アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』(2019年)コンクールシーンのカメラワークについて

*このレビューはネタバレを含みます。 

f:id:alterEgo:20190503213742j:plain

『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』公式HPより引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

anime-eupho.com

アニメのレビューに関してしばしば陥りがちなのは,テーマやストーリーの考察だけに焦点を当ててしまうことで,小説のようなテクストの分析と差異がなくなり,アニメという媒体の固有性を捨象してしまうことである。ある作品が他でもないアニメ作品として作られたという必然性を考慮するならば,差し当たりテーマやストーリーを脇へ置き,そこで使われているアニメーションの技術ーーつまり作画や動画ーーに焦点を当てることも有効だろう。

本記事では,『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』におけるコンクールシーンに注目し,そこで用いられているカメラワークの特徴,およびそれと本作の奥底に流れているテーマとの関連を考察していく。過去のレビューでもこのコンクールシーンのカメラワークに言及した(下記のリンク参照)が,今回は実際の映像と石原立也監督の絵コンテを参照しながら,より詳細にシーン分析をしていくことにしよう。

www.otalog.jp

 

解き放たれるカメラ・アイ

コンクールシーンで最も特徴的なのは,『リズと青い鳥』の音楽のリズムに合わせて会場を縦横無尽に移動し,広角と望遠で様々な角度から演奏を捉えていくカメラ・アイである。カメラは正面や側面からだけでなく,後方や上空からも演奏者,楽器,楽譜などを把捉し,時にクレーン・ショットでも不可能なアクロバティックな動きを見せる。

f:id:alterEgo:20200527214333j:plain

『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

f:id:alterEgo:20200527224500j:plain

このカットでは,不意にカメラがステージ上の照明の方を向き,一回転した後に観客席上部からの俯瞰へとつながっていく。 『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

f:id:alterEgo:20200527225636j:plain

みぞれのオーボエソロをカメラがぐるっと回って捉える。曲の美しさとも相まって極めて印象的なカットだ。 『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

よく見ると,ほぼすべてのカットでカメラがわずかに上下左右に揺れており,これはおそらくドローン・カメラの動きを模したものだと思われる。近年の京都アニメーションの作品では,日常シーンなどでもカメラの揺れを用いることで“手ブレ感”を演出し,視点をアクティブにすることが多いが,これもその一例と言えるだろう。躍動感やライブ感を生み出す効果的な手法だ。

ところが,さらに詳しくカメラの動きを見ていくと,ドローンですら不可能な視点移動が各所に導入されていることに気づく。例えば楽曲の終盤近くに,カメラがステージの後方で半円形に移動しながら,背後から演奏者たちを捉えていくカットがある。

f:id:alterEgo:20200528000111j:plain

『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』,およびBlu-ray特典「絵コンテ集」より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

このカット(カットナンバー1495)の絵コンテを見ると,「ティンパニとかカメラつきぬけてよいと思います」(絵コンテの右上の図)とあり,カメラに実際にはあり得ない空間移動をさせていることがわかる。カメラが占める空間を感じさせず,物理的制約から完全に自由になった特殊な視点を導入しているのである。

複数化する視点

このように物理的制約から解放されたカメラ・アイの視点によって,鑑賞者はステージ上を自由に舞い飛びながら,すべてのパート,すべての奏者の演奏を細部まで観察する感覚を得る。さらに『リズと青い鳥』の終盤では,盛り上がる楽曲のリズムに合わせてカット割りが急激に増え,演奏者,はけ口の部員,観客を複数のカメラ・アイが複数の視点から次々と捉えていく。

f:id:alterEgo:20200528010154j:plain

『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

ランダムなカットの連続によって視点が寸断され,複数化されることにより,特定の人物を対象とする特権的な視点が相対化され,“主人公と脇役“といった視点の序列も相対化される。鑑賞者は多数の視座から多数の人物を知覚しつつ,ほとんど祝祭的とも言える気分の中でクライマックスを迎える。 

川島緑輝の言葉

こうした視点の複数化は,この作品のテーマとどう関わっているだろうか。

ヒントになるのは,コントラバスのパート練習の中で川島緑輝が月永求に言った台詞である。緑輝は求に「コントラバスの大事な役割は,音量じゃなくて響きを演奏に加えること。必要ないものなんてないと思うな」と説明する。アニメではカットされているが,実はこの台詞は,求の「コントラバスってなんのために吹奏楽にいるんでしょうか? 僕,昔から思ってたんです。コントラバスって,本当に必要な存在なんかなって。音なんてほかの楽器の音にかき消されるし,お客さんにだって聞こえないし」という疑問に対する返答である。*1

「必要ないものはない」ーー 吹奏楽の演奏において“脇役”は存在しない。仮に表面的には目立たなくとも,コントラバスも,ウインドマシーンも,ラチェットも主役である(もちろんカメラは彼らの演奏シーンもしっかりと捉えている)。緑輝の言葉には,そんな想いが込められているのだろう。これこそまさに,『響け!ユーフォニアム』という作品の中に通奏低音のように流れている思想なのだ。

『誓いのフィナーレ』のコンクールシーンは,このような『響け!ユーフォニアム』の根底にある思想を〈カメラの運動〉というビジュアルによって表現し得た稀有な例と言える。今回のシーンに限らず,京都アニメーションの作品におけるカメラワークは,テーマや思想との関わりが強いと考えられる。アニメ作品における〈運動〉の必然性を強く感じさせる一例と言えるだろう。

 

 

*1:武田綾乃『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部,波乱の第二楽章前編』p. 293,宝島社,2017年。