アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

アニメと一緒に読んだ本 2024

言うまでもなく,アニメは映像表現だ。それはもっぱら“観る”こと,つまり視覚を経路として鑑賞されることを目的としている。しかしまたアニメは,例えば小説原作作品のように“語り”から生まれることもある。あるいは,その考察やレビューといった形でーまさしくこのブログがそうなのだがー“語り”を生むこともある。さらにアニメは,キャラクターのセリフという形で“語り”を内包している。アニメと語りの間を隔てる差異は決定的だが,その距離は意外にも近い。両者は異質な媒体として,互いに寄り添い,補い合い,支え合っている。

今年,アニメと一緒に読んだ本たちは,そんなアニメと語りの“遠くて近い”関係を改めて実感させてくれたように思う。

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黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』(1981年)

当ブログの2023年の総合ランキングで1位としてピックアップした劇場アニメ『窓ぎわのトットちゃん』子どもの“自由な身体”を卓越したアニメーション描写で表現した傑作だ。

原作小説は,〈幼いトットちゃんの目線〉と〈大人になった黒柳徹子の語り(解説)〉が混在する叙述になっているが,アニメはあくまでもトットちゃんの目線だけで世界を捉える作りになっている。アニメでは黒柳は多くを語らない。まるでトットちゃんの目に映る世界の解釈を僕らに委ねるかのように。“トットちゃん”というキャラクター自体を僕らに委ねるかのように。現代に生きる僕らは,現代という時代的文脈の中で「トットちゃん」を捉えるべきなのかもしれない。「トットちゃん」という特殊なキャラクターの普遍性を噛み締めながら。

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武田綾乃『響け!ユーフォニアム』シリーズ(2013年-)

2024年春クールの放送を持って堂々の完結を迎えた『響け!ユーフォニアム』シリーズ。完結編のレビューを執筆するに当たり,全アニメシリーズ(劇場版含む)を再観賞,さらに全原作小説(短編,スピンオフ,及び関連作品の『今日,きみと息をする。』を含む)を読破した。半年ほどにわたる比較・考察の中で見えてきたものは大きい。

原作の客観的で透明度の高い語りは,アニメでは久美子のモノローグに重ね合わせられている。原作ではimpersonalな語りの主体が,アニメでは久美子というキャラの厚みを得つつ,わずかに色を帯びて他の部員たちを見遣っていることがわかる。

当然のことだが,アニメとは違って小説では演奏の場面を言葉で伝えなければならない。武田はその描写が卓越している。奏者の緊張感,息遣い,運指,メロディーの進行,ソロのインパクト,そして久美子の感情。実際に音楽を聞いていなくとも,その場の音圧や熱量が濃密に伝わってくる。言葉で音楽を伝えることには限界がある。だから武田は本当はもっともっと言葉を尽くしたかったのだと思う。筆者の描写への渇望が感じられる。

そしてアニメと原作の違いがもっともはっきりと表れた,「久美子3年生編」全国大会オーディション。原作のストレートな“ハッピーエンド”もいいが,花田十輝脚本の改変から生まれた豊かな感情と強い思想もとてもいい。とりわけアニメでは「正しさ」というものの価値,そこにどうしようもなく付きまとう人間らしい感情が克明に描き出されていた。部活アニメとしては稀に見る深いドラマが実現されていたと思う。

この作品は原作とアニメを比較するのがとても楽しい。アニメ勢の方はぜひ原作も読まれることをお勧めする。

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井上俊之『井上俊之の作画遊蕩』(2024年)

稀代のカリスマアニメーター・井上俊之が,現場の第一線で活躍するアニメーターたちと「作画」の有り様を語る対談集。「月刊ニュータイプ」に掲載された同名連載を一冊の書籍にまとめたものである。沖浦啓之,黄瀬和哉,安彦良和,小林恵祐,鶴巻和哉,鈴木亜矢,友永和秀,森匡三,山下清吾,竹内孝次と,ベテランから若手,アクション派から日常芝居派まで,多様な作り手と共にアニメの作画を語り尽くす一冊だ。

井上は超人的な才能を持ったアニメーターでありながら,同時に“語る”ことを得意とした人物でもある。彼の的確な言葉の選択と表現のセンスは,作画の「神々」の個性をありありと浮かび上がらせる。そしてその“語り”の原動力は,「うまいアニメーターを見るとすぐライバル視してしまう」(p.115)という彼の気質にあるのかもしれない。

また本書は,アニメの制作工程における「レイアウト」が抱える問題点を指摘した書物でもある。アニメ制作に携わる人はもちろん,アニメファンにとっても必読の一冊と言えるだろう。

 

沓名健一『作画マニアが語るアニメ作画史 2000〜2009』(2023年)

冒頭でも述べた通り,アニメは“観る”ものであり,作画は“描く”ものだ。しかしまさしく書名にあるように,本書はアニメの作画を“語る”ことに徹する。図版等の視覚資料を一切使用せず,20年にわたる作画の歴史を語り尽くす。膨大な量の作品と,膨大な数のアニメーターたち。膨大な量の固有名が紙面を埋め尽くす。作画オタクの上位存在たる「作画マニア」沓名健一と,「アニメ様」こと小黒祐一郎による,壮絶なる“アニメ語り”だ。沓名と小黒は遠慮なく主観を織り交ぜる。しかしだからこそ,その語りはユニークでエキサイティングなものになる。2人が語るアニメを今すぐにでも観賞したくなる。そんな熱い“語り”が繰り広げられる一冊だ。おそらく相当のアニオタでも,ここに挙がる作品のすべてを鑑賞している人は少ないだろう。本書をガイドに,過去の作品を総ざらいするのもいいかもしれない。

 

『アニメータースキル検定(トレス・タップ割り検定6級・5級)』(2024年)

『アニメータースキル検定(トレス・タップ割り検定6級・5級)』は,アニメーターになるための初歩の初歩を説いた教本だ。主に動画の工程をメインに,原画のトレス,タップ割り,目パチ・口パクなどについて詳しく解説されている。もちろん本来の読者対象はアニメーター志望者だが,アニメファンが読んでも学ぶものは大変大きい

アニメの原画展を観に行かれたことはあるだろうか。原画や動画の中には,「ツメ指示」や「色トレス」や「裏塗り」など,作業工程において重要な情報が詰め込まれている。ごく一般的なレベルのアニメファンであれば,そうした情報を知らずとも十分に作品を楽しむことができるだろう。しかしそれらが示す意味を知ることで,アニメーターたちがそのカットにおいて何をしているのか,どんな芝居を目指しているのか,といったことがよりはっきりとわかるはずだ。中間制作物は思いの外,僕らに“語り”かけてくるものなのだと思う。

先述の『井上俊之の作画遊蕩』と『作画マニアが語るアニメ作画史』が“原画”を語る本だったとすれば,本書は“動画”を語る本だ。ここには「テレビの画面に映るのは動画が描いたもの」という言葉が何度か登場する。僕らは作画を語る際,“原画”ばかりに目を向けてしまいがちだが,それを作品として成立させるために,様々な工程が存在していることを忘れてならない。“動画”はアニメの初歩ではあるが,“原画”よりも作品の完成形に近い位置にいる。

テレビ画面に映るきらびやかなアニメーションの向こう側で,アニメーターたちが具体的にどんな作業に勤しんでいるのか。それに想いを馳せるだけでも,作品の感じ方は大きく変わってくるだろう。

 

以上,2024年版「アニメと一緒に読んだ本」5冊を紹介した(ここに挙げた以外にも間接的に参照した本も多数あるが,今回は割愛した)。

本記事をご覧になったアニメファンのみなさんが,上掲の書のいくつかを手に取ってお読みになり,どこかで互いの感想を共有できれば幸いである。

最後に,恐縮ながら世界最大のベストセラーからのパクリ文句でこの記事を締めくくろう。

「アニメに言葉ありき」