現在,アニメーターとして第一線で活躍する西位輝実。彼女が語る「アニメの仕事」は,彼ら/彼女らが作るアニメそのものほどキラキラとしたものではない。現代のアニメ制作の暗部を語る貴重な証言でもある本書は,これから業界に入ろうとする人だけでなく,すでに業界に身を置く人,そしてアニメを愛好するすべての人にとって必読の一冊だ。
「動画は下積み」ではない!
2019年に開催された「平成30年度メディア芸術連携促進事業 研究プロジェクト 活動報告シンポジウム」の 「アニメーター実態調査」(一般社団法人 日本アニメーター・演出協会(JAniCA)が実施)によると,2018年時点での動画職の平均年収は125万円であり,監督等を含めた全職種の平均441万円を大きく下回る。この数字は,制作現場における「動画」作業への評価が決して高くないことを表している。また動画職は,アニメーターを始めたばかりの新人が担当することも多いことから,“動画=下積み”というイメージが一般にも広まっている。
西位はこれをきっぱりと否定する。
新人が任される仕事ではあっても,決して素人の仕事ではない *1
動画の仕事ってもっと評価されるべきだと思うんだ *2
僕が本書でもっとも共感したセリフだ。
言うまでもなく,アニメーションの本質とは“絵を動かす”ということである。とりわけ日本のアニメーションは,予算との兼ね合いもあって,海外とは違う独自の動画技術を発達させた歴史がある。3DCGやAIによる自動中割り技術の導入によって,やがてはその作業内容が変質していくとは言え,動画が日本アニメのアイデンティティであることに変わりはない。にもかかわらず,動画が“原画に上るまでの下積み”と捉えられていることに,個人的にも大きな違和感があった。西位のような問題提起をしてくれる人が業界内にいることがわかったことは,本書を読んだ大きな成果だった。
もちろん西位だけではないだろう。多くの制作者が動画職に対する不当な過小評価を問題視しているはずだ。作業内容に対する評価と,報酬による評価とが釣り合っていない。この業界の構造的な問題をはっきりと露呈している事態である。
テクニカル・タームのスキマにある真実
最近はアニメ関連の書籍も増えてきたので,「原画」「動画」はもちろん,「一原」「二原」など,かなり突っ込んだ専門用語もポピュラーになっている。*3 しかし西位が『アニメーターの仕事がわかる本』で語るのは,そうした用語で説明されるシステマチックな制作フローばかりではない。「二原撒き」「一原描き逃げ」「拘束費」など,用語集などには掲載されないが,アニメーターが日常的に使っているジャーゴン。これらには,専門用語だけでは決して語ることのできない,制作現場の生々しい現実が反映されている。
例えば「一原描き逃げ」について,西位は「第一原画を低いクオリティで描き飛ばして逃げ切っちゃう原画マン」*4 と説明し,「総作監制」によってスケジュールが逼迫したことにその原因を見ている。当然,「描き逃げ」はいわゆる「作画崩壊」につながり,作品全体の質も評価も下がっていく。ちなみにこの「一原描き逃げ」については,TVアニメ『SHIROBAKO』の中でも,制作の平岡の“闇堕ち”の原因となったエピソードとして描かれている。
僕らはアニメを鑑賞しながら“作画崩壊”という言葉をカジュアルに連呼するが,その背後にある構造的な問題に目を向けた時,単なるアクシデント以上に根深い問題が見えてくる。
技術低下のスパイラル
この「一原描き逃げ」とも関係することだが,僕がこの本を読んで一番ショックだったのは,日本のアニメーターの技術力の低下に関する話だ。現在,アニメーターの多くは出来高制のフリーランスであり,原画職であれば「1カット当たり4000円」(相場平均)などのギャランティになる。業界全体のスケジュールや予算の逼迫から,ここに極めて深刻な悪循環が生じるのだ。
出来高制である以上,丁寧にやればやるほど時給は下がるし,ギャラ相応の描き飛ばしをする人がいれば,まったく不相応な額でその修正を任される人が出てくる。結果,技術とやる気がある人に負担が集中して,上手い人から使い潰されて辞めていくというのが現状で……*5
僕らは日本のアニメーターに関して,“何だかんだ言って技術力は世界一”という実に漠然としたイメージを持っている。しかし今,この“日本のアニメーター世界一”神話が崩壊しつつある。かつて1970年代以降,日本のアニメがもてはやされたのは,“安くて面白い”からであった。しかし考えてみれば,低価格と高品質がそううまく両立するはずがないのだ。
本書には,フランス出身・日本在住のクリエイターであるロマン・トマ氏のインタビューも掲載されている。彼は,初めて来日した際の失望感を次のように述べている。
僕は来日するまで「日本のアニメーターはみんな宮﨑駿みたいな天才なんだ」と思っていましたけど,現実は違った。確かに天才もいるけれど,普通の人もいる。そして,残念ですがレベルが低い人もたくさんいます。*6
実にショッキングな感想だ。世界から見ても,日本のアニメーターのレベルはもはや決して高くはない。西位はこうした事態に関して「業界に入る時点で,最低限でもいいから実力の線引きができる検定みたいなもの」*7 を提案しているが,これは名案だ。現場に投げっぱなしにするのではなく,業界全体が制作者のスキルを把握し,育成していくシステムが絶対に必要だ。
“光”の世界へ
現在,劇場版が上映中の『SHIROBAKO』は,アニメ制作現場の艱難をリアルに描いた作品として知られる。しかし,それでもあの作品の世界は「光の世界」だと言う人がいるらしい。主人公の宮森あおいは制作として有能なスキルを持ち,アニメーターたちは試行錯誤しながらもきちんと仕事を仕上げ,何だかんだで納期には間に合い,最後にはみんなが笑顔になる。確かに「光」だ。
だとすれば,西位が語る世界は「闇の世界」ということになるだろうか。
僕は少し違うと思う。確かに西位は本書でアニメ業界の“闇”を語った。しかし,彼女が業界の暗部を晒すのは,少しでも“闇”に“光”が差すことを願っているからだろう。キラキラと目を輝かせる『SHIROBAKO』の登場人物のような人たちが,1人でも多く増えてほしいと願うからだろう。そうでなければ,彼女が業界に身を置きながら本書を認めることはなかったはずなのだから。
とにかく,私にできるのは「アニメ業界」というい名の混沌の地,そこを手探りでどうにか歩いていけるように地図を広げることくらい。実際に足を踏み出すかどうかを決めるのは本人だし,戦っていくための武器だって,自分の力で手に入れてもらわないといけない。
そしてその武器となるものといえば……やっぱり「アニメーターとして絵を描く力」なんだと思うな。*8
こう締めくくる彼女がアニメ業界に求めている世界は,紛れもなく“光”の世界だ。日本アニメが光り輝き続けるためには,アニメーター一人一人の技術力が不可欠だ。西位のような優れたクリエーター(あえてそう呼ばせてもらおう)が第一線で活躍し,本書のような問題提起をし続けてくれる限り,いずれ“光の世界”は訪れると僕は信じる。
本書は間違いなく,21世紀前半における日本のアニメ業界を語る貴重な証言となる。いつの日か,10年後か20年後かはわからないが,いつの日か,日本のアニメ業界に“光”が刺した時,本書を読んだ未来のアニメーターたちが「こんな大変な時代があったんだねー。私たちは恵まれてるねー」と笑って言ってくれる日が来ることを,心から願おう。
著者について
西位輝実(にしいてるみ) 。大阪府出身。大阪デザイナー専門学校を卒業後,スタジオコックピットを経て,現在はフリーランスのアニメーターとして,キャラクータデザインや作画監督をメインに務めている。
【代表作】
『輪るピングドラム』(2011年):キャラクターデザイン・総作画監督
『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』(2016年):キャラクターデザイン
『劇場版 はいからさんが通る』(2017年):キャラクターデザイン
『聖闘士星矢:Knights of the Zodiac』(2019年):キャラクターデザイン
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