*このレビューはネタバレを含みます。
吾峠呼世晴の同名コミックスが原作。『空の境界』(2013年)や『Fate』シリーズのufotableが制作を手がけたとあり,放送前からそのクオリティが期待されていた作品である。また『テイルズ オブ シリーズ』でタッグを組んだ外崎春雄と松島晃がそれぞれ監督とキャラクターデザイン・総作画監督を務めたほか,撮影監督の寺尾優一が最終26話の絵コンテ・演出・原画に参加するなど,制作陣の座組においても注目に値する作品だ。総じて,コミックス原作アニメ化の現時点での“極北”となり得たと言っても過言ではないだろう。
作品データ
(リンクはWikipedia,もしくはアットウィキの記事)
時は大正時代。亡き父の跡を継いで炭焼きの仕事をする竈門炭治郎は,家族とともに貧しいながらも仲睦まじく幸せな暮らしを送っていた。そんなある日,炭売りから帰った炭治郎は,鬼に斬殺された家族たちの無残な姿を目にする。唯一命をとりとめた妹の禰豆子も鬼と化し,炭治郎に襲いかかるが,冨岡義勇と名乗る青年に助けられる。炭治郎は冨岡の導きにより,鬼と化した禰豆子を連れ,鱗滝左近次という人物の元を訪れる。鱗滝の元で修行を積んだ炭治郎は,やがて選抜試験に合格して「鬼殺隊」の一員となり,鬼を退治しながら妹を人間に戻す方法を探し求めて旅に出る。
キャラ立ちの妙
吾峠の原作の魅力は,なんと言ってもキャラクターの関係性と内面の描き方にある。
まず主人公とヒロイン・禰豆子の関係を兄妹にしたことにより,ややもすると陥りがちな〈ボーイミーツガール〉のテンプレ反復を回避している。これは男の子が主人公の少年マンガとしては過小評価すべきでない判断だろう。また,ヒロインの妹を「鬼」化したことで,これまたありがちな〈妹萌え〉というテンプレに対して一定の距離を置きながら〈萌えキャラ〉を描くことに成功している。炭治郎は単に「可愛い妹を守る」という一面的なキャラクター造形ではなくなり,視聴者は「可愛い妹だから守る→でも鬼だから守らなくても大丈夫→でも可愛い」という炭治郎の心理の起伏を追体験することができる。
このように,禰豆子というキャラクターは“戦闘美少女”の系譜を継ぎながらも,その典型からは微妙な距離をとる。一見シンプルな登場人物に,テンプレートに対する批判的な意味を持たせたことは,キャラクター造形に対する吾峠のすぐれた臭覚のなせる技と言えるだろう。
さらに主人公の宿敵である「鬼」を完全に敵側に外在させるのではなく,主人公側に取り込むことで,鬼に対する〈慈悲〉という心性を主人公に与え,勧善懲悪を超えた深みをキャラクターに付与することに成功している。やがてこの〈慈悲〉の心は,「鬼と仲良くしたい」という胡蝶しのぶの夢と合流することになり,本作の通奏低音となっていくことだろう。
サブキャラクターである我妻善逸と嘴平伊之助との掛け合いもすばらしく面白い。それぞれがボケにもツッコミにもなれるほどの濃いキャラがトリオを結成することで,悲痛になりがちな物語に陽の差したような暖かみが生まれる。長編マンガには必須の要素だ。
ところで,こうした人間関係や内面の機微を描くに当たって,アニメの構成を全26話にしたことは正しい判断だったと言える。途中やや展開の遅さに違和感を覚えたところがあったものの,アクションシーンに偏ったり筋の展開に焦りすぎたりせず,キャラクターの描写を丁寧に行ったのはufotable脚本の大きな功績である。
輪郭線の力:2Dと3Dのコラボレーション
そして本作のアニメ化において,人物や戦闘シーンの作画のユニークさが際立っていたことは言うまでもない。
3D空間を存分に活用し,人物が縦横無尽に飛び交う戦闘シーンは,すでにufotable自家薬籠中の物と言ってよいだろう。これに対し「水の呼吸」を用いた際の水の描写や人物の輪郭線などは,意図的にマンガ的・2D的に表現しており,原作そのものへのリスペクトと同時に,マンガという表現媒体へのリスペクトも示しているように思える。
とりわけ人物の輪郭線の描き方は独特だ。吾峠の原作以上に太い輪郭線によって〈手描き〉であることを強調し,原作の持つ〈マンガ性〉をさらに際立たせている。例えばキャラクターデザインの松島によれば,第一話「残酷」において冨岡義勇が「生殺与奪の[…]」と叫ぶシーンでは,印象を強くするために線を太くしたり影を加えたりしたという。*1
輪郭線そのものに,単にキャラクターと背景および色彩面どうしを隔てる役割だけでなく,独自の存在感を持たせ,それ自体を1つの表現にしている。ここまで手描き風の主線を強調すれば,当然,ufotableお得意の緻密な背景美術と何らかの齟齬が生じる可能性もあるだろう。監督の外崎によれば,「キャラクターと同様に『背景も主線を出していきたい』という話」を背景スタッフとしたらしい。本来であれば3DCGで描く空や雲も,あえて「アナログの手描きを大切にして」いるのだという。*2 こうした綿密な調整によって,キャラクターと背景美術の調和がとられているのだ。
こうした主線の描き方について,キャラクターデザインの松島は次のように述べている。
漫画家の方が描く線のイメージがありました。インクをつけたペンで線を引くと,線の中にインクだまりができますよね。曲線を引くと曲がるところで太くなり,線の終わりで細くなる。均等な太さにするのではなく,「トメ」「ハライ」がある線を,今回のアニメでは描きたいと思っていました。*3
主線に“面の分割”という抽象的な機能以外の独自の存在感を付与するという技法は,高畑勲の後期作品を思わせる。高畑は味気のない「アニメ的な線」を嫌い,遺作となった『かぐや姫の物語』(2013年)では,ラフスケッチをそのままアニメーションにしたかのような独特な描線を用いていた。
おそらく高畑と松島の間には直接的な影響関係はないだろう。しかし直接的な影響関係のないところに生まれる共通の価値認識に,ある種の〈文化的無意識〉のようなものの作用を認識できるのが,文化表現の面白いところなのではないかと僕は思う。
“空気”を描写する劇伴
さらにこのアニメ化の重要な要素に,梶浦由紀と椎名豪による劇伴がある。梶浦が第1話と第2話に使用されたメインテーマを担当し,それ以降の話数では,椎名が全話フィルムスコアリング(完成した映像に合わせて楽曲を作成する技法)で楽曲制作をしているという。『月刊ニュータイプ』7月号掲載のインタビューによれば,第十八話までの時点で300曲(ボツを含めると600曲)を制作したというから,途方もない作業量である。 *4
映像と綿蜜に擦り合わされた梶浦と椎名の劇伴は,原作の描写に潜在していたある種の空気感のようなものを顕在化させている。例えば,第二十四話「機能回復訓練」がわかりやすい。前半は炭治郎,善逸,伊之助のトリオによるコメディタッチのシーンが大半を占め,後半は胡蝶しのぶが炭治郎に心情吐露をするシーンが中心である。マンガ原作では,この前半と後半の空気感が連続しており,こうしたコメディシーンとシリアスシーンのシームレス感こそがいわば吾峠の持ち味とも言える。一方,アニメでは前半のコメディーシーンにコミカルタッチの音楽を,後半のシリアスシーンにはしっとりとした音楽を伴わせることで,両者のコントラストを明確にしている。
もちろん,このような劇伴による演出はコミックス原作のアニメ化においては当然の作業ではある。しかし先ほども述べた,フィルムスコアリングによる繊細な劇伴の挿入は,カラッとした昼の描写から幻想的な夜の描写の変化とも相まって,前後半の空気感の絶妙な変化を描き出しており,結果として胡蝶しのぶというキャラクターの掘り下げにも寄与しているように思える。
「ヒノカミ」
そして,〈キャラ立ち〉〈手描き風の描画〉〈劇伴〉のすべての要素が凝縮されていたのが,第十九話「ヒノカミ」の戦闘シーンであった。
幼少時代の回想シーンとともに劇伴「炭治郎の歌」が挿入され,父の「ヒノカミ神楽」の舞いが始まる。炭治郎が「ヒノカミ神楽」で技をくり広げると同時に劇伴が盛り上がり,禰豆子が「爆血」で援護する。TVシリーズでここまで完璧な連携技を観られることはそう多くない。しかもこのシーンの敵方であった「累」は,「十二鬼月」であるとは言え「下弦の伍」。中ボスとすら言えない敵である上に,最終的に炭治郎は勝利しているわけではない。そのシーンにこれだけの技術を投入するのは贅沢至極としか言いようがない。このような贅沢な画作りに,寺尾優一の撮影技術が大きく貢献していることは想像に難くない。
さて,「炎柱」煉獄杏寿郎の活躍を描く「無限列車編」が,劇場版として制作されることが最終話放送直後に発表された。すでにTVシリーズにして通常の劇場版クオリティを完全にクリアしている本作をグレードアップしたらどうなるか,まったく想像もつかない。僕を含め,多くの人がすでに原作で「無限列車編」の結末を知っていることと思うが,おそらくufotableはそんな僕らの想像をはるかに超えた映像を創り出してくれることだろう。大いに期待したい。
2020年10月29日(木)追記:『無限列車編』のレビューについては以下の記事を参照。
作品評価