※このレビューはネタバレを含みます。
音と心
冒頭,「リズと青い鳥」の物語の導入後,みぞれと希美が音楽室で練習を始めるまでの音の情報量がとてつもない。
軽やかなBGMが流れ始める。
2人の足音がメトロノームのようにリズムを刻む。
音楽室に入り,静かに演奏を始める。
しかし,みぞれのオーボエと希美のフルートのピッチが微妙に合わない。
ここまで数分間。すべての音が音楽的に意味を持っていて,1音たりとも聞き逃してはならないと思わせるほどに説得力を持っている。言葉を用いず,音と絵で主人公たちの関係性を語る。映像作品として百点満点の導入部だ。
足音だけでシーンを成立させるというような手法は,作家性が優先されるヨーロッパ映画などでは珍しくないかもしれない。例えば,ホセ・ルイス・ゲリンの『シルビアのいる街で』(2007)を思い出す人もいるかもしれない。人物たちが街中をひたすら歩き,ひたすら風景が変化し,ひたすら足音が鳴り響く。ストーリなどという無駄なものは語らない。映画的贅沢だ。しかしこの贅沢を,山田尚子は娯楽性が重視されるはずの劇場アニメーションでやってのけてた。しかも「これはアートです」などという押しつけがましい構えでもなく,主人公達の心情にピタッと重なり合わせる絶妙な演出によってだ。
補色
もちろん画作りも素晴らしい。TV版『響け!ユーフォニアム』でもそうなのだが,人物の瞳には補色が差し色として入っている。例えばみぞれの赤い瞳には青,希美の青い瞳には赤,というように。このような絶妙な色のコントラストの出し方が実に心地よく,「リズと青い鳥」のリズと青い少女の髪の色や,彼女たちを囲む花の色にもそれが表されている。しかもこれだけのコントラストを作りながらケバケバしい不協和音にならないのは,卓越した色のバランス感覚あってのことだろう。
さらにこのビジュアル上のコントラストは,「リズと青い鳥」の世界と学校内の世界との対照性や,みぞれと希美の性格の対照性へと敷衍されて行く。「世界名作劇場」風な「リズと青い鳥」の世界と,リアルな学校内の世界は互いに異質だ(みぞれが物語の世界にふけっている時に突如鳴り響くチャイムの音は冷酷ですらある)。みぞれと希美の心は,彼女たちの瞳の中の色のように,互いに溶け合うことがない。
disjointからjointへ
しかしどれだけコントラストが強くとも“不協和音では終わらない”というのがこの作品の信条らしい。リズと青い少女との関係性は,新山先生のアドバイスを受けたみぞれによって綺麗に了解され,異質だった物語の世界はみぞれの心の中に収まる(そして僕らは彼女の奏でる音に泣かされる)。みぞれと希美の心情は最後まで曖昧だが,「ハッピーアイスクリーム」は,彼女たちの心がやがて1つになることをはっきりと暗示する。脚本の吉田玲子は「ストーリーも希美の気持ちに決着が着く最後までは描いていませんが,二人の幸せを願うラストになっています」と述べ(劇場プログラムのインタビューより),それに対し山田も「そうですね。物語は,ハッピーエンドがいいよ……」と答えている(同上)。どれだけすれ違っても,そして何より,同性であるというハードルがあったとしても,2人の“disjoint”は“joint”に変化する予感に満ち溢れているのだ。
この作品は,“女子高生の百合設定”という,主に娯楽として消費されがちなモチーフに真正面から取り組んだと言える。山田達の想いは紛れもなく真摯で真剣だ。吉田に「10年後のみぞれと希美はどうなっているんでしょう?」と聞かれた山田は,「(恋ではなく)『愛』で成り立っているのを願ってやまないです」とはっきり答えている(同上)。
どうだろう。ひょっとしたら,ハッピーエンドとプラトニックラブの両立に懐疑的な現代人は多いんじゃないだろうか。もしあなたがそうなら,この作品に1つの解を求めることができるかもしれない。