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劇場アニメ『特別編 響け!ユーフォニアム〜アンサンブルコンテスト〜』(2023年)レビュー[考察・感想]:“開く”ユーフォ,“呼吸”するマリンバ

*このレビューはネタバレを含みます。必ず作品本編をご覧になってからこの記事をお読み下さい。

『響け!ユーフォニアム』公式HPより引用 ©︎武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

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『ユーフォ』シリーズ4年ぶりの新作となった武田綾乃原作/石原立也監督『特別編 響け!ユーフォニアム〜アンサンブルコンテスト〜』(以下『アンコン』)。部長という立場になった黄前久美子が,「アンサンブルコンテスト」参加に向けて奮闘する姿を描いた短編映画である。これまでのシリーズから制作メンバーの異同はあるが,その優れた描写力は相変わらず健在だ。

 

あらすじ

2年生になり,優子から部長職を引き継いだ久美子。その最初の大仕事は,「アンサンブルコンテスト」,通称「アンコン」参加に向けた校内オーディションの準備だった。総勢70名を超える部員を少人数に編成するという,普段とは異なる仕事に戸惑いながらも,久美子は彼女らしい感性で部員たちのポテンシャルを引き出していく。

 

「無駄」という「人間っぽさ」

何か無駄なことをさせないとキャラクターの芝居が人間っぽくならないと思うからね。*1

石原立也監督はそう語る。

人間の行動は,そのすべてが合目的的であるわけではない。むしろ合目的性から外れた「無駄」な行動をとることのほうが多いとも言える。例えば,インタビュー中にノートに「鯉のぼりの絵」を描くといったような。*2 そのような「無駄」な所作にこそ「人間っぽさ」が宿るのだと石原は考える。

『アンコン』という作品は,演奏シーンをほぼ廃し,部員たちがアンサンブルを組んでいく過程に焦点を当てた構成をとっている。必然的に,部員同士の交わりを中心とした日常芝居の比重が高くなる。そこには,ユーフォニアムを演奏する際の運指や,マリンバの音板を打つ動作といったものとは対照的な,「無駄」と思えるような日常芝居が豊富に散りばめられている。

『特別編 響け!ユーフォニアム〜アンサンブルコンテスト〜』より引用 ©︎武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

久美子が教室で麗奈と話しながら足をぶらぶらさせる(上履きが床を蹴る「ゴンゴン」というSE付きだ)。水道の前で足を交差させる。2人が廊下で体をぶつけ合って戯れる。奏が久美子に向かってシャドウボクシングをし(彼女が口にする「チーム平和主義」との矛盾が面白い),ファイルをいじった後にモデルウォークのような所作をする。どれもこれも,何らかの目的とつながることのない,ほぼ「無駄」な動作だ。

楽器演奏の合目的性と日常芝居の無駄。楽器の構造に合わせ,それに“仕える”マシーン的所作と,そこから逸脱する人間臭い所作。こうした芝居の多層的なコントラストが,『ユーフォ』という作品のキャラクター造形に厚みを与えている。

もちろんアニメーション作品においては,作画の面倒を考慮して,こうした「無駄」な所作をオミットするという選択肢もある。しかしそもそも京都アニメーションは,そうした日常芝居を律儀に拾い,丁寧に表現することを得意とするーーあるいはそれを理念とするーー制作会社だ。『アンコン』は,『劇場版 響け!ユーフォニアム 〜誓いのフィナーレ〜』(2019年,以下『誓いのフィナーレ』)とTVシリーズ第3期(2014年放送予定)との間の“つなぎ”という位置付けだからこそ,本編以上に「無駄」への寄り道が可能だったのかもしれない。その意味で,演奏会での演奏シーンを省略し,日常風景に焦点を当てたのは優れた英断だっと言える。

 

“開く”ということ

ところで「無駄」と言えば,前作『誓いのフィナーレ』の2つのシーンが思い起こされる。

1つは,久美子が宇治橋三の間で秀一を待つ場面だ。彼女は自分の巻き毛をふさふさと弄っている。

『劇場版 響け!ユーフォニアム 〜誓いのフィナーレ〜』より引用 ©︎武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

自分の巻き毛を気に入っているのか,あるいは逆に気にしているのか。いずれにせよ,ほぼ無意識の“癖”と見えるこの所作は,ユーフォニアムを演奏する際の正確な運指とは対照的に,久美子というキャラの人間らしい“余剰”をよく表している(ちなみにこの動作に関する描写は原作にない)。黒沢ともよの「とりー」というやや怠げな演技とも相俟って,非常に印象深い日常シーンに仕上がっている。

2つ目は,音楽室の引き戸にまつわるシーンだ。

『劇場版 響け!ユーフォニアム 〜誓いのフィナーレ〜』より引用 ©︎武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

冒頭,ホームルームを終えた久美子が音楽室に向かい,引き戸を開ける。立て付けが悪いためか,レールとの摩擦で少々引っかかるものの,彼女は難なく開けて中に入る。

『劇場版 響け!ユーフォニアム 〜誓いのフィナーレ〜』より引用 ©︎武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

その後の別のシーンに,顧問のが同じ引き戸を開くカットがある。滝はうまく開くことができず,「痛っ!」と言いながら戸にぶつかるも,メガネの位置を直しながら爽やかに登場する。そのドジ&爽やかな様子に,一部の1年女子が「ヤバいですね!」と興奮する。

ここでもやはり,“立て付けの悪い引き戸に激突する”という「無駄」な動作が,滝というキャラの人間臭い“余剰”を伝えている(仮にこれを意図的にやっていたとすれば,相当な策士ということだ)。この直後の「もっとも,人数がいるだけでまったく結果を出さない無能な集団にならないとも限りませんが」という冷徹な毒舌ときれいなコントラストを成している。

ちなみに,認知科学やロボティクスを研究する工学博士の岡田美智雄は,人間の行動を誘発する要因が,主体的で一貫した意思だけでなく,偶発的な「環境」にもあることに注目している。

わたしたちは自らの意思で街のなかを歩いている,それは確かなことだろう。その一方で,人の流れ,通りの看板,由緒ある石畳の路地,建物の装飾など,その街がわたしたちを歩かせてもいる。*3

人間は主体的な意思を持って行動するだけでなく,その場その場の「環境」へのアドホックな反応として行動を起こす場合もあるということだ。

“立て付けの悪い引き戸”という「環境」と,それを“開く”というアドホックな動作は,物語に直接影響しない要素としてオミットすることもできるだろう。しかし京都アニメーション・石原は,あえてこうした動作を律儀に拾う。それは“立て付けの悪い引き戸”という「環境」こそが,久美子や滝の「人間っぽい」行動を引き起こしうることを彼が敏感に理解しているからだろう。

さてお気づきのことと思うが,この“引き戸を開く”という動作は,『アンコン』において“窓を開く”という動作としてリフレインされ,物語の隠れたモチーフになっているのである。

久美子が校舎裏で練習しようとしていると,3年生のみぞれが校舎の中から「泣いてるの?」と声をかける。

『特別編 響け!ユーフォニアム〜アンサンブルコンテスト〜』より引用 ©︎武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

みぞれが窓を開けようとするが,固くて動かない。ところが久美子はそれを事もなげに開けてみせる。梨々花がパートリーダーとして活躍していることを伝えると,みぞれはわずかに反応して窓の桟を触り始める。この後の2人の会話を見てみよう。

みぞれ:窓,開けるの上手いね。
久美子:え?
みぞれ:さっき,ちょっとしか開かなかったから。
久美子:ああ,内側からだとコツがいるのかもしれませんね。
みぞれ:そうじゃない。
久美子:え?
みぞれ:やっぱりいい。自分がわかってたらいいことだから。
久美子:うえー…私はわかってないですけど…
みぞれ:窓,開けるの上手で嬉しかった。それだけ。

“あの”みぞれが相手ということもあって,少々不思議なやりとりになっている。どうやら“窓を開ける”という行為に関して,久美子とみぞれの間にちょっとしたディスコミュニケーションが生じているようだ。おそらく,みぞれが「窓,開けるの上手いね」という客観的評価を「窓,開けるの上手で嬉しかった」という主観的評価に言い換えているところにポイントがある。久美子があくまでも目の前にある“物理的な窓”のことを言っているのに対し,みぞれの念頭にあるのは“心理的な窓”なのだろう。部長となった久美子は,以前のように一歩引いて観察するのではなく,部員一人ひとりに積極的に関わりながら“心の窓”を開いていく。みぞれは後輩の久美子がそのように成長していく様を「嬉しかった」と(彼女らしい舌足らずの言葉で)伝えようとしたのかもしれない。

“窓”は,久美子がみぞれにアンコン参加を依頼しに行くシーンでも登場する。みぞれが「誘ってくれて嬉しかった。希美にもお礼,言っておいて。ありがとうって」と言うと,久美子は「自分で言わなくていいんですか?」と問う。みぞれは小首を傾げながら,さも当然のように「自分でも言うよ?」と答える。この時,窓が少し開いていることに気づいた久美子が「閉めますか?」と聞くと,みぞれは「ううん。いい」と断る。この時みぞれは,「自分の言葉で本当の気持ちを伝える=“心の窓”を閉ざさない」というささやかな意思表示をしているように思える。*4

実は原作では,この場面の前にみぞれをアンコンに誘うことに関して,希美と優子の間に一悶着あったことが語られている。参考までに見ておこう。

希美:夏紀と,優子と,うちと……あ,みぞれを誘うのもいいかも。あの子,まだ普通に練習してるやろうし。
優子:みぞれは音大入試控えてるから,あんまり余計な労力を割かせたくない。
みぞれ:もし受験の邪魔になるって感じたら,ちゃんと自分で断るでしょ。
優子:希美の誘いやったら受けるよ,あの子は。*5

希美はたとえ自分がアンコンに誘ったとしても,みぞれが受験に差し支えがあると判断したならそれを自発的に断るだろうと信じている。つまり彼女の主体性に信頼を置いている。原作ではこのやりとりを受け,久美子の誘いを断った後の地の文で「みぞれは一人でも大丈夫だ。そんなこと,希美はきっと,とうに知っていた」という一文を挿入している。*6

アニメでは(おそらく尺の都合もあったのだろう),ロジカルな説明描写を省いて暗示的な示唆だけにとどめているが,いずれにせよこの一連のシーンの中で,“窓を開ける”というアドホックな行動が,“心を開く”という心理的な関係構築へと重ね合わせられているのが面白い。この点が『アンコン』という作品の最大の特徴と言ってよいだろう。

 

マリンバの“呼吸”

この“心を開く”という関係構築が最も美しく表現されているのが,久美子とつばめの練習風景であることは言うまでもない。

マリンバ担当のつばめは,メトロノームに合わせて独奏する分には何の問題もない。しかし順菜に言わせれば「リズム感だけが致命的」なのだ。つばめは「リズムっていうか,ノリみたいなのが合わなくて…人と一緒だと全然…」と肩を落とす。久美子はつばめと合奏する中で,彼女が久美子の方に目を向けず,「呼吸(息継ぎ)」もしていないことに気づく。この時の,何かを見抜く,あるいは射抜くような久美子の目の描写が印象的だ。

『特別編 響け!ユーフォニアム〜アンサンブルコンテスト〜』より引用 ©︎武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

打楽器であるマリンバの演奏そのものにおいて,息継ぎは「無駄」な行動だ。しかし指揮者のいないアンサンブルでは,全奏者が互いの「呼吸」を感じとってタイミングを合わせなければならない。仮に演奏そのものにとっては「無駄」であっても,「呼吸」を合わせることこそが,単なる「リズムゲーム」(順菜言)を人間性に溢れた音楽として完成させる。ひょっとしたら,つばめはそのことを無意識に理解していたからこそ,「リズム」ではなく「ノリ」という言葉を使ったのかもしれない。このやりとりの後,つばめの演奏は劇的に向上する。久美子はつばめの“心の窓”を開くことによって,彼女のポテンシャルを引き出すことに成功したのだ。

最後にもう1つ,久美子とつばめの関係を象徴するシーンを見てみよう。2人がマリンバを体育館に運ぶシーンである。

体育館につながる渡り廊下には,「段差」がある(ちなみに原作には段差の描写はない)。わずかな高さではあるが,高価で重量のあるマリンバを運ぶにはちょっとした障害になるため,協力し合ってそこを通り抜けなければならない。

『特別編 響け!ユーフォニアム〜アンサンブルコンテスト〜』より引用 ©︎武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

一方の段差を降り,もう一方の段差を上るまで,2人の動作のすべてがオミットされることなく丁寧にアニメートされている。この動作の中で,2人は次のような会話をする。

つばめ:あのね…
久美子:ん?
つばめ:私,下手だし,今まで自分がコンクールメンバーになれないのは当たり前だと思ってたけど,でも…私もコンクールに出たいって思ってもいいのかな?
久美子:ダメなんて言う人,いないよ。
つばめ:そうかな。
久美子:そうだよ。
つばめ:そっか…

『特別編 響け!ユーフォニアム〜アンサンブルコンテスト〜』より引用 ©︎武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

その後,つばめは何かを決心したかのように,一人でマリンバを転がしていく。その背中を見る久美子の「部長としてやっていけるか不安もあるけれど,今はつばめちゃんのちょっとした変化がとてもうれしかった」というモノローグが挿入される。

それは「段差」という「環境」によって要請されたアドホックな行動だったかもしれない。しかし,この時のつばめにとって,それは大きな意味を持つ行動だったのだろう。「段差」があったからこそ,ふだんあまり交流のないコンクールメンバーの久美子と同じ目線で対話する時間が生まれた。そして「段差」を超えるという行動が,彼女にとっては“心の障壁を乗り越える”という決断として,象徴的に了解されたのかもしれない。

本編が,選抜された精鋭部員を中心に「吹奏楽コンクール」という一つの目標に向けてまとめ上げる「マクロ」視点の物語だとすれば,『アンコン』は全部員を小編成のアンサンブルに構成する「ミクロ」視点の物語だ。そこでは,ふだん隠されていた部員たちの多彩な顔が見えてくる。選抜部員と「チームもなか」たちとの間に新たな親和力も生まれる。久美子とつばめの間に生まれた親和力は,やがて「マクロ」の物語においても重要な役割を果たすことになるだろう。2024年4月からの「久美子3年生編」の放送を期待しよう。

 

 

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作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】
原作:武田綾乃/監督:石原立也/副監督:小川太一/脚本:花田十輝/キャラクターデザイン:池田晶子/総作画監督:池田和美/楽器設定:髙橋博行/楽器作画監督:太田稔/美術監督:篠原睦雄/3D美術:鵜ノ口穣二/色彩設計:竹田明代/撮影監督:髙尾一也/3D監督:冨板紀宏/音響監督:鶴岡陽太/音楽:松田彬人/音楽制作:ランティスハートカンパニー/音楽協力:洗足学園音楽大学/演奏協力:プログレッシブ!ウインド・オーケストラ/吹奏楽監修:大和田雅洋/アニメーション制作:京都アニメーション

【キャスト】
黄前久美子:黒沢ともよ/加藤葉月:朝井彩加/川島緑輝:豊田萌絵/高坂麗奈:安済知佳/塚本秀一:石谷春貴/釜屋つばめ:大橋彩香/中川夏紀:藤村鼓乃美/吉川優子:山岡ゆり/鎧塚みぞれ:種﨑敦美/傘木希美:東山奈央/久石奏:雨宮天/鈴木美玲:七瀬彩夏/鈴木さつき:久野美咲/剣崎梨々花:杉浦しおり/滝昇:櫻井孝宏

 

作品評価

キャラ

モーション 美術・彩色 音響
4 5

3.5

4.5
CV ドラマ メッセージ 独自性

5

3.5 4 3.5
普遍性 考察 平均
4 5 4.2
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

商品情報

 

*1:劇場用プログラム掲載のインタビューより。

*2:同上。

*3:岡田美智雄『〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション』,p.31,講談社現代新書,2017年。

*4:念のために附言しておこう。『誓いのフィナーレ』の“引き戸”のシーンは原作にはなく,アニメオリジナルである。一方,『アンコン』の“窓”のシーンは原作にも描写されているが,久美子がみぞれにアンコン参加を依頼に行くシーンで,「窓閉めますか」「いい」というやりとりはアニメオリジナルである。

*5:武田綾乃『響け! ユーフォニアム北宇治高校吹奏楽部のホントの話』,宝島社文庫,2019年。

*6:同上。