アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

For the peaces of the worlds ー 世界の複数性のために

*この記事には大きなネタバレはありませんが,『ぼっち・ざ・ろっく!』『BanG Dream! Ave Mujica』『世界99』『その着せ替え人形は恋をする Season 2』『瑠璃の宝石』『羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来』の内容に触れています。必ず作品本編をご覧になってからこの記事をお読みください。

 

新年あけましておめでとうございます。

 

結束バンドがカバーしたASIAN KUNG-FU GENERATION「転がる岩,君に朝が降る」の歌詞は,こんな言葉で始まる。

出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっとそれもあるよな            

作詞:後藤正文

このカバー版は『ぼっち・ざ・ろっく!』第12話(最終話)のEDテーマとして使われ,結束バンドのアルバム「結束バンド」にも収録されている。原作者のはまじあきが「ぼっちに一番合っている曲」として選曲したということで,後藤ひとり役の青山吉能が歌唱を担当している(下記の記事を参照)。

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何も持たずにひとりこの世界に投げ込まれ,ただ転がるように生きるしかない,無力な自分。しかしそれでも,“世界平和”みたいな大きな願いの欠片が心の片隅にある。確かにひとりが歌いそうな曲だ。

世界に平和を。それ自体はシンプルな願いなのだ。何も持たず,何者にもなれない少女が抱いてしまうほどに。しかし問題なのは,その「世界」が単数ではなく,複数存在するということだ。ひとり自身,押入れという狭い「世界」から抜け出し,異質な他者の「世界」と関わり,その関わりにおいてしか音楽を奏でられないことを理解していたはずだ。

ジャン=ポール・サルトルに言われるまでもなく,他者は地獄だ。こちらの存在を身勝手にまなざして決めつけ,過大評価をし,過小評価をする。価値観の異なる者を軽蔑し,罵り,否定する。世界は無数の他者によって無数の「世界」に分断されている。当然,「平和」のあり方も無数に存在する。

2025年のアニメランキングで第1位として挙げた『BanG Dream! Ave Mujica』は,〈他者〉について改めて考えるきっかけをくれたように思う。これまでアニメのバンドは,多かれ少なかれ同じ価値観を持った者同士の均質な場として描かれることが多かった。『Ave Mujica』という作品は,そこに“他者同士の摩擦”という状況を敢えて発生させる。彼女たちの間には常に強力な心の斥力が作用し,Ave Mujicaは致命的な罅を内包した,極めて脆く危ういバンドとして描かれる。

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アニメではないが,村田沙耶香の小説『世界99』は,「世界」の複数性を見事なほどグロテスクに描き出した作品だ。主人公の如月空子は,複数の「世界」の価値観に合わせて人格を交代させながら生きている。同じ人物の中で,①という人格世界が②という人格世界を軽蔑し,罵り,否定する。その様子は『Ave Mujica』の若葉睦とよく似ている。人は時に,「世界」の複数性に合わせて自己をすら複数化してしまうことがある。1つの人格の内部で価値観が撞着を起こした結果,唯一の信念を持ち,唯一の真理を追求することが困難になる。

かくも人の世は反目し合い,「世界」は複数化している。しかしいかに他者のまなざしを疎ましく思おうとも,いや疎ましく思うからこそ,他者のまなざしを必要としてしまうことがある。『Ave Mujica』で言えば,祐天寺にゃむ若葉睦の関係がそうした事態を最もよく表していた。他者は毒であると同時に薬でもある。後藤ひとりにとってそうだったように。

 

すべての他者が己の「世界」の中に封鎖され孤立しているわけではない。同じ「世界」を共有できる人が必ずどこかにいるはずだ。「絶対共通言語がある」(結束バンド「ひとりぼっち東京」より)はずなのだ。それによって創られる「世界」がどれほど小さな「世界」だとしても。

『その着せ替え人形は恋をする Season 2』『瑠璃の宝石』は,そんな小さな「世界」における小さな絆の価値を示した作品だ。『着せ恋』五条新菜は,幼い頃に人形の趣味を否定されたトラウマを持つが,喜多川海夢と出会ったことでコスプレの「世界」で自己の存在価値を見出していく。『瑠璃の宝石』は,キラキラしたもの好きというミーハーな谷川瑠璃が,荒砥凪との出会いをきっかけに鉱物学という「世界」にのめり込む。瑠璃が同じ鉱物学の「世界」で孤立していた瀬戸硝子と出会う場面は感動的だ。コスプレも鉱物学もどちらかと言えばマイナーな「世界」かもしれないが,「世界」を共有しない他者のまなざしを他所に,自分の“好き”を追求することに価値がある。両作とも,“好きこそが正義”という現代的な価値観を土台とした点で共通している。

 

では価値観を共有しない「世界」同士はどうすればよいだろうか。

『羅小黒戦記2 ぼくらが望む未来』は人間と妖精の「共存」をテーマとしていながら,「共存」の難しさをも明確に示した作品だ。異なる文化・生活様式・「世界」観を持った種族同士が「共存」しようとした時,必ず“力の差”が生まれる。「共存」とは名ばかりの,支配/被支配の関係が生まれかねない。小黒と無限のような幸福な信頼関係を築くのは相当に難しいだろう。ラストシーンにおける鹿野と無限の微妙な距離感は,異なる「世界」同士が本来取るべき,自然な距離感を示唆しているように感じた。

 

“多様性の時代”などと声高に謳いあげておきながら,すぐ隣の「世界」すら気持ち悪い,ウザい,鬱陶しいと思ってしまうのが人間だ。しかしどれだけ他者が地獄であろうと,僕らはこの蒼い惑星の,人類という名の「運命共同体」に投げ込まれてしまったのだ。幾らかの他者と小さな「世界」を共有し,共有できない「世界」とは適切な距離を置く。無理に「世界」を接合しようとせず,「世界」の複数性を認める。その程度のことで戦争は止められないかもしれないが,身の回りの小さな「平和」を実現することはできるかもしれない。

 

For the peace"s" of the world"s" ー「世界s」を必死に生きる僕らに,どうか「平和s」を。