*この記事は『ぼっち・ざ・ろっく!』「#1 転がるぼっち」「#2 また明日」「#3 馳せサンズ」のネタバレを含みます。
はまじあき原作/斎藤圭一郎監督『ぼっち・ざ・ろっく!』は,隠キャ生活を脱出すべくギターを始めたぼっちこと後藤ひとりが,コミュ障を克服しながら女子高生ガールズバンドとして活躍していく姿を描いた“きらら枠”TVアニメである。ユニークな構図・デフォルメ・モーションなどによって,ぼっちのコミカルなキャラを豊かに演出した本作は,アニメーションの楽しさを改めて教えてくれる良作である。今回の記事では,「#1 転がるぼっち」「#2 また明日」「#3 馳せサンズ」の演出を詳しくい見ていこう。
ぼっち in boxes
アニメ版で目を引くのは,主人公・後藤ひとりのキャラである“ぼっち”感を多彩な空間描写で表現している点だ。
まず斎藤圭一郎絵コンテ・演出の「#1 転がるぼっち」の冒頭では,押入れに引きこもってギターを演奏するぼっちの姿が描かれる。ここでは「押入れ」という狭小空間によってぼっち感が演出されている。カメラに写り込む様々なプロップやライトとノートパソコンの光源(後述するライブハウスのライトを連想させる)によって,空間の狭隘感とぼっちの孤独感が的確に演出されている。一方,その後の教室のカットでは,広角気味のアングルで広く捉えた教室の遠景にぼっちを配置することで,ぼっち感が演出されている。〈狭/広〉という対照的な構図でぼっちのキャラが視覚化されているのが面白い。本作の演出手法の幅の広さを窺わせる。
さらに面白いのは,この「押入れ」の狭小空間がゴミ箱=段ボール=ライブハウスというアソシエーションに発展していく点だ。
「#1」の初セッションで虹夏に「ド下手」と言われ自信をなくしたぼっちは,ライブ本番の直前にゴミ箱に引きこもってしまう(この際のカメラアングルもすこぶる面白い)。虹夏とリョウの説得によって,ぼっちは「完熟マンゴー」の段ボールの中で演奏することになる。冒頭の「押入れ」のぼっち感がゴミ箱と段ボールによってそのまま引き継がれている。
一方,もう1つの「箱」であるライブハウスは,もう少し複雑な意味を担っている。
ぼっちは虹夏に連れられて訪れたライブハウス「STARRY」を見るや,「この暗さ,この圧迫感…お…落ち着く〜」と独り言ちながら,この狭小空間に並々ならぬ親近感を覚える。小規模キャパのライブハウスは俗に「箱」と呼ばれるが,ぼっちにとってライブハウスは,まさに押入れやゴミ箱や段ボールと同じように落ち着くことのできる「箱」なのだ。
しかしライブハウスは,押入れや段ボールとは違い,孤独に引きこもることができない場所だ。そこには他のバンドメンバーがいて,観客がいる。そこは音楽の楽しさを他者と共有する空間なのだ。「#2 また明日」で,ライブハウスのアルバイトをする虹夏とぼっちのやりとりを見てみよう。
虹夏:あたしね…このライブハウスが好きなの。だからライブハウスのスタッフさんがお客さんと関わるのってここと受付くらいだし。いい箱だったって思ってもらいたいって気持ちがいつもあって。[中略]あたし,ぼっちちゃんにもいい箱だったって思って欲しいんだ。楽しくバイトして,楽しくバンドしたいの。一緒に。
虹夏のこのセリフの後,ぼっちはバンドの演奏を見ながら次のようにモノローグを始める。
ぼっち:会場が一体になって,お客さんも演者も楽しそう。それに比べて私のライブは…お客さんは2000円も払って見に来てるんだよね。そんな人たちに…今の私のままじゃ,次もグダグダなライブをするんだろうな。少しずつでも変わる努力をして,一緒に楽しくしたい。
隠キャを脱出したいと願うぼっちは,やがて押入れという“箱”から,ライブハウスという“箱”に少しだけ世界を広げていくのだろう。ぼっちにとってライブハウスは,押入れのように親密な〈閉鎖的内部〉であると同時に,少しだけ社会性を求められる〈開放的外部〉でもある。ライブハウスのバンドマンたちを照らすライトの光源が,押入れでぼっちを照らすライトの光源と似ているのも偶然ではないかもしれない。
背動,スクウォッシュ&ストレッチ
山本ゆうすけの絵コンテ・演出による「#3 馳せサンズ」は,この作品のアニメーションとしての面白さを存分に出した名話数だ。まず,押入れ,ゴミ箱,段ボールに続いてぼっちのぼっち感を生み出す「謎スペース」のシーンを見てみよう。
相変わらずクラスメイトと会話ができないぼっちは,掃除道具が置かれた「謎スペース」でひとりお昼を食べる。そこに通りかかった郁代をぼっちが覗き見する。郁代の陽キャオーラに当てられたぼっちは「アイデンティティの崩壊」を起こしてしまう。
背景を少しずつ動かしながら,頭を抱えるぼっちにトラックアップしていき,実写映像の風船破裂と「ペチョ」の音で落とす。背動&トラックアップによる緊張感,実写の異化効果,「ペチョ」音のコミカルさを連係させた,技巧的な演出だ。
さらに「STARRY」でのアルバイト風景のシーン。郁代の陽キャオーラたっぷりのバイト姿に打ちのめされたぼっちは,再びゴミ箱に引きこもり,再びアイデンティティを喪失。「その日入った新人より使えないダメバイトのエレジー」を歌い始める。
ぼっちの入ったゴミ箱が突如スクウォッシュ&ストレッチし始め,ぼっちがギターをニュルッと引っ張り出して演奏を始める。やがてぼっちは幽霊のような姿になってリョウの目の前で昇天していく。短いが,非常に目を引くシーンである。
本来ハードなはずのゴミ箱やギターが飴細工のように自在に変形する様は,まるでディズニーアニメを観るような楽しさがある。同じ女子高生ガールズバンドアニメでも,楽器をあくまでもリアルなギアとして扱っていた山田尚子『けいおん!』(第1期:2009年)などとは対照的だ。『ぼっち・ざ・ろっく』と『けいおん!』は設定に共通点の多いアニメだが,こうした細部の演出の差異を楽しむのも一興だろう。
デフォルメとリアリティ
こうした,スクウォッシュ&ストレッチのような“崩し”に対し,独特なリアリズムの考え方がうかがえるのも『ぼっち・ざ・ろっく!』の特徴だ。
まず本作では実写画像が多用されている。「#2」では「青春コンプレックスを刺激する歌」の説明,「#3」では,クラスメートの「ペープサート」,先述の「アイデンティティ崩壊」の風船,「ダブル黒歴史ぼっち弾き語りversion」演奏カットの背景に実写の画像(写真)が用いられている。
アニメーションと実写の融合は古くから行われている手法である。その意図は作品によって様々だが,アニメーションの中に実写という異質な媒体を挿入して“衝突”させることによって,視聴者を一時的にアニメの外へ連れ出す一種の〈異化効果〉が得られるということもあるだろう。あるいは表現の多様性を広げるための〈遊び〉の要素と言えるかもしれない。『ぼっち・ざ・ろっく!』における実写の意義については,いかようにも解釈ができるだろうが,一つ言えるのは,本作が〈デフォルメ〉と〈リアリティ〉の両方に注意深く配慮した作品であるということだ。
そもそもこの作品は,実写画像だけでなく,背景にフォトリアルな美術を用いたカットが多い。むろん,作業工程を減らす意図で写真からコンバートしている可能性もあるが,少なくとも視聴者に対する効果としては,実写画像と同程度の強い〈リアリティ〉の効果をもたらすことは間違いない。
リアルな描写を要所に配置することで,どれほどデフォルメされていても,“この現実の中に確かに存在している”というキャラクターの実在感や現実感が確保される。この物理的な現実感を基盤に,キャラクターの心情のリアリティも成り立っている。デフォルメや漫符の連続の中に挿入されるふとしたシリアスな表情も,デフォルメとリアリティのバランスがうまく調整された設計がベースにあるからこそ,現実感を伴った効果的な“アクセント”となる。
本作は,今後の話数でも多彩な演出手法を繰り出してくることが予想される。ストーリーの面白さやキャラクターの魅力もさることながら,細部の演出を存分に楽しめる良作だ。アニメ班の技術を細部まで味わい尽くそう。
作品データ
*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど
【スタッフ】
原作:はまじあき/監督:斎藤圭一郎/シリーズ構成・脚本:吉田恵里香/キャラクターデザイン・総作画監督:けろりら/副監督:山本ゆうすけ/ライブディレクター:川上雄介/ライブアニメーター:伊藤優希/プロップデザイン:永木歩実/2Dワークス:梅木葵/色彩設計:横田明日香/美術監督:守安靖尚/美術設定:taracod/撮影監督:金森つばさ/CGディレクター:宮地克明/ライブCGディレクター:内田博明/編集:平木大輔/音楽:菊谷知樹/音響監督:藤田亜紀子/音響効果:八十正太/制作:CloverWorks
【キャスト】
後藤ひとり:青山吉能/伊地知虹夏:鈴代紗弓/山田リョウ:水野朔/喜多郁代:長谷川育美
【「#1 転がるぼっち」スタッフ】
脚本:吉田恵里香/絵コンテ・演出:斎藤圭一郎/作画監督:けろりら
【「#2 また明日」スタッフ】
脚本:吉田恵里香/絵コンテ:斎藤圭一郎/演出:藤原佳幸/作画監督:助川裕彦
【「#3 馳せサンズ」スタッフ】
脚本:吉田恵里香/絵コンテ・演出:山本ゆうすけ/作画監督:中村颯
商品情報