*この記事は『響け!ユーフォニアム 3』第七回「なついろフェルマータ」のネタバレを含みます。
武田綾乃原作/石原立也監督『響け!ユーフォニアム 3』各話レビュー第2弾として,今回は第七回「なついろフェルマータ」を取り上げる。濃密な対話劇と映像によって,久美子と真由,それぞれが抱える実存的な〈無〉という状況が見事に表現されている話数だ。脚本はこれまでシリーズ構成と各話脚本を手がけてきた花田十輝, 絵コンテ・演出は『ツルネ』シリーズ監督の他,数多くの京都アニメーション作品で演出を手がける山村卓也。両名の技が光る名演出を詳しく観ていこう。
カメラアイ Ⅰ:眼差しの安定
Aパート冒頭,府大会Bで金賞を受賞した「モナカ」メンバーの集合写真撮影が行われる。久美子と美知恵先生がカメラの後ろからメンバーを見遣っている。〈カメラアイ〉と〈眼差し〉の関係性がこの話数の主題であることが告知される。
この時,カメラの視線と久美子と美知恵先生との視線は寸分のずれもなく合致している。とりわけ,自分が育てた部員の勇姿に涙する美知恵先生においては,想いの向かう対象と眼差しの向かう対象は完全に重なり合っている。カメラアイと人の眼差しと想いとの十全たる一致。ここで示されているのは眼差しの安定感,〈見る主体〉の揺るぎない統一感だ。しかしこの眼差しの安定は,この話数の最後で,別の人物によって完全に打ち消されることになる。
久美子の〈無〉
その後,吹奏楽部は「フェルマータ」という名の短い休息日を迎える。ここで「大学説明会」というシリアスなイベントと「プール」というライトなイベントがが並置されるのがたいへん面白い。
大学説明会では,久美子の高校生らしい実存的不安が,他の部員との対照によって改めて浮き彫りにされる。2年生にもかかわらず大学説明会に行く奏や,早々に保育士への道を決めてしまう葉月らと比べ,久美子は〈なにものにもなれない〉〈やりたいことが見つからない〉という非存在の苦悩に苛まれている。彼女は〈無〉を実存の懐に呼び込むことで,誰よりも顕著な対自(pour-soi)を存在している。
久美子は,好きなことを優先して一旦は父との不和を起こすも,今では穏やかに和解しつつある姉・麻美子のようなリスキーな生き方を選択することもできない。久美子の実存は,差し当たり〈選択・固執からの逃亡〉という様相を呈している。
そして迷いなく演奏家への道を突き進む麗奈は,久美子にとって最も身近なだけに,その実存の〈無〉を最も強い光で照らし出してくる存在だ。駅のベンチで背筋をピンと伸ばして座る彼女は,気候変動による猛暑ですら心頭滅却で払いのけるほどの実存の強度を示している(上図右)。焦りと暑さで弱りきった久美子にとって,そのポーズが放つ“圧”はあまりにも強すぎることだろう。麗奈の成す直線と久美子が成す斜線は,2人の実存の強弱を如実に表しているかのようだ。
そしてそんな弱りきった久美子を涼やかに癒すーーかに思えたーーのが,翌日のプールイベントである。
“水着回”:〈見る/見られる〉という関係性の増幅
大学イベントから一転して,Bパートのプールイベントでは部員たちの華やかな水着姿が披露される。1年生グループは先輩たちの艶やかな姿に見惚れ,久美子ははしゃぐ後輩たちを見守り,黒江真由は部員たちをいつものフィルムカメラで写し出す。普段の制服姿の時とは違い,部員たちは互いの水着姿やプロポーションにより積極的な眼差しを向ける。彼女たちはいつも以上に,互いを〈見る〉という特殊な磁場の上に置かれている。
要するにこのプールイベントは,単に視聴者への“サービス”である以上に(少なくとも,作中での“男性目線”が慎重に排されていたことを思い出そう),キャラクター同士の間で発生する〈見る/見られる〉という関係回路の増幅装置としても機能しているのだ。
Bパート後半,この周到に用意された眼差しの舞台装置の上で,久美子と真由の対話劇が繰り広げられる。本作の最も大きな見せ場だ。
カメラアイ Ⅱ:〈主体〉の消去
気まずい距離を縮めようと思ったのか,久美子はレジャーシートの上で部員たちを眺める真由の隣に座り,カジュアルな対話を試みる。真由が久美子と麗奈のお揃いの水着と2人の仲の良さに言及する。それを受けて,久美子は真由とつばめの仲の良さに言及する。〈見る/見られる〉関係が,人間関係へとさりげなくすり替えられる。
久美子が「下級生もみんな真由ちゃんのこと大好きだって言ってるよ。話しやすいし優しいし,ちゃんと教えてくれるし」と言うと,真由は「それはそうしたほうがみんなが喜んでくれるから」と答える。自分の社交性が偽りのものであることを仄めかす応答だ。
真由:私ね,たぶん普通の人より自分がないと思うんだ。好きとか嫌いとかあんまりなくて。大抵のことはどっちでもいいっていうか。
真由は久美子に初めて自分の本心を語りだす。この時,彼女はあのフィルムカメラにそっと手を触れる。まるで自分の内心の具象的な現れに触れるかのように。真由の眼からはハイライトのブレ(この作品ではキャラの顔のアップ時,ハイライトのブレによって“キラキラ感”を出すことが多い)がオミットされ,機械のように冷ややかな眼差しに変わる(上図右)。まるで右手で触れたフィルムカメラのレンズの冷感が彼女の眼に宿ったかのようだ。
真由のこの言葉を聞いた久美子は,彼女の中に中学の時の自分と同じものを垣間見る。久美子の瞳に真由が写る(上図左)。何ものにも「固執」できなかったあの時の自分。第五回「ふたりでトワイライト」でも示されていたように,彼女は高校3年の夏を迎えた今,自分があの時の自分に戻りつつあることを密かに恐れている。久美子の中の“真由”は,身近であればこそ却って恐怖を覚える,フロイト的な「不気味なもの」と酷似している。*1 だからこそ久美子は,真由を遠ざけつつ近づくという両義的態度を取ってしまうのだろう。
さらに真由は去年の北宇治の自由曲「リズと青い鳥」に言及しながらこう言う。
私,リズって欲張りだなぁって思っちゃうの。一緒に過ごしていた動物はたくさんいるのに,どうして青い鳥だけに固執するんだろうって。[…]でもそれって,普通の人の見方じゃないんだろうなぁとも思う。普通の人はあんなふうに何かに固執するんだよ。
何かに「固執」できない真由は,久美子と同質の存在の〈無〉を抱えている。真由はフィルムカメラのファインダーを覗く。真由の眼と機械の眼がまるで一体化したかのように重なる(上図中)。真由の眼に久美子の姿が写る(上図右)。固執しない真由と固執できない久美子が,互いに互いの姿を写し出す。
カメラアイと眼差しを重ね合わせつつ,〈見る/見られる〉の関係性の中で久美子と真由の実存的不安の共鳴を描き出した,極めて優れたシーンである。
真由は誰にも「固執」しない,いわば〈透明な主体〉と化し,他者を機械的な眼差しで撮影=客観視しようとする。だからつばめに「真由ちゃん(ジュースは)どれがいい?」と聞かれた時にも「つばめちゃんはどれが好き?」と答え,「固執」する主体を徹底的に打ち消そうとするのだ。
しかしその透明さは偽りのものであるはずだ。第五回「ふたりでトワイライト」のレビューでも述べたように,フィルムカメラ撮影の本質的な意味は〈所有〉であり,彼女は心のどこかで誰かに(おそらくは久美子に)「固執」したいと願っている。それを慮ってか,久美子は最後の集合写真撮影でカメラをセルフタイマーにし,真由も一緒に写るよう誘う。
これまで常にカメラの背後にあった真由=〈(不)透明な見る主体〉は一旦消去され,被写体の中に収まる。一見,〈(不)透明な見る主体〉としての真由が〈固執される=見られる主体〉へと移行し,部員たちの輪の中に溶け込んだかに思える。しかしこの後,真由が部員たちに見せた写真の中にその集合写真はない。彼女は「現像うまくいかなくて」と釈明するが,そこに作為があるのは明白だ(この時の戸松遥の演技には不気味な迫力すら感じる)。彼女は久美子と言葉を交わしながら,人の写っていない無機質な写真を虚な仕草で机の上に並べていく。結局,真由は〈見る〉主体としての自分と〈見られる〉客体としての自分の両方を消去し,二重の〈無〉を抱えることになったのだ。冒頭の美知恵先生のような,想いと眼差しの安定は完全に否定される。そんな真由に対し,同じく存在の〈無〉を抱える久美子は今後どう関わっていくだろうか。
しかし存在の〈無〉は決して不治の病ではない。むしろ対自の中で存在論的な不安を抱えつつも,それを超克することで着実に強くなっていく若者もいることだろう。そして久美子や真由もそうしたタイプの若者なのだと信じたい。
こうして見ると,エンディングアニメーション(この話数と同じく山村卓也が絵コンテ・演出を手がけている)で用いられているカメラのモチーフも見方が変わってくる。
一見,無邪気な写真撮影の仕草に見えるが,中盤から挿入される久美子,緑輝,葉月,麗奈の写真が興味深い。それは彼女たちの幼少時代から現在までのアルバム写真のようなものだ。撮影ポーズとこれらの写真が並列されることで,まるで彼女たちが自分の過去を見つめ直し,自らの実存を捉え直そうとしているかのように見えてくる。人が未来に向かって己の可能性を模索=投企しようとする時,過去の自分の生はこれまで以上に大きな意味を持ってくるのかもしれない。そんなことを考えさせるエンディングアニメーションである。
『響け!ユーフォニアム 3』ノンクレジットエンディング
作品データ
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【スタッフ】
原作:武田綾乃/監督:石原立也/副監督:小川太一/シリーズ構成:花田十輝/キャラクターデザイン:池田晶子,池田和美/総作画監督:池田和美/楽器設定:髙橋博行/楽器作画監督:太田稔/美術監督:篠原睦雄/3D美術:鵜ノ口穣二/色彩設計:竹田明代/撮影監督:髙尾一也/3D監督:冨板紀宏/音響監督:鶴岡陽太/音楽:松田彬人/音楽制作:ランティス,ハートカンパニー/音楽協力:洗足学園音楽大学/演奏協力:プログレッシブ!ウインド・オーケストラ/吹奏楽監修:大和田雅洋/アニメーション制作:京都アニメーション
【キャスト】
黄前久美子:黒沢ともよ/加藤葉月:朝井彩加/川島緑輝:豊田萌絵/高坂麗奈:安済知佳/黒江真由:戸松遥/塚本秀一:石谷春貴/釜屋つばめ:大橋彩香/久石奏:雨宮天/鈴木美玲:七瀬彩夏/鈴木さつき:久野美咲/月永求:土屋神葉/剣崎梨々花:杉浦しおり/釜屋すずめ:夏川椎菜/上石弥生:松田彩音/針谷佳穂:寺澤百花/義井沙里:陶山恵実里/滝昇:櫻井孝宏
【第七回「なついろフェルマータ」】
脚本:花田十輝/絵コンテ・演出:山村卓也/作画監督:髙橋真梨子
原画:浦田芳憲,瀨崎利恵,成松健吾,隈嵜那美,松尾翔平
この他,この素晴らしい話数に参加されたすべての制作者に拍手を。
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商品情報
*1:中山元訳『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』,光文社古典新訳文庫,2011年。