*この記事は『小市民シリーズ』第2話「おいしいココアの作り方」のネタバレを含みます。また,アニメでは扱われていない原作エピソードについても言及していますのでご留意ください。
2024年夏クールの中でも特に注目度の高い米澤穂信原作/神戸守監督『小市民シリーズ』。キャラクターデザインや作画のクオリティはすでにPVによって周知されていたわけだが,本編ではそれに加え,日常の中にわずかな異常を混入させるユニークな演出が目を引く。特に今回紹介する第2話「おいしいココアの作り方」は,その画作りの面において極めて綿密に作り込まれた秀逸な話数である。脚本はシリーズ構成を務める大野敏哉。絵コンテ・演出は,シャフト制作作品や幾原邦彦監督作品など,数多くの傑作に参加経歴のある武内宣之。その卓越した技を見ていこう。
武内宣之の“角度”
Aパートは小鳩常悟朗がご機嫌な様子で商店街を散歩するシーンから始まる。この時の小鳩の表情カットは,冒頭のシーンだけにかなり強い印象を与える。
露天やらペットやら赤ん坊やらを満足そうに眺める小鳩。カメラはその表情を画面中央に捉えているが,彼はやや小首を傾げており,目線も向かって右側に外れている。このささやかな偏りが,頭上のアーケード天蓋が成す律儀なシンメトリーを僅かに撹乱している。
実はこの話数は,上記以外にもいくつかの場面で“小首を傾げるカット”が用いられている。
印象的な逆水樋門を始め,この作品は水平的にも垂直的にも直線で構成される構造物を背景に置くことが多い。そうした無機質な直線が,人物の有機的な角度によって静かに“反駁”される。この構図の関係性が実に小気味よい。
ところで,僕らはこの傾いだ小首の前例を知っている。言うまでもなく,『化物語』(2009年)『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)など,新房昭之×シャフト作品で多用された“シャフ度”だ。また,本話数を手がけた武内宣之が『化物語』を始めとする新房昭之×シャフト作品の多くに参加していたことも言うまでもないだろう。武内は小佐内ゆきの“アホ毛”を揺らすという遊び心(上図上3枚目)を見せているが,これなどからしても,両作品の共通点は単なる偶然の一致以上のものと言える。
上図3枚のカットは『化物語』第四話「まよいマイマイ 其ノ貮」から引用したものだ。見事な“シャフ度”だが,この話数の絵コンテを手がけたのも武内である。この首の角度によって画面に豊かなダイナミズムが生まれると同時に,水平線と垂直線で構成される視覚的な安定が突き崩される。それは,安定した日常の中に「怪異」の住まう特異空間が確かに介在していることを暗示しているようでもある。
一方,『小市民シリーズ』の小鳩と小佐内は,「小市民」という保守的安定性を求めようと必死になっている。まるでその“必死さ”すら禁忌とするかのように。しかし彼らの首の角度は,その安定性の中に無意識のうちに違和を呼び込んでいるようにも見える。果たして彼らは「謎」に巻き込まれているのか,あるいは自ら「謎」を呼び込んでいるのか。武内が映像に仕掛けたこの“角度”は,本作の視覚情報として思いのほか意義深い。
浄玻璃
Aパート冒頭のシーンに戻ろう。商店街を「散歩」していた小鳩は,とある露店の前で「変装」した小佐内の姿を見かける。小鳩は彼女にばれないように背後から近づこうとする。しかしその直後,小佐内が矢庭に振り向いたことで,小鳩は意表を突かれてしまう。
なぜ小佐内は小鳩に気付いたのか。作中ではその説明が省かれているが,映像をよく見れば明らかだ。彼女の背後の露店の店内には鏡が置かれている。この鏡で小鳩の姿に気付いたのだ。*1 小佐内は,ばれずに近づこうという小鳩の奸計を鏡を媒介にして見抜く。鏡という媒体の“暴露機能”がここで予告されていることに注意しておこう。
「春季限定いちごタルト」の件で傷心の小佐内を慰めるべく,ケーキを食べに行こうとする2人。その間に,またぞろ堂島健吾が無遠慮に介入する。彼はどういうわけか,小佐内ごと小鳩を強引に家に招く。
堂島宅の居間には鏡付きのキャビネットが置かれている。鏡は不自然なほどパースが強調されている。しかしもっと不自然なのは,そこに小鳩の背中と堂島の顔が映し出されていることだ。無論これは物理的に不可能な構図だ。この角度から見た場合,鏡に小鳩の背中と堂島の顔が映ることはない。つまりこの鏡は物理的な“嘘”をついている。しかしそれにもかかわらず,この鏡は『小市民シリーズ』という作品の空間内に自然に定位しているように見える。それはおそらく,第1話から“人物がいるはずのない場所にいる”という演出(後述)が提示されていたからだろう。それは上述の首の角度と同様,この世界の中ににささやかな違和を呼び込んでいる。物理的な“嘘”が,世界を異化する因子として導入されているのだ。
さて,このマジカルな鏡の中に映し出された小鳩と堂島は,いかにして己の正体を“暴露”するか。
堂島は小鳩の雰囲気が小学生のころから豹変したことに疑問ーーあるいは不満ーーを抱いている。彼は小鳩の「小市民」然とした愛想笑いの裏に「三つ子の魂」を見抜くべく,わざわざ彼を自宅に呼び寄せたのだ。そして彼はすでに小鳩の「小市民」の正体をほぼ見抜いている。
口と性格の悪いガキが,顔は笑っても腹に一物ありそうな嫌な野郎になっちまった。
堂島にこう看破された時の小鳩の憮然とした表情カット(上図右)が上手い。この刹那,彼は「小市民」としての余裕を失っている。彼は「男子三日会わざれば」などと言って堂島の追及をのらりくらりと躱そうとするが,結局,隣の台所で「知恵働き」の罪を犯して「小市民」を逸脱し,小佐内の不興をかう羽目になる。
一方の堂島は,「おいしいココアの作り方」の解が他ならぬ彼の「ずぼら」だったというオチによって,その正体が“暴露”されている。引き戸を閉めるカットやチョコレートケーキを食べるカットなどが,この「ずぼら」を事前に予示していたのも面白い。小鳩らの「知恵働き」以前に,すでに視覚情報として解が与えられていたわけだ。
ところで,先ほどの鏡の中に小佐内の姿が映っていないことにも重要な意味がある。
実はこの話数における小佐内の立ち位置は,原作とアニメではまったく異なっている。原作では「おいしいココアの作り方」の前に「For your eyes only」というエピソードがある。ここで小鳩は堂島から依頼された「二枚の絵」の謎を解くのだが,謎解きによって「小市民」を逸脱することを嫌った小鳩は,それを小佐内の推理によるものだと堂島に偽った。したがって,原作で堂島が小鳩を自宅に誘う際のやりとりは以下のようになっている。
小鳩:いま小佐内さんと散歩中。あとで[中略]
堂島:好都合だ。この前の絵の話の礼がある。一緒にどうだ。*2
つまり堂島は小鳩と一緒に小佐内も自宅に招き,「二枚の絵」の件の礼を伝えようとしたというわけだ。しかしアニメではこの「For your eyes only」のエピソードが割愛されているため,小佐内はほぼ小鳩の“おまけ”のような存在感になっている。したがって先ほどのやりとりも以下のように改変されている。
小鳩:いま小佐内さんと散歩中,あとで。
堂島:問題ない。一緒にどうだ。
原作と比べると,小佐内の同行に関して堂島がさほど積極的ではないことがわかるだろう。
さらに,原作では堂島が小佐内に「二枚の絵」の礼を伝えながら推理の経緯を根掘り葉掘り聞こうとし,それに堪りかねた小佐内が座を外す,という流れになっている。しかしアニメでは,堂島が小鳩と2人きりで話したがっているサインを察し,気を利かせて座を外すという流れに改変されている。
この改変によって,小佐内は“その場に相応しくない存在”として除外され,小鳩と堂島の暴露合戦は,“男同士の問題”という古めかしくも排他的な様相を呈することになる。居間に鎮座した“魔鏡”のカットは,こうした経緯を文字通り反映していたわけだ。改変によって生じた人物構図の変化を,画によって暗示的に補強している。卓越した演出と言えるだろう。
劇中劇
第1話と同様,第2話でも謎解きのシーンには劇中劇が用いられている。小鳩,小佐内,堂島姉は,「おいしいココアの作り方」を推理する際に“犯人”堂島と同じ扮装をし,仮想の堂島の行動をトレースする。
上図左は“現実”シーン,中と右は“推理”シーンだ。場面は同じだが,小鳩と小佐内は堂島と同じトレーナーを着ている。もちろんこれはフィクションだ。しかしリアルとフィクションの間はシームレスに繋がっているため,うっかりするとその境界を見落としてしまいそうになる。
またこれも1話と同様だが,推理シーンでは人物が唐突に屋外の別の場面に“ワープ”することがある。特に上図では,3人がロボット水門近くの橋の上に“ワープ”する。「場をつなごうと思って…」と呟く小佐内は橋の上にいるが,それを驚いた表情で見る小鳩は台所に戻っている。リアルとフィクションの境界を意図的に曖昧にした演出だ。
『小市民シリーズ』は魔法も怪異も登場しない,どこまでも“日常的な小世界”を描いた作品だ。さらに言えば,幻想的な演出も多く見られた京都アニメーション制作の『氷菓』(2012年)と違い,『小市民シリーズ』のアニメでは即物的な表現が多い。にもかかわらず,この作品には“静かな非現実感”が満ちているように思える。要するに,同じ米澤作品をベースとしながら,まったく方向性の違う演出を堪能できるわけだ。アニメファンにとってこれほど幸福なことはない。これを機に,両作品を細部まで比較してみるのもいいだろう。
作品データ
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【スタッフ】
原作:米澤穂信/監督:神戸守/シリーズ構成:大野敏哉/キャラクターデザイン:斎藤敦史/サブキャラクターデザイン・総作画監督:具志堅眞由/色彩設計:秋元由紀/美術監督:伊藤聖(スタジオARA)/美術設定:青木智由紀,イノセユキエ/撮影監督:塩川智幸(T2studio)/CGディレクター:越田祐史/編集:松原理恵/音楽:小畑貴裕/音響監督:清水勝則/音響効果:八十正太/アニメーションプロデューサー:渡部正和/ラインプロデューサー:荒尾匠/制作会社:ラパントラック
【キャスト】
小鳩常悟朗:梅田修一朗/小佐内ゆき:羊宮妃那/堂島健吾:古川慎
【第2話「おいしいココアの作り方」スタッフ】
脚本:大野敏哉/絵コンテ・演出:武内宣之/演出補佐:高野やよい/総作画監督:具志堅眞由(Production I.G.新潟)/作画監督:西島央桐,豊田暁子,[杭州神在動画]王渝・张曦萦・周俊杰・味增拉面,[Animore]葛歓,たけうちのぶゆき/作画監督補佐:迫江紗羅,宮田かんち
原画:豊田暁子,石川奨士,宮田かんち,中拓郎,池津寿恵,二瓶令暁,谷口繁則,大原和男,香田知樹,銀さん,M Ali,菊池一真,土屋智義,武内宣之,[志能美クリエイティブ]:Dakogoten・Orel・Romulo・Statice
この他,この素晴らしい話数に参加されたすべての制作者に拍手を。
商品情報
【Blu-ray】
【原作小説】