*この記事は『響け!ユーフォニアム 3』第十二回「さいごのソリスト」のネタバレを含みます。また原作小説の内容に基づく今後の展開にも触れていますのでご注意ください。
武田綾乃原作/石原立也監督『響け!ユーフォニアム 3』各話レビュー第4弾として,今回は第十二回「さいごのソリスト」を取り上げる。原作とは異なる展開に絶賛と困惑の声が相半ばした話数だが,この改変によって生まれた力強い思想と豊かな感情は他に代えがたい価値を持っている。脚本は花田十輝,絵コンテは小川太一副監督,演出は山村卓也である。
不安な影,優しい影
久美子と真由のソリストとしての実力は,滝によって「甲乙がつけがたい」とみなされ,再オーディションが実施されることになる。自然,久美子と真由のシーンには,これまで以上に緊迫した空気が漲ることになる。もちろんこれは第1期第十一回「おかえりオーディション」における麗奈vs香織の対決の“再演”だが,原作にはこの展開はなく(全国大会のソリは久美子が吹いている),アニメオリジナルである。
第五回や第7回もそうだったが,今期は久美子と真由の対話シーンの完成度が非常に高い。
上手左は再オーディションが告知された直後の音楽室内のカットだ。カメラは久美子と真由を真上から俯瞰する。窓から差し込む日の光がスポットライトのように2人を照らし出している。窓の桟の影が形作る生真面目な線が2人をフレーミングしている。この1カットだけでも,鑑賞者の目線を2人の世界にぐっと集中させる効果がある。
再オーディション直前の久美子と真由の対話シーン(上手中・右)も似たような構図をとっている。ホールの窓から降り注ぐ豊かな陽光。ガラス窓の桟とその影が2人の姿をフレーミングしている。しかしその影の線は,先ほどの音楽室内の杓子定規な線ではなく,水平線と直角線に対して斜めに走っている。
このシーンでは,多くのカットで斜めの影線が画面を横断するような構図がとられている。それはオーディションを前にした2人の内心を象徴する不安な線にも見えるし,これまでぎこちなかった2人の関係性を静かに撹拌する優しい線にも見える。少なくともそれは,このシーンに流れている穏やかな劇伴と共に,「似たもの同士」であることを認め合う2人の笑顔に寄り添っているように見える。*1
ここで久美子は真由に,「音で決める」という自らの〈正義〉を改めて伝える。真由に「同情も,心配も,遠慮もいらない」と言い放った久美子が選択したのは,「無知のヴェール」という〈正義〉の装置であった。
「無知のヴェール」
久美子は再オーディションの前に職員室に立ち寄り,部員が「音だけで判断できるよう」,自分たちの姿が見えないようにすることを滝に進言していた。それはジョン・ロールズの「無知のヴェール」を地で行く決断に他ならない。ロールズは,万人にとって公正な原理原則を選択するために,人々が互いに人種,民族,性別,政治的立場,能力等がまったくわからない「無知のヴェール」の下に置かれている状態を仮定した。その上で,彼は平等の「原初状態」にある各人が,どのような原理原則に合意していくかを推論したのである。 *2 久美子は再オーディションを覆面形式にすることによってロールズ流の〈正義〉を導入し,部員の合意の「正しさ」をいっそう純度の高い高みへと導こうとしたのだ。*3
部員たちが急拵えした白い目隠し=「無知のヴェール」は,病室のコントラクトカーテンのように実直に2人の姿を隠す。これまで本作の演奏シーンと言えば,文字通り額に汗する奏者の多彩な表情を捉えてきただけに,この潔癖な匿名性は異様さすら感じさせる。
もちろん,ある種のオーディションをこうした覆面形式で行うこと自体は決して珍しいことではない。この話数における「無知のヴェール」という装置の卓越は,これによって完全能力主義の〈正義〉と,〈正義〉の遂行に否応なく付着する〈感情〉とが挙示され,思想と懊悩とが渾然一体となった見事なドラマが実現した点にあるのだ。*4
3つの〈正しさ〉と3つの〈感情〉
再オーディションの行方は麗奈の判断に委ねられることになる。彼女は1番目の奏者を選び,それは真由であった。彼女は自分が選んだ奏者が真由であることをーー言い換えれば自分が久美子を選ばなかったことをーー知っていた。麗奈は久美子と一緒にソリを吹きたいという〈感情〉を殺してまでも,“全国大会金賞”実現のための最適解を選ぶという〈正しさ〉を貫いたのだ。
この時,滝に促され前に歩み出す真由のユーフォニアムのベルが,麗奈の苦悩に歪む表情を覆い隠していく。主体的に選択した〈正義〉の重さによって,自らの〈感情〉が圧倒されていく様を表した見事なカットだ。
真由は「演奏に嘘はつきたくない」(久美子談)という〈正しさ〉を貫き,オーディションを勝ち取った。しかしその結果彼女の目に突きつけられたのは,部員たちの動揺する姿だった。
最も恐れていた(しかし予想されていた)結果を前に,後悔という〈感情〉に打ちのめされそうになる真由。おそらく中学時代のトラウマを想起したのであろう彼女の手は,白銀のユーフォニアムの上でわずかに震えている。
会場と真由の動揺を前にした久美子の脳裏には,職員室での滝とのやりとりが浮かび上がる。
久美子:あ,あの…先生にとって「理想の人」ってどういう人…ですか?
滝:そうですね…正しい人…でしょうか。本当の意味での正しさは皆に平等ですから。黄前さんは,どんな大人になりたいですか?
久美子:私は…私もそんな人になりたいです。
職員室の久美子とオーディション会場の久美子がぴたりと重なる。実は,ほぼ全編がアニメオリジナルであるこの話数において,この久美子と滝のやりとりは唯一原作の内容を踏襲している(多少のセリフの変更はある)。脚本家の花田は,再オーディションという改変と「無知のヴェール」という装置によって,原作における「正しさ」への言及をドラマの中心的要素として前景化している。賛否が分かれたとは言え,最終話へと向かう作品のドラマ性を増幅させることに成功した英断と言えるだろう。
勇を鼓して舞台の全面に踏み出した久美子は,第十回の演説を上回る気迫で部員に語りかける。
これが!今の北宇治のベストメンバーです。ここにいる全員で決めた,言い逃れのできない最強メンバーです!これで全国へ行きましょう!
「言い逃れのできない」という久美子の語り口には,滝はおろか「軍曹先生」美智子をも圧倒するほどの厳正な意志が込められているように思える。久美子が貫いた「正しさ」の正当性に納得するように,涙に頬を濡らした真由が静かに頷く。久美子の振る舞いは真由の〈正義〉を“正当化”し,彼女を過去のトラウマから救い出した。久美子との関係性によって真由というキャラクターをも掘り下げた優れた脚本だ。
オーディション後,麗奈を探す久美子を奏が呼び止め,「先輩に吹いて欲しった」と涙ながらに自分の気持ちを告げる。この奏の泣き顔が第1期第十一回の優子の泣き顔の“再演”であることは言うまでもない。
久美子に「奏ちゃんは実力主義派じゃなかったの?」と指摘された奏は,「それとこの気持ちは別です」と反論する。奏のこのセリフは,この話数における〈正義〉と〈感情〉の剪断を直接言語化したものとして極めて重要だ。かつ,この後に続く久美子と麗奈のやりとりの直前に挿入されたことにも大きな意味がある。
ここまでであれば,久美子はカントやロールズに匹敵するほど厳格で揺るぎない「正しい人」だ。しかし彼女の〈感情〉が最後に残されている。
久美子は麗奈の待つ大吉山へと向かう。そこには肩を振るわせながら泣きじゃくる麗奈の姿があった。彼女は久美子の音がわかっていた上で,あえて真由の音を選んだことを告白する。自らの〈正しさ〉の選択によってもたらされた強烈な〈感情〉に,麗奈は再び打ちひしがれている。
久美子は自らの「迷い」が音に出たこと,それを麗奈が聞き分け,自らの「正しさ」を選択することを確信していた。そんな彼女は改めて麗奈を「特別」な存在として認定する。
第1期第八回「おまつりトライアングル」における「特別」のシーンが“再演”される。とりわけこのシーンは,寸分違わぬ構図によって第1期のシーンをほぼ完全にトレースしている。久美子は麗奈の〈正しさ〉を〈正しさ〉と認めつつも,ここでようやく自らの〈感情〉と真正面から向き合うことになる。
麗奈は最後まで貫いたんだよ。私はそれが何より嬉しい。それを誇らしいって思う自分に胸を張りたい。でもそんな麗奈だから…実力で勝ちたかった。それで最後は麗奈と吹きたかった。私…私…こんなにも…死ぬほど悔しい!
〈正しさ〉から〈感情〉へと大きく揺れ動く久美子の心のアーチを表した名セリフだ。
この一連のシーンにおける“泣き顔”の美麗な作画を見ると,『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を経て一段と高みに至った京都アニメーションの技術力を感じざるを得ない。しかし彼女たちの涙が美しく見えるのは,単に作画と撮影処理の技術が高いからというだけではない。ここに至るまでの〈正しさ〉と〈感情〉の両価的心情描写の厚みが十分だからこそ,この涙のシーンは美しく映えるのだ。
ちなみに美しい作画と言えば,ラストの久美子と麗奈の手の芝居も特筆に値する。
当ブログではこれまでにも手の芝居について触れてきたが,このカットなどは『美少女戦士セーラームーンS』第110話(通算)のウラヌスとネプチューンの芝居を彷彿とさせる。アニメ史に残る“名手芝居”として記憶に留めておいてもよいだろう。
さて上述の通り,第3期第十二回「さいごのソリスト」は「再オーディション」「後輩の涙」「大吉山の特別」という3つの“再演”によって,第1期のモチーフへと回帰した。これによって,この作品の奥深くに一貫して流れ続けてきた「『正しさ』と『感情』との間の葛藤」という水脈が,瑞々しい湧水として僕らの前に姿を現したのである。
半透明のヴェール
ところで,先ほどの「無知のヴェール」が完全無欠の情報隠蔽装置として機能し得なかった点も強調しておこう。先述したように,麗奈は久美子と真由の音を聞き分けていた。そしておそらく,久美子以外の多くの部員も2人の音の違いを聞き分けている。
そもそも人がーー少なくとも1つのコミュニティの中で価値を共有している人がーーあらゆる情報から遮断された「原初状態」において他者を眼差すということはあり得ないだろう。それは単なる“思考実験”にすぎない。「無知のヴェール」は理念的には公正だが,現実的には常に不完全であり,常に“半透明”なのだ。
こうして見てくると,エンディングアニメーションの最後に登場するヴェールの見え方も変わってくる。
終盤のシーンでは,「北宇治カルテット」4人の頭の上にヴェールが掲げられている。ヴェールは4人の視界を遮ってはいない。しかし彼女たちはそれを手放すまいとしているようにも見える。彼女たちは自らを大人の社会へと“投企”していくに当たって,「無知のヴェール」=「正しさ」をある種の必携アイテムとして身に纏いつつも,その背後にある人の〈感情〉からも目を逸らすことはないのだろう。
おそらく久美子は,半透明な「無知のヴェール」を纏いながら,〈正しい人〉として他者と向き合うと同時に,他者の〈感情〉をも理解する人として成長していくことになるだろう。彼女はこの葛藤を胸に秘めながら,“将来”という名の「次の曲」を奏でていくに違いない。*5
作品データ
*リンクはWikipedia,@wiki,企業HP,Twitterアカウントなど
【スタッフ】
原作:武田綾乃/監督:石原立也/副監督:小川太一/シリーズ構成:花田十輝/キャラクターデザイン:池田晶子,池田和美/総作画監督:池田和美/楽器設定:髙橋博行/楽器作画監督:太田稔/美術監督:篠原睦雄/3D美術:鵜ノ口穣二/色彩設計:竹田明代/撮影監督:髙尾一也/3D監督:冨板紀宏/音響監督:鶴岡陽太/音楽:松田彬人/音楽制作:ランティス,ハートカンパニー/音楽協力:洗足学園音楽大学/演奏協力:プログレッシブ!ウインド・オーケストラ/吹奏楽監修:大和田雅洋/アニメーション制作:京都アニメーション
【キャスト】
黄前久美子:黒沢ともよ/加藤葉月:朝井彩加/川島緑輝:豊田萌絵/高坂麗奈:安済知佳/黒江真由:戸松遥/塚本秀一:石谷春貴/釜屋つばめ:大橋彩香/久石奏:雨宮天/鈴木美玲:七瀬彩夏/鈴木さつき:久野美咲/月永求:土屋神葉/剣崎梨々花:杉浦しおり/釜屋すずめ:夏川椎菜/上石弥生:松田彩音/針谷佳穂:寺澤百花/義井沙里:陶山恵実里/滝昇:櫻井孝宏
【第十二回「さいごのソリスト」】
脚本:花田十輝/絵コンテ:小川太一/演出:山村卓也/作画監督:髙橋真梨子,引山佳代
原画:浦田芳憲,瀨崎利恵,安藤京平,佐藤知美,芳﨑桃代,糸川駿,松尾望生,松尾翔平,中田うの,宮城良,唐田洋,山口平,熊野誠也,野尻壮
この他,この素晴らしい話数に参加されたすべての制作者に拍手を。
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【原作小説】
*1:作中のセリフにもある通り,この再オーディションの会場は第1期第十一回で麗奈と香織が再オーディションをした会場と同じである。久美子と真由が対話するホールは,第1期では久美子と麗奈の対話の舞台になっており,そこでも斜めの影線の構図が用いられている。
*2:「無知のヴェール」 についてはジョン・ロールズ(川本隆史/福間聡/神島裕子訳)『正義論』,pp.184-192,紀伊国屋書店,2010年を参照。
*3:ちなにに原作には,幹部ミーティング(第五回「ふたりでトワイライト」内のミーティングに相当)で秀一が覆面形式のオーディションを提案し,それを麗奈が却下するという件がある。
*4:「正義」に相当する英語のjusticeは「社会的・法的公正」という含意を持っており,本記事でもそうした意味合いで用いている。日本語の「正義の味方」のような言い回しに含まれる「正義」の意味合いではないことをお断りしておく。なお日本語の「正義」と英語の"justice"については,仲正昌樹『いまこそロールズに学べ 「正義」とはなにか?』,春秋社,2013年を参照。
*5:第十二回の時点では暗示されるに留まっているが,原作では,久美子は学校の教員になるという将来を選択している。