*このレビューはネタバレを含みます。
2017年の「第3回 京アニ&Doファン感謝イベント 私たちは,いま!!ー2年ぶりのお祭りですー届け!京アニ&Doのいろいろ編」で上映された短編アニメ『バジャのスタジオ』。監督を務めるのは,2019年に惜しくもこの世を去った,京都アニメーションの木上益治(本作では「三好一郎」名義)である。以前,京都アニメーションのオリジナル企画として発案された『カナカのゆめまほう』をベースにしている。
21分という短い尺の中に,キャラクターたちへの愛情が溢れんばかりに詰め込まれており,アニメーションというものの本質を改めて考えさせてくれる珠玉の小品である。
あらすじ
ハムスターのような愛くるしい生き物「バジャ」は,「KOHATAアニメスタジオ」で人間たちに飼われている。彼の友だちはスタジオの外の池に浮かぶアヒルのおもちゃ。ある晩,バジャはアヒルのおもちゃが猫に襲われているのを目にする。彼は「ほうき星の魔女ココ」の助けを借りて彼を救おうとするのだが…
アニメを作るアニメ
バジャが飼われているのは,おそらく京都アニメーションのスタジオをモデルにしたと思われる「KOHATAアニメスタジオ」である(その佇まいは,とりわけ在りし日の「第1スタジオ」の姿を思わせる)。狭苦しいケージのようなものはなく,スタジオ全体が彼のプレイグラウンドだ。彼は日々スタジオ内を駆けめぐって制作作業を見て回ったり,休憩時にスタッフに愛玩されたりしている。
スタジオでは,『ほうき星の魔女ココ』というアニメの制作が進行中である。監督のカナ子は,おそらく経験の浅い新人監督と見られ,作画監督やキャラクターデザイナーらに強く指示を出すことができず,スタッフたちとのコミュニケーションに苦労している様子だ。原画制作,彩色,制作マネージャー(制作進行)の仕事など,その制作風景も細部にわたってリアルに描写されており,“お仕事アニメ”的な一面もある作品である。要するに本作は,アニメの中でアニメ制作の現場を描いているという点で,『SHIROBAKO』(2014年秋-2015年冬)や『映像研には手を出すな!』(2020年冬)の系列に連なる作品なのである。
故に,このスタジオ内に満ちている人々の全エネルギーは,キャラクターたちを〈animate=生命を吹き込む〉することーバジャに言わせれば「魔法の道具で」絵にすることーに注がれている。この作品の主題は,まさに〈animate〉という営為そのものなのである。
〈animate〉されるキャラクターたち
故に,アニメーションの技術はこのスタジオの場を満たす神聖なる“魔法の力”として描かれる。
ある晩バジャは,誰もいなくなったスタジオの窓から友だちのアヒルが猫に齧られているのを目撃し,気絶してしまう。その刹那,PCモニターの「ほうき星」の力が発動し,棚の上に飾られていたココのフィギュアが活動を始める。ココは「KOHATAアニメスタジオ」という場の力で〈animate〉されるのだ。ホウキに乗り,魔法のステッキを振りかざす彼女は,往年の“魔女っ子”シリーズのキャラ造形を継承しており,〈メタモルフォーゼ(変身)〉の力を司っている。彼女はバジャに変身する力を与える。てんとう虫に変身したバジャは,窓際の穴から外へ出て,アヒルのおもちゃを救おうと試みる。
しかし〈animate〉されるのはココだけではない。「悪い魔法使いギー」もまた,スタジオの魔力を得て活動を始める。興味深いことに,彼の司どる力も〈animate〉である(したがってギーは,仕事のストレスが溜まりやさぐれてしまったアニメーターのメタファーなのかもしれない)。彼はイスのクッションを〈animate〉して操り,扇風機の風でココを窓から突き落とす。スタジオの外に出ると魔法の力を失ってしまうココは,たちまち元の動かないフィギュアに戻ってしまう。バジャは生命を失ったココと横たわるガーちゃんを見て,「動かない。ココも,友だちも,動かない」と悲痛な声を上げる。つまりギーは,〈animate〉を無効化するという,この物語内で最も許し難い大罪を働くのである(おまけに彼はスタジオを支配し,「業界一黒い組織」に変えようと目論む)。
しかし箒星に由来する権能を持ったココは無敵だ。彼女はこともあろうに,魔法で監督のカナ子を「女神」として召喚し,ギーの放つ“キャラデザ攻撃“を薙ぎ払って勝利する。
戦いに敗れたギーは,ココに命じられてアヒルのガーちゃんを〈animate〉することで罪を贖う。おもちゃだったガーちゃんは生命を吹き込まれ,バジャとめでたく本当の友だちになる。この一連のシークエンスの中に,2つの〈animate〉,つまりスタジオの魔力がココとギーに施す〈animate〉と,ギーがガーちゃんに施す〈animate〉が多重的に表されているのが面白い。
アニメはみんな生きている
主人公のバジャは,公式設定上「ハムスターに似た生き物」とされているが,その正体は明示されていない。本当にハムスターなのか,それとも他の生き物なのか,そもそも生物なのかどうかすらはっきりしていないのだ。*1 このバジャというの存在の曖昧さの基底には,本作に込められたメッセージが隠されているように思える。
ギーによって〈animate〉されたガーちゃんと戯れるバジャを見ていると,彼が本物のハムスターなのか,それともガーちゃんと同じく何者かによって〈animate〉されたおもちゃのような存在なのか分からなくなってくる。結局,どちらも京都アニメーションによる“魔法の力”で〈animate〉されたキャラクターであり,どちらも生き生きとした生命が漲っているからだ。
ここに至って,もはや“生物”と“アニメキャラ”との境界線は完全に取り払われているように見える。この作品には,アメンボやオケラやミミズといった本物の生物も登場するが,バジャやガーちゃんも,彼ら同様,京都アニメーションによって生命を与えられたキャラクターである。アニメーションとは,あらゆるものに生命を吹き込む営為であり,そこに生物/無生物の区別はない。『バジャのスタジオ』という作品は,この事実を「バジャ」という曖昧なキャラクターの物語によって示してくれているのだ。
エンディングロールの後に挿入されるシーンでは,昼間のスタッフたちが見ている前でガーちゃんがひとりでに動き出し,コンセントに繋がっていない扇風機が動き,クッションがスタッフに悪戯をし,カナ子が憑き物が落ちたようにスッキリした笑顔を見せる。前夜のスタジオの魔法は夢でも幻想でもなく,昼の現実に流れ込んでいる。〈animate〉によって,現実と空想の境界も曖昧になっている。
エンディングでは,やなせたかし作詞の『手のひらを太陽に』が流れる。このあまりにも有名な楽曲が採用された理由はすでに明らかだろう。
僕らはみんな生きている
ここには,三好一郎=木上益治の“あらゆるものに生命を与える”という,凄みすら感じさせる意志が込められているように思える。
そして彼の意志を継ぐ京都アニメーションは,今後いつまでも〈animate〉という営為を行い続け,ありとあらゆるキャラクターに生命を吹き込み続けるのであろう。
作品データ
*リンクはWikipediaもしくは@wiki
【スタッフ】監督:三好一郎/動画検査:黒田比呂子,松村元気/色彩設計:宮田佳奈,竹田明代/特殊効果:三浦理奈/美術監督:落合翔子,細川直生/撮影監督:浦彰宏/3D監督:山本倫/CG演出:植田弘貴/音響監督:鶴岡陽太/アニメーション制作:京都アニメーション
【キャスト】バジャ:吉田舞香/ガーちゃん・ギー:田村睦心/ココ:田所あずさ/カナ子:金元寿子
作品評価
ちなみにBlu-rayには三好一郎の絵コンテが特典として付属する。本作と各キャラクターに対する三好の想いが伺えるたいへん貴重な資料となっている。
*1:三好によれば,バジャは「ほうき星」からスタジオにやってきた生物のようである。三好は『バジャのみた海』の後に続く続編で,バジャがスタジオにやって来た理由やガーちゃんが池に浮かんでいる理由などを明らかにしていくことも構想していたようだ。「私たちの,いま!2019」(『私たちは,いま!!全集2019』,京都アニメーション,2020年に所収)pp.130-140