アニ録ブログ

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「高畑勲展」@東京国立近代美術館レポート:描線に宿るロゴス

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東京国立近代美術館HPより引用 ©2013畑事務所・Studio Ghibli・NDHDMTK

takahata-ten.jp

2018年にこの世を去った高畑勲。この『高畑勲展』は,高畑の遺品から新たに発見された未公開資料を含め,1000点以上の膨大な資料を紹介しながら,彼の緻密かつ豊かな「演出術」の全貌を描き出した展示である。

展示会データ

会場東京国立近代美術館岡山県立美術館へ巡回

会期:【東京】2019年7月2日(火)~10月6日(日) 【岡山】2020年4月10(金)~5月24(日)

チケット:詳細はこちら

その他:一部を除き写真撮影不可。音声ガイド有り(550円。声:中川大志)。音声ガイドには大塚康生,小田部羊一,友永和秀,男鹿和雄,山本二三のインタビューも収録されているのでおすすめ。展覧会図録販売有り(2300円(税込))。その他グッズ販売有り(詳細はこちら)。所要時間の目安は「音声ガイドなし+やや急いで鑑賞」で2時間弱。「音声ガイドあり+じっくり鑑賞」で3時間超。

高畑勲プロフィール

1935年三重県生まれ。1959年に東京大学仏文科を卒業後,同年東映動画(現・東映アニメーション)に入社。その後1968年に『太陽の王子ホルスの大冒険』にて初の長編アニメーション監督を務める。1971年,小田部洋一と宮崎駿らと共にAプロダクションに移籍後,『パンダコパンダ』(1972年)などを演出。再び小田部,宮崎らと共にズイヨー映像に移籍し,『アルプスの少女ハイジ』(1974年),『母をたずねて三千里』(1976年),『赤毛のアン』(1979年)の演出を担当。テレコム・アニメーションフィルムに移籍後,『じゃりン子チエ』(1981-1983年)を監督。宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』(1984年)ではプロデューサーを務める。1985年,スタジオジブリ設立に参画。代表作である『火垂るの墓』(1988年),『おもひでぽろぽろ』(1988年),『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年),『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)の監督を務めた後,14年のブランクを経て『かぐや姫の物語』(2013年)を制作。本作が最後の監督作品となる。2018年4月,死去。

高畑の作品は,派手なアクションなどよりも,日常における人間関係の機微や子どもの自由奔放さなどの卓越した描写が特徴である。『じゃりン子チエ』以降は日本を舞台にした作品作りに傾注し,日本の風景,日本人の表情,日本人の心情を細やかに描き出した作風が特徴となっている。

展示構成

展覧会は以下の4章に分けられ,年代順に作品を紹介する構成になっている。

第1章 出発点ーアニメーション映画への情熱

『安寿と厨子王丸』(1961年)/『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年)/『狼少年ケン』(1963-1965年)/『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年)

第2章 日常生活のよろこびーアニメーションの新たな表現領域を開拓

『パンダコパンダ』『パンダコパンダ雨ふりサーカスの巻』(1972-1973年)/『アルプスの少女ハイジ』(1974年)/『母をたずねて三千里』(1976年)/『赤毛のアン』(1979年)

第3章 日本文化への眼差しー過去と現在の対話

『じゃりン子チエ』(1981年)/『セロ弾きのゴーシュ』(1982年)/『柳川掘割物語』(1987年)/『火垂るの墓』(1988年)/『おもひでぽろぽろ』(1991年)/『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)

第4章 スケッチの躍動ー新たなアニメーションへの挑戦

『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)/『かぐや姫の物語』(2013年)

「絵を描かないアニメ監督」の技

膨大な量のメモや制作ノート。そこに書き込まれた膨大な量の小さな文字。

“アニメ監督の展覧会”という一般的なイメージからはややかけ離れた展示内容に,訪れた人は戸惑いを覚えるかもしれない。しかしガラスケースに収められたこの膨大な手書きの覚え書きこそ,「絵を描かないアニメ監督」と呼ばれた高畑勲の似姿に他ならない。高畑は絵を描かない。にもかかわらず,彼にはクリエーターたちをまとめ,絵と描線に己の思想を込め,ひとつの作品に仕上げる頭脳があった。そしてそれを実現する,才能溢れる同胞たちに恵まれていた。この展示は,高畑という頭脳と,そこに集まった才能たちによる「制作」という名の舞台劇を垣間見せてくれるのだ。

例えば『太陽の王子ホルスの大冒険』では,「民主的な集団制作」を目指すべく,各スタッフに人間関係の図式や制作ノートを配布し,意見を募ったという。これに関する覚え書き等ももちろん展示されている。

また,同じく『ホルス』で作成された「テンション・ノート」も興味深い。これは物語の進行に伴い,ドラマのテンションがどう推移していくかを手描きのグラフで表したものである。

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『「高畑勲展」図録』p.40より引用 ©︎2019 NHKプロモーション,東京国立近代美術館

実はこれと似たものを『君の名は。』(2016年)の新海誠監督も作成している。彼は作品の時系列と観客の「感情グラフ」を視覚化し,脚本執筆に反映させていたという。

kai-you.net

草創期のトップクリエーターと現代のトップクリエーターが同様の手法をとっているというのも大変面白い事実である。 

描線に宿るロゴス

他にも見所の多い本展示だが,高畑の「演出術」の真髄に触れているのは,やはり「第4章 スケッチの躍動」ではないかと僕は思う。1999年の『ホーホケキョ となりの山田くん』で,高畑は手描きの描線の風味を活かし,キャラクターと美術を水彩画風に描画する方法に挑んでいる。デジタル技術を全面的に導入することで,省略と余白を大胆に活用しながらも計算された絵作りを実現し,観る者の想像力を喚起する作品に仕上げている。

こうした技法がさらに深化したのが,遺作となった『かぐや姫の物語』だ。手描き線の「肥瘦」をそのまま残し(あるいは誇張し),まるでラフスケッチをそのまま動かしたかのようなアニメーション。この脈動する線の中に,高畑勲という人物の思想がぎっしり詰め込まれているように僕は思う。

高畑は『かぐや姫の物語』の映像表現に関して,以下のように述べている。

エスキス=スケッチ,すなわち活写。対象をいま,この瞬間,捉えようとしている。まだ完結していない,その行為の緊張と熱気。対象に向かっているときの初々しい心の鼓動。それが,見る側にも乗り移って,描かれたスケッチから,その裏側・奥にある対象そのものを想像しよう,記憶を探ろう,能動的に読み取ろう,要するに実感しよう,という気持ちを見る人の心に呼び覚ます。*1

周知の通り,『かぐや姫の物語』は興行的には振るわなかった作品だ。宮崎駿の諸作品と比べ,“官能的魅力”に乏しいからかもしれない。しかし僕は2013年の上映当時から,この作品の不思議な魅力に取り憑かれてきた。これまでその魅力をなかなか分析できないでいたのだが,本展示を観ることで,その幾ばくかが理解できたように思う。

結局,「絵を描かない」ことは,高畑にとってマイナスではなかったのだろう。いやむしろ,彼の作品にとってはプラスに働いたのではないか。

〈絵で語る〉というよりは〈言葉を絵にする〉。このことが彼のいくつかの作品をとっつきにくい印象にしているのかもしれない。しかしこのことこそが,感覚的・刹那的な“消費”に陥らない,豊穣な魅力を彼の作品に与えているのかもしれないのだ。

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『アルプスの少女ハイジ』のジオラマ。このコーナーのみ写真撮影が可能。

 

*1:『ジ・アート・オブ かぐや姫の物語』徳間書店,2013年(「高畑勲展」図録 p.196からの孫引き)