アニ録ブログ

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劇場アニメ『HELLO WORLD』(2019年)レビュー:現実≒「現実」≒「「現実」」…

*このレビューはネタバレを含みます。また,ダニエル・F・ガロイ『模造世界』及びライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『あやつり糸の世界』の内容にも触れていますのでご注意下さい。

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公式HPより引用 @2019「HELLO WORLD」製作委員会

hello-world-movie.com

『ソードアート・オンライン』シリーズ(2012年〜)の伊藤智彦が監督を務めるオリジナルアニメ。脚本は『正解するカド』(2017年)の野﨑まど,キャラクターデザインは『らき☆すた』(2007年)や『けいおん!』シリーズ(2009〜2010年)の堀口悠紀子,制作は『楽園追放 -Expelled from Paradise-』(2014年)のグラフィニカという座組だけあって,非常にクオリティの高い純SFアニメ映画に仕上がっている。 

 

作品データ

(リンクはWikipedia,もしくはアットウィキの記事)

時は2027年の近未来。京都に住む堅書直実は,内気で目立たず,クラスメートからも注目されない平凡な高校生である。ある日,彼の前に10年後の未来の自分を名乗るカタガキナオミが姿を現し,直実の世界が「アルタラ」と呼ばれる記録装置の中に再現された過去の仮想世界であることを告げる。ナオミによれば,現実世界では彼とクラスメートの一行瑠璃が恋人同士になるが,瑠璃は花火大会でのデートの際中に落雷に遭って命を落としてしまう。そこで彼は,仮想世界の中で事故を回避して未来を変え,彼女の幸せな姿を目にしたいと願い,直実に助力を求めに来たのである。かくして,瑠璃との幸せな未来を勝ち取るべく,直実とナオミの奇妙なバディが誕生するのだった。

3DCG描画が語る世界観

本作でまず目を引くのは3DCGによる作画の完成度だ。堀口悠紀子のデザインの柔らかさを非常にうまく再現しており,3DCGの表現もここまで来たかと唸らせるものがある。映像制作のグラフィニカと言えば,『楽園追放-Expelled from Paradise-』(2014年)の主人公「アンジェラ・バルザック」の魅力的なキャラクターを3DCGによって見事に表現していたことが記憶に新しい。

rakuen-tsuiho.com

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しかしだからと言って,『HELLO WORLD』における3DCG描画が,いわゆる2Dの手描き描画とまったく同等かと言えばそうではない。やはりキャラクターの動きには3DCG特有の僅かな不自然さが残る。〈手書き描画=自然〉という知覚訓練を受けてきた僕らの網膜が捉える,ほんの僅かな違和。優れた技術を駆使して手書き描画に近づこうとすればするほど,あの〈不気味の谷〉の残り香のようなものが僅かに鼻をついてくるーーこれが現時点での3DCG描画の宿命と言えるかもしれない。

そしてーー伊藤やグラフィニカがこれをどこまで計算していたかは不明だがーーこの〈僅かな不自然さ〉こそ,この作品世界の本質をうまく描き出していたように思うのだ。

“未来”から来たナオミは,物語のかなり早い段階で,直実の世界がアルタラ内の「記録世界」であることを告げる。このシーン以降,観客もこの世界がデータによる仮想世界であることを知りながら物語世界を観測することになる。直実が“仮想世界という現実”をどんなに素直に受け入れようとも,直実とナオミのバディがどれだけコミカルに見えようとも,そして仮想世界がどれだけ現実世界に酷似していてもーーあるいはそれ故にーー世界に内在していた〈僅かな不自然さ〉が顕在化してくるのだ。

3DCGによる〈僅かな不自然さ〉は,〈現実からの僅かな乖離〉として鑑賞者に知覚されることになるだろう。現実に限りなく近似しているが,完全に等価ではない世界,つまり文字通りのVirtual Reality。これ以上に,『HELLO WORLD』という作品世界の描写に適した媒体はないのだ。

〈リアル≒ヴァーチャル〉という問題提起の系譜

『HELLO WORLD』は,伊藤の“古巣”である『ソードアート・オンライン』シリーズの他,後述する『模造世界』と『あやつり糸の世界』,『マトリックス』(1999年),『ゼーガペイン』(2006年),『インセプション』(2010年)など,これまで〈現実か,仮想現実か〉という問題提起をした作品系譜に名を列ねる作品であると言える。それだけに,一定の鑑賞経験がある人にとっては少なからず“既視感”のつきまとう作品なのだが,にもかかわらず一級のエンターテインメント作品に仕上がっているのは,伊藤の制作能力と野﨑の脚本力に拠るところが大きいだろう。

いずれにせよ,こうした問題提起の系統に列なる作品を論じるにあたって,その作品だけを個別に扱うのは本来得策ではない。もちろん『HELLO WORLD』という作品が単体として優れた作品であることは間違いないのだが,同じ問題系内にある過去の作品と照らし合わせることで,この作品をより大きな視野で捉え,新たな魅力を見出すことができるのも確かなのである。

〈創造〉と〈被創造〉の間で

実はナオミはアルタラコントロールセンターの研究員であり,システム管理メインディレクターに昇進後,密かに自分の意識を記録世界に転移する実験を行なっていた。彼の真の目的は,記録世界における瑠璃の精神データを“現実世界”に転移し,脳死状態になったルリを蘇生すること。彼は直実を謀り,瑠璃の精神データの奪取に成功するが,そこにアルタラの自動修復システムである「狐面」が登場したことにより,ナオミは自分が“現実”と認識していた世界もまた記録世界であったことに気づき驚愕する。「ラスト1秒」では,瑠璃を蘇生すべくナオミが着手していたすべての行動が,実は瑠璃がナオミを蘇生するために実行していたプログラムであったことが明かされ,「セカイはひっくり返る」。

おそらく直接の影響関係はないだろうが,このような現実と仮想現実の入れ子構造は,ダニエル・F・ガロイの小説『模造世界』(1964年),およびこの小説を原作とするライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督のTVドラマ『あやつり糸の世界』(1973年)のそれと類似している。あらすじを追ってみよう。

「サイバネティック未来予測研究所」のフォルマー博士は,スーパーコンピュータによって仮構の世界を作り上げ,9000以上もの仮想人類を住まわせていた。彼らは自分たちがコンピュータシミュレーションであることを知らずに生活しているが,「アインシュタイン」という名の「連絡個体」だけはすべてがシミュレーションであることを知っており,高次世界である“現実世界”と意思疎通を図ることができた。ある日,フォルマー教授が謎の死を遂げる。彼は死の直前,ある重大な秘密を知ったことを同僚のラウゼに知らせていた。ラウゼはフォルマーの後任となったシュティラーに秘密を告げようとするも,忽然と姿を消してしまう。そんな中,仮想世界の個体が自殺を図ったことを知ったシュティラーは,「アインシュタイン」と連絡をとるのだが,そこで恐るべき事実を知ることになる。彼が“現実世界”だと思っていた世界は実は仮想世界であり,より高次の“現実世界”が存在していたというのだ。

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この物語のポイントは,単に「現実世界が仮想世界であることが発覚する」ということ自体にあるのではなく,それ以前に「人間が完全な仮想世界を創造している」という点にある。つまり,己を創造主だと思っていた人間が,実は被造物であったという痛烈なアイロニーがここには含まれているのだ。

仮想世界の創造主として万能感を得れば得るほど,自分の世界も高次元の存在による被造物なのではないかという疑念に苛まれる。“現実世界”の絶対性は決定的に揺るがされる。このSF設定は,人間の実存的不安を大いに掻き立てる効果を持っていると言えよう。科学理論を発達させ,ダーウィニズム的進化論で創造論を駆逐した人類が,やがて再び創造論に回帰する未来を暗示しているかのようでもある。

『HELLO WORLD』の世界も,こうした〈現実世界の相対化〉という問題提起の上に成り立っている。

この物語は「「ルリを救うナオミ」を救うルリ」という結末で終わりを迎える。しかしナオミが目を覚ました月面の世界が,本当に“現実”の世界である保証はどこにもない。2人の救いの構造は,「「「ルリを救うナオミ」を救うルリ」を救うナオミ」,さらには「「「「ルリを救うナオミ」を救うルリ」を救うナオミ」を救うルリ」といった具合に,無限に延長される可能性を内包してしまっているのだ。その意味で,この映画はハッピーエンドのラブストーリーという装いを纏いながら,人間の実存に極めて不安な問題提起をしている。映画という“ピリオド”を含む媒体であるが故に,視聴者に対して見た目上の救いがもたらされたに過ぎないのだ。こうして,“現実”は完全に相対化される。

HELLO WORLD

しかし,伊藤の思い描く仮想現実の未来は,そう暗澹たるものではないらしい。

現実は仮想現実かもしれない。この作品は現実認識をペンディングにしたままに唐突に終わってしまう。しかしそんな世界にも,唯一はっきりとしていることがある。それは,最後に直実と瑠璃が降り立った仮想世界が,「あたらしい世界」として誕生したという事実だ。直実と瑠璃は,この世界が作り物の世界であることを知りながらも,幸せに暮らしていくことになるだろう。その姿はあたかも神によって作られたアダムとイヴのようでもある。ひょっとしたら,彼らの世界はナオミとルリの住う月面の世界よりも幸福かもしれないのだ。

現実と仮想現実の関係が相対的なものだとすれば,仮想世界が現実世界と同じ,あるいはそれ以上の価値を持つこともありうるかもしれない。その時,僕らは世界創造の営みに満足した神のように,安らかな眠りにつくのかもしれない。

最後に,『HELLO WORLD』の世界の創造主たる伊藤智彦の言を引いて締めくくることにしよう。

例えば,『マトリックス』(99)が公開された20年前なら「お前の生きるこの世界は仮想世界なんだ」と言われると,ものすごいショックがあったと思うんですよ。でも,2020年代に向けた今では,それほどショックを受けないんじゃないかと。「じゃあ,しょうがないか」と言って,その世界でつましく暮らす選択もありうる。そういう主人公の方が今っぽいなと感じたし,俺もわりとそのタイプの 人間なんです(笑)。『マトリックス』の現実世界のようなディストピアなら,あえてそんな世界に戻らなくてもいいでしょうと。仮想世界で毎日が楽しく暮らせるなら,それはそれで別に構わない。もっと言ってしまえば,今のこの世界が現実世界であると担保するものだって何もないわけです(笑)。*1 

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
4 4.5 5 4
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
3 4 4
独自性 普遍性 平均
3.5 4.0 4.0
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

HELLO WORLD (集英社文庫)

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映画  HELLO WORLD 公式ビジュアルガイド

映画 HELLO WORLD 公式ビジュアルガイド

 

 

*1:劇場版プログラム「Staff Interview」より。