アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』(2019年)コンクールシーンのカメラワークについて

*このレビューはネタバレを含みます。 

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『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』公式HPより引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

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アニメのレビューに関してしばしば陥りがちなのは,テーマやストーリーの考察だけに焦点を当ててしまうことで,小説のようなテクストの分析と差異がなくなり,アニメという媒体の固有性を捨象してしまうことである。ある作品が他でもないアニメ作品として作られたという必然性を考慮するならば,差し当たりテーマやストーリーを脇へ置き,そこで使われているアニメーションの技術ーーつまり作画や動画ーーに焦点を当てることも有効だろう。

本記事では,『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』におけるコンクールシーンに注目し,そこで用いられているカメラワークの特徴,およびそれと本作の奥底に流れているテーマとの関連を考察していく。過去のレビューでもこのコンクールシーンのカメラワークに言及した(下記のリンク参照)が,今回は実際の映像と石原立也監督の絵コンテを参照しながら,より詳細にシーン分析をしていくことにしよう。

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解き放たれるカメラ・アイ

コンクールシーンで最も特徴的なのは,『リズと青い鳥』の音楽のリズムに合わせて会場を縦横無尽に移動し,広角と望遠で様々な角度から演奏を捉えていくカメラ・アイである。カメラは正面や側面からだけでなく,後方や上空からも演奏者,楽器,楽譜などを把捉し,時にクレーン・ショットでも不可能なアクロバティックな動きを見せる。

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『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

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このカットでは,不意にカメラがステージ上の照明の方を向き,一回転した後に観客席上部からの俯瞰へとつながっていく。 『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

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みぞれのオーボエソロをカメラがぐるっと回って捉える。曲の美しさとも相まって極めて印象的なカットだ。 『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

よく見ると,ほぼすべてのカットでカメラがわずかに上下左右に揺れており,これはおそらくドローン・カメラの動きを模したものだと思われる。近年の京都アニメーションの作品では,日常シーンなどでもカメラの揺れを用いることで“手ブレ感”を演出し,視点をアクティブにすることが多いが,これもその一例と言えるだろう。躍動感やライブ感を生み出す効果的な手法だ。

ところが,さらに詳しくカメラの動きを見ていくと,ドローンですら不可能な視点移動が各所に導入されていることに気づく。例えば楽曲の終盤近くに,カメラがステージの後方で半円形に移動しながら,背後から演奏者たちを捉えていくカットがある。

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『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』,およびBlu-ray特典「絵コンテ集」より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

このカット(カットナンバー1495)の絵コンテを見ると,「ティンパニとかカメラつきぬけてよいと思います」(絵コンテの右上の図)とあり,カメラに実際にはあり得ない空間移動をさせていることがわかる。カメラが占める空間を感じさせず,物理的制約から完全に自由になった特殊な視点を導入しているのである。

複数化する視点

このように物理的制約から解放されたカメラ・アイの視点によって,鑑賞者はステージ上を自由に舞い飛びながら,すべてのパート,すべての奏者の演奏を細部まで観察する感覚を得る。さらに『リズと青い鳥』の終盤では,盛り上がる楽曲のリズムに合わせてカット割りが急激に増え,演奏者,はけ口の部員,観客を複数のカメラ・アイが複数の視点から次々と捉えていく。

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『劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜』より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

ランダムなカットの連続によって視点が寸断され,複数化されることにより,特定の人物を対象とする特権的な視点が相対化され,“主人公と脇役“といった視点の序列も相対化される。鑑賞者は多数の視座から多数の人物を知覚しつつ,ほとんど祝祭的とも言える気分の中でクライマックスを迎える。 

川島緑輝の言葉

こうした視点の複数化は,この作品のテーマとどう関わっているだろうか。

ヒントになるのは,コントラバスのパート練習の中で川島緑輝が月永求に言った台詞である。緑輝は求に「コントラバスの大事な役割は,音量じゃなくて響きを演奏に加えること。必要ないものなんてないと思うな」と説明する。アニメではカットされているが,実はこの台詞は,求の「コントラバスってなんのために吹奏楽にいるんでしょうか? 僕,昔から思ってたんです。コントラバスって,本当に必要な存在なんかなって。音なんてほかの楽器の音にかき消されるし,お客さんにだって聞こえないし」という疑問に対する返答である。*1

「必要ないものはない」ーー 吹奏楽の演奏において“脇役”は存在しない。仮に表面的には目立たなくとも,コントラバスも,ウインドマシーンも,ラチェットも主役である(もちろんカメラは彼らの演奏シーンもしっかりと捉えている)。緑輝の言葉には,そんな想いが込められているのだろう。これこそまさに,『響け!ユーフォニアム』という作品の中に通奏低音のように流れている思想なのだ。

『誓いのフィナーレ』のコンクールシーンは,このような『響け!ユーフォニアム』の根底にある思想を〈カメラの運動〉というビジュアルによって表現し得た稀有な例と言える。今回のシーンに限らず,京都アニメーションの作品におけるカメラワークは,テーマや思想との関わりが強いと考えられる。アニメ作品における〈運動〉の必然性を強く感じさせる一例と言えるだろう。

 

 

*1:武田綾乃『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部,波乱の第二楽章前編』p. 293,宝島社,2017年。

『美少女戦士セーラームーン』幾原邦彦演出回を観る①

 *このレビューはネタバレを含みます。

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第31話「恋されて追われて!ルナの最悪の日」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

『少女革命ウテナ』や『輪るピングドラム』など,独自のアニメ表現で作家性を発揮する幾原邦彦。彼の本格的な経歴は『美少女戦士セーラームーン』(1992-1993年)に始まる。本記事では,TVシリーズのファーストシーズン(無印)における幾原邦彦演出回に注目し,その魅了を紹介していく。なお,BD/DVDにはブックレット「Episode Guide」が特典として付属しており,執筆者,高橋和光のコンパクトながらも的確な解説は作品鑑賞の上で大変参考になる。本記事でも折に触れて参照していくことにする。なお,『R』『S』『SuperS』の幾原演出回,および『劇場版R』のレビューについては以下の記事を参照頂きたい。 

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『美少女戦士セーラームーン』(1992-1993年)幾原邦彦演出回一覧

話数 放送日 タイトル
#6 1992/04/18 守れ恋の曲!うさぎはキューピッド
#11 1992/05/23 うさぎとレイ対決?夢ランドの悪夢
#15 1992/06/20 うさぎアセる!レイちゃん初デート
#21 1992/08/08 子供達の夢守れ!アニメに結ぶ友情
#26 1992/09/12 なるちゃんに笑顔を!うさぎの友情
#31 1992/11/07 恋されて追われて!ルナの最悪の日
#36 1992/12/12 うさぎ混乱!タキシード仮面は悪?
#46 1993/02/27 うさぎの想いは永遠に!新しき転生

 

 

第6話「守れ恋の曲! うさぎはキューピッド」 

幾原邦彦のシリーズ初演出となるこの話数は,BGMを効果的に用いながら,大人の恋とうさぎの無邪気さを対比させ,ユニークな雰囲気を生み出している。高橋のブックレットによると,幾原は「最初は勝手を掴めず思った以上にハードな仕上がりになってしまった」*1 とのことだが,漫符を用いたコミカルな表現,絵画的な妖魔の登場シーン,車のマフラーのカットを反復したシーンなど,その後の幾原アニメを彷彿とさせる演出がいくつも見られる。若本規夫のコミカルな演技にも注目だ。

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第6話「守れ恋の曲!うさぎはキューピッド」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

なお,この話数に関する幾原邦彦のTweetをまとめた記事が「animate Times」にあるので紹介しておこう。

www.animatetimes.com

【その他のスタッフ】
脚本:隅沢克之/美術:鹿野良行/作画監督:只野和子(リンクはWikipediaもしくは@wiki。以下同様)

 

第11話「うさぎとレイ対決?夢ランドの悪夢」 

 うさぎとレイのライバル関係をコミカルに描いた話数。地場衛がパンダさんの汽車に乗って登場するなど,幾原らしいギャグ要素を盛り込んだ賑やかな回である。また,螺旋状のジェットコースターのカットを何度も挿入しており,幾原お得意の〈反復の美学〉も垣間見れる。なおブックレットによると,この回でのタキシード仮面の退場シーンは第1話のものを再利用しており,これを高橋は「ズームバックやパンを駆使した止め絵のドライブ感と合わせて,効率的な作画枚数配分を計算し尽くす幾原演出の妙技」*2と評価している。

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第11話「うさぎとレイ対決?夢ランドの悪夢」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

【その他のスタッフ】
脚本:柳川茂/美術:大河内稔/作画監督安藤正浩  

 

第15話「うさぎアセる!レイちゃん初デート」  

 衛に猛烈にアタックするレイと,それを追跡するうさぎのコメディが楽しいギャグ回。レイの強引なモーション,うさぎのデフォルメ顔,うさぎと海野の絡みなどがテンポよく展開され,終始笑いを誘う。高橋によると,レイが衛に踏みつけられるシーンは「幾原邦彦ならではの“ドS演出と,放送当時からファンの語り草となっていた」*3 とのことである。コミカルなシークエンスと亜美のシリアスなエピソードが好対照を成しており,こうした回を積み重ねることによって,うさぎ・レイ・亜美のキャラを立たせることに成功した作品であることを改めて実感させる。

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第15話「うさぎアセる!レイちゃん初デート」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

【その他のスタッフ】
脚本:隅沢克之/美術:大河内稔/作画監督:松本清

 

第21話「子供達の夢守れ!アニメに結ぶ友情」

架空の劇場アニメ『セーラーV』(この時点でセーラーヴィーナスは未登場)の制作現場「スタジオダイブ」を舞台としたメタアニメ的なエピソード。「誰かあたしもアニメにしてくんないかなー」と言ううさぎに,ルナが「そんな愉快なアニメを作る人がいたら会ってみたいわ」と突っ込むなど,自己言及的なメタ構造を意識した演出が成されている。

「スタジオダイブ」は実在するスタジオ・ライブがモデルとなっており,ゲストキャラクターの「松野浩美」「只下和子」は,本話数で作画監督を務めた松下浩美只野和子*4 の名前をもじったものである。高橋によれば,幾原自らスタジオ・ライブにロケハンに赴くなど,現場の雰囲気の再現に徹底してこだわった話数のようである。*5アニメの中でアニメ制作現場を描くという点では,近年の『SHIROBAKO』(2014-2015年)や『映像研には手を出すな!』(2020年)の“走り”と言ってもいいだろう。

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第21話「子供達の夢守れ!アニメに結ぶ友情」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

【その他のスタッフ】
脚本:隅沢克之/美術:橋本和幸作画監督:只野和子松下浩美

 

第26話「なるちゃんに笑顔を!うさぎの友情」

愛するネフライトを失い傷心する大阪なるを,うさぎと海野のコンビが慰める回。多くのファンの涙を誘った第24話のネフライトとなるの悲劇味を引きずりながらも,うさぎ&海野のギャグシーンや,妙な英語と名古屋弁混じりの妖魔・ボクシーのキャラなど,コメディ要素をしっかり組み込んでくるのが流石の幾原である。特に,レイに足をつねられてうずくまる亜美を1コマ打ちで動かすカットなど,幾原のマニアックなこだわりは必見だ。オルゴールを聴くうさぎのシルエットが夜空に変わっていくラストのカットも印象的である。

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第26話「なるちゃんに笑顔を!うさぎの友情」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

【その他のスタッフ】
脚本:富田祐弘/美術:橋本和幸作画監督:中村明

 

第31話「恋されて追われて!ルナの最悪の日」

すべてのカットに幾原邦彦の軽妙洒脱なセンスが詰め込まれた,シリーズ中の最高傑作コメディ回と言っていいだろう。この話数を観ずして幾原邦彦を語るなかれ,と言えるほどである

ルナと敵キャラゾイサイトの受難を描いた珍しい話数であり,タキシード仮面の代わりにブサネコのレッドバトラーが登場したり,ゾイサイトが大量のネズミに追われたりと,コミカルシーンがテンポよく連発する。その一方で,妖魔に変化したレッドバトラーが転落しかけたルナを救うシーンなど,心を動かすドラマ性もしっかりおさえている。

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第31話「恋されて追われて!ルナ最悪の日」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

この話数の最大の見どころと言えば,やはりムーン,マーキュリー,ジュピターのかしまし3人娘のギャグシーンと,レイと雄一郎のバックで看板が変化するシュールなシーンだ。

ゾイサイトを追って狭い路地に入り込んだ3人が,ポーズを決めようとしたり必殺技を繰り出そうとしたりしてテンヤワンヤになるシーンは,SNS等でも度々話題になるほどの名場面である。このシーンの原画担当は,後に『少女革命ウテナ』(1997年)において制作チーム「ビーパパス」の構成員となる長谷川眞也。高橋によれば,「ジュピターがマーキュリーのスカートの中を目撃して顔を赤らめる」という演出も彼のアイディアらしい。*6

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第31話「恋されて追われて!ルナの最悪の日」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

レイと雄一郎が偶然街で出会って駆け引きをするシーンは,バックの映画看板の顔とセリフを2人の内心に合わせて変化させるという極めてシュールなシーンである。キャラクター自身の傍白を用いず,背景に心情を語らせるという斬新なアイディアに,当時の視聴者もさぞ驚かされたことだろう。

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第31話「恋されて追われて!ルナの最悪の日」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

その他,セーラーVのゲームを発見して振り返るうさぎを1コマ打ちにしたカットなどは,第26話の亜美のカットとも通じるが,幾原流のマニアックなこだわりを感じさせる非常に面白い演出である。

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第31話「恋されて追われて!ルナの最悪の日」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

また,原画担当の伊藤郁子爲我井克美川合幸恵長谷川眞也らによる贅沢な作画も大きな見どころである。

【その他のスタッフ】
脚本:隅沢克之/美術:鹿野良行/作画監督:伊藤郁子

第36話「うさぎ混乱!タキシード仮面は悪?」

タキシード仮面を奪われ失意のどん底に沈むうさぎ。ファーストシリーズのクライマックスに向けてシリアス度を増していく中,幾原はうさぎのカットを中心にギャグ風味を盛り込むことも忘れていない。また,美奈子がうさぎの髪を梳かしてやるシーンなどは,ロングの金色(黄色)髪コンビの美麗な作画が大いに唸らせる。高橋のブックレットによると,今回初お披露目となるヴィーナスのメイクアップシーンは,幾原が絵コンテ・演出,長谷川が原画を担当しており,*7 この回を一際リッチに彩っている。

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第36話「うさぎ混乱!タキシード仮面は悪?」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

【その他のスタッフ】
脚本:富田祐弘/美術:大河内稔/作画監督松本清

 

第46話「うさぎの想いは永遠に!新しき転生」

ファーストシーズンの最終回とあって,これまでのようなコメディ要素はほとんど見られないが,全編にわたって幾原の映像センスが遺憾無く発揮された傑作回である。

前半の見どころは,悪堕ちしたエンディミオン=地場衛をうさぎが救うシークエンス。うさぎの差し出したオルゴールに触れた刹那,孤独だった子ども時代の姿に戻る衛。うさぎが優しく語りかけ,2人のキスシーンが大写しになる。うさぎの慈愛と母性を強調したこのシーンでは,これまでのうさぎと衛の庇護の関係性が逆転しているようにも見え,極めて印象的な場面に仕上がっている。

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第46話「うさぎの想いは永遠に!新しき転生」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

うさぎの胸の中で事切れる衛のシーンでは,タキシード仮面を象徴する薔薇の花が散るカットが挿入される。この紛れもない幾原流の演出がとても美しく切ない。当時の子どもたちはこうしたシーンを直視できたのだろうか…

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第46話「うさぎの想いは永遠に!新しき転生」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

「スーパーベリル」とうさぎの最終決戦では,巨大な敵とそれに果敢に立ち向かううさぎとの物理的な大きさの違いを強調した構図が印象的だ。強大な敵を打ち倒すことで大きなカタルシスがもたらされ,「普通の生活」への想いを語るうさぎの独白,そして奇跡的な「転生」へと繋がる。最終回にふさわしい見事なシークエンスだ。

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第46話「うさぎの想いは永遠に!新しき転生」より引用 ©︎武内直子・PNP・テレビ朝日・東映アニメーション

【その他のスタッフ】
脚本:
富田祐弘/美術:橋本和幸/作画監督只野和子

 

こうしてシリーズを通して観てみると,当初の“コメディ担当”から最終回の大取りを務めるに至るまでの,幾原邦彦演出の進化と発展が窺い知れるように思える。ここからさらに『ウテナ』や『輪るピングドラム』,さらには最新作の『さらざんまい』(2019年)を観返した時,幾原演出の中に新たな魅力を見出すことができるのではないだろうか。なお上でも記したように,引用した高橋和光のブックレットは大変参考になる逸品である。『セーラームーン』ファンの方は,ぜひBlu-ray/DVDを入手することをお勧めする。

 

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美少女戦士セーラームーン Blu-ray COLLECTION VOL.1

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  • 発売日: 2017/06/14
  • メディア: Blu-ray
 
美少女戦士セーラームーン Blu-ray COLLECTION VOL.2<完>

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  • 発売日: 2017/08/09
  • メディア: Blu-ray
 

 

*1:『美少女戦士セーラームーン』Blu-ray Collection Vol. 1 特典「Episode Guide #1〜23」,p.6。

*2:同上,p.10。

*3:同上,p.13。

*4:共に当時スタジオ・ライブに所属。なお,作品内で「松野浩美」は女性として登場しているが,モデルとなった松下浩美は男性で,松下と只野は夫婦である。

*5:上掲書,p.18。

*6:『美少女戦士セーラームーン』Blu-ray Collection Vol. 2特典「Episode Guide #24〜46」,p.7。

*7:同上,p.11。

TVアニメ『イエスタデイをうたって』scene 01〜05レビュー(「リアルサウンド映画部」掲載記事紹介)

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『イエスタデイをうたって』公式HPより引用 ©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会

singyesterday.com

1998年から2015年までの超長期連載となったことで知られる,冬目景のマンガ『イエスタデイをうたって』。そこでは,単に20年前のノスタルジックな風景が描かれるだけでなく,18年という歳月そのものが作品固有の時間となって流れ,人物たちの心のリズムと響き合っているように思える。

アニメ化を担当した藤原佳幸監督は,その卓越した表現技術によって,この独特の時間感覚を巧みにアニメーションに落とし込むことに成功していると言えるだろう。今回「リアルサウンド」に掲載した記事では,「後景移動と停滞感」「黒=色彩の否定」「声優の演技」の3点に注目した作品考察を行っている。今後の話数の鑑賞の参考にして頂ければ幸いだ。

realsound.jp

作品データ(リンクはWikipediaもしくは@wiki)

【スタッフ】
原作:冬目景監督・シリーズ構成・脚本:藤原佳幸/副監督:伊藤良太/脚本:田中仁/キャラクターデザイン・総作画監督:谷口 淳一郎/総作画監督: 吉川真帆/音響監督:土屋雅紀/音響効果:白石唯果/美術監督:宇佐美哲也/色彩設計:石黒けい/撮影監督:桒野貴文/編集:平木大輔/背景:スタジオイースター/アニメーション制作:動画工房 

【キャスト】

魚住陸生:小林親弘/野中晴: 宮本侑芽/森ノ目榀子:花澤香菜 /早川浪: 花江夏樹/木ノ下:鈴木達央/狭山杏子: 坂本真綾/柚原チカ: 喜多村英梨/湊:小野友樹/杜田:名塚佳織/滝下克美:堀江瞬/福田タカノリ:寺島拓篤/福田梢:洲崎綾/カンスケ:前川涼子

 

TV&劇場アニメ『PSYCHO-PASS サイコパス 3』レビュー(「リアルサウンド映画部」掲載記事紹介)

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『PSYCHO-PASS サイコパス』公式Twitterより引用 ©サイコパス製作委員会

psycho-pass.com

シリーズ3作目となる『PSYCHO-PASS サイコパス 3』は,先行シリーズと比較してはるかに物語の複雑度を増した上,劇場版の『FIRST INSPECTOR』においても未だ解決されない謎が残されている。それ故,物語の全体像を見通すことが極めて困難な作品と言わざるを得ない。

今回「リアルサウンド映画部」に掲載した記事では,「トリガー=決定遅延のギミック」「身体性」というキーワードで作品のテーマを読み解いている。作品理解の一助として御一読頂ければと思う。

realsound.jp

作品データ(リンクはWikipediaもしくは@wiki)

【スタッフ】

『PSYCHO-PASS 3』(TV放映)
監督:塩谷直義シリーズ構成:冲方丁脚本:深見真,冲方丁,吉上亮キャラクター原案:天野明キャラクターデザイン・総作画監督:恩田尚之色彩設計:鈴木麻希子美術監督:草森秀一3Dディレクター:大矢和也撮影監督:村井沙樹子撮影視覚効果:荒井栄児編集:村上義典音楽:菅野祐悟音響監督:岩浪美和アニメーション制作:Production I.G

『PSYCHO-PASS 3 FIRST INSPECTOR』(TV放映&Amazon Prime Video配信)
監督:塩谷直義シリーズ構成:冲方丁脚本:深見真,冲方丁キャラクター原案:天野明キャラクターデザイン:恩田尚之色彩設計:鈴木麻希子美術監督:草森秀一3Dディレクター:大矢和也,森本シグマ撮影監督:村井沙樹子撮影視覚効果:荒井栄児編集:村上義典音楽:菅野祐悟アニメーション制作:Production I.G【キャスト】

慎導灼:梶裕貴炯・ミハイル・イグナトフ:中村悠一雛河翔:櫻井孝宏廿六木天馬:大塚明夫入江一途:諏訪部順一如月真緒:名塚佳織唐之杜志恩:沢城みゆき霜月美佳:佐倉綾音ドミネーター:日髙のり子法斑静火:宮野真守代銀遙煕:中博史小宮カリナ:日笠陽子ラウンドロビン:森川智之梓澤廣一:堀内賢雄小畑千夜:矢作紗友里狡噛慎也:関智一宜野座伸元:野島健児須郷徹平:東地宏樹六合塚弥生:伊藤静花城フレデリカ:本田貴子常守朱:花澤香菜

 

2020年 春アニメは何を観る?ー2020年 冬アニメを振返りながらー

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『BNA』公式HPより引用 ©2020 TRIGGER・中島かずき/『BNA ビー・エヌ・エー』製作委員会

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uzurainfo.han-be.com

2020年 冬アニメ振返り

2020年冬アニメでは,大童澄瞳原作・湯浅政明監督の『映像研には手を出すな!』の人気が頭一つ抜けていると言えるだろうか。“アニメ制作をアニメで描く”という自己言及性がユニークかつアクチュアルであり,現在上映中の『劇場版SHIROBAKO』ともテーマを共有しているために,両作品間の相乗効果もあったようである。これまで以上に,アニメ制作の現場に注目が集まっていることをよく表した現象である。『劇場版SHIROBAKO』については,以下の記事を参照して頂きたい。

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また,深夜アニメのある種の“クリシェ”ともなっているエロ・グロ・萌えの要素がほぼ皆無と言ってよく,深夜放送であるにもかかわらず,子どもを含めた広範囲にわたる視聴者を獲得した作品となった。

一方で,エロ・グロをむしろ前面に押し出した作品が目立ったことも今期の特徴と言えるだろう。

『異種族レビュアーズ』は,異世界ファンタジーでは定番の〈異種族サラダボウル状態〉を,多種多様な性風俗体験の舞台とした点が極めて異色な作品である。その遠慮ない性描写のために,隠し・ピー音はデフォルト(AT-Xの放送やBlu-rayでは無修正),一部の放送局や配信サイトで放送休止や配信停止になったことでも話題となった。

『ドロヘドロ』は,”グロい・汚い・萌えない”という,近年のアニメ視聴者の趣味嗜好からすると敬遠されがちな要素満載でありながら,その奇想天外でまったく先の読めないストーリーと,描き込まれた背景美術やスタイリッシュなキャラクターデザインによって独特な魅力を放つ作品である。今ひとつ注目度が低いように感じるが,僕としてはこの手の作品をこのクオリティで仕上げてくれたことを大いに評価したい。

エロとグロは日本アニメからなくならないし,なくなるべきではないのだろう。

最後に,『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』にも触れておこう。原作の『 魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)の同じくシャフト制作だが,新房昭之は「スーパーバイザー」の立場に退き,劇団イヌカレー(泥犬)が総監督とシリーズ構成を務めている。それもあってか,シャフト演出にさらに幻想風味が加わり,極めて洗練された映像表現になっている。ゲーム原作であるだけにストーリー展開にはやや不安があるが,アニメ表現の可能性を押し広げた作品として大いに評価できるだろう。

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それでは以下,春クール期待のアニメを五十音順に紹介しよう。

天晴爛漫!

【スタッフ】
原作:APPERRACING/監督・シリーズ構成・ストーリー原案:橋本昌和/キャラクター原案:アントンシク/キャラクターデザイン・総作画監督:大東百合恵/美術監督:杉浦美穂/制作:P.A.WORKS

【キャスト】
空乃天晴:花江夏樹/一色小雨:山下誠一郎/ホトト:悠木碧/ジン・シャーレン:雨宮天/アル・リオン:斉藤壮馬/ソフィア・テイラー:折笠富美子/ディラン・G・オルディン:櫻井孝宏/TJ:杉田智和/セス・リッチー・カッター:興津和幸

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「天晴爛漫!」PV第2弾!

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上映中の『劇場版SHIROBAKO』も高評価を受けているP.A.WORK制作のオリジナルアニメである。PVではユニークな形状のマシーンによるカーレースが見られるが,その辺りのアクションが見所ということになるのだろう。

『劇場版クレヨンしんちゃんシリーズ』(2008年-),『TARI TARI』(2012年)の橋本昌和が監督を務める。

イエスタデイをうたって

【スタッフ】
原作:冬目景/監督・シリーズ構成・脚本:藤原佳幸/脚本:田中 仁/キャラクターデザイン・総作画監督:谷口淳一郎/総作画監督:吉川真帆/美術監督:宇佐美哲也/色彩設計:石黒けい/制作:動画工房

【キャスト】
魚住陸生:小林親弘/野中晴:宮本侑芽/森ノ目榀子:花澤香菜/早川浪:花江夏樹/木ノ下:鈴木達央/狭山杏子:坂本真綾/柚原チカ:喜多村英梨/湊:小野友樹/杜田:名塚佳織/滝下克美:堀江瞬/福田タカノリ:寺島拓篤/福田梢:洲崎綾/カンスケ:前川涼子

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TVアニメ「イエスタデイをうたって」4月4日(土)テレビ朝日 新・深夜アニメ枠「NUMAnimation」放送開始

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冬目景の同名マンガ(1998-2015年)が原作。「新宿にほど近い私鉄沿線の小さな街で,悩み、迷いながらも懸命に生きる4人の男女の姿を描いた,人生と愛のストーリー」(公式HP「About」より)とあるように,ストレートな青春群像劇だが,そこにカラスを連れた少女「ハル」がミステリアスな要素を加えるというのがストーリー上のポイントだろう。その「ハル」を,『SSSS.GRIDMAN』(2018年)の「宝多六花」役でナチュラルな演技を評価された宮本侑芽が演じる。

また,キャラデザ・総作監を『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)などの谷口淳一郎が務めるのも大きなポイントだ。カラス,タイトルロゴ,キービジュアルから一見してわかるように,”黒”がキーカラーになっているようだ。そこに谷口が描く黒髪のキャラクターたちがマッチする。ビジュル的にも期待大の作品である。

本作は,テレビ朝日が2020年春から設ける新アニメ枠「NUMAnimation」で放映される。「NUMAnimation」の名称は「沼落ち」に由来し,コアファン向けの枠として設定されているそうだ。*1 とすれば,本作にも表面的な爽やかさを良い意味で裏切る何かを期待できるかもしれない。

『NEW GAME!』(2016年)などの藤原佳幸が監督・シリーズ構成・脚本を務める。

かくしごと

【スタッフ】
原作:久米田康治/監督:村野佑太/シリーズ構成・脚本:あおしまたかし/キャラクターデザイン:山本周平/総作画監督:西岡夕樹・遠藤江美子・山本周平/美術監督:本田光平/制作:亜細亜堂

【キャスト】
後藤可久士:神谷浩史/後藤姫:高橋李依/志治仰:八代拓/墨田羅砂:安野希世乃/筧亜美:佐倉綾音/芥子駆:村瀬歩

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TVアニメ『かくしごと』本PV

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なんと言っても神谷浩史と高橋李依の語りが心地いい。PVを見れば一気にその魅力に引き込まれるだろう。作品の方向性を決定づけるインパクトのあるキャスティングだ。

久米田康治の同名のマンガ(2015年-)を原作とする本作は,「ちょっと下品な漫画を描く後藤可久士と,彼が溺愛する一人娘の姫」が繰り広げるハートフルコメディだ。神谷と高橋の演技が原作にどう彩りを加えてくるか,非常に楽しみである。

監督は『ぼくらの七日間戦争』(2019年)の村野佑太。山本周平のキャラクターデザインはシンプルだが存在感があり,原作の魅力を存分に引き出してくることが期待される。

かぐや様は告らせたい? 天才たちの恋愛頭脳戦

【スタッフ】
原作:赤坂アカ/監督:畠山 守/シリーズ構成:中西やすひろ/キャラクターデザイン:八尋裕子/音楽:羽岡 佳/制作:A-1 Pictures

【キャスト】
四宮かぐや:古賀葵/白銀御行:古川慎/藤原千花:小原好美/石上優:鈴木崚汰/伊井野ミコ:富田美憂/早坂愛:花守ゆみり/柏木渚:麻倉もも/大仏こばち:日高里菜/柏木の彼氏:八代拓/ナレーション:青山穣

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TVアニメ「かぐや様は告らせたい? ~天才たちの恋愛頭脳戦~」第1弾PV

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〈生徒会〉は異世界だ。特殊な異能・権能を持ったキャラクターが集う場として,教室や部室とは異なるドラマが繰り広げられる。アニメにおける〈生徒会〉の位置づけは奥深く,このテーマだけでブログの記事が書けるほどと言ってよい。

2019年に放送された1期が放映された本作は,”超ツンデレどうしの特殊ラブコメ”という特化した内容でありながらも,わかりやすく魅力的なキャラとテンポのよいギャグで人気を博した。今回の『かぐや様は告らせたい? 天才たちの恋愛頭脳戦』はその続編であり,その意味深なタイトル(「?」と取り消し線)は1期との内容差を暗示しているのだろう。「第十四回声優アワード」で主演女優賞を獲得した古賀葵の演技も楽しみである。

はたして2人の恋の行方は。伝説の「チカダンス」は再び見られるのか。 

グレイプニル

【スタッフ】
原作:武田すん/監督:米田和弘/シリーズ構成:猪爪慎一/キャラクターデザイン:岸田隆宏/美術監督:岡本有香/制作:PINE JAM

【キャスト】
加賀谷修一:花江夏樹/青木紅愛(クレア):東山奈央/青木江麗奈(エレナ):花澤香菜/宇宙人:櫻井孝宏

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TVアニメ「グレイプニル」第一弾PV

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武田すんの同名マンガ(2015年-)が原作。ゆるキャラのような着ぐるみに変身する能力を持った少年・加賀谷修一と少女クレアとの出会いから始まるアクション&ラブコメ。公式HP内の情報は少ないが,PVからは硬派な画作りが伺える。

「第十四回声優アワード」で主演男優賞を獲得した花江夏樹を初め,ヒロインの東山奈央,花澤香菜,櫻井孝宏と,豪華声優陣も見所である。

監督は『鬼灯の冷徹 第弐期』(2017-2018年)などの米田和博。『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)などを手がけたベテラン岸田隆宏がキャラクターデザインを務めるのも注目ポイントだ。

攻殻機動隊 SAC_2045

【スタッフ】
原作:士郎正宗/監督:神山健治×荒牧伸志/キャラクターデザイン:イリヤ・クブシノブ/制作:Production I.G×SOLA DIGITAL ARTS

【キャスト】
草薙素子:田中敦子/荒巻大輔:阪脩/バトー:大塚明夫/トグサ:山寺宏一/イシカワ:仲野裕/サイトー:大川透

www.ghostintheshell-sac2045.jp


『攻殻機動隊 SAC_2045』予告編 - Netflix

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神山健治×荒牧伸志は『ULTRAMAN』(2019年)に次いで2度目のタッグ。むろん,神山には『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002-2003年),『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』(2004-2005年)の実績がある。『攻殻』シリーズを熟知したクリエーターが本作に関わるという事実だけでも,自ずと期待は高まる。

『攻殻』アニメ史上初のフル3DCGということだが,果たして。

ざしきわらしのタタミちゃん

【スタッフ】
原作:押切蓮介,ゼロジー,エイベックス・ピクチャーズ/監督・脚本・キャラクター原案:押切蓮介/キャラクターデザイン・作画監督:山下敏成/美術監督・背景:椎野隆介/制作:ZERO-G

【キャスト】
タタミちゃん:井澤詩織/大家:新井里美/くすぐり坊主:杉田智和/霊:佐藤恵/ぽんぽこ丸:上田耀司/イナノガワ:BBゴロー/カラオケ店店長:藤原啓治/お菊:香坂さき/カラオケ店店員:大塚琴美

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ミニアニメ「ざしきわらしのタタミちゃん」PV

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マンガ『ハイスコアガール』(2010-2018年)でゲーム少年・少女たちの甘酸っぱい恋模様を描いた押切蓮介。『ハイスコアガール』はアニメ化もされ(1期:2018年,2期:2019年),高い評価を得た。その押切が『ざしきわらしのタタミちゃん』で自ら監督・脚本・キャラクター原案を務めるというから驚きである。『ハイスコアガール』と比べギャグ要素が強く,”押切節”を前面に押し出した作風のようである。dTV・dアニメストアで配信予定。

BNA ビー・エヌ・エー

【スタッフ】
監督:吉成曜/シリーズ構成:中島かずき/コンセプトアート:Genice Chan/キャラクターデザイン:芳垣祐介/総作画監督:竹田直樹/美術監督:野村正信/制作:TRIGGER

【キャスト】
影森みちる:諸星すみれ/大神士郎:細谷佳正/日渡なずな:長縄まりあ/アラン・シルヴァスタ:石川界人/バルバレイ・ロゼ:高島雅羅/マリー伊丹:村瀬迪与

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TVアニメ『BNA ビー・エヌ・エー』第1弾PV

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吉成曜×中島かずきのタッグとくれば,観ない手はない。

「”人類”と“獣人”が共存する社会」という,今石洋之×中島かずきの劇場アニメ『プロメア』(2019年)にも見られた〈共生〉というテーマ。これを『リトルウィッチアカデミア』(2017年)で力量を見せつけた,TRIGGERきっての実力派・吉成曜が料理する。同じTRIGGER制作だが,今石とは一味違ったディレクションを楽しめる作品となりそうだ。

海外市場を強く意識した「+Ultra」枠で放送されることも,この作品の方向性を予想する材料になる。劇場作品として作られた『プロメア』が海外のファンに受けがよかったため,TRIGGERとしてはその流れを維持したいという思いがあるだろう。”TRIGGER”というブランドの海外訴求力をいっそう高める作品となることが期待される。またその一方で,海外市場を意識したことによる作風の変化があるのかどうかも気になるところである。

富豪刑事 Balance:UNLIMITED

【スタッフ】
原作:筒井康隆/ストーリー原案:TEAM B.U.L/監督:伊藤智彦/シリーズ構成・脚本:岸本 卓/キャラクターデザイン:佐々木啓悟/制作:CloverWorks

【キャスト】
神戸大助:大貫勇輔/加藤 春:宮野真守

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「富豪刑事 Balance:UNLIMITED」 アニメ化決定PV

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筒井康隆のミステリ小説『富豪刑事』(1975-1977年)が原作。ライトノベル以外の小説を原作とするという点が注目だ。

監督に『僕だけがいない街』(2016年)『HELLO WORLD』(2019年)などの伊藤智彦が,シリーズ構成・脚本に『ハイキュー!!』(2014年-)『僕だけがいない街』などの岸本卓, キャラクターデザインに『僕だけがいない街』などの佐々木啓悟が就く。”『僕街』トリオ”の復活というわけだ。

A-1 Picturesの「高円寺スタジオ」を2018年に新ブランドとして立ち上げたCloverWorksが制作。すでに『約束のネバーランド』(2019年)や『Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-』(2019年)などでの実績があるだけに,一定のクオリティは期待できる作品である。

LISTENERS リスナーズ

【スタッフ】
監督:安藤裕章/ストーリー原案:じん・佐藤大・橋本太知/シリーズ構成:佐藤大/キャラクターデザイン:pomodorosa/アニメーションキャラクターデザイン:鎌田晋平/美術監督:谷岡善王/楽曲プロデュース:じん/制作:MAPPA

【キャスト】
エコヲ・レック:村瀬歩/ミュウ:高橋李依/ニル:釘宮理恵/ロズ:花澤香菜/殿下:諏訪部順一

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【4/3放送開始】『LISTENERS リスナーズ』本PV

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『カゲロウプロジェクト』のじんと『交響詩篇エウレカセブン』(2005-2006年)のシリーズ構成・佐藤大のタッグからわかる通り,音楽,とりわけロックを前面に押し出したストーリーということらしい。ビジュアル的にもどことなく『エウレカ』の作風を継ぐ要素が伺える。”ボーイミーツガール””世界救済””ロック”といったトラディショナルなモチーフを踏襲しながらも,新しい時代の物語を提供してくれるか。期待したいところだ。

『亜人』(2016年)などの安藤裕章が監督を務める。

2020年 春アニメのイチオシは…

以上,2020年 春アニメ期待の10作品を挙げてみたが,中でも今回のイチオシはオリジナル作品である『BNA』としたい。先述したように,TRIGGERと「+Ultra」のコンビネーションがどう決まるかも気になる作品だ。さらに次点として,『イエスタデイをうたって』『かくしごと』も挙げておこう。

現在,COVID-19の蔓延でアニメ制作にも大きな影響が出ているが,4月からの春クール開始がつつがなく迎えられるよう願うと共に,アニメ制作関係者の方々には,くれぐれも無理をされないよう御自愛を祈りたい。

西位輝実『アニメーターの仕事がわかる本』レビュー:アニメ業界に“もっと光を!”

 

アニメーターの仕事がわかる本

アニメーターの仕事がわかる本

 

 現在,アニメーターとして第一線で活躍する西位輝実。彼女が語る「アニメの仕事」は,彼ら/彼女らが作るアニメそのものほどキラキラとしたものではない。現代のアニメ制作の暗部を語る貴重な証言でもある本書は,これから業界に入ろうとする人だけでなく,すでに業界に身を置く人,そしてアニメを愛好するすべての人にとって必読の一冊だ。

「動画は下積み」ではない!

2019年に開催された「平成30年度メディア芸術連携促進事業 研究プロジェクト 活動報告シンポジウム」の アニメーター実態調査一般社団法人 日本アニメーター・演出協会(JAniCA)が実施)によると,2018年時点での動画職の平均年収は125万円であり,監督等を含めた全職種の平均441万円を大きく下回る。この数字は,制作現場における「動画」作業への評価が決して高くないことを表している。また動画職は,アニメーターを始めたばかりの新人が担当することも多いことから,“動画=下積み”というイメージが一般にも広まっている。

西位はこれをきっぱりと否定する。

新人が任される仕事ではあっても,決して素人の仕事ではない *1

動画の仕事ってもっと評価されるべきだと思うんだ *2

僕が本書でもっとも共感したセリフだ。

言うまでもなく,アニメーションの本質とは“絵を動かす”ということである。とりわけ日本のアニメーションは,予算との兼ね合いもあって,海外とは違う独自の動画技術を発達させた歴史がある。3DCGやAIによる自動中割り技術の導入によって,やがてはその作業内容が変質していくとは言え,動画が日本アニメのアイデンティティであることに変わりはない。にもかかわらず,動画が“原画に上るまでの下積み”と捉えられていることに,個人的にも大きな違和感があった。西位のような問題提起をしてくれる人が業界内にいることがわかったことは,本書を読んだ大きな成果だった。

もちろん西位だけではないだろう。多くの制作者が動画職に対する不当な過小評価を問題視しているはずだ。作業内容に対する評価と,報酬による評価とが釣り合っていない。この業界の構造的な問題をはっきりと露呈している事態である。

テクニカル・タームのスキマにある真実

最近はアニメ関連の書籍も増えてきたので,「原画」「動画」はもちろん,「一原」「二原」など,かなり突っ込んだ専門用語もポピュラーになっている。*3 しかし西位が『アニメーターの仕事がわかる本』で語るのは,そうした用語で説明されるシステマチックな制作フローばかりではない。「二原撒き」「一原描き逃げ」「拘束費」など,用語集などには掲載されないが,アニメーターが日常的に使っているジャーゴン。これらには,専門用語だけでは決して語ることのできない,制作現場の生々しい現実が反映されている。

例えば「一原描き逃げ」について,西位は「第一原画を低いクオリティで描き飛ばして逃げ切っちゃう原画マン」*4 と説明し,「総作監制」によってスケジュールが逼迫したことにその原因を見ている。当然,「描き逃げ」はいわゆる「作画崩壊」につながり,作品全体の質も評価も下がっていく。ちなみにこの「一原描き逃げ」については,TVアニメ『SHIROBAKO』の中でも,制作の平岡の“闇堕ち”の原因となったエピソードとして描かれている。

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『SHIROBAKO』#22「ノアは下着です。」より引用 ©「SHIROBAKO」製作委員会

僕らはアニメを鑑賞しながら“作画崩壊”という言葉をカジュアルに連呼するが,その背後にある構造的な問題に目を向けた時,単なるアクシデント以上に根深い問題が見えてくる。

技術低下のスパイラル

この「一原描き逃げ」とも関係することだが,僕がこの本を読んで一番ショックだったのは,日本のアニメーターの技術力の低下に関する話だ。現在,アニメーターの多くは出来高制のフリーランスであり,原画職であれば「1カット当たり4000円」(相場平均)などのギャランティになる。業界全体のスケジュールや予算の逼迫から,ここに極めて深刻な悪循環が生じるのだ。

出来高制である以上,丁寧にやればやるほど時給は下がるし,ギャラ相応の描き飛ばしをする人がいれば,まったく不相応な額でその修正を任される人が出てくる。結果,技術とやる気がある人に負担が集中して,上手い人から使い潰されて辞めていくというのが現状で……*5

僕らは日本のアニメーターに関して,“何だかんだ言って技術力は世界一”という実に漠然としたイメージを持っている。しかし今,この“日本のアニメーター世界一”神話が崩壊しつつある。かつて1970年代以降,日本のアニメがもてはやされたのは,“安くて面白い”からであった。しかし考えてみれば,低価格と高品質がそううまく両立するはずがないのだ。

本書には,フランス出身・日本在住のクリエイターであるロマン・トマ氏のインタビューも掲載されている。彼は,初めて来日した際の失望感を次のように述べている。

僕は来日するまで「日本のアニメーターはみんな宮﨑駿みたいな天才なんだ」と思っていましたけど,現実は違った。確かに天才もいるけれど,普通の人もいる。そして,残念ですがレベルが低い人もたくさんいます。*6

 実にショッキングな感想だ。世界から見ても,日本のアニメーターのレベルはもはや決して高くはない。西位はこうした事態に関して「業界に入る時点で,最低限でもいいから実力の線引きができる検定みたいなもの」*7 を提案しているが,これは名案だ。現場に投げっぱなしにするのではなく,業界全体が制作者のスキルを把握し,育成していくシステムが絶対に必要だ。

“光”の世界へ 

現在,劇場版が上映中の『SHIROBAKO』は,アニメ制作現場の艱難をリアルに描いた作品として知られる。しかし,それでもあの作品の世界は「光の世界」だと言う人がいるらしい。主人公の宮森あおいは制作として有能なスキルを持ち,アニメーターたちは試行錯誤しながらもきちんと仕事を仕上げ,何だかんだで納期には間に合い,最後にはみんなが笑顔になる。確かに「光」だ。

だとすれば,西位が語る世界は「闇の世界」ということになるだろうか。

僕は少し違うと思う。確かに西位は本書でアニメ業界の“闇”を語った。しかし,彼女が業界の暗部を晒すのは,少しでも“闇”に“光”が差すことを願っているからだろう。キラキラと目を輝かせる『SHIROBAKO』の登場人物のような人たちが,1人でも多く増えてほしいと願うからだろう。そうでなければ,彼女が業界に身を置きながら本書を認めることはなかったはずなのだから。

とにかく,私にできるのは「アニメ業界」というい名の混沌の地,そこを手探りでどうにか歩いていけるように地図を広げることくらい。実際に足を踏み出すかどうかを決めるのは本人だし,戦っていくための武器だって,自分の力で手に入れてもらわないといけない。

そしてその武器となるものといえば……やっぱり「アニメーターとして絵を描く力」なんだと思うな。*8

こう締めくくる彼女がアニメ業界に求めている世界は,紛れもなく“光”の世界だ。日本アニメが光り輝き続けるためには,アニメーター一人一人の技術力が不可欠だ。西位のような優れたクリエーター(あえてそう呼ばせてもらおう)が第一線で活躍し,本書のような問題提起をし続けてくれる限り,いずれ“光の世界”は訪れると僕は信じる。
本書は間違いなく,21世紀前半における日本のアニメ業界を語る貴重な証言となる。いつの日か,10年後か20年後かはわからないが,いつの日か,日本のアニメ業界に“光”が刺した時,本書を読んだ未来のアニメーターたちが「こんな大変な時代があったんだねー。私たちは恵まれてるねー」と笑って言ってくれる日が来ることを,心から願おう。

著者について

西位輝実(にしいてるみ) 。大阪府出身。大阪デザイナー専門学校を卒業後,スタジオコックピットを経て,現在はフリーランスのアニメーターとして,キャラクータデザインや作画監督をメインに務めている。

【代表作】

『輪るピングドラム』(2011年):キャラクターデザイン・総作画監督

『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』(2016年):キャラクターデザイン

『劇場版 はいからさんが通る』(2017年):キャラクターデザイン

『聖闘士星矢:Knights of the Zodiac』(2019年):キャラクターデザイン

【Twitter】

twitter.com

【個人HP】

studio-meiris.com

 

www.otalog.jp

www.otalog.jp

 

 

*1:西位輝実『アニメーターの仕事がわかる本』,玄光社,2019年,p.32。

*2:同書,p.33。

*3:例えば,神村幸子『アニメーションの基礎知識大百科』(グラフィック社,2009年)や,一般社団法人日本動画協会 人材育成委員会監修・著作『アニメーション用語辞典』(立東舎,2019年)などがある。

*4:西位,上掲書,p.70。

*5:同書,pp.73-74。

*6:同書,p.92。

*7:同書,p.76。

*8:同書,p.201。

劇場アニメ『劇場版SHIROBAKO』(2020年)レビュー[考察・感想]:神々の“俺たたエンド“

*このレビューはネタバレを含みます。

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『劇場版SHIROBAKO』公式Twitterより引用 ©2020 劇場版「SHIROBAKO」製作委員会

shirobako-movie.com

『SHIROBAKO』TVシリーズ(2014-2015年)は,宮森あおいと「武蔵野アニメーション(通称「ムサニ」)」が『第三飛行少女隊』の制作を終了したところで完結していた。今回の『劇場版SHIROBAKO』は,その4年後の「ムサニ」の面々を描いた作品である。実時間と同じ経年設定をすることで,“アニメ制作の現在進行形”を描き出した本作は,〈アニメとドキュメンタリーの距離〉を考察する上でも興味深い作品となった。

作品データ(リンクはWikipediaもしくは@wiki)

【スタッフ】

原作:武蔵野アニメーション監督:水島努 /シリーズ構成:横手美智子キャラクター原案:ぽんかん⑧キャラクターデザイン・総作画監督:関口可奈味美術監督:竹田悠介垣堺司色彩設計:井上佳津枝3D監督:市川元成撮影監督梶原幸代特殊効果:加藤千恵編集:髙橋歩/音楽:浜口史郎音楽制作:イマジンアニメーション制作:P.A.WORKS

【キャスト】

宮森あおい:木村珠莉安原絵麻:佳村はるか坂木しずか:千菅春香藤堂美沙:髙野麻美今井みどり:大和田仁美宮井楓:佐倉綾音矢野エリカ:山岡ゆり安藤つばき:葉山いくみ佐藤沙羅:米澤円久乃木愛:井澤詩織高橋球児:田丸篤志渡辺 隼:松風雅也興津由佳:中原麻衣高梨太郎:吉野裕行平岡大輔:小林裕介木下誠一:檜山修之葛城剛太郎:こぶしのぶゆき

【あらすじ】

宮森あおいが務める武蔵野アニメーションは,『第三飛行少女隊』の制作を成功させた後,とある事件によって仕事の依頼がすっかり減っていた。廃墟のように寂れたスタジオのビル。座る人のいない作業机。笑顔の消えたスタッフ。見る影もなくなった「ムサ二」のもとに,ある日,新作劇場アニメの制作企画の話が舞い込む。その名も『空中強襲揚陸艦SIVA』。はたして「ムサ二」は無事納品に漕ぎ着けることができるのか。 

これはドキュメンタリーではない

曖昧な境界:アニメがアニメを表象する

『SHIROBAKO』はアニメ制作の現場をリアルに描いていると言われる。だとすれば,『なつぞら』のような実写ドラマとの違いはどこにあるのか。

それは言うまでもなく,『SHIROBAKO』それ自体がアニメ作品として創作されており,アニメを制作する登場人物たち自身がアニメのキャラクターだという点である。これにより,アニメのキャラクターとアニメ内アニメのキャラクターの“共演”がより容易になる。この作品において,このことが極めて重要な要素であることは間違いない。

もちろん実写ドラマでも,人間の役者とアニメのキャラを“共演”させることは技術的に可能だ。しかしそれはあくまでも,2次元と3次元という異なる媒体を並置させ,両者の差異を際立たせるーーつまり「違う媒体が一緒に演じているからこそ面白い」ーー技法に他ならない。一方,『SHIROBAKO』のような〈アニメがアニメを表象するアニメ〉は,“アニメキャラ”と”アニメ内アニメキャラ”が完全に同一次元上で演じるという点に特徴がある。

このような表現法は『SHIROBAKO』以外の最近のいくつかの作品にも見られる。例えば大童澄瞳のマンガを原作とするアニメ『映像研には手を出すな!』(2020年)は,高校でアニメ制作に携わる主人公たちが,現実の世界から,自分たちが作り出したアニメ設定の中へとシームレスに移行していくシーンが魅力だ。その意味で,『映像研』はアニメ化されるべくしてアニメ化されたと言えるかもしれない。また,アニメ制作の話ではないが,『ハイスコアガール』(1期:2018年,2期2019年)のアニメでは,キャラクターが3DCGで描画されており,ポリゴンで作られたゲームキャラとの親和性が高い世界観になっているのが面白い。

今回の『劇場版SHIROBAKO』では,このような現実と空想の境界を曖昧にする演出をTVシリーズ以上に前面に押し出した作りになっていた。代表的なシーンは,本作の最大の目玉でもあるミュージカルシーンである。

夜道を一人歩くあおいが何気なく歌(挿入歌「アニメーションをつくりましょう」)を口ずさむと,これまで観た作品や制作に携わった作品のキャラクターが次々と現れ,やがて一緒に歌い踊り出す。曲が終わるとキャラクターたちは姿を消し,再び夜道にあおいが一人で残される。

辛い現実と同調するかのような夜道の寂しさと,メルヘンチックなミュージカルの陽気さの対比によって,あおいの心境の変化を表したなかなかの名シーンだ。同時にこのシーンにより,本作における現実と空想の境界の曖昧さが改めて強調される。

これは本作の劇作上,重要な意味を持つ表現法だ。ムサ二の制作シーンを淡々と描くだけでは盛り上がりに欠け,印象的な劇伴も挿入しづらい。現実と空想(アニメ)の境界が最初から曖昧になっていれば,心理的温度の低い日常シーンからハイテンションのファンタジーシーンまでシームレスに盛り上がることができる。これが最大限に活かされたのが,終盤で描かれる『SIVA』の脱出シーンである。

ムサ二のスタッフは何とかして『空中強襲揚陸艦SIVA』の制作を終える。しかしラストの仕上がりに納得できない木下監督は,宮森の熱い気持ちにも押され,公開ギリギリで作り直すことを決意する。ムサ二のスタッフたちは,技術と熱意が込もった最高のラストシーンを仕上げるべく,再度奮起する。

制作のシーンから,派手な劇伴の付いた『SIVA』のキレのあるアクションシーンまで一気に盛り上がり,ムサ二スタッフたちの「カタルシス」と『SIVA』の「カタルシス」がぴったりと同期する。境界の曖昧さを活かした見事なクライマックスだ。

ミムジー&ロロ:ファンタジーからリアルへのハリセン

『SHIROBAKO』を語る上で忘れてはならないのは,ミムジーとロロというマスコットキャラである。

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『SHIROBAKO』公式HPより引用 ©「SHIROBAKO」製作委員会

周知の通り,このペアキャラには3つの役割が当てられている。「①アニメの制作に関する用語の説明をすること」「②東映のアニメ作品の伝統を継ぐ〈動物キャラ〉によって,ファンタジーテイストを加味すること」「③宮森あおいの心情を代弁すること」の3つである。①に関しては,彼らはすでにTVシリーズでその役目を終えているので,劇場版ではもっぱら②と③の役回りに専念している。現実と空想の境界が曖昧な本作において,「ファンタジーの世界から主人公の内面を代弁する」という彼らの役割は不可欠だ。

例えば,TVシリーズ版最終話のミムジーとロロのシーンを思い出してみよう。

『第三飛行少女隊』の納品を無事終え,新幹線の車内でひと息着くあおいに,ロロがこう尋ねる。「これからどうしたいのか決まった?このままアニメを作りたいのか,作りたいとしたらなぜなのか」あおいが逡巡しながら「んと…これからゆっくり考える」と答えると,ロロは「甘ったれんなー!」といいながらあおいにパンチを喰らわす。ロロのいつになくアグレッシブな振る舞いに,さすがのミムジーも驚きを隠せない。

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『SHIROBAKO』#24「遠すぎた納品」より引用 ©「SHIROBAKO」製作委員会

僕の記憶する限り,ミムジーとロロがあおいに対してここまではっきりと物理干渉をするシーンは多くない。最終話らしく,彼らマスコットキャラがアクティブに活躍する微笑ましいシーンだ。

これと同様のシーンが劇場版にも見られる。公園のブランコで肩を落とすあおいに,ミムジーとロロがハリセンでツッコミを入れるシーンだ。TV版最終話と同様に,ファンタジー世界からの干渉によってあおいは目が覚め,再び前を向く力を得る。

こうした彼らの存在を客観的に解釈するならば,“宮森あおいの内面的葛藤のメタファー”ということになるのだろうが,そんな野暮な解釈を許容しないほど,ミムジーとロロのキャラは”立って“いる。*1 ミムジーとロロが現実と空想との間を繋ぐ名バイプレイヤーであることに異論はなかろう。

『SHIROBAKO』はアニメ制作をリアルに描いたというよりは,アニメ制作という現実を“翻案”した一種のファンタジーなのだ。ゆえに,本作に対して「アニメ制作の現実を描いていない」などと批判するのは御門違いも甚だしいということになる。これはドキュメンタリーではないのだから。

神々の戦いは続く

『SHIROBAKO』はアニメの制作現場を舞台としている都合上,登場人物が極めて多いのが特徴だ。TVシリーズは24話あったために,この超群像劇を余裕で処理していた。一方,劇場版は,2時間という尺の割には,やや無理をして主要キャラクター以外の人物に多く時間を割いていた印象がある。例えば,演出の山田や原画の遠藤のエピソードなどは,もう少し短くしてもいいと感じた人もいたかもしれない。 しかし僕はこの演出上の判断に,”ムサニのレギュラーメンバーの一人一人にスポットを当てる”という監督の強い意志を見て取る。

前回の記事で,僕はアニメの制作者を神話の神々になぞらえた。アニメはスタープレイヤーのような単数形の〈God〉ではなく,互いに力を合わせる複数形の〈gods〉が創り出す文化生産物だ。 *2

www.otalog.jp

宮森をして「アニメを作る人が好きだから」と言わしめた水島監督の思いがここに込められている。この作品は何よりもまず,アニメを作る人たちーー僕の言葉で言えば〈神々〉ーーの物語なのだ。

「空中強襲揚陸艦SIVA」を『神仏混淆 七福陣』の「宝船」のイメージとオーバーラップさせたのもいい演出だった。宮森あおい,安原絵麻,坂木しずか,藤堂美沙,今井みどりの5人が夢見る『神仏混淆 七福陣』の制作。彼女たちの前を悠々と過ぎ去る「宝船」と,宇宙空間を航行する「SIVA」のイメージはぴったりと重なる。夢の実現まではまだ時間がかかるかもしれないが,『SIVA』の成功は,それが単なる夢物語ではないことを暗示しているように思える。 

やっぱりこれはドキュメンタリーである

先程「これはドキュメンタリーではない」と述べたが,訂正しよう。『SHIROBAKO』は,それでもやはりドキュメンタリーである。

もちろん,一般的な意味での“記録映画”とは言い難いだろう。しかし,どんなに優れたドキュメンタリーも“事実そのもの”ではない。被写体の選択,カメラワーク,編集,音楽などにより事実は少なからず加工され,〈事実についての表象〉と化す。『SHIROBAKO』は,ドキュメンタリーというものが持つそうした宿命を逆手にとり,〈アニメの実態をアニメで表象する〉ことに徹した作品に他ならない。その意味でこの作品は,“ドキュメンタリーの中のドキュメンタリー”と言ってもいいほどだ。「アニメーション業界の今が,ここにある。」というキャッチコピーは伊達ではないのである。

ところで,本作と併せて,西位輝実の『アニメーターの仕事がわかる本』を一読するのもよいだろう。後日当ブログでもレビューする予定だが,西位の語るアニメ業界は紛れもなく“事実”である。だが,その彼女の語りですら事実そのものではない。そこには,アニメ業界の現状に対する西位の夢と希望が混入し,すでに彼女独自の〈ファンタジー〉の様相を呈しているのだ。

アニメーターの仕事がわかる本

アニメーターの仕事がわかる本

 

だからと言って,西位の語りにリアリティがないということではない。アニメファンを含め,アニメに直接的・間接的に関わる人間に,この業界の過酷な現状を知らない人はもはやほとんどいないだろう。しかし,この状況を生み出したのが人だとすれば,それを変えることができるのも人である。そして間違いなく,ほぼすべての人が,いつの日か日本のアニメ制作の現場に光が差すことを願っている。アニメの業界を変える原動力となるのは,いつの日かこうなって欲しいと願う人たちの〈ファンタジー〉だ。いつの日か,それが数年後か数十年後かはわからないが,未来のアニメーターたちが『SHIROBAKO』や『アニメーターの仕事がわかる本』を手に取った時,「昔はこんな状況とこんな人の願いがあったのだ」と驚きとともに回顧する日が来ることだろう。その時,これらの作品は確かに〈ドキュメンタリー〉としての価値を持つことだろう。

『劇場版SHIROBAKO』は,アニメ業界の明るい未来を願う人々の思いを紡いだ,〈ファンタジーでありながらドキュメンタリーでもある作品〉なのだ。

だから日本アニメを創造する神々よ,どうか黄昏れないで欲しい。あなたたちの戦いは,これからなのだから。 

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
5 4 4.5 4.5
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
4.5 4 4.5
独自性 普遍性 平均
4 4.5 4.4
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

*1:TV版最終話のエンディングで,ミムジーとロロが久乃木愛に“見つかる”シーンがある。最終話なりの特別サービスだろうが,こんなシーンも現実と空想の境界を曖昧にすることに一役買っている。

*2:変な話,TVシリーズで原作者を表す「God」という言葉を茶沢に語らせ,ネガティブな含意を持たせたのも偶然ではないと僕は考える。

OP・EDに神々は顕現す:アニメの〈作者〉をめぐる一考察

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『SHIROBAKO』#02「あるぴんはいます!」エンディング・アニメーションより引用 ©「SHIROBAKO」製作委員会

アニメ作品を多く鑑賞すればするほど,プロット,キャラクター,美術といった構成要素の中に,ある種の“既視感”を覚える頻度が増していく。これはアニメオタクを長く続ける者の宿命と言っていいだろう。リアタイ視聴時,SNS上に散見される〈パクリ〉〈オマージュ〉という言葉は,この“既視感”の正体をなんとかして同定しようとするアニオタ大衆の切なる願いを表しているかのようだ。

これはパクリか,オマージュか。

そもそも文化生産物の中に類似の表現を見つけた時,どうして僕らはこう問うのだろうか。

心理分析まがいのことが許されるならば,差し当たりこう答えることができるだろう。オマージュやパクリを認定しようとする言説の背後には,キャラクターやモチーフのオリジナリティへの問いかけがある。そして明示的ではないにせよ,それは暗黙のうちに作者=オリジン(起源)へと遡及していくことになる。

したがって,先ほどの問いは次のように言い換えて差し支えないだろう。

アニメの〈作者〉は誰なのか。

『映像研には手を出すな!』(2020年)や『SHIROBAKO』(TVシリーズ:2014-2015年,劇場版:2020年)などの作品の人気により,アニメ制作の行程や現場スタッフへの注目度が高まっている。アニメの作り手に対する見方は徐々に変化してきていると言えるだろう。しかし,アニメの〈作者〉が誰であるかという問いは,単純なように見えて,その実,アニメという制作物の特性上,明確な答えを得ようとすれば極めて複雑な事情に直面することになる。それは原作者なのか,監督なのか,制作会社なのか。当然この記事の中で最終的な解を提供することなど不可能であるから,ここでは〈作者〉をめぐるこれまでの議論や法制度などを紹介しながら,「アニメの〈作者〉をどう捉えることができるのか」について,〈模倣文化〉〈作者の複数性〉という点から考察していきたいと思う。

“死刑宣告”から“機能分析”へ:〈作者〉言説の2つの起源

まず昔話から始めよう。とはいえ,『赤ずきん』や『いばら姫』のような民謡と比べれば,はるかに〈作者〉の刻印が克明な昔話だ。

1968年,ロラン・バルト(1915-1980年)は「作者の死」という有名な論文を発表する。バルトは,絶対的創造神として文学作品の解釈を決定付ける〈作者〉の特権を無効化し,作品を複数のテクストから成る「引用の織物」とみなす新たな作品概念を提唱する。

一編のテクストは,いくつもの文化からやって来る多元的なエクリチュールによって構成され,これらのエクリチュールは,互いに対話をおこない,他をパロディー化し,異議をとなえあう。*1

そしてバルトは,書かれたものの多元性を1つの〈解釈〉へと落とし込む決定権を,作者ではなく読者に付与する。こうしたバルトの作品概念は,後のテクスト論に道を拓く転換点となったことは言うまでもない。

その翌年の1969年,かつて「人間の終焉」を標榜したミシェル・フーコー(1926-1984年)は,さながらバルトへの“返歌”のような形でーーただし「バルト」という〈作者〉の名には言及せずにーーある講演を行う。題して「作者とは誰か」

この講演の中でフーコーは,バルトの「作者の死」を暗示的に批判しながら,いたずらに作者の消滅を喧伝するばかりでは不十分であると指摘し,〈作者〉という機能が立ち現れる条件を問う必要性を説くのである。

機能としての作者は言説の世界を取りかこみ,限定し,分節する法的・制度的システムに結びつく。それは,あらゆる言説の上で,あらゆる時代を通じて,文明のあらゆる形態において,一律に同じ仕方で作用するものではない。それは,ある言説をその産出者へと自然発生的に帰属せしめることによって定義されるのではなく,特殊で複雑な一連の操作によって定義される。*2 

フーコーらしい迂遠な表現に満ちた語り口だが,要するに彼の立場とは,〈作者〉という特殊な機能が誕生する制度的な条件とその歴史的変遷に目を向けよ,というものである。確かに,「作者は消滅した」と謳うばかりでは,相変わらず〈作者〉をめぐる言説が存在するという事実を説明できない。〈作者〉が特権的な機能を持つならば,それがなぜ,どのように立ち現れてきたかを詳らかにすることが肝要だろう。

これは大変魅力的な問題提起なのだが,残念ながら,フーコーはこの後〈作者〉という機能の分析を体系的に推し進めることをしなかった。しかしバルト×フーコーの議論のインパクトが,その後の作品論・作者論に大きな影響を与えたことは確かである。

例えば,フーコーのこのような問題意識に触発されて書かれた一冊の優れた書物がある。甘露純規の『剽窃の文学史』(2011年)は,「テクストを他のテクストから裁断し,作者が支配する閉ざされた世界に変える制度的な境界」*3 の生成過程を明らかにし,日本文学において近代的な作者・作品・オリジナリティの概念が誕生した経緯を描写する。甘露によれば,そうした変化が生じる「ターニングポイント」が明治時代にあるという。 

古来,和歌の本歌取りや江戸時代の文学作品などに見られるように,日本の文化伝統の中では,既存作品の模倣は今よりも盛んに行われており,比較的肯定的な捉え方をされていた。ところが明治時代に入り,イギリスとフランスから著作権の思想が導入され,やがて明治三十二年(1899年)に著作権法が制定されるに至り,剽窃や作者・作品のオリジナリティに関する考え方が大きく様変わりしていく。甘露は報道,批評,裁判記録などの膨大な資料を具に分析しながら,この変遷を鮮やかに浮かび上がらせていくのである。 

甘露は自著を「あやしげな仕事」と自嘲気味に語るが,その実,大変スリリングかつインフォーマティブな書物である。剽窃と法制度について興味のある向きには,ぜひ一読することをお勧めしたい。

〈パクリ〉認定の欲望:“サンクション”のまなざし

『剽窃の文学史』における言説分析が明らかにしているように,明治以降の日本文学史において〈作者〉の機能を強化したのは,とりわけ近代的な法制度である。それは文化生産物の相互に差異を産み出すことで〈著作物〉という固有の財を画定し,〈著作者〉の経済的利益を保護することを目的としていた。

実は,僕らが日常的に見かける〈パクリ〉という言葉の使われ方にも,文化生産物に経済的利害の論理を適用しようとする大衆意識が色濃く現れている。

増田聡の『真似・パクリ・著作権ー模倣と収奪のあいだにあるもの』によれば,かつて手形詐欺など経済犯罪の俗語として使われていた〈パクリ〉という言葉は,80年代頃から文化的生産物の模倣・盗作を意味する語に転用されるようになったという。*4 やがて90年代に入ると,欧米文化への劣等感の高まりや,文化生産物を経済的な財の観点から見る「コンテンツ」概念の登場とも相まって,〈パクリ〉は“財の収奪”に対する告発・制裁という含意を濃厚にしていく。「文化は経済的な観点でとらえられるべきである,という支配的な社会意識が,文化の模倣を経済犯罪に類するものとして眺める視線,文化的なものを経済問題に接合しようとする視線をこの時期に浮上させることになった」*5

もちろん,模倣行為が常に否定的に捉えられていたわけではない。増田は〈パクリ〉の最初期の用例として近田春夫の歌謡曲評論を挙げているが,そこではまだ〈パクリ〉が「模倣のセンスを評価する好意的な文脈で用いられる語」として使われていたのは興味深い事実だ。*6

先述したように,日本人には文化生産物を一種の“共有物”とみなし,模倣を肯定的に捉える文化風土があった。思えば,かの岡田斗司夫『オタク学入門』(1996年)の中で,〈パクリ〉を見抜く観察眼の重要性を説き,日本と海外のオタクコンテンツの間に生じた「パクリの系譜」を力説していた。

こうとらえると,いかに文化というものがパクリの上になり立っているかがわかる。むしろ,パクリによってこそ文化は互いに刺激しあい,より進化するのだろう。パクリこそが,創作のあるべき姿,原点といえる。*7

アニメを見る僕らにも,“文化生産物の共有”という観点から,模倣を一種の文化的営為として評価する精神的土壌があるはずだ。作品どうしが影響しあい,模倣しあうからこそ作品はどんどん面白くなっていく。〈パクリ〉という言葉も,そうした相互影響関係を肯定するスラングとして流通していた歴史もありえたかもしれない。ここではそうした相互関係を,ジュリア・クリステヴァ(1941年-)の〈間テクスト性〉にならって〈間作品性〉と呼んでおこう。*8 そもそもアニメ作品は,マンガ,ゲーム,音楽、小説,玩具など複数の媒体が寄り合い,豊かな〈メディアミックス〉が発生している場である。それぞれのジャンルの中で培われた表現形式がアニメという作品の中で合流している。アニメを,単一の閉じたメディアとみなす思考は,アニメという特性の大部分を捉え損なうだろう。*9

ところが,岡田のような“パクリの啓蒙”があったにもかかわらず,現在この言葉はもっぱら“他者の財の収奪”という否定的なニュアンスで用いられている。そこには,〈パクリ〉という言葉が本来持っていた犯罪制裁的な含意が現在でも継承されていることを表している。試みに「アニメ パクリ」というキーワードでGoogle検索をしてみると,2020年3月現在で約12,600,000件のヒットがあるが,その大半が〈盗用〉という経済犯罪的ニュアンスで用いられていると言ってよいだろう。

www.google.com

僕らがアニメを鑑賞しながらカジュアルに口にする〈パクリ〉という言葉の語法には,作品を所有財とみなし,その収奪に対して制裁するという意識が確かに存在しているのだ。 

アニメの〈著作者〉と〈著作権者〉

意識的にせよ無意識的にせよ,〈パクリ〉という物言いをする時の僕らのまなざしには,アニメを固有の財と認定し,それを特定の権利者=著作者に帰属させようとする意識が働いている。であるならば,ここでアニメ作品の法律上の権利者が誰であるかを確認しておくことは無意味ではないだろう。*10

周知の通り,アニメ制作には監督・脚本家・キャラクターデザイナー・美術監督など複数の制作スタッフが関わっているために〈著作者〉の規定が複雑である上,〈著作者〉と〈著作権者〉が分離するという特殊な事情もあり,その全容を把握することは極めて困難である。ここでは著作権法の基本的な規定を紹介するに留め,個々の事例に関する専門的な議論には立ち入らないでおく。

著作権法上,アニメ作品は「映画の著作物」とみなされる。

著作権法 16条(映画の著作物の著作者)  

映画の著作物の著作者は,その映画の著作物にお いて翻案され,又は複製された小説,脚本,音楽その他の著作物の著作者を除き,制作,監督,演出,撮影,美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者とする。ただし,前条の規定の適用がある場合は,この限りでない。

この規定に従えば,監督だけでなく,演出家,キャラクターデザイナー,美術監督など複数の人が〈著作者〉と認定されることになる。

ちなみに「前条の規定」とは,「著作権法第15条1項」における「職務著作」の規定である。

著作権法 15 条(職務上作成する著作物の著作者)

① 法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で,その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は,その作成の時における契約,勤務規則その他に別段の定めがない限り,その法人等とする。(以下省略)

したがって,監督や演出家がどれだけ著名であったとしても,アニメ制作会社という「法人」の一社員として制作に携わっている限りは〈著作者〉とみなされることはない。この場合はアニメ制作会社が〈著作者〉と認定されることになる。

このように規定される〈著作者〉には,「無断で著作物を公表されない公表権(著作権法 18条),氏名表示・非表示を要求することができる氏名表示権(著作権法 19 条),無断で著作物を改変されない同一性保持権(著作権法 20 条)」*11といった「著作人格権」が認められることになる。

一方,〈著作権者〉に関してはさらに事情が入り組んでいる。

著作権法 29 条(映画の著作物の著作権の帰属)

① 映画の著作物(第 15 条第 1 項,次項又は第 3 項の規定の適用を受けるものを除く。)の著作権 は,その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは,当該映画製作者に帰属する。(以下省略)

 ここで「制作者」ではなく「製作者」と定義されていることに注意である。「制作者」とは,実際の作業によってアニメ作品を創作する者を指し,「製作者」とは,企画立案と資金提供をする者を言う。「映画製作者」に関して著作権法は以下のように定めている。

著作権法 2 条(定義)

① この法律において,次の各号に掲げる用語の意義 は,当該各号に定めるところによる。

(中略)  

十 映画製作者 映画の著作物の製作に発意と責任を有する者をいう。(以下省略)

「映画製作者」すなわち「映画の著作物の製作と発意と責任を有する者」は,アニメ制作のビジネスモデルによって規定の仕方が異なる。以前主流だった「広告収入方式」(スポンサーが広告代理店を通してテレビ局に支払,テレビ局がアニメ制作会社に支払う方式)では,〈著作者〉であるアニメ制作会社がそのまま〈著作権者〉となる。しかし,現在主流となっている「製作委員会方式」では,製作委員会の参加者(出資企業)に〈著作権者〉としての権利が帰属する。*12

このように,アニメを〈著作物〉という法的・経済的に固有の財と捉え,それを〈著作者〉に帰属しようとした時,極めて複雑な手続きが関わってくるのである。

神々の集う場所

アニメ作品の〈パクリ〉認定とは,ある意味,こうした法的・経済的な〈作者〉〈作品〉規定への遵法精神の表れである。それは,欧米発の著作権思想が大衆レベルで浸透した証左と捉えることもできるが,アニメ文化の発展という観点から見て,はたして無条件に歓迎できる事態なのだろうか。

僕は〈パクリ〉言説が横行することにより,アニメという文化生産物をもっぱら著作権法の規定通りに捉えることには,2つの問題があると考える。

1つは,先述した〈間作品性〉の喪失という問題である。

先述したように,1つのアニメ作品は,アニメ相互の影響関係のみならず,マンガ,音楽,小説などの複数の媒体による〈メディアミックス〉によって成立している。ジャンルや媒体を超えた流動的な相互影響により,アニメは複数の雑多な価値感を吸収しながら豊に発展してきた。出自からして〈間作品〉的産物であるアニメは,〈流動性〉と〈複数性〉が理想的な形で実現する場なのである。

山田奨治『日本文化の模倣と創造 オリジナリティとは何か』(2002年)の中で,「独創」を近代の「オリジナリティ神話」であるとして批判的に検証し,日本文化における「再創」,すなわち〈模倣〉という文化的価値観を再評価することを提案している。「先達のまねをすることで,技,心,リテラシーを獲得することができる。そして自己以外のものを排斥するのではなく,コミュニティでの共栄をはかる。この共有,模倣,共栄が再創主義のかなめである」*13 

〈模倣〉は,文化を成長させる重要な契機である。むろん,だからと言って,すべての〈パクリ〉を許容せよと言いたいわけではない。アニメ業界のパクリは容認度が高いと主張したいわけでもない。明らかな剽窃行為はやはり糾弾すべきであろう。しかし僕らがカジュアルに〈パクリ〉という言葉を使って批判めいた物言いをする時,あまりにもナイーブに,アニメという文化生産物を法的・経済的な裁定の場に引っ立て,アニメ作品が本来持つ豊潤な複数性を,制度的な〈作者〉の単数性の檻に閉じ込めてしまってはいないか。〈パクリ〉言説は,〈間作品性〉〈流動性〉〈複数性〉〈再創〉という豊かな契機を法的制裁の名のもとに圧殺してしまう可能性がある。僕らは〈パクリ〉という言葉の使い方を省みて,むしろアニメの作品間の〈パクリ〉を楽しむ精神的な余裕を持つべきなのではないか。 

ちなみに,僕がこれまでに〈ヴァリアンツ(変異型)〉という言葉でいくつかの記事を書いてきたのも,アニメ作品のこうした〈流動性〉という特質と無関係ではない。 

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もう1つは,アニメの〈作者〉の捉え方に関わる問題だ。

先述した通り,著作権法上,アニメは「映画の著作物」と定義される。では,アニメの〈作者〉は,映画の〈作者〉と同じなのだろうか。

よく言われることだが,アニメーションと実写作品の違いは,創作部分と偶然性との割合の差にある。実写においては,役者の演技や風景などに偶然の揺らぎが生じやすい。言い換えれば,監督という制作主体が意図しない要素が入り込む余地がある。一方,アニメにおいては,人物の表情,水のせせらぎ,木の葉の揺れ,タバコの煙の動きといったものも含め,画面の隅から隅までがほぼ創作であり,偶然性の入り込む余地がほとんどない。つまりアニメは〈ほぼ全ての要素を誰かが創作している〉という点において,極めて特殊な媒体なのである。

その結果,アニメの鑑賞方法も映画とは趣を異にする。例えば『天元突破グレンラガン』(2007年)という作品を例にとってみよう。作品の放映後,アニメライターの小黒祐一郎が編集する「WEBアニメスタイル」上で「今こそ語ろう『天元突破グレンラガン』制作秘話!!」という特集が組まれ,監督の今石洋之と大塚雅彦によって制作秘話が語られた。ここではストーリーだけでなく,各話のコンテや作画などについてかなりマニアックな解説がなされている。また本作のDVD/Blu-rayソフトに収録されているオーディオコメンタリーでも,作画監督や撮影監督がゲスト出演し,演出や作画について突っ込んだ話題が紹介されていた。いわゆる〈作画オタク〉的視点である。

animestyle.jp

〈作画オタク〉的な鑑賞法は,おそらく1980年にSONYのビデオデッキ「SL-J9」が発売された頃に急速に発達し広まっていったと思われる。これにより,録画したアニメをスロー再生したりコマ送りしたりすることで,作画や演出の細部にまでマニアックな目を向けることが可能になった。かつて岡田斗司夫は,こうした〈作画オタク〉たちを「映像に対する感受性を極端に進化させた『眼』を持つ人間」*14として高く評価していた。

そして彼らのマニアックなまなざしは,当然,優れた作画を生み出した原画や作画監督といった固有名にも向けられていった。板野一郎のアニメーションを称える「板野サーカス」という言葉は,現在でもアニメの作画批評の言説でよく見かける。シーン単位,カット単位,コマ単位で表現の細部にまで分け入り,その1つ1つの生み出した無数の作者=アニメーターを称賛する。これこそアニメ特有の鑑賞法と言ってよいだろう。作画ばかりを絶対視する〈作画厨〉として揶揄されることもしばしばだが,『映像研には手を出すな!』『SHIROBAKO』といった近年の作品の人気を見るに,現場のアニメーター(原画家や動画家)やその他の制作スタッフへのまなざしは,作品そのものに対する評価と同程度に,これまでになかったほどポピュラーかつポジティブなものに転じつつあると言える。

上述した著作権法15条1項は,そうした固有名を持った無数の制作主体を(そしてしばしば監督という個人までも)「職務著作」という概念のもと,〈著作者〉という無名の集団へと統合してしまう。 

僕らはアニメを鑑賞する際,原作者や監督という大きな制作主体に敬意を払いながらも,原画,動画,美術,撮影,色彩設計など無数の小さな制作主体にも敬意を払う。アニメの〈作者〉は,初めから特権的・モノテイスティックな“神”として君臨する主体ではなく,多声的・ポリテイスティックな“神々”の集団に所属する主体なのである

〈著作者〉という法的概念によって覆い隠されてしまうこの神々の名は,オープニングアニメーションとエンディングアニメーションの中に確かに刻み込まれている。主題歌やアニメーションに加え,作品を産み出した“神々”が顕現するOPとEDにもっと目を向けようではないか。「一時停止ボタン」を押すのはまさしくOP・ED視聴時なのだ。

アニメオタクたる僕らが糾弾すべきなのは〈パクリ〉ではなく,著作権法第15条1項とNetflixの「イントロスキップ」と「クレジットスキップ」という,神々への不遜な冒涜行為なのかもしれない。

参考文献

物語の構造分析

物語の構造分析

  • 作者:ロラン・バルト
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 1979/11/16
  • メディア: 単行本
 
フーコー・コレクション〈2〉文学・侵犯 (ちくま学芸文庫)

フーコー・コレクション〈2〉文学・侵犯 (ちくま学芸文庫)

 
剽窃の文学史―オリジナリティの近代

剽窃の文学史―オリジナリティの近代

  • 作者:甘露 純規
  • 出版社/メーカー: 森話社
  • 発売日: 2011/12
  • メディア: 単行本
  
コモンズと文化―文化は誰のものか

コモンズと文化―文化は誰のものか

  • 発売日: 2010/03/01
  • メディア: 単行本
 

 

日本弁理士会会報「月刊パテント」vol.61 No.8「アニメの著作権」,日本弁理士会,2008年。

*1:ロラン・バルト/花輪光訳『物語の構造分析』,みすず書房,1979年,p.88。

*2:小林康夫,石田英敬,松浦寿輝訳『フーコー・コレクション2 文学・侵犯』,筑摩書房(ちくま学芸文庫),2006年,p.399。

*3:甘露純規『剽窃の文学史』,森話社,2011年,p.15

*4:増田聡『真似・パクリ・著作権ー模倣と収奪のあいだにあるもの』(山田奨治編『コモンズと文化ー文化は誰のものか』,東京堂出版,2010年,pp.81-117。)

*5:同書,p.92。

*6:同書,p.90。

*7:岡田斗司夫『オタク学入門』,太田出版,1996年(引用は文庫版『オタク学入門』,新潮社,2000年,p.105より)。

*8:ジュリア・クリステヴァは個々の文学テクストを独立したものと考えるのではなく,相互に影響し参照しあう総体として捉え,それを「間テクスト性」と名付けた。

*9:石岡良治と高瀬浩司は,『アニメ制作者たちの方法』に収録されたインタビューの中で,アニメのメディアミックス的な特性を「不純」さと呼び,個々のアニメを鑑賞するだけでなく,メディアの横断性を視野に入れながら複数のアニメを論じる鑑賞法を提言している。「不純なアニメのために 『横断するアニメーション』のためのイントロダクション」(高瀬浩司編『アニメ制作者たちの方法』,フィルムアート社,2019年,pp.220-229。

*10:アニメを著作権法の観点から詳しく説明した文献は多くない。日本弁理士会の会誌「月刊パテント」の2008年8月の特集「アニメの著作権」は,やや古い資料ではあるが,アニメの著作権を詳細に説明した論考として参考になる。

*11:日本弁理士会会報「月刊パテント」vol.61 No.8「アニメの著作権」,日本弁理士会,2008年,p.12-13。

*12:映画の著作物の著作権を「映画製作者」に帰属するようになった背景には,通称「マクロス事件」の判例がある。この事件では,アニメ制作会社の竜の子プロダクションが広告代理店のビックウェストと企画会社のスタジオぬえを相手取り,著作権を主張して訴訟を起こした。竜の子プロダクションの一部勝訴となった。この判例では「①従来から映画の著作物の利用については,映画製作者と著作者との間の契約によって映画製作者が著作権の行使を行う実態があったこと,②映画の著作物は,映画製作者が巨 額の製作費を投入し,企業活動として製作し公表するという特殊な性格の著作物であること,③映画には著作者の地位に立ち得る多数の関与者が存在し,それら 全ての者に著作権行使を認めると映画の円滑な市場流通を阻害してしまうこと等を考慮した」と説明されている(同書,p.24。「マクロス事件」の判例については,裁判所ウェブサイトの「平成15年(ネ)第1107号 著作権確認等請求控訴事件」を参照。

*13:山田奨治『日本文化の模倣と創造 オリジナリティとは何か』,角川選書,2002年,p.214。

*14:岡田,前掲書,p.14。

Aimer×梶浦由記×浜辺美波=間桐桜:『Fate/stay night [Heaven’s Feel]』の主題歌MVを振り返る

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『Fate/stay night [Heaven’s Feel] III. spring song』公式HPより引用 ©TYPE-MOON・ufotable・FSNPC ©TYPE-MOON

www.fate-sn.com


劇場版「Fate/stay night [Heaven’s Feel]」Ⅲ.spring song 予告編│2020年3月28日公開

 『Fate/stay night [Heaven's Feel] III. spring song』が今年,2020年3月28日(土)から公開される。2006年の『Fate/stay night』TVシリーズから14年の時を経て,いよいよ『Fate/stay night』の物語がアニメ媒体において完結することになる。

*新型コロナ感染拡大により,公開日は8月15日(日)に延期。

 

『III. spring song』公開に先立ち,すでに主題歌『春はゆく』の発表がなされたことは周知の通りだ。歌はAimer,作詞・作曲は梶浦由記。この2人は『I. presage flower』の『花の唄』,『II. lost butterfly』の『I beg you』に続き3度目のタイアップである。

fictionjunction.com

www.aimer-web.jp

梶浦は本作の楽曲プロデュースにおいて,ヒロイン・桜の心情を巧みに再現する詩と,Aimerの独特な声質を存分に活かした曲を作り上げて来た。彼女たちの作品は,アニメ本編を盛り上げるための不可欠な要素となっている。

さらに,各楽曲で提供されているミュージックビデオも注目に値する。三木孝浩が監督を務め,浜辺美波が主演するビデオは,各章における桜の内面をシンボリカルに表している。本編と併せて鑑賞することによって,楽曲の理解が深まるという楽しみもある。

以下,MVを観ながら各章の主題歌の魅力を振り返ってみよう。

『花の唄』(『I. presage flower』主題歌)


Aimer 『花の唄』(主演:浜辺美波 /劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」Ⅰ.presage flower主題歌)

不気味な影に追われる制服姿の少女。花に囲まれた魔法陣の中で目覚める白いドレスの少女。少女の前にローブを纏った影が現れる。フードがゆっくりと外されると,そこに現れたのは少女自身のアルター・エゴだった。

自身の中に蠢く暗い欲望を予感し慄く桜を見事に現しているMVだ。梶浦は『花の唄』について以下のようなコメントをしている。

「花の唄」は「みんなが桜を愛したくなるような曲」。かわいそうな桜にじんわりとくるような。かわいそうな桜の内面をきちんと描きたいなという気持ちがありました。*1

このコメントの通り,桜の暗い命運(fate)を予感させるような,切なく心に染みわたるバラードである。 まだあどけなさを残す浜辺美波も,この主題歌の雰囲気にぴったりの「かわいそうな桜」を好演している。

花の唄/ONE/六等星の夜 Magic Blue ver.(期間生産限定アニメ盤)

花の唄/ONE/六等星の夜 Magic Blue ver.(期間生産限定アニメ盤)

  • アーティスト:Aimer
  • 出版社/メーカー: SME
  • 発売日: 2017/10/11
  • メディア: CD
 
劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel] I.presage flower」(完全生産限定版) [Blu-ray]

劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel] I.presage flower」(完全生産限定版) [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: アニプレックス
  • 発売日: 2018/05/09
  • メディア: Blu-ray
 

『I beg you』(『II. lost butterfly』主題歌) 


Aimer 『I beg you』(主演:浜辺美波 / 劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」Ⅱ.lost butterfly主題歌)

人形,時計,鏡など,無数の事物で埋め尽くされた部屋。独りアンニュイな面持ちで座る彼女。夢の中のような世界で動物の仮面を被った男たちと楽しげに踊る彼女の口から突如,黒い塊が吐き出され,仮面の男たちを殺めていく。

お姫様のようなドレス姿は「お菓子の国」の夢を見る桜の姿と重なる。黒い塊は,彼女を蝕んでいく「影」そのものだ。

このビデオの浜辺美波の表情はとても素晴らしい。最近はTVドラマなどで表情豊かな役柄をこなすことが多い彼女だが,これほど魅力的で美しい“無表情”を作れる俳優はそう多くないのではないかと思う。

『花の唄』から一転してアップテンポでハイテンションな楽曲となったこの『I beg you』に関して,梶浦は次のようにコメントしている。

桜は「達観していてドライ」なところがあると思うんです。自分の悲劇におぼれずどこか冷めていて,悲劇は例え自分のことであろうと,突き放して見てしまえばどこかしら滑稽なものになりますから。第二章の曲はあえてポップなリズムにすることで,彼女が自分自身を冷笑しているような要素を入れようと。ビートを効かせて,グルーヴを出して。(原文ママ)*2

この蠢くように進行する旋律は,膨張していく己の魔力のなすがままとなり,暗い欲望に身を委ねていく桜の高揚感を表しているように思える。

劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel] II.lost butterfly」(完全生産限定版) [Blu-ray]

劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel] II.lost butterfly」(完全生産限定版) [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: アニプレックス
  • 発売日: 2019/08/21
  • メディア: Blu-ray
 

『春はゆく』(『III. spring song』主題歌 teaser ver.)


Aimer 『春はゆく』teaser ver.(主演:浜辺美波・劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」Ⅲ.spring song主題歌)& クロスフェード

桜の木の下で蹲る彼女。その姿は喪服のように見える。手に持つクリスタルの中には,かつての自分の姿が閉じ込められている。再びローブの影と相見える。果たして彼女が悼むのは,自分自身なのか,それとも…

僕は『Fate/stay night』の一番の魅力は,その緻密な設定や世界観以上に,まるで演歌でも聴いているかのような“情”の表現にあると思っている。衛宮士郎が「俺は桜のためだけの正義の味方になる」という“理不尽”を選択した“桜ルート”は,とりわけ主要人物たちの濃厚な“情”が渦巻く物語である(「レイン」のシーンなどを思い浮かべてみればよいだろう)。3部作の最後を締めくくる『春はゆく』は,そうした“演歌味”を前面に押し出した楽曲になっていると言える。『春はゆく』を収録したニューシングル『春はゆく / marie』は2020年3月25(水)発売。本日2月23日(日)から,「iTunes Store」「レコチョク」「mora」にて先行配信されている。

www.aimer-web.jp

 

今回紹介したミュージックビデオでは,梶浦由記,Aimer,浜辺美波という才能によって,“間桐桜”という多義的なキャラクターが見事に表現されている。未視聴の方は,ぜひこれを機にご覧になって頂きたい。

 

果たして,結末はどちらに分岐するのか。

 

『Heaven's Feel』第二章と第三章のレビューに関しては,以下の記事を参照頂きたい。

www.otalog.jp

www.otalog.jp

 

*1:「Newtype」2019年2月号,KADOKAWA,p.16。

*2:同上。