アニ録ブログ

あるオタクの思考と嗜好をキロクしたブログ。アニメとマンガを中心としたカルチャー雑記。

劇場アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝ー永遠と自動手記人形ー』(2019年)レビュー[考察・感想]:固有名たちよ,永遠に

*このレビューはネタバレを含みます。 

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公式HPより引用 ©暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

www.violet-evergarden.jp

本作で監督を務めるのはTVシリーズで演出を担当していた藤田春香。シンプルな物語・画面構成・感情表現を基調としながらも,ヴァイオレットの役割の変換や2.31:1の画面比率の採用など, TVシリーズとははっきり差別化を図っており,劇場アニメとして見応えのある作品に仕上がっていたと言える。 

 

あらすじ

「自動手記人形」ヴァイオレット・エヴァーガーデンは,ある女学校で寄宿生活を送る良家の娘,イザベラ・ヨークの元を訪れる。その「任務」は手紙の口述筆記ではなく,家庭教師であった。牢獄のような女学校で鬱屈した生活を送っていたイザベラは,次第にヴァイオレットに心を許し,やがて二人は友達として心を通わせるようになる。家庭教師業務の最終日,イザベラはかつて共に暮らしていた妹のテイラーに宛てた手紙をヴァイオレットに託す。そこには姉妹を結ぶ「魔法の言葉」が書かれていた。

〈学ぶ〉主体から〈教える〉主体へ

ヴァイオレット・エヴァーガーデンは,ギルベルト少佐が今際の際に遺した「愛してる」という言葉の意味を知ろうと必死になっている。そもそも彼女には,軍隊のコマンドのような具体的行為を伴わない抽象概念を理解することが困難なのだ。しかし実際,〈愛〉が分からないのはヴァイオレットだけではない。彼女が出会った顧客たちも,C.H郵便社の仲間たちも,そして当然僕らも,「愛とは何か」という問いに答える術を持っていない。人は“恋人への愛”,“家族への愛”,“隣人への愛”といった個々の事例に基づき,〈愛〉という概念を帰納的に“知っているふり”をしているだけだ。それはある種の対症療法であり,〈愛〉という高度に抽象化された象徴をそれ自体として理解しているわけではない。それが抽象概念の宿命だ。

ギルベルトという愛の対象を失ったヴァイオレットは,手紙の代筆によって他者の愛を媒介者として〈愛〉を理解するという,迂遠な方法をとることになる。しかし他者の愛であるからこそ,そこには豊穣な内実が内包される。彼女の心の中には,〈愛〉という象徴の下に,様々な物語が蓄積されていくことになる。以上が,『永遠と自動手記人形』に至るまでの前日譚である。

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TVシリーズでは主に〈学ぶ〉主体であったヴァイオレットだが,『永遠と自動手記人形』では〈教える〉主体へと役割を変えている。彼女は持ち前の知性と運動神経を活かし,「家庭教師」としてイザベラにマナーやダンスを教える。おそらくその演出意図もあってだろう,ヴァイオレットはイザベラよりも身長が高く設定され,ダンスシーンなどでは常にヴァイオレットがイザベラを見下ろす構図になる。男性キャラを見上げる構図の多かったTVシリーズとは綺麗なコントラストを成している。周囲から「騎士姫」と呼ばれる彼女の流麗な立ち居振る舞いは,TVシリーズの“可憐な元戦闘少女”とはまったく違った魅力を放っている。

さらに物語の後半では,彼女はイザベラの代理としてテイラーに文字を教えることになる。これは,かつて自分に言葉を教えてくれたギルベルトへの〈同化〉に他ならない。「教えたい・守りたい」という他者の願望を自己の中に取り込み,別の他者に対してそれを実現する。こうした微笑ましい光景に,ヴァイオレットの僅かだが確実な成長が見てとれるだろう。

〈エイミー〉:固有名という永遠

しかしヴァイオレットの象徴をめぐる旅は終わったわけではない。彼女はイザベラに「君は優しいね」と言われ,やや困惑気味に「私はただ真似をしているだけです」と答える。未だ彼女にとって,〈優しさ〉のような抽象概念は十全に理解し得ていない。ヴァイオレットはイザベラに家庭教師として接しながら,〈優しさ〉〈友達〉といった抽象表現を彼女から学ぶ。ヴァイオレットはまだ〈愛〉という象徴へ至る旅の途上にいるのだ。

そして『永遠と自動手記人形』では,ヴァイオレットが流離うこの漠とした象徴世界に,1つの貴石が投じられることになる。〈固有名〉である。 

かつてイザベラは「エイミー」という名で,戦災孤児として貧民窟で生活していた。彼女は身寄りのない孤児,テイラーを引き取り,姉妹として貧しくも幸せな生活を送る。ところがある日「エイミー」の実父が姿を現し,テイラーの幸福を約束する代わりに,過去の素性と名前を捨ててイザベラ・ヨークとして生きるよう迫る。テイラーの幸福を実現すべく,「エイミー」を捨ててイザベラとなった彼女は,テイラーの元を永遠に去り,ヨーク家の跡取りとしてその後の人生を生きる決意をする。

しかしイザベラは「エイミー」という固有名を完全に捨て去ることはできなかった。彼女は「エイミー」の名を「魔法の言葉」として手紙に書き記し,テイラーの元へ届けるようヴァイオレットに依頼する。手紙を届けたベネディクトによって語り聞かされた「エイミー」という魔法の言葉は,文字すら知らないテイラーの心の中にはっきりと刻み込まれることになる。3年後,テイラーは「エイミー」という魔法の言葉の指示対象を探すべく,C.H郵便社のヴァイオレットの元を訪れる。

固有名は普通名詞と違い,意味を伴わずに対象を直接指示する。普通名詞が個々の差異を捨象しながら一般化していくのに対し,固有名は差異そのものを指示する。もちろん,エイミーという名自体は世の中にたくさん存在するが,テイラーにとって「エイミー」は「“この”エイミー」に他ならず,いかなる他の概念にも翻訳不可能である。

抽象化も象徴化も帰納的理解もできず,意味も持たず,翻訳不可能で,他者と共有できず,社会的に流通もしない。まさしくテイラーにとって唯一無二のかけがえのない言葉。それが「エイミー」という固有名なのだ。

イザベラは〈戦争孤児〉から〈良家の子女〉へ,そして〈妻〉へと社会的役割を変えていくだろう。しかしそれは,ヴァイオレットの〈学ぶ主体〉から〈教える主体〉への変化と同様,あくまでも一般的に起こりうる役割交換に過ぎない。一方,「エイミー」という固有名の〈エイミー性〉は,いつまでも永遠に変わることがない。どんな変化にも耐え得る不変の言葉。だからこそ,それは二人にとって「魔法の言葉」なのであり,それこそがこの物語における「永遠」なのである。

そしてそれが,ヴァイオレットにとって「ギルベルト」という名であることは言うまでもない。彼女は〈愛〉という象徴を巡る旅の途上,イザベラとの交流を媒介者としながら,「ギルベルト」という固有名と再会を果たしたのだ。

変化と永遠

戦中・戦後の時代を舞台としたTVシリーズと異なり,本作で描かれる時代は比較的平和であり,血なまぐさい戦闘シーンなどは一切ない。とはいえ,そこに描かれているのは無時間的なユートピアなどではなく,希望に満ちてはいるが酷薄な変化の時代だ。戦災孤児の生活と生々しいヴァイオレットの義手の描写によって戦中の残酷さを暗示しつつ,電波塔の建設,電気の導入,ベネディクトのバイクの進化などから,技術とメディアの進化と,世界が急変していく様を丁寧に描いている。そして,そのように流転する世界の中にあってこそ,〈固有名〉という永遠が珠玉のような輝きを放つのだ。

そしてそのようにこの作品を観たとき,ある事実に気付かされる。

『永遠と自動手記人形』における〈固有名〉は,この作品の制作に携わったスタッフたちの〈固有名〉でもあるのだ。本作のエンドロールには,先の放火殺人事件の犠牲者となったスタッフを含め,制作に参加した全員の名前がクレジットされた。これから本作をご覧になる人,後日発売されるであろうビデオソフトをご覧になる人は,エンドロールに流れる彼ら/彼女らの〈固有名〉に目を凝らし,その輝きを受け取って欲しい。

 

固有名たちよ,永遠に。

 

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(2020年)に関しては以下の記事を参照頂きたい。

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作品データ

原作:暁 佳奈

監督:藤田春香

シリーズ構成:吉田玲子

脚本:鈴木貴昭浦畑達彦

キャラクターデザイン・総作画監督:高瀬亜貴子

制作:京都アニメーション

(リンクはWikipedia,もしくはアットウィキの記事)

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
4.5 4 5 4
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
4 4 5
独自性 普遍性 平均
3 4 4.2
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

2019年 秋アニメは何を観る?

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『星合いの空』公式Twitterより引用 ©赤根和樹・エイトビット/星合の空製作委員会


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uzurainfo.han-be.com

2019年夏アニメもクール終盤に入り,ほとんどの作品が数話を残すのみとなっている。注目すべき作品はいくつかあったが,中でも以前の記事でイチオシとして紹介した岡田麿里原作の『荒ぶる季節の乙女どもよ。』はやはり面白い。その他,『ヴィンランド・サガ』,『炎炎の消防隊』,『彼方のアストラ』,『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』など,当初から注目を集めた作品が健闘したクールだったと言えるだろう。

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その一方で,春クールから続いている『鬼滅の刃』のように,視聴者の度肝を抜くようなクオリティの作品は少なかったように思う。良くも悪くも期待通り,というわけだ。日々制作技術が向上していくなか,突出した作品を作ることが難しくなっているという事情もあるだろうが,ある種の“突然変異”のようなものを待望してしまうのが視聴者の心理というものだろう。次クールに期待したい。

僕が来期に注目する作品は以下の通りである。いつもの通り,五十音順に紹介する。

アズールレーン

  • 監督:天衝(田中基樹)
  • シリーズ構成:鋼屋ジン
  • キャラクターデザイン・総作画監督:野中正幸
  • 制作:バイブリーアニメーションスタジオ

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TVアニメ『アズールレーン』ティザーPV①

原作は中国の上海蛮啾網絡科技有限公司(マンジュウ)と厦門勇仕網絡技術有限公司(ヨンシー)が共同開発し,Bilibiliが配信するスマホ向けゲームアプリ。中国発のコンテンツのアニメ化ということもあり,今後のアニメ原作の供給源という問題を考察する上でも注目しておきたいところだ。

監督は『きんいろモザイク』(2013年)や『グリザイアの果実』(2014年)の田中基樹。2011年より天衝という名義で活躍し,2017年に本作制作のバイブリーアニメーションスタジオを設立し,代表を務めている。

アフリカのサラリーマン

  • 監督:畳谷哲也
  • シリーズ構成・脚本:百瀬祐一郎
  • 制作:HOTZIPANG

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「アフリカのサラリーマン」PV第2弾

ケモノ系ギャグアニメ。正直,当初はピックアップする予定はなかったのだが,大塚明夫,津田健次郎,下野紘,木野日菜,石田彰,喜多村英梨,小倉唯,神谷浩史,鈴木達央,河西健吾といった主要キャラクターの豪華キャスティングを見れば,取り上げざるを得ないというものだ。声優オタク必見の作品になるだろう。

歌舞伎町シャーロック

  • 監督:吉村愛
  • シリーズ構成:岸本卓
  • キャラクターデザイン:矢萩利幸
  • アニメーション制作:Production I.G

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TVアニメ「歌舞伎町シャーロック」第4弾PV

架空の町・新宿區歌舞伎町を舞台にした,ミステリー&コメディ要素のオリジナルアニメ。監督は『銀魂』(2006-2010年),『黒執事』(2008-2009年),『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2011年)など,数々の作品で演出を務めてきた吉村愛。オリジナル作品ということもあり,Production I.G制作という点以外は未知数だが,それだけにダークホースとなる可能性がある。

警視庁 特務部 特殊凶悪犯対策室 第七課 -トクナナ-

  • 総監督:栗山貴行
  • 監督:小坂春女
  • シリーズ構成:東出祐一郎
  • 制作:未公表

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TVアニメ「警視庁 特務部 特殊凶悪犯対策室 第七課 -トクナナ-」本PV

かつて世界の覇権を握っていたドラゴンの力を得ようと凶悪事件を引き起こす「ナイン」と,それに対抗すべく組織された「警視庁 特務部 特殊凶悪犯対策室 第七課」,通称「トクナナ」。異世界と現代の混交モノだが,これも完全オリジナルである。

総監督は『アンゴルモア元寇合戦記』(2018年)の栗山貴行,監督はかつて『美少女戦士セーラームーン』(1992-1997年)で絵コンテと演出を務めたことで知られる小坂春女,シリーズ構成は『Fate/Apocrypha』(2017年)の原作者・東出祐一郎。この布陣も注目ポイントだ。制作会社が公表されていないが,PVを見る限りクオリティは高そうだ。

PSYCHO-PASS サイコパス 3

  • 監督:塩谷直義
  • 制作:Production I.G

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『PSYCHO-PASS サイコパス 3』PV第1弾

言わずと知れた傑作アニメの3期目。現時点で脚本家やシリーズ構成担当が公表されていないのがやや気になるが(まさか虚淵玄…ということもないだろうが),監督の塩谷直義を信じよう。

ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld

  • 監督:小野学
  • キャラクターデザイン:足立慎吾,鈴木豪,西口智也
  • 撮影監督:脇顯太朗,林賢太
  • 音響監督:岩浪美和
  • 音楽:梶浦由記
  • 制作:A-1 Pictures

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SAOシリーズ第3期の分割2クールの後半ということで,前半のクオリティが継続されれば安定して視聴できる作品になるはずだ。各種エフェクトに力を入れた絵作りをしている作品なので,個人的には脇顯太朗と林賢太の撮影班の仕事にも注目したいところ。

ハイスコアガール II

  • 監督:山川吉樹
  • シリーズ構成:浦畑達彦
  • アニメーション制作:J.C.STAFF

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【10月放送開始予定】TVアニメ『ハイスコアガールⅡ』ティザーPV

90年代のアーケードゲームの状況をつぶさに描写し,“ちょっと懐かしいあの時代”を舞台に甘酸っぱい恋物語を描いた『ハイスコアガール』。その待望の2期目が10月からいよいよ始まる。押切蓮介による原作コミックは完結しており,僕は読了している。フル3DCGのクオリティが非常に高く,この作品の世界観にもマッチしている。2期目も楽しみの作品だ。過去記事のレビューを挙げておく。

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BEASTARS

  • 監督:松見真一
  • 脚本:樋口七海
  • 制作:オレンジ

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TVアニメ「BEASTARS」第3弾PV

板垣巴留による同名コミックが原作。「第11回マンガ大賞」で大賞を受賞するなど,極めて評価の高い原作のアニメ化とあり,期待が高まる。ケモノ要素を“ほのぼの”系ではなく,人の心の業の寓意として用いているところが面白く,深いテーマ性もある。「+Ultra」枠というのも興味深い。このテーマに対し,海外の視聴者がどう反応するか楽しみだ。

制作は『宝石の国』(2017年)のオレンジ。制作水準の高さは保証済みと言えるだろう。

Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-

  • 監督:赤井俊文
  • 制作:CloverWorks

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TVアニメ「Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-」Episode 0 PV


TVアニメ「Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-」第1弾PV

『FGO』のマスター諸氏であれば,ゲーム内で公開された「Episode 0」の高いクオリティを覚えていることだろう。『FGO』の中でも特に人気の高い「バビロニア」をピックアップしてきただけあって,これまでのアニメ化以上に本腰を入れた企画であるように思える。

監督は『ヤマノススメ セカンドシーズン』(2014年)のエンディング絵コンテ,『ダーリン・イン・ザ・フランキス』(2018年)で副監督を務めた赤井俊文。

なお,「Episode 0」は以下のページ内の配信サイトで鑑賞可能だ。

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星合の空

  • 原作・脚本・監督:赤根和樹
  • アニメーション制作:エイトビット

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TVアニメ『星合の空』 プロモーションビデオ第二弾

男子中学のソフトテニス部を舞台にした青春ストーリー。この手の物語にしては珍しく,完全オリジナルアニメだ。まず上掲のPVを観て頂きたい。派手な作品ではないが,『ヤマノススメ』シリーズを手がけたエイトビットの繊細な絵作りが心を打つ。この作品をもって,今回のイチオシとしたい。

原作・脚本・監督は『コードギアス 亡国のアキト』(2012-2016年)などの赤根和樹。制作はエイトビット。

 

現時点ではこんなところだろうか。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の外伝や『ハロー・ワールド』など劇場公開される作品もある。秋の夜長にアニメ三昧と行こうではないか。

「高畑勲展」@東京国立近代美術館レポート:描線に宿るロゴス

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東京国立近代美術館HPより引用 ©2013畑事務所・Studio Ghibli・NDHDMTK

takahata-ten.jp

2018年にこの世を去った高畑勲。この『高畑勲展』は,高畑の遺品から新たに発見された未公開資料を含め,1000点以上の膨大な資料を紹介しながら,彼の緻密かつ豊かな「演出術」の全貌を描き出した展示である。

展示会データ

会場東京国立近代美術館岡山県立美術館へ巡回

会期:【東京】2019年7月2日(火)~10月6日(日) 【岡山】2020年4月10(金)~5月24(日)

チケット:詳細はこちら

その他:一部を除き写真撮影不可。音声ガイド有り(550円。声:中川大志)。音声ガイドには大塚康生,小田部羊一,友永和秀,男鹿和雄,山本二三のインタビューも収録されているのでおすすめ。展覧会図録販売有り(2300円(税込))。その他グッズ販売有り(詳細はこちら)。所要時間の目安は「音声ガイドなし+やや急いで鑑賞」で2時間弱。「音声ガイドあり+じっくり鑑賞」で3時間超。

高畑勲プロフィール

1935年三重県生まれ。1959年に東京大学仏文科を卒業後,同年東映動画(現・東映アニメーション)に入社。その後1968年に『太陽の王子ホルスの大冒険』にて初の長編アニメーション監督を務める。1971年,小田部洋一と宮崎駿らと共にAプロダクションに移籍後,『パンダコパンダ』(1972年)などを演出。再び小田部,宮崎らと共にズイヨー映像に移籍し,『アルプスの少女ハイジ』(1974年),『母をたずねて三千里』(1976年),『赤毛のアン』(1979年)の演出を担当。テレコム・アニメーションフィルムに移籍後,『じゃりン子チエ』(1981-1983年)を監督。宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』(1984年)ではプロデューサーを務める。1985年,スタジオジブリ設立に参画。代表作である『火垂るの墓』(1988年),『おもひでぽろぽろ』(1988年),『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年),『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)の監督を務めた後,14年のブランクを経て『かぐや姫の物語』(2013年)を制作。本作が最後の監督作品となる。2018年4月,死去。

高畑の作品は,派手なアクションなどよりも,日常における人間関係の機微や子どもの自由奔放さなどの卓越した描写が特徴である。『じゃりン子チエ』以降は日本を舞台にした作品作りに傾注し,日本の風景,日本人の表情,日本人の心情を細やかに描き出した作風が特徴となっている。

展示構成

展覧会は以下の4章に分けられ,年代順に作品を紹介する構成になっている。

第1章 出発点ーアニメーション映画への情熱

『安寿と厨子王丸』(1961年)/『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年)/『狼少年ケン』(1963-1965年)/『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年)

第2章 日常生活のよろこびーアニメーションの新たな表現領域を開拓

『パンダコパンダ』『パンダコパンダ雨ふりサーカスの巻』(1972-1973年)/『アルプスの少女ハイジ』(1974年)/『母をたずねて三千里』(1976年)/『赤毛のアン』(1979年)

第3章 日本文化への眼差しー過去と現在の対話

『じゃりン子チエ』(1981年)/『セロ弾きのゴーシュ』(1982年)/『柳川掘割物語』(1987年)/『火垂るの墓』(1988年)/『おもひでぽろぽろ』(1991年)/『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)

第4章 スケッチの躍動ー新たなアニメーションへの挑戦

『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)/『かぐや姫の物語』(2013年)

「絵を描かないアニメ監督」の技

膨大な量のメモや制作ノート。そこに書き込まれた膨大な量の小さな文字。

“アニメ監督の展覧会”という一般的なイメージからはややかけ離れた展示内容に,訪れた人は戸惑いを覚えるかもしれない。しかしガラスケースに収められたこの膨大な手書きの覚え書きこそ,「絵を描かないアニメ監督」と呼ばれた高畑勲の似姿に他ならない。高畑は絵を描かない。にもかかわらず,彼にはクリエーターたちをまとめ,絵と描線に己の思想を込め,ひとつの作品に仕上げる頭脳があった。そしてそれを実現する,才能溢れる同胞たちに恵まれていた。この展示は,高畑という頭脳と,そこに集まった才能たちによる「制作」という名の舞台劇を垣間見せてくれるのだ。

例えば『太陽の王子ホルスの大冒険』では,「民主的な集団制作」を目指すべく,各スタッフに人間関係の図式や制作ノートを配布し,意見を募ったという。これに関する覚え書き等ももちろん展示されている。

また,同じく『ホルス』で作成された「テンション・ノート」も興味深い。これは物語の進行に伴い,ドラマのテンションがどう推移していくかを手描きのグラフで表したものである。

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『「高畑勲展」図録』p.40より引用 ©︎2019 NHKプロモーション,東京国立近代美術館

実はこれと似たものを『君の名は。』(2016年)の新海誠監督も作成している。彼は作品の時系列と観客の「感情グラフ」を視覚化し,脚本執筆に反映させていたという。

kai-you.net

草創期のトップクリエーターと現代のトップクリエーターが同様の手法をとっているというのも大変面白い事実である。 

描線に宿るロゴス

他にも見所の多い本展示だが,高畑の「演出術」の真髄に触れているのは,やはり「第4章 スケッチの躍動」ではないかと僕は思う。1999年の『ホーホケキョ となりの山田くん』で,高畑は手描きの描線の風味を活かし,キャラクターと美術を水彩画風に描画する方法に挑んでいる。デジタル技術を全面的に導入することで,省略と余白を大胆に活用しながらも計算された絵作りを実現し,観る者の想像力を喚起する作品に仕上げている。

こうした技法がさらに深化したのが,遺作となった『かぐや姫の物語』だ。手描き線の「肥瘦」をそのまま残し(あるいは誇張し),まるでラフスケッチをそのまま動かしたかのようなアニメーション。この脈動する線の中に,高畑勲という人物の思想がぎっしり詰め込まれているように僕は思う。

高畑は『かぐや姫の物語』の映像表現に関して,以下のように述べている。

エスキス=スケッチ,すなわち活写。対象をいま,この瞬間,捉えようとしている。まだ完結していない,その行為の緊張と熱気。対象に向かっているときの初々しい心の鼓動。それが,見る側にも乗り移って,描かれたスケッチから,その裏側・奥にある対象そのものを想像しよう,記憶を探ろう,能動的に読み取ろう,要するに実感しよう,という気持ちを見る人の心に呼び覚ます。*1

周知の通り,『かぐや姫の物語』は興行的には振るわなかった作品だ。宮崎駿の諸作品と比べ,“官能的魅力”に乏しいからかもしれない。しかし僕は2013年の上映当時から,この作品の不思議な魅力に取り憑かれてきた。これまでその魅力をなかなか分析できないでいたのだが,本展示を観ることで,その幾ばくかが理解できたように思う。

結局,「絵を描かない」ことは,高畑にとってマイナスではなかったのだろう。いやむしろ,彼の作品にとってはプラスに働いたのではないか。

〈絵で語る〉というよりは〈言葉を絵にする〉。このことが彼のいくつかの作品をとっつきにくい印象にしているのかもしれない。しかしこのことこそが,感覚的・刹那的な“消費”に陥らない,豊穣な魅力を彼の作品に与えているのかもしれないのだ。

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『アルプスの少女ハイジ』のジオラマ。このコーナーのみ写真撮影が可能。

 

*1:『ジ・アート・オブ かぐや姫の物語』徳間書店,2013年(「高畑勲展」図録 p.196からの孫引き)

アニメをより深く観るためのツール②:アニメの〈撮影〉を知る

※この記事は『鬼滅の刃』『リズと青い鳥』『Fate/stay night [Heaven's Feel] II. lost butterfly』に関するネタバレを少々含みます。気になる方は作品本編をご覧になってから本記事をお読みください。

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『鬼滅の刃』十九話「ヒノカミ」より引用 ©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

「これはもう劇場版クオリティだ」

先ほど放送された『鬼滅の刃』十九話「ヒノカミ」を観た多くの人が,このような印象を抱いたのではないだろうか。戦闘シーンのエフェクト,回想シーンの父の「神楽」,歌入りの挿入歌――シリーズアニメでありながら,どれもが劇場版アニメのクライマックスを思わせる極めて高い品質で作られていたのである。

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そしてこの「劇場版クオリティ」の多くの部分を支えているのが,〈撮影〉という制作工程であることは間違いない。

かつてのセルアニメーションの時代において,撮影は「撮影台を用いてセルデータと背景をフィルムで撮影・合成する」という,文字通り〈撮影〉の工程がメインであった。*1 しかしアニメ制作のデジタル化が進むにつれて撮影の工程もデジタル化し,現在では上記のような合成作業に加え,レンズフレアや流体表現などの様々なエフェクトを実現できるようになり,作品のクオリティへの貢献度が飛躍的に増したのである。したがって,僕らが「劇場版クオリティだ」と言ってシリーズアニメを評価する際に,撮影の作業工程やその担当者の仕事を知ることは,決して意味のないことではないだろう。

今回の記事では,〈撮影〉の工程や制作者の仕事を知る上で役立つツールをいくつか紹介したい。ただし,あまりに専門的な知識はこのブログの読者には不要だろうから,あくまでも〈アニメファンのための情報提供〉という内容に留めておきたい。 また,もとより網羅的なリストアップは目指していないので,情報不足などの点はコメント欄でご指摘頂ければ幸いである。

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「月刊MdN 2017年11月号」(2017年,エムディエヌコーポレーション)

「月刊MdN」はグラフィックデザインとWebデザインをメインとした雑誌だが,アニメ,ゲーム,マンガなどのビジュアル・カルチャーを特集することも多い。2017年11月号の特集はズバリ「アニメを観たり,語るのは楽しい。でも……撮影を知るとその200倍は楽しい!」。このタイトルからもわかる通り,アマチュアのアニメファンに向けた情報提供を主としているので,アマチュアにも読みやすい点がポイントだ。

撮影の基礎知識や略史の他,『宝石の国』(2017年)の撮影工程にフォーカスした記事が面白い。監督の京極尚彦,VFXアートディレクターの山本健介,撮影監督の藤田賢治らのロングインタビューと具体的な作業工程が掲載されており,『宝石の国』の独特な世界観を作り上げた舞台裏を知ることができる。

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「月刊MdN 2017年11月号」p.49,エムディエヌコーポレーション,2017。

今号以外にアニメを特集した号を以前の記事で紹介したので,参考にして頂きたい。

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高瀬康司編『アニメ制作者たちの方法』(2019年,フィルムアート社)

アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門 (Next Creator Book)

アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門 (Next Creator Book)

  • 作者: 高瀬康司,片渕須直,京極尚彦,井上俊之,押山清高,泉津井陽一,山田豊徳,山下清悟,土上いつき,土居伸彰,久野遥子,藤津亮太,石岡良治,渡邉大輔,泉信行,古谷利裕,吉村浩一,福本達也,原口正宏,吉田隆一,氷川竜介
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2019/02/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

様々なアニメクリエーターや関連分野の研究者のインタビューやエッセイを掲載し,アニメを多角的に捉えた良書である。本書の「Discussion 3 コンポジットの快楽をめぐって アニメーション撮影の歴史と表現」では,スタジオジブリなどで撮影に携わった泉津井陽一と,『天元突破グレンラガン』(2007年)『キルラキル』(2013-2014年)などで撮影監督を務めた山田豊徳によるディスカッションが掲載され,撮影技術の歴史やその具体的作業などが語られている。ここで泉津井は,『リズと青い鳥』(2018年)『聲の形』(2016年)などの高尾一也(京都アニメーション),『Re:CREATORS』(2017年)などの加藤友宜津田涼介(TROYCA),『Fate』シリーズなどの寺尾優一(ufotable)を,山田は新海誠の作品を手がけた三木陽子李周美福澤瞳,『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』シリーズの中西康祐,『メガロボクス』(2018年)の江間常高,『耳をすませば』(1995年)などの奥井敦(スタジオジブリ)などを注目のクリエーターとして挙げている。*2 アニメファンからは固有名が見えづらいフィールドだけに,こうした情報は大変ありがたい。

なお,本書全体の簡単なレビューは以下を参照頂きたい。

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『聲の形』(2016年)『リズと青い鳥』(2018年)特典オーディオコメンタリー

『アニメ制作者たちの方法』で泉津井陽一も言及する,京都アニメーションの高尾一也。近年のアニメにおける高いクオリティを語る上で,彼の仕事には注目せざるを得ないだろう。『聲の形』と『リズと青い鳥』のDVD/Blu-rayには,高尾を含めた制作スタッフのオーディオコメンタリーが特典として収録されている。オーディオコメンタリーという性質上,その大部分が作品を巡る“軽めのトーク”であり,あまり専門的な内容に触れられてはいないが,高尾の仕事の一端を知るための貴重な資料として一聴に値するだろう。

『リズと青い鳥』のコメンタリーは,高尾が手がけた仕事への言及が比較的多い。監督の山田尚子から「ガラスの瓶の底をのぞいたような世界観」という指示があったらしいが,おそらくこの辺りは被写界深度の調整などで表現したのではないかと推測される。また,山田は〈学園風景〉〈絵本の世界〉〈みぞれの心象風景〉をまったく異なる処理にするよう高尾に求めたという。

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〈学園風景〉光量が多く,とてもハイキーな画面に仕上がっている。『リズと青い鳥』の学園風景のもっとも大きな特徴である。『リズと青い鳥』より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

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〈絵本の世界〉撮影段階で原画のトレス線を途切れ気味に演出し,「古き良きアニメ」(山田)風に仕上げている。 『リズと青い鳥』より引用 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

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〈みぞれの心象風景〉水彩画風の処理を施している。山田の一番のお気に入りシーンでもある。 『リズと青い鳥』より引用。 ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

泉津井陽一によれば,「[『リズと青い鳥』と比べ]『聲の形』では登場人物の主観的世界や心象風景,つまり心理的表現として[被写界深度の表現が]用いられている部分が大きい。一方『リズ』の撮影処理は実写的で,実際にレンズ(カメラ)を通して撮影したかのような画面設計がなされている」 ということだ。

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〈将也の主観カメラ〉『聲の形』より引用 ©大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

確かに『リズと青い鳥』では,先ほどの山田の言にあったようにみぞれと希美の世界を「のぞく」カメラワークになっているのに対し,『聲の形』では,主人公である将也の主観カメラが多用されていると思われる。この辺りも含め,オーディオコメンタリーを聞きながら『聲の形』と『リズと青い鳥』を見比べてみるのもいいのではないだろうか。

『Fate/Zero』(2011-2012年)『Fate/stay night [Heaven's Feel] II. lost butterfly』(2019年)特典「Animation Material」

『Fate/Zero』 Blu-ray Disc Box ?

『Fate/Zero』 Blu-ray Disc Box ?

 
劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel] II.lost butterfly」(完全生産限定版) [Blu-ray]

劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel] II.lost butterfly」(完全生産限定版) [Blu-ray]

 

泉津井が注目するもう1人の撮影監督が,ufotableの寺尾優一だ。『空の境界』(2007-2010年)や『Fate』シリーズの他,本記事の冒頭に挙げた『鬼滅の刃』の撮影監督も寺尾が務めている。彼が撮影監督を担当した『Fate/Zero』と『Fate/stay night [Heaven's Feel] II. lost butterfly』のDVD/Blu-rayには「Animation Material」が特典として付属しており,その中に寺尾のインタビューが掲載されている。例えば『lost butterfly』のインタビューでは次の発言が興味深い。

雨ひとつとっても,土砂降りなのか,さらさらなのか,悲しいのか,嬉しいのかなど,違いを意識して描こうと思っていました。雨はどこか悲しいイメージがありますけど,衛宮士郎と間桐桜の距離がゼロになる「レイン」のシーンは,雨粒がキラキラと輝いて,ポジティブに見える表現を意図しました。雨が「綺麗な涙」のように見えて,画面的にも明るくなっていくと良いなと。そういう変化を意識しながら,映像を作っていきましたね。*3

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『Fate/stay night [Heaven's Feel] II. lost butterfly』より引用 ©TYPE-MOON・ufotable・FSNPC ©TYPE-MOON

「レイン」は「桜ルート」の中でも最も美しいシーンの1つだが,劇場版はこのシーンを極めて印象深いスローモーションに仕上げ,浮遊するかのような雨粒を丁寧に描いている。その一つ一つが士郎と桜の間に芽生えた親密な温かさを反映しているようで,寺尾の言うとおり,そこには「ポジティブに見える表現」が表されているようだ。寺尾の撮影技術が冴え渡る名シーンと言えよう。

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CGWORLD編集部編「アニメのCGの現場 2017」(2017年,株式会社ボーンデジタル)

株式会社ボーンデジタルが発行する「CGWORLD」はCG映像のクリエーター向けの情報誌だが,CGアニメーションの特集を組むことも多く,2017年の「特別編集版」は,新海誠監督の『君の名は。』(2016年)を取り上げている。新海誠と言えば,業界内でもとりわけ撮影技術へのこだわりが強く,光や被写界深度の効果などを駆使して美麗な美術を作る監督として有名である。山田豊徳によれば,新海は『君の名は。』でも編集段階でAfter Effectsを用い,全カット自ら手を入れていると言う。*4

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「アニメのCGの現場 2017」p.103。 「AE」は,後述する「After Effects」のこと。

新海は『天気の子』(2019年)でも,その繊細な表現技術を惜しみなく見せつけた。彼の表現はアニメ業界の極限値を示していると言っても過言ではなかろう。しかし表現技術も感性も時代と共に進化する。この先,現在の新海のさらに上を行く撮影技術が生まれることを願ってやまない。

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『AfterEffects for アニメーション』

AfterEffects for アニメーション BEGINNER [CC対応 改訂版]

AfterEffects for アニメーション BEGINNER [CC対応 改訂版]

 
AfterEffects for アニメーション [CC対応改訂版]

AfterEffects for アニメーション [CC対応改訂版]

 
AfterEffects for アニメーション EXPERT

AfterEffects for アニメーション EXPERT

 

最後に紹介するのは,今回の記事で唯一クリエーター向けの「専門書」だ。現在の撮影の現場ではアドビシステムズのソフト「Adobe After Effects」が主流となっており,本書はその操作方法や表現技法をクリエータ向けに説明した書物である。中級者向けの無印に加え,「BEGINNER」と「EXPERT」があるが,一般のアニメファンであれば「Beginner」と無印で十分だ。「EXPERT」はすでにアニメ業界で働いているプロ向けの内容である。

僕も含めたアマチュアのアニメファンではわからないような専門用語が頻発する書籍で正直とっつきやすくはないのだが,撮影工程の範囲や,その作業フローを大まかに理解する手助けにはなるだろう。

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『AfterEffects for アニメーション』p.54。

見ているだけでも楽しい書物なのだが,1冊3000円以上するので,アマチュアが参考資料として積ん読,というわけにもいかないかもしれない(僕は電子版を買ってしまったが)。実店舗などで見かけた時に目を通してみるのをお勧めする。

さいごに

当たり前のことだが,監督や脚本家や作画監督と違って,撮影に携わるスタッフの人数は相対的に多い。当然,ここで紹介した書物や本記事そのものに登場していない有能なクリエーターが数多くいる。本記事を読んだみなさんが,今後アニメを観る際に撮影技術にも目を向け,エンドクレジットの「撮影」の項目に目を凝らすようになってもらえれば幸いである。 

*1:三鷹の森ジブリ美術館」には,セル画時代の撮影台のミニチュアが展示されており,かつての撮影工程を体験することができる。

*2:人名のリンクは「アニメ@wiki」もしくは「Wikipedia」。参考までにご覧頂きたい。

*3:『Fate/stay night [Heaven's Feel] II. lost butterfly』「ANIMETION MATERIAL」p.21。

*4:『アニメ制作者たちの方法』p.124。

高瀬康司編『アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門』(フィルムアート社,2019年)レビュー:〈迷走〉と〈快楽〉のメディア

アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門 (Next Creator Book)

アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門 (Next Creator Book)

  • 作者: 高瀬康司,片渕須直,京極尚彦,井上俊之,押山清高,泉津井陽一,山田豊徳,山下清悟,土上いつき,土居伸彰,久野遥子,藤津亮太,石岡良治,渡邉大輔,泉信行,古谷利裕,吉村浩一,福本達也,原口正宏,吉田隆一,氷川竜介
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2019/02/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

はたしてアニメは“作品”なのだろうか。

作品内の(ほぼ)すべてが〈作者〉という個人の営為に還元されるような,近代的〈作品〉概念(近代絵画,私小説など)を前提とするのであれば,答えは否だ。例えば僕らが『響け!ユーフォニアム』を鑑賞する時,評価しているものの実体は何だろう。脚本か?原作か?作画か?絵コンテか?音楽か?撮影技術か?おそらくはそのすべてであり,それらの背後には別個のクリエーターが存在する。もちろんそれぞれの“作品”には監督が存在するが,その仕事は文字通りdirectであり,複数のクリエーターの指揮を執ることである。それは作品制作の責任主体ではあるが,近代的〈個〉としての創造主体とは程遠い。

アニメを知れば知るほど,僕らはますます多くの制作者に出会い、その「方法」を知ることになる。スタッフクレジットを読むことは,あたかも古代の神話を読むがごとくである。中心を欠き,迷走的であるが故に少々不安を掻き立てるが,だからこそ奥深く豊穣である。様々な権能=「方法」を持つ神々=制作者の技を知ることは,楽しいの一言に尽きるだろう。

『アニメ制作者たちの方法』は,アニメ鑑賞におけるそうした〈迷走性〉と〈快楽〉の両方を象徴する書物である。構成を見てみよう。

Introduction

新しい方法 高瀬康司

Interview 1

自然主義的なアニメーションとそれを語るための言葉たち 片淵須直

Column 1

アニメーションの絵はなぜ動いて見えるのか――心理学から考える 吉村浩一

Discussion 1

作画におけるリアリティとは何か――平成30年間の作画表現史を考える 井上俊之×押山清高

Discussion 2

デジタル時代の作画表現を求めて――タイムライン,ムービー,コンポジット 山下清悟×土上いつき

Expanded Work

アニメーション制作の方法――『古の女神と宝石の射手』アニメーションPVを例に

Column 2

Flashから見るデジタル作画の別の可能性――Web系アニメーターの思想と新しい作画 福本達也

Discussion 3

コンポジットの快楽をめぐって――アニメーション撮影の歴史と表現 泉津井陽一×山田豊徳

Interview 2

アニメ表現のダイバーシティへ向けて――MV, 3DCG, VR 京極尚彦

Situation/Histroy

日本アニメーションの現在地

Critic

横断するアニメーション

Study 1

アニメ制作者たちによる必見作品ガイド

Study 2

メディア横断的にアニメを見るための作品ガイド

Study 3

アニメーションをめぐるブックガイド

「Interview」「Column」「Discussion」などの見出しがランダムに並列されている上,執筆者も,監督,認知心理学者,作画監督,撮影監督など様々だ。この構成そのものが脱中心的であり,僕らのアニメ鑑賞の〈迷走性〉と〈快楽〉を体現しているとも言える。言い換えれば,アニメをまともに楽しもうと思えば,複数の制作者主体の間を迷走し,評価軸と鑑賞眼を増幅させていくしかない――1つの“作品”に関わる制作者の数が膨大になる中,本書が登場したこと自体がこの事実を教えてくれている。

具体的には,認知心理学の観点からコマ打ちの洞察を深めた片渕須直の視点,「撮影/コンポジット」を巡る泉津井陽一と山田豊徳の概観と議論,アニメの媒体特性(「メメディウム・スペシフィシティ」)を「メディアミックス=不純さ」と捉える石岡良治と高瀬康司の視座などが興味深い。とりわけ「撮影/コンポジット」に関しては,アニメ制作のデジタル化により近年ますます注目されつつあるにもかかわらず,一般のアニメファンがその仕事の内実を知る機会が極めて少ない。泉津井と山田による歴史的概観と個々の制作者・作品に対する言及には大きな参照価値がある。

また,巻末の「アニメーションをめぐるブックガイド」は,コンパクトながらも,一般のアニメファンがアニメ鑑賞を深めるための指針として役立つだろう。

 

1つのアニメには複数の制作者が関わり,複数の技術が結合し,複数のメディアが混在している。そんなアニメを鑑賞する僕らは,迷い,戸惑いながら複数の要素を味わうことを楽しみとしている。時に膨大な量の情報に溺れそうになることもあるだろう。『アニメ制作者たちの方法』という書物は,迷走する僕らにとって理想的なガイドではないかもしれない。上述したように,すでに本書のその構成からして,アニメの脱中心的性質を表してしまっているのだから。しかしだからこそ,アニメには無限の楽しみがある。それを認識した人であれば,本書をアニメそのものと同レベルで楽しめるはずだ。

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ドキュメンタリー映画『飄々~拝啓,大塚康生様~』(2015年)レビュー:ムーミンよ,永遠に。

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トムス・エンタテインメント公式ブログより引用

作品データ

監督:宇城秀紀

出演:大塚康生おおすみ正秋小田部羊一高畑勲田中敦子月岡貞夫富沢信雄友永和秀,林雅子,道籏義宣,大塚文枝(大塚康生夫人)

語り:島本須美
(リンクはWikipedia,作画@wikiの記事)


大塚康生本人に加え,大塚にゆかりのあるアニメーターの証言を収集・記録したドキュメンタリー映画。「東京アニメアワードフェスティバル2015」の「トムスアニメ制作50周年記念シアター」にて特別上映された。2019年8月,トムス・エンタテインメント制作55周年を記念し,ユジク阿佐ヶ谷にて限定上映された。日本アニメ草創期のクリエイターの人柄,苦労話,愉快なエピソードなどを知ることができる,大変貴重なドキュメンタリーである。

大塚康生について

1931年島根生まれ。1957年,発足されたばかりの東映動画(現・東映アニメーション)に第1期生として入社し,アニメーターとしてのキャリアをスタートする。日本初のカラー長編アニメ『白蛇伝』(1958年),『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年)などで原画を担当。『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968年)では作画監督を務める。以降,東京ムービーで『ムーミン』(1969 年版)や『ルパン三世(TV第1シリーズ)』(1971年)など,日本アニメーションで『未来少年コナン』(1978年),『じゃりン子チエ』(1981年)などの作画監督を歴任。現在では一線を退き,スタジオジブリを始め国内外のスタジオや専門学校で後進指導にあたっている。

なお大塚のキャリアについては,「月刊アニメージュ」の自伝的コラムをまとめた『作画汗まみれ』に詳しい。文庫版で手軽に読める他,電子版もあるので一読されるのもいいだろう。

作画汗まみれ 改訂最新版 (文春ジブリ文庫)

作画汗まみれ 改訂最新版 (文春ジブリ文庫)

 

拝啓,ムーミン様

映画に出演するおおすみ正秋によれば,ある日,大塚康夫は数枚の紙にさらさらと絵を描き,おおすみに見せた。そこには大塚の顔がムーミンに変化するパラパラ漫画が描かれていたという。おおすみが演出(当時のクレジットは大隈正秋),大塚が作画監督を務めた『ムーミン』(1969年版)制作前のエピソードである。*1

大塚によれば,この『ムーミン』(1969年版)におけるムーミンのキャラクターは,日本のマーケットに合わせて「丸っこい」デザインにしたのだという。*2 映画の中で,自宅の作業部屋にぽてっと座り,タバコを燻らせながら「飄々」と語る大塚の姿は,まさしく彼自身が描いた「丸っこい」ムーミンそのものだ。

この誰にも好かれる“丸さ”こそ,大塚康夫というアニメーターの最大のチャームポイントであり,最大の武器でもあったのだろう。彼自身のキャラクターがムーミンのように丸かったからこそ,彼の周りには人が集まり,彼から多くのことを学び得たのだ。

人に伝わりゆく技術

高畑勲は,大塚は「人に教えるのがうまかった」と述懐している。その一方で,「宮崎さんは下手だった」とバッサリ切っている。大塚と宮崎の対照的なキャラクターは大変興味深い。

宮崎駿のような超然とした天才がアニメ表現の水準を一段も二段も底上げし,それによって日本のアニメーションの技術レベルを世界に知らしめたことは間違いない。しかし,アニメーションは一人の人間だけで出来上がるものではない。多数の人間が共同作業で作り上げるからこそ,そこには技術の共有と伝達が不可欠だ。大塚の「丸っこい」キャラは,やさしく穏やかに技術を伝達するのにぴったりのキャラだったのかもしれない。その意味で,彼の後半生は彼の天命なのだと言える。

大塚康生の人材育成術を見ていて思い出すのは,京都アニメーションの企業理念だ。ブラックな状況が改善しないアニメーション業界にあって,京アニは従業員の正社員化や労働条件改善に努めつつ“人”を大切にし,人材育成に大変な力を入れてきた会社だ。京都アニメーションのホームページに掲載された企業理念には「人を大切にし,人づくりが作品づくりでもあります」とある。*3 人の技術が人に伝わり,進化し,素晴らしい作品を作り続ける。京都アニメーションの作品を1つでも観てみればわかるように,〈育成〉という理念はアニメ作りにおいて決定的な要素である。事件で亡くなった人たちの直接の仕事を観ることはもう叶わないが,彼らが伝えた技術は,間違いなく未来の京アニ作品の中に蘇って来るだろう。

大塚は絵そのものの美しさよりも,動きを演技そのものと捉え,大事にした。文字通りアニメーションの“生命”であるキャラクターの動き=演技の大切さを,大塚は『白蛇伝』の原画・森康二から学んだ。そして僕らは『白蛇伝』の中に表されている動き=生命を,間違いなく現在のアニメ作品の中に見出すことができる。それは大塚のような人が尽力した〈育成〉のお陰に他ならない。

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もう僕らは大塚自身が手がけたアニメを観ることはできないかもしれない。しかし,彼が後世に伝えた技術は,この先も数々のアニメーションの中に繰り返し立ち現れてくるはずだ。

 

*1:このエピソードはおおすみのブログ「おおすみ正秋の仕事場」の記事「楽しかったムーミンの制作現場」でも語られており,おおすみにとって印象深い出来事だったことが伺える。

*2:大塚康生『作画汗まみれ』文春ジブリ文庫,2013年,p. 186。ちなみにこの『大塚ムーミン』は原作のキャラクターとはかけ離れていたため,原作者側からは認められず,テレビ放映や新規のソフト販売などが行われなくなってしまった。

*3:京都アニメーション公式HP「企業理念」より

劇場アニメ『白蛇伝』(1958年)[デジタル復元版]レビュー:よみがえるプロトタイプ

 ※このレビューはネタバレを含みます。

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TOEI ANIMATION公式HPより引用

www.toei-anim.co.jp

作品データ

 (リンクはWikipediaの記事)

心優しい少年・許仙(シュウセン)は白蛇を可愛がっていたが,大人達の無理解により引き離されてしまう。十数年後,白蛇は美しい娘に化け,白娘(パイニャン)と名乗り許仙の前に姿を現す。二人はたちまち恋に落ちるが,白娘が妖怪であると知った和尚・法海は二人の恋路を阻もうとする。白娘は法海に破れ,許仙は崖から転落して命を落とす。白娘は龍王に懇願し,自らの永遠の命と引き換えに許仙を生き返らせる。

東映動画(現・東映アニメーション)が制作した,日本初の長編カラーアニメーション映画であり,若き日の大塚康生が第2原画(クレジット上は動画),奥山玲子が動画として参加しているのも注目だ。奥山は現在放送中のNHKの連続テレビ小説『なつぞら』のヒロイン「なつ」のモデルであり,ドラマに登場する『白蛇姫』の原作は,まさしくこの『白蛇伝』である。一種の“朝ドラ効果”として本作に注目が集まっていると言えるだろう。

デジタル復元版について

そんな話題の『白蛇伝』だが,2018年に国立映画アーカイブ,東映株式会社,東映アニメーション株式会社の三社共同で,現存するセル画などに基づいたデジタル復元がなされた。具体的には,色彩の調整,色むら・フリッカー・縦縞・黒コマの除去などが行われている。復元前と復元後の変化については,公式HPで公開されている以下の「検証映像」が参考になる。


10月9日(水)発売「白蛇伝 Blu-ray BOX」 デジタルリマスター 検証映像

僕が鑑賞した限りでは,色彩の調整に関してもノイズの除去に関しても,不自然な部分は見られなかった。何せ「日本初の長編カラーアニメーション映画」である。当時の鮮やかな色調で本作を楽しめるのは大変喜ばしいことだ。

現時点(2019年8月7日)で予定されている劇場上映は,「ユジク阿佐ヶ谷」の8月9日(金)13:50~と「国立映画アーカイブ」の8月20日(火)15:00~のみだが,今後も上映される可能性もあると思われるので,こまめに情報をチェックすることをお勧めする。

www.yujikuasagaya.com

www.nfaj.go.jp

また,8月10(土)と8月24(土)の15:00より,「東映チャンネル」にて「4Kレストア版」として配信が予定されており,「スカパー!」「J:COM」「ひかりTV」で視聴可能だ。

www.toeich.jp

さらに,10月9日(水)にはBlu-ray BOXが発売される。復刻版の台本,絵コンテ,劇場パンフレットなどが特典として付属する。東映公式のオンラインショップの他,Amazonでも購入可能(Amazon.co.jp限定の特典は「セル画風ステッカー」)。もちろん僕は予約済みである。

www.toei-video.co.jp

魅力的なキャラクターの“プロトタイプ”

『白蛇伝』のストーリーは“悲恋物語”とでも言うべきものだが,主人公の恋物語を支えるサブキャラクターたちも実に魅力的だ。白娘のお供をする小青(シャオチン)は,主人と許仙の恋を成就させようと必死に立ち回る。その健気な少女の姿は,現代のアニメファンの心も打つことは間違いないだろう。

とりわけ,パンダ(ジャイアントパンダ)やミミィ(レッサーパンダ)などの動物キャラたちの活躍は目が離せない。虫プロ(1961年設立)が“リミテッドアニメ”を導入する以前の作品ということもあり,かつてのディズニーアニメと同様,いわゆる“ぬるぬる動く”というタイプの作品なのだが,とりわけ動物たちの動きにはかなり力が入れられていると思われる。本作に動画として参加していた大塚康生は,動物の原画を多く担当した森康二の仕事に関し,以下のように述懐している。

『白蛇伝』での私の最大の驚きは,森さんが担当した,愚連隊の豚がハンマーで石頭のパンダを地面に打ち込むシーンのアニメーションでした。よくできた映画には「名演技」と呼ばれるシーンがあるものですが,これなどはその典型でしょう。力の入れ方,抜き方,硬さと柔らかさ,表情など,繊細で力強く,おそらく森さんにとっても,それまでにない名演技ではなかったかと思います。木彫りの龍がパンダたちの遊び道具になって,次第に生きて空中に舞い上がり,失速して墜落するシーンも森さんの名演技です。[中略]私はこれが「キャラクターに命を与える」アニメーターの仕事なのだと,驚嘆にふるえる思いで原画に穴があくほど見ていたものです。*1

これから鑑賞される方は,この「豚とパンダのシーン」と「龍」のシーンに注目されるとよいだろう。大塚の言うとおり,キャラが「命」を持っている。もちろん,現代のアニメのキャラにも「命」は宿っているし,むしろ『白蛇伝』には,当時の技術的限界から未熟な部分も伺える。しかし,限られた技術と人材(原画が2名!!!)であそこまでの動きを表現する作業の熱量には,やはり驚かされるのだ。

現代のアニメ作品でも,“動物キャラ”はいつも人気だ。それはひょっとすると,動物キャラが人間キャラよりも動きが豊かで,“動き=命を与える”というアニメーションの本来的な定義*2 にぴったり合っているからかもしれない。そんな“アニメーションの体現者”である動物キャラのプロトタイプを,『白蛇伝』のパンダやミミィの中に見い出せるのではないか。

1917年における国産アニメーション誕生から100年余り。*3 最新の技術によってよみがえったアニメのプロトタイプたちを観て,日本アニメの歴史を振り返るのに適した時期と言えるかもしれない。

*1:大塚康生『作画汗まみれ』文春ジブリ文庫,2013年,p.69-

*2:英語のanimateは本来「生命を吹き込む」という意味である。

*3:下川凹天『凸坊新畫帖 芋助猪狩の巻』(1917年)が日本初のアニメ作品とされている。

劇場アニメ『天気の子』(2019年)レビュー[考察・感想]:矮小なる“オレ”の選択

  ※このレビューはネタバレを含みます。

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公式HPより引用 ©︎2019「天気の子」製作委員会

tenkinoko.com

『君の名は。』(2016年)で劇場アニメのあり方を決定的に変えた新海誠監督が,「世界の形を決定的に変える」ことの意味を改めて問うた本作。公開直後から,『君の名は。』に劣らぬほどの賛否を巻き起こした作品となっており,その意味でも今夏必見の映画だと言える。

 

作品データ

(リンクはWikipediaの記事)

高校1年生の帆高は,離島での鬱屈した生活から逃れるべく家出をし,東京に向かう。東京は異常気象により連日雨が降り続け,世界は重苦しく湿りきっていた。怪しげな編集プロダクションを経営する須賀の元でアルバイトをしながら貧窮生活を送る帆高は,ある日,祈りによって天気を晴れにすることができる不思議な少女,陽菜と出会う。

〈世界〉への反抗

まあ気にすんなよ,青年

世界なんてさ―どうせもともと狂ってんだから

物語の終盤で須賀が帆高に対して言ったこのセリフは,本作における〈大人の世界〉を端的に要約している重要なセリフだ。世界は最初から狂っていて,何も変わらない。このある種の諦念とも言える気分は,冨美*1 の「だからさ-結局元に戻っただけだわ,なんて思ったりもするね」というセリフにも表されている。

監督の新海誠は,劇場パンフレットの中で,近年の世界の在り方について以下のように述べている。

今回の作品の柱としていちばん根底にあったのは,この世界自体が狂ってきたという気分そのものでした。世界情勢においても,環境問題においても,世の中の変化が加速していて,体感としてはどうもおかしな方向に変わっていっている。[…]当たり前のことですが,僕たち大人はこういった世界の在りようについてそれぞれなんらかの責任を負っている。でも一方で若い人たちにとっては,今の世界は選択の余地すらなかったものです。生まれた時から世界はこの形であり,選択のしようもなくここで生きていくしかない。*2

だとすれば,須賀の「世界なんてさ―どうせもともと狂ってんだから」は,この世界をこの世界たらしめた張本人である大人の責任放棄であり,「大人が作った世界でおとなしく生きていろ」という受動性の強要に他ならない。当然,若者である帆高はそのような受動的世界容認に反発するだろう。では,帆高は〈大人の世界〉にどう能動的に反抗していくか。前作『君の名は。』(2016年)では,主人公自身が〈大人〉になり,世界を救うという結末を選択した。少なくともこれが,2016年時点での新海の選択だったはずだ。ところが彼は,『天気の子』においてベクトルを真逆に振り向けた。そしてそこにこそ,この作品の青臭くも瑞々しいジュヴナイルフレーバーが濃縮されているのだと言える。

〈年齢差の逆転〉というトリック

『天気の子』は公開直後から,〈ボーイミーツガール〉,〈選択とルート分岐〉を想起させるストーリー展開,〈セカイか少女か〉というクライマックスの決断など,いわゆる“ゼロ年代エロ[ギャル]ゲ”との類似点が指摘され,ネットを中心に話題になっている。

togetter.com

ちなみに〈選択とルート分岐〉に関しては,評論家の小野寺系までもが,「もしも帆高が陽菜を救い出せていなかったとしたらどうだろうか」などと問いを立てた上で,陽菜が風俗店で客をとらされ帆高がヒモになる展開を想像しているくらいだ。およそエロ[ギャル]ゲとは無関係な批評の文脈において〈選択とルート分岐〉が言及されているのはたいへん興味深い。*3

しかしもちろんそこには大きな違いもある。それは,本作が〈年齢差〉という,中高生の人間関係構築においては少なからず大きな影響力を持つ要素を盛り込みながら,それをあえて逆転させることで,エロ[ギャル]ゲにおいてしばしば見られる〈父性的優位(「僕がこの娘を守って[所有して]あげよう」)〉を突き崩した点だ。

年齢差と父性的優位については,『CLANNAD』(2004年(PC版ゲーム),2007年(京都アニメーション版TVアニメ))の古河渚と岡崎朋也の関係を考えてみるとわかりやすい。病弱で授業を休みがちな渚は高校を留年しているため,朋也たちよりも1歳年上である。しかし朋也はまるで自分の方が年上であるかのように振る舞い,その様子は渚の父親にそっくりである。渚が年上のように振る舞おうとすることもままあるが,彼女の気弱な性格もあって,結局は朋也に“父親のように”守られるキャラクターとして落ち着いてしまう。ここには,〈年下の女性を庇護する〉という関係性を〈あえて年上の女性を庇護する〉という関係性に変換し,〈父性的優位〉を強化するカラクリが用いられている。

新海誠の前作『君の名は。』(2016年)も,この〈年齢差による父性的優位の強化〉という『CLANNAD』的手法を踏襲していた。立花瀧はタイムトリップのような現象で3つ年上の宮水三葉と関わり,やがて彼女と彼女の町(世界)を救う選択をし,それに成功する。瀧と三葉はいったんは離ればなれにされるが,過去作である『ほしのこえ』(2002年),『雲のむこう,約束の場所』(2004年),『秒速5センチメートル』(2007年)とは異なり,2人はやがて都会の町中で奇跡的な再会を果たす。

年齢差によって強化された〈父性的優位〉が留保され,少女と世界を救うという選択がなされていたという点では,『君の名は。』も確かにゼロ年代エロ[ギャル]ゲの作法に則っていたのだと言える。

一方で,『天気の子』はこの〈年齢差〉をあえて逆転させている。当初,陽菜は年齢を18歳と偽り,帆高もそれに騙され,彼女を“姉”的な存在として扱う。ところがその後,帆高はリーゼントの刑事から陽菜が実は15歳であったことを聞かされ,「なんだよ…俺が一番年上じゃねえか…」と言いつつ,“自分が彼女を守ってやれなかった”というある種の挫折感を味わうのだ。

加えて,帆高が陽菜の小学生の弟・凪を「先輩」と呼んで慕っている点も重要だ。帆高というキャラクターからは,立花瀧に見られるような,少女を守る立場としての〈父性性〉が剥ぎ取られ,ある種の〈剥き出しの少年〉として描かれているのだと言える。

剥き出しの少年:オレが世界を選択したんだ!

『君の名は。』は,主人公のキャラクターの中に〈父性性〉を保持したことによって,立花瀧が〈父になる=社会化する〉という契機を残した作品だった。だからこそ,彼は宮水三葉という少女を守ると同時に,世界を救うという選択をすることができた。

しかし『天気の子』において新海は,この〈社会正義としての父〉という要素を放棄した。その代わりに登場したのは,父性性を払拭され,「少女を救いたい」という動機だけを駆動力に前に進む〈剥き出しの少年〉だ。“大人が選択した狂った世界は,本当はオレが選択したのだ”という偽悪。まさに,彼を補導したリーゼント刑事をして「うっぜぇ」と言わしめるほどの“厨二病ぶり”だ。そのようにして彼が選んだ「なにも足さず,なにも引かない世界」は,父としての権威を放棄し,社会的責任から解放された未熟な楽園なのかもしれない。

さて,これを“ゼロ年代セカイ系メンタリティへの回帰”と要約すべきだろうか。

僕は少し違うと思う。この作品は,ささやかではあるが,今現在の社会において有意味なメッセージ性を持ちうる作品に仕上がっていると思うのだ。もちろん,“家父長制度への批判”と言えるほどの批評性はこの作品にはないだろう。しかし,ともすれば生真面目な市民主体が“社会正義”の名の下に意識を肥大化させ,他者に対してオフェンシブになりがちな現代において,『天気の子』を一種の批判要素を持つ作品として評価することは無理なことではないだろう。

人の理性が不条理を抱えている以上,人類愛と正義によって肥大化した自意識の中にも,“世界よりもこの人が大事なのだ”という矮小化した自意識が存在するはずなのだ。それを認めようとせず,“狂った世界は何を犠牲にしてでも絶対に正すべきである”と思考するのは,社会正義という強迫観念によって不自然に捻じ曲げられ,肥大化した自意識であり,それ自体が狂気である。「調和が戻らない世界で,むしろその中で新しい何かを生み出す物語を描きたい」*4 と語る新海は,このような“正義の狂気”にささやかながら反抗しているように思える。

 それはとりもなおさず,新海誠自身が自己のうちに抱えている矛盾なのかもしれない。『君の名は。』で世界を救う選択をし,『天気の子』で世界を救わない選択をした新海は,おそらく次作でもそのダブルバインドに囚われることになるだろう。そしてそれは,『君の名は。』と『天気の子』の両作品に共感を覚えた僕らが,今後もずっと抱えていく矛盾でもあるのだ。

作品評価

キャラ モーション 美術・彩色 音響
3.5 5 5 4
声優 OP/ED ドラマ メッセージ
3.5 4 5
独自性 普遍性 平均
4 4.5 4.3
・各項目は5点満点で0.5点刻みの配点。
・各項目の詳細についてはこちらを参照。

 

小説 天気の子 (角川文庫)

小説 天気の子 (角川文庫)

 
ほしのこえ

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雲のむこう、約束の場所

雲のむこう、約束の場所

 
秒速5センチメートル

秒速5センチメートル

 
星を追う子ども

星を追う子ども

 
言の葉の庭

言の葉の庭

 
君の名は。

君の名は。

 

*1:『君の名は。』の立花瀧の祖母。本作には,立花瀧,宮水三葉,宮水四葉,勅使河原克彦(テッシー),名取早耶香(サヤちん)といった『君の名は。』の登場人物がゲスト出演している。

*2:「劇場用パンフレット」第1弾,p. 13。

*3:「『君の名は。』との共通点と相違点から、新海誠監督最新作『天気の子』の本質を探る」リアルサウンド映画部より

*4:「劇場用パンフレット」第1弾,p.13。

アニメをより深く観るためのツール:僕らがアニメをアーカイブする

アニメに限らず,ほぼすべての映像作品は“ただ観ている”だけでも十分に楽しめる媒体として作られている。だが同時にほぼすべての映像作品は,その表現の技法,クリエーターの思想,制作の背景などを知ることで,その楽しさがより深まるようにも作られているのだ。本記事では,「アニメをより深く観るために」役立つツールを紹介したいと思う。

 

「アニメスタイル」

animestyle.jp

雑誌「アニメスタイル」は,クリエーターとその仕事にスポットを当て,作品の制作にまつわる多くの情報を掲載した極めて濃度の高い雑誌である。編集長はアニメライターの小黒祐一郎 (@animesama) | Twitter。2000年に刊行を開始後,2度の休刊とリニューアルを経て,現在では不定期刊行されている。ネット上の「WEBアニメスタイル」でも,WEBマガジンの形式で様々な情報を提供している。

「アニメスタイル」の最大の特徴は,クリエーターのロングインタビュー,レイアウト,原画,設定資料など,非常に多くのコアな情報を掲載している点だ。インタビュアーの小黒はまさに“かゆいところに手が届く”質問でインタビュイーから貴重な情報を引き出す。レイアウトや原画などの資料には的確なコメントが付されており,すぐれた解剖図を閲覧しているような気になる。

当然のことながら,アニメは“制作者”という匿名の人格が作っているわけではない。個々のクリエーターには,それぞれの特技・特徴・手癖がある。そうした制作サイドの〈固有名〉を知る上でも役立つ雑誌だろう。アニメファンならば必須のアイテムだ。

雑誌は「アニメスタイルONLINE SHOP」で購入可能だが,一部売り切れになっている号もある(Amazonでの取り扱いもあるが,プレミア価格が付いている場合もある)。早めに手に入れておくことをお勧めする。

「MdN」

 「MdN」は株式会社エムディエヌコーポレーションが発刊する雑誌で,グラフィックデザインとWebデザインの情報提供を目的としている。2013年以降は,アニメ,ゲーム,マンガなどのビジュアル・カルチャー全般を扱うようになり,エンターテインメント色の濃い雑誌となった。

「MdN」の編集部はアニメ制作の内側にいる人たちではないので,その編集方針は「アニメスタイル」とは大いに異なるが,〈デザイン〉を主軸として諸分野を横断するそのフットワークの軽さは大いに好感が持てる。マンガとアニメのタイトル文字をテーマに特集を組める雑誌などそうそうないだろう。

そんなユニークな「MdN」だが,たいへん残念なことに,2019年4月号を以て休刊となった。ただし,バックナンバーは紙媒体・電子媒体ともにAmazonで購入可能だ。

以下,アニメを直接特集した号をリストアップしておく。記事が見づらくなって申し訳ないが,表紙のデザインも見所なので,あえて画像付きの商品情報をリストしておく。購入の参考にしてもらいたい。

月刊MdN 2013年 9月号(特集:マンガとアニメのグラフィックデザイン) [雑誌]

月刊MdN 2013年 9月号(特集:マンガとアニメのグラフィックデザイン) [雑誌]

 
月刊MdN 2014年 4月号(特集:タイポグラフィの現在) [雑誌]

月刊MdN 2014年 4月号(特集:タイポグラフィの現在) [雑誌]

 
月刊MdN 2014年 6月号(特集:キャラクターデザインの世界) [雑誌]

月刊MdN 2014年 6月号(特集:キャラクターデザインの世界) [雑誌]

 
月刊MdN 2014年 8月号(特集:アニメのグラフィックデザイン)[雑誌]

月刊MdN 2014年 8月号(特集:アニメのグラフィックデザイン)[雑誌]

 
月刊MdN 2015年 6月号(特集:漫画/アニメ/イラスト/アート 少女の表現史)[雑誌]

月刊MdN 2015年 6月号(特集:漫画/アニメ/イラスト/アート 少女の表現史)[雑誌]

 
月刊MdN 2015年 8月号(特集:制服―虚構とリアル、その狭間のデザイン)[雑誌]

月刊MdN 2015年 8月号(特集:制服―虚構とリアル、その狭間のデザイン)[雑誌]

 
月刊MdN 2015年 11月号(特集:エフェクト表現の物理学 爆発と液体と炎と煙と魔法と。)[雑誌]

月刊MdN 2015年 11月号(特集:エフェクト表現の物理学 爆発と液体と炎と煙と魔法と。)[雑誌]

 
月刊MdN 2015年 12月号(特集:デジタル/SNS以降の新時代デザイン)[雑誌]

月刊MdN 2015年 12月号(特集:デジタル/SNS以降の新時代デザイン)[雑誌]

 
月刊MdN 2016年 4月号(特集:おそ松さん)[雑誌]

月刊MdN 2016年 4月号(特集:おそ松さん)[雑誌]

 
月刊MdN 2016年10月号(特集:君の名は。 彼と彼女と、そして風景が紡ぐ物語 / 新海誠)[雑誌]

月刊MdN 2016年10月号(特集:君の名は。 彼と彼女と、そして風景が紡ぐ物語 / 新海誠)[雑誌]

 
月刊MdN 2017年4月号(特集:作品のスタッフ・クレジットから読み解けるもの)[雑誌]

月刊MdN 2017年4月号(特集:作品のスタッフ・クレジットから読み解けるもの)[雑誌]

 
月刊MdN 2017年5月号(特集:TRIGGER?若きアニメスタジオ「トリガー」の5年半史)[雑誌]

月刊MdN 2017年5月号(特集:TRIGGER?若きアニメスタジオ「トリガー」の5年半史)[雑誌]

 
月刊MdN 2018年3月号(特集:ダークヒーローの系譜、その最新形)[雑誌]

月刊MdN 2018年3月号(特集:ダークヒーローの系譜、その最新形)[雑誌]

 
月刊MdN 2018年5月号(特集:ポプテピピックの表現学)[雑誌]

月刊MdN 2018年5月号(特集:ポプテピピックの表現学)[雑誌]

 
月刊MdN 2018年10月号(特集:アニメの作画)

月刊MdN 2018年10月号(特集:アニメの作画)

 

星海社新書の各書

星海社新書から発行されている以下の4書は,アニメ作品そのものではなく,アニメ産業の動向や製作(制作)事情を取り扱ったものだが,そうした作品の外的な要素を知ることで,作品鑑賞に広がりが出ることは間違いない。

アニメプロデューサーになろう! アニメ「製作(ビジネス)」の仕組み (星海社新書)
 
製作委員会は悪なのか? アニメビジネス完全ガイド (星海社新書)

製作委員会は悪なのか? アニメビジネス完全ガイド (星海社新書)

 

上掲の3書に関しては,以前の記事で簡単にレビューしたのでご覧いただきたい。

www.otalog.jp

これらに加えて,株式会社Triggerの取締役・舛本和也の下掲書もたいへん面白い。

アニメを仕事に! トリガー流アニメ制作進行読本 (星海社新書)

アニメを仕事に! トリガー流アニメ制作進行読本 (星海社新書)

 

著者の舛本は2000年に制作進行としてキャリアをスタート。2006年に株式会社GAINAXに入社し,『天元突破グレンラガン』(2007年)などに携わり,その後2011年に今石洋之や大塚雅彦らとともに株式会社Triggerを設立。『リトルウィッチアカデミア』(第1作,2013年)や『キルラキル』(2013年)に携わる。舛本はこの間,制作進行からプロデューサーへとステップアップしている。

『アニメを仕事に! トリガー流アニメ制作進行読本』は,そんな舛本の「制作進行」としての仕事の楽しさ厳しさを具体的に説明した書物である。「制作進行」と言えば, アニメ『SHIROBAKO』(2014年)の「宮森あおい」というキャラクターによってその仕事の内実が一般に知られるようになったが,本書はより具体的な仕事内容が舛本流の熱い語り口(さすがはTriggerである)で綴られている。そもそもアニメの仕事の中でも,「制作進行」は素人にはややわかりづらい役職だ。『SHIROBAKO』とあわせて本書を読めば,その仕事ぶりがよりはっきりとわかるだけでなく,『SHIROBAKO』という作品そのものを見直すことになるかもしれない。

日本動画協会「アニメ産業レポート」

「一般社団法人 日本動画協会」が「アニメビジネスの状況の把握と認知の向上を目的に,アニメ産業の調査を実施し,統計化等により各種データを発表・セミナーなどを実施」*1 し,その統計をまとめたもの。業界人や研究者向けのかなりマニアックな内容だが,アニメを産業として捉える上で欠かせない資料集である。過去記事のレビューを掲載しておく。

www.otalog.jp

毎年9月頃に紙媒体と電子媒体が発行される。日本動画協会内のページから購入することができる。当該ページにはサマリーもあるので,参考にしてみてはいかがだろうか。

Twitter

アニメーターの中にはTwitterアカウントをお持ちの方もいる。自ら制作に携わった作品への言及のほか,放映中の作品への“実況中継”的なコメント,はては社会情勢や政治への意見など,彼ら/彼女らの種々雑多な発言に触れることができる。アニメーター達のこうした“生の声”を聞けるのは,Twitterの醍醐味と言えるだろう。

以下,僕のTwitterアカウントで作成した「アニメーター」と「アニメ制作会社」のリストを掲載しておく。今後随時情報を更新していく予定である。

アニメーター:@alter_Ego_3_02/アニメーター on Twitter

アニメ制作会社:@alter_Ego_3_02/アニメ制作会社 on Twitter

さいごに:僕らがアニメをアーカイブする

アニメ作品が“カルチャー”としての地位を確立してから久しい。だとすれば,それはもはや一過性の消費財ではなく,〈アーカイブ〉されるべき文化財であるべきだ。今後は「特定非営利活動法人 アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)」などのNPOや「国立映画アーカイブ」などの公的機関によるアーカイブが充実していくことだろう。そしてアーカイブされることによって,過去の作品を観直し,その価値を再評価する機会がますます増えていくことだろう。

その意味で,「アニメスタイル」や「MdN」をはじめとする情報誌を買い揃え,手元に置き,常に参照できる状態にするということは,まさしくアニメを個人レベルで〈アーカイブ〉するということでもある。新作を持続的に鑑賞することももちろん必要だが,時に上掲の情報誌などを参考にしながら過去作品を観直してみるのもいいのではないだろうか。

追記

本記事を投稿後,2019年7月18日の午前,京都アニメーションにて痛ましい事件が起こった。

アニメーターは僕らにとって誇るべき文化そのものであり,貴重な財産であり,そしてかけがえのない命である。アニメを愛し,最高水準のアニメを作ろうと日々努力をしてきた人たちの命を奪ったことに怒りを禁じ得ない。

これから僕らにできることは,京都アニメーションの作品とその作り手を今まで以上によく知り,しっかりと心の中に〈アーカイブ〉していくことだ。奪われたものはあまりに大きいが,彼ら/彼女らが遺してくれたものも限りなく大きく尊い。

さいごに,京都アニメーションの一刻も早い復活を願うとともに,亡くなられた方には心からご冥福をお祈り申し上げたい。