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TVアニメ『天国大魔境』(2023年春)第10話の演出について[考察・感想]

 この記事は『天国大魔境』「〈#10〉壁の町」のネタバレを含みます。

『天国大魔境』「〈#10〉壁の町」より引用
©︎石黒正数・講談社/天国大魔境製作委員会

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今回の記事では,石黒正数原作/森大貴監督『天国大魔境』各話レビュー第3弾として,絵コンテ・演出:五十嵐海による「〈#10〉壁の町」を取り上げたい。TRIGGERに籍を置く五十嵐の演出回とあって,デフォルメやパースをキツめに利かせるなど,極めてユニークな話数となった。また原画担当の個性をあえて際立たせた演出方針も,この話数に独特な風格を与えている。

 

デフォルメ

まず,この話数を観た誰もが度肝を抜かれたと思われるのが,序盤と終盤のキャラのデフォルメだ。

『天国大魔境』「〈#10〉壁の町」より引用
©︎石黒正数・講談社/天国大魔境製作委員会

パースと頭身の誇張,オミットされた目鼻など,ほとんどギャグアニメに近いデフォルメを施している。もちろん原作にはこうした表現はなく,ほぼ完全アニメオリジナルと言ってよい。公式Twitterによれば,上図左2枚は佐藤利幸が原画を担当しているが(右2毎は現在のところ不明),TRIGGER的な風味があると同時に,五十嵐が敬愛していると言われる湯浅政明の身体デフォルメを彷彿とさせもする。

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カット割りやカメラワークもテクニカルで非常に面白い。短いカットの連続,パン,止め絵のコマ送りなどによって独特のテンポ感が生み出されている。詳しく見ていこう。

『天国大魔境』「〈#10〉壁の町」より引用
©︎石黒正数・講談社/天国大魔境製作委員会

キルコとマルが「壁の町」に潜入した直後のカット。2人を写したカメラが一旦トラック・バックし,室内の廃墟(金子雄司の美術がここでも映える)を写しながら左に大きくパン。無人となった画面にキルコが不意にインする。人物移動の“嘘”を織り交ぜた小気味の好いカットだ。

『天国大魔境』「〈#10〉壁の町」より引用
©︎石黒正数・講談社/天国大魔境製作委員会

マルがヒルコの気配に気づくシーン。この前後のシーンでは,短いカットを連続させてテンポ感を創出している。サブリミナルのように挿入されたヒルコのカットによってホラー感が生み出され,この後の襲撃シーンへと繋がっていく。ヒルコ側からの視点(上図3枚目)が導入されているのも面白い。

『天国大魔境』「〈#10〉壁の町」より引用
©︎石黒正数・講談社/天国大魔境製作委員会

ヒルコ襲撃直前のシーン。近景のキルコから遠景のマルまでを広角気味の大胆なパースで捉え,画面の情報量を増やしている。その直後のカットでは,カメラがマルがこぼした水のカットを捉えた後,左に短くパンして水に映ったマルの姿を捉える。最初のカットとは違い,最小限のカメラワークで被写体を切り替えた面白いカットだ。

『天国大魔境』「〈#10〉壁の町」より引用
©︎石黒正数・講談社/天国大魔境製作委員会

冷却攻撃のレンジを見切ったキルコがヒルコを追撃するカット。数枚の止め絵をコマ送りのように繋げてカットを構成している。イラストとして成立しそうなほどスタイリッシュな止め絵をじっくり見せつつ,同時にキルコのアグレッシブな行動力を表現している。まさしく静と動を両立させたカットと言える。なお,このカットを手がけたのはTRIGGER出身の荒井和人である。

こうした演出は,例えば直近の〈#08 それぞれの選択〉などと比較すると,その特異性が際立って見える。〈#08〉が静謐とも言える時間感覚の中でシリアスなリアリズムを追求したのに対し,〈#10〉はスピード感のあるカット割りや大胆なデフォルメでアクセントをつけている。〈#08〉から〈#10〉にかけての話数で,一種の緩急がつけられているようにも思える。www.otalog.jp

このように,作画や演出のテイストが異なる話数を挿入し,流れに変化をもたらす制作方針は必ずしも珍しいものではない。例えば『天元突破グレンラガン』(2007年)第4話の小林治回『Fate/Apocrypha』(2017年)第22話の伍柏諭回『モブサイコ100 Ⅱ』(2019年)第5話の伍柏諭回『モブサイコ100 Ⅲ』(2022年)第8話の伍柏諭回など,各話担当の個性に委ねた話数は少なくない。*1 

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もちろん,作品のテイストが変わることに違和感を覚える視聴者もいるはずだ。事実,この種の変化球が投じられた時には,必ずと言ってよいほど賛否が相半ばする(かく言う僕も,こうした演出に否定的だったこともある)。しかし,各話数で制作者の個性を楽しめる作品には,全話数のテイストが完全にコントロールされ統一されたアニメにはない魅力があることも確かだ。

 

分散型アニメーションの魅力

各話数毎にテイストが異なる演出方針を,当ブログでは〈分散型〉の演出と呼んでいる。作画をあえて統一せず,複数の異なる作風に〈分散〉させているからだ。*2 

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〈#10〉で特徴的なのは,話数の中でも演出を〈分散〉させているーーつまりシーンによってテイストが異なる箇所があるーー点だ。それが顕著なのが,キルコとマルが最初にヒルコに襲われるシーンである。

『天国大魔境』「〈#10〉壁の町」より引用
©︎石黒正数・講談社/天国大魔境製作委員会

異変に気づいたマルがキルコに寝袋を被せるカットから,にわかに作画が変化する。キャラクターのデザイン,動画,芝居のテイストが先行するシーンとは明らかに異なっている。眼球やまつ毛の描き方も特徴的で,主線の表情も非常に豊かだ。

このシーンの原画担当は現在のところ公式には明らかになっていないが,その作風からシルバー所属の吉成鋼(TRIGGER所属の吉成曜の実兄)と推測されている。吉成鋼と言えば,担当カットに対するこだわりが強いことで知られており,場合によっては原画から撮影までを自身で手がけることもあるという。最近では『ヤマノススメ Next Summit』(2022年)のエンディング・アニメーションを単独制作したことが話題となった。


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いずれにせよ,このシーンが,異彩を放つこの話数の中でもとりわけ大きな異彩を放っていることは確かだ。おそらく作為的に作画・演出を〈分散〉させていることは間違いないだろう。先述したように,このような演出方針は視聴者に違和感を抱かせる可能性もあり,その意味では冒険的で挑戦的だ。しかし,こうしたある種の“遊び心”は,日本のTVシリーズアニメがもつ魅力の一つと言えるかもしれない。思えば『美少女戦士セーラームーン』TVシリーズ(1992-1997年)などでは,各話毎に演出・作画担当が異なり,作風も各話毎に大きく異なっていた。そしてその違いを楽しみながら,制作者の個性を味わう文化が視聴者側にもあったのだ。ufotableの『鬼滅の刃』のように,寸分の違いもなく統一されたアニメ作品がある一方で,本作のように各話毎に個性を楽しめる作品があってもいい。“多様性”こそが日本アニメの最大の強みなのだから。

 

五十嵐海の技

この話数の絵コンテ・演出を手掛けたのは,TRIGGERに籍を置く五十嵐海(いからしかい)だ。五十嵐と言えば,『SSSS.GRIDMAN』(2018年)第9話(絵コンテ・作監)など,“神回”と呼ばれる話数を多く手がけた“個性派”アニメーターだ。

『SSSS.GRIDMAN』「#09 夢・想」より引用
Ⓒ円谷プロ Ⓒ2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会

『天国大魔境』終盤に挿入された五十嵐の話数。彼の個性豊かな演出は,クール最終話に向けた物語展開の中でどのような効果を持つだろうか。残された話数を楽しみにしたい。

 

 

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作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】
原作:石黒正数/監督:森大貴/シリーズ構成:深見真/キャラクターデザイン:うつした(南方研究所)/ヒルコデザイン:古川良太/プロップデザイン:富坂真帆澤田譲治/銃器デザイン:髙田晃/メカデザイン:常木志伸/色彩設計:広瀬いづみ/美術監督:金子雄司/美術設定:ブリュネ・スタニスラス伊井蔵上田瑞香平澤晃弘高橋武之/3D:directrainIG3D5(five)/モーショングラフィックス:大城丈宗/2DW:CAPSULE濱中亜希子/撮影監督:脇顯太朗/編集:坂本久美子/音響監督:木村絵理子/音楽:牛尾憲輔/アニメーション制作:Production I.G

【キャスト】
マル:佐藤元/キルコ:千本木彩花/稲崎露敏:中井和哉/トキオ:山村響/コナ:豊永利行/ミミヒメ:福圓美里/シロ:武内駿輔/クク:黒沢ともよ/アンズ:松岡美里/タカ:新祐樹/園長:磯辺万沙子/猿渡:武藤正史/青島:種﨑敦美

【「〈#10〉壁の町」スタッフ】
脚本:
窪山阿佐子/絵コンテ・演出:五十嵐海/作画監督:竹内哲也

 

商品情報

*1:伍柏諭の名前が多いのは偶然ではないだろう。彼に話数の演出を委ねる=彼の個性に頼むという共通認識が業界内に出来上がっているのではないだろうか。ちなみに今回の〈#10 壁の町〉にも伍は原画としてクレジットされている

*2:〈分散型〉演出に対し,例えばufotableの『鬼滅の刃』のように,話数毎の差異を極限まで減らしてテイストを統一する演出方針を〈集中型〉と呼ぶことにする。