アニ録ブログ

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TVアニメ『その着せ替え人形は恋をする Season 2』(2025年夏)第18話の脚本と演出について[考察・感想]

*この記事は『その着せ替え人形は恋をする Season 2』「#18 俺が絶対に 俺の手で」のネタバレを含みます。

「#18 俺が絶対に 俺の手で」より引用 ©︎福田晋一/SQUARE ENIX・アニメ「着せ恋」製作委員会

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福田晋一原作/篠原啓輔監督『その着せ替え人形は恋をする Season 2』(以下『着せ恋』)は,高校生の五条新菜喜多川海夢がコスプレを通じて出会い,惹かれあっていく青春ラブコメである。今回紹介する「#18 俺が絶対に 俺の手で」では,文化祭のミスコンイベントに向け,コスプレの準備に奔走する2人の様子が描かれる。キャラクターの芝居がきわめて丁寧に作画されており,アニメ作品における〈日常芝居〉の重要性を改めて考えさせてくれる優れた話数だ。脚本はシリーズ構成を務める冨田頼子,絵コンテは『ぼっち・ざ・ろっく!』(2022年)『葬送のフリーレン』(20231−2024年)などに参加経歴のある刈谷暢秀と両作品監督の斎藤圭一郎,演出は刈谷暢秀である。加えて,「アニメーションディレクター」として“日常芝居の匠”小林恵祐の名がクレジットされていることも見逃せない。

 

「脇役」たちの日常

身体という,人間にとって最も日常的な存在の中に非日常を“呼び込む”,あるいは“読み込む”。それがコスプレだ。だとすれば,それを主題とするアニメにおいて,〈日常所作〉の作画は,例えるなら油絵のキャンバスの下地のように,作品の質を下支えする重要な要素だ。日常的な身体描写や所作が丁寧に描かれていればいるほど,そこからの偏差としてのコスプレ=非日常が際立つ。つまり『着せ恋』のような作品にとって,日常芝居は最大の要である。その意味でも,第1期から一貫して日常芝居にこだわりを見せている本作の演出方針は,高く評価するに値する。

特に「#18」は,主人公・新菜と海夢以外のキャラの日常芝居が際立っているのが特徴である。

まず成蘭のシーンを観てみよう。レインボーローズがうまく作れず悩む新菜に,成蘭が助け舟を出す場面だ。

「#18 俺が絶対に 俺の手で」より引用 ©︎福田晋一/SQUARE ENIX・アニメ「着せ恋」製作委員会

ドアに触れた手の動きや,教室内に声をかける際の身体の残し方が細やかに作画されている。廊下を走り去る際の体重移動,髪や衣服の揺れの描写も丁寧だ。それによって生じる弾むようなリズムも,高校生を主体とした学園アニメに相応しい,心地よい清涼感がある。

次に新菜の祖父・五条薫のシーンを観てみよう。新菜と海夢が一緒に五条家に帰宅すると,薫がすでに夕飯の準備を終えている。

「#18 俺が絶対に 俺の手で」より引用 ©︎福田晋一/SQUARE ENIX・アニメ「着せ恋」製作委員会

新菜に「文化祭の準備,大変なんだろ?終わるまで,じいちゃんが作っから」と声をかけながら居間に入っていく薫。新菜の方に目線を残しつつ,徐々に身体を移動させていく様子がじっくりと作画されている。1つのことに打ち込む孫への思いやりがよく表されている。薫の職人としての立ち位置が“優しさ”としてアニメートされた,素朴だがとてもいい作画だ。

次にミスコン当日のシーンを観てみよう。食事も忘れて準備に集中する新菜に,クラスメイトの柏木が弁当の差し入れを持ってくる。

「#18 俺が絶対に 俺の手で」より引用 ©︎福田晋一/SQUARE ENIX・アニメ「着せ恋」製作委員会

新菜が「差し入れありがとう!」と声をかけると,柏木は何気なく手を振りながら教室を去る。身体が静止した状態での単純な往復運動ではなく,移動しながらの複雑な手の動作だ。これがとてもリアルかつ軽やかな所作として作画されている。

この3つの場面に共通するのは,ミスコンで海夢を優勝させるべく奮闘する新菜に,「脇役」たちが手を差し伸べるという点である。これまで新菜は,雛人形好きという“特殊な”嗜好を持つことへの引け目もあり,クラスから孤立する傾向にあった。自然,コスプレの衣装作りなども一人でこなしてきた。しかし彼は,成蘭の「頼られるとマジ気分いいぜ,たまんね〜」という言葉をきっかけに,“頼ること”に積極的な意義を見出していく。「主役」は「脇役たち」が作るもの,ということだ。

その「脇役たち」の中の「脇役」,新菜のシーンを観てみよう。本話数のクライマックスとも言える,海夢の“化粧”の場面である。

化粧に集中すべく人目を避けたつもりが,図らずも衆人環視の状況となってしまい大いに戸惑う新菜。いったんは挫けそうになるも,「海夢を1位にする」ことを改めて決意し,己を奮い立たせる。

「#18 俺が絶対に 俺の手で」より引用 ©︎福田晋一/SQUARE ENIX・アニメ「着せ恋」製作委員会

セーターを脱ぎ,タイを緩め,腕まくりをし,鉢巻を締める。いわゆる“男らしい”所作のコンボが,緻密な作画と流れるようなカット割りで見事にアニメートされている。おそらくこの話数で最も力の入った作画だろう。

果たしてそこに現れたのは,“職人”としての新菜の顔だった。

「#18 俺が絶対に 俺の手で」より引用 ©︎福田晋一/SQUARE ENIX・アニメ「着せ恋」製作委員会

新菜は,自分自身が「一番」になることには実感が持てない。しかし海夢を「一番」にすることになら全てを賭けられる。彼は自ら「脇役」に徹することを決意し,海夢の中に,自分にとって最高の「綺麗」を作り出していく。新菜のマスキュリンな身体性を活かした日常芝居から,彼の決意へ。作画と思想の連携が見事なパートだ。

 

これは〈日常芝居〉である

コスプレの「主役」は海夢だが,「主役」を作り出すのは「脇役たち」であるーーこの話数には,そうした価値観が画面の隅々に滲み出ている。舞台上で輝く海夢を見て,新菜は「喜多川さんが持って生まれたものなのかな」と自問するが,彼が魅了されているその美しさは,彼自身がーーそしてクラスのみんながーー「脇役」として支えた美しさなのだ。だからこそ,思わず新菜の口をついて出た「綺麗」という言葉の直後に,海夢の「五条くんが作ってくれた,衣装とメイクです」というセリフが続くのである。

「#18 俺が絶対に 俺の手で」より引用 ©︎福田晋一/SQUARE ENIX・アニメ「着せ恋」製作委員会

海夢を1位にすべく「脇役たち」がそれぞれに助力をするという物語。その物語をアニメーション作品として伝達するに当たって,「脇役たち」の日常的身体を具に描き込み,それとの対比によって海夢のコスプレ=非日常を際立たせる。媒体の特性を存分に活かし,物語と作画の思想を見事にマッチさせた演出方針だと言えるだろう。

これは持論だが,アニメーー少なくとも現代のアニメーーは,〈日常芝居〉の巧拙によってこそ評価されるべきだと思う。作画がリアルであること自体が“正義”なのではない。それでは実写映像の生身の役者には勝てない。実写においては“当然のもの”として現実の中に埋没してしまう日常所作が、アニメにおいては,“敢えて意図された演出”として,独自の価値を持って立ち現れてくる。日常性は,アニメにおいてこそ“日常性”という価値を発現するのだと言ってもよい。

『着せ恋』「#18」で描かれた日常芝居は,“これは〈日常芝居〉である”という明確な刻印を押され,コスプレという非日常性を下支えしている。この作品に限った話ではないが,日常性が日常性として,作品内でいかなる価値を持っているかを見極めることが,これからのアニメ評価の“軸”の1つになるのではないだろうか。

 

小林恵祐の技

最後に,本話数で「アニメーションディレクター」を担当した小林恵祐について言及しておこう。小林は元XEBEC出身で,『エロマンガ先生』(2017年)監督の竹下良平や『ワンダーエッグ・プライオリティ』(2021年)監督の若林信の1つ下の後輩である。『エロマンガ先生』では「紗霧アニメーター」,つまりヒロイン・紗霧専属のアニメーターとしてクレジットされたことが話題となった。また『ワンダーエッグ・プライオリティ』では,「コアアニメーター」として若手アニメーターの先導役を担っている。その他,イシグロキョウヘイ監督『Occultic;Nine -オカルティック・ナイン-』(2016年)や牛嶋新一郎監督『君の膵臓を食べたい』(2018年)など,多くの作品で優れた仕事を残しているクリエイターだ。

先ほど〈日常芝居〉をアニメの評価軸にするという話を「持論」と述べたが,実は日常芝居の名手・井上俊之の受け売りであることを白状しておこう。彼は対談集『井上俊之の作画遊蕩』(2024年)の中で小林と対談し,その卓越した日常芝居の作画技術に最大限の賛辞を送っている(というよりもほとんど嫉妬に近いかもしれない)。そこで井上はこう述べている。

日本のアニメは,アクションシーンを作品の見せ場にする傾向が強すぎる。海外のアニメーション,特にディズニーの昔の作品なんかではむしろ,キャラクターの日常芝居を名アニメーターが担当することが多くて,アクションになると途端に作画が緩くなったりする(笑)。結局,アクションシーンだけではいいアニメーションにはならなくて,それを支える日常の部分がしっかり描けない限り説得力を与えられない。*1

この引用内の「アクションシーン」を「(コスプレの)非日常性」に置き換えれば,同じことが『着せ恋』にも当てはまることがわかるだろう。仮に『着せ恋』のアニメがもっぱらコスプレシーンだけに注力し,日常芝居を疎かにしていたら,決して今のように魅力的な作品に仕上がることはなかっただろう。

この対談によれば,小林は江川達也原作/北久保弘之監督のOVA『GOLDEN BOY さすらいのお勉強野郎』(1995-1996年)における田辺修の仕事(第3話)を観たことがきっかけで日常芝居を目指すようになったらしい。以来,「アクションはうまい人たちに任せて,歩きなどの日常芝居のほうを自分ががんばって持ち上げれば,トータルでよくなるんじゃないかと考えるように」なったという。*2 小林が参加した話数の日常芝居は一見してそれとわかるほどクオリティが高く,井上が共感(嫉妬)するのも頷ける。*3

『着せ恋』「#18」では,小林は原画としてクレジットされていないため,彼の直接的な生産物を目にすることはできないが(次の回の「#19 思い出刻むぜ!」には原画として参加している),「アニメーションディレクター」である以上,日常芝居に対する彼の基本姿勢や思想が各場面の作画に浸透していることは間違いないだろう。この記事をご覧になった方には,この話数における〈日常芝居〉の匠とその価値を改めて評価し直してみることをお勧めしたい。

 

作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HP,Xアカウントなど

【スタッフ】
原作:福田晋一/監督:篠原啓輔/シリーズ構成:冨田頼子/キャラクターデザイン・総作画監督:石田一将/副監督:山本ゆうすけ/総作画監督:山崎淳八重樫洋平/メインアニメーター:髙橋尚矢/衣装デザイン:西原恵利香/プロップデザイン:永木歩実/色彩設計:山口舞/美術監督:根本洋行/撮影監督:佐藤瑠里/テクニカルディレクター:佐久間悠也/CGディレクター:任杰/編集:平木大輔/音響監督:藤田亜紀子/音響効果:野崎博樹小林亜依里/音楽:中塚武/制作:CloverWorks

【キャスト】
喜多川海夢:直田姫奈/五条新菜:石毛翔弥/乾紗寿叶:種﨑敦美/乾心寿:羊宮妃那/五条薫:斧アツシ/姫野あまね:村瀬歩/菅谷乃羽:武田羅梨沙多胡/八尋大空:雨宮夕夏/山内瑠音:関根明良/森田健星:内田修一/柏木四季:小松昌平/古賀岳琉:八代拓

【「#18 俺が絶対に 俺の手で」スタッフ
脚本:冨田頼子/絵コンテ:刈谷暢秀斎藤圭一郎/演出:刈谷暢秀/アニメーションディレクター:小林恵祐/作画監督:上武優也高橋尚矢まりんぐ・そんぐNogya山崎淳石田一将

原画:髙石まみ岡本敦紀もにうむ榎本柊斗岡田圭佑原輝陽人huyu坂田陽斗助川裕彦川上雄介豊廣彩乃永山歩実近澤純平高野綾由良TOMATO横山未来飯田海高橋千尋庄司瑠香杉山翔香丘城鋭

 

この他,この素晴らしい話数に参加されたすべての制作者に拍手を。

 

 

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*1:井上俊之『井上俊之の作画遊蕩』,p. 57,KADOKAWA,2024年。

*2:同上,pp. 56-57。

*3:最近では松井優征原作/山崎雄太監督『逃げ上手の若君』(2024年)第1話などがわかりやすい。本記事内の「関連記事」を参照。