オタ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメ・マンガ・ゲーム・フィギュアを中心としたカルチャー雑記

アニメ『色づく世界の明日から』レビュー:すべての色は心の中に

※このレビューはネタバレを含みます。 

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『色づく世界の明日から』公式HPより引用 © 色づく世界の明日から製作委員会

www.iroduku.jp

キャラ モーション 美術・彩色 音響
4 4 5 4.5
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
4 5 3 4.5
独自性 普遍性 平均
3 4.5 4.15
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

3つの世界

「記憶色」という言葉がある。旅先で撮る写真を考えてみるとわかりやすいだろう。新緑の若葉を撮影し,出来上がった写真を見た時,思ったほど青々としておらず,シラけた感じがすることがある。満開の桜を写真に撮って見た時,思ったより白っぽく感じ,ガッカリすることがある。そんな時は,処理ソフトで彩度を上げるなどして補正することも多いだろう。人が感じる色というのは,脳が経験や歴史や文化の記憶から作り出したものだ。当然のことながら,少なくとも人が記憶している色には,真正性というものがない。

『色づく世界の明日から』では,3つのレベルの色彩世界が描かれている。

1つめは「瞳美の世界」。普段の灰色の世界,唯翔の絵の世界,一時的に色を取り戻した時の世界など,断片的でもっとも主観的・内的な世界である。

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「瞳美の世界」①(第1話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

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「瞳美の世界」②(第1話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

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「瞳美の世界」③(第6話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

2つめは「写真の世界」。瞳美を含めた「魔法写真美術部」に属する部活メンバーたちの世界である。彼らは日頃から頻繁に写真を撮っている。それは瞳美の世界と比べ,一見,客観的な世界に思えるが,その実「魔法写真美術部」に属している彼らが楽しい思い出をもとに処理ソフトで補正した世界である。この世界は部活動の中から生まれた世界であり,瞳美を他者とのコミュニケーションに参与させ,彼女の内的世界と外的世界を象徴的に仲立ちしているとも言える。

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「写真の世界」①(第2話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

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“写真の世界”②(第6話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

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“写真の世界”③(第7話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

最後に「フレームの世界」。これは,この作品自体のカメラフレームで切り取られた世界であり,作品のいわば“地の世界”であると同時に,視聴者の見ている世界とも重なっている。

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“フレームの世界”①(第2話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

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“フレームの世界”②(第2話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

この作品では,これら「瞳美/写真/フレーム」の3つの視覚世界が頻繁に入れ替わることで,情緒や情景を多層的に表現している。視聴者は,ある時は瞳美の心理世界に同期し,ある時は部活メンバーの目線で世界を楽しみ,ある時はその両者をカメラフレームに捉え,“客観的に”観察する。

すべての色は記憶の中に

しかし重要なのは,この3つの色彩世界がどれも“真正”ではないということだ。「瞳美の世界」における色彩は,彼女の長年の孤独や唯翔への恋慕とも共鳴するような,感情に彩られた色彩世界だ。「写真の世界」は,上述の通り“思い出補正”のかかった世界であり,それゆえに,機械的に切り取られた世界でありながら,「瞳美の世界」と馴染み合い,それに寄り添うような情緒的な世界でもある。この2つの世界が「記憶色」から紡ぎ出された色彩世界であることは言うまでもないだろう。

では「フレームの世界」はどうだろうか。実はこれこそが本作の美術が伝達する重要なメッセージなのだが,“地の色”であるはずのこの世界もまた,「記憶色」から紡ぎ出された世界なのである。よく見みると,この作品の彩色は現実の風景や事物と比べ,かなり誇張された配色がなされていることがわかる。まるで補正された桜のように。つまり,この作品の地の色を見て僕らが「美しい」と感じるのであれば,間違いなくそれは僕らにとっての「記憶色」であり,それは『色づく世界の明日から』という作品世界を創った制作者たちと視聴者である僕らの記憶が“欲した”世界に他ならないのだ。

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高彩度の“フレームの世界”①(第1話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

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高彩度の“フレームの世界”②(第1話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

ここには,アニメという媒体の本質が表されていると言える。そもそもアニメは,原則として単色で表されるマンガや,原則として自然色に基づく実写映画と異なり,豊富な色彩を完全にコントロールできる表現媒体だ。だからこそ,人物の情緒や制作者の意図に合せて,色彩を意識的に構成できる媒体でもある。それゆえ,アニメにとって,色彩は道具でも装飾でもなく,それ自体が主題となりうる可能性を持っている。『色づく世界の明日から』という作品は,この事実を明示的に表し,極めて自覚的にアニメの表現方法を顧みた作品だったのだと言える。この作品の彩色は,美術作品として美麗なだけではないのである。 

色覚多様性

色は記憶によって構成されている。したがって,当然,色には客観性というものもない。僕らが同じ色を見て,同じ知覚をしているという保証はどこにもない。もちろん,マンセル表色系*1 のように色を定量的に示す方法はある。しかしそれは,個人が色をどう内的に感知しているかを示すことはできない。

瞳美の色覚の喪失は,いわゆる「色覚障がい」の症状を思わせるが,この言葉は近年「色覚多様性」という言葉に置き換えられることが提案されている。*2 仮に見えない色があったとしても,日常生活において支障がなければ,「障がい」とは言えないのではないか,それは「多様な視覚の1つにすぎない」*3 のではないか,という配慮から生まれた呼称である。

たとえ無彩色であっても,それは世界の認識の1つのあり方である。実は劇中にもこのことを暗示するセリフがある。第4話で,文化祭の写真のテーマを聞かれて「夜景」と答えた将はこのように言う(ちなみにこの時点で将は瞳美の“障がい”を知らない)。

モノクロフィルムで撮ると,照明の色も全部白になるから,華やかさが消えて,違う世界が見えてくるんだ。

また同じ第4話で, 瞳美の撮影したモノクロ写真を見た唯翔も以下のように言っている(唯翔はこの時点で瞳美の“障がい”を知っている)。

モノクロ写真て水墨画と同じで,色彩がない分,見ている人のイメージが広がるような気がする。色が少ない方が,大事なものがよくわかるのかもしれない

この言葉を聞いた時,瞳美が何を思ったかについては,彼女のとても豊かとは言えない表情でしか表されていないために,定かではない。ただ,彼らの言葉が,自分の色覚が“喪失”でしかないと思っていた彼女の心を大きく揺り動かしたことは間違いないだろう。“瞳美にしか見えない世界”があるのだと,はっきり告げられたのだから。

彼ら/彼女らの見ている世界は多様である。この記事の冒頭に掲げたキービジュアルはこのことを象徴的に示している。雨上がり,主人公たちがめいめい空を見上げている。きっと青空なのだろう。しかし彼ら/彼女らの目に映る空の“色”は,おそらく手に持ったパラソルの色,足下の水たまりに映る色,そして彼らの表情(顔の“色”)と同じように,多様なはずなのだ。一人ひとりが異なる価値観を持ち,異なる世界認識をしている。物語の表層レベルでは語られない,隠されたメッセージがここにある。

色のずれ,心のずれ,時のずれ

しかし見ている世界が多様であるということは,それだけ孤独でもあるということだ。結局,疎外感を抱いていたのは瞳美だけではなかったのかもしれない 。この物語では,冒頭から様々な“心のずれ”が繊細に描写されていた。唯翔は瞳美を「月白さん」と呼び,あさぎの想いは将に届かず,千草は胡桃に本心と裏腹な言葉をぶつけ,胡桃は姉へのコンプレックスを振り切ることができず,将は唯翔への罪悪感を抱きながら瞳美に告白する。繊細で,決定的な心のずれだ。 

そして,互いの世界が異なり,互いに孤独だからこそ,彼らはかえって寄り添うのだろう。彼らの部活動は,通常の“部活アニメ”のように眩い青春の輝きを放つ一体感や連帯感を実現する場というよりは,心情のベクトルが微妙にずれた者たちが寄り添う場として描かれているように思える。「魔法写真美術部」というハイブリッドな名称は,彼らのこうした心情を象徴的に表していると言えるかもしれない。だからこそ,第10話において,彼らは唯翔の絵の中で世界を共有するという極めてインワードな体験をするのだ。

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唯翔の絵の中で世界を共有する主人公たち(第10話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

そして,時のずれという決定的な宿命によって引き離された彼ら/彼女らは,60年後,再び「あおい ゆいと」の絵の中で出会う。瞳美は最初から唯翔に色を教えてもらっていたのだ。唯翔の描いた色は,10年以上もの間,瞳美の心の中にあったということになる。

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「あおい ゆいと」の絵本(最終話より引用) © 色づく世界の明日から製作委員会

最後の瞳美の台詞は,この物語世界の色彩観を要約している。

海が青くてよかった

空が青くてよかった

あなたがくれた色

わたしの明日には

たくさんの色がある

(傍線は引用者による)

この物語の「色」は,客観世界の色とは無縁の,内的世界の「色」であった。そしてそのことを,この作品の色彩設計そのものが雄弁に語っていたのである。

 

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*1:色を「色相・明度・彩度」の3つの属性によって記号と数値で表す体系。マンセル・カラー・システム - Wikipedia を参照

*2:色覚「異常」ではなく「多様性」である【時流◆遺伝学用語改訂】|時流|医療情報サイト m3.comを参照

*3:同上。