*この記事は『わたしの幸せな結婚』「第六話 決意と雷鳴」のネタバレを含みます。
2023年夏アニメの中でも高い評価を得ている顎木あくみ原作/久保田雄大監督『わたしの幸せな結婚』。とりわけ小出卓史が絵コンテ・演出を手がけた「第六話 決意と雷鳴」は,クール折り返しのここぞという話数で美麗な作画と巧みな演出を繰り出し,美世,香耶,清霞らメインキャラクターの魅力をいっそう際立たせた。その優れた演出術を詳しく見ていこう。
香耶:虫の心
この話数でまず目を引くのはキャラクターの美麗な作画だ。とりわけ斎森香耶は,その明るい髪色とも相まって元々“派手系美少女”といった体のキャラクターデザインだが,本話数では,その凄みすら感じさせる美貌がこれまで以上に的確に作画に落とし込まれている。
美世を蔵に閉じ込めてなぶる香耶。その邪な表情を捉えたカットは,正面顔から斜め顔まで隙も破綻もまったくない作画だ。美世の主観から見たカットでは,艶のある唇や歯の犬歯まで描き込まれ,その妖艶な美しさを余すことなく伝えている。作画班の仕事ぶりに感服せざるを得ない。
しかしその美貌の反面,香耶の心根は“下劣”の一言だ。美世の婚約者である清霞に横恋慕した上,辰石実の奸計に易々と乗り美世に清霞との破談を迫る。
香耶が影の中から現れて美世に近づくシーンでは,彼女の足元を這いずり回る小さな“虫”のカットが挿入される。まるで香耶の矮小な私心が形をとって現れたかのようだ。後述するように,香耶をまさに虫ケラのように見下す清霞のカットも印象的だ。こうした香耶のキャラ造形は,『キャンディ♡キャンディ』(マンガ:1975-1979年/アニメ:1976-1979年)の「イライザ」から始まる“いじめっ子美少女”の系譜に連なると言えるだろう。
そんな香耶を演じた佐倉綾音の演技も素晴らしい。普段はどちらかと言えば可愛らしいヒロインを演じることの多い佐倉だが,元々声量が豊かでパンチの効いた彼女の声質は,香耶のような傲慢悪女にもマッチする。とりわけこのシーンにおける香耶の猛り狂った怒号と,上田麗奈演じる美世のか細く囁くような声は,両キャラ(クター)間のコントラストを綺麗に聴覚情報に落とし込んでいる。
清霞:強者の歩み
美世を救うべく,幸次とともに斎森家に向かう久堂清霞。焦る幸次とは対照的に,清霞は淡々と落ち着き払っている。
斎森家に到着して以降も,清霞はゆっくりとした足取りで歩みを進め,蔵で美世を見つけた瞬間を除けば一切走ることがない。清霞役の石川界人の演技も,普段とほとんど変わらぬ落ち着いた演技だ。美世への信頼と,何があっても自分が助けるのだという自信がその所作に表されているようだ。しかしその一方で,斎森家の門をオーバーキル気味に破壊する様子や,掌に迸る閃光などから,内に秘められた静かな怒りが明確に感じられる。
清霞を必死に食い止めようとする辰石実に対し,清霞は不動の状態でその術を往なし,左手だけの最小限の動作で彼を打倒する。アクション系の映像作品では,“力の差”を演出する際,強者を“静”,弱者を“動”で表現することがよくある。最近の作品で言えば,『羅小黒戦記』(2019年)の「無限」と「小黒」の訓練風景などにそうしたシーンが見られる。清霞の“静”の挙動も,彼の圧倒的な強者としての貫禄を見せつけた優れた演出と言える。
美世救出後,傲慢な香耶を虫ケラ同然に見下す清霞の表情も印象的だ。
涼しげな青い目に宿る静かな憤怒と憎悪。この時,視聴者の誰もが「ざまーみろ」と思ったに違いない。
美世:鏡像
香耶と香乃子によって蔵に幽閉された斎森美世。目覚めた彼女がそこで最初に目にするのは,割れた鏡である。美世はそこに3つに分裂した自分の姿を見る。この話数の中でも一際印象深いカットだ。
ちなみに,この作品では美世が鏡を見るシーンがこれまでにもいくつか挿入されている。
「第三話 初めてのデヱト」では,久堂家に来たばかりで鏡を見たことのない美世に,ゆり江が鏡を使うよう促す。ゆり江は美世に化粧を施し,清霞を驚かせるほどの変貌を遂げる。「第五話 波乱」では,清霞に着物を贈ってもらった美世が,やがて自ら鏡を見て化粧をするようになる。
美世は鏡を見て化粧をしたりお洒落をしたりすることによって,それまで「価値のない使用人」として貶められていた自己を「自律的な女性」*1 として価値づけていたのだ。
ラカン派の精神分析学では,身体感覚がバラバラの状態(「寸断された身体」の状態)にある幼児が,「鏡(「他者」)」から得られた視覚イメージによって統合的な身体像を獲得し,自我を形成するとされる。これをラカンは「鏡像段階」と呼んだ。斎森家で虐げられて自己愛を失い,ようやく久堂家で鏡を見るようになった美世は,ある意味で“第2の鏡像段階”を経験していたのかもしれない。
だとすれば,美世が蔵の中で割れた鏡と分裂した自己のイメージを目にしたシーンは,いわばこの鏡像段階の“巻き戻し”を強いられたーーつまり「無価値な使用人」の姿に引き戻されたーーことを示している(ちなみにこの蔵は,美世が幼少時代に幽閉されたものと同じと思われる。「第二話 旦那さまという御方」参照)。
しかし美世はここで決して諦めない。これがこの話数で最も重要な場面(「決意」)である。彼女は香耶と香乃子にどれほど打擲されようと,清霞との縁談を破棄することを拒絶する。この時の美世の美しく気丈な表情と,それを見てたじろぐ香耶と香乃子の表情がとても印象的だ。作画班の技がここでも冴える。
美世は自らの信念と清霞への信頼によって,自我の統合を保った。それを象徴するかのように,ラストの久堂家のシーンでは美世を映し出す鏡ーーもちろんそれは割れていないーーのカットが挿入される。
ちなみに久堂家の床で目覚めた美世は,やはり鏡を通して傍の清霞の存在に気づいている。
ラカンによれば,自己の鏡像は自己そのものではなく,あくまでも「他者」である。美世は今後,清霞という鏡=他者を通して「美世」という自我を同定していくのだろう。そんなことを思わせるラストシーンである。
小出卓史の技
この話数の絵コンテ・演出を手がけた小出卓史は,現在キネマシトラスに在籍するアニメーターだ。最近の作品で言えば,『メイドインアビス 烈日の黄金郷』(2022年)第10話「拾うものすべて」の絵コンテ・演出が記憶に新しい。“涙”を使った演出で終盤の話数をエモーショナルに彩った,たいへん優れた話数である。ぜひこれを機に再鑑賞していただきたい。
以上,『わたしの幸せな結婚』「第六話 決意と雷鳴」を見てきた。この素晴らしい話数を手がけた全制作スタッフに惜しみない拍手を。
作品データ
*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど
【スタッフ】
原作:顎木あくみ/原作イラスト:月岡月穂/監督:久保田雄大/設定・監修:阿保孝雄/シリーズ構成:佐藤亜美,大西雄仁,豊田百香/キャラクターデザイン:安田祥子/色彩設計:岡松杏奈/美術監督:片野坂恵美(インスパイア―ド)/美術監修:増山修/美術設定:菱沼由典,曽野由大,吉﨑正樹/プロップ:高倉武史,ヒラタリョウ,みき尾/撮影監督:江間常高(T2スタジオ)/3DCG監督:越田祐史(スタジオポメロ)/着物デザイン:HALKA/編集:黒澤雅之/音楽:Evan Call/音楽スーパーバイザー:池田貴博/音楽制作:ミラクル・バス/音楽制作協力:キネマシトラス,KADOKAWA/音響監督:小泉紀介/音響制作:グロービジョン/脚本開発協力:森本浩二/アニメーション制作:キネマシトラス
【キャスト】
斎森美世:上田麗奈/久堂清霞:石川界人/斎森香耶:佐倉綾音/辰石幸次:西山宏太朗/五道佳斗:下野紘/ゆり江:桑島法子/鶴木新:木村良平/辰石一志:深町寿成/堯人:石田彰
【「第六話 決意と雷鳴」スタッフ】
脚本:大西雄仁/絵コンテ・演出:小出卓史/総作画監督:伊藤晋之/作画監督:谷紫織,大津りか,北原安鶴紗,佐藤ひかる,田中宏紀,渡辺志歩紀
商品情報
*1:ここでは「自ら確立した価値基準や規律にしたがって行動する」という意味で「自律的な女性」という言葉を使った。本作の時代背景(明治・大正期を思わせる架空の時代)からして,「他者の助けや支配から独立して行動する」という,現代的な意味での「自立した女性像」はおそらく相応しくないだろう。