*このレビューはネタバレを含みます。
3回目となる本記事では,『美少女戦士セーラームーンS』(1994-1995年)における幾原邦彦演出回を観ていこう。セーラーウラヌスとセーラーネプチューンという新キャラクターに加え,後の『少女革命ウテナ』(1997年)の制作チーム「ビーパパス」の一員である榎戸洋司が脚本として加わったことにより,前作よりも同性愛的なイメージが前景化されたシリーズとなっている。
『R』と同様,幾原の演出回は4回である。ファーストシーズン(無印)『R』『SuperS』の幾原演出回,および『劇場版R』のレビューについては以下の記事を参照頂きたい。
- 『美少女戦士セーラームーンS』(1994-1995年)幾原邦彦演出回一覧
- 第92話「素敵な美少年?天王はるかの秘密」
- 第103話「やって来た ちっちゃな美少女戦士」
- 第110話「ウラヌス達の死?タリスマン出現」
- 第117話「より高くより強く!うさぎの応援」
『美少女戦士セーラームーンS』(1994-1995年)幾原邦彦演出回一覧
第92話「素敵な美少年?天王はるかの秘密」
勉強会をサボってゲーセンで遊ぶ美奈子に怒り狂ううさぎ。完熟トマトが爆発したようなうさぎの顔は,冒頭からインパクト超絶大だ。
この回は,ウラヌスとネプチューンが天王はるかと海王みちるとしてうさぎたちの前に姿を現し,両陣営の本格的な交流が始まる重要な話数でもある。はるかとみちるは時間差で登場するが,共に類似のタッチとレイアウトが用いられ,韻を踏んだような様式化された演出が印象的である。美しく舞う花びらがシーン全体を装飾しており,2人の美しさに感嘆するうさぎと美奈子の心象風景のようなシーンになっている。この辺り,いかにも幾原らしい美麗な演出だ。
はるかとみちるの関係を知るべく,2人につきまとううさぎと美奈子。髪色が似ているせいもあり,まるで姉妹のように振る舞う2人の姿がコミカルかつ微笑ましい。
車から誕生したダイモーン「ステアリングー」は,シリーズ屈指のギャグ敵キャラだ。人型から自動車に変形して疾走するその姿に『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』(1999年)の「ウテナカー」の原型を見るのはさすがに深読みが過ぎるだろうが,幾原作品に散見されるビークルの疾走感が,本作から『ウテナ』に流れ込んでいると解釈するのは無理なことではないだろう。
はるかがジャケットを脱いだ姿で登場するラストシーンは大変興味深い。冒頭の登場シーンと比べ,彼女の面立ちや身体つきはやや女性的なものに変わっており,はるかを男性だと思い込んでいる美奈子たちは彼女を同定できない。もちろん,本当にはるかの身体に物理的な変化が生じたわけではないはずだ。むしろ“男性/女性”という認識は,はるかとみちるの登場シーンと同様,美奈子たちの心的イメージに基づいていると考えてよい。
ここに,この作品における〈メタモルフォーゼ〉の核心を見てとることができるだろう。
〈見た目上はほとんど変化していないのに,決定的な変化が生じている〉という感覚は,言うまでもなく,うさぎたちのセーラー戦士への変身にも表されている。変身前後で衣装は様変わりするものの,彼女たちの身体そのものはほとんど何も変わらない。したがって,視聴者には彼女たちの正体が明らかなのだが,物語内の人物たちには彼女たちが同定できない。
結局,この作品における〈メタモルフォーゼ〉の本質は,外見上の変容ではなく,より内的な変容にあるのかもしれない。「美少女戦士」という,“ルッキズム“ともとれるタイトルを冠していながら,敵キャラが人の「ピュアな心」や「美しい夢」を狙って襲うのは,この作品が〈外見〉と〈内面〉をわかりやすいほどに明確に峻別した上で,両者をバランスよく作品に導入しつつ(というのも,キッズアニメはキャラクターグッズ販促という使命も負っているため,ビジュアルイメージを強調する必要があるからだ),本質的には後者の価値を視聴者に印象付ける,という物語設計になっているからかもしれない。
もちろん,こうした演出の背景には,ご都合主義的なトリックの利用,作画カロリーの節約といった制作上の事情もあるだろう。しかし少なくとも視聴者に与える印象という点では,上記のような解釈を許容する作品であることは間違いない。さらに言えば,本作における〈メタモルフォーゼ〉が後継作品に及ぼした影響も大きい。アニメ作品における〈変身〉の意味を語る上で,この話数の意味は小さくないと言えよう。
【その他のスタッフ】
脚本:隅沢克之/美術:浅井和久/作画監督:香川久(リンクはWikipediaもしくは@wiki。以下同様)
第103話「やって来た ちっちゃな美少女戦士」
まず目を引くのが,幾原の御家芸とも言える〈反復の美学〉だ。
うさぎ・亜美・まこと・美奈子の会話シーンに4度挿入されるレイの自転車疾走のカット,ファミレスで2度登場するストローの袋のカット,はるかとみちるの登場カットで4度繰り返されるティルト・アップ。これらは物語そのものとは直接関係のないカットであるが故に,却って強い印象を残している。
おそらく『セーラームーン』シリーズにおいて,バンクを含めた〈反復〉の手法は,制限された作画枚数の範囲内で効果的な演出を追求する,というエコノミカルな事情から生まれたものと推測されるが,幾原はこれを一種の様式美にまで高めている。この後,幾原は『少女革命ウテナ』から最新作の『さらざんまい』(2019年)に至るまで,〈反復の美学〉をますます洗練させていくことになるが,その原点を本作に見てとることができるだろう。
この話数はちびうさの再登場回でもある。
水面に映るうさぎの変顔の隣にルナP・ボールが一瞬現れる。ネタと物語の伏線張りを兼ねた絶妙なカットだ。久々の再登場と共に「ピンク・シュガー・ハート・アタック」を初披露するちびうさ。このキュートかつ絶妙な間は笑いを誘わずにはいられない。
うさぎが背後からレイに呼びかけるこのカットには,モノクロに反転した画面に「ひっ」という吹き出しの入った画がサブリミナル効果的に挿入されている。普通に観ていると見逃してしまうくらいの一瞬(2/24コマ)だ。実験的な遊び心が窺える面白いカットである。
相変わらず“犬猿の仲”ぶりを見せるうさぎ&ちびうさのコンビだが,ラストシーンでは母娘関係を匂わせるカットも挿入され,今後発展していく2人の間の強い絆を暗示している。
ちなみにこの回は,ガイナックス出身の黒田和也が作画監督を務め,現在Triggerに所属する吉成曜が原画チームに参加するなど(第99話「男の優しさ!雄一郎,レイに失恋?」にも参加),作画面でも注目の話数だ。
【その他のスタッフ】
脚本:柳川茂/美術:鹿野良行/作画監督:黒田和也
第110話「ウラヌス達の死?タリスマン出現」
『セーラームーン』シリーズにおいて,幾原と榎戸洋司が初めてタッグを組んだ話数であり,「ビーパパス」のプロトタイプここにあり,と言えるほど彼らの“作家性”が前面に押し出た演出に仕上がっている。全編を通してしっとりとしたメランコリックなトーンが貫き,ギャグシーンはミニマムに抑制されている(皆無ではないところが幾原流でもある)。
プールサイドで貝殻を耳にあて,自らの心象風景に浸るみちる。そこへはるかが「ずるいじゃないか。自分だけの世界へ行くなんて。僕を置いてくなよ」 と声をかける。終盤の展開を予告した印象的なシーンだ。
はるかとみちるのマンションで電話の呼び出し音が鳴り響く。ユージアルからの宣戦布告の電話だ。ユージアルは留守番電話にメッセージを残すが,録音時間が短いために途中で切れてしまい,再び呼び出し音が鳴り響く。シリアスな雰囲気とユージアルのドジっぷりの対比が面白いシーンだが,広い空間と間の使い方が絶妙であり,特筆に値する。
はるかとみちるが優しく手を組み合わせるカットは,2人の間の曖昧な同性愛的関係性を改めて強調するイメージになっていると同時に,あるいはそれ以上に,過酷な運命を共有する2人の強い絆を示しているようだ。この上なく美しく丁寧に作画されており,本話数の中でも際立って強い印象を残すカットである。
はるかとみちるに水族館に呼び出されるうさぎ。無言で示される両者の距離感。不意に魚たちが色を失い,はるかはうさぎに決別の言葉を告げる。はるかとみちるはセーラー戦士に変身し,屋上に突如現れたヘリコプターに乗って敵地へと向かう。
常識的・現実的な必然性を度外視し,内的なドラマ性を優先させた大胆なシーンである。この辺りも幾原×榎戸コンビの真骨頂と言えようか。
先ほどの“手”のシーンに次いで印象的なのが,はるかとみちるの敵地進入シーンだ。
みちるを拉致され,敵地最奥部に駆けつけるはるか。荊棘のようなもので磔にされるみちる。ユージアルに命を奪われそうになるはるかを救うべく,みちるは荊棘を引きちぎって助けに出るが,ユージアルの仕掛けた罠によって重傷を負う。
はるかとみちるの〈自己犠牲〉というテーマも含め,この一連のシーンのイメージは『少女革命ウテナ』に流れ込み,やがて『輪るピングドラム』(2011年)にも継承されていくものである。幾原の演出を語る上で欠かせないシーンである。
みちるを失い絶望したはるかは,メシアに語りかける。そこへ現れるうさぎ。はるかの心の中で,うさぎとメシアの姿が重なる。
はるかの心象イメージの中で,うさぎのメシアへの変身が予見されていることを示す重要なシーンであり,先述した〈内的メタモルフォーゼ〉を象徴的に表してもいる。
【その他のスタッフ】
脚本:榎戸洋司/美術:田尻健一/作画監督:とみながまり
第117話「より高くより強く!うさぎの応援」
第110話とは対照的に,随所にギャグが散りばめられたコミカル回だ。
なぜかツイスターをするコメットと,それを覗く教授。コメットを送り出した後,なぜかツイスターを始める教授。ギャグの質としてはかなりシュールでインパクトが強い。
冒頭の神社のシーンでアルテミスが鼻をかむカットと,中盤のグラウンドのシーンでコメットが鼻をかむカットが相似形になっているのが面白い。無関係のカットを連結することで,物語の文脈から乖離した視覚効果を生み出している。
ホイッスルを鳴らしながら部外者であるうさぎとほたるを追い出そうとする係員A・B・Cだが,ほたるが憧れの陸上選手・早瀬瞬にファンレターを渡す場面ではさりげなく見てみぬふりをするなど,妙にホッコリするエピソードである。
ちなみに,この係員のシンクロナイズされたコミカルな動きは,『少女革命ウテナ』DUEL: 06「七実様御用心!」で,七実に交際を迫る3人組を思わせる。『輪るピングドラム』や『さらざんまい』に登場する「ピクトグラム人間」につながるモブの形象と言えるだろうか。
【その他のスタッフ】
脚本:柳川茂/美術:大河内稔/作画監督:中村太一
以上,『S』における幾原邦彦演出回を仔細に見てきた。全体として,幾原が内的イメージや心象風景を重視した演出を行なっていることが窺える。幾原はこの後,『SuperS』のシリーズディレクターを経た後に,榎戸らと「ビーパパス」を結成し,『少女革命ウテナ』の制作に携わっていく。そのプロトタイプとなるモチーフの多くが,『S』において追求された内的イメージの中にあると言えるだろう。本記事をご覧になった方には,改めて『S』と『ウテナ』を比較しながらご覧になって欲しいと思う(ちなみに下に挙げた『少女革命ウテナ Complete Blu-ray BOX』には,劇場版の『アドゥレセンス黙示録』も収録されている)。