アニ録ブログ

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TVアニメ『アクダマドライブ』(2020年秋)レビュー[考察・感想]:〈今ここ〉の物語

く*このレビューはネタバレを含みます。

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『アクダマドライブ』公式Twitterより引用 ©︎ぴえろ・TooKyoGames/アクダマドライブ製作委員会

akudama-drive.com


TVアニメ「アクダマドライブ」PV第2弾

「カントウの属国となったカンサイ」というユニークな設定,個性豊かなキャラクター,独特な作画と美術,そして奇想天外なストーリー。『アクダマドライブ』は,アニメの平均的な作法を尻目に,予想の斜め上を行く独自路線を突き抜けた。その意味で,2020年のオリジナルアニメの中で頭一つ抜けた傑作となったと言えよう。

あらすじ

舞台は大戦争によって「カントウ」の属国と成り果てた「カンサイ」。戦後の復興における都市の技術的発展とは裏腹に,治安は大いに悪化し,「アクダマ」と呼ばれる極悪非道の犯罪者たちが市民生活を脅かしていた。ある日,奇妙な黒猫が最強のアクダマたちの前に現れ,高額報酬の依頼を提示する。そこには,偶然「500イェン」を拾ったことをきっかけに巻き込まれた「一般人(詐欺師)」も含まれていた。繋がりも共通点もない彼ら/彼女らは,宿敵「処刑課」と大立ち回りを演じつつ,謎の依頼を達成すべく互いに力を合わせる。

サイバーパンク・センチメンタリズム

アニメが“映画的”だと言われる時,主に作品の2つの特徴を拠り所にしている。1つは,カメラワーク,レンズ効果,芝居,作劇などの技術面において,実写映画さながらの“リアルな”作り方をしている場合。もう1つは,過去の映画への参照記号がオマージュやパスティーシュとして示されている場合だ。各話タイトル(最終話を除く第1話から第11話のタイトルは,過去の名作映画のタイトルを借用している)や通貨の「イェン」(岩井俊二監督『スワロウテイル』(1996年)を想起させる)など,随所に往年の映画へのレファレンスを散りばめた『アクダマドライブ』は,後者の意味ですぐれて“映画的”である。

特にサイバーパンク風の都市風景は,リドリー・スコット監督『ブレードランナー』(1982年)を初めとする未来都市の外観を明示的に参照している。しかし面白いのは,この作品が“サイバーパンク“という世界観を独自に再解釈している点だ。

監督の田口によれば,美術設定に際して,既存のサイバーパンクのイメージと差別化するために「昭和っぽいテイスト」を加味したのだという。*1

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『アクダマドライブ』「01 SE7EN」より引用 ©︎ぴえろ・TooKyoGames/アクダマドライブ製作委員会

極彩色のネオンの街並みの中に,電柱や電線などの古めかしいオブジェが配置され,ノスタルジックな猥雑感が演出されている。こうした「昭和テイスト」の美術によって,カントウによって管理された無機質な機械文明社会を舞台にしていながらも,どこか懐かしい親近感のある情趣が生まれている。『アクダマドライブ』の世界観は,一見バリバリのSF未来都市風だが,その中に,視聴者を速やかに世界観に引き込む繊細な画作りを潜ませている。

このような演出の思想は,キャラクター造形にも反映しているようだ。

アクダマの宿敵として登場する「処刑課」は,悪を排除するためには自らの命をも顧みない冷酷無情のキャラクターだ。彼らは正義と秩序を守るべく,超人的な身体能力とライトセーバー風の武器でアクダマたちの前に立ちはだかる。その意味では,彼らは機械化された管理社会であるカンサイを体現したキャラクターと言えるかもしれない。

しかし「06 BROTHER」では,その構成員が「情」を絆としたツーマンセルで成り立っていることが明かされる。

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『アクダマドライブ』「06 BROTHER」より引用 ©︎ぴえろ・TooKyoGames/アクダマドライブ製作委員会

この事実を聞かされた「弟子」は,決死の覚悟でアクダマ排除に向かった「師匠」の元に駆けつける。このカットでは,喧嘩屋との戦いに敗れ絶命した師匠を見た弟子の心の動きを表情の変化で見せるのではなく,流れ落ちる雨粒に代弁させている。見事としか言いようのない演出術だ。

「06 BROTHER」の演出に関しては,以下の記事も参照頂きたい。

www.otalog.jp

一見,冷たく非情な世界観の中に挿入されたエモーショナルな演出は,最終話における詐欺師の自己犠牲的な生き様をこの時点で暗示している。無機質なものの中に投入されたセンチメンタリズムこそ,この物語を見応えあるものにしているエッセンスだ。

〈今ここ〉の生き様

『アクダマドライブ』は,固有名を持たないキャラクターによるロールプレイングゲームのようだ。キャラクターの本名は明かされず,「殺人鬼」「喧嘩屋」「医者」などの“役割”のみで互いを呼び合う(クエンティン・タランティーノ監督『レザボア・ドッグス』(1992年)を思わせる設定だ)。そしてとりわけ特徴的なのは,彼ら/彼女らのキャラクターを成り立たせたはずの“過去”について,詳しい描写がほとんどないことだ。

1クール12話構成の制約ということもあるだろうが,「11 WAR GAMES」の運び屋の“記憶”のシーンを除けば,アクダマに関する過去の履歴への言及はほとんどない。喧嘩屋が喧嘩を生き甲斐にするようになった経緯,殺人鬼が“赤”と殺人を愛するようになった経緯などは一切語られない。それどころか,主人公であるはずの詐欺師の素性ですら,「ハンコセンターの職員だった」という事実以外は一切語られないのである。アクダマたちの(hi)storyを捨象し,〈今ここ〉で演じられる彼らの生き様の相乗積によってのみ物語が構成されている

このような作劇が面白いのは,〈今ここ〉におけるアクシデント(災難,偶発的出来事)とキャラクターたちの決断が物語を推進する駆動力になる点だ。今ここに「500イェン」があり,それを拾ったからこそ詐欺師の運命は決まった。今ここに居合わせてしまい,他のアクダマたちに加担してしまったことがチンピラの運命を変えた。彼ら/彼女らの〈今ここ〉における決断と行動が,大輪の花火のように束の間の物語を紡ぎ出す。

なかでも,主人公である詐欺師(一般人)の命運はとりわけ興味深い。彼女は,アルフレッド・ヒッチコック監督『北北西に進路を取れ』(1959年)を初めとする〈巻き込まれ型〉の主人公である。しかし彼女は自らの不運から逃れることも,それに流されることもなく,むしろ兄妹を救うべく積極的に決断し,行動していくようになる。

「08 BLACK RAIN」では,彼女は運び屋に自分と妹を兄の元へ届けるよう依頼しながら,こう言う。

もう最後までやるしかないんですよ。逃げる場所なんてどこにもない。私に残ってるのは,私の居場所はここだけなんです[下線は引用者による]

この時点で,詐欺師は妹を救うために人を殺めている。この決断は,もはや「一般人」のそれではない。さりとてアクダマの振る舞いとも言い難い。兄妹を守ることにのみ特化した彼女の決断は,すでに正義と悪の境界をも超えた宗教的な〈慈愛〉の域に達しているようにも思えるのだ。 

ゼンアクノヒガン

『アクダマドライブ』は,〈正義と悪〉の境界を曖昧にすることで,〈正義とは何か。悪とは何か〉という古くからある問題提起を継承した作品でもある。その意味で,『Fate』シリーズ(ゲーム版:2004年-,アニメ版:2006年-),『PSYCHO-PASS』シリーズ(2012年-),『バビロン』(2019年秋-2020)などの近年の作品ともテーマを共有していると言えるだろう。

とりわけ「10 BABEL」は,本作における〈正義〉の価値の脆弱性を明確に示した重要な話数である。市民が暴徒化し,秩序が乱れつつあることを知った処刑課ボスは,自らの保身と組織の維持のために,市民をアクダマとして認定し「処刑」対象とすることを警察署長に迫り,このように言う。
我々はカンサイを守らなくてはならない。そのためには絶対的正義でなくてはならない。正義を示すには悪を倒す必要があるだろう。
この処刑課ボスのセリフは,『Fate/stay night』の言峰綺礼が,「戦う」ことを決意した衛宮士郎に投げかける不吉な言葉と相似形を成している。
喜べ少年,君の願いは,ようやく叶う。[中略]判っていた筈だ。明確な悪がいなければ君の望みは叶わない。たとえそれが君にとって容認しえぬモノであろうと,正義の味方には倒すべき悪が必要だ。*2

言峰綺礼のセリフには,〈正義〉が成り立つためには〈悪〉が必要である,という強烈なシニシズムが表れている。このシニシズムを,事もあろうに〈正義〉の側から露悪的(!)に示したのが処刑課ボスのセリフなのだ。彼女は「絶対的正義」を口にしておきながら,〈正義〉が相対的にしか価値の定まらない脆弱なものであることを自ら認めているのである。

これに呼応するかのように,物語の後半では〈正義〉の価値が次々と相対化されていく様が描かれる。
「10 BABEL」では,「アクダマに人の心なんてないんだ。だから処刑しなくちゃいけないんだよ」と正義に燃える「処刑課後輩」に対し,兄が「僕から見れば,君たちだって十分アクダマだよ」と言い放つ。「12 アクダマドライブ」では,500イェンで兄妹を四国に運ぶ依頼をした詐欺師に向かって,運び屋が「アクダマめ」と言い,「まるでアクダマだ」と言った兄に対して,詐欺師が「ここまで来てあなたたちが一番のアクダマでしょ」と言い返す。かくして,彼ら/彼女らが互いに「アクダマ認定」をし,すべての人間が「アクダマ」と化したことで,キービジュアル(本記事のアイキャッチ画像を参照)の中央に掲げられた「全員悪玉」というキャッチフレーズが見事に回収されるに至る。と同時に,この作品における〈正義〉の質量は徹底的に矮小化されるのだ。

仮初めの“正義”しか存在しないところでは,〈今ここ〉の己の生き様を貫いた“悪”が最も美しい。

詐欺師は兄妹を逃すべく,自らの死によって大衆を欺き,処刑課を窮地に陥れる。本作では,アクダマの初登場シーンで歌舞伎の“見得”のようなポーズが描かれるが,「詐欺師」が兄妹を救うべく本当の「詐欺師」となった瞬間の“見得”は,どのアクダマのそれよりもカッコいい。

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『アクダマドライブ』「12 アクダマドライブ」より引用 ©︎ぴえろ・TooKyoGames/アクダマドライブ製作委員会

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『アクダマドライブ』「12 アクダマドライブ」より引用 ©︎ぴえろ・TooKyoGames/アクダマドライブ製作委員会

こうして,彼女の“受難”の物語は終わりを告げる。詐欺師の最期のカットは,彼女の兄妹への慈愛が世俗的な価値観を超越していたことを窺わせる。

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『アクダマドライブ』「12 アクダマドライブ」より引用 ©︎ぴえろ・TooKyoGames/アクダマドライブ製作委員会

彼女は〈今ここ〉にある「500イェン」という偶然のオブジェクトに己の生を賭けてしまった。〈今ここ〉にいる兄妹への慈愛のために己の生を犠牲にしてしまった。彼女がなぜこのような心性を持つに至ったか,その過去の経緯について僕らは知らされることがない。しかしそれでよいのだ。過去について語らないが故に,彼女の〈今ここ〉における決断が光り輝くのだから。これこそ,本作の〈沈黙の美学〉とも言えるものなのだ。

ところで,先述したように,本作の各話タイトルは,第1話から第11話まで往年の映画のタイトルをオマージュとして借用している。しかし最終話の「アクダマドライブ」のみ,自己言及的に自らをタイトルに冠している。本作は,最終話において完結した時,自ら“映画”となったことを告知しているのだ。『アクダマドライブ』は,TVシリーズでありながら,すぐれて“映画的”な作品である。

作品データ

*リンクはWikipediaもしくは@wiki

【スタッフ】原作:ぴえろ,TooKyoGames/ストーリー原案:小高和剛/キャラクター原案:小松崎類/監督:田口智久/シリーズ構成:海法紀光,田口智久/キャラクターデザイン:Cindy H. Yamauchi/副監督:笹原嘉文/メカニックデザイン:山本翔宮川治雄常木志伸/美術監督:谷岡善王/美術設定:青木薫/色彩設計:合田沙織/編集:三嶋章紀/撮影監督:山田和弘/CG監督:藤谷秀法/音響監督:長崎行男/音響制作:デルファイサウンド/音楽:會田茂一井内舞子/アニメーション制作:studioぴえろ

【キャスト】一般人:黒沢ともよ/運び屋:梅原裕一郎/喧嘩屋:武内駿輔/ハッカー:堀江瞬/医者:緒方恵美/チンピラ:木村昴/殺人鬼:櫻井孝宏/処刑課師匠:大塚明夫/処刑課弟子:花守ゆみり/処刑課後輩:上遠野太洸/ボス:榊原良子/兄・黒猫:内田真礼/妹:市ノ瀬加那/ウサギ:間宮くるみ/サメ:チョー

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
5 4.5 4.5 4
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
4 4 4.0 4.0
独自性 普遍性 平均
5 4 4.3
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

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*1:「AbemaTV『アクダマドライブ』トクベツ生番組」より。

*2:『Fate/stay night [Realta Nua] 』「三日目・言峰教会 決意。」より。