アニ録ブログ

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TVアニメ『呪術廻戦 渋谷事変』(2023年秋)第41話の演出について[考察・感想]

*この記事は『呪術廻戦 懐玉・玉折/渋谷事変』「#41 霹靂-弐-」のネタバレを含みます。

「#41 霹靂-弍-」より引用 ©︎芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

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芥見下々原作/御所園翔太監督『呪術廻戦 懐玉・玉折/渋谷事変』各話レビュー第3弾として,今回は「#41 霹靂-弐-」を取り上げよう。絵コンテ・演出は,土上いつき伍柏諭山崎晴美の3名である。膨大なエネルギー量の破壊と徹底的なまでの絶望を個性あふれる演出技法で描いた傑作である。

 

廃墟を包含した街

映像文化の表象において,東京はしばしば〈破壊〉の再生産の場であった。

空襲による破壊を現実的な始点としつつ,戦後の『ゴジラ』(1954年)以降のシリーズ,『AKIRA』(アニメ:1988年),『エヴァンゲリオン』シリーズ(1995-2021年)といった作品が,何らかの外在的な(あるいは内在的な)力による東京の〈破壊〉をフィクショナルに反復してきた。それは磯崎新の「[建築が]既に廃墟をみずからのうちに包含」*1 しているという事態の,都市規模での暴力的具現であると言ってもいいかもしれない。

しかし人が都市に生き続ける限り,都市の〈破壊〉がその対極としての〈再生〉と表裏一体であることに間違いはない。いやむしろ〈破壊〉が徹底的な否定極性として表象されていればいるほど,そこに立ち続ける人々の“生きんとする意志”の描写は際立つのだ。上で〈破壊の〉再“生産”という言い方をしたのもそれが故である。

『呪術廻戦 渋谷事変』「#41 霹靂-弍-」は,異形の者たちによる完膚なきまでの〈破壊〉と,そこから立ち上がる人の〈意志〉とを,3名の才能が見事に描き切った名話数である。

この話数における〈破壊〉は,おそらくこれまでのシリーズの中でももっとも壮絶なーーしかも原作の描写を増幅する形でのーー描かれ方をしている。その壮絶なスペクタクルが,こともあろうに両面宿儺のカジュアルなアクションで口火を切られるというアイロニーが面白い。

「#41 霹靂-弍-」より引用 ©︎芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

ドリンクとポップコーン(もちろんアニオリである)という,この上なく“軽い”号砲を合図に,宿儺の苛烈な斬撃と魔虚羅の超重量級の打撃の応酬が始まる。

宿儺と魔虚羅は構造物の外から内へ,内から外へと舞台を変えながら戦闘を繰り広げ,周囲の都市の風景を次々と巻き添えにしていく。相手への攻撃は即,都市の破壊をもたらす。まるで両者にとって,戦闘と破壊を両立させることが目的であるかのようだ。

「#41 霹靂-弍-」より引用 ©︎芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

この辺りのシーンを担当したのは土上いつきである。ちなみに都市の構造物の内外で繰り広げられる戦闘ということで言えば,同じ土上の手になる『モブサイコ100 Ⅱ』「011 指導〜感知能力者〜」などが想起されるだろう。

『モブサイコ100 Ⅱ』「011 指導〜感知能力者〜」より引用 ©︎ONE・小学館/「モブサイコ100 Ⅱ」製作委員会

思えば『モブサイコ100 Ⅱ』も,鈴木統一郎の力が象徴する〈破壊〉と,それに抗うモブの〈再生〉の物語であった。キャラクター造形や物語の点でこの2作品に共通点を見出すのは難しいかもしれないが,〈破壊〉というものの本質的な意味,およびその視覚的なあり方という点では,両者の深い地層において一筋の水脈が通底しているようにも思える。土上いつきという才能が両作品で起用されたことは,単なる偶然ではないかもしれない。

言うまでもなく,渋谷という街は日本を代表するユースカルチャーの聖地として世界的にも大きなプレゼンスを持ったトポスだ。今なお現在進行形で開発が進み,新しい姿に生まれ変わろうとしている“生きた”街でもある。その渋谷を異形の者たちはは容赦なく〈破壊〉する。無論,ユースカルチャーのエネルギーの担い手である若者たちの命を犠牲にしながら。

 

モブの破壊

この話数最大のアニオリの一つは,原作ではほぼオミットされていた“モブ”の描写である。話数半ばのパートを担当した山崎晴美によれば,原作でははっきりと描写されていないモブの被害をあえて描くことで,「一般人の目線で災害が来たという映像」を作ろうとしたのだという。

「#41 霹靂-弍-」より引用 ©︎芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

山崎の「とにかく渋谷の街と何の関係もないモブを丁寧に破壊したかった」という,ともすると宿儺の指でも飲み込んだかのように聞こえる物言いは,しかしながらこの話数の性質をよく言い当てている。

直接的な殺戮シーンはさほど多く描かれてはいないが,宿儺と魔虚羅の破壊劇の有効射程内に存在するモブを描いたことにより,ユースカルチャーのエネルギー供給源が確実に殺がれていく様が容易に想像可能となる。リアリズムという点で原作を一目盛分上回っていると言えるだろう。そして多くの人の命が奪われる描写を明示的に取り入れたことで,ラストの虎杖の「このままじゃ俺はただの人殺しだ」というセリフもより説得力を増す。

 

“赤”の破壊

本話数の中でもとりわけ苛烈に,美しく,そしてドラマチックに〈破壊〉のシーンを描いたのが,台湾出身の鬼才・伍柏諭である。

「#41 霹靂-弍-」より引用 ©︎芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

伍の描く〈破壊〉のシーンは,単に物理的な破壊を描写するに留まらない。その一つひとつのカットが一幅の絵画作品として成立してしまうほどの描画力がある。それは都市の風景の破壊であると同時に,TVアニメとアートアニメの境界を爆破する破砕力そのものであるようだ。

「#41 霹靂-弍-」より引用 ©︎芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

血と灼熱を両義的に示唆するかのような“赤”のカットはとりわけ印象的である。伍も土上と同様,『モブサイコ100 Ⅱ』に参加しているが,彼の手がけた「005 不和〜選択〜」にも同様の“赤”の破壊シーンがある。

『モブサイコ100 Ⅱ』「005 不和〜選択〜」より引用 ©︎ONE・小学館/「モブサイコ100 Ⅱ」製作委員会

伍の担当パートで個人的にもっとも評価したいのは,「伏魔御廚子」展開後の宿儺の正面カットだ。

「#41 霹靂-弍-」より引用 ©︎芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

不敵な笑みが法悦にひたるかのような穏やかな表情へ転じたかと思うと,たちまち般若のような形相に変わる。多義的で面白い表情カットだ。後述する『モブサイコ100 Ⅲ』8話などもそうだが,伍の画からは,単に派手なスペクタクルだけでなく,こうしたエモーショナルな繊細さが感じられることが多い。

「#41 霹靂-弍-」より引用 ©︎芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

宿儺の領域「伏魔御廚子」は,物理的・魔術的斬撃によって,宿儺を中心とした有効射程内のあらゆるものをミキサーにかけて粉々にするようなものである。当然,そこにある都市も人も粉々に粉砕される。これによって魔虚羅の適応を封じた上,宿儺は「開(フーガ)」の灼熱によってとどめを刺すわけだが,はたして彼がとどめを刺したのは魔虚羅だったのか,それとも渋谷という街そのものだったのか。

 

穿たれた穴:生の零度

かくして,渋谷の街には生の絶対零度としての空無が生じる。

「#41 霹靂-弍-」より引用 ©︎芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

宿儺は身体を開け渡す刹那,「小僧,せいぜい噛み締めろ」と言って虎杖にこの空無を見せつける。あたかも渋谷の破壊そのものと,自分を支配する虎杖を精神的になぶることが当初の目的であったかのように。大量殺戮の結果としての空無を前にした虎杖の眼は,この空無そのもののように虚だ。

「#41 霹靂-弍-」より引用 ©︎芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

カジュアルに渋谷を破壊する宿儺と,廃墟を前に絶望する虎杖。同じ風景を前に,同じ身体を持った宿儺と虎杖が,哄笑と絶望という絶対的に通約不可能な反応を示す。虎杖は自らに「死ねよ!」と呪詛を吐き,一旦は失意の底に沈むが,やがて徐に立ち上がり,「行かなきゃ。戦わなきゃ。このままじゃ俺は,ただの人殺しだ」と独りごつ。その姿には深く暗い影が差しているが,「人を助ける」という生へのエネルギーが確かに感じられる(なお,この最後の虎杖のアップは原作の作画を忠実に再現している)。

「#41 霹靂-弍-」より引用 ©︎芥見下々/集英社・呪術廻戦製作委員会

かくして〈破壊〉と〈再生〉の物語に幕が引かれる。

 

土上いつき,伍柏諭,山崎晴美の技

上述のように,今回の話数は土上いつき,伍柏諭,山崎晴美の3名が演出しているが,担当パートはそれぞれのTwitterアカウント等で明らかにされている。

◇ 土上いつき

話数全体の流れのライン,および冒頭〜魔虚羅最初の適応まで(魔虚羅召喚シーン除く)と戦闘終了後からラストまでの絵コンテ。

土上は上述の『モブサイコ100 Ⅱ』11話の他,『ワンパンマン』(2015年)『僕のヒーローアカデミア』(2016年)『Fate/Apocrypha』(2017年)『Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット-』(2021年)『王様ランキング』(2021-2022 年)『天国大魔境』(2023年)など,数々の重要作品で活躍する若手アニメーターだ。今後の活躍も期待される。

 

◇ 伍柏諭(担当パートに関するtweetは現在削除)

魔虚羅召喚電車がビルに突っ込んだ後の室内カット〜フーガ終了までの絵コンテ・演出・作監・音設計,および話数全体の音楽ライン。

伍柏諭の仕事については当ブログでも何度か言及してきたが,上記の『モブサイコ100 Ⅱ』5話以外に,『僕のヒーローアカデミア』(2016年)『Fate/Apocrypha』(2017年)『Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット-』(2021年)『天国大魔境』(2023年)などの作品でその優れた仕事を観ることができる。特に『Fate/Apocrypha』の22話は“伝説回”として今なお語り継がれる話数だ。『天国大魔境』OP映像の独自の映像感性で視聴者の度肝を抜いたことも記憶に新しい。また,『モブサイコ100 Ⅲ』の「08 通信中② 〜未知との遭遇〜」では,アクションではなく日常芝居でその演出技術の高さを見せつけた。彼のユニークではあるが幅の広い演出術を目にするにつけ,いつしか彼の監督作品を観てみたいと思う次第である。

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山崎晴美

パートの詳細に関する言及はないが,おそらく上記の土上パートと伍パートの間(つまり魔虚羅最初の適応後から電車のカット辺りまで)

山崎の仕事についての詳細はあまり明らかになっていないが,彼女のtumblrで確認できる。『僕のヒーローアカデミア』(2016年)『一人之下』(2016年)『ワンダーエッグ・プライオリティ』(2021年)『プリンセスコネクト!Re: Dive Season 2』(2022年)で活躍している。情報は少ないが,上述の「モブの破壊」という慧眼,そして何より土上いつきと伍柏諭という鬼才と肩を並べる実力を見れば,今後大いに期待できる人材であることは間違いない。

 

上記3名に加え,この類まれなる話数に携わったすべての制作スタッフに拍手を。

 

作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】
原作:芥見下々/監督:御所園翔太/シリーズ構成・脚本:瀬古浩司/キャラクターデザイン:平松禎史小磯沙矢香/副監督:愛敬亮太/美術監督:東潤一/色彩設計:松島英子CGIプロデューサー:淡輪雄介3DCGディレクター:石川大輔(モンスターズエッグ)/撮影監督:伊藤哲平/編集:柳圭介/音楽:照井順政/音響監督:えびなやすのり/音響制作:dugout/制作:MAPPA

【キャスト】
五条悟:中村悠一/夏油傑:櫻井孝宏/家入硝子:遠藤綾/天内理子:永瀬アンナ/伏黒甚爾:子安武人

【「#41 霹靂-弐-」スタッフ】
脚本:
瀬古浩司/絵コンテ・演出:土上いつき伍柏諭山崎晴美/作画監督:山﨑爽太矢島陽介石井百合子青木一紀

 

 

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商品情報

 

 

*1:磯崎新「廃墟論」(『磯崎新建築論集 2 記号の海に浮かぶ〈しま〉ー見えない都市』,岩波書店,2013年に所収。)