アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

もっと違和感を!

小説,哲学書,映画,マンガ,アニメ,絵画,何でもいい。ある種の“難解な”作品を読んでいて,あるいは観ていて,どうしても「わからない」と思う瞬間がある。あるいは,登場人物のキャラクターにどうしても共感できない瞬間がある。そんな時,人はたいていその作品に少なからず苛立ちを覚えるものだ。僕にもそういう経験は多くある。

 

アンリ・ベルクソンの『物質と記憶』は平易な用語なのに難解である。

夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読むと主人公の狂気に感染しそうになる。

テオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』は歴史なのか物語なのかさっぱりわからない。

『serial experiments lain』は何度観てもさっぱりわからない。

 

この種の作品に遭遇した時,若い頃は「この作品は自分には合わないのだ」とか,あるいは端的に「つまらないに違いない」などと断定して拒絶することも多かった。わかりやすい物語や共感できるキャラクターを相手にしていた方がより健全だ。少なくとも読書や映画鑑賞をしながらわざわざストレスを感じるというのは,文化的な営みとしてどこか倒錯している気がする。

しかし近頃では,本当にそうだろうかと思うことが多くなった。今現在の思考・嗜好に合わないものこそ,自分の独善的な評価軸をいったんバラバラに解体し,1つひとつの要素を再検証し,新たな要素を導入した上で再構成するきっかけを与えてくれるのではないか。そうすることによって,作品鑑賞のレンジは大幅に広がるのではないか。

もちろん,共感すること自体が悪いというわけではない。登場人物への共感は物語世界への没入感を高めてくれるし,それによって作品理解は深まるだろう。しかしその共感があまりにも容易すぎるものだった場合,そしてそれが何度も繰り返されてしまう場合,まるで真っ直ぐなホースにただ水を流すだけのように,咀嚼も消化も吸収も起こらずに消費されてしまう可能性がある。そうなれば,作り手の側にも受けての側にも豊かな変化は生じないだろう。「なろう系異世界転生モノ」が再生産される現状に,生産性が乏しい1つの理由だ。

自分の価値観の外側にある作品と正面から向き合い,それを理解しようと努めることは,時として膨大な時間を要するかもしれない。しかしそれに少しでも成功すれば,自分の現在の脳細胞の組成と配列が根本から変わってしまうような体験ができるかもしれないのだ。

理解しようと努めた結果,やはり自分の価値観とは合わない,という結論に達するかもしれない。場合によっては“許せない”という所感を抱くかもしれない。そんな時は,その作品の価値世界を自分の外側に置いたままにすればいい。しかしその作品に触れたことで,ほんの少しでも自分の側に組成変化が起こったのであれば,もう一度それを評価し直すチャンスなのかもしれないのだ。

“違和感”こそチャンスである。“きれい”“かわいい”“わかる”に加え,“何だこれは?”という感動ポイントを作ろう。作品を鑑賞した時の違和感の疑問符が多ければ多いほど,次の作品鑑賞への広がりが増す可能性があるかもしれない。これが,僕がアニメ作品を鑑賞する際に心に留めていることの1つである。

TVアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2011年)レビュー[考察・感想](「リアルサウンド映画部」掲載記事紹介)

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『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』公式Twitterより引用 ©︎ANOHANA PROJECT

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2011年に放映された『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』は今年で10周年を迎え,明日8月28日(土)には「ANOHANA 10YEARS AFTER Fes.」と題されたイベントが秩父で開催される。

今回「リアルサウンド」に掲載した記事では,長井龍雪・岡田麿里・田中将賀の「超平和バスターズ」が,『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』『心が叫びたがってるんだ。』『空の青さを知る人よ』のいわゆる“秩父三部作”において描き出した〈回帰(閉鎖)から離脱(解放)〉,そして〈回帰の肯定〉という一連のテーマ意識に着目した。(再)鑑賞の際にご一読頂ければ幸いである。

realsound.jp

『あの花』という作品が10周年を迎えたことには大きな意味がある。多くのファンがこの作品の魅力に立ち帰り,それぞれの「あの日」に想いを馳せることで,この作品のライトモチーフである〈「あの日」への回帰〉というテーマが現実世界において実演されるからだ。そして僕らは今後幾年もの間,『あの花』という稀有な傑作を語り継ぎ,その魅力に都度立ち返っていくことだろう。

作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】原作:超平和バスターズ/監督:長井龍雪/脚本:岡田麿里/キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀/音楽:REMEDIOS/美術監督:福島孝喜/色彩設計:中島和子/撮影・CG監督:那須信司/編集:西山茂/音響監督:明田川仁/アニメーションプロデューサー:岩田幹宏/チーフプロデューサー:清水博之山本幸治/プロデューサー:斎藤俊輔尾崎紀子/アニメーション制作:A-1 Pictures

【キャスト】じんたん(宿海仁太):入野自由/めんま(本間芽衣子):茅野愛衣/あなる(安城鳴子):戸松遥/ゆきあつ(松雪集):櫻井孝宏/つるこ(鶴見知利子):早見沙織/ぽっぽ(久川鉄道):近藤孝行/宿海篤:小形満/じんたん(幼少):田村睦心/ゆきあつ(幼少):瀬戸麻沙美/ぽっぽ(幼少):豊崎愛生/春菜:水原薫/亜紀:牧野由依 

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2021年 夏アニメ 中間評価[おすすめアニメ]

*この記事にネタバレはありませんが,各作品の現時点までの話数の内容に言及しています。未見の作品を先入観なしで鑑賞されたい方は,作品を先にご覧になってから本記事をお読みください。

2021年夏アニメも多くの作品が折り返し地点に差しかかっている頃だ。今回の記事では,現時点までの当ブログ注目作品を五十音順にいくつか取り上げてみたい。

なお「2021年 夏アニメは何を観る?」の記事でピックアップした作品は,タイトルを赤字にしてある。

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1. かげきしょうじょ!

kageki-anime.com

当初あまり注目していなかったのだが,第三幕「クマのぬいぐるみ」で奈良田愛の過去が明かされて以降,面白さが加速している作品だ。渡辺さらさを中心に置くことで,女性だけの歌劇団の世界と男性だけの歌舞伎の世界を対比させると同時にその交点を示し,“舞台の世界”を重層的に描いている点がたいへん面白い。また,描線のタッチを微妙に変えることで,“表”であるきらびやかな歌劇の世界と,“裏”であるキャラクターの心の闇を描き出す演出も見応えがある。過度な撮影効果を避けたシンプルな画作りもこの作品には合っているだろう。今後も米田和弘監督の手腕に期待しつつ,最後まで見届けたい。

2. 小林さんちのメイドラゴンS

maidragon.jp

2019年の事件以降,初めての京アニ元請TVシリーズということもあり,当初は特別な感情を抱きながら観始めることになったわけだが,蓋を開けてみれば平常運転どころかフルスロットル,京アニの技術力が炸裂した超傑作だった。新監督の石原立也は第1期監督の武本康弘の流儀を踏襲しながらも,京アニらしい繊細な演出をより前面に押し出している印象がある。

毎回のように魅力的なカットを繰り出してくるので,Twitterで「注目カット」をツイートすることにしている。参考までにご覧頂きたい。

もちろん,優れているのは画作りだけではない。日常と異世界が交代する際の空気感の転調が面白く,特に今回はトール,エルマ,イルルに関してキャラクターの二面性を楽しめる物語構造になっている。また“異種族間の相互理解”というテーマについても茶化すことなく丁寧に表現されており,単なるギャグアニメを超えた寓話作品としての品格も感じられる。

今期最注目の作品であると同時に,京都アニメーションの代表作の1つとなるであろうことは間違いない。 

3. Sonny Boy

anime.shochiku.co.jp

毎回,予想もつかないシュールな世界設定を繰り出してくる脚本には唯々驚くばかりだ。その奔放な発想は,どことなくミヒャエル・エンデの『はてしない物語』(1979年)の後半の展開を思わせるところがある。あるいは『serial experiments lain』(1998年夏)以来の“難解アニメ”と称してもいいかもしれない。

特筆すべきは美術設定だろう。アニメの世界観の同一性を保証するはずの背景美術をあえて各話ごとに断絶させることによって,この作品における“漂流”がただならぬものであることを暗示している。“異世界転生”ならぬ“非世界転送”とでも言うべきだろうか。登場人物たちが「世界のルール」を模索するという設定も面白い。

ただしいたずらに突飛な設定を撒き散らしているわけではなく,脚本や設定はかなり練られている印象だ。“極限状態に置かれた少年たちの群像劇”というテーマもしっかり語られている。文字通り未知数の多い作品だが,最後まで見届ける価値は十分にあるだろう。 

4. ひぐらしのなく頃に 卒

higurashianime.com

『ひぐらしのなく頃に業』(2020年秋-2021年冬)に対する解答編。何といっても見どころは北条沙都子と北条鉄平の関係だ。旧作では絶対と思われた2人の力関係を逆転させたことにより,常に悲境の身の上にあった沙都子というキャラクターを完全に“ゲームマスター”に格上げしている。視聴者の度肝を抜きながらも,なるほどと思わせる脚本の説得力は高評価に値する。

作画の洗練度も数段増し,『業』よりも渡辺明夫のデザインがしっくりハマるようになったと思われる。また北条沙都子役のかないみか,園崎魅音・詩音役のゆきのさつき,竜宮レナ役の中原麻衣を筆頭に声優陣の演技がとても素晴らしく,旧作から15年を経て衰えるどころか格段にパワーアップしている。特に第1話から第3話の「鬼明し編」における中原麻衣の演技は特筆に値するだろう。

5. マギアレコード 魔法少女まどか⭐︎マギカ外伝 2nd SEASONー覚醒前夜ー

anime.magireco.com

2021年冬クールに放映された1st SEASONに引き続き,劇団イヌカレーの描き出す独特な世界観が目を引く佳作だ。8月放映開始だったため,本記事執筆時点で第3話までしか放映されていないが,すでにハイクオリティなカットや名シーンがいくつも披露されている。特に第3話『持ちきれないほどあったでしょ』における七海やちよと環いろはの再会シーンは,キャラクターの動きの細部に至るまで繊細に作画されており,今期作品の中でも必見の名シーンだ。また,まどかを中心とする原作メインキャラの活躍も示唆されているため,原作ファンも見逃せない展開になりそうである。2021年末に『Final SEASON』の放映も予定されている。長く楽しめる作品になりそうだ。

  

以上「アニ録ブログ」が注目する5作品を挙げてみた。最終的なランキング記事は,全作品の放映終了後に掲載する予定である。

劇場アニメ『サイダーのように言葉が湧き上がる』(2021年)レビュー[考察・感想]:記号化する風景×「湧き上がる」声

*このレビューはネタバレを含みます。

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『サイダーのように言葉が湧き上がる』公式HPより引用(なお,コロナ感染拡大により,公開は2021年7月22日(祝・木)に延期) ©︎2020 フライングドッグ/サイダーのように言葉が湧き上がる製作委員会

cider-kotoba.jp


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『サイダーのように言葉が湧き上がる』は,フライングドッグ10周年記念作品として製作された劇場アニメ作品である。『四月は君の嘘』(2014年秋-2015年冬)や『Occultic;Nine -オカルティック・ナイン-』(2016年秋)などのTVアニメ作品を手がけてきたイシグロキョウヘイが監督を務める。イシグロの初劇場アニメ監督作品となった本作は,ストーリーこそシンプルで派手さを誇示することはないものの,緻密で計算された画作りと練りに練られた音響理念によって,映像作品として高い完成度を示している。

 

あらすじ

人との会話が苦手だが,俳句を詠んでSNSに公開するのが趣味の少年チェリーと,大人気のネット動画配信主でありながら,コンプレックスを隠し続ける少女スマイル。ある日,ショッピング・モールで偶然出会った2人は,SNSを仲立ちとしながら徐々に心を通わせていく。そんな時,2人はアルバイト先の老人フジヤマがとあるレコードを探していることを知り,一緒に探すことを決意するのだった。

風景を詠/読む

現代のアニメにはーー少なくともその多様な潮流の一部分にはーー“リアリズム”という一種のオブセッションがある。

例えば新海誠や山田尚子などの作家は,カメラワーク,レンズ効果,そしてとりわけ背景美術などに高い度合いのリアリティを求めることが知られている。アニメーション技術(なかんずく撮影技術)の向上は,アニメの中に“リアルな美しさ”を求める感性を生み出した。むろん,アニメである以上は現実そのままということにはならないが,彼ら/彼女らの作品が,リアリズムに立脚点を置きながら現実世界をアンプリファイした“美”を生み出している点は否定のしようがないだろう。

イシグロキョウヘイ監督の『サイダーのように言葉が湧き上がる』(以下『サイダー』と省略)は,そうしたリアリズムのオブセッションを実にあっさりと払い除けている。彼は鈴木英人わたせせいぞう永井博のような1980年代のイラストレーターのビジュアルイメージに範を求めつつ,現実の風景を大胆に読み換えてしまう。

とりわけ特徴的なのは,主線によってシルエットを強調した背景美術だ。イシグロと美術担当の中村千恵子は,吉田博や川瀬巴水などの版画家を参考にしたというが,確かに本作の美術は版画作品のように主張の強い主線が際立っている。

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『サイダーのように言葉が湧き上がる』公式Twitterより引用 ©︎2020 フライングドッグ/サイダーのように言葉が湧き上がる製作委員会

青空に浮かぶ雲は特に印象的だ。屋外のシーンでは常にシルエットのはっきりとした雲が空に浮かび,キャラクターの輪郭線と絶妙なレイアウトを成している。巨大でリアルな入道雲を単発的かつ象徴的に使用する細田守作品などと比べると,その印象が好対照を成していて面白い。

こうしたビジュアルを使う意味はいくつかあるだろう。その1つは1980年代的なカルチャーイメージの引用だ。例えば本作のビジュアル面でのモデルとなった鈴木英人は,「シティ・ポップ」の代表的アーティスト山下達郎のジャケットデザインを多く手がけたことでよく知られる。

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「山下達郎オフィシャルサイト」より引用

「シティ・ポップ」とは,1970年代から1980年代にかけて登場した,“都会的で洗練された雰囲気を持つポピュラー音楽”を指す少々曖昧なジャンルなのだが,ここにカテゴライズされていたアーティストの中には,『サイダー』の劇中歌「YAMAZAKURA」を歌った大貫妙子もいる。つまり本作はビジュアルと音楽の2つの側面において,当時の「シティ・ポップ」的な空気を引用しているわけだ。

しかし単に一昔前のアーバンなオシャレ感を演出するというだけでは,レトロな音楽PV以上のものにはならないだろう。この美術スタイルの選択には,表層的なビジュアル効果以上の意味がある。

イシグロは『サイダー』の制作過程を紹介するYouTubeチャンネル「サイコトちゃんねる」の中で,近年「リアル調」の美術から「イラスト調」で「記号で成り立つような,情報を削ぎ落とした」美術に関心が移ってきたことを述懐している。*1 この〈記号〉という要素が,本作にとって極めて重要な意味を持つのだ。

例えばイシグロによれば,作中に繰り返し登場する農道の「轍」は,チェリーとスマイルの「心の距離」を表しているという。*2 風景の主線を強調し,細部の情報を削ぎ落とすことにより,風景を心情を表す〈記号〉として読解可能にしているのだ。

この〈風景の記号的読解〉は,作中のモチーフとしても用いられている。そもそも俳句とは,風景の中から季節や情緒を抽出して言語化する作業だ。農道を歩きながらスマイルに俳句を詠むよう促されたチェリーが,彼女の背後に見えた街灯(これ自体が星形に〈記号〉化されている)から季語である「夏灯」を読み取り,「夕暮れのフライングめく夏灯」という句を〈詠んだ〉時,彼は風景を記号的に〈読んで〉いたのだ。

こうして,背景美術とその主線は〈記号〉としての意味作用を担うことにより,ビーバーがタギングする文字の線やチェリーが詠む俳句と同一平面上で融合していく。本作における美術とメッセージ性との間の不思議な統一感がこのようにして生まれている。

カリカチュア:批判的距離

イシグロは「サイコトちゃんねる」の中で,アニメーターの宮澤康紀が手がけた冒頭のアクションシーンの原画を紹介している。*3 

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「サイコトちゃんねる #7」より引用 ©︎2020 フライングドッグ/サイダーのように言葉が湧き上がる製作委員会

上の画像は,逃げ惑うビーバーを追いかける元プリのカットだが,宮澤の天才的な身体デフォルメが決まりに決まった名カットだ。この一連のシーンは,『サイダー』の中でも唯一のアクションシーンとして一際異彩を放っている。一見,作品全体の雰囲気の中で“浮いた”感のあるこの宮澤の仕事は,イシグロが作品に込めた理念を強力に代弁している。

イシグロはアニメ作品に関して「カリカチュア」という言葉をしばしば用いる。本来カリカチュアとは,現実を誇張したり滑稽化したりすることで現実を批判的に風刺する手法のことだ。現実を忠実に写しとるのでもなければ,それをアンプリファイするのでもなく,むしろ現実を自由に読み換えることで現実と批判的な距離を保つ。おそらくそれは湯浅政明のようなクリエーターの理念にも通じるところがあるだろう。

イシグロは超現実的な美術や作画によって,意識的に現実と距離を保つ。それはアニメのクリエーターとしての,一種の批判的態度表明と言えるかもしれない。あえて非現実的な表現をすることで,現実にはありえないことをアニメ固有の文法で表現し,現実を逆照射するわけだ。しかしだからと言って,この作品が現実離れしたカリカチュアに終始しているというわけではない。そこにティーネイジャーたちの生々しくリアルな“声”が独自のリズムとリアリズムとして導入されている点を見逃してはならない。

「湧き上がる」生の声

『サイダーのように言葉が湧き上がる』というタイトルは本作のメッセージにとって極めて意義深い。そこには,感情の直接的発露としての言葉の運動がーーまさしく俳句の特性としてーー端的に表されているからだ。

伝統的な俳句の作法は〈縦書き〉だ。そこでは当然,文字は上から下へと下降していく。ショッピングモールの中で行われた「陽だまり」のメンバーによる吟行では,チェリーと老人たちが短冊に縦書きで俳句を詠む。この時,チェリーは先生に自作の俳句を朗読するよう促されるのだが,“コミュ障“である彼はうまく言葉を発することができない。文字の下降に心の下降が重なる。

一方,普段のチェリーは俳句をSNSにアップしている。その文字列は〈横書き〉だ。重力に抵抗するかのように水平に生み出されていく文字列が,スマホの画面に軽快にポップアップし,やがてビーバーのタギングという媒介によってモール中に,そして街中に溢れかえっていく。コミュ障であるチェリーの中に,汲めども尽きぬ言葉の源泉が存在することを感じさせる。「言葉が湧き上がる」という言語表現の浮遊感が,ここで的確に映像化されている。

ここにチェリー役の市川染五郎の若草のような初々しい演技が加わる。当初イシグロ監督はチェリーの配役に相当悩んだらしい。元々イシグロは,キャラクターとキャストとの間のアイデンティティ(年齢,性別等に関する)を重視していなかったが,ある時から,チェリー役にはチェリーと同年代のキャストを当てるのがふさわしいと感じるようになったのだという。そこで白羽の矢が立ったのが市川染五郎というわけだ(チェリーの設定年齢は17歳,市川染五郎は収録当時14歳)。*4

イシグロは劇場プログラムに掲載された対談の中で,チェリーの声のイメージを次のように表現している。

声変わりの最中か終わりかけの頃の,ミックスボイスっぽい感じ。低い音と高い音が混じり合っていて,ときどきひっくり返るみたいな。*5

映画の終盤,チェリーはモールで行われている「だるま祭り」のやぐらに駆け登り,「やまざくら〜」の句をいくつもアレンジしながらスマイルに投げかける。この時のチェリー=染五郎は,まさしく「ときどきひっくり返るみたいな」瞬間を示しつつ,心の底から「湧き上がる」言葉を生のまま声にしているようだ。このシーンでは,「やぐらに駆け上る」という上昇運動に「言葉が湧き上がる」という上昇運動が重ね合わせられている

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『サイダーのように言葉が湧き上がる』公式Twitterより引用 ©︎2020 フライングドッグ/サイダーのように言葉が湧き上がる製作委員会

近年,劇場アニメ作品における非職業声優の起用に対する批判をよく耳にする。確かに,キャラクターを度外視し知名度だけを狙ったキャスティングは,作品の質を著しく落とす危険性がある。とりわけ日頃から職業声優の仕事をリスペクトしているアニメファンにとっては許し難いことだろう。しかしだからと言って,“俳優のキャスティング即否認”という反応はあまりにも短絡的だ。時として,非職業声優の声のリアリティが作品のリアリティと奇跡のように合致することもある。本作における市川染五郎の声に関しては,“歌舞伎俳優”という先入観を取り除いてジャッジした時,チェリーのキャラクターと不可分と言えるほどのマッチングを示したのではないかと僕は考える。

そして“声”という点においてさらに面白いのは,『サイダーのように言葉が湧き上がる』というタイトルも含め,作中に登場する俳句の多くが,現役の高校生(当時)が創作したものを採用している点だ。先ほども触れた「夕暮れのフライングめく夏灯」などのように,時としてやや荒削りな言葉の配合が直球の如く観客の心を打つ。大人の作った出来合いの世界に,大人が剪定していないリアルな青春の声を取り入れ,あろうことか作品のタイトルにまでしてしまうというこの大胆さ。この作品にどこか生々しい青春味を感じるゆえんではないだろうか。

セルフ・アナトミー

最後に,『サイダー』という作品にとってもう1つ特徴的なのが,本記事でも度々取り上げたYouTubeチャンネル「サイコトちゃんねる」だ。絵コンテ,原撮,タイムシートから美術や劇伴のコンセプト,はては企画の成立過程に至るまで,イシグロ自らが詳細に語る極めて興味深いチャンネルである。劇場アニメの監督が自らここまで作品を分析・解体し,手の内をさらけ出すというのもかなり珍しいだろう。アニメファンだけではなく,アニメの制作に携わる人たちにとっても有益な情報が貴重なチャンネルだ。当記事で言及できなかった音楽の要素についても詳しく解説がなされている。特に音楽と映像で構成した「ポリリズム」に関する説明はとても面白く,音楽とアニメの新たな可能性を感じさせる。*6 

イシグロのこうした“自作解剖”の作業によって,『サイダー』という作品は不可侵で権威的なマスターピースというよりは,誰にとっても親しみやすく近づきやすい作品として“完成”する。それは,かつてビデオデッキのコマ送り機能によって作品の細部を分析し味わい尽くしたあの“作画オタク”たちの解剖学的な眼差しを,自身の作品に自己言及的に差し向けた格好だ。これから作品を鑑賞する方もすでに鑑賞された方も,ぜひ「サイコトちゃんねる」を鑑賞し,監督のオタク的眼差しを通して作品の細部に分け入ってみることをお勧めする。

作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】原作:フライングドッグ/監督・脚本・演出:イシグロキョウヘイ/脚本:佐藤大/キャラクターデザイン・総作画監督:愛敬由紀子/音楽:牛尾憲輔/演出:山城智恵/作画監督:金田尚美エロール・セドリック西村郁渡部由紀子辻智子洪昌熙小磯由佳吉田南/原画:森川聡子/プロップデザイン:小磯由佳愛敬由紀子/色彩設計:大塚眞純/美術設定・レイアウト監修:木村雅広/美術監督:中村千恵子/3DCG監督:塚本倫基/撮影監督:棚田耕平関谷能弘/音響監督:明田川仁/アニメーションプロデューサー:小川拓也/アニメーション制作:シグナル・エムディ×サブリメイション

【キャスト】チェリー:市川染五郎/スマイル:杉咲花/ビーバー:潘めぐみ/ジャパン:花江夏樹/タフボーイ:梅原裕一郎/ジュリ:中島愛/マリ:諸星すみれ/紘一:神谷浩史/まりあ:坂本真綾/フジヤマ:山寺宏一/つばき:井上喜久子

【上映時間】87分

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
4 4.5 5 5
CV ドラマ メッセージ 独自性
4 3 4 4
普遍性 考察 平均
4 4.5 4.2
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・「平均」は小数点第二位を四捨五入。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

商品情報   

*1:サイコトちゃんねる #11

*2:サイコトちゃんねる #15

*3:サイコトちゃんねる #7

*4:サイコトチャンネル #18

*5:『サイダーのように言葉が湧き上がる』劇場プログラム,p. 17,2021年。

*6:サイコトちゃんねる #16

劇場アニメ『竜とそばかすの姫』(2021年)レビュー[考察・感想]:バーチャル/リアル二元論問題

*このレビューはネタバレを含みます。

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『竜とそばかすの姫』公式Twitterより引用 ©︎2021 スタジオ地図

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細田守監督オリジナル作品の第6作目であると同時に,『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』(2000年),『サマーウォーズ』(2009年)に続いて“仮想世界を描いた『竜とそばかすの姫』。異なる世界を往来しながらアイデンティティを自問するというこれまでのテーマに,中村佳穂演じるベルの歌唱を加えることで,ミュージカル映画としての要素を打ち出した意欲作である。はたして『竜とそばかすの姫』は前作『サマーウォーズ』を「超える」ことができたのか。

 

あらすじ

高知の田舎町に住む高校生のすずは,幼い頃に母を亡くし,父と2人暮らしをしている。かつて大好きだった歌は母の死とともに歌えなくなり,父との関係もぎくしゃくしている。ある日,すずはインターネット上の仮想世界〈U〉に参加し,「ベル」という分身 ー「As」と呼ばれるー を作る。ベルとなった彼女は再び歌をうたう勇気を取り戻し,多くのユーザーから賞賛される歌姫として活躍するようになる。そんな時,彼女は〈U〉の世界を脅かす凶暴な存在「竜」と出会うのだった。

仮想世界と現実世界

物語はインターネット上の仮想空間〈U〉の描写から始まる。やや無機質に響く「ようこそ〈U〉の世界へ」という音声ガイドとともに,カメラは広大なバーチャルワールドに分け入っていく。

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『竜とそばかすの姫』公式Twitterより引用 ©︎2021 スタジオ地図

この冒頭シーンは『サマーウォーズ』のそれと(おそらく意図的に)同じ構造になっている。それは両者が連続した世界であることを暗示しているのかもしれない。ただし,『サマーウォーズ』の仮想都市「OZ」が丸みを帯びたややコミカルな世界観だったのに対し,建築家エリック・ウォンがデザインした〈U〉は直線的・抽象的で,より緻密で完成された仮想空間として描写されている。この空間に突如,巨大なクジラに乗ったベルが登場し,華麗な姿で「U」を熱唱する。壮大な映像とアップテンポな楽曲が観客を圧倒する。この冒頭数分間のシークエンスだけでも劇場で観る価値は十分にある。

その後,物語は不意に日常の世界へ戻る。そこはいくつかの〈欠落〉が存在する日常だ。マグカップの縁犬の前足,そしてすずの母。〈U〉の直線的で抽象的で完璧な世界とは打って変わって,有機的な植物が生い茂り,流動的で曖昧な入道雲が空に浮かぶ高知の田舎が舞台となる。

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『竜とそばかすの姫』公式Twitterより引用 ©︎2021 スタジオ地図

この〈U〉の仮想世界と高知の現実世界の明瞭な対比が『竜とそばかすの姫』という物語の基本構造なのだが,それは同時に,細田のメッセージ伝達にとって大きな足枷となった可能性がある。

Belle(美女)と竜(野獣)

ベルのキャラクターデザインを手がけたのは,『塔の上のラプンツェル』(2010年)や『アナと雪の女王』(2013年)など,ディズニー・アニメーションのキャラクターデザイナーを務めたジン・キムである。すずの“そばかす”をうまく取り入れた魅力的なデザインと繊細な表情は,この作品のクオリティを数段高める重要な要素となっており,本作に対するキムの貢献度の高さは計り知れない。

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『竜とそばかすの姫』公式Twitterより引用 ©︎2021 スタジオ地図

注目すべきは,ベルの風貌がディズニー・プリンセスの類型そのものである点だ。彼女は『アナと雪の女王』のアナやエルサに引けを取らない ーともすればそれ以上にー 美しく生き生きとしている。一方の竜も,粗暴でありながらも,一部の熱狂的なファンが付くくらいの“カッコよさ”を備えた魅力的な相貌だ。

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『竜とそばかすの姫』公式Twitterより引用 ©︎2021 スタジオ地図

ベルと竜の組み合わせはまさしくディズニー・アニメの金字塔『美女と野獣』(1991年)を彷彿とさせる。これは単なる偶然でも隠し味でもなく,細田が明示的に意図した一種の“オマージュ”である。彼は劇場プログラムに掲載されたインタビューの中で「僕は『美女と野獣』がすごく好きで,特に1991年のディズニー版が大好きなんです」と告白している。*1 また,両作品の主人公の名が「ベル」である点も無視できない。つまり細田は,本作の仮想世界を極めて自覚的に“ディズニー的物語世界”として描き出しているのである。

細田流“美女と野獣”は,少なくともビジュアル面においては確かに大成功を収めている。その点だけでも本作は高評価を受けるに値すると言える。しかし,ベルが唐突に竜に共感し,やがて2人が心を通わせるというプロットは,前世紀の子ども向けディズニー・アニメであれば通用するだろうが,2021年の細田守の劇場アニメーション映画としてはいささか説得力に欠ける。『美女と野獣』という借り物の設定に依存しすぎた感がある。

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『竜とそばかすの姫』公式Twitterより引用 ©︎2021 スタジオ地図

さらに,本作は“同調圧力”や“ネット叩き”といった仮想世界の現実を描いているようでありながら,結局はそれを“主人公対悪役”というファンタジーの類型に変換し,伝統的な物語構造の中に後退してしまっている嫌いがある。その点,「AIの暴走」というリアルな恐怖を描いた前作の『サマーウォーズ』の方が物語としてはるかにスリリングで魅力的だ。

総じて,『サマーウォーズ』と『竜とそばかすの姫』を比べてみた時,映像と音響の面では大きく進化したものの,物語の点ではやや後退したと言わざるを得ない。あるいは,同じくバーチャル・リアリティを描いた『ソードアート・オンライン』シリーズ(アニメ:2012年-)などは,仮想現実と現実の対比を描きながらも,AR(拡張現実)を題材として取り入れ*2,仮想現実と現実が重なり合う重層的な世界を描こうとしたという点で,よりリアリティに肉迫していたと言えるかもしれない。

バーチャル/リアル二元論問題

物語の終盤で,主人公すずは「ベル」という架空の姿を捨てる。彼女はオリジナルの姿のまま〈U〉の世界に降り立ち,オリジナルの姿のまま50億のユーザーを感動させる歌を歌い切る。そして現実世界の〈欠如〉=母の不在と向き合い,同様の〈欠如〉=心の傷を負った竜=恵を絶望から救い出す決意をする。

この超克と救済の物語自体は尊く美しい。しかしその前提となっているバーチャル/リアルの二元世界は,どこか時代錯誤的で新鮮味に欠ける。すでにAR的な技術によって仮想世界と現実とが相互浸透しつつある時代において,仮想現実と現実を虚構と現実のように対立させる発想自体が古めかしく響くのだ。そのアナクロニズムを象徴するかのように,ラストシーンではすずが四国から東京まで物理的に移動し,奇跡のように恵を発見し,身体的な抱擁で心を救うという,徹頭徹尾アナログな結末を迎える。まるで〈U〉という仮想世界が,最終的な救済とは無縁だと言わんばかりに。

おそらくこれは,細田自身が置かれているダブルバインドを示している。彼は基本的にネット世界を肯定的に捉える一方で,現実世界のリアルな触れ合いの中に大きな価値を見出してもいる。『サマーウォーズ』で,健二と夏希が縁側で手を握りあうカットや,幼い侘助が祖母・栄の手を握るカットを丁寧に描いている点からもそれは伺える。だからこそ細田は,2つの世界を往来することで両者の美点を示すという物語構造を取ろうとしたのであろう。しかし仮想世界と現実世界を,まるで虚構と現実のように泰然と別たれた世界として描き出してしまったがゆえに,どっちつかずでぎこちないメッセージ伝達に終始してしまった感がある。

近年,“細田守作品には本職の脚本家を立てるべきだ”という指摘を耳にすることが多くなった。確かに脚本家の奥寺佐渡子を起用しなくなった『バケモノの子』(2015年)以降,物語の粗が目立つようになった。『竜とそばかすの姫』でも,後半のストーリー展開の強引さやサブキャラクターの存在感の希薄さなど,いくつかの不備が目立っていたと言える。

しかし本記事で挙げた問題点に関して言えば,事の本質はもっと深いところに ーそれもおそらく細田守という個人の作家を超えたところにー あるように思う。 それを短いブログ記事の中で的確に名指すことはなかなか難しいのだが,おそらく問題は“バーチャル/リアル”“虚構/現実”“異世界/日常”などといった安易な二元世界の設定にあるのではないかと思う。それは近年,量産され続ける“異世界転生モノ”のマンネリズムとも深い関係があるかもしれない。この硬直した二元論を何らかの形で克服しない限り,細田守流仮想現実譚の次のステージは見えてこないのではないだろうか。

作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】原作・脚本・監督:細田守/企画・制作:スタジオ地図/作画監督:青山浩行CG作画監督:山下高明CGキャラクターデザイン:ジン・キムCGキャラクターデザイン:秋屋蜻一CGディレクター:堀部亮CGディレクター:下澤洋平/美術監督:池信孝/プロダクションデザイン:上條安里/プロダクションデザイン:エリック・ウォン/音楽監督・音楽:岩崎太整/音楽:ルドヴィグ・フォシェル/音楽:坂東祐大/衣装:伊賀大介/衣装:森永邦彦/衣装:篠崎恵美

【キャスト】すず・ベル:中村佳穂/竜:佐藤健/しのぶくん:成田凌/カミシン:染谷将太/ルカちゃん:玉城ティナ/ヒロちゃん:幾田りら/ジャスティン:森川智之/イェリネク:津田健次郎/スワン:小山茉美/ひとかわむい太郎&ぐっとこらえ丸:宮野真守/吉谷さん:森山良子/喜多さん:清水ミチコ/奥本さん:坂本冬美/中井さん:岩崎良美/畑中さん:中尾幸世/すずの父:役所広司/すずの母:島本須美

【上映時間】121分

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
3 4.5 5 5
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
4 3 3
独自性 普遍性 平均
3.5 3.5 3.8
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

商品情報  

 

*1:『竜とそばかすの姫』劇場プログラムより。

*2:『劇場版ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-』(2017年)

2021年 春アニメランキング[おすすめアニメ]

*この記事にネタバレはありませんが,各作品の内容に部分的に言及しています。未見の作品を先入観なしで鑑賞されたい方は,作品を先にご覧になってから本記事をお読みください。

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『オッドタクシー』公式HPより引用 ©︎P.I.C.S./小戸川交通パートナーズ

すでに夏クールアニメの放送も始まっているが,今回の記事では,2021年春アニメの中から特にレベルの高かった5作品をランキング形式で振り返ってみようと思う。なお,以前掲載した「2021年春アニメ 中間報告」からランキングが変化した作品もある。

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5位:『ゴジラ S.P〈シンギュラポイント〉』

godzilla-sp.jp

最も評価されるべき点は,ボンズ×オレンジのアニメーションだろう。手描きと3DCGとの馴染ませ方が独特かつ自然で,TVアニメとしてはかつてないレベルの映像体験を提供してくれた。こうしてアニメーションの表現の可能性が広がっていく様を現在進行形で目にすることができるのは,それだけでも十分に楽しい。それに加え,円城塔の硬派な脚本が物語としての格をグッと高めていた。ただし,やや難解にすぎる用語や説明のせいで“謎が解けた”という快感があまり得られず,人を選ぶ結末になったことは否めない。

4位:『Vivy -Fluorite Eye's Song-』

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純度の高いSF設定と世界観の上にまるで演歌のような情緒を乗せつつ,迫力のアクションとBGMで視聴者を惹きつけた見事な脚本。語ることと魅せることのバランスがとてもうまい作品だった。脚本を手がけたのは長月達平と梅原英司の“リゼロ”コンビだが,ラノベ原作に合わせ長期的に展開している『リゼロ』と比べ,13話の中に緩急がコンパクトに収められている。同じ脚本家による異なる傾向の作品として,両者を比較してみるのも面白いだろう。  

3位:『SSSS.DYNAZENON』

dynazenon.net

『ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉』が“叙事詩的怪獣アニメ”だとすれば,『SSSS.DYNAZENON』は“叙情詩的怪獣アニメ”とでも言うべきだろう。間をたっぷりと使ったセリフ回しや繊細な表情や目線の動きなどによって登場キャラクターの心情を豊かに伝えつつ,怪獣の存在要件に人の「感情」や「情動」というものを設定することで,叙情性を物語のそのものの中に組み入れるという秀逸な脚本が面白い。また,“戦隊モノ”という,前作『SSSS.GRIDMAN』と異なる要素を取り入れる一方で,アンチと2代目(アニシラス)を登場させることで前作との連続性を示し,ファンを楽しませた点も評価できる。「GRIDMAN UNIVERSE」の今後の展開も期待が高まる。

2位:『不滅のあなたへ』

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“命”という原作のテーマを真摯なアニメーションによって丁寧に伝えた『不滅のあなたへ』。原作に忠実な作りを基本としながらも,要所のオリジナル演出,的確な音響,個性的な声優の演技によって,原作のテーマをより豊かに伝えることに成功したと言えるだろう。特に#12「目覚め」におけるグーグーとリーンの物語は多くの視聴者を感動させた。今後“超展開”を迎えていく原作をアニメがどう表現していくか見ものである。

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1位:『オッドタクシー』

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比較的淡々と語られる前半に対し,後半の話数ではヤノというキャラクターの登場によって物語が転調し,ラストは驚きの“どんでん返し”を迎えた『オッドタクシー』。最後まで隙のない緻密な物語と軽妙なセリフ回しが本作の最大の魅力だが,それらは此元和津也の優れた脚本力によるところが大きい。また,丸みを帯びた動物キャラとシリアスな物語とを破綻なく整合させた木下麦の手腕も高い評価に値する。本作によって,木下麦と此元和津也はアニメ制作者としての名を馳せることになるだろう。本作を当該クールの第1位としたい。

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● その他の鑑賞済み作品(50音順)

『さよなら私のクラマー』『シャドーハウス』『スーパーカブ』『戦闘員,派遣します!』『ゾンビランドサガ リベンジ』『バック・アロウ2期』『美少年探偵団』
 

以上,当ブログが注目した2021年春アニメ5作品を挙げてみた。はたして夏クールには,これらを超える作品が現れるだろうか。夏アニメのおすすめに関しては以下の記事を参照頂きたい。

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TVアニメ『オッドタクシー』(2021年春)レビュー[考察・感想]:空を舞うセイウチ,改変される世界

*このレビューはネタバレを含みます。必ず作品本編をご覧になってからこの記事をお読みください。

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『オッドタクシー』公式HPより引用 ©︎P.I.C.S./小戸川交通パートナーズ

oddtaxi.jp


www.youtube.com

木下麦監督/此元和津也脚本『オッドタクシー』は,その緻密な構成と洗練された語り口によって,近年のオリジナルアニメの中でも最も注目すべき作品の1つとなった作品だ。セイウチ,アルパカ,ゴリラ,サルなど,登場人物がすべて動物の姿をしている点も目を引く特徴だ。その意味で,本作は戦前の黎明期のアニメから続く“動物擬人化”の系譜に連なる ー少なくとも当初はそのように見えるー 作品である。

あらすじ

主人公の小戸川は東京でタクシードライバーをしている偏屈な中年男だ。彼の元には,承認欲求丸出しの樺沢,どこかミステリアスな看護師の白川,売れない芸人のホモサピエンスなど,個性豊かな客ばかりが訪れる。やがて「女子高生失踪事件」を中心に,いくつもの必然と偶然が彼ら/彼女らを結びつけていく。

ダイアローグ,モノローグ,ラップローグ

『オッドタクシー』の魅力の1つはキャラクターたちの軽妙なセリフ回しにある。

まず特筆すべきはダイアローグだ。2人の人物の対話を真正面から捉えたカットや,「Aの問いに対し一拍置いた後にBがボケ,間髪入れずAがツッコミを入れる」という間合いの取り方が多用され,まるで上方漫才を見ているかのような心地よい空気感とリズムが生まれている。特に小戸川を演じる花江夏樹の朴訥とした語り口は,この作品全体に独特なリズムを与えている。“セイウチ様の中年”というキャラクターはおそらくこれまでの花江のキャリアにはなかった役どころであり,彼の芸風の広さがうかがえる。

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『オッドタクシー』#2「長い夜の過ごし方」(左)/#3「付け焼き刃に御用心」(右)より引用 ©︎P.I.C.S./小戸川交通パートナーズ

脚本担当の此元和津也は,これまでマンガ家としてのキャリアをメインとしてきた人物だ。彼の代表作である『セトウツミ』(2013-2017年)には上記のようなダイアローグの場面が数多く見られる。その意味で『オッドタクシー』を『セトウツミ』の“応用編”として見ることもできるかもしれない。両作品の洗練された“対話術”をつぶさに比較・分析してみるのも面白いだろう。

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その一方で#4「田中革命」では,田中モノローグが1話分まるごと埋め尽くすという大胆な構成が視聴者を驚かせた。斉藤壮馬演じる田中が淡々と語る自らの生い立ちの中には,“スクール・カースト”や“SNS時代の廃課金”といった現代的な問題が含まれており,『オッドタクシー』という作品がアクチュアリティをベースにしていることを示した話数でもある。その一見本筋とは無関係に思える田中の転落人生が徐々に小戸川たちの運命に接続していく様は,本作の中でも最もスリリングで見応えのある部分だ。

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『オッドタクシー』#4「田中革命」(左)/#7「トリック・オア・トリート」(右)より引用 ©︎P.I.C.S./小戸川交通パートナーズ

そして極めつけは,#7「トリック・オア・トリート」で本格的に登場するヤノである。ヤノには,彼の登場と共に流れるBGMに合わせてラップ調の韻を踏みながら話すという習性があり,二階堂からは「変なリズムで喋る男」(#11「あの日に戻れたら」)と呼ばれている。ヤノのこの語り口が,物語後半のシリアスな展開に極めてシュールなフレーバーを加味している。#12「たりないふたり」で偽金をつかまされたヤノが慌てふためいて韻を踏むのを忘れる,という展開もすこぶる面白い。このユニークなキャラクターのCVを担当したのは本職のラッパーMETEORだ。本作の音楽を担当したPUNPEEからの推薦で起用されたらしいが,その独特な声質とリズム感はヤノというキャラクターの魅力を倍増させていると言えるだろう。

サスペンス,そして違和感

動物擬人化という世界観を採用し,軽妙洒脱な語り口をスパイスとして効かせつつも,本作のメインストーリーそのものは意外なほど硬派なサスペンス&ミステリーである。

特に終盤では,「女子高生失踪事件」と「宝くじ当選」を中心軸に物語が進展し,そこに「田中」というアクシデントが加わることで一気に緊張感が増していく。それと並行して,「小戸川の素性」に関する謎が剛力の調査によって徐々に明らかにされていく。この「女子高生失踪事件」「宝くじ」「小戸川の素性」という3つのキーワードを軸に,物語は“動物擬人化”という要素の真の意味をペンティングにしたまま,シリアスさの度合いをいやましに高めていく。

しかし,#11「あの日に戻れたら」における凄惨な遺体遺棄のシーンに至り,多くの視聴者はいよいよこう疑問に思う。“なぜこのアニメは動物擬人化という呑気な世界観を採用したのだろうか”,と。動物擬人化の系譜,とりわけ本作のような丸みを帯びたコミカルな身体表象の系譜において,(直接の描写はないとは言え)グロテスクな遺体損壊の描写は概ね避けられてきたはずだからである(よりリアルな身体を表象した『BEASTARS』の“捕食”シーンと比べて見ればいい)。コミカルな動物キャラとグロテスクのアンチノミー。本作はこの辺りの按配と提示のタイミングが絶妙である。

動物擬人化の系譜……?

『のらくろ二等兵』(1935年)や『桃太郎 海の神兵』(1945年)などの黎明期の作品に始まり,『ドン・チャック物語』(1975-1978年),『名探偵ホームズ』(1984-1985年),『銀河鉄道の夜』(1985年),『宇宙戦サジタリウス』(1986-1987年),そして近年の『BEASTARS』(2019-2021年)に至るまで。日本のアニメには連綿と続く〈動物擬人化〉の系譜がある。これらの作品では,人が動物であることの理由は原則として語られない。そういうものとして,いわば所与条件として与えられている。動物擬人化は,〈設定〉ではなく〈世界観〉としてあらかじめ与えられているのだ。そして僕らはそういうアニメの見方にすっかり慣らされている。

『オッドタクシー』はこの動物擬人化の系譜に連なる素振りを見せつつ,最後にそれが小戸川の「高次脳機能障害による視覚失認」が原因だったという設定を明らかにすることで,擬人化の世界観に慣れ切った視聴者の裏をかく。つまり“動物擬人化”というジャンルの特質を利用し,〈世界観〉を〈設定〉にどんでん返ししているわけだ。この手のどんでん返しそのものはさほど珍しくないものの,そこへ至るまでのストーリーテリングのテクニックには大いに感心させられる。

振り返ってみれば,微細な違和は初期の話数からすでにいくつもあったのだ。

小戸川の回想に登場する父と母の影。擬人化されていない標識。剛力と小戸川の「なあ小戸川。俺は何に見える?」「ゴリラだ」「…まあ合ってる」という両義的なやりとりや,小戸川が「この辺でアルパカはあんたしかいない」と言った時の白川の曖昧な笑い(#1「変わり者の運転手」)。「個性豊かな動物を飼育・展示」するスマホゲーム「ズーロジカルガーデン」。

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『オッドタクシー』#1「変わり者の運転手」(左)/#2「長い夜の過ごし方」(右)より引用 ©︎P.I.C.S./小戸川交通パートナーズ

僕らはこうしたいくつものサブリミナル・メッセージを脳のある部分に蓄積していきながら,意識の表層においては動物擬人化という世界観の系譜に概ね依拠しながら話を追っていたわけだ。

しかし最終話で動物擬人化という〈世界観〉が「高次脳機能障害による視覚失認」という〈設定〉へと転換した瞬間,物語はまるで“世界改変”を遂げたかのように様変わりする。すべての動物は人間になり,絵本のようにぼかされた背景は“リアル”な輪郭を得る。この劇的な瞬間が,それまでの比較的即物的な描写とは異質な一種の“奇跡”のシーンによって演出されているのは非常に面白い。

#13「どちらまで?」で,偽金をつかまされたことに激昂したヤノの一行は,本物の金を奪うべく小戸川のタクシーを猛追する。雪の降りしきる夜の都会を舞台にしたカーチェイスは,まるで映画のラストシーンのようにドラマチックで見応えがある。

そして小戸川はヤノ一味を振り切るべく東京湾への“ダイブ”を敢行する。それは幼少時代の一家心中というトラウマの再演でもあった。

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『オッドタクシー』#13「どちらまで?」より引用 ©︎P.I.C.S./小戸川交通パートナーズ

まるで『E.T.』(1982年)のあのカットのように,巨大な満月の前に舞う小戸川のタクシー。トランクから溢れて宙を舞う札。すべてのコマを視聴者の目に焼き付けんとするかのような贅沢なスローモーション。この劇的なダイブの瞬間を,物語に関わったすべてのキャラクターが同時に目撃するという“奇跡”がここで起こる。そしてあたかもこの“奇跡”が誘因となったかのように,小戸川は「視覚失認」を克服し,世界は改変される。

そして“強くてニューゲーム”へ

最終話で“世界改変”が起こった瞬間,僕ら視聴者は,これまで小戸川の主観カメラのようなものを通して世界を観察していたことに気付かされる。そして今度は,小戸川の主観の外部から客観的に物語を見直したいという気持ちに駆られる。つまり『オッドタクシー』は,最初から2度観られることを前提とした作品なのだ。

すべての事情を知った後,いわば“強くてニューゲーム”の体で最初から見直した時,随所に“隠れアイテム”があることに気づくだろう。カメラワークやキャラクターの視線やセリフの細部1つひとつにも巧妙な仕掛けが潜んでいるのだ。

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『オッドタクシー』#2「長い夜の過ごし方」より引用 ©︎P.I.C.S./小戸川交通パートナーズ

YouTubeで公開されている長嶋のオーディオドラマや「メテオの1分オッドタクシーリポート」もとても面白い。特に「幸せのボールペン」をめぐる長嶋のオーディオドラマは,話数ごとに追っていくとさらにディテールを掘り下げて物語を楽しむことができる。まだ視聴されていない方にはぜひお勧めしたい。

youtube.com

さて,物語は小戸川が“真犯人”の和田垣さくらを乗せたところで終わってしまった。ラストカットの和田垣の不気味な笑みは,さながらサイコホラーのラストシーンのように保留的で恐ろしい。あの後,小戸川は和田垣に襲われてしまうのだろうか。だとしても心配は無用だろう。きっと白川の「ケイシャーダ」が彼を守ってくれるだろうから。

作品データ 

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】企画・原作:P.I.C.S./脚本:此元和津也P.I.C.S. management/監督:木下麦P.I.C.S./副監督:新田典生/キャラクターデザイン:木下麦中山裕美/美術監督:加藤賢司/色彩設計:大関たつ枝/撮影監督:天田雅/編集:後田良樹/音響監督:吉田光平/音響制作:ポニーキャニオンエンタープライズ/音楽:PUNPEEVaVaOMSB/音楽制作協力:SUMMIT/音楽制作:ポニーキャニオン/アニメーション制作:P.I.C.S. × OLM

【キャスト】小戸川:花江夏樹/白川:飯田里穂/剛力:木村良平/柿花:山口勝平/二階堂ルイ:三森すずこ/市村しほ:小泉萌香/和田垣さくら:村上まなつ/三矢ユキ:鬼頭明里/大門兄:昴生(ミキ)/大門弟:亜生(ミキ)/柴垣(ホモサピエンス)ユースケ(ダイアン)/馬場(ホモサピエンス):津田篤宏(ダイアン)/樺沢:たかし(トレンディエンジェル)/タエ子:村上知子(森三中)/福本(煩悩イルミネーション):高井佳佑(ガーリィレコード)/近藤(煩悩イルミネーション):フェニックス(ガーリィレコード)/ドブ:浜田賢二/今井:酒井広大/田中:斉藤壮馬/山本:古川慎/関口:堀井茶渡/笑福亭呑楽:大塚芳忠/黒田:黒田崇矢/花音:汐宮あまね/玲奈:神楽千歌/ヤノ:METEOR/長嶋聡:高杉真宙

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
5 4 4 5
CV ドラマ メッセージ 独自性
5 5 3.5 5
普遍性 考察 平均
4 4.5 4.5
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・「平均」は小数点第二位を四捨五入。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

商品情報

当初Blu-rayの発売予定はなかったが,多くの反響を受け,「受注数に応じて特典内容が豪華になる」という方式のプロジェクトが立ち上がった。詳しくこちらのサイトを参照。

TVアニメ『不滅のあなたへ』#1〜12(2021年春)レビュー[考察・感想]:不滅の“あなたたち”へ

*このレビューはネタバレを含みます。

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『不滅のあなたへ』公式HPより引用 ©︎⼤今良時・講談社/NHK・NEP

www.anime-fumetsunoanatae.com


www.youtube.com

『不滅のあなたへ』は,大今良時の同名マンガ(2016年-)を原作とするTVアニメ作品である。前作『聲の形』(マンガ:2013-2014年,劇場アニメ:2016年)とは打って変わり,膨大な時間の流れの中で生命の営みと価値を描く大河活劇だ。その意味では,同じく悠久の時の流れの中で永遠の命と個の命のドラマを描いた,手塚治虫『火の鳥』シリーズなどともテーマを共有する作品だ。現実世界における等身大の人物を描いた『聲の形』とは表面上の趣を異にするが,1人の存在によって人の生の本質を照射するという点では,『聲の形』と『不滅のあなたへ』の両者に作者の〈生〉に関する問題意識が通底しているように思える。

アニメ版の監督を務めるのは『NARUTO -ナルト- SD ロック・リーの青春フルパワー忍伝』(2012-2013年)や『つくもがみ貸します』 (2018年)などのむらた雅彦。派手な作画や技巧などはないが,原作の魅力を過不足なく伝えた丁寧な作りの作品に仕上がっている。

今回の記事では,春クールに放映された#1〜12(タクナハ編終了)までをレビューしたいと思う。

 

あらすじ

「観察者」によってこの世界に投げ込まれた「球」は,刺激を受けた物に変化する力を備えていた。「球は」石,苔,オオカミ,そして人間の少年の姿へと変わりながら,多くの刺激を求めて広い世界へと旅立っていく。やがて「フシ」と名付けられたその存在は,その後,「ノッカー」と呼ばれる謎の敵と戦いながら,多くの人との出会いと別れを経験しつつ心を成長させていく。

 

「白」の世界より

物語は〈白〉から始まる。白い雪,白いオオカミ,白い髪。

原作者の大今良時によれば,この〈白〉の世界を物語の始点としたことには作劇上の意味がある。

白い少年・白いオオカミ・白い雪原というモチーフは,私たちが何も持たずに生まれてきたように,何も持たずに始まり,そこからさまざまなものを得ていく主人公を描きたくて選びました。*1

文字通り“タブララサ(何も書かれていない紙)”としてこの世に投じられたフシは,世界のさまざまな刺激を己の中に書き込みながら変化と成長を遂げていく。

だとするなら,この作品がアニメ化されることによって,色彩という新たな媒体を得たことの意味も決して少なくはないだろう。土の色,草木の色,クダモノの色,血の色,瞳の色,ユメキキョウの色。さらにそこに,キャラクターに息を吹き込む声優陣の声や要所を盛り上げる美しい音響が加わる。アニメになったことによって,僕らはフシが受容する世界の刺激をいっそう彩豊かな世界として追体験できる。その意味で,本作はまさしくアニメになるべくしてなった作品と言えるかもしれない。

宇多田ヒカルの『PINK BLOOD』と共に流れるオープニング・アニメーションは,そのフシの濃密な内的経験世界を表しているように思える。

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『不滅のあなたへ』より引用 ©︎⼤今良時・講談社/NHK・NEP

これまで出会ってきた(あるいはこれから出会うことになる)人物たちが,さながら走馬灯のように現れては消える。実際に起こった出来事もあれば,彼ら/彼女らの願望と思われる風景もある。*2 このオープニング・アニメーションの情報量の高さは,フシの記憶の濃度そのものなのであろう。物語は,膨大な歴史の厚みの中で彼の記憶がその濃度を高めていく様子を描いていく。

 

情報か,記憶か

フシを生み出した「観察者」は,その目的を「世界の保存」であると説明している。まるでフシを機械的な保存媒体として見ているかのような物言いだ。しかしそれとは裏腹に,フシ自身はビルドゥングス・ロマンの主人公のように心豊かに成長していく。この“心の成長”という契機を与えたのが,ニナンナの少女マーチとの出会いだ。

マーチは,まだ恋すら知らない幼い少女でありながら,「大人になる」ことを常に夢見ている。彼女にとって「大人になる」ことの意味の1つは「ママになる」ことである。だから彼女は,村の孤独な娘パロマから貰った人形を使って,ままごと=ロールプレイをしながら日々を過ごしているのだ。

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『不滅のあなたへ』#2「おとなしくない少女」より引用 ©︎⼤今良時・講談社/NHK・NEP

しかしマーチの運命は「オニグマ」の生贄として選ばれたことで狂い始める。機を見て逃亡した彼女は,子どもの象徴である顔の墨を落とす。これは村のしきたりを破り,子どもでありながら大人になろうとする彼女なりの抵抗であろう。やがてマーチはフシと出会う。彼女はフシに名を授け,クダモノを与え,食事の仕方を教え,言葉を教えることで,「ママになる」という夢を実現する。この時,アニメ版ではフシの瞳の色を変化させる演出をしている。これはおそらく,フシに人の心が宿った瞬間を示しているのだろう。*3

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『不滅のあなたへ』#2「おとなしくない少女」より引用 ©︎⼤今良時・講談社/NHK・NEP

#5「共にゆく人」で,マーチはフシに決定的な語りかけをする。

大人になるって知っていくってことでしょ?もちろんふーちゃん,あなたも一緒。一緒に知って,一緒に大人になっていくの

この直後,マーチはハヤセの矢に斃れる。その様を目にしたフシは,激昂してオニグマとなり,ハヤセの一団に襲いかかる。“懐胎しなかった聖母”マーチは,「知ること=大人になること」をフシに託してこの世を去る。フシの中には,マーチの心が確かに宿る。

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『不滅のあなたへ』#5「共にゆく人」より引用 ©︎⼤今良時・講談社/NHK・NEP

フシはマーチとの出会いを通して,人と出会い別れることに伴う感情の負荷を理解したのだろう。彼の中には,永遠の時を通して彼の心を支配する「失いたくない」という感情が生まれる。

「観察者」によって作られたフシとその成長は,ニール・ブロムカンプ『チャッピー』(2015年)などのような,“AI成長物語”を思わせるところがある。あるいは,『不滅のあなたへ』と同時期に放映された『Vivy -Fluorite Eye's Song-』(2021年春)における,「心=記憶」という定義の問題とも通じるところがあるかもしれない。

私の使命は歌でみんなを幸せにすること。そのために心を込めて歌うのよ,ナビ。私にとって,心を込めるっていうのは,思い出と一緒に歌うことだから。思い出が増えて歌うたびに,お客さんはたくさん喜んでくれた。私はよく笑うようになった。私にとって心っていうのは,思い出の,記憶のことなのよ。

アーカイブの記憶はきっと悲しい出来事で溢れてる。それに続く未来も。だからこんな決断をするしかなかった。こんな未来に自分の使命をかけた。私はそうは思わない。私の思い出は,心は,悲しみだけじゃない。どれだって私を形作る,かけがえのないものだから。*4

機械的な〈情報の保存〉から実存を形作る〈記憶の蓄積〉へ。この2つは連続的でありながら,その間には「成長」という大きな飛躍があるのかもしれない。 

最終的にフシは,「世界の保存」という観察者のプログラムに従っていくのだろうか。あるいはさまざまな人との出会いと記憶の蓄積によって観察者の思惑から逸脱し,自身の「エラン・ヴィタール」に従って「創造的進化」を遂げていくのだろうか。*5

 

「あなた」という呼称

#7「変わりたい少年」は,グーグーのアイデンティティの問いから始まる。

最近思うんだ。何で僕は僕なんだろうって。何であの屋敷の子供に生まれなかったんだろうって。

グーグーは貧者としての自分を卑下し,兄と共に今の生活から抜け出して「僕以外の誰かのように生きること」を夢見ている。そして憧れの少女リーンを救おうとして顔に重度の怪我を負った後は,「怪物」になったことで「夢は叶った」と自嘲する。この時点でグーグーは,自己否定という心の影を負っている。しかしその後,ピオランが連れてきたフシと出会い,兄弟のような関係を築くことで,彼は徐々に自己肯定感を強めていく

グーグーの自己肯定感を高める決定的なきっかけとなったのは,#9「深い記憶」におけるリーンのセリフだ。

あなたが怪物でも人間でも私にはどっちでもいいけどさ。でもそれってどっちもあなたでしょ?全部さらけ出すあなたも,隠さずにはいられないあなたも,どっちも変で好きだけどな。それがあなた。あなたはあなたよ。

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『不滅のあなたへ』#9「深い記憶」より引用 ©︎⼤今良時・講談社/NHK・NEP

ここでリーンが無邪気に反復する「あなた」という呼称はこの物語にとって意義深い。それは「野菜売り」「怪物」「人間」と言った一般名詞では言い当てられない「グーグー」という個の存在へ向けられると同時に,この物語に登場するすべてのキャラクター,及びすべての視聴者を遍く指示しているようにも聞こえるからだ。つまり「あなた」は,特殊であると同時に普遍なのだ。

この「あなた」が『不滅のあなたへ』というタイトルの一部を成していることは言うまでもない。

#12「目覚め」において,ノッカーの襲撃を受けたグーグーは,再び身を挺してリーンを守ろうとする。リーンは助かるが,グーグーは瓦礫の下敷きになって命を落とす。

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『不滅のあなたへ』#12「目覚め」より引用 ©︎⼤今良時・講談社/NHK・NEP

その後,グーグーが生きていると信じているリーンの前で,フシはグーグーの姿になってしまう。彼は図らずもリーンからグーグーの死を隠すことになる。フシをグーグーだと思い込んでいるリーンの前で,フシは「どうして俺は俺なんだろう」というグーグーのアイデンティティの問いをなぞる。

しかし,リーンはグーグーの死の事実を直感で悟っていたようだ。ユメキキョウの花に囲まれて横たわる彼女は,父に「私,結婚やめる。好きな人ができたの」と言って,グーグーへの永遠の愛を暗示的に誓う。この時のリーンの「もうここにはいないの。きっと彼(引用者註:フシ)と一緒にいるんだわ」というセリフは,この物語の本質を言い当てた重要なセリフだ。

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『不滅のあなたへ』#12「目覚め」より引用 ©︎⼤今良時・講談社/NHK・NEP

リーンが「あなた」と名指したグーグーの魂は,フシの中で,あるいはフシの傍で永遠に生き続けることになるだろう。『不滅のあなたへ』というタイトルにおける「あなた」は,フシその人を指すと同時に,フシが記憶したかけがえのない「あなたたち」なのかもしれない

人が人として誰かと関わり合う以上,その存在は必ず誰かの〈記憶〉として残る。たとえそれがどれだけ希薄な記憶であろうと,そして時間と共にどれだけ希釈されようとも,その記憶が無になることはない。人が「不滅」であることというのは,そういうことなのかもしれない。「あなた」という呼称がすべての人を指す普遍性を持つからこそ,この物語は普遍的な価値を持ち,多くの人の心を打つのだろう。

この後,物語は“超展開”とも言えるほどの大胆な展開を見せていく。それをどう受け止めるかは視聴者次第だろう。不滅の存在と共に,「あなたたち」の行く末を最後まで見届けようではないか。

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作品データ(リンクはWikipediaもしくは@wiki) 

【スタッフ】
原作:⼤今良時/監督:むらた雅彦/シリーズ構成:藤田伸三/キャラクターデザイン:薮野浩二/美術監督:渋谷幸弘/色彩設計:福田由布子/撮影監督・3DCG:織田頼信/編集:池田康隆/音楽:川﨑龍/音響監督:高寺たけし/アニメーションプロデューサー:小沢十光/アニメーション制作:ブレインズ・ベース

【キャスト】
フシ:川島零士/マーチ:引坂理絵/パロナ:内田彩/ピオラン:愛河里花子/ハヤセ:斎賀みつき/グーグー:白石涼子(少年),八代拓(青年)/リーン:石見舞菜香/酒爺:利根健太朗/シン:阿部敦/観察者:津田健次郎

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
4.5 3.5 3.5 4
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
4 4 5 5
独自性 普遍性 平均
4 4.5 4.2
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

商品情報

Blu-ray

コミックス

 

*1:「アニメージュ」2021年7月号,p.53,徳間書店,2021年。

*2:ちなみにオープニング・アニメーションには,単行本の表紙を元にしたと思われるカットもいくつか挿入されている。

*3:原作ではフシの微笑みだけでこれを表現している。

*4:『Vivy -Fluorite Eye's Song-』13話「Fluorite Eye's Song」より引用。

*5:アンリ・ベルクソン(合田正人,松井久訳)『創造的進化』,ちくま学芸文庫,2010年。

劇場アニメ『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』(2021年)レビュー[考察・感想]:巨大なるマシーン,矮小なる人々

*このレビューはネタバレを含みます。

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『閃光のハサウェイ』公式HPより引用 ©︎創通・サンライズ

gundam-hathaway.net


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富野由悠季の同名小説(1989-1990年)を原作とする『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』は,『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年)の時代から12年後の世界を描く劇場アニメ作品である。監督は『虐殺器官』(2017年)の村瀬修功。3部作のうち第1作目となる本作では,主要キャラクターであるハサウェイ,ギギ,ケネスの出会いが中心に描かれるが,すでにそこには独特な“富野節”を的確に映像化する村瀬の手腕が発揮されている。今回の記事では,いくつかの鑑賞ポイントに焦点を当ててみよう。

 

あらすじ

「第二次ネオ・ジオン抗争」から12年後のU.C.0105。シャア・アズナブルの想いも虚しく,地球連邦政府は地球の汚染を加速させていた。連邦軍大佐ブライト・ノアの息子,ハサウェイ・ノアは,シャアの意志を継いで反地球連邦組織「マフティー・ナビーユ・エリン」に参加。自らマフティー・ナビーユ・エリンを名乗り,地球連邦政府高官らの暗殺を企てていた。そんな中,往還シャトル「ハウンゼン356便」に搭乗した彼は,謎の少女ギギ・アンダルシアと連邦軍大佐ケネス・スレッグと偶然邂逅し,運命を翻弄されていく。

 

“富野節”の映像化

劇場プログラムに掲載されたコメントよれば,村瀬監督は「ガンダムシリーズに寄せた作りではなく,“ガンダム小説の映像化”」を意識して制作に臨んだのだという。*1 すでに村瀬は伊藤計劃の小説『虐殺器官』の劇場アニメ化(2017年)も手がけており,小説作品の調理は彼の十八番と言っていいのかもしれない。

しかし富野由悠季の小説を読めばすぐに気づくことだが,彼の文体はかなり特徴的だ。意味深長なセリフ回しやラフな飛躍。決して読みやすいとは言えないその文章からは,いわゆる“上手い”書き手にはない特異なリズムが生まれている。その富野の「小説の映像化」を意識するということは,随所に散りばめられた“富野節”と真正面から格闘することを意味する。はたして村瀬はこの難題にどう挑んだのか。

ここでは一例として,ガウマンによるダバオ襲撃開始直後のエレベーターのシーンを挙げてみよう。ハサウェイとギギは,同じホテルに滞在する政府関係者のカップルと同じエレベーターに居合わせる。このシーンは,富野の原作では以下のように記述されている。

中年女の方が,乱れた髪を手でかきあげながら,不気味なものを見るようにハサウェイに眉をひそめてみせた。
狭いエレベーターのなかに,セックスの香りが漂うのは,気のせいではないだろう。ギギが,フッとハサウェイの肩に,頬をよせてきた。
「………………?」
ハサウェイは,夫婦者らしいカップルがいたから,ギギの反応に身体を動かすことはしなかった。
「……どうして,わたしにきいたの?」
上目遣いのギギは,唇をハサウェイの肩に押しつけたまま,いかにも,わきに立つ夫婦者にきかれるのが嫌だという風に,小さくいった。しかし,それもちがった。ギギは,あきらかにハサウェイの肩を嚙むつもりで,唇を動かしたのだ。
「……君の勘に賭けたのさ……」

「それなら,さっきのゴチャゴチャした話も,すっきりさせてよ」
そういうギギは,こんどは,はっきりとハサウェイの肩に歯をあてた。
「あとでだ」
「だいたい,あなた,下着をつけて寝ていたね」
ハサウェイは,ギギのその鋭さに,息をつめた。そのハサウェイの反応をギギは,全身で受けとめていった。
「……やっぱり……怖いことするよ。あなた」*2

カップルの放つ「セックスの香り」に感染したかのようにギギが奇異な行動をとり,同時に「マフティー」としてのハサウェイの行動を不意に“予言”する。ギギのコケティッシュな側面と,本質を瞬時に見抜く直感力を同じ場面に凝縮した,極めて難易度の高いシーンである。

映画では「セックスの香り」というセリフは用いず,ホテルのバスローブを着た女性の胸元に汗が流れるカットによってそれを暗示的に表現している。それをチラッと見るギギも彼女と同じバスローブ姿で,同じように胸元がややはだけている。ギギが不意にハサウェイに顔を近づけ,「……どうして,わたしにきいたの?」というセリフを耳元で囁く。ギギがハサウェイの肩を噛む動作は直接表現されていない。

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『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』より引用 ©︎創通・サンライズ

言葉や動作による直接的な表現はないが,エレベーター内の狭隘感,服装,人物間の距離,目線の動きなどによって,匂い立つような濃密な空気が的確に表されている。魚眼レンズのようなカメラワークでアップにされたギギが「……やっぱり……怖いことするよ。あなた」と囁くカットも面白い。

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『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』より引用 ©︎創通・サンライズ

この他にも“富野節”の独特な肌触りをうまく映像化したシーンは数多くある。村瀬流の小説の解釈,小説と映画との差異を細部まで吟味するのもこの映画の楽しみ方の1つだろう。

 

ギギ・アンダルシア

『閃光のハサウェイ』の登場キャラクターの中でも一際異彩を放つのはギギ・アンダルシアだ。コケティッシュであると同時に傷つきやすく,聡いと同時にナイーブであり,大人びているかと思えば幼児のように振る舞うギギ。村瀬監督自身もインタビューで漏らしているように,「本当にわからない女性」である。*3

この多義的な美少女を映画はどう表現したか。まず目を引くのは,その独特なキャラクターデザインだ。無重力状態で優雅に舞うブロンドヘアーに,透き通るような肌。最も特徴的なのは,ライトブルーの瞳に“差し色”としてオレンジが加えられている点だろう。そのビビッドな配色は,ともすれば熱帯地方のチョウ目のような毒々しさを感じさせもする。

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『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』より引用 ©︎創通・サンライズ

このエキセントリックな少女に内的な輪郭を付与したのが,声優の上田麗奈である。上田と言えば『SSSS.GRIDMAN』(2018年秋)の「新条アカネ」役などが記憶に残る。柔らかさの中にどこかナーバスな響きを含ませる彼女の演技は,アカネやギギのような神秘的な少女の声として最適解だと言える。

小説のアモルファスな描写から,アニメとしてより明確な輪郭線を持つキャラクターとして生まれたギギ。ある意味で,本作の「小説の映像化」という側面を体現するキャラクターと言えるかもしれない。

 

巨大なるマシーン,矮小なる人々

本作の最も目立った特徴の1つに,モビルスーツの〈巨大感の演出〉がある。とりわけ生身の人間の目前にモビルスーツが出現するシーンは観客に強い印象を与える。

ハサウェイがダバオの街で「マン・ハンター」の舞台と出くわす場面では,彼の前にハンターのモビルスーツが唐突に出現する。巨大なモビルスーツと生身の人間とを対比させることで,不法居住者を摘発するハンターの威圧的な存在感がうまく演出されている。

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『閃光のハサウェイ』より引用 ©︎創通・サンライズ

実は富野の原作では,この場面にハンターのモビルスーツは登場しない。つまり村瀬は作為的にこうした演出を施しているということになる。

ダバオ襲撃のシーンは,本作のアクションシーンの目玉であると同時に,モビルスーツの巨大感を最大限に活かしたシーンでもある。ガウマンのメッサー2号機とグスタフ・カールが交戦する中,その足元をギギを抱えたハサウェイが逃げ惑う。巨大なマシーンと矮小な人間。その絶望的なまでのコントラストを観客に印象付けるかのように,巨人の亡霊のようなペーネロペーがハサウェイの前に現れる。

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『閃光のハサウェイ』より引用 ©︎創通・サンライズ

このような〈巨大感の演出〉は,それ自体がすぐれて映画的だと僕は思う。

たとえはテオ・アンゲロプロスの『霧の中の風景』(1988年)という映画には,巨大な掘削機を前にした幼い姉弟がたじろいで逃げるシーンがある。また同じ映画には,海中から突如巨大な石像の手が出現し,主人公たちを呆然とさせるシーンもある。アンゲロプロスは巨大な構造物と小さな人とを対置させることで,歴史のうねりの中の個の営みを描こうとしたのかもしれない。そもそも映画は,そうした巨大な存在の威圧感を描くのに適したメディアである。『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1896年)から今日の怪獣映画に至るまで,映画は巨大なものによる圧倒的な力を表象してきた。とりわけ劇場の大スクリーンは,巨大物を前にした際の崇高体験に似たものを観客に疑似体験させることができる。

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『閃光のハサウェイ』より引用 ©︎創通・サンライズ

ハサウェイは狙撃や毒殺などではなく,モビルスーツを使って連邦政府高官の暗殺を図る。それは地球にしがみつく矮小な人間たちへの物理的な示威なのかもしれない。あるいは歴史に翻弄されるハサウェイ自身の矮小な存在感を自虐的に演出しているのかもしれない。いずれにしても,『閃光のハサウェイ』を劇場のスクリーンで観るべき理由は明白だろう。 

 

 

作品データ

*リンクはWikipedia,@wiki,企業HPなど

【スタッフ】企画・製作:サンライズ/原作:富野由悠季矢立肇/監督:村瀬修功/脚本:むとうやすゆき/キャラクターデザイン:pablo uchida恩田尚之工原しげき/キャラクターデザイン原案:美樹本晴彦/メカニカルデザイン:カトキハジメ山根公利中谷誠一玄馬宣彦/メカニカルデザイン原案:森木靖泰/総作画監督:恩田尚之/色彩設計:すずきたかこ/CGディレクター:増尾隆幸藤江智洋/編集:今井大介/音響演出:笠松広司/録音演出:木村絵理子/音楽:澤野弘之

【キャスト】 ハサウェイ・ノア(マフティー・ナビーユ・エリン):小野賢章/ギギ・アンダルシア:上田麗奈/ケネス・スレッグ:諏訪部順一/レーン・エイム:斉藤壮馬/ガウマン・ノビル:津田健次郎/エメラルダ・ズービン:石川由依/レイモンド・ケイン:落合福嗣/イラム・マサム:武内駿輔/ケリア・デース:早見沙織/ミヘッシャ・ヘンス:松岡美里/ミツダ・ケンジ:沢城千春/フェンサー・メイン:天﨑滉平/ゴルフ:田中光/シベット・アンハーン:宮崎遊/ヘンドリックス・ハイヨー:綿貫竜之介/マクシミリアン・ニコライ:草野峻平/メイス・フラゥワー:種﨑敦美/ハンドリー・ヨクサン:山寺宏一/ゲイス・H・ヒューゲスト:佐々木望

【上映時間】 95分

 

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
5 3.5 4.5 4
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
5 4.5 3
独自性 普遍性 平均
4 3.5 4.1
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

商品情報 

 

*1:『閃光のハサウェイ』劇場ブログラム,p.2。

*2:富野由悠季『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』〈上〉新装版,pp.156-157,角川書店,2021年。

*3: Febri:機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ特集(全5回)監督・村瀬修功インタビュー②