アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

「アニメージュとジブリ展 一冊の雑誌からジブリは始まった」レポート:〈アニメ〉を作ったアニメ雑誌

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「アニメージュとジブリ展」公式Twitterより引用 ©︎1984 Studio Ghibli・H

animage-ghibli.jp

1978年5月26日に徳間書店から創刊された「アニメージュ」は,「アニメ雑誌御三家(「アニメージュ」「アニメディア」「月刊ニュータイプ」)」の中でも最古参のアニメ専門誌だ。本展示は,創刊当初から1980年代まで編集の中核を担った鈴木敏夫の仕事に焦点を当て,「アニメージュ」が日本のアニメ文化の培養に果たした役割を紹介するものである。当時の雑誌の記事や原画・セル画などの貴重な資料に加え,普段あまりお目にかかれない「付録」のギャラリーなども展示されており,極めて見応えのある展示になっている。

展示会データ

会期:2021年4月15(木)〜5月5日(祝・水)

会場松屋銀座8階イベントスクエア
* 2021年6月19日(土)〜9月12日(日)より,宮城に巡回予定。

チケット:日時指定制(詳細はこちら

グッズ物販コーナーの他,オンラインショップでも購入可能だが,会場に掲示されているパスコードが必要なので注意(詳細はこちら)。

その他:一部写真撮影可。展示会の図録はないが,公式書籍である「ALL ABOUT TOSHIO SUZUKI」が物販コーナーで販売されている(税別4200円)。鈴木敏夫在籍当時の「アニメージュ」についても詳しく扱われており,展示会の図録としての役割も持つのでおすすめ。音声ガイドあり(税込600円)。島本須美と「三鷹の森ジブリ美術館」のシニアアドバイザーであり本展示の監修者でもある高橋望によるガイドは必聴。鑑賞所要時間の目安は「やや急いで鑑賞」で1時間30分。「音声ガイド利用+じっくり鑑賞」で2時間強。平日でもかなりの混雑が予想される。

展示構成

展示は以下のテーマごとに,1978年の創刊からスタジオジブリ創設後までを編年的に追う内容になっている。途中「追悼 大塚康生」造形家・竹谷隆之による「風使いの腐海装束」などの展示がある。

①「アニメージュ」創刊!
「アニメージュ」が創刊した時代とその誕生をひもとく
②「アニメージュ」は「ガンダム」で「作り手」に出会った
アニメブームを牽引した「機動戦士ガンダム」を紹介
③ ALL ABOUT 「アニメージュ」
「アニメージュ」の中身とは
④ 高畑・宮﨑 再発見!
ナウシカ誕生への道
⑤「アニメージュ」から映画が生まれた
映画『風の谷のナウシカ』誕生
⑥ 愛され続けるナウシカ
公開当時の資料と,今も愛されるナウシカ
⑦ スタジオジブリ創設!
今へ続くアニメーションの世界 *1

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エントランスには,歴代「アニメージュ」の表紙を使用したモビールが展示されている。これを観るだけでも楽しい。

「作家主義」をアニメに

1970年代前半,アニメは「漫画映画」「テレビ漫画」などとも呼ばれ,まだ独自の文化ジャンルとして完全には確立していなかった。しかし『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)のブームをきっかけに,徐々に〈アニメ〉という輪郭を持った文化が若者の間に形成されていく。そのようなアニメブーム黎明期の文化的土壌の中で,「アニメージュ」という雑誌が産声を上げる。

冒頭に展示された創刊号の特集はもちろん『宇宙戦艦ヤマト』だ。漆黒の闇を背景に,田中愛望の手になる緻密なデザインの「ヤマト」を配したその表紙は,かつて「子どもの見るもの」とされていたアニメを一つの文化の域まで高めようという,鈴木敏夫らの硬派な意気込みを感じさせもする。ちなみにこの創刊号の表紙は,雑誌の表紙としては異例の11色ものインキで印刷されており,印刷業界では伝説化しているらしい。

面白いのは,もともとアニメにはあまり詳しくなかった鈴木が,アニメファンの女子高生たちに話を聞き,アニメのキャラクターを人気スターに見立てた紙面作りをすることを思いついたというエピソードだ。同時に彼は,キャラクターだけでなく,そのキャラクターを生み出したスタッフに取材し,インタビュー記事として雑誌に掲載するアイディアを着想する。これが最終的に,「作家主義」という「アニメージュ」独自の不文律として定着していくのである。

[…]単に絵を並べるだけじゃなくて,その絵を描いている人,そしてそしてその作品を演出している人。その人たちの話をきけば,キャラクターに膨らみが出るんじゃないかって。最初の編集会議で,みんなにインタビューマガジンにしよう,ということを言っているんです。作品に関与しているスタッフの話をインタビューして取材記事としてまとめる。その中でいろいろな話ができるし,それが作家主義というか,そういうことにつながっていったんだと思います。*2

放映当初は視聴率の不振に悩まされた『機動戦士ガンダム』のポテンシャルを信じ,特集を組み続けたのも鈴木だ。鈴木は富野喜幸(由悠季)の「作家性」を詳らかにするインタビュー記事を組むなどして,後のガンダムブームを牽引していく。『ガンダム』の記事を紹介する展示コーナーには,富野のユニークなインタビューが掲示されており,つい時間を忘れて読み耽ってしまいそうになる。

ところで,もともと「作家主義(Politique des auteurs)」 (厳密には「作家政策」という意味)とは,アンドレ・バザンが創刊したフランスの映画誌「カイエ・デュ・シネマ」が提唱した批評的立場だ。ごく簡単に言ってしまえば,映画を「監督」という個人の表現主体の表現物とみなす態度である。それにより,個々の映画を一つの作家性を伴った作品と捉え,小説や音楽と同格の表現物として扱う。若い頃から映画愛好家であった鈴木は,「アニメージュ」によってアニメの世界にこの「作家主義」の思想を持ち込もうとしたのだと言える。*3 そこには,アニメを単なる漫画の派生系ではなく,固有の価値を持った〈作品〉とみなそうとする強い意志が感じられる。

高畑勲,宮﨑駿という「作家」との出会い

「作家主義」を信条にした鈴木の「アニメージュ」は,積極的にアニメ制作の現場に入り込み,監督を始めとする「作家」たちにスポットを当てようと奮闘する。この時,鈴木が出会ったのが,当時まだ認知度が決して高くはなかった高畑勲宮崎駿の作品である。

高畑勲監督の『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)に感銘を受けた鈴木は,創刊号(1978年7月号)で特集記事を組もうと取材依頼を申し込む。結局,取材は断念することになるが,鈴木は他の関係者から話を聞き『ホルス』の特集を成功させている。1981年8月号では,『ガンダム』や『銀河鉄道999』(1978年)などのSF作品の人気が高かった時代に,あえて31ページにもわたる宮﨑駿の特集を敢行。展示された記事からは,『銀河鉄道999』を表紙としながらも膨大な頁数の宮﨑駿特集を組むという,鈴木の“反骨精神"を感じとることができるだろう。 

この時の関係構築が,後の『風の谷のナウシカ』製作とスタジオジブリ創設に繋がったことは言うまでもない。鈴木「アニメージュ」の「作家主義」がなければ,『ナウシカ』もジブリ作品もあり得なかったことを考えると,強い主義・信条がいかに重要かを改めて思い知らされる。

付録は“オマケ”ではない

ただし,いくら「作家主義」という思想が根底にあるとは言え,堅苦しい文字ばかりの記事ではアニメファンは離れて行ってしまうだろう。アニメは絵で作られた媒体なのだから。そこで鈴木は,キャラクターを中心としたビジュアル重視の紙面づくりを追求すべく,『an・an』や『non-no』などの女性誌のバックナンバーを入手し,写真やイラストの使い方,文字量,キャプションの付け方などを徹底的に研究した。これから展示をご覧になる方はその辺りを踏まえ,紙面のデザインなどにも注目してみると面白いだろう。

当時のアニメファンを夢中にした「付録」が展示されているのも大変興味深い。トランプ,ペーパークラフト,ポスターなど,今のアニメ雑誌よりも遥かにバリエーションに富んだ付録の数々は,見ているだけで心が躍る。

アニメという媒体にとって,付録やグッズは二次的なものではない。むしろ付録やグッズはアニメの本質を成すものだと言ってもいいくらいだ。そもそもキッズ向けアニメとおもちゃ販売は不可分だし,深夜アニメを中心としたオトナアニメにしても,グッズ販売を完全に度外視したアニメ製作はおよそ考えられない。それは,アニメが〈物語〉を生み出す媒体であると同時に,〈キャラ〉を生み出す媒体であるからだろう。物語と切り離されたところでも魅力を放つキャラ。それが現代のアニメの本質でもある。「アニメージュ」のようなアニメ雑誌の「付録」は,単なるオマケ以上の存在理由があるのだ。鈴木はアニメのそうした性質を心得ていたからこそ,「付録」の品揃えを充実させたのだろう。これから展示をご覧になる方は,ぜひこの点を考慮に入れ,「付録」の展示コーナーをじっくり鑑賞して頂きたい。  

〈アニメ〉を作った雑誌

今回の展示を見て改めて感じたのは,紛れもなく「アニメージュ」は〈アニメ〉を作った雑誌だということだこれには2つの意味がある。

鈴木敏夫は「アニメージュ」という雑誌を通して,単にアニメの情報を発信するメディア=媒体としてだけでなく,アニメ作品そのものを能動的に作り出すクリエーターとしてアニメ文化に寄与することを目指した。その結果生まれたのが『風の谷のナウシカ』や後のジブリ作品である。鈴木と「アニメージュ」のこの功績は,いくら強調してもしすぎることはないだろう。

それと同時に「アニメージュ」は,〈アニメ〉という文化の土壌をも作り上げたとも言える。「アニメージュ」を読んだアニメファンたちは,監督の「作家」性に触れ,アニメ制作の現場を知り,アニメーション技術に知悉していった。それによって彼ら/彼女らの鑑識眼はますます分析的になり,それに答える形で作り手も技術を向上させていく。なかには,「アニメージュ」によって制作の現場を知ることにより,自らアニメ制作に関わることを決意した若い読者もいた。こうして「アニメージュ」という媒体は,単なる情報誌という役割を超えて,〈アニメ〉という文化そのものを醸成していったのである。

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造形家・竹谷隆之の「巨神兵」。見事な造形に目を奪われる。

さいごに

鈴木敏夫が1990年に徳間書店を退社してから30年余りが経つ。その間,アニメ雑誌をめぐる状況は大きく様変わりした。近年ではWEB媒体や個人ブログの隆盛などから,アニメ雑誌のプレゼンスそのものが縮小気味になりつつある。しかし鈴木が思い描いていたように,アニメ専門誌がアニメと歩みを共にし,アニメ文化を刺激し続けるのが理想だとすれば,その関係は今後も存続しなければならないだろうと僕は思う。「アニメージュ」のようなアニメ専門誌が失われれば,それはアニメ文化の一部が失われたことを意味するのだ。

いま僕の手元に「アニメージュ」2021年5月号がある。本記事執筆時の最新号である。付録は『映画 ヒーリングっド♡プリキュア』のクリアファイルとB2ポスターだ。最新のアニメ作品や声優を紹介する前半のカラーページの後,後半には,人生相談のコーナー「富野に訊け!!」や,「アニメ様」こと小黒祐一郎による「この人に話を聞きたい」(ゲストはアニメーターの小島崇史)などの連載,および2ページにわたる「追悼 大塚康生の動画」の特集が組まれている。

鈴木敏夫のキャラと作家への想いは,今の「アニメージュ」の中にも確実に息づいていると言えるだろうい。

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ALL ABOUT TOSHIO SUZUKI

ALL ABOUT TOSHIO SUZUKI

  • 発売日: 2020/12/21
  • メディア: ムック
 

 

 

 

*1:展示会場にて配布の「号外 風の谷新聞」より。

*2:同上。

*3:『ALL ABOUT TOSHIO SUZUKI』,p.38,KADOKAWA,2020年。