*この記事は『逃げ上手の若君』第六回「盗め綸旨,小笠原館の夜」のネタバレを含みます。
松井優征原作/山﨑雄太監督『逃げ上手の若君』各話レビュー第2弾として,今回は第六回「盗め綸旨,小笠原館の夜」を取り上げる。市河助房の「地獄耳」という設定を活かした異常な距離感の創出,足利尊氏の圧倒的なカリスマ性と暴力性の絵画的演出。既成のTVアニメ演出の枠に収まらない,自由奔放な発想が光る名話数だ。絵コンテ・演出を手がけたのは,第一回「5月22日」でも原画として参加していた菊地陽子。その独創的な技を詳しく見ていこう。
市河助房:主観的距離
帝の綸旨を発見した時行と玄蕃は,小笠原貞宗の館から脱出する。玄蕃が奇妙な手振りとともに「死にたくなきゃ必死でついてきな」と言うと,時行が覚悟を決めたように額に布を巻く。
この作品は時行の表情芝居がきめ細やかで上手いのだが,このカットの表情の変化も絶妙だ。やや気後れしたような表情から始まり,布を巻く所作で不思議な色気のある表情へ,そして最後は凛々しい表情でカットが終了する。しかし後述するように,この時行の表情変化には“続き”がある。
蔵から逃げる二人を,貞宗の郎党・市河助房の「地獄耳」が捕える。
突如,肌色の渦のようなものが画面を埋め尽くす。玄蕃が渦の流れに翻弄されているように見える。やがてカメラが引くと,それが助房の耳朶であることが判明する。しかし助房の全身は肌色ではなく緑色だ。この奇妙な1カットを観た多くの人が,本話数がただならぬ感性をもとに創作されていることを予感しただろう。そしてこの後、その予感を遥に上回るエキセントリックな演出が繰り出されていく。
林の中に潜む時行と玄蕃を,助房の地獄耳が把捉する。この場面での“距離”の表現は実に秀逸だ。
上図のカットでは,助房の主観的距離と客観的距離が奇妙な形で交代する。カット冒頭では助房と時行&玄蕃が不自然に接近している。地獄耳を持った助房のイマジナリーな主観的距離だ。カメラがズームアウトしていくにつれて両者の距離は離れていき,カットの最後ではリアルな客観的距離に“正常化”する。しかしその直後,助房の巨大な足が唐突に現れ,時行&玄蕃を踏み潰すような動きをしてカットが切り替わる。おそらくこの奇妙な距離の表現は,助房に対しては通常のズームアウトを行い,時行&玄蕃に対してはドリーズームを行うことで成立している。おそろしく奇抜な発想だが,主観的距離と客観的距離の混在という異常事態をよく表した面白いカットだ(もちろん,アニメオリジナルである)。
林の中の気配に耳を澄ませる助房。この時のカットも非常に面白い。
玄蕃の横顔に見えていたものが,次第に形を崩して分裂し,助房と玄蕃が超短距離で相対した構図に変化する。助房の主観的距離の異常性をアニメならではの動きで表している。 玄蕃のメタモルフォーゼ能力を逆手に取ったようなトリッキーな演出だ。
玄蕃が助房の地獄耳に恐れをなし,時行を置き去りにしようとするシーン。
ダッチアングルによって林の木が画面を斜めに走る構図が生まれている。カメラが切り替わるごとに斜めの線が逆向きになり,構図に小気味のよいリズム感が生まれている。最後にこの斜線が玄蕃と助房の身体が成すV字と対応する。実に洗練された構図の取り方だ。
時行が助房の刃から身を挺して玄蕃を救い,林の中を逃げるシーン。
この際,時行は玄蕃に「君と一緒に逃げるのが楽しい」のだと告白する。
私一人では逃げ切れない強い鬼からも,君の技の数々があれば逃げられる。そう考えるとわくわくして止まらないんだ。
彼らの背後や周辺では,これまでの二人の「逃げ」のシーンが拡張現実のように再演される。非常に独創的なシーン構成だ。そして先述の頭に布を巻くカットの“続き”として,玄蕃との「逃げ」に喜びを隠し切れない表情(上図下左)があったことがここで明かされる。本作のライトモチーフである「逃げ」という行為の多幸感。「たとえ君が絶体絶命でも,たとえ君が裏切っても,逃げる時は必ず一緒だ!」と言いながらとびっきりの笑顔を見せる時行に,玄蕃は完全に毒気を抜かれてしまう。
この後,画風が俄かに変化し,時行の人生がペーパークラフトによって点描される。
多くの人から裏切られながらも,自ら人を裏切ることのなかったと言われる時行。ラストカット(上図下右)では,時行の影に亜也子,玄蕃,雫,弧次郎,吹雪の姿が映し出されている。尊氏とは質の異なるカリスマ性を表したとても美しい演出だ。
このペーパークラフトを手掛けたのはワタナベサオリ(演出・デザイン)と稲積君将(アニメーションディレクター・ストップモーションディレクター)を中心とするクリエイターだ。二人のXの投稿では,撮影風景が紹介されているのでぜひご覧いただきたい。
TVアニメ「逃げ上手の若君」第六回
— ワタナべサオリ🐦 (@dvolfski) 2024年8月10日
ペーパークラフトコマ撮りアニメを稲積君将氏と制作しました🐦🐦
撮影日数31日間の28秒間、コマ撮りで撮り切りのワンカットです。
時行は大丈夫🐦と思えるよう、もう兎に角めちゃくちゃ頑張って作りました🐦#逃げ上手の若君#コマ撮り#鳩の日 pic.twitter.com/nAm0hmOPCq
TVアニメ「逃げ上手の若君」第六回
— Kimimasa Inazumi (@kimitamasa) 2024年8月10日
ペーパークラフト・ストップモーションパートを
ワタナベサオリ氏とともに制作しました🐦🐦
「時行の人生を俯瞰しつつ、玄蕃の心が変わるきっかけとなる」そんな大切なカットを任せてもらえて感無量です… pic.twitter.com/LWaQoJKkcD
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— Kimimasa Inazumi (@kimitamasa) 2024年8月14日
Behind the scenes
|◣ ◢|#逃げ上手の若君#StopMotion #コマ撮り https://t.co/Qo8F8GCGOW pic.twitter.com/5Vl0pDkDex
その後,さらに林の中を逃げる時行と玄蕃。このシーンに限らず,基本的に林の中の移動シーンでは密着マルチが用いられ,奥行き感がリアルに再現されている。
その二人を,距離を無視した貞宗の矢が襲う。矢の動きによって奥行き感がいっそう強調される。本能的に矢を避ける時行の表情には,えも言われぬ色気がある(上図右)。
Aパート最後のオマケとして,貞宗と助房による「面白合体」(玄蕃言)を挙げておこう。
上述したように,この話数のAパートでは助房と時行&玄蕃との主観的距離が度々表現されてきたわけだが,両者の客観的距離は結局縮まることがない。一方,「面白合体」以降の貞宗と助房は,終始0距離で行動を共にする。本話数の“ギャグパート”として語らずにはおれない名コンビだ。ちなみに貞宗の眼球と助房の耳朶が語り合うカット(上図左)はほぼアニメオリジナルである。
足利尊氏:絵画的平面
これまで見てきたように,Aパートは奥行き感と距離感を強調したカットが多かった。特に助房の主観的距離と客観的距離が混在した距離感の創出は,この話数の最大の特徴と言えるかもしれない。ではBパートはどうだろうか。
貞宗邸から逃げおおせた時行に,頼重が尊氏の「肖像」を語るシーンを見てみよう。後醍醐天皇の皇子にして征夷大将軍・護良親王が尊氏に刃を向ける。
尊氏らを真正面から捉えたカメラがゆっくりと横方向にドリーする。護良親王の軍勢の首を尊氏が紙細工のように横様に払い飛ばしていく。武士たちの首から吹き出した鮮血が彼岸花のような形を成す。その画は日本画のように美しく,かつ恐ろしい。Aパートとは対照的に,横方向の移動と平面的な構図が強調されている。尊氏の圧倒的な暴力性が絵画的な美によって表現された,きわめて印象的なシーンだ。
刀に手を触れながら護良親王に跪拝する尊氏。両者の実際の力関係と明らかに矛盾した,アイロニカルな構図だ。背後の壁には尊氏が斬り散らかした武士の肉片が張り付いており,ややもするとB級映画のスプラッターシーンのようだが,不思議と絵画的な趣を感じさせる。
尊氏のカリスマ性に集りよる群衆。その笑顔はカルト教団の狂信者のように虚ろだ。
上図右のカットは,やはり横方向の高速ドリーで撮られている。奥行き感のない平面性が,尊氏のカリスマに群がる民衆の空虚な内面を象徴しているかのようだ。
館の門をくぐる尊氏。その背後に見える菊は帝を象徴しているのだろう。しかしその美しい花は,この場で護良親王だけが見抜いた尊氏の「人ならざるもの」に融合していく。
この上なく禍々しいシーンであるにもかかわらず,その絵画的な美に目を奪われてしまう。まるで現代アートの展示会を観ているかのような趣の画風だ。尊氏の途方もないカリスマ性を卓越した美的感性で示してみせた,きわめて説得力のあるシーンである。
この話数の絵コンテ・演出を手掛けた菊地陽子は,武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒という経歴を持つ。*1 無論,美大卒のアニメーターそのものは珍しくはないが,その経歴から生まれた感性がこの話数のいくつかの着想の母体となったことは確かだろう。アニメファンとして,“日本アニメ”という媒体の因習にとらわれない,自由な表現が生み出されたことを喜ばしく思う。
作品データ
*リンクはWikipedia,@wiki,企業HP,Xアカウントなど
【スタッフ】
原作:松井優征/監督:山﨑雄太/シリーズ構成:冨田頼子/キャラクターデザイン・総作画監督:西谷泰史/副監督:川上雄介/プロップデザイン:よごいぬ/サブキャラクターデザイン:高橋沙妃/色彩設計:中島和子/美術監督:小島あゆみ/美術設定:taracod,takao/建築考証:鴎利一/タイポグラフィ:濱祐斗/特殊効果:入佐芽詠美/撮影監督:佐久間悠也/CGディレクター:有沢包三,宮地克明/編集:平木大輔/音響監督:藤田亜紀子/音楽:GEMBI,立山秋航/音響効果:三井友和/制作:CloverWorks
【キャスト】
北条時行:結川あさき/雫:矢野妃菜喜/弧次郎:日野まり/亜也子:鈴代紗弓/風間玄蕃:悠木碧/吹雪:戸谷菊之介/諏訪頼重:中村悠一
【第六回「盗め綸旨,小笠原館の夜」スタッフ】
脚本:山崎莉乃/絵コンテ・演出:菊地陽子/作画監督:Nogya/作画監督補佐:髙橋沙妃,三輪修平,宮内祟,上武優也,小室裕一郎,中下美湖,髙石まみ
原画:菊地陽子,柴田志朗,小磯沙矢香,三輪和宏,川原智弘,近藤高光,横山未来,深海無名,吉川由華,36.5°C,田中宏紀,Raisu,BS_kim,Hoodieboi,繁澤敬ニ,Amphibi,Muhammad Palmer,佐竹秀幸
この他,この素晴らしい話数に参加されたすべての制作者に拍手を。
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【原作マンガ】
*1:本人のプロフィールサイトを参照。