*このレビューはネタバレを含みます。
富野由悠季の同名小説(1989-1990年)を原作とする『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』は,『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年)の時代から12年後の世界を描く劇場アニメ作品である。監督は『虐殺器官』(2017年)の村瀬修功。3部作のうち第1作目となる本作では,主要キャラクターであるハサウェイ,ギギ,ケネスの出会いが中心に描かれるが,すでにそこには独特な“富野節”を的確に映像化する村瀬の手腕が発揮されている。今回の記事では,いくつかの鑑賞ポイントに焦点を当ててみよう。
あらすじ
「第二次ネオ・ジオン抗争」から12年後のU.C.0105。シャア・アズナブルの想いも虚しく,地球連邦政府は地球の汚染を加速させていた。連邦軍大佐ブライト・ノアの息子,ハサウェイ・ノアは,シャアの意志を継いで反地球連邦組織「マフティー・ナビーユ・エリン」に参加。自らマフティー・ナビーユ・エリンを名乗り,地球連邦政府高官らの暗殺を企てていた。そんな中,往還シャトル「ハウンゼン356便」に搭乗した彼は,謎の少女ギギ・アンダルシアと連邦軍大佐ケネス・スレッグと偶然邂逅し,運命を翻弄されていく。
“富野節”の映像化
劇場プログラムに掲載されたコメントよれば,村瀬監督は「ガンダムシリーズに寄せた作りではなく,“ガンダム小説の映像化”」を意識して制作に臨んだのだという。*1 すでに村瀬は伊藤計劃の小説『虐殺器官』の劇場アニメ化(2017年)も手がけており,小説作品の調理は彼の十八番と言っていいのかもしれない。
しかし富野由悠季の小説を読めばすぐに気づくことだが,彼の文体はかなり特徴的だ。意味深長なセリフ回しやラフな飛躍。決して読みやすいとは言えないその文章からは,いわゆる“上手い”書き手にはない特異なリズムが生まれている。その富野の「小説の映像化」を意識するということは,随所に散りばめられた“富野節”と真正面から格闘することを意味する。はたして村瀬はこの難題にどう挑んだのか。
ここでは一例として,ガウマンによるダバオ襲撃開始直後のエレベーターのシーンを挙げてみよう。ハサウェイとギギは,同じホテルに滞在する政府関係者のカップルと同じエレベーターに居合わせる。このシーンは,富野の原作では以下のように記述されている。
中年女の方が,乱れた髪を手でかきあげながら,不気味なものを見るようにハサウェイに眉をひそめてみせた。
「それなら,さっきのゴチャゴチャした話も,すっきりさせてよ」
狭いエレベーターのなかに,セックスの香りが漂うのは,気のせいではないだろう。ギギが,フッとハサウェイの肩に,頬をよせてきた。
「………………?」
ハサウェイは,夫婦者らしいカップルがいたから,ギギの反応に身体を動かすことはしなかった。
「……どうして,わたしにきいたの?」
上目遣いのギギは,唇をハサウェイの肩に押しつけたまま,いかにも,わきに立つ夫婦者にきかれるのが嫌だという風に,小さくいった。しかし,それもちがった。ギギは,あきらかにハサウェイの肩を嚙むつもりで,唇を動かしたのだ。
「……君の勘に賭けたのさ……」
そういうギギは,こんどは,はっきりとハサウェイの肩に歯をあてた。
「あとでだ」
「だいたい,あなた,下着をつけて寝ていたね」
ハサウェイは,ギギのその鋭さに,息をつめた。そのハサウェイの反応をギギは,全身で受けとめていった。
「……やっぱり……怖いことするよ。あなた」*2
カップルの放つ「セックスの香り」に感染したかのようにギギが奇異な行動をとり,同時に「マフティー」としてのハサウェイの行動を不意に“予言”する。ギギのコケティッシュな側面と,本質を瞬時に見抜く直感力を同じ場面に凝縮した,極めて難易度の高いシーンである。
映画では「セックスの香り」というセリフは用いず,ホテルのバスローブを着た女性の胸元に汗が流れるカットによってそれを暗示的に表現している。それをチラッと見るギギも彼女と同じバスローブ姿で,同じように胸元がややはだけている。ギギが不意にハサウェイに顔を近づけ,「……どうして,わたしにきいたの?」というセリフを耳元で囁く。ギギがハサウェイの肩を噛む動作は直接表現されていない。
言葉や動作による直接的な表現はないが,エレベーター内の狭隘感,服装,人物間の距離,目線の動きなどによって,匂い立つような濃密な空気が的確に表されている。魚眼レンズのようなカメラワークでアップにされたギギが「……やっぱり……怖いことするよ。あなた」と囁くカットも面白い。
この他にも“富野節”の独特な肌触りをうまく映像化したシーンは数多くある。村瀬流の小説の解釈,小説と映画との差異を細部まで吟味するのもこの映画の楽しみ方の1つだろう。
ギギ・アンダルシア
『閃光のハサウェイ』の登場キャラクターの中でも一際異彩を放つのはギギ・アンダルシアだ。コケティッシュであると同時に傷つきやすく,聡いと同時にナイーブであり,大人びているかと思えば幼児のように振る舞うギギ。村瀬監督自身もインタビューで漏らしているように,「本当にわからない女性」である。*3
この多義的な美少女を映画はどう表現したか。まず目を引くのは,その独特なキャラクターデザインだ。無重力状態で優雅に舞うブロンドヘアーに,透き通るような肌。最も特徴的なのは,ライトブルーの瞳に“差し色”としてオレンジが加えられている点だろう。そのビビッドな配色は,ともすれば熱帯地方のチョウ目のような毒々しさを感じさせもする。
このエキセントリックな少女に内的な輪郭を付与したのが,声優の上田麗奈である。上田と言えば『SSSS.GRIDMAN』(2018年秋)の「新条アカネ」役などが記憶に残る。柔らかさの中にどこかナーバスな響きを含ませる彼女の演技は,アカネやギギのような神秘的な少女の声として最適解だと言える。
小説のアモルファスな描写から,アニメとしてより明確な輪郭線を持つキャラクターとして生まれたギギ。ある意味で,本作の「小説の映像化」という側面を体現するキャラクターと言えるかもしれない。
巨大なるマシーン,矮小なる人々
本作の最も目立った特徴の1つに,モビルスーツの〈巨大感の演出〉がある。とりわけ生身の人間の目前にモビルスーツが出現するシーンは観客に強い印象を与える。
ハサウェイがダバオの街で「マン・ハンター」の舞台と出くわす場面では,彼の前にハンターのモビルスーツが唐突に出現する。巨大なモビルスーツと生身の人間とを対比させることで,不法居住者を摘発するハンターの威圧的な存在感がうまく演出されている。
実は富野の原作では,この場面にハンターのモビルスーツは登場しない。つまり村瀬は作為的にこうした演出を施しているということになる。
ダバオ襲撃のシーンは,本作のアクションシーンの目玉であると同時に,モビルスーツの巨大感を最大限に活かしたシーンでもある。ガウマンのメッサー2号機とグスタフ・カールが交戦する中,その足元をギギを抱えたハサウェイが逃げ惑う。巨大なマシーンと矮小な人間。その絶望的なまでのコントラストを観客に印象付けるかのように,巨人の亡霊のようなペーネロペーがハサウェイの前に現れる。


このような〈巨大感の演出〉は,それ自体がすぐれて映画的だと僕は思う。
たとえはテオ・アンゲロプロスの『霧の中の風景』(1988年)という映画には,巨大な掘削機を前にした幼い姉弟がたじろいで逃げるシーンがある。また同じ映画には,海中から突如巨大な石像の手が出現し,主人公たちを呆然とさせるシーンもある。アンゲロプロスは巨大な構造物と小さな人とを対置させることで,歴史のうねりの中の個の営みを描こうとしたのかもしれない。そもそも映画は,そうした巨大な存在の威圧感を描くのに適したメディアである。『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1896年)から今日の怪獣映画に至るまで,映画は巨大なものによる圧倒的な力を表象してきた。とりわけ劇場の大スクリーンは,巨大物を前にした際の崇高体験に似たものを観客に疑似体験させることができる。
ハサウェイは狙撃や毒殺などではなく,モビルスーツを使って連邦政府高官の暗殺を図る。それは地球にしがみつく矮小な人間たちへの物理的な示威なのかもしれない。あるいは歴史に翻弄されるハサウェイ自身の矮小な存在感を自虐的に演出しているのかもしれない。いずれにしても,『閃光のハサウェイ』を劇場のスクリーンで観るべき理由は明白だろう。
作品データ
*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど
【スタッフ】企画・製作:サンライズ/原作:富野由悠季,矢立肇/監督:村瀬修功/脚本:むとうやすゆき/キャラクターデザイン:pablo uchida,恩田尚之,工原しげき/キャラクターデザイン原案:美樹本晴彦/メカニカルデザイン:カトキハジメ,山根公利,中谷誠一,玄馬宣彦/メカニカルデザイン原案:森木靖泰/総作画監督:恩田尚之/色彩設計:すずきたかこ/CGディレクター:増尾隆幸,藤江智洋/編集:今井大介/音響演出:笠松広司/録音演出:木村絵理子/音楽:澤野弘之
【キャスト】 ハサウェイ・ノア(マフティー・ナビーユ・エリン):小野賢章/ギギ・アンダルシア:上田麗奈/ケネス・スレッグ:諏訪部順一/レーン・エイム:斉藤壮馬/ガウマン・ノビル:津田健次郎/エメラルダ・ズービン:石川由依/レイモンド・ケイン:落合福嗣/イラム・マサム:武内駿輔/ケリア・デース:早見沙織/ミヘッシャ・ヘンス:松岡美里/ミツダ・ケンジ:沢城千春/フェンサー・メイン:天﨑滉平/ゴルフ:田中光/シベット・アンハーン:宮崎遊/ヘンドリックス・ハイヨー:綿貫竜之介/マクシミリアン・ニコライ:草野峻平/メイス・フラゥワー:種﨑敦美/ハンドリー・ヨクサン:山寺宏一/ゲイス・H・ヒューゲスト:佐々木望
【上映時間】 95分
作品評価
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