アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

TVアニメ『荒ぶる季節の乙女どもよ。』(2019年)レビュー:彼女たちの「色」と「穴」

 *このレビューはネタバレを含みます。

 

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公式HPより引用 © 岡田麿里・絵本奈央・講談社/荒乙製作委員会

araoto-anime.com

岡田麿里による同名のコミックス(原作・原案:岡田麿里,作画:絵本奈央)が原作。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2011年,脚本),『心が叫びたがってるんだ。』(2015年,脚本),『さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018年,監督)など,数々の名作を手がけてきた岡田の〈性〉をめぐるコメディ作品とあって,放送前から期待の高かった作品である。

作品データ

(リンクはWikipedia,もしくはアットウィキの記事)

高校の文芸部に所属する小野寺和紗は,周囲から「地味子」と呼ばれてしまうほど平凡な女子高生。彼女は文芸部の先輩である曾根崎り香,本郷ひと葉,同学年の菅原新菜,須藤百々子とともに,文学作品中の露骨な性描写に当てられ,悶々としていた。ある日,新菜の発した「セックス」という直接的な言葉をきっかけに,彼女たちは〈性〉という未知なる世界に翻弄されていくことになる。

言葉とアレ

文芸部に所属する彼女たちにとって,始めにあったのが〈言葉〉だったのは偶然ではない。

彼女たちは性と愛の正体,そしてその2つの違いに戸惑い悶々としている。しかしそれらに直に触れたいとは思わないーーというより,思いたくない。直接的・身体的な行動に出るには,文芸部の彼女たちはあまりにも「概念」的過ぎる。*1 “性愛とは何か” “性と愛の違いは何か”に対する答えではなく*2,彼女たちが性と愛を〈知らない〉という事態そのものが,この作品のユーモアの源泉となっていくのだ。

人が未知のものを前にとりうる態度は2つだ。1つは,未知を抑圧することで仮初めの忘却を試みること。もう1つは,未知の周囲を迷走し続け,未知そのものに触れることなく,未知と関係し続けること。彼女たちのとった方法が後者であることは言うまでもない。

そしてその方法こそ,性と愛を〈言葉〉で理解しようとすることであった。ひと葉はミロとのチャットで性を擬似体験し,り香は天城の気持ちを「レポート」で確認しようとし,新菜は演劇の経験を媒介に性関係を想像している。性愛という未知の世界をめぐり,〈言葉による語り〉で近似的に関わろうとする点が,この作品の主人公たちのユニークな属性なのだ。それは性と愛の現実に直に触れる危険性を犯すことなく,間接的な関係を保とうとする,ある種の〈防衛機制〉でもあると言える。

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ひと葉のチャットシーン。「豚汁」はひと葉をして「恐るべし曾根崎ロゴス」と言わしめたパワーワードだ。 第1話より引用。 © 岡田麿里・絵本奈央・講談社/荒乙製作委員会

 「えすいばつ」:言葉のスラップスティック

彼女たちの言葉は〈未知〉を言い当てることなく,〈未知〉を中心にグルグルと回り続ける。それは作中にしばしば登場する“言葉遊び”のようなエピソードによく表されている。彼女たちの言葉は,性愛という対象を中心に,その周りをズレていく。「甘美な汁」は「豚汁」に,「エロス」は「メロス」に,「破瓜」は「たたきキュウリ」に,そして「セックス」は「えすいばつ」に。

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第2話より引用 © 岡田麿里・絵本奈央・講談社/荒乙製作委員会

これは言い換えれば,彼女たちを取り巻くあらゆる記号が性という〈未知〉を指示する可能性があるということだ。ゆえに,とりわけ和紗の目には,商店街の看板もチンアナゴも電車のトンネルも,すべてが性の暗示に見えてしまう。彼女はそこから逃れようとするが,それは不可能だ。性を言葉によって象徴変換することを選択したのは彼女自身であり,したがって「この世界は性にまみれすぎて」*3しまうことになるのは必然なのだから。

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第1話より引用 © 岡田麿里・絵本奈央・講談社/荒乙製作委員会

欲望の対象を中心にグルグルドタバタと周り続けるが,決してそれを捉えることのできないスラップスティックのように,彼女たちが必死であればあるほど滑稽に見えるという構造。チャップリンから今日のシチュエーション・コメディに至るまで,〈欲望の対象を捉えようとして捉えられないことの喜劇性〉は,ドラマ史において普遍である。 

“sour grapes”

しかしスラップスティックの陽気な楽しさは,幕の引けた後のサーカスのような空虚感と表裏一体だ。彼女たちのコメディには,〈得たいものが得られない〉〈主体的な行動をとれない〉という悲哀が事後的につきまとうことになる。

中でも,百々子と新菜の境遇はこの作品の仄暗い部分を暗示しているように思える。

百々子は悟との不幸な対話から,自分の欲望の対象が同性であることに受動的に“気づかされる”。彼女は新菜に対する想いを自覚し始めるが,新菜はすでに泉に想いを寄せているため,自分の恋心が成就しないことを痛感している。

新菜はかつて所属していた児童劇団の演出家,三枝に淡い恋心を抱いていたーーと思っていた。しかし彼女の三枝に対する想いは間違いなく〈転移〉的である。三枝は新菜に対し,医者や精神分析医のような権威的存在としてふるまい,彼女の心を常に分析的に観察し,ともすればそれを操ろうとする。その三枝に対し,新菜は別の人間(例えば同級生)に向けられるはずの恋心を〈転移〉していた。彼女にとって三枝との関係は憧れであった。しかし三枝は彼女を「少女性」という檻の中に軟禁し,自分と直接交わることを禁じている。ゆえに,新菜にとって性への接近は封じられてしまっていたのだ。泉との出会いは,この「少女性」から逃れる脱獄の契機となったのである。

しかし,新菜の泉に対する想いは〈間主体的〉であった。彼女は和紗が泉に対して恋心を抱いていることを知って初めて,自分も泉に好意を抱いていることに受動的に“気づかされる”。それは当初から〈他者の欲望〉なのであって,決して主体的な欲望ではない。彼女は三枝との関係を断ち切り,泉に告白しようとするが,〈他者の欲望〉であるそれはすでに手遅れであり,成就することはもはやない。

第11話で新菜は自己の欲望に対する〈合理化〉をはっきり自覚する。

憧れた景色がこの先にあるのに,外から見つめるだけで

私の言葉は「すっぱい葡萄」だった *4

「すっぱい葡萄」とは,イソップ寓話の『狐と葡萄』に由来する話だ。腹を空かせた狐が木に実った葡萄を見つける。しかし高いところにあって手が届かないので,「こんな葡萄は酸っぱいに違いない」と負け惜しみを言って諦める。フロイト派の心理学ではこのエピソードは〈合理化〉の一例とみなされている。つまり,欲望が満たされなかった時,そこに合理的な説明を加えることによって不快を避ける,一種の〈防衛機制〉である。新菜は和紗公認のもと,泉に〈叶わない告白〉をしようと決意するが,それは決して成就することのない泉への気持ちを清算するための,彼女なりの〈合理化〉 なのである。結局,「掃き溜めに鶴」だった彼女が,この作品中でもっとも孤独だったのかもしれない。

コメディの背後に潜むこうした薄暗い暗部は,ひょっとしたら原作の岡田麿里の生い立ちが源泉になっているのかもしれない。『あの花』のいじめや引きこもり,『ここさけ』の両親の不仲による感情的不安といった問題は,岡田の幼少期の経験がモデルになっている。ただし『荒乙』がこれらの作品と異なるのは,心的暗部にコメディの衣を着せている点だ。

〈色〉はいろいろ

心の中にどれだけ暗い「穴」を抱えていても,彼女たちにはそれと立ち向かう若さがある。性的マイノリティの自認にせよ,性愛への諦念にせよ,それを乗り越える可能性が彼女たちにはある。

最終話で感情をぶつけ合い,収拾のつかなくなった彼女たちの姿を見たミロは,「色鬼」をすることで「それぞれの心の色をさらけ出す」ことを提案する。〈色〉という主観的対象を根拠に勝敗を決めるこの遊びの本質を,「鬼の視点を理解することが絶対なんですよ」と言い当てる彼は,まさに本作に欠かすことのできない名脇役であったと言えるだろう。この時,彼女たちがなすべきだったのは,心内の感情をぶつけ合うことではなく,感情を他者に認知させることだったのだから。

かくして彼女たちは,「灰色」「桃色」「青色」という自分の「心の色」を差し出し,それを仲間に認識させることで,「自分の色」というものの存在を知ることになる。

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最終話より引用 © 岡田麿里・絵本奈央・講談社/荒乙製作委員会

〈色〉には様々な意味がある。情欲,表情,情趣,艶美,気配,そして多様性。この物語の5人の主人公たちは,一人一人がすべて異なる個性を放っていた。それを「色」というアニメの得意分野で表現したこのエピソードは,この作品の最終話として確かに相応しいものであった。

彼女たちの未来から黒々とした「穴」が姿を消すことはない。人はどんなに経験を積んでも,最終的な〈未知〉,つまり〈自分自身〉という〈未知〉から逃れることはできないからだ。

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最終話より引用 © 岡田麿里・絵本奈央・講談社/荒乙製作委員会

彼女たちは今後も,己のうちに黒い未知の「穴」を発見し,戸惑うことだろう。しかし彼女たちには,かつて自分の「色」を認識してくれた仲間たちがいる。仲間たちと共にいることで,彼女たちは自分の「色」をいつでも確認することができるだろう。それは相変わらず〈間主体的〉な自己規定ではあるが,〈友〉という絵の具によって彩られた,色鮮やかな関係であり続けるはずだ。

新しい気持ちに照らされると

自分でも気づいていなかった

もともと自分が持ってた色が

どんどん浮かび上がってくるんだ *5 

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
4.5 3.5 3.5 3.5
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
4 4.5 4 4.5
独自性 普遍性 平均
4 4 4
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

荒ぶる季節の乙女どもよ。(1) (週刊少年マガジンコミックス)

荒ぶる季節の乙女どもよ。(1) (週刊少年マガジンコミックス)

 

 

*1:第1話のり香のセリフ「エロスは『概念』なのよ!?」より。

*2:“性と愛の違い”については,最終話における泉の「俺が好きなのは和紗だ。だけど,性的な欲求を感じるのは,菅原さんだ」というセリフが些か的外れな伝え方をしている。

*3:第1話の和紗のセリフより。

*4:第11話の新菜のセリフより。

*5:最終話の和紗のモノローグより。