アニ録ブログ

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劇場アニメ『たまこラブストーリー』(2014年)レビュー[考察・感想]:Tamako's Principia

*このレビューはネタバレを含みます。

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『たまこラブストーリー』公式Twitterより引用 ©︎京都アニメーション/うさぎ山商店街

tamakolovestory.com


『たまこラブストーリー』ロングPV

「うさぎ山商店街」を舞台に繰り広げられる温かい人情ドラマを描いたTVアニメ『たまこまーけっと』(2013年冬)。その続編『たまこラブストーリー』(2014年)は,TVシリーズでペンディングにされていた,主人公・北白川たまこと大路もち蔵の恋の行方をめぐる劇場アニメ作品である。王道とも言えるストレートな恋愛模様を描くにあたり,監督の山田尚子はアニメーションの中に様々な映像的記号を散りばめている。それを丁寧に読み解いていくのも本作鑑賞の面白さと言えるだろう。

あらすじ

北白川たまこと,彼女に恋心を抱く大路もち蔵は,同じ商店街に住む幼馴染だ。2人は高校3年生になり,進路を含め,人生の中に様々な〈変化〉を予感する時期に差し掛かっている。そんな中,東京の大学に進学することを決めたもち蔵は,意を決してたまこに想いを伝える。たまこは激しく動揺しつつも,自分の中に起こりつつある感情の変化に向き合うことを決意する。 

fall, gravity, attraction

人はなぜ恋に落ちるのか。

もちろん,ここで恋愛感情に関する俗流心理学を一席打とうというわけではない。問いたいのは,なぜ人はーーー恋に伴う高揚感にもかかわらずーーー恋に〈落ちる〉のかということだ。

残念ながら,「恋に落ちる」という日本語の言い回しの由来は(少なくとも僕の調べた範囲では)はっきりとしない。英語の“fall in love”の訳であるという説もネット上に散見されるが,文献等に基づいた説明は見られず,今のところ俗説の域を出ないと言ってよいだろう。

一方で,「恋」という言葉の含意については比較的はっきりしている。『大辞林4.0』の「恋」の見出しを見てみよう。*1 

【恋】
①特定の人に強く惹ひかれ,会いたい,ひとりじめにしたい,一緒になりたいと思う気持ち。「ーに落ちる」「ーのさやあて」「ーに憂き身をやつす」
②古くは,人に限らず,植物・土地・古都・季節・過去の時など,目の前にない対象を慕う心にいう。(強調は引用者による)

恋という言葉は,もともと〈不在の対象への思い〉を表していた。そしてこの〈不在〉という陰性的含意が,〈切なさ〉や〈否応なさ〉として現代の〈恋〉の語感にも受け継がれている可能性は高い。だからこそ,〈落ちる〉という言葉の持つ陰性的イメージと絶妙なコロケーションを成すのかもしれない。

『たまこラブストーリー』にも,この〈不在〉をめぐるたまこの感情がうまく表されているシーンがある。もち蔵に告白された後のある早朝,商店街の面々と挨拶を交わした後,たまこが大路屋の二階の窓に目をやると,いつも顔を覗かせるはずのもち蔵の姿がない。いつも通りのはずの商店街が,もはやいつも通りの商店街ではなくなっている。この時のたまこの表情から,彼女がもち蔵の〈不在〉によって自分の中にもたらされた感情的な変化をはっきり感じ取っていることがうかがえる。

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『たまこラブストーリー』より引用 ©︎京都アニメーション/うさぎ山商店街

ちなみに,人の〈不在〉が逆説的にその人の〈存在〉を意識させるというテーマに関しては,志村貴子原作/佐藤卓哉監督『どうにかなる日々』(2020年)の中にも読み取れる。以下のレビュー記事を参考にして頂きたい。

www.otalog.jp

そしてとりわけ〈落ちる〉という述語は,恋の持つ抗い難い力,意識では制御できない引力というイメージを伴う。この〈恋〉と〈落下〉のアソシエーションを,山田は映画の冒頭のシーンで強く印象付けている。

地球の周りを回る月のカットの後,画面は暗転し,アイザック・ニュートンの“By always thinking unto them.(年がら年中,そのことを考えていただけです)”という言葉が浮き上がる。次のカットでは,店番をするもち蔵の傍に置かれたリンゴが大写しになり,その後,リンゴは床に落下して,“Tamako love story”のタイトルが現れる。

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『たまこラブストーリー』より引用 ©︎京都アニメーション/うさぎ山商店街

地球と月,ニュートン,リンゴ,リンゴの落下という一連のイメージが,「万有引力の法則」を暗示していることが容易にわかる。山田によれば,“By always thinking...”の引用は「もち蔵が年がら年中,たまこのことを考え,たまこが年がら年中,餅のことを考えている」ことを示している。また地球と月のカットは「もち蔵がたまこの周りを回る惑星」であることを示しているが,*2 これは中盤のシーンにおける,みどりの「大路はず〜っとそうやって,今までもこれからもたまこの周りでグルグルグルグルしてるんだろうね」という台詞でも暗示されている。この映画では,映像・文字・セリフによって表された様々なイメージが絡み合い重なり合いながら,〈恋〉の力学をビジュアル化しているのだ。

アニメと〈重力〉

そもそもアニメーションは,〈重力と落下〉という問題に陰に陽に取り組んできたメディアだと言っても過言ではない。その草創期から日本アニメを支え続けてきたアニメーター・大塚康生は『作画汗まみれ』の中で,1956年に日動(日本動画映画株式会社。後に東映に吸収される)に入社した際のテストを述懐している。それは「少年が槌をふりあげて杭を打つ」動きを動画用紙に描くというものであった。大塚はこのテストの折に以下のようなメモを書いたそうだ。

(1)この持ち方ではそんなに重い槌はもちあげられない。右手を柄の先のほうに握りかえて,1歩ふみだす。

(2)腰を落として,力いっぱいで持ちあげる。右手は顔にくっつくほどあがり,上体は後に反る。

(3)重さのため,完全には振りかぶれない。後に1〜2歩よろけるかもしれない。振りかぶるまでいかない。

(4)重すぎてのめるように前に出てやっとの思いで打ちおろす。

(5)杭は地面までもぐり込む。*3

一つひとつの項目に〈重力〉を動きとして表現しようという大塚の意気込みが伺える。ちなみにこの「重い槌をふりあげて下ろす」という所作は,『たまこラブストーリー』と同時上映された『南の島のデラちゃん』の中で,王子メチャ・モチマッヅィが餅をつくシーンを連想させる。〈重力〉という概念を鎹にして,草創期のアニメと現代のアニメが接続する様がここに見て取れる。

さらに〈重力と落下〉の概念については,いくつかの作品で大塚ともタッグを組んだ宮﨑駿の作品にも顕著だ。『風の谷のナウシカ』(1984年)『天空の城ラピュタ』(1986年)『魔女の宅急便』(1989年)『風立ちぬ』(2013年)といった彼の主要な作品を思い出してみればいい。視聴者の記憶に残る名シーンの多くに,〈落下〉やそれへの抵抗としての〈浮遊〉〈飛行〉というモチーフがあるはずだ。日本のポピュラー・カルチャーの研究者であるトーマス・ラマールによれば,大塚と宮﨑のこうした傾向は,道具≒テクノロジーと人間の身体との関係への関心から生まれたものだという。*4

大塚・宮﨑のこうした即物的・技術論的な関心に対して,山田は抒情的な関心から〈重力と落下〉をシンボリカルに捉える。リンゴの落下,たまこの弁当箱の落下,バトンの落下,そしてとりわけ糸電話の落下。たまこに向けて糸電話を投げる時,もち蔵が粘土の錘を中に入れるのは,2人の間にリアルな放物運動を成立させるためだ。『たまこラブストーリー』では,様々な〈落下〉が京都アニメーション流の繊細な技術によってアニメートされているが,それらはすべて〈恋に落ちる〉というメタファーに集束していくのだ。

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『たまこラブストーリー』より引用 ©︎京都アニメーション/うさぎ山商店街

Tamako's Principia

最近ではよく知られるようになったが,アイザック・ニュートンは木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を“発見”したのではない。そうではなく,リンゴの落下において働く力と,地球が月に及ぼす力が等しいことを見出したのだ。地球上で生じる現象が,宇宙においても生じている。これが,ニュートンの「万有引力」の発見が「万有(universal)」たる所以である。

『たまこラブストーリー』のユニークネスは,〈日常から宇宙へ〉というこの崇高体験にも似たものを,恋を発見するたまこに体験させてしまう点にある。「うさ湯」でもち蔵とばったり出くわしたたまこは,気まずさのあまり逃げ出してしまう。空を見上げると,満天の星空が彼女を覆い尽くしている。この時,たまこは何かに気付き,言い知れぬ感情に満たされて胸を押さえながら俯く。

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『たまこラブストーリー』より引用 ©︎京都アニメーション/うさぎ山商店街

ちなみにBlu-rayのチャプターリストでは,この一連のシークエンスに「宇宙の入り口」という小見出しが付されている。また公式HPの「Introduction」にも,「それは,『宇宙の入り口』に立ったような感覚」という文句がある。*5 この時たまこが気づいてしまった〈恋〉の感情は,彼女にとって本物の宇宙と同じくらい広大無辺だったのかもしれない。あるいはそれは,自分の胸の中に生まれたこの小さな感情も,宇宙(universe)の一部に他ならないということに気づいた瞬間だったのかもしれない。美術監督の田峰育子によれば,この時の星空は実際のコンステレーションをほぼ忠実に再現しているらしいが*6この時のたまこの感情の強度に釣り合った真摯なリアリズムと言ってよいだろう。

 

人と人を引きつける恋の力は,万物において作用している。

 

とんでもなく大袈裟だが,おそらく多くの人が一度は感じるであろう感情の強度。それを『たまこラブストーリー』は,豊かなイメージとメタファーで表現している。

山田尚子のアニメーションは,しばしば“写実性”や“映画的表現”で評価される。しかしそればかりではない。山田作品の真髄は,人の繊細な感情をしっかりとアニメーションの原理で表現している点である。山田作品のBlu-ray等をお持ちの方は,オーディオコメンタリなども参考にしながら,各シーン各カットの意味を再確認してみるのもいいのではないだろうか。 

www.otalog.jp

作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】監督:山田尚子/脚本:吉田玲子/キャラクターデザイン:堀口悠紀子/美術監督:田峰育子/色彩設計:竹田明代/撮影監督:山本倫/設定:秋竹斉一/音響監督:鶴岡陽太/音楽:片岡知子/編集:重村建吾/アニメーション制作:京都アニメーション/製作:うさぎ山商店街

【キャスト】北白川たまこ:洲崎綾/大路もち蔵:田丸篤志/常盤みどり:金子有希/牧野かんな:長妻樹里/朝霧史織:山下百合恵/北白川あんこ:日高里菜/北白川豆大:藤原啓治/北白川ひなこ:日笠陽子/北白川福:西村知道/大路吾平:立木文彦/大路道子:雪野五月/「フローリスト プリンセス」花瀬かおる:小野大輔/「星とピエロ」八百比邦夫:辻谷耕史/「うさ湯」湯本長治:津久井教生/「うさ湯」さゆり:岩男潤子/「ジャストミート」満村文子:渡辺久美子/「トキワ堂」常盤信彦:家中宏/「さしみ」魚谷隆:成田剣/「清水屋」清水富雄:川原慶久/犬山:山下大輝/桃太郎:野坂尚也

【上映時間】83分 

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
5 4 4.5 4.5
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
5 3.5 3.5 3
独自性 普遍性 平均
3 4.5 4.1
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

商品情報

映画「たまこラブストーリー」 [Blu-ray]

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  • 発売日: 2014/10/10
  • メディア: Blu-ray
 
たまこまーけっと Blu-ray BOX(初回限定生産)

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  • 発売日: 2015/03/18
  • メディア: Blu-ray
 

*1:『大辞林4.0』(三省堂,2019年)は,書籍版『大辞林第四版』をベースに新語などを増補したスマートフォン用アプリ辞書である。

*2:『たまこラブストーリー』Blu-ray「スタッフコメンタリー」より。

*3:大塚康夫『作画汗まみれ 改訂最新版』,p.26,文春ジブリ文庫,2013年。

*4:トーマス・ラマール『アニメ・マシーン グローバル・メディアとしての日本アニメーション』,pp.97-110,名古屋大学出版会,2013年。

*5:INTRODUCTION | 『たまこラブストーリー』公式サイト

*6:『たまこラブストーリー』Blu-ray「スタッフコメンタリー」より。