※このレビューはネタバレを含みます。
ゲーム原作『Realta Nua』プレイ済。
切嗣の観察者
時系列的には後日譚である『stay night』は,完全な一人称形式ではないものの,僕らは士郎とほぼ一体化した物語内主体として出来事を体験していた。多かれ少なかれ,僕らは彼の目で世界を見,彼の心で彼女たちを感じ,そして彼の声で「正義の味方」を語った。相手がセイバーであろうと遠坂であろうと,それどころか桜の時ですら,僕らは士郎を通して「正義」という言葉の,熱く甘美な響きに酔い痴れていたのだ。
しかし,『Fate/Grand Order』を含むその後のFateシリーズの,あまりにも旺盛な展開によって,僕らは実は物語内主体などではなく,全ての聖杯戦争を観察可能な特権的主体であることを気付かされることになる。『Zero』もその1つだ。かくして,「第四次聖杯戦争」の観察者として“召喚”された僕らは,衛宮士郎のルーツである衛宮切嗣に対してやや距離を置きつつ,彼の「正義」を冷徹な目で裁量することになる。
功利主義という罠
はたして,切嗣の「正義」は,功利主義のナイーブなパロディであった。父殺しの罪を犯し,「多数を救うためには,少数を殺すことも正義である」という呪いに囚われた彼は,みるみるうちにダークサイドへと堕ちていく。やがて彼は自らの「正義」を否定し,文字通り反英雄として暗躍するも,アンリマユに犯された“願望器”に己の稚拙な功利主義を見透かされ,最後には「60億の人類を救うために願望器を破壊する」という自家撞着へと至る。
意外にも,僕らはそんな彼の姿に密かな憧れを抱く。なにしろ古来,悪堕ちしたアンチヒーローほどかっこいいと思わせるキャラクターはないのだ。「60億の人類を救うために」とつぶやきながら,愛妻アイリと愛娘イリヤの姿をとった“願望器”に手をかけるシーンは壮絶である。虚淵玄ここにあり,と言わしめる名シーンだ。
そして士郎へ
この呪われた「正義」は『stay night』の衛宮士郎に受け継がれ,彼と英霊エミヤとの反目という形で顕在化していた。士郎が己の超克を熱く語った上で勝利し,エミヤが極上の爽やか笑顔で「大丈夫だよ,遠坂」と言うとき,僕らはあたかもこの呪いが浄化されたかのような錯覚を覚えるのだが,もちろん事はそう簡単には行かない。衛宮士郎は「正義」の名の下に,数々の矛盾,裏切り,絶望に苛まれながら,人理における「最大幸福」とは何かと問い続けなければならないからだ。
切嗣にせよ士郎にせよ,彼らのもがき苦しむ姿が僕らの心をとらえるのは,民主主義という理の中で「正義」を語ることの難しさを彼らが教えてくれるからかもしれない。誰もが正義の味方に憧れ,誰もが正義の味方になることを挫折する。誰もが正義を語り,誰もが正義を疑う。
要するに,現実は虚淵玄以上に陰鬱なのである。
Fate/Zero Blu-ray Disc Box Standard Edition
- 出版社/メーカー: アニプレックス
- 発売日: 2017/09/20
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログ (2件) を見る