※このレビューはネタバレを含みます。
新たな親和力
めんどくさいなー1年生!
さすがは主人公。脱力感たっぷりの久美子のこのセリフは,この映画の魅力をものの見事に伝え切っていた。脱力系ボイスを得意とする黒沢ともよのキャスティングは,このセリフのためにあったと言っても過言ではない。
学校であれ職場であれどこであれ,新しい人間関係はとかく「めんどくさい」。新たな好意と新たな敵意が生まれ,それを調停して新たな親和性を生み出すには大変な時間と労力を要する。およそ集団生活を送ったことのある人間であれば誰もが経験したことのある状況だろう。せっかく時間をかけて安定させた人間関係という力場が,新しい(しかも「めんどくさい」)力によって乱される。これほど「めんどくさい」ことはない。
言うまでもなく,吹奏楽というのは個々の音のハーモナイズが命だ。まして日本の高校の吹奏楽部となると,各楽器の特性を調和させるだけでなく,先輩と後輩,経験者と未経験者といった種々雑多な〈差異〉を克服していかなければならない。その「めんどくさい」調停を,顧問等の〈力〉によってではなく,生徒たち相互の〈対話〉によって実現していく様を丁寧に描いたところが本作の魅力である。
大人はこの調停を遠慮や妥協や政治によって処理しようとする。本音や内心は可能な限り隠す。オーディションでわざと下手な演奏をし,先輩の夏紀を合格させようとした奏の振る舞いは,その意味で,政治によって人の間に親和性を作り出そうとする〈大人〉のメタファーだ。しかし高校生である久美子たちは違う。最初は遠慮がちながらも,やがては心と心をストレートにぶつけ合う。いやひょっとすると,現実の高校生も,実は遠慮や妥協や政治に頼む〈大人〉なのかもしれない。久美子たちのような青臭い心の衝突は,本当はリアルな現場では起こっていないのかもしれない。雨の中,誰もいない学校の構内をずぶ濡れになりながら走り回り,「がんばる」ことの意味を問答するシーンなど,隅から隅までフィクション以外の何物でもない。しかしだからこそ,現実の僕らはこの作品の中に〈あり得たかもしれない可能世界の自分〉を垣間見ることができる。それこそがこの作品のフィクションとしての価値だ。
距離
この「めんどくさい」シチュエーションは,まず登場人物間の様々な〈距離〉によって描き出されている。
本作のサプライズでもある冒頭の告白シーン。ここで久美子と秀一の関係はゼロ距離にまで接近するかに見えた。しかしこれは,2人の恋物語が主軸になるかのように見せかけた,ある種のトリックとも言える。
そもそも『ユーフォニアム』のアニメにおいて,“恋愛”がライトモチーフになることを期待してはいけないのかもしれない。尺という外的要因から考えても,人物たちの心理描写という内的要因から考えても,恋愛という要素を「全国大会金賞に向けた努力」という主旋律と両立させるのは難しいはずである。
『リズと青い鳥』(2018年)を振り返ってみても,『誓いのフィナーレ』と同時間で生じた物語であるにもかかわらず,みぞれと希美の愛の物語は普段の〈北宇治高校吹奏楽部〉という場から遊離した,文字通り絵本の中の出来事のように作られている(ちなみに『誓いのフィナーレ』では,みぞれと希美のセリフは一切ない)。『リズと青い鳥』を“スピンオフ”扱いとしたのは,ある意味で『ユーフォ』シリーズの物語上の要請に則っていると言えるかもしれない。
話を『誓いのフィナーレ』に戻そう。案の定,その後の久美子と秀一は,秀一の無神経な行動や奏の冷やかしなども災いして,ぎこちない関係のまま時が過ぎて行く。下校時に駅で偶然出会った2人が,不自然なほど距離を置いてベンチに座るシーンは象徴的だ。その後,久美子は以前貰ったヘアピンを秀一に返し,2人の関係を“保留”にすることになる。
その一方で,久美子と麗奈の関係はシリーズを通して深まっており,本作でも2人の絆の強さははっきりと描かれている。水場で仲良くマウスピースを洗う久美子と麗奈に,新入生の美玲が「距離近くないですか?」と声をかけるシーンがある。確かに2人の距離は近く,久美子と修一がベンチに座った時の距離とは明らかなコントラストを成している。僕らはすでにTVシリーズの1期と2期において2人の心の接近を目にして来ているわけだが,ここに来て,周囲と距離を取り続ける美鈴という新キャラが2人の距離を客観的視点から捉え,観客に伝達する役割を担ったのは面白い。
さらに,冒頭の各パートのミーティングシーンで,上級生たちが親密な距離で座るのに対し,1年生たちが互いに疎遠な距離を置いて座っているのも面白い。とりわけ美玲と求の“近づくなオーラ”が一際強く手強いのがわかるシーンだ。物語冒頭のこの漠としたパーソナルスペースが,ラストの『リズと青い鳥』の演奏の親密な距離へと変わっていく巨大なアーチが大きな感動をもたらす。
「“がんばる”って何ですか?」
本作のもう1つの主旋律となっているのが,「めんどくさい」の対概念でもある「がんばる」という言葉である。
TVシリーズでは,受験や将来といった,3年生が否が応でも直面する大きな“壁”をはっきりと描いていた。3年生にとって“努力”や“がんばり”といったものは,その先にある何らかの結果と結びついていなければならない。これはまさしく大人の世界の原理だ。大人は単にがんばるだけではダメだ。がんばって成果を出した時にこそ,がんばったことの意味を評価される。“がんばる”は合目的的でなくてはならない。
『誓いのフィナーレ』でも「将来」という言葉が何度も登場する。「プロの演奏者になる」という将来を見据えている麗奈と比べ,そうした明確な将来がまだ見えていない久美子は大いに悩む。そこに,〈大人〉である奏の「“がんばる”って何ですか」という問いが重なって来る。
「がんばった先に何があるというのか」
奏この問いに対し,意外にも久美子は「演奏がうまくなりたいんだ」とだけ答える。プロの奏者になるという目標があるわけでもないのに,ただとにかく「演奏がうまくなりたい」という動機。ひょっとすると,このような立ち位置は2年生である久美子の特権なのかもしれない。3年生ほど真剣に将来のことを考える必要のない2年生は,〈将来〉や〈目的〉といった合理性から切り離された,純粋な〈がんばり〉について考察できる特権的立場にある。
久美子はこの1年間,「うまくなるために」努力をし,がんばることの価値を理解してきたはずだ。「がんばる」の先に何があるのかはまだわからない。しかしわからないからこそ,目的から自由になった純粋な「がんばる」の価値を理解できる。
高校入学当初の久美子であれば,このような考え方はできなかったに違いない。どこにも繋がらない努力を冷めた目で見ていたことだろう。そんなかつての自分と重なる奏という存在が目の前にいる。地区予選で「ダメ金」に終わった後,バスの中で久美子は奏に「悔しい?」と問う。この時,「悔しいです!」と言いながら大泣きする奏を見て久美子が安堵の表情を見せるのは,かつて麗奈の隣で流せなかった己の涙をそこに見たからに違いない。
“すべて”を捉えたカメラ・アイ
『ユーフォニアム』のシリーズは演奏シーンの演出が秀逸だ。とりわけ本作では,ラストの予選におけるカメラワーク大きな意味を持っていた。
演奏が始まるや,カメラは舞台を縦横無尽に翔けめぐり,あらゆるものを把捉し始める。全パートの演奏者,その表情,手元を正面から捉えるだけでなく,その背後に回り込んでは,譜面に書かれた手書きの文字や奏者の背中を映し出す。ドローンカメラよろしく遙か上空から俯瞰したかと思えば,再び演奏者の間に舞い戻る。鑑賞者は,このように現実的にはありえない視点で「北宇治高校吹奏楽部」の“すべて”を見せられることになる。
ここで思い出されるのは,パート練習の際の緑輝と求の会話だ。
緑輝は求に「観客側から演奏を聴いたことがあるか」と問う。緑輝は「観客席から演奏を聴くことで,コンバスが演奏に響きを与えているのがわかる」と説明した後,「無駄なものなんて何もないと思う」と言い添える。
この緑輝の言葉は,原作では求の「コントラバスってなんのために吹奏楽にいるんでしょうか? 僕,昔から思ってたんです。コントラバスって,本当に必要な存在なんかなって。音なんてほかの楽器の音にかき消されるし,お客さんにだって聞こえないし」という問いかけに応じたセリフである。緑輝と求“師弟関係”を描写するシーンとして印象的だ。*1
そしてラストの演奏シーンのカメラワークは,まさしくこの緑輝の想いを具現しているのだ。すべての楽器,すべての音,すべての演奏者に意味がある。譜面の落書きも,はけ口で演奏を見守る部員たちも,すべて『リズと青い鳥』の演奏を成り立たせるための必要不可欠な要素なのだ。だからカメラは,それらを丁寧に捉え,隈なく観客に伝える。残りなく伝えられる圧倒的な量の音と映像の情報に,僕らは〈北宇治高校吹奏楽部〉の真髄を見せられるのである。
〈可能世界〉としての『ユーフォ』
僕は『響け!ユーフォニアム』という作品は決して“リアル”な作品ではないと思う。先にも述べた通り,“誰もいない放課後の学校で先輩と2人きり”だとか,“タヌキと小悪魔の合いの子のような後輩*2 と交流する”といったシチュエーションは多分にフィクショナルだからだ。しかし,だからと言ってそれは“あり得なかった”わけではない。むしろ〈ひょっとしたらあり得たかもしれない可能世界〉であり,日常世界に舞台を置いたフィクションの真髄はここにあると思う。だからこそ,〈部活アニメ〉は面白いのだ。
作品評価
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