*この記事は『上伊那ぼたん,酔へる姿は百合の花』「第11話」のネタバレを含みます。

塀原作/佐久間貴史監督『上伊那ぼたん,酔へる姿は百合の花』(以下『上伊那ぼたん』)各話レビュー第3弾として,今回は「第11話」を取り上げる。2つの〈時間〉の描出と,構造物を利用した心情描写。抽象的でありながら,キャラクターの心理をありありと伝えた演出が光る名話数だ。脚本は本作の「第3話」「第 7話」「第9話」を手がけた白坂英晃,絵コンテはマニフィ・シンガー・メル,演出は『アンデッドアンラック』(2023-2024年)などに参加経歴のある菅原尚である。その技を詳しく見ていこう。
実存的時間
時間は伸縮する。物理的相対性のことを言っているのではない。実存的相対性のことだ。人は時間を“客観的”に認識するときーーすなわち待ち時間の間に時計を見てしまうときーー,それを他者を媒介した抽象的な時間と捉える。自分ごとではないそうした時間は,空疎な延長を持ち,日本語の慣用句で言えば“潰す”対象,英語の慣用句で言えば“殺す”対象(kill time)となる。


しかし時間が自分の実存に関わるとき,いや実存そのものであるとき,人はその時間を本当の意味で“生きる”。そのとき時間は「20分」というような客観的で空疎な延長であることをやめ,様々な知覚と経験で満たされる。いわゆる“体感秒”という境地だ。
『上伊那ぼたん』第11話アヴァンにおけるジンランのカットは,そうした〈実存的時間〉の気分をよく伝えている。水彩風の絵は,この場面の時空間が彼女の内的世界であることを告げている。人々の雑多な声や隣にある水槽の音ですら,このときの彼女は楽しんでいる(上図・左)。彼女はこの間,スマホを弄るでも本を読むでもなく,純粋に時そのものを味わう。客観的な「20分」は確かに経過しているのだが,彼女が知覚しているのはその類の時間ではないのだ。その後,水彩風の幻想的な絵から現実的な絵に徐々に切り替わり,カメラはじわじわとトラックバックしていく(上手・右)。深い内的思索から,ゆっくりと現実世界に浮上する様子を表した,優れたカメラワークだ。
むろん,ジンランが実存的時間に身を浸し,それを楽しむことができたのは,その先にかなでとの時間が待っていたからだ。だから彼女は「好酒沈甕底」ーー「本当に旨い酒は甕の底に沈んでいる」ーーと独り言つ。彼女は,時の熟したその先に,極上の“美酒”が待っていることを知っていた。未来に訪れるものが,今の瞬間を充実させる。これは,かなでが最初からこの場にいた場合には得られなかった境地だろう。“待つ”という行為にも価値があるのだ。



このシーンでは金魚の水槽が映り込むカットが多用される。ジンランの心象世界としての水彩風カット(上図・左上),真横からのロングショット(上図・右上),そして水槽内からのカット(上図・下)。どれも金魚の暖色によって華やかさが加わり,絵画作品のような趣がある。特に水槽内のカットは,かなでの吸う煙草の煙が有機的なラインを作ることで,水中の風景と奥の2人の空間との間に調和が生まれている。奥の窓との関係性もいい。現実的な描写でありながら,一種独特な幻想感に満ちている。


「次,なに飲む?」と聞かれたジンランが,唐突に「好き」と呟くシーン。最初,カメラは左側からジンランを捉えている。しかし「好き」のカットの後,カメラが切り替わり,かなでをナメながら右側からジンランを捉える(上図・左)。いわゆる“イマジナリーライン”を越えたカメラワークだ。実はこの構図自体は原作通りなのだが,原作ではイマジナリーライン越境前後で改ページしているため,特に違和感はない(そもそもマンガではイマジナリーラインははさほど意識されない)。しかしアニメではカットが連続するため,この“越境”が際立ってくる。
イマジナリーラインの越境は,空間や人物の位置関係の把握に混乱をきたすため,映像の基本ではタブーとされることが多い。しかしここでは,「カメラ自体がジンランの突然の“告白”に仰天し,慌ててかなでの反応をフレームに収めるべく,タブーを侵した」というストーリーが見えてくる。“マニフィ・シンガー・メル”なる人物が,これを自覚的に演出したかどうかは重要ではない。映像とは“結果的にどう見えるか”こそが問題なのだから。
ジンランに「好き」と言われたかなでは,ジョン・カサヴェテス(アメリカの映画監督)の話をやめ,エドワード・ヤン,侯孝賢,馬志翔(全て台湾の映画監督)の話題を持ち出す。ジンランの直球の告白に対し,映画監督の話題転換によって好意の矢印をほのめかすという,かなり高度な“返し歌”のスキルだ。この際,これまでフィックス中心だったカメラが,かなでパンアップ→ジンラントラックアップ→かなでパンと,移動中心のワークに切り替わり,2人の間に広がる情感をじっくり捉える(上図・右)。
ジンランとかなでの間の,湿度の高い心情をうまく捉えた演出である。
上昇と下降


ショッピングに出かけるぼたんといぶき。この年頃の女性らしく,生き生きとはしゃぐ様子が微笑ましい(上図)。


しかしそのロケーションは,ほとんど異様と言ってもいい。原作では現実感のある街並みの風景だが,アニメでは山中らしき場所に建つ巨大なアトリウムを舞台にしている(上図)。その中央をオートスロープが貫く。ショッピングの愉悦を幾何学的に象徴するかのように,2人の姿はスロープをゆっくりと〈上昇〉していく。しかし天井からは無数のマネキンが吊り下げられており,この空間に文字通りのサスペンス(sus:下に+pense:吊るす)を加味している。
ファッションブランドに詳しいぼたんと,洋服にはさほど頓着のないいぶき。2人の間にほんの少しだけ隙間が生まれる。アトリウムの枠が抽象的なグリッドのように,無機質に空間を分断しているように見える(上図・右)。2人の〈上昇〉という事実を保証しているのは,オートスロープの傾斜とカメラのパン移動だけである。



パフュームショップに立ち寄る2人。店員と積極的にコミュニケーションを取りながら香水を試すぼたんと,やや気後れするいぶき。この隙間を埋めようと,いぶきも香水をーーそしてぼたんをーーもっと知ろうとする。いぶきにぼたんが接近していくカット(上図・右)は,まるでシュルレアリスム絵画の中に入り込んだかのようだ。ディスプレイスタンドの上にうさぎのオブジェが置かれていることも相まって,御伽噺のような雰囲気もある。超現実的な印象の強いシーンだ。


いぶきが“ぼたんのために”香水を選ぶ。選んだのはJ-Scentの「花見酒」。WEBショプの情報によれば,「吟醸香のフルーティで華やかな香りから、舞い踊る花びらに乗って漂う桜の甘さが広がり,上質なムスクが微酔を帯びたように心地よくフェードアウトしていく儚げな香りです」ということらしいので,いかにも酒好きのいぶきらしいチョイスである。「この香りをまとって,あなたのそばにいたいと思ったの」と,先ほどのジンランに劣らぬ直球を放ったいぶきは,自ら耳まで赤くなってしまう。
しかしその“酒”こそが,ぼたんの気持ちをかき乱す原因となる。(ここから先のシーンはアニメオリジナルである)。


ショッピングからの帰り道。ロケーションは再びあのアトリウムである。今度は,2人の姿は〈下降〉している(上図・左)。いぶきがいつも通り酒の話で盛り上がり始めると,ぼたんは不意に不安を覚えるーーお酒がなかったら,いぶきは自分との時間が楽しいのだろうかーーと。この時,アニメでは螺旋階段を上から覗き込むカットを挿入している。アルフレッド・ヒッチコックの『めまい』(1958年)を想起させるカットだ。この〈螺旋〉および〈下降〉のイメージは,最後の「ねえ,いぶき,私たちは前に進んでるよね?」というぼたんの言葉と明確に背反しつつ,彼女の不安の気分をうまく伝えている。
未来投企


「A世界線」=音楽 vs「B世界線」=就職。あかねは「詮無いことを懊悩」している。しかし実際,彼女にとってこれは「詮無い」選択ではない。一点透視図法により,パースを強調した廊下をまっすぐに歩くあかねのカットは,視聴者の視線を前方へと誘導しており,彼女が未来に向かって己を投企しようとしていることを明確に示している(上図・右)。
あかねにとっての「A世界線」と「B世界線」の対立は,『響け!ユーフォニアム 3』(2024年)で描かれた〈演奏の時〉と〈社会の時〉と綺麗に符合する(下記リンクの記事を参照)。結局,黄前久美子は,演奏を楽しむ今この瞬間=〈演奏の時〉と社会の中に身を置く未来=〈社会の時〉とを,“吹奏楽部の顧問になる”という選択で接合したわけだが,あかねはもっとラディカルな選択をしたかったのだろう。



あかねはぼたんを誘い,シーシャ(水煙草)を提供するカフェに赴く。そこはまるで社会と隔絶されたかのような閉鎖空間である(上図・左)。カメラも,天井とも宙空ともつかぬ非現実的な場所に設置されている。亜空間のようなその場所で,あかねはぼたんに大学を辞める可能性を伝える。つまり彼女は「B世界線」を離れ,「A世界線」に身を置きたいと考えているのだ。『ユーフォ』で言えば〈演奏の時〉である。あかねはこのとき,シーシャのパイプを握りしめながら「焦がれたい,今すぐに」と呟く。〈今ここ〉にある音楽の愉悦を優先する。潔い。それがあかねなりの未来投企のあり方なのだろう。そしてこの〈時〉の捉え方が,冒頭のジンランの〈実存的時間〉とどこかしら似通っているのは,偶然ではないのかもしれない。
作品データ
*リンクはWikipedia,@wiki,企業HP,Xアカウントなど
【スタッフ】
原作:塀/監督:佐久間貴史/副監督:戸澤俊太郎/シリーズ構成・脚本:米内山陽子/キャラクターデザイン:吉成鋼/サブキャラクターデザイン・メインアニメーター:みやち/プロップデザイン・メインアニメーター:松尾祐輔/衣装デザイン:藤井有紗/美術監督:宮越歩/色彩設計:伊藤唯/撮影監督:富田喜允/3D監督:小川耕平/編集:廣瀬清志/音楽:橋口佳奈/音響監督:明田川仁/音響制作:マジックカプセル/アニメーションプロデューサー:村上光/制作:ソワネ
【キャスト】
上伊那ぼたん:鈴代紗弓/砺波いぶき:青山吉能/郡上かなで:寿美菜子/遊佐あかね:天海由梨奈/北杜やえか:富田美憂/張景嵐:河瀬茉希
【「第11話」スタッフ】
脚本:白坂英晃/絵コンテ:マニフィ・シンガー・メル(上野壮大の説あり)/演出:菅原尚/作画監督:宮原拓也/動画検査:今西麻綾/色指定・検査:秋田莉緒/制作進行:岡田萌奈
原画:佐藤弘明,木曽勇太,西谷衆平,松村佳子,すあま,お米ぷん,平林航,吉川由華,Niii,Girardin Solal,CloverWorks[鈴木咲花]
この他,この素晴らしい話数に参加されたすべての制作者に拍手を。
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