*この記事は『タコピーの原罪』「第1話 2016年のきみへ」のネタバレを含みます。また,作中のセンシティブな描写についても触れていますので,作品の主旨をご理解いただいた上で,十分ご注意の上,本記事をお読みいただくようお願いいたします。
2021年から2022年にかけ,タイザン5『タコピーの原罪』がマンガ界の話題を攫ったことは記憶に新しい。後にアニメ化の報があった際には,この作品が孕むセンシティブなテーマを処理し切れるのか少なからぬ不安もあった。しかし今回紹介する「第1話 2016年のきみへ」によって,その懸念は完全に払拭された。アニメ班が原作の問題提起から一切目を背けることなく,そこに真正面から取り組むことを選択したことが,この話数からはっきり見て取れる(Web配信という伝達形式を取ったのもそれが理由だろう)。脚本・絵コンテ・演出は,この作品で監督を務める飯野慎也,作画監督は『葬送のフリーレン』(2023年)『ダンジョン飯』(2024年)などに参加経歴のある長原圭太である。その技を詳しく観ていこう。
描線:“非現実”的な球体


この正面カットは,しずかとタコピーが初めて出会うシーンのものである。しずかの怪訝そうな表情と,タコピーのとぼけた表情とのコントラストが印象的だ。
そもそもタイザン5の描く原作マンガは,キャラのデザインの仕方に目立った特徴がある。しずかを始めとする人物キャラは,毛髪,服の皺,汚れなど,描線の情報量が比較的多い。アニメではこの点が忠実に再現されており,『ルックバック』(2024)などの作画思想と似たものがある。それに対し,タコピーはシンプルな曲線のみで描かれ,描画的な情報量が極端に少ない。さらにアニメでは,この初対面の場面で一陣の風を吹かせることで,しずかの髪を乱すという演出をしている。これにより,2人のデザインの情報の多少が強く印象付けられている。



しずか・まりな・東を構成する描線の情報量は,彼女たちを取り巻く複雑かつ過酷な“現実感”を象徴しているように思える。それは,植生や構造物やプロップなど,リアルに描画された美術とも正確に対応している。それに対し,タコピーのシンプルなデザイン(そしてそのナイーブな精神構造)は明らかに“浮いて”いる。この世界において,タコピーだけが現実感を欠いているということ。彼(?)だけがこの世界の現実から乖離し,だからこそ,この世界に異和をもたらすことができるということ。そしてだからこそ,この世界の頑なな現実に介入・作用できるということ。アニメの導入部は,この世界におけるタコピーの特殊な立ち位置をいっそう際立たせていると言える。
構図:諦念と動揺
さらに第1話は,原作とはやや異なるオリジナルの画や構図を取り入れることで,キャラクターの心理やこの世界が孕む不安を巧みに描き出している。
タコピーが初めて「ハッピー道具」を出す場面を観てみよう。タコピーはパンをくれたお礼として,空を自由に飛べるようになる「パタパタつばさ」をしずかに貸そうとする。しかしタコピーの思惑は外れ,しずかは「空なんて飛べたって,どうせ何も変わらないし」と言って「パタパタつばさ」に興味を示さない。タコピーは,しずかたち人間が鳥と一緒に飛行訓練をしているから,空を飛ぶことに興味がないのだと“誤解”する。



上図のうち右のカットは原作通りだが,アニメではその直前に上図・左と中の画を挿入している。夕日の逆光を受けて全カゲになった鳥たちが,同じく全カゲになった電柱に宿っている。その様は,さながらアルフレッド・ヒッチコック『鳥』(1963年)の場面のように不気味極まりない。それはしずかの“自由の希求の諦念”という仄暗い心理を暗示しているようにも見える。本来的には,ここではしずかとタコピーのディスコミュニケーションが生じているわけだが,アニオリとして挿入されたタコピーのこの妄想は,しずかの内面を図らずも言い当てた格好になっている。
次に,しずかとタコピーがチャッピーに出るシーンを観てみよう。場面は夜。タコピーはしずかに母星の「ハッピー星」に遊びに来ることを提案するが,しずかは「行けないよ。どこにも。ハッピー星にも。パパのところにも」と言って拒否する。


この場面で,原作は画面の右側を見通しのよい空間として描いている(上図・右)が,アニメは電柱を等間隔に配している(上図・左)。まるで合わせ鏡の像のように,奥に向かって連鎖してく電柱。しずかの“抜け出せなさ”という心的状況を実に上手く表している。ちなみに先ほどの鳥のカットもそうだったが,アニメは電柱や電線が写ったカットを多用している。これもやはり画面の情報量を増やし,リアリティのラインを上げる役割を担っていると言ってよいだろう。
最後に,しずかの自死をタコピーが発見するシーンを観てみよう。言うまでもなく,本作の中でもっともセンセーショナルでセンシティブな場面である。



タコピー視点でのカメラが徐々にダッチアングルに変わり,場面の不穏さを醸し出す(上図・左)。ここでアニメは,しずかの身体が落下するカットを挿入しており(上図・右),原作以上に生々しいリアリズムに基づいて状況を伝えている。ただしこの辺りでは,カメラは標準レンズによってパースを律儀に捉えており,“客観描写”に徹している印象だ。



しかしタコピーがしずかの死に気づいた刹那,画角が俄かに超広角(魚眼レンズ)に切り替わり,室内のパースが大きく歪曲する。極端な構図のカットも挿入されている。
伝統的で客観的なパースから,人工的に歪んだパースへ。この唐突な構図の変化は,原作にはないアニメオリジナルである。この場面で起こっている出来事の異常さ,そして突発的な出来事を前に大きく動揺するタコピーの心理を,構図のスイッチで巧みに表現している。
なおレンズによる歪みの演出については,当ブログではこれまで『王様ランキング 第2クール』(2022年)『お兄ちゃんはおしまい!』(2023年)『ダンジョン飯』(2024年)などの作品でも取り扱ってきた。下の「関連記事」を参照していただきたい。
影:闇に飲み込む/闇に飲まれる
アニメ第1話では,いくつかの場面で独自の光/影の使い方をしている。特に印象的な2つのシーンを観てみよう。



しずかの自死の直前のシーンに戻ろう。夜の散歩におけるしずかの笑顔のアップの直後,いじめにあったしずかのアップが写し出される。前者と後者を同じ構図で重ね合わせることにより,しずかにとって喜びが長続きしないこと,彼女の人生に常に悲劇がつきまとっていることが表されている。夜の美しい星空から,昼の過酷な日差しへの転換も効果的だ。アニメではここに蝉の鳴き声が加えることで,夏の過酷さを強調している。ただし,ここまではほぼ原作通りの演出と言ってよい。




背後から逆光を浴びるしずかの前に,濃い影が落ちている。ここでアニメでは面白い演出を施している。しずかの事情を知らず,呑気な様子で近づいていくタコピー。彼はしずかが落とした影の中に入り,ほぼ全カゲの状態でしばし会話を続ける。まるで,しずかが担う“闇”の中に,タコピーが自ら身を投じているかのようだ。物語全体におけるしずかとタコピーの関係性を予示しているように思える。
次に,まりなと母が登場するラストシーンを観てみよう。
放課後,帰宅したまりなは,父と諍いを起こしたばかりの母の姿を目にする。母は「まりちゃんはママの味方だよね…ママのおはなし聞いてくれるよね…?」と言いながらまりなにゆっくりと近づいていく。


この時,それまで暮れ泥んでいた西陽が俄かに傾き始める。非現実的な速度で影が広がり,室内のまりなを取り込んでいく。母の手が頬に触れた瞬間,まりなの顔は全カゲになり,彼女の目がや後生動物のように異様に光る。画面は唐突にブラックアウトする。もちろん,原作にはない演出である。
まりなも,しずかと同等の深い“闇”を抱えていることを視覚的に伝えた名シーンだ。しずかもまりなも,大人が作り出した残酷な“現実”の犠牲者である。ただし,しずかが“闇”でタコピーを覆っていたのに対し,まりなは自身が“闇”に覆われるのだが。
第1話から判断するに,本作のアニメは原作の思想を忠実かつ的確に伝えると同時に,アニメならではの方法でそれを増幅するという演出方針をとっているようだ。今後の話数も,細部の演出まで堪能できる作品となるに違いない。
作品データ
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【スタッフ】
原作:タイザン5/監督・シリーズ構成:飯野慎也/キャラクターデザイン:長原圭太/プロップデザイン:10+10,中井杏/2Dワークス:アズマ,10+10/美術監督:板倉佐賀子/色彩設計:秋元由紀/CGディレクター:茂木邦夫/カラースクリプト:大谷藍生/撮影監督:若林優/編集:坂本久美子/音響監督:明田川仁/音楽:藤澤慶昌/アニメーション制作・プロデュース協力:ENISHIYA
【キャスト】
タコピー:間宮くるみ/しずか:上田麗奈/まりな:小原好美/東:永瀬アンナ
【「第1話 2016年のきみへ」スタッフ】
脚本・絵コンテ・演出:飯野慎也/作画監督:長原圭太/プロップ作画監督・ハッピーアーティスト:10十10
原画:長原圭太,新井博慧,小野寺蓮,中道紘彬,ship,佐藤利幸,和谷興,dong hoon,卓子意,亀澤蘭,大谷藍生,本田舞波,伊藤晋之,10+10,飯田悠一郎,白川亮介,大島塔也,辻彩夏,廣田光平,後田信介,尾辻浩晃,中村颯,入江篤,片出健太
この他,この素晴らしい話数に参加されたすべての制作者に拍手を。
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