アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

「超平和バスターズ」作品における人物の髪色について

*このレビューは『とらドラ!』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ』『空の青さを知る人よ』に関する内容に触れています。気になる方は本編をご覧になってから本記事をお読み下さい。

 

アニメキャラのピンクや青のカラフルな髪色は,キャラの描き分けの手段として用いられたり,キャラの能力を象徴する記号として用いられたりと,その意味合いは様々だ。キッズアニメに顕著だが,オトナアニメ(深夜アニメ)でもポピュラーな表現手段であることは言うまでもない。

アニメキャラの髪色とその演出上の意味を網羅的に分析することは,テーマとして大変魅力的ではあるが,膨大なアニメ作品からデータを収集するのは容易なことではない。ここでは,同一の制作チームの中で髪色による演出が変化した興味深い例として,長井龍雪(監督)・岡田麿里(脚本)・田中将賀(キャラクターデザイン),いわゆる「超平和バスターズ」の作品にフォーカスを当ててみよう。

 

〈キャラ〉と〈キャラクター〉

髪色の意味作用を見ていくにあたって,もはや古典的ともなった,伊藤剛の「キャラ/キャラクター」の区別が有効な補助線となる。ここで改めて確認しておこう。

伊藤は『テヅカ・イズ・デッド』の中で,マンガの「キャラクター」に先立って「存在感」や「生命感」を醸し出す表現のモードとして「キャラ」という概念を抽出し,それぞれを以下のように定義づけている。

[「キャラ」は]多くの場合,比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ,固有名で名指されることによって(あるいは,それを期待させることによって),「人格・のようなもの」としての存在感を感じさせるもの 一方,「キャラクター」とは,「キャラ」の存在感を基盤として,「人格」を持った「身体」の表象として読むことができ,テクストの背後にその「人生」や「生活」を想像させるもの*1

ごく簡単な例を挙げると,「青・白・赤の色を基調とした,耳のないネコ型のロボットとしての図像」が「ドラえもん」という固有名で認識されているとすれば,それは「キャラ」である。おそらく「少々ドジだが思いやりのある優しいロボット」のような性格や「ドラ声」のような特徴も「人格・のようなもの」として「キャラ」の範疇に含まれるだろう。この「キャラ」をベースとして,そこに「セワシを幸福にするため,先祖であるのび太の未来を変えるべく22世紀の世界からやってきた」という「物語」を担わせたものが「キャラクター」ということになる。

「キャラ」としてのドラえもんは,その特徴が表現されていれば,誰がどこで描いたとしてもーーつまり二次創作のようなものであってもーー「ドラえもん」になりうる。それは個々の物語の束縛から解放され,「キャラ」固有の存在感によって消費者に訴えかけるポテンシャルを持つ。一方,「キャラクター」という様態としてのドラえもんは,作品(とりわけ藤子不二雄の原作)の物語内でしか存在し得ない。「キャラクター」は,物語の中で生まれ,物語の中で存在を完結する。その意味で,「キャラクター」と「物語」は分かち難く結びついている。

以上の概念区別を念頭に置いた上で,「超平和バスターズ」の作品の髪色について見ていくことにしよう。

『とらドラ!』:リアリティとフィクショナリティの出会う場所

竹宮ゆゆこのライトノベルを原作とする『とらドラ!』(2008-2009年)は,長井・岡田・田中の3人が初めてトリオを組んだ作品である。*2 この作品では,原作イラストのヤスのデザインに沿って,逢坂大河=茶,櫛枝実乃梨=赤,川島亜美=青というように,女性の登場人物を中心に髪が色分けされている。非現実的な髪色を用いた,典型的な〈キャラの描き分け〉の手法だ。ただし,キッズアニメによく見られるようなビビッドな色ではなく,やや彩度を落とした配色になっているのは,おそらくハイティーン以上の視聴者層を意識したある種の“リアリズム”なのだろう。

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『とらドラ!』新オープニングアニメーションより引用 ©︎竹宮ゆゆこ/アスキー・メディアワークス/「とらドラ!」製作委員会

本作が面白いのは,第15話「星は,遠く」で,生徒会長になることを拒む祐作が髪を金髪に染めるシーンだ。それまで,あくまでも〈キャラの描き分け〉を目的とした記号でしかないと思われた髪色が,この刹那,突如「高校生の金髪=グレる」*3 という物語上のリアリティを表象し始める。北村というキャラにおいてのみ,髪色が〈キャラクター〉を語るのである。

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『とらドラ!』第15話「星は,遠く」より引用 ©︎竹宮ゆゆこ/アスキー・メディアワークス/「とらドラ!」製作委員会

普通に考えれば,ここで「なぜ実乃梨の赤髪は許されて祐作の金髪はダメなのか」と違和感を覚える視聴者がいてもおかしくない。『とらドラ!』の第15話は,記号的な髪色の〈フィクショナリティ〉と物語的な髪色の〈リアリティ〉,言い換えれば〈キャラ〉レベルの表象と〈キャラクター〉レベルの表象が奇妙な形で交差し,それまで隠蔽されていたその差異がはっきりと浮かび上がる特異な話数なのである。彩色による演出がほとんど問題とならない原作と比べ,アニメではこの特異性がいっそう際立っている。

このことを登場人物造形における首尾一貫性の欠如と捉えることもできるだろうが,次作『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の色彩設計を考慮した時,単なる偶然の過失以上の意味を持つように思えてくる。

『あの花』:〈キャラ〉と〈キャラクター〉の二重露出

 『とらドラ!』のキャラクターデザインは,概ね原作の竹宮ゆゆこやイラストのヤスの意向をくんでいたはずだ。一方,初の完全オリジナル作品である『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2011年,以下『あの花』)では,「超平和バスターズ」は登場人物の髪色を独自に解釈し,一つの演出技法として洗練させているように思える。

『あの花』の髪色も,一見したところ〈キャラの描き分け〉のレベルで設計されているように見える。

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『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』公式HPより引用 ©︎ANOHANA PROJECT

宿海仁太(じんたん)=黒,本間芽衣子(めんま)=銀,安城鳴子(あなる)=茶,松雪集(ゆきあつ)=渋茶,鶴見知利子(つるこ)=紺,久川鉄道(ぽっぽ)=こげ茶というように,『とらドラ!』ほどではないものの,比較的バラエティに富んだ髪色の設計だ。とりわけめんまの銀髪は,幽霊という儚げな存在感とも相まって,ファンタジー作品に多く見られる“銀髪キャラ”(その多くは幻想・冷静・知性・儚さなどのキャライメージと結びつく)を強く想起させる。実際,めんまは,フィギュアを始めとしたキャラクターグッズが数多く発売されており,「超平和バスターズ」作品の中でもとりわけ〈キャラ〉性を色濃く体現した登場人物だと言えるだろう。

しかし『あの花』が『とらどら!』と決定的に異なるのは,一見,髪色が登場人物の〈キャラ〉性を表現しているように見えながら,実はそこに物語,つまり〈キャラクター〉性を巧妙に忍ばせているという点である。

めんまの銀髪は,ロシア人とのハーフである母イレーヌの髪色を受け継いでいる。劇場版では,めんまがゲームの「ノケモン」を「除け者」と解釈するシーンがあり,そこにはクォーターであるが故の疎外感がはっきりと描写されている。また当初,母イレーヌはじんたんたちに対し邪険な振る舞いをするが,それは彼女自身が娘と同様の疎外感を抱いていたであろうことを推測させる。遺伝という容赦のない絆によって,娘に自分と同じ苦しみを味わせてしまった呵責が,じんたんたちに対する排他的な振る舞いとなって現れたのかもしれない。

一方,あなるの茶髪は地毛の色ではない。彼女の幼い頃の髪色は比較的自然なこげ茶だったのだが,高校に入ってから染めたと思われる。彼女の茶髪には“高校デビュー”という物語が込められており,そのことは公式HPのキャラクター紹介にも明示されている。

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『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』公式HPより引用 ©︎ANOHANA PROJECT

このように,『あの花』は〈キャラ〉としての存在感と〈キャラクター〉としての物語を二重露出のように髪色に反映させる巧みな色彩設計によって,『とらドラ!』のような〈キャラ〉と〈キャラクター〉の共起によって生じる違和感を解消しているように思える。この作品が高い評価を得るのは,いわゆる“泣きアニメ”として感動カタルシスを呼び起こすからというだけではなく,アニメ的な色彩を存分に活かしつつ,繊細な演出を施している点にもあるのだろう。

www.otalog.jp

 『ここさけ』『空青』:そして〈リアリズム〉へ

『心が叫びたがってるんだ。』(2015年,以下『ここさけ』)を皮切りに,「超平和バスターズ」は大きく舵を切ることになる。『あの花』とは打って変わって,この作品の登場人物の髪色はほぼ全員が黒か,それに近い色である。加えて,制服も女子が白,男子が黒であり,全体としてモノクロ映画のような印象を与える。

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『心が叫びたがってるんだ。』公式Twitterより引用 ©︎KOKOSAKE PROJECT

『とらドラ!』『あの花』に見られたような人物の〈キャラ〉性はほぼ完全に排され,髪色だけでなく,髪型や顔の造形もシンプルなデザインとなっている。本作では,この“写実的”なデザインによって,〈キャラクター〉性=物語の表現に完全に徹しているのだ。

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『心が叫びたがってるんだ。』より引用 ©︎KOKOSAKE PROJECT

終盤のミュージカル開演のシーンでは,成瀬順と坂上拓実の“リアル”な彩色と,「お城(ラブホテル)」の淫靡と神聖が入り混じった幻想的な彩色とのコントラストが印象的だが,このシーンの構図などは,ほとんど〈映画的リアリズム〉を志向していると言ってもいいだろう。

『空の青さを知る人よ』(2019年,以下『空青』)も,『ここさけ』とほぼ同じコンセプトの色彩設計と言える。

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『空の青さを知る人よ』公式Twitterより引用 ©︎2019 SORAAO PROJECT

『あの花』以降,「超平和バズターズ」作品の色彩設計を手がける中島和子によれば,『空青』では髪色をやや明るめにするよう監督の長井から指示があったということだが, *4 全体の印象としてはほぼ〈リアリズム〉志向と言ってよいだろう。しんのの赤い髪色は「ミュージシャンを目指す若者」という物語を表示しているし,相生あかねの茶髪はこの年頃の女性にありがちなファッションの一部である。ついでに言えば,『あの花』『ここさけ』『空青』はすべて秩父を舞台としているが,『空青』はとりわけ〈秩父という地域性〉を強く表示した物語構成になっており,その意味でも〈リアリズム〉志向の側面が強い作品である。

『ここさけ』と『空青』に共通しているのは,劇場アニメ作品として制作された点だ。劇場アニメは,多かれ少なかれテレビシリーズと差異化された〈映画的なもの〉を意識して制作される。〈映画的リアリズム〉はその一つだ。 

先ほど引用した伊藤剛は,本来マンガの「キャラクター」の起源にあった「キャラ」の存在感,そしてそれに対して我々が抱く感情ーー伊藤はそれを「萌え」と呼んでいるーーが,手塚治虫のマンガの近代的・映画的〈リアリズム〉によって隠蔽されてしまったという批判的な見立てをしている。だとすれば,アニメの登場人物におけるカラフルな髪色から“リアル”な髪色への変化も同じ道を辿っていると言えるのかもしれない。もちろん,このことは「超平和バスターズ」の作品に限られた話ではない。『君の名は。』(2016年)に刺激された近年の劇場アニメブームは,おそらく狭義の“オタク”以外のより広い顧客層に訴求すべく,背景美術やカメラワークをより〈映画的リアリズム〉寄りに発展させつつある。キャラの髪色の色彩設計もそのような戦略の一端を成していると言えるだろう。

今後,劇場アニメの色彩設計は,よりいっそう〈リアリズム〉を志向していくだろうか。そこでは〈キャラ〉の存在感は二次的なものとして過小評価されることになるのだろうか。そもそも,アニメにおける〈リアリズム(“現実らしさ“を志向する表現)〉は〈リアリティ(現実性)〉を反映しているのだろうか。このような問題に対して,安直な解答を出して自己満足に浸る僭越を犯すつもりは僕にはない。ひょっとしたら,「超平和バスターズ」が手がける次回作の中にそのヒントが隠されているかもしれない。

 

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*1:伊藤剛『テヅカ・イズ・デッドーひらかれたマンガ表現論へ』p.126。星海社,2014年

*2:周知の通り,「超平和バスターズ」という呼称は,次作の『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の主人公たちが作ったグループ名に由来するため,本作制作の時点では使われていない。

*3:この連想が『とらドラ!』の世界内でも現実味を持つことは,亜美の「今時あんなわかりやすいグレ方するやつがいるなんて」という台詞で保証される。

*4:『[あの花][ここさけ][空青]メモリアルブックー超平和バスターズの軌跡ー』,p.127,小学館,2019年