※このレビューはネタバレを含みます。
作品データ
- 原作:グリッドマン(『電光超人グリッドマン』)
- 監督:雨宮哲
- 脚本:長谷川圭一
- 制作:TRIGGER
(リンクはWikipedia,もしくはアットウィキの記事)
〈2次元インカーネーション〉
3次元の少女が2次元の世界を創造していた。
この驚くべき事実を,最終話のわずか数秒足らずの実写カットが示していた。
この〈2次元インカーネーション〉には2つの重要な意味がある。1つは,『SSSS.GRIDMAN』の世界が,実写で制作されていた『電光超人グリッドマン』の世界とクロスオーバーしていた可能性があるということ。もう1つは,このアニメ作品の鑑賞者は,通常のアニメ鑑賞のように2次元アニメを3次元の現実に読み換えて鑑賞していたのではなく,文字通り〈2次元アニメとして創造された世界〉を観察していたのだという驚くべき事実である。*1 実写原作の作品をアニメ化することから生じるある種の違和感を,むしろ演出の一部にしてしまうという卓越したアイディアだ。
ところで,僕らはすでに〈造物主が自ら創造した世界内に受肉(incarnation)する〉というプロットを“世界一のベストセラー"たる『聖書』の中ですでに知っている。それは文字通り〈肉を得ること〉であり,神のペルソナが〈carnalな(肉体的な;肉欲的な)〉世界に身をやつすということである。
興味深いのは,神の肉体が〈パンと葡萄酒〉というカニバリズム的な消費対象となったばかりか,時として性的な表象にすらなり得たということだ。キリストの身体性のビジュアル的な表象については,岡田温司『キリストの身体』に詳しい。岡田によれば,ロンギヌスの槍によってできたキリストの脇腹の傷は,「そこから信者が彼の身体へと入っていき合体を果たす扉口」 *2 としてイメージされることもあった。また「唇や女性器を連想させるかのように,大きく赤く描かれた」絵画作品も残されている。*3 それゆえ,『SSSS.GRIDMAN』第5話のいわゆる“水着回”においてエロティックに強調されたアカネの身体や同時期に販売された彼女の抱き枕は,制作スタッフの本意ではなかったにせよ,〈受肉〉という最古の物語プロットをなぞっていたことになる。
もちろん,だからと言って『SSSS.GRIDMAN』がキリスト教の伝統に棹差していた,などということはない。むしろ〈受肉〉という伝統的モチーフを換骨奪胎し,3次元の少女が2次元のアニメ世界に受肉するというアクロバティックなプロットを作り上げたところにこの作品の価値がある。それはアニメファンならば誰もが憧れるであろう〈2次元インカーネーション〉であり,すべての人に愛される〈アニメ的美少女〉になるという,現代的楽園世界の創造であった。Blu-ray/DVD第2巻特典のブックレット「SSS.GRIDMAN SPECIAL NOTE VOL.2」に掲載された,キャラクターデザインの坂本勝のインタビューが興味深い。
アカネには,雨宮さんがなりたいイメージが詰まっているんです。「もし自分を女子高生にカスタマイズできるとしたら」ということを何度も話し合って,顔がかわいい,胸が大きいなどフルセットでデザインしたのがアカネなんです*4
だとすれば,アカネという〈神〉の願望は,雨宮哲監督という〈神〉の願望だったと言えるかもしれない。しかしこの願望は彼だけのものではない。もちろん,性差も関係ない。それは,このアニメの最終話を観た者であれば誰もが気づかされるであろう,己の内の願望だ。なぜなら,僕らは皆,アカネと同じように現実の中で満たされぬものを抱え,どこかの異世界に救いを求めたいと願っているからであり,世にアニメ・マンガ・ラノベ等による異世界の表象が溢れれば溢れるほど,そうした願望も増幅していくのだから。
バロックとビー玉
したがってアカネは己を完璧な美少女として“設定”し,誰もが彼女を好きになるという“設定”を作った。ところがこの作品が面白いのは,彼女がおそらく現実世界での何かを象徴しているであろう,様々な歪み―〈汚部屋〉〈割れたメガネ〉〈割れたスマホ画面〉―を抱えたまま受肉生活を送っていることである。
とりわけ〈歪んだ真珠(バロック)〉の象徴は注目に値する。*5 アカネの持つ〈歪んだ真珠〉は,高価だが決定的な歪みを孕むものとして,彼女の内面を表している。一方,裕太の持つ〈ラムネのビー玉〉は真球に近い形状をしており,グリッドマン≒裕太の真っ直ぐな正義感を表している。この対比の表し方も印象的だった。
〈ユガミ〉と〈ヒビ〉を抱えた神が創世した世界は,アレクシスという文字通りの悪以外にも,アカネの管理を超えた様々な要素が入り込む隙のある,未熟な世界だったのである。
戯れる文字
『SSSS.GRIDMAN』の映像には,〈文字〉が溢れている。
映像表現における文字媒体は,それが作品のメッセージを直接担うにせよ担わないにせよ,映像そのものにとってある種の〈余剰〉である。それは視覚という,本質的に感性的な行為に,解読という異質な営為を付随させるからだ。
例えば映画の字幕は,よく知られているように,登場人物の台詞の逐語訳であるどころか,意訳ですらない場合も多い(限られた秒数に文字表現を圧縮しなければならないという技術上の制約がそこにあるのはもちろんである)。鑑賞者は映像表現とは別個に字幕を解読し,オリジナルにはない意味を人物の台詞の上に重ねるという,実にハイブリッドな体験をしている。
とりわけ表意文字は,図像としての装いを纏うことで映像表現の中に溶け込み,そうすることで解読の異質性を隠蔽する。西尾維新の『物語シリーズ』のアニメにおいて画面を埋め尽くす膨大な漢字は,登場人物たちの内面を表したり,台詞そのものをなぞったりしていながらも,およそ一般的な人間の動体視力では追いきれない程の速度で移り変わり,解読を要求しながらもそれを拒否するという二重の仕掛けを潜ませていた。それはメッセージを補助していたというよりは,文字の横溢そのものが1つの演出だったのだと言える。
『SSSS.GRIDMAN』において,しばしばカメラフレームの中に現れては我々の周辺視野の一部を占め,メインビジュアルに絡みつきつつ,無意味に戯れる文字たち。それは正しく,この2次元アニメの世界を創った神=新条アカネにとっての余剰であり,彼女の世界に,彼女の管理が行き届かない綻びが生じる可能性を暗示する不吉な予兆なのだとも解釈できる。
事実,アカネの世界には,「裕太・六花・内海がアカネの思い通りにならない」という決定的な綻びが生じることになる。*6
しかしその綻びが広がり,アカネの世界が崩壊するところから,アカネ自身の〈救い〉が始まるのである。
反転する〈救い〉の物語
そもそも,アカネの受肉譚にはいくつかの転倒があった。まず,アカネはキリストのように悪魔の誘惑に打ち勝つのではなく,自らが悪魔のように裕太を魅惑しようとし,打ち負かされる。さらに,アカネは人類に救いをもたらすのではなく,裕太=グリッドマンに救われる。万能感ではなく,〈ユガミ〉と〈ヒビ〉を抱えて異世界に現れ,魂を救われるというプロット。それはまさしく〈俺TUEEE〉的設定の反転であり,世に氾濫する〈異世界転生モノ〉に飽きた視聴者のカタルシスを満足させる物語だったのだ。
果たしてアカネは,3次元の世界でも救われるのだろうか。
続編制作の予定はない以上,それは『SSSS.GRIDMAN』を観た一人一人が紡ぎ上げていくべき物語である。
【2021年3月29日追記】
2021年4月より関連作品である『SSSS.DYNAZENON』が放映される。2次元と3次元の入り混じった世界の“謎解き"に相当するものが提示されるか,あるいは全く異なる世界設定によって僕らを驚かせてくれるか。
評価
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*1:「コンピュータワールド」が3次元の世界なのか2次元の世界なのか,という問うことはほとんど無意味だろう。その辺りの設定は原作においても『SSSS.GRIDMAN』においても明らかにされておらず,解釈はオープンだからである。純粋な〈情報〉の世界と解釈するのであれば,2次元でも3次元でも構成できる世界,ということになるだろうか。
*2:岡田温司『キリストの身体』p.237,中公新書,2009年
*3:同上,p.239
*4:Blu-ray/DVD第2巻特典ブックレット「SSS.GRIDMAN SPECIAL NOTE VOL.2」p.81
*5:歪んだ真珠や第9話に登場する「マウンテンガリバー5号」などから,アカネが実相寺昭雄のファンだったことがうかがえる。歪んだ真珠に関しては,ウルトラマンダイナの登場怪獣 - Wikipedia内の「バロック怪獣 ブンダー」 の項目を参照
*6:ちなみに第1話と第9話のTV放送において,「消化器」と「April」に関する誤表記があったというエピソードも面白い。アカネ=雨宮の思い通りにならない誤謬の出現だ(この2つの誤表記に関しては,Blu-ray/DVDでは修正されている)。