*このレビューは『Fate/stay night』『化物語』『氷菓』に関する内容に触れています。気になる方は本編をご覧になってから本記事をお読み下さい。
ジャック・ラカンによれば,精神分析治療を受ける患者は,分析プロセスの中で,治療者が自分の秘密(無意識の中ですでに自分が知っていること)を知り尽くした“全知全能の存在”であるかのように感じるようになる。いわば自分の知を治療者(大文字の他者)の知へと置き換えるわけだ。ラカンは分析治療におけるこうした分析家の立ち位置を表すために「知を想定された主体」という概念を導入し,患者が治療者に対して行う「転移」(治療者に対して恋愛,尊敬,好感,あるいは逆に反感,嫌悪の感情を抱くこと)の中心にある現象とみなした。
おそらく世界でもっともユニークなラカン研究者であるスラヴォイ・ジジェクは,この〈知を想定された主体〉の大衆文化における実例を『刑事コロンボ』(1968〜2003年)のコロンボ刑事の中に見出している。
犯行現場を訪れ,犯人に出会った瞬間,彼は絶対的確信を得る。犯人がそれをやったのだということを,彼はたんに知っている。彼はその後,「誰がやったのか」という謎を解くためではなく,犯人の罪をいかにして犯人に証明するかをめぐって,努力するのである。*1
我々がコロンボに第一に求めるのは,論理的な推論能力というよりは,端的に“知っている”という事実である。彼がそのような権能を持っているからこそ,犯人役の大物俳優と比較してはるかに見劣りするその風貌にもかかわらず,彼を一種の異能者として敬愛するのだ。
このコロンボにも見られるように,〈知を想定された主体〉はキャラ設定として大変魅力的であり,ゲームやアニメにもその変種がいくつも登場する。以下,いくつかの作品における類型を見ていこう。
『Fate/stay night』言峰綺礼
『Fate/stay night』(ゲーム版:2004年〜,アニメ版:2006年〜)の言峰綺礼は,深淵のように深みのある中田譲治の演技とも相まって,終始“何か知っていそうな不気味な男”として描かれる。このキャラクターを決定付けているのが,物語冒頭で彼が衛宮士郎に投げかける不吉な言葉である。
喜べ少年,君の願いは,ようやく叶う。*2
この「願い」とは,士郎が“正義の味方”になるために必要な“敵”の存在である。人が正義であるためには,敵としての悪の存在がなければならない。そう綺礼に告げられた士郎は内心で激しく動揺する。
その言葉は,自分でも気づいていなかった,衛宮士郎の本心ではなかったか。*3
士郎は自分でも気付かないうちに敵の存在を欲望している。平凡な日常から血で血を洗う聖杯戦争に身を投じた彼は,ようやく自らを“正義”として同定するための敵=悪を手にした。“正義が悪の存在を喜ぶ”という,士郎の内面に潜む大いなる矛盾を,言峰綺礼は初対面で事もなげに見抜いたのである。これ以降,綺礼は士郎や凛たち登場人物にとって,強力な〈知を想定された主体〉として立ちはだかる。
しかしこのキャラクターが面白いのは,紛れもない“悪役”であるにもかかわらず,(少なくとも物語終盤までは)主人公たちに憎悪されているわけではないという点だ。彼は「聖杯戦争」の監督役として時に士郎たちに頼られ,相談を受けることもある。凛は綺礼との関係を腐れ縁とみなしながらも,兄弟子としてどこか家族のような親密さを覚えている。常に何かを知っていそうな〈知を想定された主体〉として現れることで,単なる悪として断罪することが先送りにされるという,特異なキャラクターなのである。
そしてこのようなキャラクター設定は,おそらくプレイヤーに対しても作用している。言峰綺礼が悪役でありながらも一定の人気を誇っているのもその証拠であろう。
『化物語』忍野メメ
『化物語』(2009年)の忍野メメは,怪異のスペシャリストとして,様々な怪異に悩まされる阿良々木暦らにとって常に“何か知っていそうな男”として現れる。金髪,アロハシャツ,サンダルという出たちはさながら安いチンピラのようだが,なんだかんだと暦たちの助けることを厭わないお人好しキャラである。櫻井孝宏の味のある演技もあって,この物語中もっとも愛されるキャラクターの1人だ。
忍野メメは,ここに挙げた類型の中でも,もっとも実際の精神分析家に近い。
ラカン派の精神分析では,患者はしばしば「分析主体」と呼ばれる。本質的に「分析=治療」という行為を実践するのは,分析家ではなく,治療を受ける側の主体と考えられるからである。忍野メメはこの考え方を端的に表す言葉を口癖にしている。
助ける?そりゃ無理だ。君が勝手に一人で助かるだけだよ。
忍野メメは,何かの特殊能力を発揮して怪異を直接退治するわけではない。あくまでも,本人の意志に寄り添ってそれを補助するだけであり,「助ける」ではなく「勝手に助かる」だけだというのだ。これはひょっとすると,怪異に振り回される暦たち若者に,主体的な生き方を望む忍野の“親心”の現れかもしれない。忍野メメに父や兄のような親近感を抱く視聴者も少なくないだろう。だからこそ,彼が突如として姿を消した時には,登場人物たちと同じくらいの喪失感を抱いてしまうのだ。
『氷菓』折木奉太郎
『氷菓』(2012年)は,〈転移〉の瞬間を京都アニメーションならではの美麗なタッチで描いた作品として特筆に値する。
第1話冒頭,「好奇心の亡者」千反田えるは,自分が部室に閉じ込められていた事実を知るや初対面の折木奉太郎に詰め寄り,その理由を一緒に考えるよう懇願する。アニメはこのシーンを原作よりもはるかにシンボリックに演出しており,えるが直感で奉太郎を〈知を想定された主体〉として見出す様子を生き生きと描き出している。
この時,えるは奉太郎と初対面であり,彼に卓越した推理能力があるという事実を知るはずがない。したがってこれはアニメ的な“嘘”なのだが,人が一瞬で他者を〈知を想定された主体〉と認識し,合理的判断を超えて〈転移〉していく様をこれほどまでにドラマチックに描いた作品もないだろう。
その後えるは,幼稚園の時に叔父に聞き,その後忘れたままになっていた「古典部にまつわる何か」を探るよう奉太郎に依頼する。渋々了承した奉太郎は,持ち前の推理能力を活かして古典部と「カンヤ祭」の謎を解き,えるの幼少期の記憶を事後的に再構成することにも成功する。
この“疑似精神分析”的な関係によって2人の間に生まれた奇妙な信頼関係が,この作品の大きな見所であることは言うまでもない。
そしてこの物語にはもう1人の〈知を想定された主体〉がいる。奉太郎の姉・供恵だ。供恵は合気道を嗜む豪胆な女性であり,物語当時は世界を放浪し,日本にはいない。にもかかわらず,奉太郎が古典部の秘密の推理に頭を悩ませている時には,まるで見透かしたかのようにエアメールや電話でヒントを与えてくる。
えるが奉太郎に,奉太郎が供恵に知を想定する。このような二重の関係性がこの物語のキャラクター相関図を奥深いものにしていると言ってよい。
アニメ・マンガ・ゲームにおける〈知を想定された主体〉の魅力は,登場人物の〈転移〉に対して視聴者やプレイヤーが感情移入できる点にあると言えるかもしれない。だとすれば,僕らが物語の中に〈知を想定された主体〉を求めるのはどうしてか。現代のキャラクター分析にとって,興味深い問題提起となるかもしれない。
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