木全俊明/ライティングコンポジット・スーパーバイザー:新井啓介鎌田匡晃/美術監督:小倉一男/美術設定:須江信人綱頭瑛子/色彩設計:古性史織中野尚美撮影監督:中村俊介/編集:瀧田隆一/音響演出:笠松広司/録音:名倉靖/キャスティングプロデューサー:杉山好美/音楽プロデューサー:小池隆太2Dプロデューサー:毛利健太郎CGプロデューサー:小倉裕太/制作統括:北﨑広実氷見武士/アニメーションプロデューサー:西川和宏/プロデューサー:松井俊之/音楽:武部聡志TAKUMA10-FEET/アニメーション制作:東映アニメーションダンデライオンアニメーションスタジオ

【キャスト】
宮城リョータ:仲村宗悟/三井寿:笠間淳/流川楓:神尾晋一郎/桜木花道:木村昴/赤木剛憲:三宅健太/深津一成:奈良徹/松本稔:長谷川芳明 /沢北栄治:武内駿輔/野辺将広:鶴岡聡 /河田雅史:かぬか光明/宮城ソータ:梶原岳人/宮城リョータ(少年期)島袋美由利/宮城アンナ:久野美咲/宮城カオル:園崎未恵/彩子:瀬戸麻沙美/安西光義:宝亀克寿

 

作品評価

キャラ

モーション 美術・彩色 音響
5 5

5

5
CV ドラマ メッセージ 独自性

5

5 4.5 4.5
普遍性 考察 平均
4 4 4.7
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

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商品情報 

*1:「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」,pp.80-82,SHUEISHA,2022年。

*2:同上,p.81。

*3:言うまでもなく,映画『AKIRA』(1988年)の大友克洋も,監督として自らのマンガのアニメ化に携わった人物である。大友は『AKIRA』制作に先立つ1983年,『幻魔大戦』のキャラクターデザインに携わる中で,マンガとアニメの差異を感じとっていたようだ。大友克洋のあくなき挑戦 大友アニメーションを振り返る 全集にブルーレイ「AKIRA」

*4:同上,pp.78-79。

*5:同上,p.106。

*6:同上,p.126

*7:劇場用プログラム,p.16,東映アニメーション株式会社 営業推進部,2022年。

*8:同上,p.17。

2023年 冬アニメ 中間評価[おすすめアニメ]

*この記事にネタバレはありませんが,各作品の現時点までの話数の内容に言及しています。未見の作品を先入観のない状態で鑑賞されたい方は,作品を先にご覧になってから本記事をお読みください。

 

2023年冬アニメもほとんどの作品がクール半ばまでの放送を終えた。新型コロナウイルス感染拡大の影響により,一部の作品は放送延期の憂き目をみているが,ひとまずここまでの段階で目立った作品を振り返っておこう。これまで通り五十音順に(ランキングではないことに注意)要注目作品をいくつか取り上げる。

なお「2023年 冬アニメは何を観る?」の記事でピックアップした作品は,タイトルを水色にしてある。

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1 『うる星やつら』

uy-allstars.com

【コメント】
“昭和感”を再現しながらも,決して古臭さを感じさせない絶妙な作画と演出。ラムというキャラ,そして“るーみっくわーるど”普遍的な魅力を再認識させてくれる良作である。上坂すみれを始めとする新バージョンの声優陣の貢献度も非常に高い。特にテン役の悠木碧は,旧TV版とは違ったキャラ解釈をしており,本作に新鮮な味わいを加味している。

 

2 『大雪海のカイナ』

ooyukiumi.net

【コメント】
世界観やキャラクターはジブリ作品のそれとよく似ているが,多重的な世界構造とその相互の邂逅という弐瓶勉らしい世界観がよく出た作品でもある。描き込まれた美術,そこに馴染むキャラクターデザインなど,作画面での作り込みもレベルが高く,『シドニアの騎士』(2014年)からのポリゴン・ピクチュアズの進化を窺い知ることができる。

 

3 『お兄ちゃんはおしまい!』

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表面的には“ちょいエロTRFアニメ”という装いながら,魅力的なキャラ造形や繊細な芝居によって,深みのあるアニメに仕上がっている。特に,丁寧にアニメートされたキャラクターの所作は,“日常系アニメ”としての本作の魅力を倍増している。演出家の個性が比較的はっきりと出るため,各話の演出の違いを観るのも楽しい。

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4 『吸血鬼すぐ死ぬ 2』

sugushinu-anime.jp

【コメント】
無印にも増してテンションの高いギャグは,やや押し付けがましい感じもするが,押し付けがましいギャグこそがこの作品の醍醐味に違いない。このノリを定着させつつ,かつマンネリに陥ることがなければ,長く楽しめる作品になるだろう。なお,「2」では伊瀬茉莉也演じるサンズのキャラが面白い。

 

5 『TRIGUN STAMPEDE』

trigun-anime.com

【コメント】
魅力的なキャラ(クター)と物語,スタイリッシュなアクション,エモーショナルな演出,美しい美術と音楽,声優陣の卓越した演技,ハイクオリティの3DCG描画。
どれをとっても最高レベルのアニメである。上述した『大雪海のカイナ』と併せて,日本の3DCGアニメの水準の高さを窺い知ることのできる傑作だ。

 

6. 『Buddy Daddies』

buddy-animeproject.com

【コメント】
ノンケ男性同士の“両親”と拾い子という特殊な擬似家族設定に加え,ミリというキャラの可愛さが炸裂した魅力的なコメディアニメ。当初の予想とは違い,擬似家族の側面を丁寧に描写することにより,殺し屋としての「バディ」よりも,親(パパ)としての「バディ」を前面に押し出した点も評価できる。今期のオリジナルアニメの中でも有望株と言える。

 

7. 『 便利屋斎藤さん,異世界に行く』

saitou-anime.com

【コメント】

設定そのものは典型的な“異世界転生モノ”ながら,数多くの個性的なキャラと,それをうまく捌いた脚本力によって,不思議な魅力を放つ作品に仕上がっている。ギャグとシリアスのバランスもよい。サイトウ役の木村良平の穏やかなテノールが,作品全体を上品な雰囲気にまとめているのも高評価だ。

 

以上,「アニ録ブログ」が注目する2023年冬アニメ7作品を挙げた。今回は「何を観る?」の記事でピックアップしなかった作品が多い。つまり“予想を外した”ということなのだが,言い訳めいたことを言えば,予想が外れて,いわゆる“ダークホース”を楽しむことができるのもTVシリーズアニメの醍醐味だろう。最終的なランキング記事は,全作品の放映終了後に掲載する予定である。

絵/画を“読む”快楽

もっぱらアニメに関する記事をものしている僕だが,美術展の類にはそこそこの頻度で足を運ぶようにしている。要はビジュアル・アート全般が好きなのだ。

ちなみに僕は,それ自体がアート作品として成立している絵画を〈絵〉,アニメやマンガのように,作品全体の構成要素として機能している視覚要素を〈画〉と読んで区別しているが,かといって〈絵〉と〈画〉がまったく別世界のメディアであるわけではない。〈絵〉も〈画〉も,結局は視覚を通して何らかの意味(あるいは無意味)を伝達している。だから僕には,アニメもマンガも絵画も同じ“視覚芸術嗜好”という関心の平面で捉える瞬間がたびたびある。美術展を鑑賞することと,アニメを観ることは,僕にとっては“同じこと”だ。

わざわざ美術館を訪れて絵画を観る。そこには2つの“層”の楽しみがあると僕は考える。

一つは,美術館という特殊な空間でこそ得られる,純粋に感性的な快楽だ。優れた絵画作品は,その前に立って観るだけでこちらの心を捉える(ヴァルター・ベンヤミンなら「アウラ」と呼ぶだろう)。ある作品は悦びに満ち,ある作品は悲壮感を伝え,ある作品は不安感を煽る。言語化以前の,文字通り“えも言われぬ”快/不快の体験がそこにはある。これだけでも,わざわざ美術館に足を運ぶだけの価値はあるだろう。

しかし美術展の醍醐味はそこで終わらない。その一つ奥の層には,言語的な快楽がある。それは,作品の脇に添えられた解説パネルの中にある。

例えば,会田誠《美しい旗》(1995年)。「戦争画RETURNS」というシリーズの一つとして制作されたものだが,そこに描かれているのは,セーラー服姿の日本の少女とチマチョゴリ姿の韓国の少女が,それぞれの国旗を手にしながら静かに佇む姿である。去年(2022年9月)に訪れた「MOMATコレクション展」(東京国立近代美術館)には,次のような解説が付されていた。

日韓の女性がそれぞれ国旗を掲げ,向き合うように立っています。二人は左右の屏風(使い古しの襖を蝶番で留めたチープなつくりです)に分たれているため,対立,対話のどちらを意味しているかは曖昧です。地面のがれきはバブル経済の崩壊や阪神・淡路大地震といった90年代の日本の状況を暗示しているのでしょうか?

会田誠《美しい旗》(1995年)東京国立近代美術館所蔵

襖の間のわずかな空隙が,「対立/対話」という両義性を生み出している。戦争と平和の両方を伝えている。あるいはどちらを伝えているわけでもない。いずれにせよ,この空隙が不安と希望の感情を呼び起こす。なるほど,と膝を打つ。

例えば,岡本太郎《予感》(1963年)。ビビッドな色と躍動的な線で描かれた,いかにも岡本らしい絵画作品である。去年(2022年12月)に訪れた「展覧会 岡本太郎」(東京都美術館)で観た作品だが,次のような解説が添えられていた。

靄のような筆致と様々な色で描かれた巨大な空間を横切り,のたうち回るような太い線。これらの線はまだ明確な形を持ってはいないものの,これから何かの生命体などに生まれ変わりそうな躍動感に満ちている。画面の右側に描かれているのは,赤い実のなる樹木と,その上空を飛ぶ鳥のようにも見える。

岡本太郎《予感》(1963年)川崎市岡本太郎美術館所蔵

この作品を前にした時に感じるプリミティブな生命力を,「のたうち回る太い線」という表現が的確に言語化してくれている。キャンバスを前に「のたうち回」っている岡本太郎の姿まで浮かんでくるようだ。

作品を前にした時に感じた悦び,悲壮,不安の正体を,解説パネルの言葉が的確に言い当てる。未分化の感情を過不足なく分節した言語がそこにある。あるいは,言葉が僕自身の感性から多分にズレることもある。例えば《美しい旗》に関して言えば,2人の人物を「女性」という言葉で一般化し,〈少女性〉という会田誠作品に特徴的なアイコンについて言及しなかった点だ。敢えての表現だろうと推察されるが,会田作品の特殊性が希釈されてしまった感は拭えない。こういう時,しばしば僕は作品の前にしばし立ち尽くしながら,では自分だったらどう表現するだろうかと思いを巡らせる。まず作品だけを観て感性的に捉え,解説を観て言語的に捉え,もう一度作品に戻って感性と言語の擦り合わせをする。学芸員の方たちが推敲に推敲を重ねたであろう言語表現に,時に感動し,時に嫉妬し,時に違和感を覚えながら,美術館という空間を満たしている“アウラ”を分節していく。これが僕の絵画鑑賞の基本スタイルだ。当然,鑑賞時間は比較的長くなる。

解説パネルをあえて読まずに,作品を純粋に楽しみたいという人もいるだろう。言葉にできない感動を言葉にすることを“無粋”と感じる人もいるかもしれない。しかし僕は積極的に言葉を読み,言葉にするようにしている。

こうした美術鑑賞法が,アニメ鑑賞の一種の訓練にもなる。初見ではただひたすら楽しむ。時に,他の話数とは明らかにレベルの違う面白さを感じることがある。録画を再視聴する。いくつかのカットやシーンに特別な“何か”がある。それは“線”だったり“色”だったり“構図”だったりする。それらの要素を何度も観直し,どんな“解説パネル”が相応しいかを考える。その言語化に成功できた時は,ブログの記事にする。では言語化できないものはどうするか。敢えてこう言い切ろう。“そんなものは存在しない”。

精神分析学者のジャック・ラカンは「無意識は言語として/のように構造化されている」と言った。ならば彼に倣ってこう言おう。「アニメの感動は言語として/のように構造化されている」と。

TVアニメ『お兄ちゃんはおしまい!』(2023年冬)第4話の演出について[考察・感想]

 *この記事は『お兄ちゃんはおしまい!』「#04. まひろとあたらしい友達」のネタバレを含みます。

「#04. まひろとあたらしい友達」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

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今回の記事では,ねことうふ原作/藤井慎吾監督『お兄ちゃんはおしまい!』(以下『おにまい』)の各話レビュー第2弾として,柿木田隼人が絵コンテ・演出を手がけた「#4. まひろとあたらしい友達」に注目してみたい。前回取り上げた伊礼えりの第4話と比べれば,構図や画角といった点では比較的おとなしめの作りだが,丁寧な日常芝居が目を引く優れた話数である。 

 

変身その1:転倒する変身譚

アバンは,東映ニチアサ風「魔法少女ニコララ」(CV:えなこ)の場面から始まる。あたかも,〈変身〉がこの話数のライトモチーフであることを予告しているかのようだ。

「#04. まひろとあたらしい友達」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

ニコララの変身バンクを見て感動したまひろは,思わず鏡の前で真似をしてしまうが,その姿をみはりに見られて気まずい思いをする。ますます女児化していくまひろと,ますます姉化していくみはりのコントラストをコミカルに描いた微笑ましいシーンだ。本作の物語が〈ニート兄→かわいい妹〉〈妹→姉〉というロールチェンジ=変身の物語であることを改めて印象付けるような導入部である。

「#04. まひろとあたらしい友達」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

さらに面白いのはこの後のシーンだ。みはりが大学に泊まり込むために出かけていった後,家に独り残されたまひろは,以前の「ニートTシャツ」に着替えてはしゃぐ。意図的な演出かどうかはわからないが,この際のまひろの様子が「ニコララ」変身時の所作と重なっているのが面白い。この時,まひろは女の子からニートへ一時的に“変身”する。つまり“変身”の意味合いが転倒しているわけだ。すでにまひろにとって,“女の子=みはりの妹”であることが日常であり,“ニート”は非日常となっているのである。

 

日常芝居のリアリティ

そのことを裏付けるかのように,ほどなくして“ニート”まひろは,“姉”みはりのいない生活に強い違和感を覚え始める。カメラは,客観・主観両方の視点で,みはりの〈不在〉を捉え始める。

「#04. まひろとあたらしい友達」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

このみはりの〈不在〉を確かな〈不在〉として浮かび上がらせるのが,リアルな日常芝居だ。

この話数に限らず,『おにまい』という作品は,特に家の中での身体的所作を丁寧に描いているのが特徴だ。比較的ゆっくりとした動作の中で,重心の移動,衣服の動き,髪の流れ具合などをじっくりとアニメーションにしている。第4話で言えば,みはりのAパートのお辞儀のカットと,Bパートの飲み物を置いてからソファに座るカットなどがとりわけ目を引く。

「#04. まひろとあたらしい友達」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

お辞儀をする際の膝や手の動き,ソファに座る際の白衣を抑える手の所作などが細やかにアニメートされている。こうしたリアルな日常芝居を描くことによって,あらかじめみはりというキャラの確かな〈在〉を感じさせているからこそ,逆に先ほどのような〈不在〉が際立つ。派手なアクションとはまた違った,日常系アニメーション固有の面白さを感じさせてくれる演出である。

Aパートのラストでは,家に戻ったみはりの〈在〉が改めて丁寧に描かれる。

「#04. まひろとあたらしい友達」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

みはりがまひろの前にかがみ込み,髪を梳かしてやる。その所作がとても丁寧に描かれており,「#2. まひろと女の子の日」の銭湯のシーンを彷彿とさせる。みはりの確かな〈在〉がまひろの心内に染み渡り,まひろは思わず“姉”みはりに甘えてしまう。こうしてニートへの“変身”という束の間の魔法が解かれたまひろは,再び妹という“日常”へと回帰する。

 

変身その2:交差する〈男/女〉〈百合/BL〉

この話数で描かれるもう1つの〈変身〉物語の主人公が,Bパートで登場するもみじである。

「#04. まひろとあたらしい友達」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

初登場時,もみじはボーイッシュな身なりをしているため,まひろは男の子と間違えてしまう。しかしその後,制服姿で再登場したもみじは,すっかり女の子らしくなっており,まひろを戸惑わせる。時系列的には“男の子が女の子に変身した”ように見えるが,実は“女の子が男の子に変身していた”というわけだ。これ自体はよくあるちょっとした変装トリックだが,すでに“兄から妹へ”の〈変身〉を遂げているまひろと対になることで,キャラの面白みはぐっと増す。それを決定づけるのが,Bパートラストの“ラッキースケベ”のシーンだ。

「#04. まひろとあたらしい友達」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

本来,男であるはずの“女の子”まひろが,本来,女であるはずの“男の子”もみじからラッキースケベを受ける。このシーンは,表層的な構図としては『エヴァンゲリオン』以来の男→女という視線を踏襲していながら,その実,“ほんのりBL風味百合ラッキースケベ男女転倒バージョン”とでも言えそうな複雑な関係性を含んでいる。〈男/女〉〈百合/BL〉という関係性の中でキアスムが生じ,単純な“男性目線でのエロ”は相対化される。

 

〈変身〉というモチーフを中心に据えながら,TSFとしての本作の複合的な面白さを引き出した優れた話数である。そしてこの作品は,新しいキャラが登場するたびに主人公・まひろのキャラが徐々に更新されていくという作りになっている。今後のキャラの展開も楽しみにしよう。

 

 

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作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】
原作:ねことうふ/監督:藤井慎吾/シリーズ構成:横手美智子/キャラクターデザイン:今村亮/美術監督:小林雅代/色彩設計:土居真紀子/撮影監督:伏原あかね/編集:岡祐司/音響監督:吉田光平/音響効果:長谷川卓也/音楽:阿知波大輔桶狭間ありさ/プロデュース:EGG FIRM/制作:スタジオバインド

【キャスト】
緒山まひろ:
高野麻里佳/緒山みはり:石原夏織/穂月かえで:金元寿子/穂月もみじ:津田美波/桜花あさひ:優木かな/室崎みよ:日岡なつみ

【「#4. まひろとあたらしい友達」スタッフ】
脚本:
横手美智子/絵コンテ・演出:柿木田隼人/総作画監督:今村亮作画監督:佐藤利幸新海良佑西谷衆平/作画監督補佐:永山歩実ヘインみやち向川原憲山﨑匠馬

 

商品情報

 

『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』ブックレビュー[書評]:「痛みを乗り越え,一歩を踏み出す」

 

2022年に公開された劇場アニメ『THE FIRST SLAM DUNK』は,原作者の井上雄彦自身が監督・脚本を務め,自作の大胆なリメイクに挑んだ作品として大きな注目を集めている。今回紹介する『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』(以下『re:SOURCE』)は,井上による作業過程やインタビューを掲載した一種の制作資料集である。映画を鑑賞しただけでは見えてこない試行錯誤の跡を知ることで,『THE FIRST SLAM DUNK』という作品の理解をいっそう深めることのできる良書だ。

 

制作資料:井上雄彦の“手つき”

実は,井上は企画当初から監督に就く予定だったわけではない。制作過程で様々なこだわりが生じた結果,最終的に脚本・演出を含めた全過程に関わることになったようだ。*1 『re:SOURCE』という書物の目立った特徴は,こうした多岐にわたる井上の制作工程を「新規作画」「演出」「作画調整」「動作監修」「動画仕上げ」に大別し,主要なカットやシーンを中心に詳細に図示した点である。微細な作画修正や大幅な構図の変更,芝居に関する細かい指示書きなどから,井上の制作の“手つき”を具体的にイメージできるようになっている。ファンだけでなく,アニメ制作関係者にとっても学ぶところが多いだろう。

左上:p.10/右上:p.36/左下:p.108/右下:p.28より引用
©︎I.T.PLANNING,INC. ©︎2022 THE FIRST SLAM DUNK Film Partners

 

井上雄彦のインタビュー:マンガ≠アニメ映画

『THE FIRST SLAM DUNK』を観た多くの人が,“原作マンガの絵がそのままアニメになった”という感想を抱くだろう(そして作中でも実際そのような演出がなされている)。しかし井上のインタビューを読むと,事はそう簡単ではなかったことがわかる。

マンガではコマ割りや吹き出しの大小によって,表現に緩急をつけることができる。表情の描き込みなどによって,読者の目線を一つの絵に“立ち止まらせる”こともできる。しかしアニメではそういった手法に頼ることができない。すべてのカットが同じ大きさであり,すべてのシーンは同じ速度で流れていく。インタビューでは,マンガとアニメという媒体の過酷な差異に立ち向かった井上の“産みの苦しみ”が詳しく述べられている。

左:p.76/右:p.79より引用
©︎I.T.PLANNING,INC. ©︎2022 THE FIRST SLAM DUNK Film Partners

そして,僕らのナイーブな作品イメージとは裏腹に,井上はこう語るのだ。

自分の描いた絵がそのまま映画のスクリーンに映ることはない。*2

もちろんこれは本作に限られたことではない。これまで,ほぼすべてのマンガ原作アニメの制作者が乗り越えてきた“壁”だ。しかし井上の立場が少々特殊なのは,原作者自身が監督を務めたことにより,マンガとアニメの本質的な差異を痛感せざるを得なかった点だろう。もちろん,『AKIRA』(1988年)の大友克洋の前例はある。しかし井上と大友の作風の違いを考えれば,両者を類例とみなすことは難しい気もする。ここではこれ以上立ち入ることはしないが,原作者とアニメ映画との関わりの違いという点で,『THE FIRST SLAM DUNK』と『AKIRA』を比較してみるのも面白いかもしれない。

 

『ピアス』:原点の物語

そして『re:SOURCE』の最大の目玉は,『THE FIRST SLAM DUNK』における宮城リョータの物語の原点ともなった『ピアス』が掲載されている点だ。この作品は,1998年に「週刊少年ジャンプ」に掲載された読切マンガで,これまで単行本未収録だった。原作の『SLAM DUNK』に対してパラレルな関係にある作品のため,『THE FIRST SLAM DUNK』とも若干異なる設定になっているが,宮城リョータに対する井上の想いを知る上で貴重な作品だ。

左:p.135/右:p.160より引用
©︎I.T.PLANNING,INC. ©︎2022 THE FIRST SLAM DUNK Film Partners

宮城リョータを主人公に据えた『THE FIRST SLAM DUNK』のテーマ関し,井上は「痛みを乗り越え,一歩を踏み出す」ことと述べている。*3 だとすれば,本作を手がけた井上の仕事自体が,このテーマを体現しているとも言える。アニメ映画制作という“異世界”を体験した井上雄彦は,今後どのような技を繰り出してくるだろうか。『re:SOURCE』を読むと,『THE FIRST SLAM DUNK』がいっそう面白く感じられると同時に,井上の今後の仕事への期待感も高まる。

 

書誌情報

出版社:SHUEISHA
発売日:2022年12月20日
判型:B5判
ページ数:176
ISBN:978-4-08-792602-6
定価:1980円(税込)

 

*1:『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』,p.130,SHUEISHA,2022年。

*2:同上,p.81。

*3:同上,p.79。

TVアニメ『お兄ちゃんはおしまい!』(2023年冬)第2話の演出について[考察・感想]

 *この記事は『お兄ちゃんはおしまい!』「#02. まひろと女の子の日」のネタバレを含みます。

「#02. まひろと女の子の日」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

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現在(2023年冬)放送中のねことうふ原作/藤井慎吾監督『お兄ちゃんはおしまい!』(以下『おにまい』)は,“お兄ちゃんが妹になる”というTSF設定の妙に加え,OP/EDを含めた卓越したアニメーション技術がコアなファンの間で話題となっている。とりわけ伊礼えりが手がけた「#02. まひろと女の子の日」は,構図や芝居などの点でひときわ見応えのある話数となった。詳しく見ていこう。

 

(異)空間描写

この話数でまず目を引くのは,ユニークな空間描写だ。屋内のシーンを中心に,随所で広角レンズを用い,空間を広く切り取っている。

「#02. まひろと女の子の日」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

広い画角によって室内の多くのプロップが画面内に収められ,まひろとみはりの〈日常感〉が彩り豊かに視覚化されている。それと同時に,空間に極端な歪みが生じることにより,ある種の〈ファンタジー感〉も生まれているように思える。この辺り,『Sonny Boy』(2021年夏)第8話や『王様ランキング 第2クール』(2022年冬)第21話などの異界描写を彷彿とさせるが,『おにまい』では〈日常感〉と〈ファンタジー感〉が共存しているところが面白い。監督の藤井慎吾が手がけた1話にも広めの画角の構図は見られるが,2話では意図的に多用されているようだ。

左:『Sonny Boy』第8話「笑い犬」より引用 ©︎Sonny Boy committee 
右:『王様ランキング 第クール』第二十一話「王の剣」より引用 ©︎十日草輔・KADOKAWA刊/アニメ「王様ランキング」製作委員会

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一方で,通常の画角が用いられる際も,キャラクターとカメラの間にプロップを配置するなど,かなり大胆な構図が用いられている。細々としたプロップの雑多感が,まひろとみはりの生活圏にリアリティを加味している。

「#02. まひろと女の子の日」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

またこのような構図は,カメラの物理的実在を意識させる効果もある。視聴者は,2人の生活圏の内部に入り込み,あたかも隠しカメラで2人の生活を覗き見ているかのような感覚を覚える。視聴者を作品内へと引き込む上手い空間描写だ。

 

「お兄ちゃんはおしまい!」

『おにまい』は“男から女へ”というTSFを基本としつつ,そこに“兄妹から姉妹へ”というロールチェンジの要素も盛り込まれている。2話では,銭湯でのまひろとみはりのシャンプーシーンが印象的だ。

「#02. まひろと女の子の日」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

ここでもカメラはユニークな構図で2人の様子をダイナミックに切り取っており,たいへん見応えのあるシーンに仕上がっている。それに対して,みはりがまひろの髪を洗う所作や,それを嫌がるまひろの表情などは,驚くほど繊細かつ丁寧に仕上げられている。2人の“姉妹”らしさをよく表した優れたシーンだ。

「#02. まひろと女の子の日」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

脱衣所ではしゃぐ子どもたち(どうやら兄妹らしい)を見たまひろは,かつて自分もみはりの髪を洗ってやっていたことを思い出す。この辺りの描写は,原作では比較的淡白なのだが,アニメでは劇伴なども活用し,エモーショナルなシーンに仕上げている。なおこの銭湯のシーンに関しては,横手美智子の脚本に負うところが大きいことを監督自身が語っている。*1

この作品の基本テイストは間違いなく“ちょいエロギャグTSF”なのだが,女性化したまひろがエロを抑制するキャラになっているのが興味深い(1話の「ショックで頭が壊れてパーになっちゃうからね」というみはりの“呪い”の言葉が設定上のリミッターとして機能している)。

「#02. まひろと女の子の日」より引用 ©︎ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会

男が女としての自分の身体を堪能するというテンプレート(新海誠の『君の名は。』ですらこのテンプレートを採用しているわけだが)に陥ることなく,ロールチェンジと異性理解(まひろの“初潮”の件)を中心に物語を成り立たせている。こうした点も本作の魅力なのだろう。伊礼もこの辺りを考慮してか,ややシリアス・エモーショナルよりの演出でこの話数を構成している印象がある。

 

伊礼えりの技

この話数の絵コンテ・演出を手がけた伊礼えりは,制作会社マカリアに籍を置くアニメーターだ。これまで『ウマ娘 プリティーダービー』(2018年)や『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』(2020)など多くの作品に携わった経歴を持つが,最近で言えば『ヤマノススメ Next Summit』第9話Bパート「ひなた一家と,いざ鎌倉!」の演出(脚本・絵コンテは山本裕介)が記憶に新しい。作画・芝居ともに極めてクオリティの高い話数で,大人と子どもの対比,親と子の類似を繊細な芝居と表情で表現していた。

『ヤマノススメ Next Summit』「#9B ひなた一家と,いざ鎌倉!」より引用
©︎しろ/アース・スター エンターテイメント/『ヤマノススメ Next Summit』製作委員会

第1話と第2話のテイストの違いを見るに,本作は比較的各話担当に采配を任せる方針をとっている可能性がある。だとすれば,今後,伊礼以外の制作者の“技”を楽しむことができるかもしれない。『おにまい』はそんな楽しみ方もできる優秀なアニメだ。

 

作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】
原作:ねことうふ/監督:藤井慎吾/シリーズ構成:横手美智子/キャラクターデザイン:今村亮/美術監督:小林雅代/色彩設計:土居真紀子/撮影監督:伏原あかね/編集:岡祐司/音響監督:吉田光平/音響効果:長谷川卓也/音楽:阿知波大輔桶狭間ありさ/プロデュース:EGG FIRM/制作:スタジオバインド

【キャスト】
緒山まひろ:
高野麻里佳/緒山みはり:石原夏織/穂月かえで:金元寿子/穂月もみじ:津田美波/桜花あさひ:優木かな/室崎みよ:日岡なつみ

【「#2. まひろと女の子の日」スタッフ】
脚本:
横手美智子/絵コンテ・演出:伊礼えり/総作画監督:今村亮/総作画監督補佐:ヘイン/作画監督:山﨑匠馬/作画監督補佐:内田百香五藤有樹株式会社マカリア),西野佳佑mockingbird

 

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温故“創”新:「新しい命」への待望

新年明けましておめでとうございます。

 

ラーメン屋に行ってラーメンを注文したら,ミラノ風豚骨パスタが出てきた。

などということが仮にあったとして,僕はそういう状況がさほど嫌いではない。というよりも,積極的に評価すらしたい。ましてそれが美味であれば。

昨今,昭和時代のアニメ作品のリメイクが増えている。おそらく理由は単純で,この時代の作品をリアルタイムで楽しんでいた世代の視聴者層が分厚いからだ。しかし過去作品を何らかの形でリサイクルする場合,どうしても付きまとう問題がある。過去作品に忠実であるべきか,それとも新機軸を打ち出すべきか。忠実と新機軸の配分をどうすべきか。

多くの視聴者に注目されるべく,無難な路線を行くのであれば,“忠実”の配分を高く設定すべきだろう。2019年に公開された『劇場版シティーハンター〈新宿プライベート・アイズ〉』は,SNS上でまさしく「ラーメン屋に行ってラーメンを頼んだらラーメンが出てきた」と評された作品である。メイン声優は過去のTVシリーズのキャスティングがほぼ踏襲され,エンディングには「Get Wild」が使われた。往年のファンは大いに喜んだ。もちろん,そういうターゲティングの在り方,そういう作品の楽しみ方はあるだろう。作品のユニークネスの度合いが高ければ高いほど,“忠実”が効いてくる。だが,正直に言えば,僕はこの昨日にさほど魅力を感じなかった。新しい刺激を受けなかった。

過去作品に新しい光を当て,新しい輝きを与えるのであれば,“新機軸”を選択すべきだ。昨年の2022年に公開された『THE FIRST SLAM DUNK』はその典型例と言える。声優陣は一新され,主役は変わり,持ち味であるギャグ要素を封印して試合の迫力と回想シーンのドラマ性を追求した。結果,一部のファンからは手厳しい批判を受けることになった。しかし,この作品を単体として見た場合,アニメーション表現の斬新さ,高いドラマ性,効果的な劇伴の使用など,高く評価されて然るべき要素ばかりだ。それは否定のしようがない。間違いなく,『SLAM DUNK』という作品は新しい光で照らし出されたのだ。

アニメ作品の設定,世界観,キャラクター類型が飽和状態になりつつある今,何らかの形で過去の作品を参照することは必定だ。その時,ファンの中で作られたイメージをトレースするだけではなく,むしろそれをどれだけいい意味で裏切れるか。それなりに長くアニメを観てきた人間として,僕は制作者にそうした過酷な課題にチャレンジしてほしいと思う。

井上雄彦は『THE FIRST SLAM DUNK』を「新しいひとつの命」として作ったと述べている(『THE FIRST SLAM DUNK』劇場用パンフレット, p.17)。そう,僕らが観たいのは「新しい命」なのだ。2023年も多くの「新しい命」に出会えることを祈念しつつ,皆様におかれましても,慶びの一年となりますよう。

2022年 アニメランキング[おすすめアニメ]

*この記事にネタバレはありませんが,各作品について簡単なコメントを付しています。未見の作品を先入観なしで鑑賞されたい方は,下の目次から「ランキング表」へスキップするなどしてご覧ください。

2022年新作アニメの鑑賞数は,TVシリーズが49作品(『SPY×FAMILY』『サマータイムレンダ』など2クール作品は1作品としてカウント),劇場版が27作品だった(『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM』など前後編に分かれているものは1作品としてカウント。OVAに分類される作品でも,劇場で先行公開したものは「劇場版」としてカウント)。

以下,「TVアニメランキング」「劇場アニメランキング」「総合ランキング」に分け,当ブログの基準による2022年のランキングをカウントダウン方式で紹介する。視認性を考慮し,TVアニメは青字劇場アニメは赤字にしてある。また各セクションの最後にはコメントなしの「ランキング表」を掲載してある。未視聴の作品がある場合には,「ランキング表」だけをご覧になることをお勧めする。

 

TVアニメランキング

10位〜6位

10位:『よふかしのうた』(夏)

yofukashi-no-uta.com

【コメント】
吸血鬼の少女と人間の少年との間の,友情とも恋ともつかぬ関係を描いた本作。原作にはない豊かな色彩を用いたことにより,日常と非日常が重なり合う“夜”をいっそう魅力的な舞台として描いている。ナズナコウアキラを始めとするキャラクターも魅力的で,声優陣のキャスティングも的確だ。ぜひとも続編を制作してもらいたい作品だ。

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9位:『SPY×FAMILY』(春・秋)

spy-family.net

【コメント】
スラップスティックな原作をややシリアス寄りに解釈したアニメは,アーニャを始めとするキャラクターの魅力とも相まって,ファミリー層を含めた多くの視聴者にリーチすることに成功している。WIT STUDIO×CloverWorksのアニメーションもクオリティが安定しており,毎話安心して観ることができる秀作である。すでにTVシリーズ続編と劇場版の制作が発表されている。 


www.youtube.com

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8位:『サマータイムレンダ』(春・夏)

summertime-anime.com

【コメント】
“死に戻り(タイムリープ)”というやや古風な設定ながら,スリリングな展開と絶妙な引きで毎話引き込まれた。作画や演出もクオリティが高い上に,第1話から最終話まで一切ダレることがなかった点は特筆に値する。このクオリティ維持という一点だけでも,渡辺歩監督の手腕は高く評価されるべきだろう。2クールという長尺を的確に活用し,最終話では戦いの後の余韻もたっぷりと味わわせてくれた。極めて完成度の高い傑作である。

 

7位:『ぼっち・ざ・ろっく!』(秋)

bocchi.rocks

【コメント】
多彩かつユニークなアニメーション表現によって原作の魅力を引きだすと同時に,繊細な演出によってキャラクターの心情や心の成長を描き出すことに成功している。その意味で,“アニメーションは観ていて楽しいものである”という原点に立ち帰らせてくれた作品でもある。ストーリーそのものには大きな起伏はないものの,日本アニメの伝統とも言える“日常系”の優れた一例として長く楽しまれる作品になるだろう。監督の斎藤圭一郎,キャラクターデザイン・総作監のけろりら,副監督の山本ゆうすけ,そして制作のCloverWorksの代表作となることは間違いないだろう。

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6位:『かぐや様は告らせたい -ウルトラロマンティック-』(春)

kaguya.love

【コメント】
これまでのシリーズ以上に自由な演出と声優陣のパワフルな演技によって,視聴者を驚かせ,笑わせ続けた傑作ラブコメ。これは「アニメジャパン 2022」のイベントを観て思ったことだが,他作品と比べてメイン声優陣の結束力が高い印象がある。この辺りも,独自の間合いや呼吸として作品に表れているように思える。“超エリート校の生徒会の上流お嬢様と下流少年との恋物語”という,ある種のファンタジー的設定でありながら,キャラの多面的なペルソナ(これは後述の劇場版の主要テーマになる)を丁寧に描くことによって,万人の心を捉えるヒューマニズムが生まれている。“令和のロミオとジュリエット”として長く愛される作品となるだろう。

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TOP 5

5位:『リコリス・リコイル』(夏)

lycoris-recoil.com

【コメント】
魅力的なキャラクターと練り込まれた脚本
によって,近年のオリジナル作品としては例外的なほど多くのファンを獲得することに成功した。異様とも言えるほどのネット上の盛り上がりは,2011年の『魔法少女まどか☆マギカ』や『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。』などの状況を彷彿とさせる。SNSやラジオなど,作品外のメディア活用の成功例としても高く評価されるだろう。

しかし本作の成功の最大のポイントは,何と言ってもそのキャラ(クター)造形にある。最強戦士×おちゃらけ×薄幸の美少女という千束の多義的なキャラ(クター),それに寄り添うたきなの直向きなキャラ(クター)。美麗な作画や安済知佳若山詩音の演技とも相まって,アニメ史に名を残す魅力的なバディとなるだろう。

2022年の作品の中でも,オリジナルアニメのポテンシャルを最も強く感じさせてくれた本作。今後も,こうした存在感のあるオリジナル作品が継続的に生まれることを期待したい。

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4位:『モブサイコ100 Ⅲ』(秋)

mobpsycho100.com

【コメント】
原作の風味とテーマをリスペクトしつつも,オリジナルアニメかと思わせるほど自由な演出を施し,「Ⅰ」「Ⅱ」に続いてユニークかつ完成度の高い作品となった。その一方で,「エクボ」「トメ」「霊幻」という脇役を三本柱にしつつ,一貫して「いい奴」たちの姿を描いており,アクションファンタジーでありながら,“日常系”のミニマルな価値観を提示している点も面白い作品だ。

そういう意味では,伍柏諭による「08 通信中②〜未知との遭遇〜」から最終章までの連携がとりわけよくできていたと言えるだろう。「08」で日常と非日常の重なり合いを示した上で,最終章の霊幻の活躍と告白で改めて「いい奴」という価値を打ち出す。『モブサイコ100』という作品のコアメッセージが最もよい形で示されていたと思う。シリーズの完結編として,文句なしの出来栄えだったと言えるだろう。

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3位:『サイバーパンク エッジランナーズ』(秋)

『サイバーパンク エッジランナーズ』公式HPより引用 ©︎2022 CD PROJEKT S.A.

www.cyberpunk.net

【コメント】
「2022 秋アニメランキング」の中で,第1位として挙げた作品である。TRIGGER & 今石洋之監督の作品と言えば、エッジの効いた作画キレのあるアクション“金田パース”を継承した大胆な構図が目を引くが,本作でもその持ち味が遺憾なく発揮されている。FRANZ FERDINAND の楽曲を使用したオープニングアニメーションからして,とにかく“カッコいい”の一言に尽きる。さらに,最終話近辺にはアート作品のような芸術性の高い構図も多く,TRIGGER & 今石のセンスの高さを改めて実感した作品である。

同時に,デイヴィッドとルーシーをめぐるエモーショナルな脚本と演出も光っていた。10話という短尺の中で2人のキャラクターに的確に感情移入を促すことで,最終話のラストカットでしっかりと深い喪失感を抱かせる。技としか言いようがない。Netflix限定配信ということで,ネット上での盛り上がりは今ひとつだったが,間違いなく今年の最高傑作の一つであり,TRIGGER & 今石洋之の代表作である。未見の方にはぜひお勧めしたい。

 

2位:『メイドインアビス 烈日の黄金郷』(夏)

『メイドインアビス 烈日の黄金郷』公式Twitterより引用 ©︎つくしあきひと・竹書房/メイドインアビス「烈日の黄金郷」製作委員会

miabyss.com

【コメント】
「2022年 夏アニメランキング」の第1位として挙げた作品である。ボンドルドのそれをも上回る,ワズキャンの“カニバリズム”という所業は,すでにアニメ作品の一般的な倫理ラインを超えていると言ってよいが,そもそもこの作品は“倫理”や“法”を超えたところにある「価値」を物語の駆動力にしている。アニメ制作班は,そうした作品のコアを十分に踏まえた上で,それに対して誠実に寄り添った形でーー場合によっては原作よりもブーストした形でーー本作を作り上げた。アニメ化による付加価値の大きい作品と言える。

そして本作は,久野美咲という声優の力量を改めて思い知らされた作品でもある。“幼女キャラ”の印象が強い久野だが,『烈日の黄金郷』では,「成れ果ての村」を呪い破壊し尽くす「ファプタ」というキャラクターを見事演じ切った。本作における彼女の貢献度は計り知れない。

原作はまだ完結しておらず,今後長い期間をかけてアニメ化されていくことになると思われるが,最後まで見届ける価値のある,いや見届けるべき作品である。間違いなく,アニメ史に残る傑作,快作,怪作となるだろう。

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1位:『平家物語』(冬)

『平家物語』公式HPより引用 ©︎「平家物語」製作委員会

heike-anime.asmik-ace.co.jp

【コメント】
「2022年 冬アニメランキング」で第1位として挙げた作品である。壮大な軍記物語を11話にまとめあげた吉田玲子の技,京都アニメーションからサイエンスSARUという変数を経てもなお光を放つ山田尚子の作家性,そしてこの2人の才能が照らし出す『平家物語』の新たな魅力。爽やかなオープニングや高野文子による柔らかなキャラクターデザイン,そして牛尾憲輔の手になる大胆な音楽は,『平家物語』に従来とはまったく異なるイメージを与えた。古典作品や歴史物語をアニメ化する際の,新たなフォーマットを提示したとも言える。多くの点で,他作品を圧倒する存在感を持った傑作であることに異論はないだろう。

存在感ということで言えば,2位の『メイドインアビス』も甲乙つけ難く,この2作品の順位には大いに悩んだ。映画『犬王』とNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』との相乗効果もあり,2022年を象徴する作品となったという点で,最終的に『平家物語』を今年の1位に選んだ次第である。2020年代を代表する日本アニメとして,長く語り継がれる作品となるだろう。

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TVアニメランキング表

1位:『平家物語』
2位:『メイドインアビス 烈日の黄金郷』
3位:『サイバーパンク エッジランナーズ』
4位:『モブサイコ100 Ⅲ』
5位:『リコリス・リコイル
6位:『かぐや様は告らせたい -ウルトラロマンティック-』
7位:『ぼっち・ざ・ろっく!』
8位:『サマータイムレンダ』
9位:『SPY×FAMILY』
10位:『よふかしのうた』

● その他の鑑賞済みTVアニメ作品(50音順)
『明日ちゃんのセーラー服』『阿波連さんははかれない』『異世界おじさん』『インセクトランド』『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』『うる星やつら』『王様ランキング 第2クール』『エスタブライフ』『Engage Kiss』『からかい上手の高木さん3』『可愛いだけじゃない式守さん』『機動戦士ガンダム 水星の魔女』『鬼滅の刃 遊郭編』『組長娘と世話係』『古見さんは,コミュ症です。2期』『錆喰いビスコ』『シャインポスト』『シャドーハウス 2nd Season』『処刑少女の生きる道』『その着せ替え人形は恋をする』『TIGER & BUNNY 2』『チェンソーマン』『ちみも』『であいもん』『Do It Youself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』『東京24区』『トライブナイン』『パリピ孔明』『ヒーラーガール』『不滅のあなたへ Season 2』『ヒューマンバグ大学 -不死学部不幸学科-』『ブラック★★ロックシューター』『プリマドール』『ポプテピピック2』『ヤマノススメ Next Summit』『ユーレイデコ』『リーマンズクラブ』『RWBY』『羅小黒戦記』

 

劇場アニメランキング

10位〜6位

10位:『すずめの戸締まり』

suzume-tojimari-movie.jp

【コメント】
“震災”というテーマに真正面から取り組んだ,新海誠監督の意欲作。「廃墟を悼む」「日常」「少女の自己発見」というメッセージを中心に据えながら,それらを新海流の美学で映像化した秀作だ。しかし,“エンターテインメントで震災というトラウマを語る”という,新海の英断の是非については賛否が分かれるところだろう。ひょっとしたら,数年後や数十年後に改めて振り返られる作品なのかもしれない。

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9位:『夏へのトンネル,さよならの出口』

natsuton.com

【コメント】
僕らにとって,今のところ“ウラシマ現象”は物語であり物理現象である。だからこそ,それは多くの物語の中で“憧れ”の対象であると同時に,ありうべき“過酷な現実”として描かれてきたのだろう。時間のずれは,人々の生を否応なしに引き裂く。しかし『夏へのトンネル,さよならの出口』という作品は,かように残酷な“ウラシマ”を描きながらも,温かい結末を用意している。“浦島太郎”の系譜の中でも,最も優しい作品かもしれない。

 

8位:劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM [前編]君の列車は生存戦略/[後編]僕は君を愛してる

penguindrum-movie.jp

【コメント】
2011年に放送された『輪るピングドラム』を再構成したリメイク版。「桃果」「ピングドラム」「こどもブロイラー」「りんご」。“愛と犠牲”を語るべく用意された神話の形象たちは,具体的な日付と実写映像によって,“今ここにある現実”と重ね合わせられる。“神話”が“現実”と重なることによって,「きっと何者にもなれない」僕たちは,「きっと何者かになれる」僕たちになれたのかもしれない。TV放送時に「難解」と評された本作は,11年経った今でも相変わらず難解なままだが,その普遍的なメッセージの輪郭は明確になったようである。

 

7位:『かがみの孤城』

movies.shochiku.co.jp

【コメント】
辻村深月原作/原恵一監督によるファンタジー作品。ファンタジーとは言え,その世界観は古典的だ。おそらくこの作品の本意は“異世界設定”の読み解きにあるわけではない。ファンタジーという一見“遠い”舞台を経由することで,逆に,身近な生活世界の中で人と人とが縦にも横にも繋がっているという事実を照射する。この(少々大仰に言えば)実存的な“気づき”こそがこの作品の主眼なのだろうと思う。とは言え,やはりこの記事ではネタバレは避けたいところなので,未見の方にはぜひ劇場に足を運んでほしい。

 

6位:『かぐや様は告らせたい -ファーストキッスは終わらない-』

kaguya.love

【コメント】
人は誰しもペルソナを身につけている。このシンプルな真理を,「かぐや」という,アニメ史上最も強固なペルソナを纏ったキャラクターでコミカルかつ真摯に描いた作品。『モブサイコ100 Ⅲ』のラストシーンに共感した人は,いっそう思うところがあるかもしれない。クリスマスイブが舞台であるにもかかわらず,無駄に華美な演出になることなく,かぐやと御行の心に真摯に寄り添った点も高く評価できる。

 

TOP 5

5位:『神々の山嶺』

longride.jp

【コメント】
谷口ジロー原作のマンガをフランスの制作でアニメ化(監督はパトリック・アンベール)。ドキュメンタリー+ミステリー仕立ての物語と,文字通りのサスペンス=宙吊りの状況が時を忘れさせる傑作である。また,原作の画がリスペクトされている一方で,登場人物の所作などからは,“西洋人が表象した日本”であることが明確にうかがえる。こうした多国籍性もなかなかに面白い。

ちなみに『メイドインアビス』の原作者・つくしあきひとは,谷口ジローの原作マンガを強く推している。確かに,『神々の山嶺』における狂気にも近い高みへの“憧れ”は,『メイドインアビス』における奈落への飽くなき“憧れ”と対を成しているようだ。“上昇”と“下降”という別方向のベクトルの根底にある,人の欲動。両者のテーマ性を比較してみるのも面白いだろう。「山嶺」の崇高美を堪能するためにも,劇場で鑑賞することをお勧めしたい。

 

4位:『映画ゆるキャン△』

yurucamp.jp

【コメント】
高校を卒業してから約10年後,社会人になった主人公たちの活躍を描いた劇場版は,一風変わったスピンオフのような位置付けと言える。そこでは,なでしこリン千明あおい恵那の5人が,TVシリーズとは異なる時間感覚や社会意識のもとで“キャンプは楽しい”という価値を伝えていく様子が描かれている。高校の友人同士という極小の輪だったものが,地域のコミュニティという,少しだけ大きな輪へと広がることで,“キャンプ”という価値がより広い公共性を担った〈共通価値〉として意味づけられている。それにもかかわらず,押し付けがましさまったくない。『ゆるキャン△』という作品の最もよいところである。キャンプの楽しさは伝えたい。ただし,あくまでも「ゆる」く。コミュニティの価値が薄れつつある現代日本において,リアルな教訓を持った作品と言えるだろう。

すでに第3期の制作も発表されている。今後も長く楽しめる作品となりそうだ。

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3位:『犬王』

『犬王』公式Twitterより引用 ©︎2021 “INU-OH” Film Partners

inuoh-anime.com

【コメント】
実在した能楽師・犬王と架空の琵琶法師・友魚との数奇な運命を描いた,古川日出男『平家物語 犬王の巻』(2017年)。湯浅政明監督は,時代考証を逸脱した楽曲や,独自の身体表象などを盛り込むことで,この異形と異能の化学反応をよりビビッドに映像化することに成功している。最近盛んに制作されている“ミュージカル・アニメ”のジャンルの中でも,ひときわ異彩を放つ作品である。海外での評価も高く,湯浅監督の力量を改めて知らしめた傑作となった。

山田尚子監督『平家物語』の項目でも述べたように,『犬王』『平家物語』『鎌倉殿の13人』という3作品の相乗効果は(半ば偶然とは言え),それぞれの作品の評価にプラスとなったことは間違いないだろう。平家と源氏をめぐる歴史と物語が注目されるきっかけとなったという意味でも,一つのアニメ作品の枠を超えた価値を持つ作品として評価できる。

また『犬王』と『平家物語』に関しては,琵琶法師というキャラクターを掘り下げてみるのも面白いだろう。兵藤裕己『琵琶法師ー〈異界〉を語る人々』(2009年)は,古来,“異能者”として表象された琵琶法師の実像に迫る良書としてお勧めである。下の「アニメと一緒に読んだ本 2022」の記事も参照いただきたい。

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2位:『地球外少年少女 前編/後編』

『地球外少年少女』公式Twitterより引用 ©︎ MITSUO ISO/avex pictures・地球外少年少女製作委員会

chikyugai.com

【コメント】
吉浦康裕監督『イヴの時間』(劇場版:2010年),同監督『アイの歌声を聴かせて』(2021年),カズオ・イシグロ『クララとお日さま』(2021年),エザキシンペイ監督『Vivy -Fluorite Eye's Song-』(2021年)など,近年盛んに作られる“AIモノ”の中にあって,磯光雄監督の『地球外少年少女』はある意味で独自路線を歩んだと言えるかもしれない。上記の作品を含め,多くのAIモノが“人の心に近似するAI”を描いているのに対し,『地球外少年少女』は“人の心と異質なAI”を描こうとしたからである。

とりわけユニークなのは,AI「セブン」が種としての「人類」と個としての「人間」を同定できず,主人公の登矢に答えを求める件である。はたして,人の知能を模すはずのAIは人の心を模すことができるのか。人が人を認識するのと同様に,AIは人を認識するのだろうか。あるいはひょっとすると,AIの他者認識の限界を知られることで,“本当に人は人を人として認識しているのか”という究極の問題提起がなされることになるかもしれない。そんなことを考えさせてくれる深みのある傑作だった。同監督の『電脳コイル』(2007年)と合わせて鑑賞することをお勧めする。

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1位:『THE FIRST SLAM DUNK』

『THE FIRST SLAM DUNK』公式Twitterより引用 ©︎I.T.PLANNING,INC. ©︎2022 THE FIRST SLAM DUNK Film Partners

slamdunk-movie.jp

【コメント】
正直,このセレクトは悩みに悩んだ。実はこの記事を執筆する直前までは,本作は2位の『地球外少年少女』と同列か,あるいはその下という判断をしていた。しかし鑑賞後の余韻に浸る時期を過ぎ,作品の各要素を冷静に分析していく中で,“やはり文句なしに面白い”という結論に至った。緊張感みなぎる試合シーンとエモーショナルな回想シーンの交代,ボールのバウンド音とバッシュのスキール音と劇伴の共演,そして類い稀なるアニメーション表現。それらが混然一体となって観客の心を掻っ攫い,あのラストシュートの瞬間という特異点で“無”を生み出す。持ち味の一つでもあるギャグシーンを削ぎ落としてでも,井上雄彦がやりたかったことがここに示されているのだ。当ブログで重視している「考察」要素は多くないが,この見事なまでの盛り上げ演出は高く評価せざるを得ない。

本作は,TVシリーズ(1993-1996年)からの声優交代騒動に始まり,桜木花道から宮城リョータへの“主役”変更や先述のギャグ要素削減などに関し,コアなファンからの批判も少なからず見られる。しかしこうした事情も,この記事であえて本作を第1位として挙げるきっかけとなった。というのも,ファンの中で作り上げられた作品のイメージを忠実になぞることだけが制作者の使命ではないと考えるからだ。かつて『劇場版シティーハンター 新宿プライベート・アイズ』(2019年)に関して,「ラーメン屋に行ってラーメンを注文したらきちんとラーメンが出てきた」と評されたことがあった。もちろんそうした作品作りの思想もあるだろう。しかし,あえてファンのイメージを壊し,古い作品から新しい価値を引き出す制作思想があってもよい。『THE FIRST SLAM DUNK』という作品はそれに成功している。

過去作品のリメイクはどうあるべきか。それをどう評価すべきか。今回の本作選出には,そうした問題提起の意味も込めている。

 

劇場アニメランキング表

1位:『THE FIRST SLAM DUNK』
2位:『地球外少年少女 前編/後編』
3位:『犬王
4位:『映画ゆるキャン△』
5位:『神々の山嶺』
6位:『かぐや様は告らせたい -ファーストキッスは終わらない-』
7位:『かがみの孤城』
8位:『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM
9位:『夏へのトンネル,さよならの出口』
10位:『すずめの戸締まり』

● その他の鑑賞済み劇場アニメ作品(50音順)
『雨を告げる漂流団地』『永遠の831』『映画 五等分の花嫁』『オッドタクシー イン・ザ・ウッズ』『オネアミスの翼』『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』『君を愛したひとりの僕へ』『グッバイ,ドン・グリーズ』『劇場版 からかい上手の高木さん』『鹿の王』『DEEMO サクラノオト -あなたの奏でた音が,今も響く-』『バブル』『FLEE フリー』『ブルーサーマル』『僕が愛したすべての君へ』『ぼくらのよあけ』『四畳半サマータイムブルース』

 

総合ランキング表

最後に,TVシリーズと劇場版を総合したランキングを紹介しよう。

1位:TVアニメ『平家物語』
2位:TVアニメ『メイドインアビス 烈日の黄金郷』
3位:TVアニメ『サイバーパンク エッジランナーズ
4位:TVアニメ『モブサイコ100 Ⅲ』
5位:劇場アニメ『THE FIRST SLAM DUNK』
6位:劇場アニメ『地球外少年少女 前編/後編』
7位:劇場アニメ『犬王』
8位:TVアニメ『リコリス・リコイル』
9位:劇場アニメ『映画ゆるキャン△』
10位:TVアニメ『かぐや様は告らせたい -ウルトラロマンティック-』
11位:TVアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!
12位:劇場アニメ『神々の山嶺』
13位:劇場アニメ『かぐや様は告らせたい -ファーストキッスは終わらない-』
14位:TVアニメ『サマータイムレンダ』
15位:TVアニメ『SPY×FAMILY』
16位:劇場アニメ『かがみの孤城
17位:劇場アニメ『劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM』
18位:TVアニメ『よふかしのうた
19位:劇場アニメ『夏へのトンネル,さよならの出口』
20位:劇場アニメ『すずめの戸締まり』

 

総評

2022年のTVアニメは,なんと言っても『平家物語』『メイドインアビス 烈日の黄金郷』『サイバーパンク エッジランナーズ』の存在感が大きかった。これらの作品は,単に“面白い”というだけでなく,視聴者に深い考察を促す作品力がある。そして当ブログではそうした作品を高く評価している。また,完全オリジナルアニメとして予想外の盛り上がりを見せた『リコリス・リコイル』も,ストーリーの面白さやキャラクターの魅力だけでなく,オリジナルアニメのポテンシャルを再認識させてくれたという点で高く評価したい。

一方,昨今のTVアニメのクオリティ向上のせいもあってか,劇場アニメの存在感は相対的に低かったように思える。例年,「総合ランキング」では劇場作品が上位を占めるのだが,今年は上位4作品までがTVアニメとなった。そんな中でも,『THE FIRST SLAM DUNK』は大いに健闘したと言える。先述した通り,“過去作品のリメイクの在り方”に一石を投じたという点でも特筆に値する作品である。

もはや単に美麗な作画や贅沢な楽曲だけでは,“劇場版クオリティ”とは言えないのかもしれない。すでにTVアニメの中で,そうしたものが達成されてしまっているからだ。表面的な美しさの根底に,確実に面白い脚本や確かなテーマ性が据えられていない限り,視聴者の足を劇場に運ばせることはできないのかもしれない。そうした意味では,新海誠のような作家は,今一度“脱皮”をするべき時なのではないかとも思う。いや,新海誠だけではない。すべてのアニメ制作者たちが,“劇場アニメ”というものの価値を省みる時なのではないだろうか。

この記事を書きながら観ている「NHK紅白歌合戦」もすでに後半戦に入っている。まもなく2022年も終わろうとしている。来年も優れたアニメ作品に出会えることを祈念しつつ。皆さま,よいお年を。