アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

アニメレビュー覚書:『鬼滅の刃』撮影監督・寺尾優一インタビュー(Blu-ray/DVD第五巻封入特典「鬼殺隊報」より)

*このレビューはネタバレを含みます。

ufotable制作の映像の“高級感”を支える撮影部門,そしていくつものビッグタイトルで撮影監督を務めてきた寺尾優一の功績は,どれだけ強調してもし過ぎることはない。

11月27日に発売された『鬼滅の刃』Blu-ray/DVD第五巻の封入特典「鬼殺隊報」には,寺尾優一のインタビューが掲載されている。以下,寺尾の言葉を引用しながら重要なポイントを列挙していく。

 

輪郭線について

まず,監督の外崎春雄やキャラクターデザインの松島晃も各所で言及している輪郭線。寺尾もこのインタビューで興味深い発言をしている。

線を太くするバージョンや,線を濃くするバージョン,あるいは鉛筆タッチの処理を加えるバージョンや,カメラからの距離に合わせて色合いを変えるバージョンなど。最終的には原作の絵が動く印象を大切にして,撮影処理を加えることにしました。

キャラクターの輪郭線については,実際には原作の吾峠呼世晴の線よりもはるかに太く描画されており,この作品の表情を極めてユニークなものにしている。それだけに背景美術とのすりあわせには相当気を遣ったことが想像されるが,それについて寺尾は「背景についても原作の絵を再現するために,思い切って,線の太いキャラクターの絵に近づける方向性にしています」と述べている。

 輪郭線のこだわりに関する外崎・松島の発言に関しては,以下の記事を参考にして頂きたい。 

www.otalog.jp

『無限列車編』のレビューについては以下の記事を参照して頂きたい。

www.otalog.jp

 

「水の呼吸」について

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第九話「手毬鬼と矢印鬼」より引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

 「水の呼吸」は劇中に何度も,何種類も出てくるのですが,登場するたびに新しい演出になっていて,過去に作ったエフェクトを兼用していないんです。良い言い方をすれば,カットごとのオートクチュール(=オーダーメイド)。こういうことが出来たのは,動画の精度が高かったからで,若手の動画スタッフが,何度も描き直して,とても良い動画を上げてくれた。動画が良いと,撮影チームとしてはいろいろな手法を選択できるようになるんですよ。

これは大変興味深い。「水の呼吸」は本作の前半を彩る“華”として頻出する重要なアクションだが,それを各カット「オートクチュール」でエフェクト処理しているのだ。このこだわりが,何度反復されても飽きないアクションを生み出している。“反復の美学”とも言えるバンクシーンとは対極にある思想と言えようか。

またこの引用で,寺尾が若手の動画スタッフの仕事に敬意を表しているのも印象的だ。動画職は原画職に昇格するまでの修行段階のように捉えられがちだが,それは昨今の繊細な動きを重視した作品を考えてみるに,必ずしも妥当なイメージではない。少なくとも動画と原画の間に貴賤のような差はない。各部門の綿密な連携が傑作を生み出すということを寺尾の言葉が示唆しているように思える。

家族の回想シーン

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第十九話「ヒノカミ」より引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

炭治郎が家族を思い出すときは,温かい色合いにしようと心掛けていました。本編の中でも一番明るくて,暖色が映える,優しい映像にしたいなと。

ufotableと言えば『Fate』シリーズなどの深い闇のシーンなどが印象に強いが,『鬼滅の刃』の回想シーンは確かにそれと好対照を成す明るい画作りをしている。〈明るさと暗さのコントラスト〉は『鬼滅の刃』という作品の魅力のひとつと言えるかもしれない。それを原作から引き出したufotableの功績は大きい。

 ヒノカミ神楽

第十九話の「ヒノカミ」は,近年のTVシリーズアニメの中でも群を抜く高いクオリティを示した話数だが,「ご自身のお仕事で印象に残っているカットは?」と問われた寺尾もこのシーンを挙げ,次のように述べている。

ヒノカミ神楽,爆血,累の血の糸と,三色の赤が重なり合うんですよ。絵コンテ・演出の白井(俊行)さんからも,それぞれの色に差をつけたいという話があって。ヒノカミ神楽は炎というよりも「太陽」,爆血は「紫」というように,赤の中に個性をつけていきました。

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第十九話「ヒノカミ」より引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

右下の炭治郎と累が激突するシーンでは,炭治郎の「太陽」と禰豆子の「紫」が溶け合い,絶妙な色彩になっている。

なお,ここに掲載した画像はTV放送の映像をキャプチャーしたものであり,後述するようにハーディング・チェックが施されている。オリジナルの色味とは異なることをお断りしておく。

吉川冴と吉田遥

寺尾によると,ufotableの撮影チームには「新人から勤続15年にベテランまで,幅広い年齢層のスタッフが在籍」しているらしいが,中でも吉川冴吉田遥を「印象に残る仕事をした撮影スタッフ」として挙げている(リンクは「アニメ@wiki」)。吉川は『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』(2014-2015年)や『活撃 刀剣乱舞』(2017年)で撮影監督補佐,『衛宮さんちの今日のごはん』(2018-2019年)で撮影監督を担当している。吉田は新人らしいが,寺尾は「ベテラン勢にも見劣りしない仕事」と高評価している。

寺尾の技を継承したスタッフが育ってくれるのはアニメファンとしても嬉しい限りだ。吉川・吉田両氏の名前は今後も要チェックである。

ハーディングチェックについて

寺尾によれば,TV放送された映像はハーディング・チェック(いわゆるパカパカチェック)によって輝度調整がなされており,特に第十七話「ひとつのことを極め抜け」における善逸の「霹靂一閃・六連」と第十九話の「ヒノカミ」のオンエア映像は,オリジナルと色合いが異なっている部分があるということだ。この記事を執筆している時点では,上記の話数を収録したBlu-ray/DVD第七巻(1月29日発売)と第八巻(2月26日発売)は発売されていないため未確認だが,是非オリジナルの色味を味わいたいものである。

寺尾撮影班の仕事の機敏を味わうためには,やはりTV放送用にチェックする前のオリジナル映像を観る必要がある。その意味でも本作のBlu-ray/DVDを購入する価値は十分にあるだろう。特典も充実しているのでオススメである。

 

アニメの撮影については以下の記事も参照して頂きたい。

www.otalog.jp

 

 

 

 

 

アニメレビュー雑感:生きろ,そなたは愉しい。

『天空の城ラピュタ』『エヴァンゲリオン』『魔法少女まどか☆マギカ』ーーこういった過去の傑作を前に必ずと言っていいほど繰り返される“語り尽くされた”という常套句。実は僕はこの言葉が好きではない。

ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940年)は,文学作品の「死後の生(Fortleben)」という,実に気の利いた言葉を好んで使った人だ。1921年に書かれた『翻訳者の課題』の中で,彼は翻訳と原作との原理的な関係を以下のように述べている。

[…]翻訳は原作から生まれる。しかも,原作の生〔生きること〕(Leben)からというよりも,原作が「生き延びること(Überleben)」から生じているのだ。なにしろ,翻訳とは原作よりも後に生まれるものなのだから,そしてまた,翻訳は重要な作品──それが成立した時代にはより抜きの翻訳者など望むべくもなかったのだが──がその死後においてもなお「生き続ける(Fortleben)」段階を示すものなのだから。*1

文学作品はそれが完成した瞬間に,化石のごとく時代という地層に固着してしまうわけではない。むしろ作者の死後,原作は時代の価値観の変遷とともに,その都度のコンテクストにおける相対的内実を変化させていくのだ。したがって,「作品の死後の生」は歴史と不可分である。

ところで,これはベンヤミンの悪い癖なのだが,彼は「作品の死後の生」が行き着く未来に「純粋言語」なる怪しい神秘主義思想を設定するため,そのシンプルかつ力強いアイディアが晦渋さというヴェールに覆い隠されてしまう。しかしその実,彼の言っていることは,作品とその歴史に関して僕らが持っている観念からさほど乖離しているわけではない。

作家の時代には,場合によっては彼の詩的言語の傾向であったものが,後の時代には用済みのものとなってしまうこともありうるし,内在的傾向が形成物としての作品から新たに浮かび上がることもありうる。当時若々しかったものが,後の時代には使い古された響きとなることもあるし,当時一般的な言葉が古めかしい響きになることもある。*2

原作そのものは見た目上変化しない。しかしその時代ごとの相対的な意味は常に更新されていくだろう。翻訳はそうした変化そのものを記述する機能を持っている(したがって翻訳も常に更新されることになる)。「翻訳においてこそ,原作の生は,つねに新たな状態での最終的な,そしてもっとも包括的な発展段階に到達する」。*3

そして無論,この「翻訳」という言葉を,ベンヤミン自身が生業としていた「批評」と置き換えることには何の問題もない。というより,「作品の死後の生」という考え方から,彼の“神秘主義的言語観”というアクを完全に抜くのであれば,むしろ「批評」にこそよく当てはまるのだと言える。

作品の批評は,その都度の時代の価値観を担った主体が行う。当然,時代ごとに異なる評価が生まれ,その変化が作品の「死後の生」を形成する。だとすれば,ある作品に関し“語り尽くされた”と言い切ることは,その作品の死亡宣告をしたに他ならない。

無論,同じことはアニメ作品のレビューについても言える。

近年の日本のアニメ制作の事情を見てみるに,多くの作品が一過性の消費物として制作されている感は否めない。だから多くの人が“語り尽くされた”“オワコン”と言った常套句を遠慮会釈なく口にする。

しかしどうだろう。日本初のカラー長編アニメ『白蛇伝』(1958年)が誕生してから半世紀をとうに過ぎた今,アニメが「死後の生」を生きるのに十分な〈歴史〉がすでに熟成したと言っていいのではないだろうか。傑作・駄作を問わず,新たな文脈で過去の作品群を語り,その「死後の生」を形成していこう。“語り尽くされた”などと知った風なことを言う輩を笑い飛ばしながら,かつての作品たちに命を吹き込もう。僕らのレビューはいつも自由で新しいのだ。

アニメとともに生きろ,アニメは愉しいのだから。

 

*1:ヴァルター・ベンヤミン『翻訳者の課題』[山口裕之訳『ベンヤミン・アンソロジー』2011年,河出書房新社所収]

*2:前掲書

*3:前掲書

アニメレビュー覚書:『星合いの空』(2019年)における空間演出について

タイトルやPV,そして「中学生のソフトテニス部」という題材から予想される“爽やか青春ドラマ”の印象を見事に裏切った『星合いの空』。本作のテイストの方向性は,第1話における夏南子の「あんたさぁ,なーんか闇深そうだね」というセリフによって決定付けられたと言っていいだろう。この“闇”を孕んだ登場人物の心理を描写するにあたり,本作がユニークな空間描写を活用している点も注目に値する。

幾何学的構図の演出

まず特長的なのは,様々な構造物を活用しつつ幾何学的な構図を多用している点だ。主に女子テニス部が使うテニスコートは,男子テニス部の練習場よりも高い位置にあり,常に「激つよ女子」が「激よわ男子」を見下す位置関係になっている。

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第2話より引用 ©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会

女子部と男子部の“カースト”的上下関係と空間的位置関係の,このあからさまとも言える対応関係は,物語前半において極めて強い印象を放つ構図となっている。

また人物どうしの距離の描き方も秀逸だ。時に構造物等も援用しながら,人と人との距離感を効果的に描き出している。

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第1話より引用(補助線は筆者によるもの) ©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会

このシーンでは,画面右側の構造物がパース線を構成し,客観的な物理空間を作り出している。それに対し,画面左側では(手前から)御杖夏南子,桂木眞己,新城柊真が等間隔に並び,その立ち位置自体が別のパースを構成しているかのように錯覚させている。信頼関係が生まれる前の人物どうしの心の距離を見事に表していると同時に,構造物が構成する客観的なパース線に対し,人物が構成する擬似パース線が複雑に交差することで,不安に満ちた画面構成を演出している。

狭小空間の活用

一方,室内等の狭小空間の使い方も非常に効果的だ。まず「生徒会」のシーンが独特である。一般に,アニメに描かれる生徒会の「部費会議」は,広々とした教室にロの字形に並んだ机に座った状態で行われることが多いが,この作品では敢えて狭い空間に生徒たちを詰め込む構図にし,意図的に狭隘感を演出している。

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第1話より引用 ©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会

また男子ソフトテニス部が部室代わりに使用している更衣室も狭隘感の創出に大きく寄与している。カメラは必ずこの狭い空間のどこかに具対的な場所を占めており,視聴者は部員たちの精神的・身体的な衝突を至近距離で観察することになる。

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第1話より引用 ©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会

本作ではこうした室内の狭隘感が極めて特徴的で,これが屋外の広々としたテニスコートで行われる練習シーンと綺麗なコントラストを成しているのである。

そしてこの狭隘感が最も活かされるのが,この作品の基調ともなっている“闇”の部分の描写だ。心理的な不安が描かれるシーンでは,カメラのチルトやレンズの効果によって,狭小空間のパース線が不規則に歪められる。

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第1話より引用 ©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会

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第4話より引用 ©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会

もちろんこうした画面演出自体は珍しいものではない。しかし本作が“爽やか部活モノという表層の下に闇を潜在させたアニメ”であることを考えた時,〈幾何学空間〉〈テニスコートの広々とした空間〉〈狭小空間〉という多様な空間描写の切り替えが,そのテーマに即した見事な演出になっていることがわかるだろう。派手さはないが,その作り込みの点で目が離せない作品となりそうだ。

アニメレビュー覚書:〈集合生命体〉のヴァリアンツ

*この記事は『ドラゴンボールZ』『新世紀エヴァンゲリオン Air / まごころを,きみに』『ガン×ソード』『キルラキル』『シドニアの騎士』『PSYCHO-PASS』の内容に触れています。ご注意下さい。

他者を取り込み,他者を排除することで,唯一絶対の存在になろうとする〈集合生命体〉のキャラクター類型。マンガ・アニメ史においてほぼ常に主人公と対峙する“敵”として描かれてきたこの類型には,マンガ・アニメなどの表象文化における〈個/非-個〉に関する問題意識が色濃く反映している。

 

『ドラゴンボール』セル,魔人ブウ

ドクター・ゲロの作り出した人造人間「セル」は,他の人造人間を吸収することにより進化し,最終的に「完全体」となる。また魔導師ビビディの作り出した「魔神ブウ」も,界王神や己自身を吸収することで「純粋」体へと進化していく。

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「完全体」となったセル(『ドラゴンボールZ』第161話より引用) ©️バードスタジオ/集英社・フジテレビ・東映アニメーション

「敵を吸収することによって強くなっていく」という設定は〈集合生命体〉の類型としては最もシンプルなものだが,これは「一戦ごとに勝者が敗者を排除しながら頂点を目指し,最後に一者だけが勝者となる」という勝ち抜き戦のメタファーに他ならず,ジャンプ作品の代名詞とも言える「トーナメント方式」をキャラクターとして体現している興味深い例である。

ちなみに悟空の側も味方と「フュージョン」することで強力な力を得るという技を持つが,これはどちらかと言えば元の個体の個性を残した〈協力〉関係に近く,アニメでは合体後の声を2人の声を二重にするなど,合体前のそれぞれの人格が保持された状態を演出している。セルや魔神ブウのような,他者を完全に取り込んでしまう〈吸収〉とは対照的である。 

『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air / まごころを,君に』(1997年):サードインパクト後の人類

物語の終局において,世界の惨劇に絶望し発狂するシンジ。彼の搭乗するエヴァ初号機を依代として発生した「サードインパクト」の後,全人類は個体としての存在を保てなくなって液状化し,その魂は「黒き月」へと集められていく。しかしそのその刹那,シンジは「“他人”の恐怖」を受け入れ,心の壁=ATフィールドが個と個を分つ世界への回帰を望む。

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『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air / まごころを,君に』より引用 ©カラー/Project Eva. ©カラー/EVA製作委員会 ©カラー

本作における「人類補完計画」はアニメ史上最大の謎であり,その仔細は未だ不明である。しかしそれがどのような形を取るのであれ,「個としての人間存在を無化し,集合個体へ進化すること」が事の本質であるように思われる。このような〈個の無化〉をシンジはきっぱりと否定する。それは好きな人の首を絞め,好きな人から「キモチワルイ」と言われてしまう世界だが,“みんな”という〈個〉が存在を保っている。この世界を守ることこそが(この時点での)本作の主人公の選択だったのだ。 

『ガン×ソード』(2005年)カギ爪の男

 「カギ爪の男」の目的は「宇宙創成を初めからやり直し,全人類に自らの思想を共有させること」であり,その“超展開”的プログラムは〈集合生命体〉の意志そのものである。その不気味な理想は,彼が穏やかな声で語る「みんなで同じ夢を見ればいい」という言葉の中に表されている。そこでは個人の具体的な苦悩と幸福は捨象され,ディストピアさながらの「幸福」の元にすべてが抽象化されてしまっている。

これに対峙する主人公・ヴァンとその一行は,高邁な理想も夢も共有していない,いわば烏合の衆だ。カギ爪の男からすれば矮小な存在に過ぎない彼ら小市民たちが,小さいけれどもかけがえのないものを守るために戦う。本作は〈非-個〉に抗う〈個〉という『エヴァンゲリオン』のテーマを継承しつつも,それをより明朗に“人間臭く”描いた名作であった。

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第13話より引用(キャラクターデザインの木村貴宏によるイラスト) ©2005 AIC・チームダンチェスター/ガンソードパートナーズ

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『キルラキル』(2013-2014年)生命戦維

地球外生命体である「生命戦維」は太古の地球に飛来し,人類に寄生してその進化を促した後,人類に「服を着る」という習性を残して休眠状態に入った。人類の進化が十分達成された今,生命戦維は人類の生命エネルギーを取り込んで地球を覆い尽くし,新たな種子を宇宙に拡散させて繁殖しようとしている。そんな生命戦維の目論見に加担するのが鬼龍院皐月の母・鬼龍院羅暁である。

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第21話より引用 ©TRIGGER・中島かずき/キルラキル製作委員会

母・羅暁の野望を阻止すべく立ち上がる皐月は,主人公・纏流子にこう語る。

世界は一枚の布ではない。“何だかよくわからないもの”に溢れているから,この世界は美しい*1

彼女の言葉に表されているのは,「何だかよくわからない」が,かけがえのない小世界を守ることの尊さであり,満艦飾家のような「何だかよくわからない」市井の人々を意図して丁寧に描くのもそこに理由がある。

『シドニアの騎士』(2014-2015年)落合

この作品に登場する「融合個体」は,科学者・落合が未知の生命体「奇居子」 と人間と掛け合わせから作り出した新生命体であり,複数の他者を吸収することで進化する生命体というわけではない。しかし「融合個体」に意識を転送し,シドニアの民を無き者にしようとした落合の目的は,自らが究極の生命体となって永遠に生き存えることにより「人類という種族全体の救済」を実現することであった。これはまさしく「人類補完計画」や「カギ爪の男」と同じ〈集合生命体〉のプログラムに他ならない。

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弐瓶勉『シドニアの騎士』十四,p.2。講談社,2015年。 ©︎Tsutomu Nihei 2015

主人公の谷風長道ら「シドニアの民」たちは落合の野望を打ち砕き,彼が蔑んだ「限りある命と世代交代」によって種を存続する道を選ぶ。

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『PSYCHO-PASS』シビュラシステム

市民の精神状態を「サイコパス」と呼ばれる数値で管理し,個人の能力に適した職業適性と幸福実現の手段を提供する「シビュラシステム」。犯罪者になる危険性を「犯罪係数」として数値化し,値が高い人物を「潜在犯」として事前に処理することで,極めて高度な治安維持を実現している。

しかしその実態は,ユニット化された人間の生体脳による高度な演算システムであり,シビュラシステムによって犯罪係数を計測できない=システムの外部にいる「免罪体質者」の生体脳を取り込むことで,その外縁を常に拡張し続けている。

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第17話より引用 ©サイコパス製作委員会

シビュラシステムの1ユニットと化したかつての潜在犯・藤間幸三郎の悦に入った講説は,まさに〈集合生命体〉の欲望そのものである。

他者の脳と認識を共有し,理解力と判断力を拡張されることの全能感!神話に登場する預言者の気分だよ。何もかもがわかる。世界のすべてを自分の支配下に感じる!*2

一方,藤間にシビュラシステムに参与するよう求められながらもそれを拒否した槙島聖護は,その異常な行動とは裏腹に,『ガン×ソード』や『キルラキル』における市井の人々と同じ“人間的,あまりに人間的”なキャラクターである。

僕はね,この人生というゲームを心底愛しているんだよ。だからどこまでもプレイヤーとして参加し続けたい」*3 

自己にとって異質な外部を取り込むことでより完璧なシステムへと更新され,かつ社会を成立させるための“システム”として人間社会を覆い尽くし,個を内包してしまうシビュラシステムは,〈集合生命体〉の狡知として最も洗練されたものに他ならない。ある者はあくまでもその外部に留まらんと死を望み,ある者はその内部で踊らされ,ある者は敢えてその内部でシステムに抗う。〈集合生命体〉をキャラクターではなく世界設定そのものに仕立て上げた本作のアイディアは大いに称賛に値する。

 

今後も〈集合生命体〉の系譜を継ぐキャラクターはいくつも生み出されていくことだろう。それは相変わらず生の人間の“敵”であり続けるのか,それとも時代と共に社会意識が変化し,その距離感も変わっていくのか。

*1:『キルラキル』第22話の鬼龍院皐月のセリフより。

*2:『PSYCHO-PASS』第17話の藤間幸三郎のセリフより。

*3:『PSYCHO-PASS』第17話の槙島聖護のセリフより。

アニメレビュー覚書:〈戦闘美少女〉のヴァリアンツ

綾波レイ,月野うさぎ,ウテナ,プリキュア,鹿目まどか…

この国では〈戦う少女〉たちの姿が幾度となく量産され再生産され続けてきた。彼女たちにつきまとう〈セクシュアリティ〉という記号は不変か,それとも可変か。

 

〈戦闘美少女〉のセクシュアリティ

かつて斎藤環は『戦闘美少女の精神分析』の中で,日本のマンガ・アニメにおける〈戦闘美少女〉の類型に注目し,そこに日本のオタク文化特有の「多形倒錯的なセクシュアリティ」の存在を指摘した。*1 確かに日本のマンガ・アニメ文化には,主にこの2つのメディアにおいて自律的に反復され強化された〈戦闘美少女〉という類型が存在する。それは欧米流のタフなアマゾネス風のヒロインとは異なり,“高い戦闘能力を有しながらも同時に可憐である”というある種の矛盾を孕んだ特殊な類型であり,現在進行形で生み出されているマンガ・アニメのヒロインの多くが,この類型の伝統を継承していることは否定できない。

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

 

しかし一方で,斎藤の前掲書出版からすでに20年近くの歳月が経ち,今やマンガ・アニメをめぐる表現の事情も大きく様変わりしていることも間違いない。マンガ・アニメにおけるヒロインの表象は多様化し洗練度を増し,相変わらず〈セクシュアリティ〉という要素を部分的に担いながらも,もはやそれを中核とはしない様々なヴァリアントが生まれているのではないか。

『鬼滅の刃』竈門禰豆子:〈不動明〉の系譜

ごく最近の例を挙げるとすれば,『鬼滅の刃』(2019年)の竈門禰豆子が面白い。主人公・炭治郎の妹である禰豆子のデザインは明かに“美少女”のそれであり,とりわけアニメにおいてはその〈セクシュアリティ〉の記号も明確である。この点に関しては監督の外崎春雄の言葉が興味深い。

体つきに関しては,鬼になっても女の子らしい雰囲気を損なわないようにしています。[原作者の]五峠先生の画は『むちっとした身体のデザイン』も特徴の1つかと思うので,そこを大事にしようと。禰豆子は着物を着ているので,ふくらはぎや脚の描き方をこだわろうと思いました。*2

 外崎が禰豆子の〈セクシュアリティ〉をはっきりと意識してデザインを指示していることが明らかだ。

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第一話より引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

その一方で,禰豆子というキャラクターの最大の魅力は,その文字通りの“鬼の形相”にあり,この点が従来の戦闘美少女の〈可憐さ〉とは一線を画したデザインになっている。さらにヒロインである禰豆子に宿敵である「鬼」の力を持たせることで,単純な勧善懲悪の図式を崩し,「鬼と人との間にあるキャラクター」という位置づけにしたことも重要である。「敵と戦うために敵の力を手に入れたことにより,敵と味方の間に立たされる」という運命は,永井豪の『デビルマン』(マンガ・アニメ共に1972-1973年)の主人公・不動明の造形を継いでいる。

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鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックス)

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックス)

 

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」:〈戦闘美少女〉の死

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(2018年)の主人公ヴァイオレットは,(少なくとも見た目上は)華奢な身体や抑制された感情表現などによって,『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996年)の綾波レイの系譜に連なるキャラ造形であり,その意味で典型的な〈戦闘美少女〉の伝統を間違いなく継承している。両者とも戦闘時に負った物理的外傷をアイコン(ヴァイオレットは義手,綾波レイは包帯)としているの点も示唆的である。

しかし彼女が紛れもない〈美少女〉として描かれていながらも,そのデザインからはセクシュアリティの要素が慎重に排除されている点は重要だ。いかにも良家の子女然とした彼女の風貌は,アニメのヒロインの平均値からすれば明らかに肌の露出度が低く,まるで人形のような存在感である。*3

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公式HPより引用

外伝の『永遠と自動手記人形』(2019年)においてヴァイオレットが“男装の麗人”として登場するのも興味深い。これは両性具有への欲望のような〈多形倒錯的セクシュアリティ〉というよりは,いわば“宝塚の男役”的な〈ユニセックスな美〉の表象と言えるのではないか。

そして決定的なのは,ヴァイオレットが〈戦闘美少女〉の類型伝統を継ぎながらも,戦闘そのものを放棄したヒロインであるという点である。彼女は原則として,終戦後に迎えた平時において戦闘をしない。その代わりに,他者の手紙の代筆を通して「愛してる」という言葉の象徴的な意味を探し求めるという,この上なく“非戦闘的”で“文系的”な営みが彼女の人生を満たしているのだ。

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これからもマンガ・アニメはセクシュアリティを核にした〈戦闘美少女〉を量産し続けていくだろう。しかしその一方で,禰豆子とヴァイオレットの例からわかるように,セクシュアリティ以外の要素を含み込むことでセクシュアリティの軛から放たれたヒロイン像が産み出されていくことも容易に想像できるのだ。

*1:斎藤環『戦闘美少女の精神分析』2006年,ちくま文庫(太田出版の単行本は2000年刊行)

*2:『鬼滅の刃』Blu-ray第一巻特典ブックレットより。

*3:むしろ成熟した女性として描かれるカトレア・ボードレールが“セクシー担当”になっているのも興味深い点だ。

TVアニメ『バビロン』(2019年)第1~3話レビュー:ダークホースはハケンに?

*このレビューはネタバレを含みます。

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公式HPより引用 ©野﨑まど・講談社/ツインエンジン

babylon-anime.com

現在(2019年)上映中の『HELLO WORLD』の脚本家・野﨑まどの同名小説が原作。

今回の記事では第1話から第3話までの所感を簡単に認めておきたい。『ロード・エルメロイII世の事件簿』のレビューの際にも述べたが,僕はふだん各話毎にレビューを書くことはない。書くとすれば,あまりのクオリティの高さに驚き,黙っていられなくなった時である。

作品データ

(リンクはWikipedia,もしくはアットウィキの記事)

東京地検特捜部の検察官・正崎善は,部下の文緒厚彦とともに,厚生省が告発した「アグラス事件」を捜査していた。その最中,2人は押収した捜査資料の中に「F」の文字が大量に書かれた書類を発見する。その書類を作成した因幡という准教授を訪ねるも,彼はすでに麻酔薬で変死を遂げていた。この事件に,実験的行政区画「新域」の域長選挙に出馬する大物政治家・野丸龍一郎が絡んでいることを察知した正崎は,その後,文緒の自死と謎の女の暗躍に翻弄され,やがて人の心に潜む〈死の欲動〉という恐るべき現実を突きつけられることになる。

野﨑まどの跳躍

完全にダークホースだった。

失礼を承知で言うなら,制作スタッフの座組に派手さはない。鈴木清崇は『Infini-T Force』(2017年)に続き,本作が二度目の監督作品。「文芸担当」の坂本美南香は製作会社ツインエンジンの所属という以外はほとんど情報がない。制作会社のREVOROOTはツインエンジンの子会社だが,2016年創立という若い会社である。だからというわけでもないのだが,以前の「2019年秋アニメは何を観る?」の記事ではこの作品を敢えてピックアップしていなかったのだ。

www.otalog.jp

しかし僕はこの時,スタッフ一覧の中にあって不気味な異彩を放つ,〈野﨑まど〉という名に目をとめるべきだったのだ。

物語は『ひぐらしのなく頃に』(原作ゲームは2002年)を思わせる製薬絡みの事件と,それを追う正崎&文緒のバディの活躍から始まる。ここまではミステリーものとして穏当な導入であるが,第1話にしてすでに,絡み合う死者の毛髪のような「F」という文字塊で視聴者を仰天させてくる。

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第1話より引用 ©野﨑まど・講談社/ツインエンジン

そこから物語は急展開し,文緒の謎の自死,謎の女の登場,『CHAOS;HEAD』(原作ゲームは2008年)の「ニュージェネ」を思わせる“集団ダイブ”シーンと次々と不穏な事件をたたみかけ,第3話は齋開化による「死の権利」という異常な思想信条の演説で唐突に終わりを迎える。

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第3話より引用 ©野﨑まど・講談社/ツインエンジン

比較的ノーマルな事件の発生から始まり,一気に異常な思想信条の吐露まで繋げる。これを3話でやり遂げる跳躍力,野﨑まどという人のストーリーテリングだ。

思えば野﨑は,『正解するカド』(2017年)でも目も眩むような“超展開”を疲労していた。ややもすると置いてけぼりを食らう彼の跳躍力は,ミステリーである『バビロン』においてはかなり功を奏しているように思える。

第2話の衝撃:富井ななせのセンス

そして本作の魅力はストーリ―テリングの強さだけではない。その画作りと演出にも目を見張るものがあるのだ。

第2話は正崎が謎の女「平松絵見子」を聴取するシーンが中心である。第1話や第3話と比べると動きのある派手なシーンが少ないのだが,絵コンテ担当の富井ななせは,大胆なカメラワークとテンポでカットを繋げることで独自のスピード感を出すことに成功している。

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第2話より引用 ©野﨑まど・講談社/ツインエンジン

このシーンは本記事を書くきっかけとなったものだ。人物を大胆に斜めに切り取りながらも,視線でカットの繋がりを保持しているのだが,最後にピントをずらしたカットを入れることで視線の繋がりを敢えて壊している(この時「平松」は空調の吹き出し口を見ているが,これはおそらく彼女の逃亡と奥田の死と関連があると思われる)。

これ以外にも,聴取の際の「平松」のセリフを回顧シーンの「平松」に語らせるなど,第2話には様々な技巧を凝らした名シーンが続出する。

ところがこの回の絵コンテを担当した富井ななせに関しても情報が異常に少ない。『かくりよの宿飯』(2018年)第一九話の絵コンテと第二四話の演出を担当しているらしいのだが,それ以外の情報は少なくとも僕が調べた限りでは見当たらない。SNS上では誰かのペンネームではないかとの噂も流れており,この人物の存在自体が『バビロン』のミステリーの一部なのではないかと邪推したくなるほどだ。

〈曲世愛〉というアモルファス

先日の第3話は「平松絵見子」こと曲世愛の不気味なカットで終わった。正崎の視線を感じてこちらを振り向く曲世の動きと表情が,おそらく2コマ打ちと思われる“ヌルヌル感”で表されている。

1コマ打ちや2コマ打ちの“ヌルヌル感”を非現実性の描写に用いた例としては『CLANNAD』(2007年~)の「幻想世界」などが想起されるが,『バビロン』第3話においても,様々な〈女〉に変化する曲世のアモルファスな存在感が“ヌルヌル感”によって見事に表されている。こればかりは静止画像では伝えることは不可能なので,第2話の富井ななせの絵コンテとともに,是非実際に観て頂きたい。

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第3話より引用 ©野﨑まど・講談社/ツインエンジン

深夜アニメの醍醐味は,ダークホースの出現にあると言っても過言ではない。派手な宣伝も座組もなく,こんな風に僕らを驚かせてくれる作品こそが傑作なのかもしれない。こんな作品に今後もたくさん出会えることを期待しようではないか。

劇場アニメ『空の青さを知る人よ』(2019年)レビュー[考察・感想]:回帰する場所

*このレビューはネタバレを含みます。また,同監督の『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』と『心が叫びたがってるんだ。』の内容にも触れていますのでご注意ください。

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公式HPより引用 ©2019 SORAAO PROJECT

soraaoproject.jp

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(2011年,以下『あの花』と省略),『心が叫びたがってるんだ。』(2015年,以下『ここさけ』と省略)に続く,超平和バスターズ原作による「秩父三部作」の三作目である。劇場アニメが多産された2019年にあって決して派手な存在感を持つ作品ではないが,三部作の集大成として深いテーマ性を持った作品に仕上がっている。とりわけ〈秩父〉という場所については,長井,岡田,田中の最終解が示されていると言っていいだろう。

 

作品データ

(リンクはWikipedia)

高校2年生の相生あおいは姉のあかねと共に秩父の山に囲まれた町に住み,ベーシストになるべく勉強そっちのけで日々練習に明け暮れている。2人は13年前に両親を亡くしており,あおいの親代わりになる決意をしたあかねは,恋人の金室慎之介と上京する夢を諦めてしまっていた。自分のせいであおいを秩父の「牢獄」に閉じ込めてしまっていると感じたあおいは,姉を解放すべく,高校卒業後に東京に出る決心をする。そんなある日,演歌歌手のバックミュージシャンとなった慎之介が13年ぶりに帰郷し,あかねと再会をはたす。そして時を同じくして,13年前の「しんの(高校時代の慎之介のあだ名)」があおいの前に姿を表すのであった。

キャスティングの妙

毎度アニメのメインキャストに俳優が起用されることについては一抹の不安が伴うものだが,本作に限っては杞憂だったと言えるだろう。まず,30代の金室慎之介と高校時代のしんのを見事に演じ分けた吉沢亮。単に声質や台詞回しがよいというだけでなく,慎之介としんのの内面の違いをきっちりと消化した名演技だった。声優業は今回が初めてだったというが,とてもそうは思えない技術力である。早見沙織を思わせる吉岡里帆の声質は,しっかり者だがフワッとしたあかねの雰囲気にぴったりだった。NHK大河などで子役から活躍している若山詩音は,相生あおいの跳ねっ返りな性格をうまく演じている。大物演歌歌手の新戸部団吉を演じた松平健は,プロの声優とまったく遜色ない演技力で観客を驚かせる。

失礼を承知で言えば,これまで“ヘタウマ”的な味を期待されることの多かった俳優キャスティングだが,本作ではそれとはまったく違う方向性が提示されたように思う。つまり,本業の声優のようにこなれていたり特定の色が付いたりはしていないが,きちんと演技はできるキャスト。キャスティングの選択肢の多様化は,業界にとって有益なだけでなく,作品鑑賞の幅も広げてくれるに違いない。

ベーシストあおいの孤独

作品の内容に目を向けていこう。

この作品における「ベーシストあおい」というキャラクターは実に魅力的である。高校2年生の華奢な女の子でありながら,彼女の太い眉や勝ち気な表情には,ベースという楽器の持つ“硬派さ”が象徴的に表されている。

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公式HPより引用 ©2019 SORAAO PROJECT

そんなあおいのリアルな演奏シーンは本作の見どころの1つでもある。楽器の演奏シーンのリアリティと言えば,『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)の「ライブアライブ」,『けいおん!』(2009年),『響け!ユーフォニアム』(2015年)など京都アニメーション作品が有名だが,本作でも,あおいの少々荒々しいが自信に満ちた演奏が見事に描写されている。長井によれば,この演奏シーンはロトスコープ(実際の人間のモーションをカメラで撮影したものをトレースしてアニメーションにする技法)で制作されており,これには相当な労力を要したそうである。*1

劇場パンフレットのキャラクターデザイン紹介によれば,「すべては彼女がベースを手に仁王立ちしている画から始まった」というから面白い。つまり本作において「あおい」というキャラクターとベースという楽器は不可分であるということだ。したがって当然,あおいがベースを選択したことには物語上の意味がある。

あおいはしんのたちのバンド活動に影響を受け,幼い頃にベースという楽器を選択している。もちろんその選択を,合理的理由付けとは無関係の,単なるセンスの問題として片付けることは可能である。しかしそれでは,あおいの心理を内在的に観察しているだけであって,『空青』という物語における彼女のキャラクターの意味を把握したことにはならない。どうして『空青』という物語で,彼女はベースを選択したのか。

ベースはギターなどと比べるとソロ演奏に適さない楽器だ。もちろん,ベースギターによるソロ演奏というものが存在することは事実だが,一般的には,ギター,ドラム,ボーカルなどと共にユニットを組むことによって初めてその真価が発揮される。しかし,あおいはベースを選択しておきながら,高校の同級生たちとバンドを組むことは拒んでおり,あたかも自ら孤独であることを望んでいるかのように思える。しかしだからと言って,彼女が“孤高のベーシスト”を気取ろうとしたわけではない。あおいはベースという楽器を選択することによって〈孤独〉という心の空白を呼びこみながら,実はそれを埋めてくれる存在を欲していたのだ。それがしんのという存在であったことは言うまでもない。 

それは最初は,〈恋愛〉という感情として分節される以前の,もっとあやふやな感情であったかもしれない。しかしベーシストとしてギタリストしんのと共に演奏したい(つまり「目玉スター」になりたい)という願望は,すでに幼少期から彼女の中に芽生えていたのである。そんな彼女の〈孤独〉という空白を,13年後に現れたしんのが埋める。そしてあおいは「二度目の初恋」をするのである。

しかし,しんのは地縛霊のようにあやふやな存在であり,なおかつしんの=慎之介は姉であるあかねの恋人である。それは「二度目の初恋」であると同時に,「二重の失恋」を予感させてしまうものだ。彼女の心の空白は,どのように埋め合わされるであろうか。

ギタリスト慎之助の挫折

一方の慎之助は,〈夢を諦めたギタリスト〉としてあおいと対比させられる。それは“俺,必ずビッグになるからな!”という挫折型キャラクター類型として描かれている。彼の偶然の帰郷は,あおいにとっては自身の不吉な未来の予兆でもある。

しかしーーこれこそがこの物語における“30代”という年齢設定の妙なのだがーー慎之助の挫折は最終的なものではない。だからこそ13年前のしんのは,彼自身の前にも姿を表す(この点が,めんまが当初じんたんの前にしか姿を見せなかった『あの花』との決定的な違いである)。彼は過去の自分に叱責されることで自己修復的に挫折を乗り越えようとする。“完全に老成した賢者が過去の過ちを省みつつ退場し,すべてを若い主人公に託す”という物語が〈特定世代犠牲型〉のハッピーエンドだとすれば,『空の青さを知る人よ』は“若者とともに中年も成長する”という〈全世代救済型〉のハッピーエンドなのである。

〈回帰〉というテーマ

そして『空の青さを知る人よ』の最も大きな見所は,こうした主人公たちの心の葛藤と成長を〈秩父〉というユニークなトポスを舞台に描き,〈束縛・解放・回帰〉という〈意識の運動曲線〉を描き出すことで象徴的に表した点である。

超平和バスターズは,これまでの2作でも〈回帰する場所〉というモチーフを用いてきた。つまり『あの花』における「山の中の秘密基地」と,『ここさけ』における「山の上のお城(ラブホテル)」である。

『あの花』の「秘密基地」は,ばらばらになった幼馴染みたちが幽霊であるめんまの登場をきっかけに立ち返る場所であり,彼らがかつての関係性を取り戻すために必要とした心の〈回帰点〉であった。一方,『ここさけ』における「山の上のお城」はいささか不吉なトポスだ。主人公の順はラブホテルを「山の上のお城」と勘違いしたために両親の離婚という事態を招いてしまい,「話すと腹痛を起こす」という呪いにかかってしまう。歌であれば腹痛が起こらないことを知った彼女は交流会のミュージカルに意欲的に関わるが,密かに想いを寄せていた拓実と菜月の関係を知り,廃墟となった「山の上のお城」に逃げ込む。呪いの元凶となった場所へ〈回帰〉したことによって,父の不義と拓実との失恋を重ね合わせたことになる。

「秘密基地」にせよ「山の上のお城」にせよ,一度はそこから離れながらも決して忘却することができず,やがて引き戻されていく強い磁力を持ったトポスとして描かれているのである。

そして『空の青さを知る人よ』においては,〈秩父〉という場所こそがそのような〈回帰点〉なのだ。この作品において,秩父は前2作より閉鎖的な空間として表象されている。冒頭であおいが耳に装着するイヤホン,慎之助がギターをしまうケース,しんのが閉じ込められる御堂といったものは,この閉鎖性を象徴的に表している。そしてあおいと慎之介は,自分たちを閉じ込める〈秩父の町〉という閉鎖空間から脱出することを強く望むのだ。

しかし一方で,2人はこの閉鎖空間を憎み切ることは決してできない。なぜならそこには,あかねという愛すべき存在がいるからだ。あかねは,2人が生まれ育った秩父という〈回帰点〉への愛の象徴である。あかねにとって,秩父の町は「秘密基地」のような過去の場所でもなければ,「山の上のお城」のような呪いの場所でもない。それは今この瞬間に自分が生きている場所であり,彼女の目に映るのは,セピア色の想い出でもなければラブホテルの廃墟でもなく,今ここにある美しい「青い空」なのだ。

あおいはしんのとの“失恋”で再び心に孤独を呼び込むだろう。慎之介はこの先も理想の自分と現実の自分のギャップに苦しむだろう。しかし今や2人の前には青空のように透徹した未来があり,また同時に,あかねという戻るべき場所もある。未来を諦めることもなく,過去を捨てることもない,地に足のついた現実的な生。それこそが,彼らの成長の拠り所となっていくのであろう。

このように,本作が具体的な土地と心の成長を関連づけることに成功した1つの理由は,おそらく〈秩父〉という場の特異性にある。長井はこう言う。

僕の田舎は新潟で,見渡すかぎり田んぼしかないような平野だったんです。だから,秩父の景観は山がちな地形だけでも新鮮で,見ているだけですごく楽しいんです。あとは都心との絶妙な離れ具合が,物語の舞台としておもしろいと思います。わざわざ出て行こうと考えるほどでもなさそうな微妙な距離感なんですが,近いだけに「手を伸ばせば届く場所」として東京のイメージを具体的に掴みやすい。だから,そっちに惹かれる人も多いんじゃないか…*2

山に囲まれた閉鎖的な空間でありながら,東京との物理的な往来が実現しやすい場所。これに加え,〈東京〉という特異点が良きにつけ悪しきにつけ〈地方〉を刺激するという,日本特有の地理的関係性も重要な要因であろう。〈秩父〉という場の特性が物語に見事に活かされた傑作であった。

 

さて,この三部作を通して,「超平和バスターズ」こそが長井,岡田,田中にとっての象徴的な〈回帰点〉となったのではないだろうか。彼らは今後,それぞれに様々な名作を作り出していくことだろう。そしてやがて彼らが再びこの「超平和バスターズ」に回帰し,新しい傑作を産み出してくれることを心から願おうではないか。

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
3.5 4.5 4.5 5
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
4.5 3.5 4
独自性 普遍性 平均
3.5 4 4.1
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

小説 空の青さを知る人よ (角川文庫)

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「空の青さを知る人よ」オリジナルサウンドトラック

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空の青さを知る人よ

空の青さを知る人よ

 

*1:『空の青さを知る人よ』劇場版パンフレットより。

*2:同上。

TVアニメ『鬼滅の刃』(2019年)レビュー:人と線と音

 *このレビューはネタバレを含みます。

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公式HPより引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

kimetsu.com

吾峠呼世晴の同名コミックスが原作。『空の境界』(2013年)や『Fate』シリーズのufotableが制作を手がけたとあり,放送前からそのクオリティが期待されていた作品である。また『テイルズ オブ シリーズ』でタッグを組んだ外崎春雄と松島晃がそれぞれ監督とキャラクターデザイン・総作画監督を務めたほか,撮影監督の寺尾優一が最終26話の絵コンテ・演出・原画に参加するなど,制作陣の座組においても注目に値する作品だ。総じて,コミックス原作アニメ化の現時点での“極北”となり得たと言っても過言ではないだろう。

 

作品データ

(リンクはWikipedia,もしくはアットウィキの記事)

時は大正時代。亡き父の跡を継いで炭焼きの仕事をする竈門炭治郎は,家族とともに貧しいながらも仲睦まじく幸せな暮らしを送っていた。そんなある日,炭売りから帰った炭治郎は,鬼に斬殺された家族たちの無残な姿を目にする。唯一命をとりとめた妹の禰豆子も鬼と化し,炭治郎に襲いかかるが,冨岡義勇と名乗る青年に助けられる。炭治郎は冨岡の導きにより,鬼と化した禰豆子を連れ,鱗滝左近次という人物の元を訪れる。鱗滝の元で修行を積んだ炭治郎は,やがて選抜試験に合格して「鬼殺隊」の一員となり,鬼を退治しながら妹を人間に戻す方法を探し求めて旅に出る。

キャラ立ちの妙

吾峠の原作の魅力は,なんと言ってもキャラクターの関係性と内面の描き方にある。

まず主人公とヒロイン・禰豆子の関係を兄妹にしたことにより,ややもすると陥りがちな〈ボーイミーツガール〉のテンプレ反復を回避している。これは男の子が主人公の少年マンガとしては過小評価すべきでない判断だろう。また,ヒロインの妹を「鬼」化したことで,これまたありがちな〈妹萌え〉というテンプレに対して一定の距離を置きながら〈萌えキャラ〉を描くことに成功している。炭治郎は単に「可愛い妹を守る」という一面的なキャラクター造形ではなくなり,視聴者は「可愛い妹だから守る→でも鬼だから守らなくても大丈夫→でも可愛い」という炭治郎の心理の起伏を追体験することができる。

このように,禰豆子というキャラクターは“戦闘美少女”の系譜を継ぎながらも,その典型からは微妙な距離をとる。一見シンプルな登場人物に,テンプレートに対する批判的な意味を持たせたことは,キャラクター造形に対する吾峠のすぐれた臭覚のなせる技と言えるだろう。

さらに主人公の宿敵である「鬼」を完全に敵側に外在させるのではなく,主人公側に取り込むことで,鬼に対する〈慈悲〉という心性を主人公に与え,勧善懲悪を超えた深みをキャラクターに付与することに成功している。やがてこの〈慈悲〉の心は,「鬼と仲良くしたい」という胡蝶しのぶの夢と合流することになり,本作の通奏低音となっていくことだろう。

サブキャラクターである我妻善逸と嘴平伊之助との掛け合いもすばらしく面白い。それぞれがボケにもツッコミにもなれるほどの濃いキャラがトリオを結成することで,悲痛になりがちな物語に陽の差したような暖かみが生まれる。長編マンガには必須の要素だ。

ところで,こうした人間関係や内面の機微を描くに当たって,アニメの構成を全26話にしたことは正しい判断だったと言える。途中やや展開の遅さに違和感を覚えたところがあったものの,アクションシーンに偏ったり筋の展開に焦りすぎたりせず,キャラクターの描写を丁寧に行ったのはufotable脚本の大きな功績である。

輪郭線の力:2Dと3Dのコラボレーション

そして本作のアニメ化において,人物や戦闘シーンの作画のユニークさが際立っていたことは言うまでもない。

3D空間を存分に活用し,人物が縦横無尽に飛び交う戦闘シーンは,すでにufotable自家薬籠中の物と言ってよいだろう。これに対し「水の呼吸」を用いた際の水の描写や人物の輪郭線などは,意図的にマンガ的・2D的に表現しており,原作そのものへのリスペクトと同時に,マンガという表現媒体へのリスペクトも示しているように思える。

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第九話「手毬鬼と矢印鬼」より引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

とりわけ人物の輪郭線の描き方は独特だ。吾峠の原作以上に太い輪郭線によって〈手描き〉であることを強調し,原作の持つ〈マンガ性〉をさらに際立たせている。例えばキャラクターデザインの松島によれば,第一話「残酷」において冨岡義勇が「生殺与奪の[…]」と叫ぶシーンでは,印象を強くするために線を太くしたり影を加えたりしたという。*1

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第一話「残酷」より引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

輪郭線そのものに,単にキャラクターと背景および色彩面どうしを隔てる役割だけでなく,独自の存在感を持たせ,それ自体を1つの表現にしている。ここまで手描き風の主線を強調すれば,当然,ufotableお得意の緻密な背景美術と何らかの齟齬が生じる可能性もあるだろう。監督の外崎によれば,「キャラクターと同様に『背景も主線を出していきたい』という話」を背景スタッフとしたらしい。本来であれば3DCGで描く空や雲も,あえて「アナログの手描きを大切にして」いるのだという。*2 こうした綿密な調整によって,キャラクターと背景美術の調和がとられているのだ。

こうした主線の描き方について,キャラクターデザインの松島は次のように述べている。

漫画家の方が描く線のイメージがありました。インクをつけたペンで線を引くと,線の中にインクだまりができますよね。曲線を引くと曲がるところで太くなり,線の終わりで細くなる。均等な太さにするのではなく,「トメ」「ハライ」がある線を,今回のアニメでは描きたいと思っていました。*3

主線に“面の分割”という抽象的な機能以外の独自の存在感を付与するという技法は,高畑勲の後期作品を思わせる。高畑は味気のない「アニメ的な線」を嫌い,遺作となった『かぐや姫の物語』(2013年)では,ラフスケッチをそのままアニメーションにしたかのような独特な描線を用いていた。

www.ghibli.jp

おそらく高畑と松島の間には直接的な影響関係はないだろう。しかし直接的な影響関係のないところに生まれる共通の価値認識に,ある種の〈文化的無意識〉のようなものの作用を認識できるのが,文化表現の面白いところなのではないかと僕は思う。 

www.otalog.jp

“空気”を描写する劇伴

さらにこのアニメ化の重要な要素に,梶浦由紀と椎名豪による劇伴がある。梶浦が第1話と第2話に使用されたメインテーマを担当し,それ以降の話数では,椎名が全話フィルムスコアリング(完成した映像に合わせて楽曲を作成する技法)で楽曲制作をしているという。『月刊ニュータイプ』7月号掲載のインタビューによれば,第十八話までの時点で300曲(ボツを含めると600曲)を制作したというから,途方もない作業量である。 *4

映像と綿蜜に擦り合わされた梶浦と椎名の劇伴は,原作の描写に潜在していたある種の空気感のようなものを顕在化させている。例えば,第二十四話「機能回復訓練」がわかりやすい。前半は炭治郎,善逸,伊之助のトリオによるコメディタッチのシーンが大半を占め,後半は胡蝶しのぶが炭治郎に心情吐露をするシーンが中心である。マンガ原作では,この前半と後半の空気感が連続しており,こうしたコメディシーンとシリアスシーンのシームレス感こそがいわば吾峠の持ち味とも言える。一方,アニメでは前半のコメディーシーンにコミカルタッチの音楽を,後半のシリアスシーンにはしっとりとした音楽を伴わせることで,両者のコントラストを明確にしている。

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第二十四話「機能回復訓練」より引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

もちろん,このような劇伴による演出はコミックス原作のアニメ化においては当然の作業ではある。しかし先ほども述べた,フィルムスコアリングによる繊細な劇伴の挿入は,カラッとした昼の描写から幻想的な夜の描写の変化とも相まって,前後半の空気感の絶妙な変化を描き出しており,結果として胡蝶しのぶというキャラクターの掘り下げにも寄与しているように思える。

「ヒノカミ」

そして,〈キャラ立ち〉〈手描き風の描画〉〈劇伴〉のすべての要素が凝縮されていたのが,第十九話「ヒノカミ」の戦闘シーンであった。

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第十九話「ヒノカミ」より引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

幼少時代の回想シーンとともに劇伴「炭治郎の歌」が挿入され,父の「ヒノカミ神楽」の舞いが始まる。炭治郎が「ヒノカミ神楽」で技をくり広げると同時に劇伴が盛り上がり,禰豆子が「爆血」で援護する。TVシリーズでここまで完璧な連携技を観られることはそう多くない。しかもこのシーンの敵方であった「累」は,「十二鬼月」であるとは言え「下弦の伍」。中ボスとすら言えない敵である上に,最終的に炭治郎は勝利しているわけではない。そのシーンにこれだけの技術を投入するのは贅沢至極としか言いようがない。このような贅沢な画作りに,寺尾優一の撮影技術が大きく貢献していることは想像に難くない。

www.otalog.jp

 

さて,「炎柱」煉獄杏寿郎の活躍を描く「無限列車編」が,劇場版として制作されることが最終話放送直後に発表された。すでにTVシリーズにして通常の劇場版クオリティを完全にクリアしている本作をグレードアップしたらどうなるか,まったく想像もつかない。僕を含め,多くの人がすでに原作で「無限列車編」の結末を知っていることと思うが,おそらくufotableはそんな僕らの想像をはるかに超えた映像を創り出してくれることだろう。大いに期待したい。

kimetsu.com

 

2020年10月29日(木)追記:『無限列車編』のレビューについては以下の記事を参照。

www.otalog.jp

 

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
5 5 5 5
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
4 5 4 4.5
独自性 普遍性 平均
4.5 4 4.6
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

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*1:『月刊ニュータイプ』2019年7月号,p.16,KADOKAWA,2019年。

*2:『鬼滅の刃』Blu-ray第一巻特典ブックレットより。

*3:『鬼滅の刃』Blu-ray第二巻特典ブックレットより。

*4:『月刊ニュータイプ』2019年7月号,p.20,KADOKAWA,2019年。

ブログ開設から1年経ちました。

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早いもので,当ブログを開設してから1年も経ってしまったようです(はてなブログ運営からメールをもらうまで気づきませんでしたが…)。

アニメを一個の作品と捉えて正面から向き合い,様々な資料や知識を駆使して読み解き,「レビューそれ自体を“読ませる”ものにする」という信念のもとにあれこれと工夫をしてきたつもりです。レビュー執筆のために読書量も増えたように思います。“アニメをきっかけに勉強をする”という新たなモチベーションを発見した気分です。悪くない趣味ですね。

まだまだ力不足を感じますが,このブログの記事には僕のアニメに対する姿勢のすべてを投入しているつもりです。そういう意味では僕自身の分身であるとも言えますので,今後も出来る限り丁寧な記事作りをしていきたいと思います。

更新頻度も高くなく,PV数も低飛行な弱小ブログですが,読者の皆様,当ブログに立ち寄っていただいた皆様には,今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。