*このレビューにネタバレはありませんが,『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』『劇場版 チェンソーマン レゼ篇』『ホウセンカ』の内容に触れています。未見の作品を先入観なしで鑑賞されたい方は,作品を先にご覧になってから本記事をお読みください。
今秋,3つの劇場アニメ作品を鑑賞した。『鬼滅』『チェンソー』『ホウセンカ』だ。どの作品も大満足の出来栄えなのだが,少し思うところがある。
外崎晴雄監督『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』は,文字通り「鬼滅」という物語のクライマックスということもあり,炭治郎&柱と鬼たちの激しい戦闘シーンが目玉だ。ufotableの3DCG班が描画する「無限城」を舞台に,炭治郎,柱,鬼らが着地と飛翔を繰り返しながら鎬を削り合う。
𠮷原達矢監督『劇場版 チェンソーマン レゼ篇』も,少なくとも表面上は戦闘アクションにハイライトがある(この点については後日レビュー記事で詳述する)。前半の穏やかな日常芝居=都市トポスへのキャラの定位から,後半の都市トポスからの飛翔,都市トポスの破壊,殺戮への大きな転調が見どころである。どちらの作品もキャラクターが大地を離れて縦横無尽に飛翔し,3次元空間を目一杯に活用している点が共通している。“アクション作画”と“3D描画”という,現代アニメの最も魅力的な部分を全面に押し出した作品だ。
その証拠というわけではないが,どちらの作品も興行的に大きな成功を収めている。本記事執筆時点で,『鬼滅』は国内興収364億円。1位の「無限列車編」(2020年)の407億円に迫る勢いだ。『チェンソー』は『鬼滅』ほどではないにせよ,現時点の国内興収57億円。劇場アニメとしては好調と言える。
一方の木下麦監督/此元和津也脚本『ホウセンカ』は,言葉を選ばず言えば“地味”である。主人公は刑務所に収監された老人。死に臨んだ男が,“喋るホウセンカ”との対話を通じて己の過去を振り返るという話だ。無論,この老人が空を飛ぶことはない(というよりほぼ寝ている)。人物たちは独房に敷かれた布団,昭和の一軒家の床,海沿いの街の古びた道に常に着地し,そこに定位し続ける。ある意味で徹底した“2D”作品だ。公開されたばかりなのでデータはないが,オリジナル作品ということもあり,興行収入的な伸びはおそらく限定的だろう。
しかし個人的な意見を言えば,この作品が『鬼滅』や『チェンソー』に見劣りすることは決してない。少なくとも興収の値が示すほどのクオリティ差があるとは思えない。『オッドタクシー』の木下と此元の再タッグということもあり,軽妙な会話劇や伏線の仕込み・回収は見事だ。実写映画でもできる話かと思いきや,主人公・阿久津の極端に面長の顔と不器用で木訥とした性格のマッチングや,ピエール瀧演じるホウセンカの人間臭い振る舞いなどは,アニメーションでしか表現し得ない味わいである。この手の秀作が正当に評価されないのは,一アニメファン,アニメレビュワーとして残念極まりない。
“飛ぶ”か“飛ばない”かは,あくまでもこれらの作品の一側面を抽出した比較基準にすぎない。“可愛い女の子”でも“ダンスシーン”でも“エロ”でも“グロ”でも何でもいい。ある種の派手さを含まない作品は,どうしても不当なほどに評価が下がる傾向にある。あるいは評価が下がる以前に,観られない。
要するに,“アニメファンよ,地味な作品をもっと観よ”ということだ。可愛い女の子が出てこずとも,軽快なダンスシーンがなくとも,キャラが空を飛ばずとも,アニメーションとしての魅力を持ったアニメーションはたくさんある。派手さや見栄えに評価の軸や審美眼を固定してしまうと,本来楽しめるはずの作品が楽しめなくなる。逆に“軸”と“眼”を拡張していけば,日々無数に生み出される多様な作品群を限りなく楽しめるようになる。そして僕らアニメファンの“軸”と“眼”が広がっていけば,制(製)作側も臆さず多様な作品を世に送り出せるようになる。
飛ぶアニメももちろん面白いが,飛ばないアニメも同様に面白いのだ。是非『ホウセンカ』を観に劇場まで足を運んで欲しい。