*このレビューはネタバレを含みます。必ず作品本編をご覧になってからこの記事をお読み下さい。
橘正紀監督『プリンセス・プリンシパル Crown Handler』第4章が公開され,全6章から成る『Crown Handler』シリーズはいよいよ後半戦に差し掛かった。大きな物語の進展はないが,彫金師グラハム・ターナーをめぐるエピソードを挿入することにより,第1章で暗示された「白鳩」たちのアイデンティティの不安を露呈させ,共和国と王国を分断する壁の非情を象徴的に伝えるという,優れたストーリーテリングを見せた章である。
あらすじ
メアリー王女の共和国亡命は失敗し,チーム白鳩たちは王国側に拘束される。ノルマンディー公はプリンセスを人質にとり,二重スパイとして王国側に与することを白鳩たちに命じる。2つの力の狭間で危うい立場に置かれた彼女たちの元に,共和国側諜報部のLから,彫金師グラハム・ターナーの動向を探る指令が下る。
鋼の縁
雨模様のロンドンの空を数羽の白鳩が舞う。カメラはノルマンディー公の執務室の卓上に置かれたオブジェクトを捉える。アンジェ,ドロシー,ちせから押収した銃と刀とCボールだ。3DCGで描画された無機質で硬質な金属は,この作品を世界観を規定している“スチームパンク”を改めて思い起こさせる導入部だ。



しかし本章において“鋼”のイメージは,単なる世界設定の中のオブジェであることを超え,より積極的に物語を駆動する装置として機能している。とりわけ本章の要であるベアトリスとターナのエピソードにおいて,鋼は1つの縁(えにし)の役割を担う。
ベアトリスは,父親の狂気の実験によって声帯を機械化されている(「#3 case2 Vice Voice」より)。以来,彼女は声色を自在に変える能力を得,かつ自ら工具を用いて人工声帯をメンテナンスする習慣を身につけた。掃除婦としてターナーの仕事部屋に潜入した彼女が,掃除の一環として卓上の工具に機械油を塗るというのはごく自然な行為だった。そしてそれが偶然のきっかけとなり,彼女は偏屈極まりないターナーに認められるようになる。



無骨でやさぐれた彫金師と,華奢で可憐な侍女(スパイ)。本来であれば接点も共通項もない2人が,工具という“鋼”を縁として心を近づける。ターナーはベアトリスの身を案じ,工場の荒くれから彼女を庇護しようとする。ベアトリスはターナーの不遇を知り,銃弾から身を挺して守ろうとするほどにまで肩入れする。緊迫感がいやましに高まる物語において,小さな陽だまりのように温もりのあるエピソードだ。


分断
しかし,いかにベアトリスとターナーにおいて温かな縁が実現していようとも,物語全体としては,以前として〈分断〉という暗い影がこの世界を覆い尽くしている。王国と共和国を隔てる壁はこの世界を二重化し,人々の心と身体を非情に引き裂く。
それを象徴するのが,ノルマンディー公によって二重スパイを命じられた白鳩たちの立場である。
ちなみに物語冒頭で獄内の白鳩たちが着せられていた囚人服には,broad arrowと呼ばれる印が付いている。劇場版プログラムにも白土晴一による解説があるが,これはアルビオン王国のモデルとなったかつてのイギリスで実際に用いられていたシンボルだ。当初,政府の官有物であることを示すために軍用品につけられたが,後に囚人服にも用いられるようになった。女性参政権運動で有名なクリスタベル・パンクハーストも収監時に身につけていたことが知られている(下図:右,右側の女性)。


王国のノルマンディー公は白鳩に“所有物”としての烙印を押す。一方,共和国の諜報機関はターナー調査の任務(事実上は王国側との取引き)に敢えて白鳩を任命し,その忠誠心を測ろうとする。これまで共和国側のスパイとして明確だった白鳩たちのアイデンティティが,ここで俄かに揺らぎ始める。第1章でウィンストン(ビショップ)がアンジェに向けて言った「自分すら曖昧になってくる。あなたもいずれそうなりますよ。嘘をつき続けていると」というセリフが,この事態の不吉な予言であったことが判明する。白鳩は王国と共和国の力の狭間で,その立場を危うくしていく。
彫金師・ターナーの境遇も〈分断〉に呪われている。彼は革命によって王国と共和国が分断した際,愛する妻と生き別れになっている。彼は結核を患う妻を案じて仕送りを続け,妻も夫が戻ることを信じて待ち続けている。ちせの「そこまで想い合っていても,国境は越えられんのか…」というセリフは,近代的な国境を知らない“日本人”のナイーブな心情というよりは,この物語における分断の脅威の度合いをシンプルな言葉で表したものと言える。
ノルマンディー公とコントロールは,共和国に捕らわれた“ジョンソン・カーター”を王国に引き渡す代わりに,ターナーを共和国側へ亡命させるという取引を行なっていた。ターナーは妻に会いたいとの想いから,共和国への亡命の提案に応じる。しかし“ジョンソン・カーター”が殺害されたことにより,王国と共和国との取引は帳消しになる。王国から白鳩にターナー殺害の命が下される。ターナーを亡命させ,共和国に忠誠を示すか,あるいは彼を殺害し,王国側に与するか。ここにおいて,ドロシーとアンジェの立場が〈分断〉する。
ドロシーは共和国側の利害を重視し,ターナーの亡命を完遂させようとする。一方,アンジェはプリンセスの命を守るため,王国の命に従ってターナーを殺害しようとする。ドロシーは体裁上は共和国への“忠義”という構えとっているが,おそらく彼女を突き動かしているのはphilanthropopia「博愛(人間愛)」である(そしてその点において,彼女はプリンセスと思想を共有している可能性がある)。一方,アンジェの奥底にあるのはいわばidiophilia「個人愛」であり,それはひとえにプリンセスだけに向けられている。
アンジェの「国を選ぶか,仲間を選ぶか,自分を選ぶのか」という言葉は,この物語における解決不可能なアポリアを言い当てている。そしてそのアポリアの中で,白鳩たちはスパイとしてのアイデンティティを〈分断〉されている。今のところ,その彼岸にある世界ーー国と仲間と自分を同時に選ぶ世界ーーが見えている,あるいは見ようとしている人物はいないのかもしれない。おそらくプリンセス一人を除いては。
血,分断される身体
この危機的なジレンマの解決策を提供したのは,他ならぬターナーであった。彼は自らの右腕を切断することにより,彫金師としての己を“殺害”し,共和国へ亡命することを提案する。白鳩が王国と共和国への忠誠を同時に示すことができる妙案だ。
ターナーの腕はちせの刀という鋼によって切断される。ベアトリスとターナーの出会いにおいては縁となった鋼が,ここでは切断の役割を担う。刀身が肉に食い込み,大量の出血とともに彼の腕は切り落とされる。通常であればブラックアウトなどによってオミットされる身体切断の瞬間が,ここでは生々しく描写されている。そしてこの描写には必然性がある。その理由は明らかだろう。この大量の出血と猛烈な痛みを伴う切断こそが,この世界における〈分断〉の本質だからである。ターナーの腕は王国に引き渡され,本人は共和国へ亡命する。彼の身体がたどる境遇そのものが,この世界における壁とその〈分断〉を象徴しているのだ。
さて,壁がもたらしたこのアポリアを克服できるのは,はたして愛か,力か。


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作品データ
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【スタッフ】
監督:橘正紀/シリーズ構成・脚本:木村暢/キャラクター原案:黒星紅白/キャラクターデザイン:秋谷有紀恵,西尾公伯/総作画監督:西尾公伯/コンセプトアート:六七質/メカニカルデザイン:片貝文洋/リサーチャー:白土晴一/設定協力:速水螺旋人/プロップデザイン:あきづきりょう/音楽:梶浦由記/音響監督:岩浪美和/美術監督:杉浦美穂/美術設定:大原盛仁,谷内優穂,谷口ごー,実原登/色彩設計:津守裕子/HOA(Head of 3D Animation):トライスラッシュ/グラフィックアート:荒木宏文/撮影監督:若林優/編集:定松剛/アニメーション制作:アクタス
【キャスト】
アンジェ:古賀葵/プリンセス:関根明良/ドロシー:大地葉/ベアトリス:影山灯/ちせ:古木のぞみ/L:菅生隆之/7:沢城みゆき/ドリーショップ:本田裕之/大佐:山崎たくみ/ノルマンディー公:土師孝也/ガゼル:飯田友子/メアリー:遠藤璃菜/リチャード:興津和幸
【上映時間】60分
作品評価