アニ録ブログ

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劇場アニメ『アイの歌声を聴かせて』(2021年)レビュー[考察・感想]:〈I(私)〉の歌声

*このレビューはネタバレを含みます。必ず作品本編をご覧になってからこの記事をお読み下さい。また同監督の『イヴの時間』についても言及していますのでご注意ください。

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『アイの歌声を聴かせて』公式Twitterより引用 ©︎吉浦康裕・BNArts/アイ歌製作委員会

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吉浦康裕監督の『アイの歌声を聴かせて』は,試験運用のAIの少女と,彼女の突飛な振る舞いに翻弄される高校生たちの姿を描いたSF青春群像劇である。同監督『イヴの時間』(Web版:2008-2009年,劇場版:2010年)以来の「アンドロイドの心」というテーマを引き継ぎつつ,土屋太鳳の魅力的な歌声,ファンタジーすれすれの場面演出,「秘密はね,最後に明かされるんだよ」というセリフを地で行く構成の妙など,ストレートに楽しめる娯楽要素を詰め込んだ第一級のエンターテインメント作品に仕上がっている。

 

あらすじ

主人公のサトミの通う景部高校に,ある日シオンという名の少女が転校してくる。シオンはサトミの姿を見るや「サトミ,いま,しあわせ?」と問いかけ,唐突に歌を歌い始める。実はシオンは,サトミの母が開発した試験AIだったのだ。偶然,シオンがAIであるという秘密を共有したサトミ,トウマ,ゴッちゃん,アヤ,サンダーは,彼女の突飛な行動に振り回されながらも,次第にその歌声と直向きな振る舞いに心を救われていく。そんなある日,彼ら/彼女らは,ある出来事をきっかけに大きな事件に巻き込まれることになる。  

違和感から始まる物語

サトミ,いま,しあわせ?

PVの段階ですでに公開されていたシオンのこのセリフは,物語が始まってもなお,いくつもの文脈を欠いたままだった。なぜシオンはサトミの名前を知っていたのか。なぜ「しあわせ」かどうかを問うたのか。そしてなぜ突然歌い出したのか。

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『アイの歌声を聴かせて』公式Twitterより引用 ©︎吉浦康裕・BNArts/アイ歌製作委員会

当初,シオンの周囲の人物(そして僕ら観客もまた)このシオンの振る舞いを“AIの奇行”という文脈で捉えるだろう。アヤの「ポンコツAI」というセリフは,ある意味で観客の解釈誘導でもある。かくして,シオンは学校の教室という日常を乱す異分子として認識される。彼女は学校の教室という散文的な状況に,唐突に歌という韻文的な異物を混入させる。大人になりかけた高校生たちの半ば冷めた日常に,“しあわせを直球で歌い上げる”というプリミティブな感情を介入させる。“ミュージカルは突然歌い出す”という一般的な通念をうまく利用した印象的な導入部だ。

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『アイの歌声を聴かせて』公式Twitterより引用 ©︎吉浦康裕・BNArts/アイ歌製作委員会

『ターミネーター』シリーズ(1984年-)のような作品を挙げるまでもなく,これまで多くの娯楽作品において,AIやアンドロイドへの恐怖や違和感が表象されてきた。それはマシーンが人を傷つけ,人を凌駕し,主従関係を覆すのではないかという架空の恐怖であると同時に,AIの開発が漸進的に進む現実世界における潜在的な恐怖でもある。シオンが人並外れた(それは当然だ)身体能力を示し,学校や景部市のネットワークを自在にハックする姿を目にした時,僕らはそうした恐怖感をわずかでも覚えざるを得ない。仮にシオンがどれだけかわいいキャラクターとしてデザインされていたとしてもだ。キャラクター・デザインの島村秀一は「シオンは見た目は人間と一緒ですが,どこか引っかかる部分があって,『やっぱり中身はAIなんだな』と自然とわかるようにしたかったんです」*1 と述べているが,彼女の表情や身のこなしが見せるわずかな違和感は,彼の目論見が大いに成功したことを示していると言えるだろう。

しかし忘れてはならないのは,AIという“脅威”が宇宙や異世界などの外部から襲来するものではなく,人間そのものの内部に由来するものだということだ。AIは(とりわけ「強いAI」は)人間の知性を模倣し,限りなくそれに近づくことで,いわば知的な不気味の谷の周辺を彷徨い始める。このいわば〈内発的な不気味さ〉は,かつてジークムント・フロイトが考察した「不気味なもの(das Unheimliche)」を想起させもする。

フロイトはドイツ語辞書の用例に基づき,heimlichというドイツ語に「親しみのある」と「隠された;内密な」という両義的な意味があることを確認する。とりわけ彼は,heimlichという語が後者の意味を発展させ,その対義語であるはずのunheimlichと同じ「不気味な」という意味を持つようになったことに着目し,「不気味なもの」を「熟知したものや古くから知られているものによって生まれる恐ろしさ」と定義する。*2 彼によれば,幼児期のコンプレックスのような慣れ親しんだ記憶が抑圧され,後に回帰してきたものが「不気味なもの」であり,前綴の“un”は「抑圧の刻印」なのだという。*3

不気味なものとは,慣れ親しんだもの,馴染みのものであり,それが抑圧された後に回帰してきたもののことである。*4

フロイトのこの考察が美学的な作品分析においてどの程度の妥当性を持つかはさておき,現実においてもフィクションの表象においても,「汎用AI(強いAI)」の違和感が我々人間に内在するものであることは間違いないだろう。AIは人間に似ているからこそ不気味なのだ。AIが人を傷つけるとすれば,それは人が人を傷つける可能性を内在させているからである。そして,AIが人の幸福を歌うとすれば,それは人が人の幸福を歌う可能性を内在させているからである。とりわけ,シオンの行動には「サトミをしあわせにする」というトウマからの命令が起源としてあったのだから。

AI≒I(私)という視点

サトミの母が星間のラボで口にする「モニター期間は5日間。それまでシオンの正体がバレなければ,私たちの勝ちよ」というセリフからわかるように,シオンが景部高校に送られた背景には「チューリング・テスト」の発想がある。「チューリング・テスト」とは,イギリスの数学者アラン・チューリング(1912-1954年)が1950年の論文“Computing Machinery and Intelligence”の中で提唱した,機械が人間的に思考しているかどうかを判定するためのテストである。このテストでは,人間と機械にそれぞれ質問をし,その応答から判定者が両者を区別できなければ,機械が人間と同様に“思考している”と判断される。劇中,トウマが「ウォズニアック・テスト」という言葉を口にするが,これはチューリング・テストの発展型のようなものだ。*5 当然だが,「チューリング・テスト」や「ウォズニアック・テスト」では人間がAIを判定する。そこでは人間の視点からAIという対象が客観的に観察される。

ところが『アイの歌声を聴かせて』という作品が興味深いのは,そうした人とAIの視点の主客が反転する瞬間が描かれている点だ。

物語の終盤,シオンのバックアップデータ=思い出から,彼女が元はトウマが幼い頃にサトミへのプレゼントとしておもちゃ(それ自体,元はサトミの母が開発したものだった)を改造してプログラミングした人工知能であったことが明かされる。この時,トウマはシオンに「サトミをしあわせにすること」という「命令」を与えていたのだ。シオンの歌の記憶は,サトミが『ムーンプリンセス』の歌を歌って聞かせたことに由来する。しかしまもなくこのことが母親に発覚し,シオンは危うくデータを消去されそうになる。その瞬間,シオンは辛くもネットワークに逃げ込む。彼女は「サトミをしあわせにすること」というトウマからの命令を守るべく自律進化を続け,やがて開発されたばかりのAI「シオン」に“憑依”する。物語冒頭の「サトミ,いま,しあわせ?」というシオンの唐突な問いと,ミュージカルのように唐突な歌の秘密が明かされ,感動的な“伏線回収”が達成されるわけだが,それと同時に,このシーンで〈AIの視点〉が導入されている点にも注目したい。

このシーンまでのシオンの行動は,そのほとんどが三人称カメラないし他の登場人物の視点から客観的に捉えられていた。しかしこのバックアップデータのシーンでは,〈シオンの主観視点〉が導入される。シオンは8年もの間,ネットワーク上でサトミを見守り続けた。観客はシオンの“内側”から,もっぱらサトミを中心とした世界を観察する視点を与えられるのである(同時に映画冒頭の不思議なエレクトリカルワールドのようなものが,実はシオンの視点であり,この物語の始源が〈シオンの主観視点〉であったことを知らされる)。

実はこのような〈人視点からAI視点への転換〉というモチーフは,吉浦の以前のヒット作『イヴの時間』にも見られたものである。

『イヴの時間』は,人間とアンドロイドが集う一風変わった喫茶店「イヴの時間」が舞台である。「イヴの時間」では「人間とロボットの区別をしません」というルールが設定されており,アンドロイドたちは普段と違って人間らしく振る舞っているため,人間とほとんど区別がつかない状態になっている。

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『イヴの時間』より引用 ©︎2009/2010 Yasuhiro YOSHIURA / DIRECTIONS, Inc.

主人公のリクオとマサキは,この喫茶店でアキコという陽気な女性と出会う。アキコは2人に次のような話をする。

私は人間もアンドロイドもみんな家族だって思ってるのよ。でもね,どんなに私と見た目がそっくりでも,中身が全然違う。似てるけど,全然違うのよね。だからね,よくこう思うの。あなたは私をどう思ってるの?って。それがここにいる理由。いろいろ話して,もっとわかってあげたいの。だって,家族だから。

この時点でリクオはアキコを人間だと思っているため,アキコのこのセリフが,人間がアンドロイドを対象化したものだと思い込んでいる。しかしその後,アキコがアンドロイドであることを知るに至り,リクオはそれがアンドロイドが人間を対象化したセリフだったことを悟るのである。

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『イヴの時間』より引用 ©︎2009/2010 Yasuhiro YOSHIURA / DIRECTIONS, Inc.

 

人間がAIを客体化するのではなく,AIが人間を客体化し,判定する。この時,〈AIの主観視点〉は作品鑑賞者である僕らの主観視点と重なる

これはいわば,鑑賞者に向けられた「エンタメ版チューリング・テスト」である。つまり「〈AIの主観視点〉という架空の視点を与えられ,そこにある“心”を垣間見た時,それがあなた自身の“心”と区別できなければ,それは人の“心”と言えるのだ」というわけだ。もちろんこれは架空のテストではある。しかし古来,己の似姿である人形を愛でてきた人間が,やがて極限まで己に近づいた「汎用AI(強いAI)」を前にした時,〈AIの主観視点〉というものを今よりもずっと現実的なものとして捉えることはおそらく間違いないだろう。その意味で,『アイの歌声を聴かせて』や『イヴの時間』といった作品は,一定のリアリティを持ったエンターテインメント作品であると言えるのではないか。*6

心≒記憶?

したがって,本作の題名に含まれる「アイ」は,「AI」や「愛」などに加え,〈I(私)〉という視点をも含意する。AIは〈あなた〉という客体であると同時に,〈私〉という主体になりうる可能性を秘めている。それはすでに,人間と人間との間のシンパシー(共感,心と心を合わせること)とほとんど変わりがないのかもしれない。

最初,サトミに「しあわせ」の意味がわかっているのかと聞かれ「わかんない!」と答えていたシオンが,ラストシーンで再び「シオン,教えて。シオンはいま,しあわせ?」と聞かれ,「私,サトミとまた会えたよ。いっぱい話せたよ。だから……私,ずっとしあわせだったんだね」と答える。AIが人間を「しあわせ」にし,人間がAIを「しあわせ」にする。人間という〈私〉の心とAIという〈私〉の心の共感が成り立つ未来。吉浦が描きたかったのは,そういう未来なのかもしれない。

しかしAIの“心”とは一体何だろうか。それは「人間の“心”とは何か」という問いへの答えすら持ち合わせていない僕らにとって,ほとんど解答不可能に思える問いだ。しかしいくつかのフィクション作品が,少なくともその部分的な答えを提供してくれるように思える。

エザキシンペイ監督/長月達平梅原英司原案のTVアニメ『Vivy -Fluorite Eye's Song-』(2021年春)では,主人公のAI「ヴィヴィ」が最終話で次のような独白をする。

私にとって心を込めるっていうのは,思い出と一緒に歌うことだから。[中略]私にとって心っていうのは,思い出の,記憶のことなのよ。*7

そして先述した吉浦の『イヴの時間』にも次のようなシーンがある。

ある日,不法投棄された「浮浪ロボット」が店に入り込んでくる。ロボットは自分の名前や,元の持ち主である子どもとの思い出のデータが消去されており,まもなく故障してしまう。起動停止するロボットを「イヴの時間」でウェイトレスとして働くナギが抱きしめ,こう言う。

この子はね,誰かに覚えていてもらいたかったの。自分の名前を。[中略]この子の心の中にはずっとあったの。名前をもらった時の,大切な思い出。

“心”というものの実質を科学的に隈なく記述することは(少なくとも現時点では)不可能かもしれない。しかしその実質の一部分を「思い出=記憶」が構成していると考えることはおそらく不当ではないだろう。シンパシー(心と心を合わせること)が生じるためには,相手の心的状況に合致した「記憶」の検索が不可欠であることは確かなのだから。

そして『アイの歌声を聴かせて』でも,シオンの“心”の実質を成していたのが,バックアップデータに残された「思い出」であったことは言うまでもない。

いつの日か僕らは,人類との関わりを「思い出」としてバックアップし,“心”を形成するAIと出会うことができるのだろうか。いつの日か,僕らの子孫がそのような未来を迎えた時,『アイの歌声を聴かせて』という作品が一種の“未来予想図”として回顧されることを願いたい。

作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】原作・脚本・監督:吉浦康裕/共同脚本:大河内一楼/キャラクター原案:紀伊カンナ/キャラクターデザイン・総作画監督:島村秀一/メカデザイン:明貴美加/プロップデザイン:吉垣誠伊東葉子/色彩設定:店橋真弓/美術監督:金子雄司(青写真)/撮影監督:大河内喜夫/音響監督:岩浪美和/音楽:高橋諒/作詞:松井洋平/アニメーション制作:J.C.STAFF

【キャスト】シオン(芦森詩音):土屋太鳳/サトミ(天野悟美):福原遥/トウマ(素崎十真):工藤阿須加/ゴッちゃん(後藤定行):興津和幸/アヤ(佐藤綾):小松未可子/サンダー(杉山鉱一郎):日野聡/クラスの担任:カズレーザー(メイプル超合金)/天野美津子:大原さやか/野見山:浜田賢二/西城:津田健次郎/星間会長:堀内賢雄/ムーン:咲妃みゆ

【上映時間】108分

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
4.5 5 4 5
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
5 5

5

独自性 普遍性 平均
3.5 4 4.6
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

商品情報

 

*1:『アイの歌声を聴かせて』劇場プログラム,株式会社バンダイナムコアーツ,2021年。

*2:ジークムント・フロイト(中山元訳)『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』,p.132,光文社古典新訳文庫,2011年。

*3:同上,p.186。

*4:同上,p.187。

*5:「ウォズニアック・テスト」では,「間取りを知らない家に上がってコーヒーを入れることができれば汎用AIである」と判定される。Appleの創業者の共同設立者の一人,スティーブ・ウォズニアックの発言に由来する。

*6:ところで,フィクションにおける〈AIの視点〉は大変興味深いモチーフであり,それだけで独立したテーマとして考察する価値がある。例えばカズオ・イシグロの『クララとお日さま』(2021年)では,全編が「AF(Artificial Friend)」と呼ばれるAIの主観視点で描かれており,AIの心的状態らしきものに影響されて,空間認識が「パネル」や「ブロック」に分割されるというユニークな描写が見られる。カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『クララとお日さま』,早川書房,2021年。特にp.44,103などを参照。

*7:『Vivy -Fluorite Eye's Song-』13話「Fluorite Eye's Song」より。