アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

“Big Change”ーある天才酔いどれアニメーターの話:第206回アニメスタイルイベント「ANIMATOR TALK 磯光雄」レポートに代えて

「デンスケ」のTシャツを着たその男は,少々はにかんだ笑顔を浮かべながらも,唯一無二のオーラをたっぷりと纏いながら登壇した。雑誌「アニメスタイル」が企画するトークイベントである。

『電脳コイル』公式Twitterより引用 ©︎磯 光雄/徳間書店・電脳コイル製作委員会

磯光雄。『機動戦士Zガンダム』でデビューした後,『機動戦士ガンダム0080ポケットの中の戦争』第1話冒頭の伝説的な作画で鮮烈な印象を残しつつ,「フル3コマ」「磯爆発」など独自の表現技法を繰り出して日本のアニメ表現に革命をもたらした。『電脳コイル』『地球外少年少女』では原作・監督・脚本を手がけ,その卓越したストーリーテリングで多くのファンを魅了した(『機動戦士ガンダム0080ポケットの中の戦争』はU-NEXTなどで視聴可能)。

その磯が,自らが敬愛する先輩アニメーターを語るイベントというだけあって,新宿の「ロフトプラスワン」に所狭しと置かれたイスはほぼ満席となった。ゲスト席には井上俊之,今石洋介,吉成曜など,錚々たる面子が顔を揃えた(僕を含めた一介のアニメファンとしては,この空間にいるだけで多幸感に満ち溢れてしまうことだろう)。

最初に磯が語ったのは稲野義信だ。『銀河鉄道999』『伝説巨神イデオン』『ゲゲゲの鬼太郎(第3期)』など多くの作品で伝説を作ったアニメーターだ。非公開のイベントということもあり,ここでは具体的な作品名やカットなどについて詳細を語ることはできないが,磯の語る稲野の技法は魅力的だ。長方形で構成される人物デッサンや特徴的な“指差しポーズ”など,分析的かつ明瞭な説明で,素人でもわかりやすい。かと思えば,縦横無尽に脱線を繰り返しながら奔放な軌道を描く彼の話し方は,それ自体が“板野サーカス”のように自由でもある(残念ながら僕は次の朝が早かったので途中退席したのだが,イベント後半では板野一郎についても言及があったと思われる)。その語り口は,サブカルチャの殿堂「ロフトプラスワン」の猥雑な空間によく似合う。彼の話をもとに『イデオン』や『鬼太郎』などの過去作品を再視聴すれば,間違いなく面白さが倍増することだろう。

ところで,磯の話を聞いていて気になったのは,過去作の中に特定カットの作画担当が依然として不明の場合がかなり多いということだ。現代の作品であれば制作会社がそれなりに情報管理しているだろう。しかし80年代くらいの作品では,そもそも中間成果物への意識が薄く,アニメーターの担当カットがアーカイブされていないものも多い。これはたいへん憂慮すべき事態だ。

何も“作画オタク”趣味のためばかりではない。アニメーター相互の影響関係などを探る上でも,担当アニメーターの情報は適切にアーカイブしていく必要があるだろう。現在では主にネット上の偶発的なソースに頼っている印象だが,組織的な調査チームを立ち上げて確実にアーカイブし,将来的には学術研究の用途として公開するなどのプロジェクトが必要なのではないだろうか。また,担当アニメーターの固有名がわかれば,若手が自身の技術向上の指針にしやすいのではないかとも思われる。この手の作業を“娯楽産業”だからと言って後回しにしていると,とんでもない手遅れになるのではないかと危惧するのだが…

さて,イベント開始から1時間経ち,2時間が経ち,磯の体内にアルコールが循環し始める。舌もいっそう滑らかに回り始める。尊敬する大先輩・井上俊之と「黙れ!」「聞き捨てならん!」(もちろん軽口である)などと舌戦を繰り広げるあたりも彼のキャラをよく表していて面白い。やはりこの男,ただものではない。

ところで,僕は磯監督を風貌を見るたびにトム・ウェイツのことを思い出してしまう。彼も“酔いどれ詩人”などと呼ばれることがあるが,風貌的にも似たところがあるような気がしないでもない。

トムの代表作に“Small Change”(つまらない男)という曲があるが,磯はさしづめアニメ界の“Big Change”(大した男)だ。彼の切り開いたアニメ表現は若手アニメーターに受け継がれ,さらなる“Big Change”を生み出していくことだろう。そしていつの日か,彼の天才ぶりを数時間かけて語り倒す新たな酔いどれアニメーターが現れることだろう。