アニ録ブログ

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『あの花』『ここさけ』『空青』:岡田麿里脚本〈秩父三部作〉における〈回帰〉と〈離脱〉のアンビバレンス[考察・感想]

*この記事は「リアルサウンド」に掲載された記事を加筆・修正したものです。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』『空の青さを知る人よ』のネタバレを含みますので,必ず作品本編をご覧になってからこの記事をお読み下さい。

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』より引用 ©︎ANOHANA PROJECT

今秋(2023年9月15日(金)),岡田麿里監督・脚本『アリスとテレスのまぼろし工場』が公開される。本作には,閉塞感停滞感といった,岡田自身が抱えていた自意識の問題が強く反映されており,それは彼女のこれまでの作品の多くで反復され敷衍され深化されてきたテーマでもある。今回の記事では,岡田麿里脚本のオリジナル作品『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2011年,以下『あの花』),『心が叫びたがってるんだ。』(2015年,以下『ここさけ』),『空の青さを知る人よ』(2019年,以下『空青』)のいわゆる〈秩父三部作〉を振り返りながら,岡田の問題意識の在処を浮き彫りにしてみよう。

 

カットインする「あの日」の記憶

2011年。日本人の心の内奥に深い傷痕を残したこの年に,長井龍雪(監督)/岡田麿里(脚本)/田中将賀(キャラクターデザイン)による『あの花』のテレビ放映が始まった。

事前情報の少ないオリジナルアニメであり,かつ「ノイタミナ」という個性的な枠において放送されたこともあり,『あの花』という作品は当初から強い存在感を放った。

本作のインパクトは,すでに第1話冒頭のシーンできわめてユニークな形で提示されている。不登校の高校生・じんたんが,外を歩くリア充カップルに「死ね死ね死ね」と呪詛を吐きながらゲームに勤しむ中,5年前の事故で命を失ったはずのヒロイン・めんまの幽霊が何の前触れもなく姿を現す。めんま=「あの日」の記憶は,空から舞い降りるわけでもなければ,特殊な効果音を伴いながらふわっと立ち現れるわけでもなく,物理的な嵩と重量を持った1人の少女として,突如,物語内に“カットイン”してくる

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』より引用 ©︎ANOHANA PROJECT

この突然の事態に当惑したじんたんは,「トラウマ」「ストレス」「幻想」,はては「思春期の性衝動」などと,心理学的タームでめんまを名指すことによって合理的に理解しようとする。しかし彼はめんまの幽霊を心的・主観的現象として否定することができず,その“実在”を受け入れていくようになる。やがてめんまは,かつての幼馴染,あなるゆきあつつるこぽっぽら「超平和バスターズ」のメンバーをも巻き込みながら,否応なしに「あの日」の記憶へと彼らを引き戻していくのである。

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』より引用 ©︎ANOHANA PROJECT

この印象的なめんまの登場シーンを補強するかのように,第6話と第9話を除くすべての話数において,エンディングテーマ「secret base〜君がくれたもの〜(10 years after Ver.)」(以下「secret base」)がBパートのラストシーンに“カットイン”する。この曲は,岡田麿里をして「あの曲を聴いて『こういう作品なんだ』というのが分かった」*1 と言わしめるほど,『あの花』という作品の方向性を決定づけた楽曲でもある。それは「秘密基地」の想い出,「さよなら」の切なさ,「10年後の8月」の再会への希望を歌った曲であると同時に,それ自体が『あの花』放映の10年前の2001年にリリースされた曲のカバーであることにより,“「あの日」の記憶”という作品のメッセージ性を幾重にも織り込んだ楽曲だったのだ。

かくして,めんまと「secret base」は,じんたん,「超平和バスターズ」の仲間,そして視聴者の心を不意打ちのようにして掴みとり,「秘密基地」というトポスに象徴された過去の記憶=「あの日」へと連れ去る。ちょうど紅茶に浸したマドレーヌ果子のように,僕らの主体的意識の作用を凌駕しながら。

しばしば“号泣アニメ”と称される『あの花』の感情的作用の一端は,このような〈感情を不意打ちする〉という作品構造から生まれている。ただし長井監督らによれば,企画当初はそこまで泣かせる演出を意識していたわけではなく,制作の過程で長井が発した「ベタに行こうぜ」という号令とともに徐々に泣きの演出に舵を切っていったということらしい。*2 そしてこの号泣路線を加速させるきっかけとなったのが,先ほどの「secret base」の採用と,第1話放映後の視聴者の反応だった。長井は以下のように回想している。

1話が妙にネットの評判がよかったという話を聞いて,そこには震災(の影響)があるんだろうな,と思って。[…]お客さんの心の中に,多分,素直に別のことで泣きたい,という気持ちがあるんじゃないのかって。[…]じゃあ,もっと加速をかけて,気持ちよく泣いてもらおうと思いました。*3

『あの花』放映直前に発生した2011年の東日本大震災は,『あの花』という作品の成立にとって大きな意味を持っていた。そしてあの震災に限らず,人は一人ひとり,忘れられない「あの日」の記憶を抱えている。それは純粋に楽しかった思い出かもしれないし,大切な誰かの死が刻み込まれた思い出かもしれない。いずれにせよ,『あの花』を観る人それぞれの中に具体的な日付を伴った「あの日」があるからこそ,この作品はいつまでも“号泣アニメ”たりうるのだろう。『あの花』は,観る人をそれぞれの「あの日」に“回帰”させる強い引力を持った作品なのだ。

 

〈回帰〉から〈離脱〉へ

その後,長井・岡田・田中の3名は,「超平和バスターズ」という,それ自体が『あの花』の秘密基地を回帰的に示唆するユニット名を用いながら,劇場作品『ここさけ』(2015年)と『空青』(2019年)を手がけていく。彼らはこの2作品の制作パフォーマンスにおいて,「秘密基地」を「山の上のラブホテル」や「お堂」へと転調させつつも,『あの花』でも舞台となっていた“秩父”というトポスを定点とし,“回帰(閉鎖)から離脱(解放)へ”というテーマを明確にしていく。

『ここさけ』では,両親の離婚の原因となった自分の言葉を内に閉じ込めてしまった少女・成瀬順が主人公となる。散文的な言葉を発すると腹痛を起こしてしまう順は,歌の中に心の内を解放する手立てを見出し,地域交流会のためのミュージカル上演に積極的に関わっていく。しかし恋心を抱いていた坂上拓実の本心を知ってしまった彼女は,ミュージカルの本番直前,家族の不和の発端である山の上のラブホテル(それは“大人の秘密基地”であると同時に,その廃墟化した姿は“過去”を強く暗示している)に逃避=回帰し,再び心に鍵をかけようとする。しかし順は,拓実に率直な言葉を投げつけることによって,ショック療法的に心の閉鎖性から解放されることに成功する。この物語では「玉子」「ラブホテル」といったイメージが閉鎖性のメタファーとして機能するとともに,それらが秩父の盆地上の地形の閉鎖性と重ね合わせられる。

『心が叫びたがってるんだ。』より引用 ©︎KOKOSAKE PROJECT

この『ここさけ』公開後から2年後の2017年,岡田麿里は自伝『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』の中で,自らの出身が秩父であったことを公式に明かしている。じんたんと同じ登校拒否児(ひきこもり)であった彼女は,その敏感かつ内省的な感受性によって秩父というトポスを「緑の檻」と捉え,それと対照的な「外の世界」を常に意識していた。彼女が母親の「彼氏」の暴力から逃れる一幕の描写にはこうある。

外の世界とは山で隔離された秩父の,そのまた壁で隔離された家の中の……そして今日は,部屋どころか物置部屋の押入れの中の。私はどれだけ深くまで逃げこんでいくんだろう。外の世界が,どんどん遠ざかっていくのを感じているのに。*4

そして次作『空青』では,秩父の閉鎖性からの“離脱(解放)”というモチーフがよりいっそう明確に主題化される。冒頭のシーンにおける相生あおいの「盆地ってさ,結局のところ壁に囲まれてるのと同じなんだよ。私たちは巨大な牢獄に収容されてんの」というセリフが,学生時代の岡田の心情を代弁したものであることは言うまでもない。この秩父の閉鎖性は,しんのが思い出を閉じ込める「ギターケース」,13年前のしんのが現れる「お堂」(しんのは当初このお堂から外に出ることができない),あかねが閉じ込められる「トンネル」のシーンに重ね合わせられ,クライマックスに向けてそこからの“離脱(解放)”の過程が描かれる。

『空の青さを知る人よ』より引用 ©︎2019 SORAAO PROJECT

 

再び〈回帰〉へ

しかしこの作品のポイントは,秩父=閉鎖性からの単純な逃避を描いたわけではないところにある。あおいの姉・あかねは,慎之介の誘いを断って秩父にとどまることを選択した。彼女はいわば秩父という“回帰点”の象徴のようなキャラクターである。あおいは秩父からの離脱を望みながらも,あかね=秩父のことを深く思いやっている。そして上京した後に挫折した慎之介も,あかねの元に“回帰”することによって己の本心(=しんの)と対峙し、未来への希望を取り戻す。

よく知られているように,『空の青さを知る人よ』というタイトルは,「井の中の蛙大海を知らず」という荘子の言葉に後年付け加えられたとされる,「されど空の青さを知る」という句から取られている。それは「井の中の蛙」というネガティブなイメージに,“狭量だからこそ見えてくる深い本質がある”という肯定的評価を付加したものと考えられる。ラストシーンにおけるあおいの「ああ,空…くっそ青い」というセリフには,この両義的な否定・肯定感が端的に表れている。短いながらも見事な“タイトル回収”である。

『空の青さを知る人よ』より引用 ©︎2019 SORAAO PROJECT

しんのとあおいの飛翔シーンに関する岡田のコメントを見ると,この秩父という土地へのアンビバレントな評価は彼女の中にもあったようである。

[…]空を飛ぶと秩父の景色が見えるからいいなと思いました。私はこれまで秩父を描いた時に,「緑に囲まれている」とか「緑の牢獄」とかそんなことばかりを書いてきたんです。だから三部作[引用者註:『あの花』『ここさけ』『空青』のこと]のラストでは飛んでそこから抜け出すんだなと。そして秩父を上から見下ろしたらこんなにきれいだったのか,というところに到達できたら三部作としてはいいんじゃないかと。*5

『あの花』から始まり,『ここさけ』『空青』へと至る“秩父三部作”の中で描かれていたものは,“回帰(閉鎖)からの離脱(解放)”であると同時に,“回帰することへの肯定”だったと言える。時間が停滞した「あの日」から脱することを欲しながらも,「あの日」に停滞する自分の心の内を否定することはない。そうした,アンビバレントではあるが真に迫った心の有り様をこの作品は描いている。

さてこうして見た時,すでに『あの花』の中にもこのようなテーマ意識が表れていたことに気づく。最終話のめんまとの別れのシーンを思い出してみよう。じんたん,あなる,ゆきあつ,つるこ,ぽっぽ,そしてめんまは,「秘密基地」から外に出て,秩父の風景を見渡すことのできる野外で「かくれんぼ」をする。実はこの別れのシーンに関しては,秘密基地の中と野外のどちらを舞台にするかという問題が制作段階で生じたらしいが,最終的に野外のシーンが選択された。長井によれば,その時「秘密基地で終わっちゃうと,閉じた話で終わりそうな感じがして,なんとなくこう開けた場所に持ってきたい」という気持ちがあったそうだ。*6

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』より引用 ©︎ANOHANA PROJECT

そしてエピローグでは,じんたんが再び秘密基地の中に戻ってくる。彼は一人佇みながら,「超平和バスターズ」の横にめんまが書き加えた文字を見つめる。「俺たちは大人になっていく。だけど,あの花は,きっとどこかに咲き続けてる。そうだ,俺たちはいつまでも,あの花の願いを叶え続けてく」というモノローグとともに秘密基地を後にし,外で待つ仲間たちのもとに向かう

「秘密基地」=「あの日」は“帰る場所”であると同時に,“そこから離れ未来へと向かう場所”でもある。未来へ向かって進み成長しながら,時として不意に訪れる「あの日」の記憶に回帰し,またそこから離脱して前に進み直す。「超平和バスターズ」が辿り着いた最終解は,そうした絶えず延長していく楕円軌道のような生の歩みだったのかもしれない。

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』より引用 ©︎ANOHANA PROJECT

 

さて,岡田麿里監督の新作『アリスとテレスのまぼろし工場』では,リアルな秩父とは少々趣の異なる舞台が登場する。しかしそこでは,〈秩父三部作〉に表れていたのと本質的には同質の問題意識がより深くーーただしまったく違った形でーー追求されている。ここではこれ以上の詳細を述べることはやめておこう。9月15日以降,皆さんの目で確かめていただきたい。

 

 

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作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』

【スタッフ】
原作:超平和バスターズ/監督:長井龍雪/脚本:岡田麿里/キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀/プロップデザイン:冷水由紀絵/アートアドバイザー:石垣努/美術監督:福島孝喜/色彩設計:中島和子/CG・撮影監督:那須信司/編集:西山茂/音楽:REMEDIOS/音楽プロデューサー:佐野弘明/音響監督:明田川仁/アニメーション制作:A-1 Pictures

【キャスト】
宿海仁太(じんたん):入野自由/本間芽衣子(めんま):茅野愛衣/安城鳴子(あなる):戸松遥/松雪集(ゆきあつ):櫻井孝宏/鶴見知利子(つるこ):早見沙織/久川鉄道(ぽっぽ):近藤孝行

 

『心が叫びたがってるんだ。』

【スタッフ】
原作:超平和バスターズ/監督:長井龍雪/脚本:岡田麿里/キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀/音楽:ミトクラムボン),横山克/演出:吉岡忍/美術監督:中村隆/プロップデザイン:岡真里子/色彩設計:中島和子/撮影・CG監督:森山博幸/編集:西山茂/音響監督:明田川仁/制作:A-1 Pictures

【キャスト】
成瀬順:水瀬いのり/坂上拓実:内山昂輝/仁藤菜月:雨宮天/田崎大樹:細谷佳正

 

『空の青さを知る人よ』

【スタッフ】
原作:超平和バスターズ/監督:長井龍雪/脚本:岡田麿里/キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀/音楽:横山克/演出:黒木美幸/美術監督:中村隆/色彩設計:中島和子/セットデザイン:川妻智美/撮影・CG監督:森山博幸/編集:西山茂/音響監督:明田川仁制作:CloverWorks

【キャスト】
相生あおい:若山詩音/相生あかね:吉岡里帆/金室慎之介(しんの):吉沢亮

 

商品情報

 

*1:『月刊アニメスタイル』第6号,p.33,株式会社スタイル,2012年,

*2:同上,p.33

*3:同上,p.39

*4:岡田麿里『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』,p.103,文藝春秋,2017年。

*5:『空の青さを知る人よ』Blu-ray Box所収の「SPECIAL BOOKLET」より。

*6:『あの日見た花の名前を僕たちは知らない』Blu-ray Box所収の最終話オーディオコメンタリより。