ある個人の作品評は,その人の様々な文化体験の結節点だ。過去に読んだ書物や,作品に触発されて観た映画などの記憶が,意識的・無意識的を問わず評価軸に流れ込み,その人に固有の“枠組み”として結実していく。もちろん対象がアニメであっても同じだ。お読み頂いている方はお分かりと思うが,特に当ブログのアニメレビューは文学や思想の影響を受けていることが多い。今回の記事では,今年掲載したアニメレビューに関連する書籍をいくつか紹介してみようと思う(なお,過去に読んだものもあれば,作品鑑賞と並行して最近読んだばかりのものもある)。
- マーク・トウェーン『王子と乞食』
- エドウィン・アボット・アボット『フラットランド たくさんの次元のものがたり』
- 野上志学『デイヴィッド・ルイスの哲学ーなぜ世界は複数存在するのかー』
- 村上春樹『騎士団長殺し』
- カズオ・イシグロ『クララとお日さま』
- ジークムント・フロイト『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』
マーク・トウェーン『王子と乞食』
橘正紀監督『プリンセス・プリンシパル』(2017年夏)は,少女たちのハードボイルドなスパイ活動を描いた傑作TVアニメだ。その続編『Crown Handler』が劇場版として現在順次公開中である。この作品のライトモチーフである〈プリンセスと孤児の入れ替わり〉は『王子と乞食』の〈チェンジリング(取り替え子)〉をベースとしている。『王子と乞食』は言わずとしれた児童文学作品の傑作だが,きちんと読んだことのある人は意外と少ないのではないだろうか。岩波文庫の村岡花子訳は名訳で,とても読みやすいのでおすすめである。ちなみに村岡は『赤毛のアン』の訳者として有名な翻訳家であり,NHK連続テレビ小説『花子とアン』(2014年)のヒロインのモデルとなった人物でもある。
エドウィン・アボット・アボット『フラットランド たくさんの次元のものがたり』
2次元世界(フラットランド)を舞台としたSFファンタジーの古典。豊かな想像力に溢れた冒険物語であると同時に,次元についての具体的な理解を得られる教科書的な側面も持つ名著だ。平明な語り口ながら,1884年の作品とはとても思えないほど革新的な小説である。夏目真悟監督『Sonny Boy』(2021年夏)の第5話「跳ぶ教室」の着想の元となっていることを,監督自身が明かしている。*1 『Sonny Boy』の世界観に惹かれた方は,ぜひ合わせて一読することをおすすめする。
野上志学『デイヴィッド・ルイスの哲学ーなぜ世界は複数存在するのかー』
今年読んだ書物の中でもかなり読み応えのあった一冊だ。デイヴィッド・ルイスは,現実世界とは別に複数の「可能世界」が実在することを説く「様相実在論」の代表的論者だ。夏目真悟監督『Sonny Boy』における〈複数世界の越境〉というモチーフを考察する際に,この「様相実在論」に簡単に触れた。
筆者の野上志学はルイスの難解な思想をより平明な語り口で例解しているが,論理学の基本的な考え方をある程度頭に入れておいた方が読みやすいだろう。野矢茂樹の入門!論理学 (中公新書)などは手軽な入門書としておすすめだ。
村上春樹『騎士団長殺し』
『ねじまき鳥クロニクル』(1994-1995 年)の「井戸」,『1Q84』(2009年)の「首都高の非常用階段」など,村上春樹は日常世界にある種の“裂け目”を入れ,世界を多重化する。「騎士団長はほんとうにいたんだよ」という言葉によって,「イデアとしての私」「メタファーとしての私」を「信じる力」を説く本作の主人公は,『Sonny Boy』において,自己同一性を保ちながら複数世界を越境した長良の姿と重なるように僕には思えた。ひょっとしたら,現在,無数に乱発されている“異世界転生モノ”たちも,こうした観点から見直してみる必要があるのかもしれない。
カズオ・イシグロ『クララとお日さま』
2017年ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの最新作。「AF(人工親友)」と呼ばれるアンドロイドの「クララ」と,病弱な少女「ジョジー」との出会いと別れを描いたSF小説である。物語は終始,アンドロイドであるクララの視点で語られており,AIらしい機械的な空間認識と“太陽崇拝”というアーカイックな信仰が同居するクララのキャラクターがユニークだ。AIを描いたアニメ作品としては,長月達平,梅原英司原案/エザキシンペイ監督『Vivy -Fluorite Eye's Song-』(2021年 春)や吉浦康裕監督『アイの歌声を聴かせて』(2021年)など,今年は優れた作品が見られた。今後,様々なメディアで〈AIと人との関わり〉というテーマが深められていくことだろう。
ジークムント・フロイト『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』
精神分析学の祖,ジークムント・フロイトによる「不気味なもの(das Unheimliche)」の分析は,負の感情でありながらもフィクション作品に頻出する恐怖の感覚を考察する上で深い洞察を与えてくれる。「不気味なものとは結局のところ,熟知したものや古くから知られているものによって生まれる恐ろしさなのである」とする彼のテーゼは,先述した吉浦康裕監督『アイの歌声を聴かせて』などに見られる〈AIの持つ違和感〉を考える際にも欠かせない視点だろう。僕らは,AIに対して抱く“知的な不気味の谷”の感覚の出所を自身において同定し,それを自身のものとして引き受けるべき時が来るかもしれない。いずれ人とAIがそのようにして相互に理解し合い,“共感”し合うべき時が来るのではないだろうか。
以上,2021版「アニメと一緒に読んだ本」6冊を簡単に紹介した(ここに挙げた以外にも間接的に参照した本も多数あるが,今回は割愛した)。どれも名著だ。興味のある方は,アニメと一緒に一読してみてはいかがだろうか。