*このレビューはネタバレを含みます。また,同監督の『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』と『心が叫びたがってるんだ。』の内容にも触れていますのでご注意ください。
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(2011年,以下『あの花』と省略),『心が叫びたがってるんだ。』(2015年,以下『ここさけ』と省略)に続く,超平和バスターズ原作による「秩父三部作」の三作目である。劇場アニメが多産された2019年にあって決して派手な存在感を持つ作品ではないが,三部作の集大成として深いテーマ性を持った作品に仕上がっている。とりわけ〈秩父〉という場所については,長井,岡田,田中の最終解が示されていると言っていいだろう。
作品データ
- 原作:超平和バスターズ(長井龍雪,岡田麿里,田中将賀)
- 監督:長井龍雪
- 脚本:岡田麿里
- キャラクターデザイン:田中将賀
- 制作:CloverWorks
(リンクはWikipedia)
高校2年生の相生あおいは姉のあかねと共に秩父の山に囲まれた町に住み,ベーシストになるべく勉強そっちのけで日々練習に明け暮れている。2人は13年前に両親を亡くしており,あおいの親代わりになる決意をしたあかねは,恋人の金室慎之介と上京する夢を諦めてしまっていた。自分のせいであおいを秩父の「牢獄」に閉じ込めてしまっていると感じたあおいは,姉を解放すべく,高校卒業後に東京に出る決心をする。そんなある日,演歌歌手のバックミュージシャンとなった慎之介が13年ぶりに帰郷し,あかねと再会をはたす。そして時を同じくして,13年前の「しんの(高校時代の慎之介のあだ名)」があおいの前に姿を表すのであった。
キャスティングの妙
毎度アニメのメインキャストに俳優が起用されることについては一抹の不安が伴うものだが,本作に限っては杞憂だったと言えるだろう。まず,30代の金室慎之介と高校時代のしんのを見事に演じ分けた吉沢亮。単に声質や台詞回しがよいというだけでなく,慎之介としんのの内面の違いをきっちりと消化した名演技だった。声優業は今回が初めてだったというが,とてもそうは思えない技術力である。早見沙織を思わせる吉岡里帆の声質は,しっかり者だがフワッとしたあかねの雰囲気にぴったりだった。NHK大河などで子役から活躍している若山詩音は,相生あおいの跳ねっ返りな性格をうまく演じている。大物演歌歌手の新戸部団吉を演じた松平健は,プロの声優とまったく遜色ない演技力で観客を驚かせる。
失礼を承知で言えば,これまで“ヘタウマ”的な味を期待されることの多かった俳優キャスティングだが,本作ではそれとはまったく違う方向性が提示されたように思う。つまり,本業の声優のようにこなれていたり特定の色が付いたりはしていないが,きちんと演技はできるキャスト。キャスティングの選択肢の多様化は,業界にとって有益なだけでなく,作品鑑賞の幅も広げてくれるに違いない。
ベーシストあおいの孤独
作品の内容に目を向けていこう。
この作品における「ベーシストあおい」というキャラクターは実に魅力的である。高校2年生の華奢な女の子でありながら,彼女の太い眉や勝ち気な表情には,ベースという楽器の持つ“硬派さ”が象徴的に表されている。
そんなあおいのリアルな演奏シーンは本作の見どころの1つでもある。楽器の演奏シーンのリアリティと言えば,『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)の「ライブアライブ」,『けいおん!』(2009年),『響け!ユーフォニアム』(2015年)など京都アニメーション作品が有名だが,本作でも,あおいの少々荒々しいが自信に満ちた演奏が見事に描写されている。長井によれば,この演奏シーンはロトスコープ(実際の人間のモーションをカメラで撮影したものをトレースしてアニメーションにする技法)で制作されており,これには相当な労力を要したそうである。*1
劇場パンフレットのキャラクターデザイン紹介によれば,「すべては彼女がベースを手に仁王立ちしている画から始まった」というから面白い。つまり本作において「あおい」というキャラクターとベースという楽器は不可分であるということだ。したがって当然,あおいがベースを選択したことには物語上の意味がある。
あおいはしんのたちのバンド活動に影響を受け,幼い頃にベースという楽器を選択している。もちろんその選択を,合理的理由付けとは無関係の,単なるセンスの問題として片付けることは可能である。しかしそれでは,あおいの心理を内在的に観察しているだけであって,『空青』という物語における彼女のキャラクターの意味を把握したことにはならない。どうして『空青』という物語で,彼女はベースを選択したのか。
ベースはギターなどと比べるとソロ演奏に適さない楽器だ。もちろん,ベースギターによるソロ演奏というものが存在することは事実だが,一般的には,ギター,ドラム,ボーカルなどと共にユニットを組むことによって初めてその真価が発揮される。しかし,あおいはベースを選択しておきながら,高校の同級生たちとバンドを組むことは拒んでおり,あたかも自ら孤独であることを望んでいるかのように思える。しかしだからと言って,彼女が“孤高のベーシスト”を気取ろうとしたわけではない。あおいはベースという楽器を選択することによって〈孤独〉という心の空白を呼びこみながら,実はそれを埋めてくれる存在を欲していたのだ。それがしんのという存在であったことは言うまでもない。
それは最初は,〈恋愛〉という感情として分節される以前の,もっとあやふやな感情であったかもしれない。しかしベーシストとしてギタリストしんのと共に演奏したい(つまり「目玉スター」になりたい)という願望は,すでに幼少期から彼女の中に芽生えていたのである。そんな彼女の〈孤独〉という空白を,13年後に現れたしんのが埋める。そしてあおいは「二度目の初恋」をするのである。
しかし,しんのは地縛霊のようにあやふやな存在であり,なおかつしんの=慎之介は姉であるあかねの恋人である。それは「二度目の初恋」であると同時に,「二重の失恋」を予感させてしまうものだ。彼女の心の空白は,どのように埋め合わされるであろうか。
ギタリスト慎之助の挫折
一方の慎之助は,〈夢を諦めたギタリスト〉としてあおいと対比させられる。それは“俺,必ずビッグになるからな!”という挫折型キャラクター類型として描かれている。彼の偶然の帰郷は,あおいにとっては自身の不吉な未来の予兆でもある。
しかしーーこれこそがこの物語における“30代”という年齢設定の妙なのだがーー慎之助の挫折は最終的なものではない。だからこそ13年前のしんのは,彼自身の前にも姿を表す(この点が,めんまが当初じんたんの前にしか姿を見せなかった『あの花』との決定的な違いである)。彼は過去の自分に叱責されることで自己修復的に挫折を乗り越えようとする。“完全に老成した賢者が過去の過ちを省みつつ退場し,すべてを若い主人公に託す”という物語が〈特定世代犠牲型〉のハッピーエンドだとすれば,『空の青さを知る人よ』は“若者とともに中年も成長する”という〈全世代救済型〉のハッピーエンドなのである。
〈回帰〉というテーマ
そして『空の青さを知る人よ』の最も大きな見所は,こうした主人公たちの心の葛藤と成長を〈秩父〉というユニークなトポスを舞台に描き,〈束縛・解放・回帰〉という〈意識の運動曲線〉を描き出すことで象徴的に表した点である。
超平和バスターズは,これまでの2作でも〈回帰する場所〉というモチーフを用いてきた。つまり『あの花』における「山の中の秘密基地」と,『ここさけ』における「山の上のお城(ラブホテル)」である。
『あの花』の「秘密基地」は,ばらばらになった幼馴染みたちが幽霊であるめんまの登場をきっかけに立ち返る場所であり,彼らがかつての関係性を取り戻すために必要とした心の〈回帰点〉であった。一方,『ここさけ』における「山の上のお城」はいささか不吉なトポスだ。主人公の順はラブホテルを「山の上のお城」と勘違いしたために両親の離婚という事態を招いてしまい,「話すと腹痛を起こす」という呪いにかかってしまう。歌であれば腹痛が起こらないことを知った彼女は交流会のミュージカルに意欲的に関わるが,密かに想いを寄せていた拓実と菜月の関係を知り,廃墟となった「山の上のお城」に逃げ込む。呪いの元凶となった場所へ〈回帰〉したことによって,父の不義と拓実との失恋を重ね合わせたことになる。
「秘密基地」にせよ「山の上のお城」にせよ,一度はそこから離れながらも決して忘却することができず,やがて引き戻されていく強い磁力を持ったトポスとして描かれているのである。
そして『空の青さを知る人よ』においては,〈秩父〉という場所こそがそのような〈回帰点〉なのだ。この作品において,秩父は前2作より閉鎖的な空間として表象されている。冒頭であおいが耳に装着するイヤホン,慎之助がギターをしまうケース,しんのが閉じ込められる御堂といったものは,この閉鎖性を象徴的に表している。そしてあおいと慎之介は,自分たちを閉じ込める〈秩父の町〉という閉鎖空間から脱出することを強く望むのだ。
しかし一方で,2人はこの閉鎖空間を憎み切ることは決してできない。なぜならそこには,あかねという愛すべき存在がいるからだ。あかねは,2人が生まれ育った秩父という〈回帰点〉への愛の象徴である。あかねにとって,秩父の町は「秘密基地」のような過去の場所でもなければ,「山の上のお城」のような呪いの場所でもない。それは今この瞬間に自分が生きている場所であり,彼女の目に映るのは,セピア色の想い出でもなければラブホテルの廃墟でもなく,今ここにある美しい「青い空」なのだ。
あおいはしんのとの“失恋”で再び心に孤独を呼び込むだろう。慎之介はこの先も理想の自分と現実の自分のギャップに苦しむだろう。しかし今や2人の前には青空のように透徹した未来があり,また同時に,あかねという戻るべき場所もある。未来を諦めることもなく,過去を捨てることもない,地に足のついた現実的な生。それこそが,彼らの成長の拠り所となっていくのであろう。
このように,本作が具体的な土地と心の成長を関連づけることに成功した1つの理由は,おそらく〈秩父〉という場の特異性にある。長井はこう言う。
僕の田舎は新潟で,見渡すかぎり田んぼしかないような平野だったんです。だから,秩父の景観は山がちな地形だけでも新鮮で,見ているだけですごく楽しいんです。あとは都心との絶妙な離れ具合が,物語の舞台としておもしろいと思います。わざわざ出て行こうと考えるほどでもなさそうな微妙な距離感なんですが,近いだけに「手を伸ばせば届く場所」として東京のイメージを具体的に掴みやすい。だから,そっちに惹かれる人も多いんじゃないか…*2
山に囲まれた閉鎖的な空間でありながら,東京との物理的な往来が実現しやすい場所。これに加え,〈東京〉という特異点が良きにつけ悪しきにつけ〈地方〉を刺激するという,日本特有の地理的関係性も重要な要因であろう。〈秩父〉という場の特性が物語に見事に活かされた傑作であった。
さて,この三部作を通して,「超平和バスターズ」こそが長井,岡田,田中にとっての象徴的な〈回帰点〉となったのではないだろうか。彼らは今後,それぞれに様々な名作を作り出していくことだろう。そしてやがて彼らが再びこの「超平和バスターズ」に回帰し,新しい傑作を産み出してくれることを心から願おうではないか。
作品評価