*この記事は『逃げ上手の若君』第一回「5月22日」のネタバレを含みます。
第1話からクオリティの高い作画・演出を繰り出し続けている松井優征原作/山﨑雄太監督『逃げ上手の若君』。監督の山﨑や副監督の川上雄介らをはじめ,“作画アニメ”として定評の高いあの『ワンダーエッグ・プライオリティ』(2021年)のスタッフが多く参加しており,当ブログでも放送前から注目していた作品だ。今回紹介する第一回「5月22 日」は,いくつかのアニメオリジナル要素を盛り込みながら物語を的確に導入しつつ,その高い作画技術を初手で見せつけた。絵コンテ・演出は山﨑雄太監督が手掛けている。詳しく見ていこう。
麗らかに“逃げる”
Aパート冒頭,家臣から逃げる北条時行がフレームインする。家臣に名を呼ばれ,警戒するように振り向く。ごく短いカットだが,時行の髪の動き,振り向きや体重移動の所作などが細かく丁寧に作画されているのがわかる。
「逃げ」という作品のライトモチーフと本作の高い作画技術を一瞬で示して見せた,たいへん小気味のよいカットだ。
2人の家臣に行き手を阻まれる時行。軽やかに足踏みをする様子からは,時行というキャラの瑞々しい活力と愛くるしさが感じられる。こうした細部の芝居がキャラの魅力をうまく伝えている。
その後も,陽光豊かな御所内を愉快そうに逃げまわる時行の姿がしばし描かれる。渋く控えめに彩色された御所に対して,時行をはじめとするキャラクターの着物は彩度を高めにデザインされている。色彩設計のバランスもすこぶるいい。
時行が屋根に登るカット。それまで木造の桑色が中心だった色彩は,一気に春の青空へと転じる。しかしその青は,青というよりはやや緑味の多い薄水色で,時行の肌の色や着物の配色と相性がいい。
両腕をいっぱいに広げ,穏やかな春風を全身で受けとめた時行は,俄かに前方に重心を移動させ,軽やかに走り出す。からからと無邪気に笑いながら屋根の上を駆ける時行。「逃げ」という行為の肯定感がたっぷりと表現されている。
この時行の多幸感に文字通り影を落とすのが,京に出立前の足利高氏だ。
影をたっぷり纏った高氏の巨躯が,それまで縦横無尽に駆け巡っていた時行の奔放な運動を遮る。高氏のオーラにたじろぐ時行。上図中下のカットでは,時行の内心の動揺が瞳のブレで表されており,視線が一切ブレることがない高氏と綺麗なコントラストを成している。Bパートで頼重が語る「対極の運命」を予示しているかのようでもある。
兄・邦時との対話の後,再び家臣から逃げる時行。屋根の斜面を駆け下り,向かいの建物の屋根まで飛び移るという軽技を披露する。
ちなみに“飛翔”シーンということで言えば,『ワンダーエッグ・プライオリティ』第1話(「01 子供の領分」)Bパートでも主人公アイの“飛翔”が描かれていたことを思い出そう。
この2つのシーンでは,主人公による“飛翔”という荒技がブレイクスルーのシンボルとして用いられている。もちろん同じ飛翔と言っても,キャラも動機もまったく異なるのだが,そこに示された瑞々しいエネルギーや爽快感という点において,この2つのシーンは相似形を成していると言ってよいだろう。*1
さてこの飛翔シーンの後,時行は屋敷の中へと逃げ込む。
光の差さない屋敷内の暗がりを逃げまわる時行。しかし彼が奥の襖を開けると,画面は再び豊かな陽光に満たされる。ここでもまた,「逃げ」という行為にポジティブな意味付けがなされている。
御所の門を出て若宮大路に出る時行。馬に乗る武士と出会し,たたらを踏んで立ち止まった後にまた駆け出す。この辺りの所作の表現も非常に丁寧だ。足運びや体重移動などがきめ細かく作画されている。
ちなみにこの話数には,『エロマンガ先生』(2017年)で「紗霧アニメーター」として,『ワンダーエッグ・プライオリティ』で「コアアニメーター」として腕を振るった小林恵祐が原画として参加している。アニメーションの中で実写的な動きを追求し,日常芝居を細やかに描く小林の作画技術は,あの井上俊之も一目置くほどだ。*2 小林がどのパートを担当したかは公式には明らかにされていないが,彼の技術が本話数の日常芝居の全体的な描画水準を底上げしていることは間違いないだろう。
時行の「逃げ」に話を戻そう。ここまで見てきた時行の逃亡シークエンスは,原作よりもはるかに長い尺がとられており,ほぼアニメオリジナルと言ってよい。降り注ぐ春の日差しの下,時行の「逃げ」という行為の多幸感をたっぷりと強調した導入部だ。そして彼のこの多幸感は,鎌倉という土地への素朴な肯定感につながっていく。
私は…この鎌倉が好きだ。平和に暮らす人々の笑顔を見るのが好きだ。地位も栄誉も別にいらない。この街で生きていければそれだけで。
しかし先ほどの若宮大路のカットに一瞬写る一の鳥居と二の鳥居は,彼がいまだ鎌倉という“揺籠”の内側にいることを示している。時行はまもなくこの揺籠を追われ,より広い世界でより過酷な「逃げ」を強いられることになるだろう。
エロスとタナトス
邦時の蹴り上げた鞠が視界から消え,やがて意志を持った生き物のように屋根の上を転がり落ちてくる。高々と跳ね上がったそれは,乾鮭色に染まった空に舞い上がり,不吉な運命を告げ知らせるかのように時行の傍に落下する。しかし地面に落ちたのは,名も知れぬ武士の生首だった。
鞠と生首の連想は原作通りだが,アニメではよりシンボリックで印象的なシーンに仕上がっている。
そしてこのシーンを皮切りに,時行の命運は一気に暗転していく。
鬨の声をあげる幕府軍。高氏が刀を鞘に収めた刹那,隣にいた武将が賽の目に寸断されて崩れ落ちる。高氏の人ならざる不気味な力を示したアニメオリジナルのシーンだ。
前半の爽やかな薄水色を打ち消すかのように,画面は紅赤色に染まる。Aパートの長閑な日常とBパートの無惨な暴虐との対比が,色彩の対比によって見事に表されている。Aパートで「逃げ」のシーンをたっぷり描いたからこそ生まれるコントラストだ。
高氏に鎌倉を滅ぼされ,死を望む時行。そんな彼を,頼重は敵の武士が徘徊する崖底へと突き落とす。
望んだ死を与えられ,時行の顔には穏やかな笑みが浮かぶ。しかしその直後,俄かに彼の手と足が崖を捉え,摩擦を利用して軟着陸する。心とは裏腹に,身体が“生きる”ことを欲する様がよく表されている。この辺りの演出もアニメオリジナルだ。
敵の武士の刃を巧みに避ける時行。Aパートの「逃げ」と比べれば遥に過酷な「逃げ」のはずだが,彼の軽やかな所作から悲惨な運命の重みは感じられない。蝶のように舞いながら敵を翻弄するその様は,かつての歴史的英雄・源義経の「八艘飛び」を彷彿とさせる。*3 崖の底から舞い戻った時行は,不死鳥の姿で頼重の前に姿を現す。この一連のシーンもたっぷりと尺がとられ,時行の「逃げ」を視聴者に強く印象づけている。
重頼の首にすがり,「こら…死んだらどうする」と咎める時行。この時の表情カットがすこぶるよい。
赤く上気した表情からは,ある種のエロティシズムが匂い立っている。時行のこの表情は,Aパートラストで「声」を聞いて恍惚とする高氏の表情と似て,ある種のエクスタシーの境地を示している。しかしその背後にある内的動機は対照的だ。時行は“生きる意志”によって顔を上気させ,高氏は“滅ぼす意志”によって顔を恍惚とさせる。まさしくフロイト的な意味での〈エロスとタナトス〉の対置。「逃げ」という行為が「生きる」という意志として意味付けされる。
高氏は殺す事で英雄となり,貴方様は生きる事で英雄となる。二人は対極の運命の英雄なのです。
頼重のこの言葉は,陰と陽に塗り分けられた時行と高氏の姿(上図)とともに,本作における二人の命運を簡潔に要約している。そして同時に,歴史の表舞台でカリスマとして活躍した足利高氏(尊氏)と,どちらかと言えば歴史の日陰で暗躍した時行の“明暗”が,この作品では完全に反転していることを示している。
「逃げ」という行為の意味付け,および時行と高氏の存在感のコントラストの創出によって,物語を的確に要約した名話数である。
作品データ
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【スタッフ】
原作:松井優征/監督:山﨑雄太/シリーズ構成:冨田頼子/キャラクターデザイン・総作画監督:西谷泰史/副監督:川上雄介/プロップデザイン:よごいぬ/サブキャラクターデザイン:高橋沙妃/色彩設計:中島和子/美術監督:小島あゆみ/美術設定:taracod,takao/建築考証:鴎利一/タイポグラフィ:濱祐斗/特殊効果:入佐芽詠美/撮影監督:佐久間悠也/CGディレクター:有沢包三,宮地克明/編集:平木大輔/音響監督:藤田亜紀子/音楽:GEMBI,立山秋航/音響効果:三井友和/制作:CloverWorks
【キャスト】
北条時行:結川あさき/雫:矢野妃菜喜/弧次郎:日野まり/亜也子:鈴代紗弓/風間玄蕃:悠木碧/吹雪:戸谷菊之介/諏訪頼重:中村悠一
【第一回「5月22日」スタッフ】
脚本:冨田頼子/絵コンテ・演出:山﨑雄太/作画監督:西谷泰史/プロローグアニメーション:Takuan Paradise
原画:河本有聖,鈴木咲花,中村七左,宮内祟,三輪修平,コーコラン健太,沢田犬二,菊地陽子,西谷泰史,Nogya,小林恵祐,濱口明,冨田真理,進藤麻耶,佐藤利幸,高野綾,渡部さくら
この他,この素晴らしい話数に参加されたすべての制作者に拍手を。
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